はてなキーワード: 寮生活とは
土建屋稼業だけど、縁あって一か月くらい乗船・洋上勤務したことがある。
そん時も思ったことで、今回のこの増田を読んで改めて、いわゆる3K業界同士だけど商船界隈のほうがウェルフェアいいよなぁ、と思った。
最近は土建業界は拘束時間を減らす方向で動いているけど、当時はまぁ、どちらかというと休めるほうがラッキー、って感じだったし。プロジェクトの切れ目切れ目で長期の休みをとってリフレッシュしたいところだったけど、それはなかなかできなかった...。
海外プロジェクトに行ったこともあるけど、半場にカンヅメ・工事はノンストップ・テロに合うリスク(というか標的)あり、だけど、月単位での休暇っていうのはなかったなあ。その点、船員さんのウェルフェアをうらやましく思ったことあり。その分土建業の給与待遇がいいか、というとたぶんそんなに変わらないでは。
ただ、人間関係は(両方ともめんどいけど)海の上の仕事のほうが、よりマッチョな感じがした。オフっぽい時間帯では超能力が必要なくらい空気読める能力必要だと思ったし、その辺はきついよね。
男
28歳
年収300万円後半
家賃がほぼかからない社員寮の恩恵もあり、少ない年収ながらも1000万円貯めることができました。
自分はたいしたスキルもない人間なので、クビになったり会社が倒産したら露頭に迷うこと確実です。
積立NISAは満額やりつつ、投資の勉強をしていますが個別株トレードは全く上手くいっていません。
本当は20代で2000万円ほどを目指していたのですが、実現は無理そうです。2000万円あれば積立投資でもある程度の利回りが期待できるので、多少は安心感上がりそうなんですが…。
ローンで家を買うなんて自分は卒倒しそうなほど怖いですし、結婚式の費用で何百万円と掛かったらガチギレして恋人と別れるような気がします(恋人いませんけど)
とにかくお金を使うことが怖いです。
自分がどうしても必要なモノや勉強の本、投資商品などには躊躇なく使えるのですが、それ以外には尻込みしてしまいます。
この考え方は不幸になりそうな考え方の気がするので、やめようと思うのですがなかなかやめられません。
「お母さんも忙しいだろうし自分も帰る時間まちまちだから作らなくていいよ」みたいな言い訳をかまし続けてはいるものの、その実母親の作るメシが不味いので全く食べる気がしないだけである。仕事終わって疲れ切った身体にはあまりにも厳しいデバフ。
のだけど、これを俺の遠慮だと思っているのか毎回律義に夕飯をつくる母。勘弁してくれ。
一度「会社の生協で残りものの弁当が安く買えるから(嘘)夕飯はいらないよ」と完璧な断り文句を言ったことがある。結果が「私の作るごはんが食べられないってこと?!(以下ヒステリー構文)」。うんそうだよって言えるだけの胆力が俺にはなかった。敗北。
そして母は年齢的な問題とは別にものごとをすぐに忘れる(というか人の話を聞いていない)傾向があり、「夕飯いらない」「なんで?!私のごはんがry」というやりとりを高頻度で繰り返すので俺ばかりが辟易するのに毎回新鮮なヒステリーを見せてくれる。ありがたくねえ。
「自分で夕飯作るからオカンは作らなくていいよ!」作戦も、「男が台所に入るな」とかいう今どき朝ドラでも見ないような昭和男女観で無下にされました。まあ所詮この母親の息子だから同じレベルの料理しかできませんしね…
早く実家出て一人立ちしろ、分かる、分かります。できれば俺もそうしたい。でも職場が実家から徒歩10分圏内なんだよ!これじゃあ仕事終わりに夕飯食べてかえりまーす!もできないし家を出る理由がメシマズ料理を食わないようにするためくらいしか言えないワケ!言えたらいいよな。言えろよ俺。
姉(遠方在住)には「だから就職は地元でするなって言ったのに…」と呆れられています。そんなんメシマズから逃げるためとかきいてませんが?!(中ー高と寮生活、大学も遠方で一人暮らしをしていたためメシマズを知ったのが実家に帰省して就職してからだった。小学生の時は母が忙しくしていてほぼ祖母が作ってくれていた)
そんな俺、さっきも「なんで同じ家に住んでるのに夕飯食べないの?それでいいと思ってるの?!」とキレられたので「俺、夜はお腹すかないから…」と意味不明な言い訳で逃げようとするも「いつまでわがままいってるの!食べなさい!」と強制終了。成長期のこどもとかならわかるけどさ、俺もう成長期とか終わった20代男だよ。夕飯くらい好きに食べさせてくれよ…(ちなみに家に生活費は入れています)
敬礼(`・ω・´)ゞ
上記増田への回答のため、社員寮もしくは兵舎にて居住するものを派遣せよとの命を受け、召喚されたものであります!
ただいまより兵舎居住者と個室ビデオ店の関係について解説するであります!
敬礼(`・ω・´)ゞ
現在でも官公庁及び各種民間企業に置いては若年構成員、独身者及び単身赴任のために寮生活を行っている組織が多くあるであります。
中でも自衛隊や自動車工場などの組織では新規採用者はほぼ強制的に寮生活をすることになるであります。
また寮生活でなくともシェアハウスなどで一部屋複数人で生活しているものもいるであります。
そもそも家庭を持たずにネカフェを渡り歩いている日本国民や外国人等も多くいるのが我が国の現状であります。
かような状況下に置かれている者たちは「誰にも邪魔されず安心して事故の性的欲求を発散させるための自慰行為(以下オナニーと呼称)が出来る環境に置かれていない」(以下オナニー弱者と呼称)と言えるのであります。
個室ビデオ店、ビデオ試写室などの呼称をされるテンポ(以下個室ビデオ店と総称)はそういった「オナニー弱者」の駆け込み寺として非常に強いニーズがあるのであります。
ネットカフェでシコシコすればよいという意見は半分正解なのでありますが、やはり本来オナニーのために用意されていない店舗においてオナニーをするのは勇気がいるであります。
また、ネットカフェでオナニーをする際にはオカズの調達に別途料金をかけるか、無料で提供されているオカズで妥協、もしくは監視カメラで見られている状況でXVIDEOSなどの無法地帯に堂々とアクセスなどのハードルが待ち受けているであります。
個室ビデオ点であれば、料金の中にオナニー部屋として使用することやオカズを借りるための代金も含まれているので伸び伸びとオナニーが出来るのであります。
個室ビデオ店最大のメリットは、個室ビデオ店はオナニーをするための場所であるという概念が共有されていることなのであります。
なぜ個室ビデオ店に通うオナニー弱者は、個室ビデオ店の代わりに風俗店を利用しないのかについて解説するであります。
そもそもスケベDVDを見てAV女優で見抜きするのは風俗で見抜きするのとはまた別の行為であります。
どうせ金を払うなら風俗にいけと思うかもしれませんが、それは同時にどうせ金を払うならAV女優で見抜きしたいという回答も想定すべきということであります。
また、現在のようなコロナ禍のみならず風俗店には不潔なイメージがあり敬遠する人も多いのが実情であります。
たとえ個室ビデオ店においても直前にオッサンがシコシコするのに使った部屋であり、エアロゾルの中にオナニー中のオッサンが出したすっぱい汗の成分や空気中に散布された精液のカスが残っているというリスクがあるとしても、直接生身の人間と触れ合うよりかはよっぽどマシと考える人も多いということであります。
人間と触れ合うことにストレスを抱えがちな人にとっては、職場や寮で人間を相手にして疲れているのに風俗でまた人間を相手にしていられないといった考えも広がってきているであります。
結論から言えば、結局金がかかるなら風俗に行けばいいという反論は個室ビデオ店の存在意義に対して投げかける疑問としては穴だらけということであります。
以上で個室ビデオ店がなぜ日本中に存在し、そんな店の経営が成り立っているのかの解説を終了するであります。
小官、これより個室ビデオ店でシコシコしたのち寮に直帰でありますゆえ質問に答える時間はないであります。
あとは他の隊員に任せるであります。
敬礼(`・ω・´)ゞ
5 寮生活で寮母に丸投げ
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
すごくない?助けてくれ。
その内20人弱が陽性。
ほんの数日前は3〜5人だったのに、すっげえ増えた。
ただ、現時点で濃厚接触者は居ない(ことになっている)
『全員マスクと消毒徹底してるから濃厚接触者は居ない。自宅待機の必要がある従業員は陽性者以外居ない。これまで通り出勤しろ』
食事休憩や喫煙所、食後に歯磨きやうがいしてる人とか居るじゃん!感染リスクそこら中にあるじゃん!
外国人労働者達は寮生活だし絶対マスク無しで談笑しちゃうじゃん!!
それに従うしかないのが現状で、誰が濃厚接触者なのか分かっているのに出勤させている。
「あの人、陽性になっちゃった人とよく昼休憩で一緒に飯食ってたよな〜」と思いながら仕事をする。
もうめちゃくちゃ怖い。
会話は最低限、食品工場で元から消毒は徹底してたけど更に念入りにする。それ位しか出来ない。
食品加工なんて現場でしか出来ないからリモートは無理、上から放置された上に皆感染してないと思って普通に出勤するわでカオス。
せめて濃厚接触者を「休憩中や喫煙所でマスク無しで会話した人」として待機して貰わないと本当にまずい。まだまだ増えると思う。
上に進言したところで「自宅待機させても欠員補充しない」とか「濃厚接触者の基準はお前が責任を持って決めろ」とか言われるから何も出来ない。
上が背負うべき責任をヒラに負わせられるとかご免だよ。現場回すので手一杯だ。
以前、何店舗かでクラスターが出たがその時は別店舗から人をかき集めて稼働させてたみたいだし。
増田に書いてる時点でお偉いさんは怒られてくれって気持ちはあるからね。
上層部、人事部、総務部はこれまで沢山のパワハラや現場の問題を無視して来たので信用できない。
一応消毒はちゃんとしてるし、労基に相談して動いてくれるか確証もない。
こうなると、お手上げでどこに助けを求めて良いのか分からない。
こういう企業もあるんだと。
工場の稼働を止めた場合のフードロスとか、会社全体の利益の損失が莫大なのは分かってる。給与にも影響すると思う。
でも未知のウイルスとかどうしようもないじゃん。
損失出てもしょうがないじゃん。こればかりは。
せめて濃厚接触者は待機とか何かしらの対策を打て。毎日従業員が机やらを必死に消毒するだけじゃ間に合ってないんだよ。
助けてくれ。
ちなみに、サー残毎日4時間超、休日出勤有り(無給)パワハラの温床、転職考えてたらコロナ禍突入、タイミングを逃して現在に至ったので泣いてる。
昔のお話、ブスですまんかったな……
一部屋3人住まい、別学年1人ずつの振り分けで、自分の代は4人が入寮
入寮日当日、説明会が終わり移動する4人
そこでたまたま先輩2人組と遭遇
片方の、めちゃくちゃ陽キャのオタク毛嫌いしてそうだしなんなら過去いじめしてそう(※ものすごい偏見申し訳ありません ブス増田は綺麗・かわいい顔立ちの気が強そうな人を見ると攻撃されそうで恐怖を覚える)な先輩が、いちばんかわいい子に「あなたが増田ちゃん?」と声をかけた!
かわいい子、否定。次、これまたかわいい子に同じように声をかける先輩。その子も否定して、私を指す。
それまでにこにこだった先輩の表情が、苦笑いとか、愛想笑いとか、そういう分類のものに変わった瞬間のつらさといったら!
よろしくね、と言われたかもしれないけど覚えてないし多分言われてない。一緒にいた先輩とコソコソ話しながら去っていった先輩を見ながら思った、「あっ私のこと言ってんなこれ『最悪〜〜wwデブスww』みたいな、うわ〜〜消えたい死にたい」っていう感情だけ強烈に記憶に残ってる。
ちなみにこの先輩は同室の先輩だった。たしか1年間同室だったけどほとんど口を聞いた記憶が無い。その先輩が私の代のかわいい子たちと仲良くしてる姿はたくさん見た。消えてえ〜〜〜〜!!!!!根暗デブス1ミリも人間として面白みなくてすまねえ〜〜〜〜〜〜!!!!!
②先輩卒寮式の置き土産
最終日に卒寮生がひとりひとりコメントする時間があったんだけど、1人の先輩が「在寮生に一人一つずつコメントします」ってコメントをはじめた。
「〇〇とはよく菓子パしたねありがとう」とか「〇〇寝坊しなくなったねえらい」とか、そういう何気無いポジティブメッセージが送られてて、何言われるかな〜って呑気に楽しみにしてた。
その時の私、まじでボサボサ。どっからどうみても綺麗ではないし、美容院とかも全然行ってないし手入れもしてないからお世辞にも綺麗とは言えない。
そりゃそうだ特別接点があった先輩じゃないし、特別いいとこなんて持ってないデブスだもの先輩も困るわな!!!!!
いたたまれなさと、恥ずかしさと、消えたさと、いい言葉を貰えるんじゃないかと期待してた自分殺したさと、そんな感じの気持ち以外覚えてない。
なにがつらいって、上記エピソードにおいて先輩たちは私を明確に傷つけようとしたわけじゃなくて、そんなつもりは無かったのに、ブスは勝手に傷つくし先輩も不快(まではいかなくとも少なくとも愉快にはならない)になってしまう点だ。
かわいい人、きれいな人は存在するだけで人を幸せにできる力がある。
一方で、ブスは存在するだけで他人に迷惑なり不快感なりを与えることができてしまうし、いらない配慮をさせてしまったりする。
申し訳ねえ……生まれてきてしまって本当にすまんな……せめてこの遺伝子はここで途絶えさせるから、どうか攻撃されない穏やかな人生を送らせて欲しい……。
無名とまではいかないが知ってる人は知ってる地方国立大卒の男性ですけど、
家事は自分の部屋が散らかるのだけ許してもらえるなら、共有スペースでの家事はお任せください
自分の部屋は主に本と機材で散らかってるぐらいの方が落ち着くのでお許しください
生ゴミのような不衛生さはありませんが、本が多いのでホコリ等は善処します
YouTubeの動画で、庵野さんがデリヘルでの会話で自宅を万年床と布団の上にも大量の本と仰ってますが、
料理は自分一人で食べてく分には不健康な料理でも自分が死ぬだけなので問題ないのですが、
味付けが濃い、(辛いものが好きなので)辛すぎる、(砂糖は極力避けているので)甘くない、量が多い/少ない、等々は善処します
好き嫌いはなく何でも食べるので、庵野さんみたいにズッキーニが食べられないとかはないです
基本的にはズッキーニを買うより代わりにキュウリを炒め物とかに使います
基本的に家事はできないことがあっても現代社会はネットという文明の利器もあるので対応できる範囲は広いと思います
楽器がちょっと弾けて、音楽理論がちょっと分かるので、まったく音楽や作曲を知らない人には教えられます
電子、物性やバイオは知識がまったくないわけではないですが、専門性はゼロです
先週、高校の情報1、情報2の教育課程や教材を眺めましたが、基本的にはすべて理解できてます
もちろん、深く知っている領域から広く浅い領域もあり、総じて広く浅くは網羅していることを自分で確認できた感じです
壊れたFAXを直してくださいみたいなご相談には応じられませんが、洗濯機やトイレを3Dプリンターで修理できるときはできます
絵心はある方だと自分でも自負していますが、ちゃんとした漫画はまだまだのように思います
いらすとやのようなカット絵は問題ないですが、絵の仕事は単価が安すぎるので基本的にはあまりやりたくありません
WebやIllustratorを使うようなデザイン案件も同様です
やらないだけで基本的な知識はあるので、ご相談に応じることはできると思われます
やおいやBLに理解はある方だと思いますが、腐女子的な意味で性的に濃すぎる会話には対応できません
共有スペースにての腐女子寄りのコンテンツの視聴、消費も基本的には構いませんが、
上記のように性的に濃すぎるコンテンツは周囲にとってはセクハラにもなるため、自室でのオタ活をお願いいたします
自転車はちょっとだけハマってましたが、今は諸事情あって中断しています
運動も市民のための公共施設を活用していましたが、持病やコロナもあって中断しています
万が一自分が結婚することがあったとしても、基本的に子供を他人に産ませたくないのですが、
どうしても産みたい場合は、私が早死にしてもシンママで育てる覚悟でいてください
基本的には育児や出産を希望されない方を望みますが、そうでない方もご相談していただければ善処いたします
寮生活のような経験は何度かありますが、基本的にはあまり上手くやれた感じがないので、
場合によっては別居する、仕事場を自宅以外に設けるなどで対処できると思われます
というか、あったとしてもここに詳細は書けないので、ご相談ください
先日の三連休の日曜日、AirPodsが無くなった。とは言ってもケースだけが無くなった。移動したところといえば、ベッドとトイレと食事ぐらいだったのに、無くなった。ベッドをひっくり返しても、ゴミ箱を探しても、移動した部屋、廊下をくまなく探してもどこにも見つからない。無くした心当たりは全くなく、記憶を辿ってみても、やはりポケットの中か、ベットの上にあるはずなのだ。
たしかにモノを無くすことはあるが、こう、不自然なほど突然、神隠しに遭ったかのように消えてしまうのは初めてで、不思議で仕方ない。ちなみに寮生活で、周囲の人に聞いて周り、探すのも手伝ってもらったが、見つからない。次第に、自分の中で誰かが盗ったんじゃないかという疑念が湧き、疑心暗鬼になったが、どうやら周りに不自然なそぶりを見せる人間はいないし、そもそもイヤホンケースだけを盗むことは考えにくい。だとしたら、どこに消えていってしまったのだろう。
無くなったショックが大きく、なによりも堪らなく不思議で、今週は気が気でなく、生きた心地がしなかった。飯の味がしない。消えたアイツはいま、どこにいるのだろうか。誤ってゴミ箱に捨ててしまったのか、トイレに流してしまったのか。どこか寒いところで雨に怯えてはいないだろうか。あるいは平行世界の自分が、身に覚えのないイヤホンケースを手にして驚いてはいないだろうか。あらゆる可能性を考えてみるが、一向にケースは出てこない。探すのをやめたとき、ふと見つかるというが、そんなこと言ってみても見つからないものは見つからないのである。
幸いなことに無くなったのはケースだったから、新しいものを買うことにし、ひとまず探すのを諦めたが、不思議なものは不思議で仕方がない。それにアイツ(イヤホンケース)はもう、その生まれ定めし役目を果たすことはないだろう。やるせない、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。ひどく、つらい。きっとアイツはどこかで、ひとりぼっちで彷徨っていることだろう。ここに彼の冥福を祈りたい。
19歳で大学進学のために京都に来てから、早くも二十年近くが過ぎようとしている。もともとのきっかけは本当に些細なことで、高校二年生のころ当時のクラスメイトに「京大受けてみようかな」と言ったところ「絶対に無理」と言われて、天邪鬼だった(いや、今もだけど)私は「それなら受かってやるよ!!」と心に何故か硬く決意したのでありまして。でも客観的にみればその友人の言ったことは甚だ正しく、なんとなれば当時の私の学力と言うと惨憺たるもので、高校の学年内順位なども辛うじて下から四分の一にいるかどうか。通っていた高校も曲がりなりにも「進学校」の枠に入ってはいたものの、当時(おそらく今もだと思うけど)札幌に四つあった東南西北(麻雀かよ、と思うけど本当にその四つがあった)の進学校のうちではドベで、北大への進学者数こそ多い(それだって今振り返って考えるにつけ、すごいことだと思うけど)ものの、東大、京大といった「いわゆる」難関大学への進学者は数年に一人くらい。まあそりゃ「無理」と言われるわという状況であったのね。ここまでの流れ、「それでもなんとか受かった俺すげー」みたいないけすかない感じにしか読めないな。すまん。違うんだ。そこは本題じゃない。なのでここを省略すると、現役のときは華麗に落ち、かつ後期受験の申し込みを前期受験前にしておかなくてはいけないことをしらず、後期受けようと思っていた、北大は受験すら出来ず(自業自得という言葉がこんなにも当てはまる状況他にある?って思った)、一浪確定。親に泣きついて予備校に行かせてもらい、ファンキーな講師陣に必死でついていくこと一年(代ゼミの英語講師(だけじゃないけど)は本当にファンキーで、セックスピストルズでかっこ良かったのはシドじゃなくてジョニロットンだったということを繰り返し述べていた)。そのおかげで本当にギリギリで合格したと言った塩梅。センターの自己採点やってたとき(何故か妹と妹の彼氏(これも未だに何故かよくわかってないが俺の高校の同級生)がいた)どんどんバツがついていくものだから、私も周りも顔が青ざめていくのは正味の話悪夢でしかないのではないか。二度と経験したくないし、この世から大学受験というシステムは無くした方が良いのではなかろうかと思ってますけれども閑話休題。
んで、京都に来てから。もちろんこれまで本当に過保護に育った人間には寮生活ってのはペットだった猫がいきなり野良に放り出されたくらいな無謀な状況ではあったのだが、やることなすことにだれか、というか親の監視が無いことに異様な解放感を感じた。
自堕落ではあるものの楽しい日々がきちんとそこにあり、毎日誰かとたくさん話をし、価値観が変わっていきながら、でもそれをちゃんと嬉しいこととして捉えられていた。人生で一番泣くことが多かったのもこの時期だし、まあなにかと閉じ込めていた感情が多かったんだなと改めて。周りにいた人たちがめちゃくちゃエモーショナルであった影響も、もちろん有ると思うけれども。
長々と前段が続いたが。
最初、私が京都に来たかった、と言うよりも「地元を離れたかった」のは、友だちもいねえし、黒歴史残ってるしで、そんなところから離れたいということかと思っていたんだが。今振り返ってみるとおそらくそこは理由の一個ではあるけれど、大きな要因ではなかったなあ、と思っている。
ここで、また冒頭のことに戻るのだが、何故京大でなくてはいけなかったか、と言うことが、わりとこの話の主題にもかかってる。
俺の母親は死ぬほど世間体を気にする人で、ひと昔前の言葉を使うなら、いわゆる「教育ママ」みたいな人やった。
今になれば、彼女がそう考えるに至った経緯もわからんくもないのだが、当時はよくわかってなかったし、母親の元から離れてようやく「監視、管理」をされていたのだと気づき、それがどんだけ嫌かもわかった。
うちの母ちゃんは母子家庭で、母方の祖父はもともと病弱ではあったらしいが戦争行って帰って来て母親が子供の時になくなったらしい。
それからは生活保護を受けたりして、まあいわゆる「普通ではない」生活をして来たのが、俺に対する教育だったりに現れてんやろな、と後に振り返って思うし、そこは「子どもに自分のような「「惨めな」」生活を送らせたくない」という気持ちがあったのもめちゃくちゃわかる。もちろんあとになって少しずつ理解できた話に過ぎないけれども。
ただ、それと関連するのかそうでないのかはわからないが、俺の母親は「通常そうなることが望まれてる」ルート以外の道を俺が辿ることに、異常な嫌悪感を持つ人であった。
極端な例えだが、俺がヘテロでなければ、あの人は納得しなかったと思う。タトゥーを入れたら、俺のことを拒否したと思う。法律婚をしないことにも違和感を感じたと思う。
なんとかわかってもらいたくて(甘かった)、きちんと真摯に向き合って話をしたこともあったけれども、最終的に彼女から返って来る言葉は「私はあなたの親なのだから」という、一つも意味を持たないものでしかなかった。
うちの母ちゃんは「性別に関わらず家事はしなさい」と言って、洗濯、料理、掃除、全部教えてくれた。今も改めて思うけども、その価値観はとても正しいと思う。大人になってから話した時に「結婚前に男性から良いように扱われて本当に辛かった」と話してくれた。聞いた時は俺も辛かったし、許せねえと思ったんだ。311以降に「初めてデモに行ったよ」と話してくれたことも嬉しかった。「もしかしたらようやくお母さんと和解できるかも」と思ったから。
でも、それはすべて「対他人に関して」のことで、彼女にとってはいつまでも俺は「かわいいゆうちゃん」でしかなかったとわかって「理解し合える」「親とはいえそれぞれ別の人間として付き合える」という望みを捨てた。
一個言いたいこととしては、「俺はあなたの感情ホストクラブではない」と言うこと。
あなたの期待通りに動かないといけないなら、そんなことはできないよ、と強く思った。
お互いに理解して、別々の人間として尊重しあいたいな、と思っていたけれど、少なくとも俺の親子関係のケースでは無理だった。
悲しいけれど、もう放って置くのが精神衛生上良いのだろうと思っている。
しんどい経験を経て来てたのは知っているからあまり強く言いたくはないけど、彼女は子どもを支配下に置きたかったんだなあと改めて思う。