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2017-10-05

お母さんが3度目の癌になった

離れた実家に暮らすお母さんが、癌になったらしい。3回目。

1度目は8年くらいまえに大腸がん。親が死ぬかもって初めて思ってすごく悲しかった。

手術が成功して、抗癌剤治療も終わって?また元気になった。

それ以降、親はい死ぬかわからないと思って、たくさん帰ったり、たくさん写真を撮ったり、喜ぶことを出来る限りしてみた。

2年前にまた肺がんになった。リンパにも転移していた。今度は場所的に手術ができないかもとか言っていた気がするけど、手術か抗癌剤治療かで、また完治した。

この時私は結婚したばかりで、やらないつもりだった結婚式を母の希望でこじんまりやることにした。

しかし結果、結婚式きっかけで離婚したのでやってないw)

自分離婚するときはすごくお母さんに心配もかけて、おとなになって初めて喧嘩もして、お母さんから「うまく言えなくてごめんね」ってメールが来たのを覚えてる。

それでもまた前向きに、元気になったと思っていて、通院もずっと定期的にしていたけどまた癌が見つかったらしい。

しか全然私知らなくて、地元にいる姉と何気なくLINEしていたら「そういえば聞いた?」という感じで聞かされた。

今回は、もう完全に手術できないくらい多数肺に転移していて、今日から抗癌剤治療が始まったらしい。

なんで私に言ってくれなかったんだろう、と言ったら、姉が「離れてるし、お母さんもまだ整理がついていないんだと思うよ」と言ってた。

自分もまだ頭の整理がついてない。ビールも飲んじゃってたし。整理もなにも無いんだけど。

泣けてきた。髪は抜けるって。

まじで自分死ぬかもっていう病気を3回やるって身体的な症状0でも精神的に相当つらいと思うんだけど、加えて手術とか、抗癌剤治療とか、いろいろあって、それでもなんか前向きらしいという情報を聞くと、自分ももっと頑張って、何かできることすべてやらないとなと思う。

2017-09-14

母が癌性リンパ管症だった

記録の為残しておく

主治医説明では母は癌性リンパ管症で先は長くないのこと

ステロイドで肺の炎症を抑えてるとのこと

悪化したらモルヒネを打つが

そうなると会話も出来なくなる

2017-09-06

質問、教えて増田!】亀頭の先っちょ

亀頭の先っちょ、すずぐちのすぐ横に、

直径1mmぐらいの穴があい

正確には風俗嬢と遊んでしばらくしてから

鈴口のすぐそばに1mmぐらい皮が剥けた

ぎゅうと亀頭をにぎるとリンパ液?透明の汁がでる

病院には行ったがクラミジア梅毒エイズのいずれでもないそうだ

痛みはないがここ三ヶ月ほどずっと皮が向けていてアナルとかNNが怖くて出来なくて辛い

2017-08-04

抗がん剤治療

やだなーって思ってた。

髪抜けるのが嫌だった。

髪質が、自分にとって希少な長所の一つなのよ。黒髪の中で浮かないほどの焦げ茶色で、巻かなくても毛先がエレガントにくるんってなるの。

でもまあ、命には代えれんよなあ。

って覚悟決めたら、案外そうでもないんだよね。注射もそうだし、手術もそうだった。事前の想像に比べて、現状はいっぱいいっぱいで、もっといろんな大変なことがあるもので、後から考えると、あんまり大したことじゃない。

 でも、もしも。たまに悪魔がささやく。でも、もしも、つらい思いしないで簡単に良くなる方法あるって言われたら…。

 正直言うと、噂の水素は何度も調べた。そして、わからなかった……。圧倒的に知識不足なんだよねー。どういう理屈で、何が効果的なのかわからなかった。

 親がハマっていて、すすめられては何度も断ってる。拒否していると言ってもいい。

 母の説明では、「水素細胞正常化させる。カプセルなので水素水と違って飛んでかない。副作用はない。ガンに効いたって話もきいた。厚生省お墨付きがー……などなど」

典型的っすね。でも、一つ一つ否定したんじゃだめだと思ったの。だから

心配さ、してぐれる気持ぢはわがっけども、おめえも、昔、じいちゃん(父の父)の健康食品愚痴ってたっぺよ。そん時なんつった? んだら、わかっぺな?」的なことを言ったわけよ。ほんだら、なっどぐさ、いがねでも、わがっだーってごどになっで、そんどぎは、おわっだんだげんども、私の誕生日ん時にな、水素の吸入器あげっからー♪って言われて、もうね…… 絶望したよね。説明途中で、察して、いらない!って言ってその場を去った。

 何でわかってもらえないんだろう。それは、きっとお互いに思ってるんだろうけどもな。

 まだいいのは、現状の私の選択に関しては母は意見してこないこと。

 彼女は、色んな手段しましょうという。でもね、それね、治ったら水素のお陰と吹聴しますよね? 私、色々頑張ったよ。まー、実際頑張ったのは医療関係者の皆様と体内の細胞とかだけども。

 あんまり、母に痛いとかつらいとか言えない関係から、言っても、なんか、わかってもらえない感じがする。痛いとか疲れやすいとか、見た目ではわかりにくくて、できるでしょ、なおったでしょって言われる。これは、結構つらい。さすがにまだだよーと笑って言いながらも、なんだか悪いことをしている気分になる。だって違和感はあるのだもの。それは、私のお腹の縦が赤道証明している。こんなに切ったんだなあと、手術跡を見て毎回思う。

 現状を見てもらえない、実状をわかってもらえない、っていうのがつらいよねー。でも、現状を知って悲しまれるのはもっとつらい。相手の悲しみに傷つくんだよなあ。それはしょうがないことだけどもね。

 脱毛に関しても、自分がなるのはまあ、覚悟つくけど、その姿を見せて、優しい母なり義母なり、悲しい思いさせるのは、本当に心苦しい。

 またこの状況をギャグにできるほどタフな性格でもないんだ。後日、「実はね、あの時ねー」って言うんで精一杯…。

 思いの外、ながくなってしまった……。

 でもね、ひとつわかる。

 絶対治るっていうどこで何をしてるかわかんない長い肩書の人と、現場で実際に病気と戦う医療関係者言葉、どっちを信じるか。

 ガン治る人は、ガンなら何でも効きますかいう。でも、このガンなら対処方法こういうのがありますって方が私は安心する。

 副作用はないって、ガン治る人は言うけど、副作用はありますが、症状によって、その都度対処しますって方が私は安心する。実際、吐き気もなかった。

 自分場合は、比較的早い段階なのも心理的に良かった。ステージ1Aなんだ。術後、リンパの腫れがあって、3を覚悟してくださいと言われたが、病理の結果、採取した全てのリンパ節に見つからなかったので、最終的に1Aとなった。

 なのに、抗がん剤なのは、まー、あれよ、ガンちゃんが部位の外に逃げ出したかも、チェックに一つだけひっかかったのだー。

 でも、それが終わればなんとかなるのだと、先が見えているのもちょっと治療に前向きになれている要因だと思う。

 注射も痛いし、治療もつらいけど、耐えられないほどじゃない。

 正直、心配してくれたり優しい親の気持ちはうれしいけど、ちょっと、困ってもいる。

 それよりも傷もみて、つらい説明一緒にきいてくれて、できることはやらせてくれて、できたら良かったねーっていってくれて、できないことはお任せできて、現状を受け入れて一緒に頑張ってくれる、旦那のような態度の方が、今は一番ありがたい。えへへー 前職が保育士で今が介護職の優しい旦那様なのよー。

 実家も、婚家も、家族に恵まれいるから、今は安心していられるのだろう。治るための努力も耐えられるのだろう。

 また、だからこそ、幻術のような幸せにはあまり興味がないのだろう。

 つくづく思うのは、人生経験だよなって。やなことも、経験することで、たくさん考えて、たくさん調べて、たくさん学んでいる。それを今後にどう活かせるかなんだろうねー。

 今は、一歩一歩進むしかないんよ。この世にルーラはないのだ。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20170529143305

痛みはないしここまで酷くはないが、

確かに今のままチンポが悪化した場合にはなりえるかも知れないと思った。

池袋新宿あたりで平日18時以降に入れる保険適用検査をしてくれるところでいいところないですかね。

未だに亀頭を絞ると透明なリンパ液ぽいのは溢れるから困る。

2017-05-28

亀頭の先に穴が開いてつぶすとリンパ液がでる

さすがに昨日の風俗でいきなり発症はありえないよね?

2017-05-19

性別適合手術(男→女)を日本で受けたのでその体験談を紹介する

少し前に国内で性転換手術(男→女)を受けたのでその体験談を紹介する

読み物として、もしくは誰か当事者の参考になれば嬉しい

★すぺっこ

30代MTF結婚歴なしでホルは20代から

パス度は「イケメン」と呼ばれたりするあたりで察して欲しい

まぁ、その筋の人には簡単に見抜かれるはず

30代まで時間がかかったのは、そもそもお金がたまらなかったのと、診断書の出てくるスピードが遅かったのが大きい

NHとして働いたことはないのだが、今思えばそっちの道で働くのも良かったかもとは思う

お仕事

男として正社員入社したが、在職トランスには向かない会社だったので退職した

今は自営業会社員時代以上に稼いでる。最初から自営してりゃ良かった

本業以外にブロガー的な収入(いわゆるアドセンスとか)があると、手術期間中収入減をカバーできる

実際、ベッドの上でもがんがんブログ書いてたし、おかげで収入心配はさほどなかった

ありがたい時代である

自営業なので、昔Lv3という匿名掲示板で繰り広げられた「埋没OL」にはなれない

自営業は楽なのだが、周囲と調和して女として生きる、というのには向いてないように感じる

会社員とどちらの生き方が良いかはわからない

★手術

性同一性障害診断書関東の某有名どころからもらった

今は言うか知らないが、いわゆる正規ルートと呼ばれるコース

手術したのは富士山が見えるところ

MTFタイでの手術が多いが、「海外心配だ」という周囲の意向が大きかった

穴あり。手法はち○こをひっくり返し作る反転法

作り物とはわかるが、某GID関連の先生にはきれいに作られていると言われた

手術時間は6時間ぐらい

手術した後はいろいろ辛かったが、4日目ぐらいからは普通に歩き始めた

体拭いたりも4日目ぐらいか

普段風呂好きなので、何よりお風呂に入れないのが辛かった

自分のあそこをみたのは手術から1週間後ぐらい

kabaちゃんみたいに泣いたりはしなかったな

入院期間は2週間

費用は200万未満

あそこが痛かったのと、おみやげをたくさん買いすぎて、帰りの電車はちょっち辛かった

さすがに「性転換手術のおみやげです」とは言ってない

なお、男性として最後に食べたごはんロッテリアである

思い出深い味になるはずだったが、もう忘れてしまった

★経過

1ヶ月ぐらいは患部の痛みがあったが、その後は消失した

ただ、作った穴から出血というか、リンパ液の漏れ?は半年ぐらい続いた

溶ける糸が全然溶けなくて、あとあとの術後検査で切ってもらった

戸籍変更

当然だが、申し立てから1週間ぐらいであっさり許可された

一度変えたら戻せないよ!とは脅された。

性転換したけど「やっぱり間違いでした」って揉めたおっさん(?)のニュースを思い出したが、ためらうことはなかった

新しい名前については、「なぜその名前なのか」と簡単に聞かれたが、説明したら納得してくれた

役所

保険証役所窓口で申請して新しく作ってもらった

年金役所側で勝手にやってもらったので、いつの間にか名前変わってた

年金手帳名前自分で線引いて直してねと言われた。そんなばなな

免許証は新しい名前が裏面に、というあんぽんたんぶり

次の免許証更新まで何年あると思ってるんだよ

仕方ないので、免許証身分証明としてできるだけ使わないことにしている

最近について

今のところ、手術してよかったと思っている

彼氏募集中だが、こんな田舎候補は見つかるだろうか

2017-04-17

突発性難聴を患ってから難病の予防には何がいいのか?

突発性難聴を患ってから2年近くになる。

慢性期だ。

ちょっとづつは改善してるようだがたぶん完治はしないだろう。

それにしてもだ!さらなる難病り患だけは回避したい。

安倍総理で有名になった膠原病の類とか。

目だと緑内障だか白内障だかなんか原因不明の目の病気

ってあるよね。

あとリウマチ( ^ω^)・・・

どうすれば予防できるのか?免疫力を高めておけば

いいのよね?

リンパ球数ってのは免疫力の目安になるよってことよね?

免疫力を高める方法って色々あるけど 安くて時間がかから

ある程度の確実性をもってできることどもを列挙したい。

笑う?爪もみ?お灸をすえる?R1ヨーグルト

レジスタントスターチ蜂の子プロポリス

ベータグルカン

2017-03-17

朝ベッドから出られなくなった元増田です

http://anond.hatelabo.jp/20170315234045

「朝、ベッドから出られなくなった」を書いた元増田です。

ものすごい数のブコメトラバをもらってびっくりしたけど、本当に有り難かった。

本当に本当にありがとう

回答がうつ病一色だったのはちょっと驚いたけど、やっぱりそうなんだなぁとハラ落ちした部分もある。

先日、非定型うつ典型症状について見ていて、ほぼ全て当てはまっていることは認識してたからね。

(ちなみに、涙が出たりはしていない)

でも、なんていうか、友達遊んだ趣味のことはできていたから、絶対違うだろうというか、信じたくない気持ちがあったんだと思う。情緒はかなり安定してるしね。

でもトラバで、

「「今日趣味コンサートに行けてストレス解消になった。明日仕事行きたくないなあ」→鬱かもしれないし、そうじゃないか

趣味コンサート行けばきっと楽しくて元気が出てくるに違いない。だからがんばって見に行かなきゃ」→典型的な鬱」

って書いてくれてたのを見て、本当にそうだなあと思ったよ。なんとか人生を楽しくすれば、生き続けられるんじゃないかとずっと思ってた。

友達と会えば、一時的にも気分が良くなるし、テンションも上がるしね。

同じような人はけっこういるんじゃないかと思う。

あと、そんなに精神状態が悪くないことにたいして、

情緒も安定しているのに起きられないって、心や気持ちをすっかりと無視する習慣ができあがったのかな。」

って書いてくれたブコメには、家庭環境とか他のことでも思い当たることが多すぎてハッとさせられた。

から、本当に辛そうな状況でも全然表情とかテンションが変わらないって言われてたんだ。

あと、年収とか勤務先について書いて、不愉快な思いをさせてしまった人、ごめんなさい。

自分がどんな人間か書こうと思った時に、書けることがそれしかなかったんだと思う。

指摘してくれた人もいたけど、私には他に誇れることも自分で成し遂げたと思うものが他に何もなくて、肩書きとか仕事が本当に心のよりどころになっていたんだと思う。

いろいろな事をやってきたつもりだったけど、結局それしかなかったんだって

あと、総合職と書いたのは私の性別が女だから。たしかに、男性ならあまり意識しない言葉だよね。

仕事といえば数年前に役付き(事業責任者)になってね。年の半分くらいが異常に忙しくなってしまって、次の繁忙期は乗り越えられないかもしれないとは思ってた。

それに、もうかなり長いこと私と同じ業務ができる人(同じ資格がある人)がセクション内にいない状態だった。そのことも地味に、ずっと負担だった。

また来月から私がしなければならない仕事があって、それだけはやりたいなと思ってるけど、どうなるのかな。

それから保険加入を勧めてくれた方、ありがとう医療保険しか加入してなかったから、初診の前に生命保険に入っておこうと思う。

あと、うつ以外の可能性も考えてくれた方もありがとう子供の頃に甲状腺の異常は指摘されていたことを思い出した。最近も頻繁にリンパを腫らしていたから、その線でも受診したいと思う。

嫌な思いをさせてしまった人もいたかもしれないけど、たくさんの人が親身になってくれて、心配してくれて本当に有り難かった。

ブログ記事まで書いてくれた人、ありがとう。連絡できるかは分からないけど心に沁みたよ。

似たような状況の人もいるみたいで、参考にしてもらえたらいいなと思う。

いろいろ書きたいことはあるし、いまもいろんな気持ちがあるんだけど、この辺にするね。御礼と返信のエントリでした。

2017-03-16

やっぱり「がん検診」を受けなくていい理由

http://bunshun.jp/articles/-/1712

何度読んでも納得がいかない。

がん治療には当たり前だけど放射線もあれば抗がん剤もある。乳がん切除のあとにリンパ浮腫になったりもする。リンパ浮腫に関しては早期発見だったら切らずに済んだ場所を遅れて発見たから切ることになり、それで併発する問題だ。当たり前だけど抗がん剤をやればハゲる。

社会全体でみたら死ぬ死なない、ほっといても死にはしない癌を切ってしまうという未発達の医療がもたらす過剰診断によりこの世からおっぱいが減ってしまうという弊害もあるかもしれないが、世の中には癌になる可能性が高い人は純然といるわけだ。両親、親戚を見れば、自分死ぬ癌にかかりやすいかどうかなんて誰だって分かる。そんな人も一緒くたに乳がん検診で救える命はないって言うのはいささか無理がないか

早期発見が出来れば半月入院で一ヶ月後には職場復帰できる乳がん切除だけど、ステージが上がれば治療半年一年かかる。身体的な負担はもちろん増える。しかし、件の主張では胸がない女には髪もなくなってもかまわないだろうとでも言ってるようなものだ。どうせ死なないとか言われても、治療の影響は小さいほうがいいに決まっている。それが本人や旦那気持ちだろう。

社会全体で見ての話と、各家庭で見た時に、検診を受けたほうがいいか否かはもちろん変わってくる。それは本文でも指摘はあったことだが、あまりにも主語を拡大しすぎている。

死なないからいいで判断してほしくない。俺は嫁が闘病するならできるだけ短い期間、美しい髪もそのまま残してほしい。抗がん剤を打ちすぎてボロボロになってる父をみると、嫁には一度でも抗がん剤を打って欲しくない。早期に発見し切れば完治する数少ない癌なんだから

2017-03-07

突発性難聴 メニエール

難聴やメニエールプラセンターが著効するって

本とうだろうか。

結構近くの隣県にそれをやってる

ところがあるってことなのでそこへ出向いてみようかな

そうしよう

原因不明難病にこれ以上り患しないように

免疫能(リンパ球など)やヘルペスウイルス抗体価を

正常値範囲内にキープするように生活しよう。

ファンビルだかバルトレックスも一日一錠くらい常用しよう。

しゃーない。本当なら針も1回/週くらい行けるくらい

経済的余裕があればいいが

2017-03-06

「わかさ」に掲載の腎さすりって難聴著効するのか

「わかさ」に掲載の腎さすりって難聴著効するのか?

難聴には腎臓肝臓あたりが原因っていうのはなんとなく

分かる気がする。

しかし腎さすりするだけで腎臓が治ったり難聴が治ったりするんか?

浮腫みってしかなんや

体内の水流が悪くなっているから内リンパ水腫ができるわけじゃなかろう。

ヘルペスウイルス起因だらう?

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170215145614

全く感じないので人それぞれじゃないだろうか。基本、亀頭と周辺リンパがうっすら感じるぐらい。それよりも周縁情報の方が遥かに興奮を煽る。

2017-02-10

おっぱいが張るよー辛いよー生理前だよー

くそ生理前なせいでおっぱい張って痛いし

リンパも腫れてパンパン

2016-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20160827095005

血液以外にも、リンパとか脳脊髄液とか色んな体液が背骨や首筋を通っていることは、事実としてはあるだろうけど。

東洋医学で言うところの水)

運動以外にも血行を良くする方法はあるはずなので、

カイロプラクティック鍼灸やら接骨院柔道整復師)、ストレッチとか色々と実地に試した上で、また、教えて欲しい。

2016-08-20

パチュリーめも

東南アジアに自生しているハーブで、防虫剤代わりに使われていた時代もあります

気の流れをよくする、という作用があるのも嬉しい特徴です。

考えすぎ・気の使いすぎの人の気持ちを安定させる作用があります

塗布した時の効能の種類はたくさんあり、中でも

「鬱滞除去作用」「リンパ強壮作用」が強く注目されます

そのため、足のむくみ対策としてパチュリーを少し希釈してオイルマッサージすると

すっきりするという効果が得られる可能性があります

2016-06-23

health

月桃はしょせんサプリ 効果が出るまで3か月はかかる

サプリ原則3か月は服用し続けないと、著効しているかどうか、判断できない。

5月に始めたばっかり。

まだまだ分からん8月下旬にならないとわからない。

3か月だ。3か月。

それまではリンパ球数の測定にお医者さんに出向こう結果を見れば、もし、改善傾向が読み取れれば、満足できる。

改善傾向がなくてもまあ、これから・・・・・っておもいをつなげられるし・・・・・

2016-06-20

immune

リンパ

リンパ球の数が大事なのか?

割合大事なのか?

免疫どうのこうのいう人は、パーセンテージを重んじるけど、

別にリンパ球の数が大事なのでは?

体の中にどれくらい異物やウイルスやがん細胞

分布してそれに対してリンパ球がいくつありますよぉ

ってことだからリンパ球の数が大事なような気がするけど。

白血球の数(/μL)っていうのは血液μLあたりの数っていう意味

ですよね?

2016-06-16

ヘルペスウイルス代用サプリ月桃粉末)中途報告

月桃粉末はカプセルフィリングするにしても至難

月桃粉末を合理的価格販売してくれるのはありがたき幸せだ。

しか粒度・・・問題あり。細かすぎる。

パンとか饅頭に練りこむことが想定されているからかな?

静電気のためかほとんどカプセルに入らない。

月桃粉末をオリーブ油で練りこんだ。錠剤ぽくなった。

これならカプセルに充填するにもやりやす

月桃粉末やってから約一か月が経過

急性感音性低温難聴患者なのですが、ヘルペスウイルス性だと信じています

帯状疱疹などの既往があることからそう信じています

かれこれり患してから一年が経過しようとしてますが、

ウイルス薬を服用し続けるのも気持ちが悪いので

代用となるものを探してました。

1か月ほど前に見つけたのが月桃粉末です。Lリジンも常時服用継続中。

晩は月桃酒、それ以外は粉末を服用してます。5グラムないし10グラム/日だと思います

リバウンドなのか知らないが最近聴力が劣化したと感じます

内耳神経付近ヘルペス数が減ったため免疫細胞が戦う気力を

盛り返したのかもしれません。

免疫ヘルペス攻撃すると炎症が出るのでリンパ管が浮腫む結果としての

難聴という流れですよね。

ビタミンオメガ3脂質とかを同時に十分摂取してアルト抗炎症作用のため

聴力悪化回避しながらヘルペスだけ減らすっていうか神経節の奥に追いやれる

ということでしょうけど。

今朝は全身にかゆみを感じた。昔は寒いところから暖かい部屋に入ると

必ず全身かゆみが発生していかんともしがたいほどだったが、

それに近い感覚がよみがえった。免疫が戦っているのかな?

追記(06/19)

起床したら悪い方の耳に痛みを感じる。起床直後に月桃粉末とリジンを服用。

免疫が戦っているのか。

発熱して体温が40度近くまでなると、ウイルスがかなり減るという記述

みた。自分意図的に体温をそのくらいまで上げる方法ってないのかな?

お灸か?

ゴボウ茶飲んだら酷い副作用が出たよ

健康に良いとか聞いたんで、無農薬ゴボウ茶を取り寄せて飲んでみた。

飲み過ぎはまずいだろうと、一日につき湯飲み一杯だけ。

 

なぜか飲んだ翌日から体調が思わしくない。

妙に右肩が張る。

だんだん、右肩周りが異様に凝る感じがする。

 

さらに翌日。

左の奥歯に歯肉炎が出来た。

舌先には舌炎が出来た。

右肩周りの痛みはどんどん酷くなって、

脇の下が腫れているみたいだ。

 

そして、今日

口の中は大変なことになっている。

舌全体が舌炎になり、左の奥歯の歯肉炎が拡大した。

何を食べてもしみて痛い。

右脇と左脇のリンパが腫れて痛い。

肩こりだと思っていたのは、リンパの腫れから来ていた違和感らしい。

 

最初は疲れから来ているのかと思っていたが、

そんなに疲れるようなことをした覚えもなく、

日々、体が壊れていくような危機を感じて調べてみると、

どうやらゴボウ茶が原因だったようだ。

ゴボウ茶で口内炎が出来たという報告がいくつかあった。

 

健康になるどころか、ひどく不健康になってしまった。

幸いなことに、原因に早く気づけて良かったと思う。

 

どの人にも副作用が起きるとは思わないけれど、

これから試す人はこういうこともあると覚えておくと、

酷いことにならないかも知れない。

 

うそう、よく「好転反応」という言葉を使う人がいるけれど、

そういうのはないから。

下手すると命に関わりかねないので、「好転反応」なんて言葉

安易に言わない方がいいし、そういう言葉を使う人には

気をつけた方がいいと思う。

何かあっても責任取ってくれないんだから

2016-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20160602164414

リンパの流れが阻害されることはままある。血栓症リンパ版みたいな感じで、リンパ浮腫とかそんな病気だった気がする。

リンパ浮腫は主に完全にリンパの流れが止まった状態だと思うが、その中間の人だっていくらでもいるんだろう。

というか雑菌が死んだまま体内にいるより、早く体の外に排出させることにはそれなりに意味はあると思うが。

2016-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20160602163933

ちょっとリンパ機能調べたら12時間かけて老廃物を代謝させるって書いてあるんだけど

無理やり1時間かけてマッサージして流しても意味あんの?

マッサージしてるときは流れが早くなるだろうけどやめたら通常に戻るだろ?

滞ってるって何?リンパって血管みたいに体中にあるんだろ?

コリなら内容は普通マッサージと変わらんだろ?

というか血管と違ってやっぱり処理場だから揉んでも意味ないと思うんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20160602162933

リンパ系は管になって全身に張りめぐらされてるんだよ。

もっぱら筋肉の収縮によってリンパ液がその管の中を流れてゆく仕組みなので、

そりゃ流れが滞っていたら、外部からマッサージで流れが良くなることもあり得るだよ。

リンパマッサージって効果あんの?

普通マッサージが血行よくするために揉んだり圧迫させて血流送るのはわかるよ。

物理的に血を送りだしてるからね。

でもリンパマッサージして何すんの?リンパってばい菌が体内に入ったときにぶっ殺すための処刑場でしょ?

そんなとこマッサージたからって何か意味あんの?

しろそんなところを変に物理的な刺激を加えたら良くないんじゃないの?

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