2024-11-21

がんの猫の通院、10時間かかる

タイトル通りである

ほぼ週一で猫の通院に10時間かけているので、インパクトを持つタイトルであるか否かの感覚も既にかなり曖昧になってきている。

しかしながら10時間だ。

所定労働時間

月延べ40時間、猫の通院に時間をかけている今は、人生を振り返ってみてもかなり稀有体験をしている時期だ。

このエントリは、そういう時期についての個人的な記録です。

敬意

この記録を残そうと思うにあたり、まず、担当獣医師、及び飼い猫(順不同)に敬意を払いたい。

健康だった時期の飼い猫を知っている身としては、通院に時間を費やさなければならない現状に文句たらたらではあるが、獣医療と猫に対しての敬意だけは常に忘れてはならないと感じている。

担当獣医師は、少なくとも飼い猫を診せる日は、おそらく10時間以上勤務しているはずだ。重病を抱え、寿命がそう長くはないであろう犬や猫が集まる医療センター10時間、ないしはそれ以上の勤務、それによる凄まじき労苦は想像に難くない。

対して飼い猫は、朝から晩までの間、檻に入れられているか抗がん剤の投与をされている。週に一度とはいえ人間エゴイズムによりそんな訳のわからない目に遭わせてしまって、心底申し訳ないとは思っている。

担当獣医師と猫に敬意を持ち、それぞれの境遇にも思いを馳せながら、文章を記すことにする。

患う猫(とその見た目について)

猫は現在15歳の老雄猫である。約一年前にがんであることが発覚し、経口薬その他による対処や諸々の検査を経て、約二か月前から血液投与による抗がん剤治療を開始した。

チャーミングな見た目についても少し記しておこう。

毛並みはサビ模様と白い胸毛(および腹毛)、靴下のような白い足先がトレードマークで、なかなか洒落雰囲気だ。

耳の形は猫らしい三角形ではなく、丸みを帯びていて、常にぴん、と立っている。

猫らしからぬその耳の形状故に、電車の隣席に座った女性からケージを見つめながら「うさぎちゃんですか?」と訊かれたことがある。猫です。

そんな茶目っ気すら感じる飼い猫が、がんにより闘病中だ。なかなか、ままならないものである

狂気時間

10時間も何するんすか、と改めて思うが、時間割としては以下の通りである

1) 午前8時~午前9時(1時間):往路(自宅から病院まで)

2) 午前9時~午後13時(4時間):猫を病院に預け、抗がん剤投与前の検査

3) 午後13時~午後16時(3時間):検査結果確認後、抗がん剤投与

4) 午後16時~午後17時(1時間):医師との面談、薬の処方、会計

5) 午後17時~午後18時(1時間):復路(病院から自宅まで)

1)、5)の往復路にかかる時間や、4)に関しては大した話ではない。

2)、3)が曲者だ。

「通院」の大部分を占める7時間をどのように過ごすか。

医療センター辺鄙な立地にあり、周辺に存在している施設はごく限られたものになる。

飲食店で過ごすのも手だが、せいぜい潰せる時間は2、3時間程度である

そもそも、猫の検査結果や現在の体調、検査中の猫の姿を思いながら過ごす時間というのは、憂鬱であり、賑やかな飲食店で過ごすには心が落ち着かない。

少し足を延ばせばラブホがあるが、毎週ラブホに行くのも滞在費が嵩んで仕方がない。観光できるような場所も近くには存在しない。

そうなると、行きつく先は自然と定まってくる。

鬱箱収容7時間

通院時間のメインである7時間を過ごす場所として最終的に落ち着いたのは、インターネットカフェ通称「鬱箱」である。(これは世間一般における通称ではなく、私が便宜的に名付けたという意味での通称です)

人々が蚕の繭のように小箱収納されており、その小箱は窓がなく、暗い。曇っていようが晴れていようが、空が見えない。常に暗い。

パソコンの画面には、よすがを求める者に向けた結婚相談所広告や、行く当てのない者に向けた入寮可能、即金の仕事を勧める広告が忙しなく踊っている。

そんな小箱の中で、猫のことで気を揉みに揉みながら7時間過ごす。

鬱を加速させるしかない、暗い、箱。まさに鬱箱である

しかしながら、7時間という迫力のある長い時間を過ごすには、やはり鬱箱以外にはなかなか見当がつかない。

7時間のうち2割はパソコンでの作業に充て、1割は食事病院との連絡に充て、4割は眠り、3割は『あたしンち』(これ以外に鬱を加速させない漫画を知らない)を読む時間に充てる。

不穏な時間の中、暗闇で読んでも鬱が加速しない漫画を知っている人がいたら、ぜひ教えていただきたい。

現在の救い

ここまで散々陰鬱トホホ文章ばかり記してきたが、救いはある。

猫が元気なのである

猫は少々痩せてはいるが、闘病中ながら食欲は大変旺盛で、便通も申し分ない。家の中を悠然と徘徊し、腹を天に向けて放り出し、ぐうぐうと眠る元気がある。

先日も通院から帰宅し、屋内に開放した途端に人間の足元に纏わりつき、ニャンニャンと大声で啼いて飯の催促を始めた。もちろん大盛りの猫缶を食わせてやった。処方された薬も忘れずに。

投薬の効果か否かは定かではないが、本当にがんなのか疑わしいほどの生活ぶりだ。

ともあれ、本猫に今、有り余る元気があるのは何よりなことだ。

猫が生きて十五年を過ぎ、これからもまだ元気でいてくれるなら、通院10時間も苦ではないと思っている。

いや、少ししんどいが。会計金額を見て、毎回眩暈がするような思いをしているが。頑張りたいと思っている。

病院を訪れて、病院から猫を連れて帰る頃には日がとっぷり暮れていようと、鬱箱に7時間籠ろうと、猫が元気ならば、頑張りたい。

猫も、もしま人間寝床に潜り込んでくることが楽しいのならば。申し訳ないが病院へ連れていくことを、どうか許してほしい。

猫、通院を我慢してくれて、元気でいてくれてありがとう

担当獣医師も、毎回真摯に向き合ってくれて本当にありがとう

そして、鬱箱の店員さんも、いつも私に温かいポテトフライを揚げてくれてありがとう

鬱箱って言ってすみません。でも、ネカフェって鬱箱すぎます

これからもお世話になります

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