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はてなキーワード: 化学療法とは

2020-09-25

きっと泣く!!!!!

恥ずかしがるから好きとか愛してるーーーとか言わなかった。だからその分大丈夫だよ。とか、安心してとかいってた。

わたしにとっては大丈夫だよが、愛してるに近い言葉だった。その頃は。

でも今になってみたら愛してるよって言えばよかったなって思う。

化学療法が始まってみたら1回目は軽い手足の痺れ程度で旦那も私ももっと辛いものだと思ってたからこれな続けて行けそう、なんか治りそうじゃん!!って2人で喜んでた。

でも2回、3回とか続いていくとどんどん旦那身体とか顔つきとか変わってきて。入院するとそれまで食べれてた食べものが食べれなくなって。大きかった旦那が以前の半分ぐらいになってった。

旦那それでも頑張りたい。少しでも長く私のそばにいたいってかすれた声でいって。私はその時に大丈夫だよしかいえなくて。

家に帰ると泣いて泣いてずーっと泣いて。そのまま寝て翌朝起きて泣いたことがばれないように冷やしたり温めたりして病院に行って。

最後の日そばにいて手を握って寝るまで大丈夫大丈夫だよってばっかりいって。旦那が寝たら家に帰って。そしたら携帯鳴って。

そこから記憶曖昧。あっという間にいろんなことが進んで。全ての式がおわると改めてあーそうか。明日から病院行かなくていいんだって思った。そう思うとわーーって泣いてた。私につられるように私の親と旦那親族も泣いちゃって。みんな泣いてた事だけははっきり覚えてる。

今日の日が来ると大丈夫じゃなくて今でも愛してるよって言ってる。

2020-08-03

がんで化学療法してた人に聞きたいことがある。

がん治療化学療法を行ってた人に質問がある。

 以前精巣腫瘍と診断され、その後高位精巣摘除術を受け、病理診断の結果 非セミノーマ胎児性がん)脈管浸潤ありとなった者である

今回化学療法を行うにあたり、既に化学療法を行った経験者の皆様に聞きたいことがあります

化学療法後の生活

 一番聞きたいことは化学療法を行った後、行う前の生活と同じように生活がおくれるのかどうかということである

やはり仕事ができなくなったなど、生活に支障がでたのかどうか知りたいのでぜひコメントをください。

2020-07-23

父親透析必要になり放っておけば生死に関わると言われている

そのくせ父親は頑固に病院に行こうとしない、自宅療養で過ごすといって聞かない

理由はさっぱり分からないが

重症なのに民間療法に頼り化学療法やめて

早々に死んでしま著名人なんかはよく居る印象あるし

そういう状況になったら陥る視野の狭さや恐怖からの正常バイアスとか

いろいろあるのかもしれない

本人が病院に行かないというものを無理矢理どうこうできるものでもなく

家族ももう半ば諦め気味で

ただもう穏やかに過ごしてもらおう

いざという時に自分も後悔しないように、感謝だったりそういう言葉は惜しまないようにしよう

と2週間ほど過ごした

病院いかないのは相変わらずだが、体調はそこそこ良いようで、毎食ちゃんと起きて食べている

自分自身の体調に気をつけるようにもなってきている

病は気からという父親言葉を聞くたびにやきもきした思いがしたものだが

感情面が落ち着いたことで節制にも前向きになり、結果、体調が改善したというところはあるんだろうなと思う

とはいえ透析必要な状況で自制できることも限界がある

早く病院に行ってほしい

2020-04-20

感染症指定病院感染症病棟で働く看護師です

 居住地は伏せます感染者数が3桁に達するレベル感染が拡大している県です。大学病院ではありませんが、県内屈指の症例数を誇る3次救急指定総合病院です。私の勤める病棟一般内科、呼吸器内科が主ですが一類感染症にも対応できる陰圧室を有する感染病棟でもあります現在新型コロナウイルス感染症(COVID-19)専用病棟として運用されており、入院しているのは陽性が確定した患者と、感染が疑われる患者です。病床数は40床程度ですがそのほとんどが埋まっています。はじめは陽性の患者は陰圧のかかる個室で管理していたのですが、すぐに個室は埋まり現在は大部屋で管理しています一般病床ですので陰圧はかかりません。病院構造病棟のものを閉鎖空間にすることもできず、病棟入り口ポールを立て出入りを制限しているのみです。すぐ隣の病棟には癌で化学療法を受けている免疫の低下した患者大勢入院しています院内感染が起こると危険な状況です。

 PPE(個人防護用具)の不足についてはメディア報道されているとおり危機的な在庫状況です。陽性患者が療養されている空間レッドゾーン)に入る際には、私たちマスクガウン手袋キャップフェイスシールドを装着します。このうちマスク一般的なサージカルマスクではなく、今や皆さんご存知のN95という空気感染にも対応できる特殊マスク使用します。通常であればこれは患者毎に使い捨てものですが、1日に1個まで使用制限されています新型コロナウイルスが発生する以前は、N95使用する機会はほとんど無く、たまに入院してくる結核患者対応使用する程度で院内在庫豊富にあったのですが、あっという間に品薄になってしまいました。ガウンフェイスシールドに至っては在庫が底をついてしまったので、自家製のもの使用していますゴミ袋で作ったガウンクリアファイルを切り抜いたフェイスシールドで、看護助手さんが毎日せっせと作ってくれています。PPEも満足に揃わない状況で患者対応をするのは不安でありますが、あるもので何とかしなければならないと割り切って仕事をしています院内感染全国的に多発しており問題となっていますが、私の病院でもいつ職員から感染者が出てもおかしくない状況と言えます。余談ですが看護助手さんの存在なくして、私たち看護師は満足に働くことはできません。もちろん陽性患者に直接接することはありませんが、彼らも立派な医療従事者です。危険手当も感染した場合補償もないにもかかわらず、文句一つ言わず働いてくれています。ちなみに私たち看護師はありがたいことに1日あたり300円の危険手当がついています

 入院している患者の大多数は軽症患者です。味覚・嗅覚障害のみで発熱もなく元気な方もいますし、呼吸器症状のある方でも酸素投与までは必要としない方が大半です。入院治療必要としない軽症患者ホテルなどの宿泊施設移送するといプロジェクトが本県でも始まってはいますが、手続き上の細々としたことで難航しており、あまり上手くいっていない印象です。

 当然ですが重症化する方もそれなりにいて、数名の方は病棟で人工呼吸器につながれています。今のところ人工呼吸器が足りないという話は聞きませんが、今後の状況次第では不足する可能性は十分にありそうです。人呼吸器につないでも呼吸状態改善されない場合は、亡くなった志村けんさんも使用していたと言われるECMO(体外式膜型人工肺)を回したりします。ECMOは一般病棟では到底管理できないのでその時点でICU集中治療室)に移します。ICUで勤務する同僚に聞いたところでは、残念ながらECMOまで稼働させて持ち直した症例は少ないとのことです。脳出血などの重篤合併症引き起こして亡くなるケースも少なくない印象です。

 また、新型コロナウイルス感染症では腎機能障害を併発する方が多く、腎機能低下が著しい場合CHDF(持続緩徐式血液濾過透析)といって特殊ポンプを用いて24時間血液浄化する場合がありますが、この回路が血液凝固でよく詰まります。そのため24時間MEさん(臨床工学技士)が常駐しており、回路が詰まるたびに対応してもらっています。人工呼吸器、ECMO、CHDFなどの医療機器の稼働率が高くなっている状況において、MEさんの疲労は半端なくピークに達しつつあるのが表情から察することができます人員が少ない分看護師以上に過酷労働環境でしょう。

 看護師は誰でもそうだと思いますが、看護学生時代から幾度となく、看護はベッドサイドからと教えられます。私も患者の側にいてこそ看護師であると日々思いながら仕事をしてきましたが、今はいかにベッドサイドに行かずに済ますか考えなければなりません。軽症な方の食事は部屋の前に配膳しておき自分で取りに来てもらいます。検温もナースステーションから電話で声掛けし、自分で測ってもらいます隔離されている患者不安ストレスは相当なものだと思います特に高齢患者場合隔離による悪影響は計り知れません。ベッド上で過ごす時間が1日のほとんどを占めるようになると、あっという間に歩けなくなり認知機能も落ちてしまますせん妄と言って見当識障害引き起こしたり、不穏になる方も出てきます。できることなら側で話を聞いてあげたいし、世間話でもして気を紛らわしてあげたいのですが、患者との接触は最小限にするようにICT感染対策チーム)に強く言われています看護師の一人でも感染するとかなりの数のスタッフ出勤停止となり、医療崩壊を招きかねませんので当然ではありますが、今まで自分看護と考えていたことと間逆な対応余儀なくされていることへのジレンマは常に感じています

 私も何例か立ち会いましたが、この感染症の患者最期はとても悲惨です。家族に看取られることもなく、防護服をつけた医療従事者に囲まれながら一人で死んでいかなければなりません。通常ですと医師により死亡確認がされたあと、看護師によりエンゼルケアといって清拭をしたり軽く化粧をしたりするのですが、本線感染症の場合エンゼルケア感染リスクを高めるため避けるべしという病院方針により、亡くなったそのままの状態で納体袋に収めることになっています。納体袋は2重になっており内側はビニールシートのような材質で中が透けてみえるようになっています。遺族は患者が亡くなったあと窓越しではありますが、ビニールで密閉された患者に対面することが許されています。変わり果てた患者の姿に絶句し、無念さに涙する家族の顔が焼き付いて離れません。つかの間の再会のあと、分厚いブルーシートのような素材の外袋で密閉し火葬場に直行荼毘に付されます。とても非情残酷ではあります遺体から感染懸念されることから、仕方のないことだと自分を納得させています

 スタッフの中には自身感染するという不安や恐怖のため、メンタル的にやられている方もいます。小さなお子さんがいる方は特に神経質になっているようです。そのような方は他の病棟に異動させるなど配慮をしてほしいものですが、スタッフの数が不足している状況でなかなか声を上げにくい環境ではあります医療差別については個人的には経験がありませんが(両親には実家に帰ってくるなと言われてはいますが)、差別的な言動対応を受けたスタッフも実際にいるようです。そのようなことがあると仕事に対するモチベーションが下がりますが、ほとんどの医療スタッフ普段どおり淡々仕事をしています仕事ストレスに対する耐性が高い人が多いこともありますが、このような感染症の流行に備えて日頃から訓練を積んでいますし、覚悟もできています医療現場が忙しいのはコロナ以前からですし、このような状況だからこそ冗談を言い合いながら笑って仕事をして、むしろ病棟の結束力は以前より増しているように思います。これに関しては人間関係に恵まれ職場で働けていることに感謝しています

 新型コロナウイルス流行がいつ終息するか、それは誰にもわかりません。メディアではコメンテイター医学博士といった肩書の方が様々な持論を述べていますが、第一線で患者治療にあたる医師たちはわからないという事実に対してとても誠実です。すくなくとも年単位覚悟しなければならないだろうというのが現場共通認識です。国民の大多数が感染集団免疫を獲得するかワクチンが開発されるまでこのウイルスが影を潜めることはおそらくないのでしょう。ワクチンについては、すでに感染している患者治験薬を投与するのとは違い、健康な人に接種するのですから段階的なフェーズを踏んで安全性有効性を確認しなければなりません。開発にはそれなりの時間がかかることが予想されます自粛生活がいつまで続くのか、先行きの見えない不安ストレスを抱えながら生活するのは気が滅入りますが、いつか終息すると信じて耐えるしかないのでしょう。

2020-03-17

anond:20200317150821

3/9

08:31慶70歳の男性1人死亡...死者51人

慶北慶山に住む70歳の男性1人がコロナ19で8日、死亡した。国内51人目の死者である慶尚北道によると、この男性は先月26日、経産でコロナ19確定判定を受けて安東医療院に入院した。以後4日、東国レース病院音圧病室に移送され、治療を受けたが、8日に死亡した。

11:05大邱国内52・53人目の死者が発生

大邱コロナ19に2人追加死亡した。これ国内の死者は計53人である。保健当局によると、9日午前2時20分頃、嶺南病院で75歳の男性呼吸困難で死亡した。普段肺線維症を患っていたが、男性は1日、咳や呼吸困難の症状を示し、8日嶺南病院の緊急治療室で治療を開始した後、確定判定を受けた。同日午前6時15分頃には、啓明大学東山病院で69歳の女性が死亡した。先月24日に発熱の症状を示し29日大医療院選別診療所を訪れたが、女性は1日確定判定を受けた。基礎疾患はないことがわかった。

19:45大邱コロナ19 1人追加死亡...大邱36人・国内54人目

大邱国内新型コロナウイルス感染症コロナ19)確定者1人追加で死亡した。これにより、大邱地域の死者は36人、国内の死者は54人に増えた。大邱市は慶北大病院治療を受けていた82歳の男性が、この日の午後3時54分ごろ、死亡したと発表した。この患者は、基礎疾患に食道がんを患ったことが分かった。

3/10

11:24大邱で4人追加死亡...死者58人

10日大邱でコロナ19確定者4人が追加で死亡した。大邱地域死者は40人で、国内の死者は58人に増えた。大邱市によると、62歳の男性が9日午前、死亡した後、コロナ19確定判定を受けた。彼は7日、検査を受けたが、当時は音声であった。 76歳の女性は、慶北大病院隔離病棟治療中に死亡した。普段糖尿病を患っていた。先月22日に確定判定を受けた59歳の女性は、啓明病院嶺南病院に電源れ治療を受けて死亡した。基礎疾患はなかった。慢性気管支炎を患っていた71歳の男性は、5日確定判定を受けて、集中治療室治療中に死亡した。

17:38大邱コロナ死者追加で出て...死者59人

大邱コロナ19死者が1人より出てきた。 10日、大邱市によると、死者は83歳の女性である。去る2日発熱下痢の症状で、大邱医療院で検査を受けて、次の日確定判定を受けた。以後肺炎所見で音圧病床で入院治療を受けたが、この日の午前10時43分ごろ死亡した。患者は基礎疾患として高血圧を患っていた。これにより、大邱地域の死者は計41人で、国内の死者はすべて59人に増えた。

20:10大邱コロナ19 1人追加死亡...大邱42番目

大邱国内新型コロナウイルス感染症コロナ19)確定者1人追加で死亡した。これにより、大邱地域の死者は42人、国内の死者はすべて60人に増えた。大邱市は3日コロナ19確定判定を受けて、翌日、大邱医療院音圧病床に入院して治療を受けていた80歳の女性10日午後3時55分に死亡したと発表した。この患者は、基礎疾患として高血圧糖尿病を患ったことが確認された。

3/11

08:54大邱で61人目の死者... 79歳認知症高齢者

大邱コロナ19による61人目の死者が出た。保健当局によると、10日午後8時ごろ、慶北大病院音圧治療室で79歳の女性Aさんが死亡した。 8日発熱呼吸困難の症状を示していが、病院の緊急治療室を訪れたAさんは、すぐにコロナ19確定判定を受けた。 Aさんは普段認知症を患ったし、高血圧があった。

11:02益山で治療を受けた大邱確定者が死亡...国内62番目

大邱地域コロナ19確定者1人が益山円光大学病院11日死亡した。国内62人目の死者である全羅北道によると、円光大学病院治療を受けた84歳の女性Aさんが午前8時20分頃に死亡した。 Aさんは、先月22日、コロナ19確定判定を受けて大邱嶺南病院診療を受けて29日圓病院に運ばれた。 Aさんは、移送時に肺炎呼吸困難などで重症状態であり、多臓器不全で透析を受けてきたことが分かった。

13:50大邱で87歳の男性死亡...累積死亡者63人

大邱コロナ19による死者が追加発生した。国内63番目、大邱地域では44回目だ。死亡者は87歳の男性で、11日午前8時20分頃、大邱医療院で死亡した。この男性は2日峡ャ保健所コロナ19の検査を受けて4日確定判定を受けた。 6日、呼吸困難と全身衰弱症状で漆谷慶北大病院救急室に来院した。 7日大医療院に移送され、診療を受けて、11日に死亡した。

20:30慶北でコロナ19 2人追加死亡...慶18人全国65人

慶尚北道コロナ19確定者2人が死亡した。慶北死者は18人、全国の死者はすべて65人に増えた。慶尚北道11日、コロナ19確定判定を受けて入院していた90歳の患者と74歳の患者が、この日死亡したと発表した。去る4日確定判定を受けて金泉医療院に移送された90歳の患者は、この日の午前9時58分、肺炎で死亡した。この患者は、基礎疾患に糖尿病認知症血圧、退行性関節炎を患った。同日午後1時30分、国立中央医療院で敗血症で死亡した74歳の患者は、通常、糖尿病、高血圧狭心症を患っていたことが確認された。

21:40大邱コロナ19追加死亡...大邱45人全国66人

大邱国内新型コロナウイルス感染症コロナ19)確定者1人追加で死亡した。大邱死者は45人に増え、全国の死者は66人になった。大邱市は11日、基礎疾患に狭心症、高血圧などを患っていた84歳の女性が、この日の午前8時ごろ死亡したと発表した。

3/12

09:26毎分私の考え、病院コロナ19確定者1人が死亡

京畿道城南市盆唐私の考え、病院で確定判定を受けた新型コロナウイルス感染症コロナ19)患者1人が死亡した。 12日ウン・スミ城南市Facebookを介して「昨日(11日)午後10時ごろ、毎分私の考え病院感染者した方が死亡されました」と述べた。死者は龍仁市に居住する82歳の男性で、6日毎分私の考え、病院で確定判定を受けてミョンジ病院に運ば隔離されて治療を受けたが、終了死亡した。基礎疾患としては、肺癌を患っていた。この男性奥さんも同じ日に確定判定を受けて、現在城南市医療院で隔離治療を受けている。

3/13

08:44毎分私の考えの病院感染者1人が死亡...全国68人目

試合城南コロナ19確定者1人が死亡した。首都圏では3番目、全国68番目の死者だ。城南市は毎分私の考え、病院コロナ19確定判定を受けて城南市医療院で隔離治療を受けていた77歳の女性が13日午前6時38分頃、死亡したと発表した。肺がん患者女性は、集団感染が発生した毎分私の考え、病院本館8階81病棟入院したが、5日に確定した。

10:52大邱で死者1人増え... 69人

大邱コロナ19確定者1人が死亡した。これ死者は合計69名である大邱市によると、13日午前2時頃、大邱医療院で85歳確定者が死亡した。高血圧などの持病を患ってきたが確定者は、3日にコロナ19確定判定を受け、入院治療中だった。

13:29大邱でまた1人死亡... 70人目の死者

大邱コロナ19で治療を受けていた確定者が13日に死亡した。この日の大邱で発生した2回目、国内70人目の死者である大邱市によると、同日午前8時40分頃、啓明大学東山病院入院治療中の75歳の女性が死亡した。この女性は4日峡ャ保健所コロナ19確定判定を受けて5日発熱呼吸困難の症状を示してい啓明東山病院音圧病室に運ばれた。基礎疾患として高血圧糖尿病を患っていた。

15:47東国レース病院で71人目の死者が発生

慶北東国大慶州病院コロナ19国内71人目の死者が出た。慶尚北道によると、東国レース病院治療を受けていた77歳の女性が13日午前11時35分頃死亡した。この女性は、コロナ19集団感染が起きた青島対南病院介護者に21日確定判定を受け金泉医療院に移送されたが、症状が悪くなって、25日に東国レース病院に移された。基礎疾患として高血圧糖尿病を患っていた。

16:22大邱・慶北のみ4人... 72人目の死者出

13日大邱でコロナ19死者1人追加しました。大邱・慶北地域で、この日だけ4人死亡、国内の死者は72人に増えた。大邱市によると、この日の午後1時15分頃、慶北大病院入院治療を受けていた86歳の男性が死亡した。この男性は、挙動不便と左側股関節部位の痛みの悪化で2日慶北大病院の緊急治療室を訪問した後、コロナ19確定判定を受けた。高血圧認知症脳卒中などを患っていた。

3/14

13:18釜山で80代の女性1人が死亡...国内73番目

釜山コロナ19確定者1人が死亡した。釜山で発生した最初の死亡者であり、国内の73回目だ。釜山市によると、13日午後10時40分88歳の女性患者が、釜山病院で死亡した。慶北青島対南病院近くの居住であるが、患者は3日清道郡選別診療所コロナ19の検査を受けたが、「音声」の判定を受けた。以後、症状がひどくなり、12日、病院を訪れたが、確定されて入院した。普段心臓病・高血圧脊椎狭窄症を患った。


3/16

13:00大邱で80代の男性が死亡...国内の死者77人

大邱コロナ19で治療を受けていた80代の男性が死亡した。大邱で52番目、国内77人目の死者である。 16日大邱市によると、先月28日に発熱呼吸困難に慶北大病院救急室に来院したA(84・男)氏は29日、確定判定を受けた。去る1日音圧隔離病床に入院して治療中だった。

16:00大邱で確定者2人が死亡...国内の死者79人

大邱ファティ病院コロナ19確定判定を受けた後、病院治療を受けていた71歳の男性と64歳の女性が死亡した。国内の死者は79人に増えた。 16日、慶尚北道助け大邱市によると、70代の男性Aさんは化学療法を受けている間、過去15日確定判定を受けた。 60代の女性は、高血圧など基礎疾患を患っており、過去12日確定判定を受けた後、入院治療中だった。

18:40 80代女性コロナ19死亡...国内の死者80人

コロナ19確定判定を受けた81歳の女性が16日に死亡した。国内80人目の死者である。高熱・悪寒の症状を見せたが、女性は今月5日確定判定を受けて金泉医療院に入院した。以後肺炎悪化して国立中央医療院に電源たが、この日に死亡した。基礎疾患に糖尿病と高血圧を患っていた。

21:30大邱で65歳の男性が死亡...国内の死者81人

大邱新型コロナウイルス感染症コロナ19)確定判定を受け、治療中だった65歳の男性が16日、死亡した。大邱地域死者は54人、国内の死者は81人に増えた。大邱市は慶北大病院入院治療中の患者が、この日の午後12時35分ごろ死亡したと発表した。先月21日、コロナ19確定判定を受けたが、男性は先月28日、心停止が発生して機関の挿入と心肺蘇生治療を受けている。この男性は、基礎疾患に糖尿病食道がんを患っていた。

2019-11-11

anond:20191111162034

どんな二人でも、出会う前に愛はない。出会い、愛が生まれ、はぐくむ。結婚制度から、どのタイミング結婚するかと愛には恐らく関連がないし、見合い結婚が当たり前だった時代に愛がなかったというわけではないだろう。

増田は、結婚の前半の自分の接し方を悔いているようにもみえるが、まあ、あまり気にしないことだ。

癌の予後を考える場合に、重要なのがステージングだ。がんの進行度をステージに分類し、分類された患者がどのような経過をたどるか記録・統計することで、予後を想定することができる。

おもながんの予後はTNM分類といわれている。

Tはtumor。腫瘍(がん)の本体の大きさ。

Nはnode。リンパ節(Lymph node)への転移の程度。

Mはmetastasis。遠隔転移の有無になる。

多くの場合、術前に画像診断で大体のステージングをする。リンパ節について画像でわかるのは、リンパ節が腫れているという大きさの情報と、造影剤を使った場合にはがんに集積しやす造影剤リンパ節にも集まっているということだけであり、画像上所見のあるリンパ節に実際にがん細胞いるかどうかは、手術してみないとわからないということになる。なので、病期分類(ステージング)は正確には手術後じゃないとわからない。術前のステージングはあくま暫定的と考えたほうが良い。

遠隔転移が明らかな場合には手術しない場合もある。

原発腫瘍から離れたところにがん細胞があれば、手術しなかったりするけれど、この場合も、遠隔転移かどうか、細胞を少しとってきて、病理診断を依頼する。病理診断顕微鏡で実際に細胞を見て、がん細胞かどうか診断することな

原発腫瘍から離れたところだと、例えば、胃がん肝臓転移だったら、転移かどうか確定診断のために針で肝臓腫瘍を刺してちょっと細胞を取ってきたりする。腹水と言って腹腔内に水が溜まっているときには針で腹を刺して水を抜いて、そこにがん細胞が見つかれば、遠隔転移有ってことになったりする。

増田場合、手術してみないと病期がわからないというのは、むしろ明らかな遠隔転移はなく、リンパ節も、あまり原発から遠いところは腫れていないということなのではないかなー。

各臓器で、原発のガンがあった場合に、最初転移するリンパ節がある程度決まっていて、一番最初転移するリンパ節センチネルリンパ節といったりする。センチネル門番って意味な。

リンパ節転移が、原発から経路の遠いところまであれば、より予後が悪い。乳がんなどのガンでは、一番近いところのリンパ節転移があっても、ステージIになったりする。

から術前に想定されている病期はそれほど進んでいないのかもね。

ただ、手術して実際にリンパ節なりを取ってきて病理診断してもらわないと確定しないので、主治医ははっきりしたことは言えないってことだろう。ぬか喜びが一番きついから。

細胞の種類や、原発臓器によって、予後は変わるし、ステージが低いか安全ということもないです。一方、化学療法抗がん剤)や放射線療法の組み合わせで、リンパ節転移が消えたりすることもある。結局経過を見ないといけない。おおむね5年くらい再発がなければ、完治とされるかな。乳がんは、10年たっても再発したりするので、やっぱり種類によりますよ。

まだ心配な時期は続くかもしれないね増田、頑張れ。

例えば5年生存率95%とかいっても、こういう統計的なものって患者さんにとっては生きるか死ぬかだから医者から聞いても気休め程度かなと思う。

(5年して、一人の患者が”95%生きている”状態ってのはなくて、100人患者がいたら、生きている患者が95人と、死んだ患者が5人ってだけだから。たくさん患者を診る主治医からすれば有用だけどね。)

さて、参考になるかわからないけれど、うちの妻の場合だけれど。

5歳年上の美人奥さん結婚して10年で乳がんが見つかった。見つかった時点で、胸骨リンパ節転移があった。乳がんセンチネルは、腋下なので、胸骨リンパ節転移があると、一気にステージはIIIc。手術でも取れないし、放射線化学療法でも消えてなくなりはしなかった。予後統計している文献にもよるけれど、調べた範囲ではおおむね5年生存率60%。まあ怖くて直接には主治医予後を聞いていないから、あくま素人が調べた範囲だ。

泣けるね。

”再発”はしない。あるのは局所増大か遠隔転移のみ。再発っていうのは一度消えたがんにおこるものからね。

泣いたね。

もし5年でなくなるとすると、一番下の子はまだ小学生

泣いたよ。

で、今は5年たった。定期的に検査をするけれど(PETかな)、妻の胸骨の内側にまだ癌はいます。いまのところはまだおとなしく共存しているけれど。

いつも思うことは、いずれ別れが来るということ。

でもそれは、がんがあってもなくても、誰にでもいつでも起こりうることなんだ。

明日にも交通事故にあうかもしれない。

通り魔に刺されるかもしれない。

隕石がおちてくるかもしれない。

いつ別れが来るかわからいから、今日一緒に時を過ごせることを大事にしたいんだ。

そういうふうに、別れを想像するとつらくて寂しくて怒りさえわくような、そんな彼女出会たことが、とても幸運だとおもうんだ。

大きな病気を得たとしても、すぐに不幸になるわけじゃない。不運と不幸は違うと思う。

すまん。癌患者家族の話はつい自分投影して長くなった。

健闘を祈る。

2019-08-02

親友が癌になった話

高校生の時、僕には親友がいた。

彼と僕は三年間とも同じクラスに属し、同じ部活に入っていた。部員数はとても少なかったため、必然的に僕達は仲良くなった。授業が終わったら部活が始まるまで、二人で教室に残って宿題をした。部活が終わったら、夕暮れの中、自転車を押して二人で他愛もない話をしながら帰っていた。

高校二年の冬、彼は肩が痛いと言い出した。僕達は皆、ただどこかでぶつけただけの軽い打撲だろうと思っていたが、その痛みは次の年の夏まで続いていた。さすがに何かおかしいと思った彼が病院に行き、検査をうけると、骨の癌だということがわかった。

彼は、一言でいえば、人望があった。筋骨逞しく文武両道で、理知的だった。それでいてユーモア冗談が好きで、いつも周りの人々を笑わせていた。何よりも、彼は優しく、思い遣りのある人だった。だから、彼の周りにはいつも人が集ってきた。それは彼の入院中もそうだった。抗癌剤副作用にもめげずに、面会に来た友人達に気丈にふるまい、退院した後はどうしようかなど、将来の希望を語っていた。実際、彼は退院し、志望していた大学に入って大学生活を楽しんでいた。彼女もできたようだった。

しかし、子供の癌は進行が早い。化学療法殲滅できなかった癌細胞が他の組織転移し、彼の癌は再発した。癌切除手術、抗癌剤退院、再発して入院、手術、抗癌剤退院入院、その繰り返し。筋骨隆々だった彼の体は段々と痩せ細り、頬もこけていった。抗癌剤副作用は彼の精神をも蝕み、面会をする度にぽつぽつとネガティブ言葉を吐くようになっていった。誰が見ても、彼の予後絶望的だった。

僕にできることは何もなかった。衰弱していく彼を真横で見ていてもなお、死相の出てきた顔を間近に見ていてもなお、僕にできることは一切なかった。そのことが僕はとても悔しかった。だから何か僕ができることを探して、考えついたのが、生命科学研究者になることだった。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、僕は死後の世界について考えていた。人が死ぬとどうなるか、僕達は知りえない。だからこそ、死後に天国のような世界があり、そこに彼がいる、そんな可能性が存在する。死んだ後、無に帰すならばそれでいい。だが、天国のような世界があった場合、僕は生前こんな風に頑張ったと、彼に報告したい。生命科学の発達は、かつては治療する術のなかったような病気に対する治療法を確立させてきた。だから僕は生命科学の発達に貢献し、それを彼に報告したいと考えた。今振り返ってみると、なんて馬鹿馬鹿しい考えなんだろうと自分でも思う。

博士課程を卒業し、がむしゃらに研究活動を行い、数年が経った。どうやら研究者の道で成功するには、情熱、実力、コネ、運の全てが必要らしい。生命科学の発達に貢献したい、という漠然とした動機でやっていけるほど甘い業界ではない。それに最近、ある致命的なことに気づいてしまった。

僕は彼のことが好きだった。片思いだった。高校生の時にはただの憧れだと思っていたが、大学生になり、自分同性愛者だと気づいてから、彼への想いを認識した。もちろんそのことは彼には伝えていない。伝えないまま、彼は数年前に死んでしまった。しかし、死んでもなお、彼を慕う気持ちは変わらない。僕は、死後の世界で彼と逢えるという一粒の可能性に賭けて、辛い研究生活を送ってきた。

しかし、最近致命的なことに気づいてしまった。なんで今まで気づかなかったのだろう。

それは、もし死後の世界で彼に報告できたとしても、彼は僕のことを気味悪く思うだろうということだ。彼は彼女と一緒にいる方が楽しいに違いない。

彼への想いは今も変わらない。ただ、目的を失った僕は、宙ぶらりんのまま、見えなくなった将来を悲観している。

読んでくれた人へ最も伝えたいことは、大切な人には定期的な検診や人間ドックを受けさせた方が良いということだ。特に子供には。

2019-07-31

父が末期がんになった

父ががんの宣告を受けた。いわゆるステージ4、がん細胞原発部位を飛び出し、体の他の場所転移している状態だ。昨日はこれから化学療法抗がん剤治療方針に関して医師から説明があるというので、幼いころ、野球場へ連れて行ってもらったときのように、父の後ろをついて病院まで行ってきた。

結論から言えば、医師説明スタンダードな標準医療に沿ったもので、こちらとして安心できるものだった。魔法のように父を長生きさせてくれるものではないのが残念ではあったけれど、お医者さんは魔法使いではないので仕方ない。

今回、医師の話を聞きに行くあたって、真っさら状態では質問すらままならないだろうと思い、父のがんについて簡単勉強をしていった。「診療ガイドブック」の父に関係しそうな部分を読み込み、さまざまな医療機関のサイトで疾患の解説をしているページをあたり、予想される薬剤名で検索しては各方面記事にさんざん目を通した。

そんな予習をしている際には、当然「魔法」を喧伝するサイトにもたくさん出くわした。曰く、「抗がん剤なんて危ない!」「日本なら死ぬのを待つだけ」「海外に行けばこんなにきれいに!!」などなど。冷静になろう、父に正しい医療を受けてほしいと思う自分に対してさえも、こういうサイトは心の隙間を見つけて染みこんでくる。

自分が行動を起こさないせいで、父は命を落としてしまうんじゃないか

安易に標準医療に頼ったら、助かるはずの父を苦しめてしまうんじゃないか

こうした「魔法」について医者に聞いたところで「そんな治療法はエビデンスがないので、『受けるな!』とは言えませんが、おすすめもできません」と答えるのが分かってはいるのに、ついつい主治医にも確認した方がいいんじゃないかという気持ちが頭をよぎる。

そういう不安払拭できたのは、やはり知識だった。病院学会が発する資料素人なりに読み込み、正確な数値に触れ、薬の作用機序を大まかに頭に入れ、標準医療進歩を実感してこそ、「魔法」の誘惑から逃れ、医師説明に耳を傾けられたような気がする。自分で言うのもおこがましいけれど、まだ、私にはそうした医学エビデンスのある資料を読む力があったから、あやしい魔法から逃げおおせることができたのだろうと思う。もし、これが年老いた本人だけ、あるいはあまり資料を読む習慣がない人だけが情報に向き合った際に、標準医療と「魔法」の区別がつくのだろうか、という懸念は残った。

発端は親切心なのかもしれないが、あやしげ商売でがん患者やその家族をたぶらかす連中を絶対に許せない。

今、私は父を病院に託し、抗がん剤が父に対して劇的な効き目を発揮してくれることを祈り、激しい痛みや生活苦が今後、父(または同居する母)に訪れないように祈ることしかできない。幸いオリンピックチケットが2枚当たったので、かつての野球場のように、来年の今ごろ、父とともにオリンピックスタジアムへ行けることを夢見ている。

標準的医療が、父に対してだけは魔法「のように」効き目を発揮しますように(祈)

2019-03-23

血便を放置するな

親戚が大腸がんで亡くなった。

何年か前から検便で便潜血反応があったそうだが、再検査にも行かず放置していたそうだ。

診断から亡くなるまで半年ちょっとかな、あっという間に感じたな。

なんせ末期だったので、詳しくは知らないが、かなりのお金がかかったようだ。

いくらくらいかかるか知りたいひとは化学療法の値段でググってくれ。

ちなみにその親戚の弟も便潜血がありながら放置していたが、身内が大腸がんになったということで慌てて受診

すると初期の大腸がんが見つかった。

初期のがんはサクッと切り取っておしまい

ついでに弟は任意保険に入っていたので保険金(詳しくは知らんが大体100万円くらいって言ってた)をゲット。

血便を放置して苦しみ命もお金も失うのと、今すぐ受診するの、どっちがいいかはわかるよね?

から血便は放置するな。

2018-11-13

父がもうすぐ死ぬ

原因はタバコが元になった肺腺ガン。小腸転移するという珍しい進行の仕方で、もう化学療法効果がないらしい。病院先生からは、残された時間をお父さんが出来るだけ楽に過ごせるようにしましょう、と言われた。

寡黙で、人に弱音を吐かず、黙ってやるべき事をこなす父だった。これといった趣味はなく、強いて言えば家でテレビを見ながらお酒を飲んでタバコを吸うのが好きだった。それが自分の命を奪う原因になると考えていたのか、今となってはもう訊いてもどうしようもない。

言い方が難しいが、自分の子供といえど子供扱いすることなく、1人の人間として見てくれた。私のやる事に口は出さな主義で、習い事志望校就職先も、「ここに決めた」と言えば必ず「そうか。」とだけ言い、黙ってその道に進ませてくれた。

私が人生に悩んで学校を辞めると言った時も、返ってきたのは「そうか。」の一言だった。てっきり死ぬほど叱られると思っていた私は拍子抜けしたが、その時改めて父親の器の大きさを思い知った。

ガンにかかった時も本当は辛かっただろうに「ちょっとしんどいけど大丈夫」「仕事が残ってるから」と入院先延ばしにし、

結局手遅れになってしまった。(痛みに鈍い人なので、本当に分かっていなかったのかもしれないが)

「1週間ぐらい検査入院してくるわ」と言い、そのまま最期を迎える事になるなんて。

毎日毎日朝が来るのが怖い。

毎秒毎秒いつ病院から電話が掛かってくるか怖い。

父が日に日に動けなくなるのが怖い。

父の意識がなくなるのが怖い。

父の死が近づくのが怖い。

まだ55歳なのに。

7人兄弟末っ子で、上の兄弟はみんな元気なのに。

定年後お父さんずっと家にいるの?たまにはどこか出かけといてよ、なんて笑っていたのに。

いつか犬を連れて旅行に行こうって言ってたのに。

花嫁姿だって見せられてないのに。

親不孝な娘でごめんなさい。

何もしてあげられなくてごめんなさい。

機嫌の悪い時、適当に返事をしてごめんなさい。

せっかく入れてくれた学校を辞めてしまってごめんなさい。

お父さんが自慢の娘だって言えるような事が何一つなくてごめんなさい。

お父さんはどう思ってるか分からないけど、私はお父さんの娘に生まれてよかった。

今更言っても遅いけど、生まれた時からずっと、私はお父さん大好きだよ。

2018-10-16

anond:20181016084352

温野菜の方だったんですね。嬉しい。

首をつりたくなるの、私の場合当時は赤ちゃんの象みたいな、ぱやぱやの毛しか残ってなかったので飛び降りるとヅラがずれてかっこ悪いな、と思ってしまったせいもあります

あとはヅラをむしって、全裸で奇声を上げて近所中を走り回りたいという衝動にも駆られました。

体力ないなかで追いかけられたらすぐに捕まってしまうなということがネックで実行に移さなかったことは賢明でした。

世の中にはストレス露出に走るタイプとそうでないタイプの2種類の人種がいるのだなと学びました。

自分がそっちのタイプだったかと、がんになるまで知らなかったので、気づきを得たときは何とも言えない心境でしたね。

リュープリン、打った後の不眠がすごくてしばらくしたら落ち着くのですが当時は抗がん剤の日にリュープリンも打っていたので何が何やらでした。

元々の婦人患者でも不安定になりがちだったので、ホルモンの変動にすごく敏感なタチなんだと思います

その後のタモキシフェンという飲み薬でリュープリンの非ではない尋常でない鬱になり、即腱鞘炎になったので、確信しました。

タモキシフェン副作用がほぼないとか言ってるやつにはオラオラオラってしてやりたいです。

ほぼないとされる副作用にことごとくはまっていくタイプ患者だったので、病院スタッフあんまり真剣に取り合ってくれないのがもどかしかったです。

めっちゃ下痢するって言っても、フーン、みたいな。化学療法室の師長さんだけが副作用と言ってくれて、〇〇ちゃん、もう限界なのよね。と同情してくれ生理食塩水打ちながらこっそり泣きました。

ステロイド、私は体力なしのぐったり期に使っていたのですがぽっぽしました。

精神的には食欲以外そんなに作用しなかったのですが、あなたDIO様になるくらいなら相当お辛いのでしょうね。

抗がん剤ステロイド併用すると、何故かみんなカレーに行き当たるようです。

当時乳がん患者ブログ読みあさって笑っちゃいました。

みんな吐き気が治まったらカレー食べてやる、って思うみたいで。

乳がん死ぬ人はそんないないけど、治療中に生活が乱れたのを引き摺って糖尿病とか生活習慣病で死ぬ人は結構いるんだよね、とお医者さんに言われてぞっとしてます

お母様と仲直り、よかったですね。

うちの母は自分の非を一切認めない困ったちゃんなので、自業自得はないでしょって言うとお前がピルを飲んでたせいだから間違ってないと言いまくるので永遠にまらない溝です。

病気のこと以外では概ね仲は良好なので、昨年父を亡くしてからはたくさん電話をするよう心がけています病気地雷

大学病院治験ちょっとクワしますよね。私も抗がん剤副作用に鍼治療がいいかもという研究に参加しました。

鍼の先生優しくて好きでした。

今私は休職中で毎日日曜日昼夜逆転を頑張って治しているところです。

楽しいことを享受して死ぬまで生きましょう。温野菜山盛り食べたくなってきました。私の場合はそれだけですみませんが…。

2018-09-04

化学療法対応できないガンが民間療法で治る

ガンにやられると藁にも縋るっていうのはそういうことなんだろうな

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2016-03-27

戸田奈津子さんの誤訳 映画今そこにある危機』において

映画今そこにある危機』を字幕で見ていたら、

とある人物のガン治療においてセリフでは「キーセラピー(化学療法)」と言っているのに、

字幕では「放射線治療」になっていた。

chemotherapy(化学療法)とradiation therapy(放射線療法)では発音もまるで違うのに、

何をどう間違ったんだろう。

例えそこで誤訳したとしても、その後にがん患者が「Shit...」と呟いて嫌そうな表情を見せることから

副作用の軽い放射線治療ではなく、副作用の強い(化学)療法なのだろうと推測できるだろうに。

彼女にはそれすら考えが及ばなかったのだろうか。

2014-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20141028030857

うちは肝臓だったよ。レーザー治療化学療法をやったけど、副作用が辛そうで見ているだけで切なくなった。どちらの方法が良かったのかは、神のみぞ知る領域だと思うよ。

うちは、医師からせん妄や強い痛みが起こる可能性が高いと言われていたので、最期の山場が一晩で済んだのは、本人にとっても家族にとっても、唯一の良いことだったように思う。

入院してから亡くなるまでは1か月弱あって、毎日顔を見に行くとうっとうしがられるぐらい元気だったのに、ある日ふと「今日、病室に泊まろうか?」と聞いたら頷いたんだ。

その晩、一晩だけひどく苦しんで、そのまま明け方亡くなった。ひとりきりで行かせずにすんだ。

末期がん患者家族は、だんだん心がすり減っていく。戦っても戦っても「改善」されることが無いから

患者本人が、少しずつ見た目が衰えていくのは、一緒に暮らしていたり間近にいたりすると分からないんだよ。

そのことでお母さんを責めるような態度を取ることだけは、どうかやめてあげてほしい。

あと、自分を責めるのも、できればやめた方がいい。もう少しして落ち着けば気持ちも変わると思う。

親しい人に悲しかったことや辛かった気持ちを話せるととよいね

2014-07-17

医者が癌の早期発見に失敗してトンデモ療法試したけど効かなかった話

今日増田はそんな感じの話題らしいんで、自分体験談ひとつ

 

うちは両親が医者、俺も医者医者一家である。ちなみに開業とかはしてない。病院勤めが主。

で、その医者である父親が癌になった。健診を受けたり他の病気治療で全身検査などもしていたのだが、早期発見できなかった。

癌のできた場所は専門領域としては俺の分野だったが、当時は俺もまだペーペーだし離れて住んでいたこともあり、その辺りは全く役に立たなかった。

 

発見時は既に手術できないくらいに進行していたため、治療化学療法

一時的には親父の体調も改善し、趣味を再開したり仕事を引き継ぎのためにまとめたりはできたが、まあ完治はならず。

そこは我々も望めないのが分かっていたので、今のうちにと家族旅行をしたりした。

 

そうこうするうちにもゆっくりと癌は進行し、親父が弱ってきて治療もしんどくなった頃。

親の知り合いの誰かが、怪しげな治療法を試してみないかと持ちかけてきた。

その知人の詳しい立場や来歴は知らない。分かるのは、そいつの提案した治療法は現状では実用化の目処も全然ない、いわゆるトンデモ療法だってこと。

 

その治療の怪しさについては、両親も当然分かっていたと思う。

でも親父はもはや闘病に疲れていた。ガチ治療を続けることにも、そういうノイズ排除することにも、とにかく何もかもに疲れていた。

完治の見込みがなく、元気に活動もできなくなった以上、その時点での親父の望みは静かに苦痛なく余生を過ごすことだけだったに違いない。

親父はトンデモ療法を受けることに決めた。

 

俺は本当はそんなのやめてほしかったが、親父の気持ちも分かる気がしたので、何も言わなかった。お袋も何も言わなかった。

要はトンデモを口実にして、闘病のリングから降りることを、俺たちは受け入れた。

すっかり痩せ細った親父に対して「もう少し頑張ろう」とは言えなかった。

 

もちろんトンデモ療法は効果などなく、親父は亡くなった。

しろ化学療法をやめたことで少し死期が早まった可能性もある。が、闘病をやめることに決めたのだから、そこは大した問題じゃない。

癌が早期発見できなかったことについても、仕方がない。検査が万能でないのは俺自身が良く知っている。

親父の辿った経過は、トンデモ療法部分を含めて、俺たちにできる精一杯だった。

 

自分患者さんでも、ダメ元だし金が無駄になるのは分かった上で、それでもトンデモ療法を排除するよりは受けてみようという人は居た。

自分経験もあるので、そういうのは強く止めはしない。

が、本気でトンデモ療法が効くと思っていそうな人には、やっぱり説得を試みる。説得が通じた事もあるし、通じなかった事もある。

そもそも病院に来ない人には説得を試みることすらできないから、俺の出会う人はまだ話のできるチャンスがあるグループなんだけど、それでもね。

2014-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20140202091834

大きな本屋医療の棚に行って、医師向けのがん化学療法の本を見てみるのはどうだろうか。

パラパラめくって、抗癌剤使用時の生存率と不使用時の生存率の差とか、抗癌剤を使った方がいい場合と使わない方がいい場合をどのように区別すべきかについての考え方がくわしめに書かえれている本を買って読むと、医者の判断に納得できるかもしれないし、医者に疑問点を聞くとっかかりができる。

 
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