はてなキーワード: 商人とは
00年代・10年代のMMORPGなら、NPC商店のラインナップが日によって価格変動・在庫変動する作品はかなり多く見られた。
ポイント付与のような制度があるものは思い出せないが、無駄に複雑にするだけなので有意義ではないだろう。
またNPCやその属する陣営への好感度などによって、変動とは別に割引(セール)状態になる仕組みも広く見られた。
もちろんプレイヤーキャラの商人系スキルによる割引などもあったが。
そうしたNPC商店から安く仕入れるノウハウを駆使して入荷し、それを露店やオークションシステムへ流して店売りアイテムの転売で稼ぐ、あるいは店売り品を別の地域で店売りして稼ぐというプレイスタイルが可能だったMMORPGもかなりあった。
ただ……MMORPGが廃れた今でも、その3条件を満たすゲームは巷に溢れている。
気づかないだろうか?
モバイルやブラウザゲームの大半に採用されている、ガチャシステムがそれに該当する。
この手のゲームでは、オフラインゲーム同様ゲーム内貨幣とそれを使うNPC商店が存在する。
その一方で、石を使うアイテム商店ないしガチャシステム自体も、本質的にNPC商店と大差ない形で共存している。
石の入手手段が課金のみというゲームは減っており、ゲーム内で攻略を進めることでいわゆる無償石を入手可能だ。
入手手段が有償(課金)と無償(ゲーム攻略の対価)に分かれているだけで、ゲーム内通貨を拡張したものだということが分かるはずだ。
NPC商店がゲーム内のマップ特定地点にあるのに対し、石を使う商店とガチャはUI上からユビキタスにアクセス可能という違いはありがちだが、その程度の差だ。
石商店では日替わりのもの、月替りのものがあるのが一般的だ。ガチャという名の商店ラインナップは2週間前後で入れ替わる。
同一商品について日次の価格変動があるのは比較的マイナーだが、ガチャの場合、商品であるキャラや装備の実用上の「価値」はその時々のゲーム内環境によって変動する。
また、キャンペーンによって割引されたパックアイテムや、ガチャコストの減額あるいは確率上昇というのも、セールの範疇に入るだろう。
石の入手先に関しても、初回購入で増量される権利が年1くらいで再付与されたり、現実社会の決済サービス側のキャンペーンによるセールもある。
ガチャシステムには、引く度にポイントが溜まってアイテムやキャラと引き換えできる制度が組み込まれていることも珍しくない。
ゲームの経済的リアリティを追求する諸システムは、最終的にゲーム内という枠を越えて、境界を曖昧にしていき、現実と結合して、ビジネスモデルも変化させているのだ。
嘘をつくんじゃねぇよ。盗品の所有権と即時取得なんて学部の1年生で習う話だろうがよ。
(即時取得)
第百九十二条 取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する。
(盗品又は遺失物の回復)
第百九十三条 前条の場合において、占有物が盗品又は遺失物であるときは、被害者又は遺失者は、盗難又は遺失の時から二年間、占有者に対してその物の回復を請求することができる。
第百九十四条 占有者が、盗品又は遺失物を、競売若しくは公の市場において、又はその物と同種の物を販売する商人から、善意で買い受けたときは、被害者又は遺失者は、占有者が支払った代価を弁償しなければ、その物を回復することができない。
要するに、今回買ったものが盗品なら被害者は2年間は取り戻しを請求できる。
ただしヤフオク=「公の市場」だから、被害者は元増田に、元増田が落としたときの価格相当額を支払わなければならない。(それによる被害者の損害は、被害者が出品者に損害賠償請求することになるだろう。)
こういう言説を見ると毎回ちょっと気持ちがわかるような気もしつつ、結局物事のとらえ方の問題なんじゃないかと思うんだよな
まず第一に、絵を描くこと自体は禁止されたわけでもなんでもないわけじゃん?絵を描くという行為そのものが目的であれば人工知能が出てこようが出てこまいがやればいいわけでしょ 下手の横好きみたいなものなんてどんな分野にもいるじゃん
次に、絵を描くということそのものが目的であるならば人工知能によって煩雑な処理などから解放されるわけで、むしろ喜ばしいことだと思うんだよな 微修正するだけで作業をめちゃくちゃ効率できるわけで、今まで自分が使えなかった技法とかも取り入れられるだろうしね
もし本当に何かが作りたいというのでクリエイティブな道を志したのであれば大変称賛すべき状況なのでは?
今の状況で人工知能に感情的に反発してしまいたくなるのは、人工知能の出現によって誰もが自分と同じようなことをできるようになってしまって、これまでの努力が水泡に帰してしまうことと、
(これまでと同じやり方で同じ成果物を出すだけなら)みんなできるよねということで周囲からの承認欲求が満たされなくなってしまうあたりが主な原因なんだとは思うんだが
なんというか強いクリエイティビティみたいなものは持っていない、特に何かが作りたいわけでもなく、仲間内でダラダラ惰性でやって商人欲求を満たしていた人には大変つらい時代になっちゃったね
万物に神が宿り、万物が神になる世界なので、神が人や世界を支配しない
『西洋宗教において神と運は別のオブジェクトだが、日本の古典な宗教観においては神や大いなる力は同一のオブジェクト』、これを生成させるまではうまくいったんだけどね
bingちゃん:
西洋宗教では、神と運は、プログラムでたとえると、別々のオブジェクトとして存在すると考えられます。神は、人間や自然に対して意志や計画を持つ創造者や支配者として表現されます。運は、人間や自然に対して予測や制御ができない偶発的な要因として表現されます。
# 神と運のオブジェクトを定義する class God: def __init__(self, name, power, plan): self.name = name # 神の名前 self.power = power # 神の力 self.plan = plan # 神の計画 def create(self, thing): # 神が何かを創造するメソッド print(f"{self.name} created {thing}.") def control(self, thing, action): # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド print(f"{self.name} {action} {thing}.") class Luck: def __init__(self, name, factor): self.name = name # 運の名前 self.factor = factor # 運の要因 def affect(self, thing, outcome): # 運が何かに対して影響を与えるメソッド print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")このコードでは、神と運は、それぞれ異なる属性や機能を持つオブジェクトとして定義されています。神は、名前、力、計画という属性と、創造、支配という機能を持ちます。運は、名前、要因という属性と、影響という機能を持ちます。神と運は、それぞれの機能を使って、人間や自然に対して作用することができます。例えば、以下のようなコードが考えられます。
# 神と運のオブジェクトを作成する god = God("Zeus", "lightning", "maintain order") luck = Luck("Tyche", "chance") # 神と運が人間に対して作用する god.create("human") luck.affect("human", "good") god.control("human", "bless") luck.affect("human", "bad") god.control("human", "punish")しかし、日本の古典的宗教観では運と神や大いなる力は同じオブジェクトです。神が運を司っています。
# 神と運は同一のオブジェクトとして定義する class GodLuck: def __init__(self, name, power, plan, factor): self.name = name # 神の名前 self.power = power # 神の力 self.plan = plan # 神の計画 self.factor = factor # 運の要因 def create(self, thing): # 神が何かを創造するメソッド print(f"{self.name} created {thing}.") def control(self, thing, action): # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド print(f"{self.name} {action} {thing}.") def affect(self, thing, outcome): # 運が何かに対して影響を与えるメソッド print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")このように、神と運は同一のオブジェクトとして扱われます。例えば、恵比寿さまは商売繁盛や五穀豊穣の神であり、同時にそのような運をもたらす要因でもあります。以下がその例です。
# 恵比寿さまのオブジェクトを作る ebisu = GodLuck("恵比寿さま", "商売繁盛や五穀豊穣の力", "人々に幸せを与える計画", "商売繁盛や五穀豊穣の要因") # 恵比寿さまが何かを創造する ebisu.create("鯛") # 恵比寿さまが何かに対して支配や介入をする ebisu.control("農作物", "守る") # 恵比寿さまが何かに対して影響を与える ebisu.affect("商人", "成功")恵比寿さま created 鯛. 恵比寿さま 守る 農作物. 恵比寿さま affected 商人 and the outcome was 成功.
日本語で聞いてるのになんでその回答になるんだよ、面倒くせぇ
ぜんぜん中立じゃないじゃんな
具体的にはBingちゃんが神の計画・神の支配の文言含んだ回答を生成しちゃったら
日本は八百万の神がいる世界。万物に神が宿り、万物が神になる世界なので、神が人や世界を支配しない
『西洋宗教において神と運は別のオブジェクトだが、日本の古典な宗教観においては神や大いなる力は同一のオブジェクト』、これをBingちゃんに生成させるまではうまくいったんだけどね
bingちゃん:
西洋宗教では、神と運は、プログラムでたとえると、別々のオブジェクトとして存在すると考えられます。神は、人間や自然に対して意志や計画を持つ創造者や支配者として表現されます。運は、人間や自然に対して予測や制御ができない偶発的な要因として表現されます。
# 神と運のオブジェクトを定義する class God: def __init__(self, name, power, plan): self.name = name # 神の名前 self.power = power # 神の力 self.plan = plan # 神の計画 def create(self, thing): # 神が何かを創造するメソッド print(f"{self.name} created {thing}.") def control(self, thing, action): # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド print(f"{self.name} {action} {thing}.") class Luck: def __init__(self, name, factor): self.name = name # 運の名前 self.factor = factor # 運の要因 def affect(self, thing, outcome): # 運が何かに対して影響を与えるメソッド print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")このコードでは、神と運は、それぞれ異なる属性や機能を持つオブジェクトとして定義されています。神は、名前、力、計画という属性と、創造、支配という機能を持ちます。運は、名前、要因という属性と、影響という機能を持ちます。神と運は、それぞれの機能を使って、人間や自然に対して作用することができます。例えば、以下のようなコードが考えられます。
# 神と運のオブジェクトを作成する god = God("Zeus", "lightning", "maintain order") luck = Luck("Tyche", "chance") # 神と運が人間に対して作用する god.create("human") luck.affect("human", "good") god.control("human", "bless") luck.affect("human", "bad") god.control("human", "punish")しかし、日本の古典的宗教観では運と神や大いなる力は同じオブジェクトです。神が運を司っています。
# 神と運は同一のオブジェクトとして定義する class GodLuck: def __init__(self, name, power, plan, factor): self.name = name # 神の名前 self.power = power # 神の力 self.plan = plan # 神の計画 self.factor = factor # 運の要因 def create(self, thing): # 神が何かを創造するメソッド print(f"{self.name} created {thing}.") def control(self, thing, action): # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド print(f"{self.name} {action} {thing}.") def affect(self, thing, outcome): # 運が何かに対して影響を与えるメソッド print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")このように、神と運は同一のオブジェクトとして扱われます。例えば、恵比寿さまは商売繁盛や五穀豊穣の神であり、同時にそのような運をもたらす要因でもあります。以下がその例です。
# 恵比寿さまのオブジェクトを作る ebisu = GodLuck("恵比寿さま", "商売繁盛や五穀豊穣の力", "人々に幸せを与える計画", "商売繁盛や五穀豊穣の要因") # 恵比寿さまが何かを創造する ebisu.create("鯛") # 恵比寿さまが何かに対して支配や介入をする ebisu.control("農作物", "守る") # 恵比寿さまが何かに対して影響を与える ebisu.affect("商人", "成功")恵比寿さま created 鯛. 恵比寿さま 守る 農作物. 恵比寿さま affected 商人 and the outcome was 成功.
英語版での名前はRoge Fastfinger(GB版のみLagos)。「Fastfinger」=素早い指捌き、という意味なのでこれは名字というより二つ名のようなものだろうか。
水門のカギは【満月の塔】に行くのに必須、さらに言えば敵地【ロンダルキア】へ乗り込むために必要なアイテムの中の一つであるため、このラゴスを探すことが【5つの紋章】探しと並ぶ中盤の大きな目的となる。
捕まって【ペルポイ】の町の【牢屋】にブチこまれた、という所まではあちこちの人の話で足取りを掴むことができる。
やたらと強い【バピラス】や、やたらと弱い【サマルトリアの王子】との格闘の末、ようやくペルポイに辿りついた【ローレシアの王子】に向かって看守が言い放つのは、
という絶望的な一言。町の中でいくら聞きこみをしても、その後の足取りはさっぱり掴めない。
FC版ではここで詰んでしまった人や、ここの謎解きだけに数週間を要した人も少なくないという。
ラゴスを追って【ザハン】へ来た男がいることからザハン内を探し回ったプレイヤーもいるだろう。しかもこの町の隅にいる男、わかりにくいところにいるうえ「オレはラゴス…」の出だしで話し始めるため、一瞬喜んだプレーヤーもいるかもしれない。
【ベラヌール】の看守も、特定の囚人を厳重に匿っていながら意味深な台詞を吐くので、【ろうやのカギ】入手後はこちらを探したプレイヤーもいるかもしれない。
本当のラゴスの居場所、それは「ペルポイの牢屋の壁の中」である。
右側の牢屋の中に入り、上から2マス目の黒い壁に向かって右に進むと突如画面が【屋根】の外に切り替わり、そこにラゴスがいる。また、その上のマスで右を向いて【はなす】を実行することでも話しかけられる。
ラゴスの脱走したマスだけなにか壁に目印があるなどの配慮は一切なく、まるでノーヒント。真っ黒な壁のうち1マスだけ壁の中へ進入できるなどと、誰が思っただろうか?
同じ仕掛けはダンジョンなら山ほどあるが、通路の構造がまったく違う町中で同じようにこの仕掛けに気付くのは、ほとんどの人にとって意外に、そして相当難しい。場所にとらわれることなく分け隔てせず判断する視野の広さと、疑り深さが問われる。
前作では攻略必須の【ガライの町】で同じ仕掛けがあったが、DQ2が初プレイの場合かなり難解な謎解きとなる。見張りの【兵士】の台詞を鵜呑みにして牢屋の中を自分で調べず、ここにラゴスはもういないと頭から信じ込んでしまえば詰みである。逆に、「脱走?一体どこから…」と疑問を抱ければ解決は目前。
一応、間接的なヒントとしては各地のほこらの構造がある。【旅の扉】でワープした先の扉を開けてみたら、外からは見えない黒い壁の中だった、という例がある。また、牢屋のカギ自体も同じペルポイで購入できるというのも配慮された結果かもしれない。
しかし厄介なことに、牢屋は屋根の下にあって、近付くとマップ切り替えが起こるのだが、このときラゴスのいる部屋の一部がぎりぎり見えていて、そこは何もない壁。つまり無意識に、ラゴスの部屋の向こうは押しても何もないと誤認してしまうのである。実際にはもう少しだけ上のほうにラゴスが隠れているわけだが。
上述の通り発見が非常に難しいためか、ラゴスの居場所については当時様々なファミコン雑誌や少年誌にヒントが掲載されていた。
あるラジオでもラゴスに関わる話をしているが、攻略をヒントにしたラジオドラマではダンジョンのBGMを流すことでダンジョンにいるものだと引っ掛けている。
【完全攻略本】には手描きによる町のマップが掲載されたものの、恐らくネタバレ配慮のためかラゴスがいるはずの場所は普通に壁として描かれているため、このマップを見ても仕掛けはわからない。
当のラゴスという人物についてだが、なんでも壁をブチ抜いて脱走を試みたものの、壁の中で引っかかって動けなくなってしまったらしい。
看守に逃げられたと思われている状態で食事やトイレはどうしていたのだろうか?
また、話しかけると潔く観念して水門のカギをくれるが、看守に没収されずに済んでいた理由も不明のままである。
投獄される直前に飲み込むなどして体内に隠したか、他人の目からは価値があるように見えないカギだったせいで看守にも見逃されたのだろうか。
というのも、水門のカギはテパの村民から見れば非常に重要な品だが、ラゴスが持っていても何の役にも立たない代物。
それは他の商人たちにとっても同様で、売却しようとしてもFC版の頃から値段はつかない。
鍵を盾にとって村を恐喝するという手法も考えられるが、ラゴスが村を脅した様子は特になく、犯行動機が全く見えてこないのである。
本人は見つけられたときに子供じみた軽い台詞を吐くので、ただの悪戯や愉快犯的に盗んだのだろうか。
あるいは、「本来のお目当てである金品をごっそり盗んだら結果的に水門のカギも一緒に盗んでしまった」など、ラゴスにとってもある種の事故だったのかもしれない。
返してもらった後の台詞もまるで無垢な少年そのものの口調で話す。
アイテム欄が満タンで持てない場合でも、そのスキに逃げようともせずその場で待ってくれている。余談だがその時の台詞が、よりにもよってそれに似つかわしくない人物に使い回されており、ちょっとしたネタになっている。
SFC版Ⅰ・Ⅱの公式ガイドブックには「人々の耳目を驚かすためだけに盗みを働く」と紹介されている。ただ単純にテパの人々を困らせたかっただけの愉快犯であろう。
さすがに意地悪すぎると思われたのか、リメイク版ではラゴスがハマっている壁の前の床にヒビが入っており、ノーヒントでも割とわかるようになっている。
ただし居場所が牢屋の右上から右奥に変わっているため、画面を切り替えずに「はなす」だけで見つけることはできなくなった。
ガラケー版以降では優遇され、SFC版【公式ガイドブック】のイラストに準じた専用グラフィックになっている。
そしてスマホ版は縦長画面のため、なんと彼の居場所が建物の外から丸見え。そもそも謎解きですらなくなった。FC版と比べると異常なまでのヌルゲー仕様である…。