2024-11-16

劇場版ルックバック2回見たけど、やっぱこう「あの原作を使った割には……」という感じが凄いね

もう一つの可能性に対しての解釈多様性みたいなのが薄いんですよね。

漫画世界においては「あの1枚の漫画によって世界分岐した」というのが本当に確かな説得力っていうか、マジでそれぐらいの力があったんだと信じさせる何かがあったんだけど、映画だといまいち伝わってこない。

そもそもあの漫画はどこから来たのかについての解釈余地というか、「インターステラー的な何かが起きた可能性」というのを感じさせるだけのパワーみたいなのがイマイチ薄いんだよね。

あの状況における作品世界自体で起きていることは「もう一つの世界存在した可能性についての想像なのは事実なんだろうけど、それが観客席からだと「本当にあったかもしれないもう一つの世界」として等価存在として映る所がルックバックの醸し出す凄みの秘密だと思うんだよね。

「どこまでも都合が良いような世界、でもそれがもしかしたら本当にありえたのかも知れない」って事がより強い悲しみを生むけど、同時にそれが「いま自分たちが生きている世界はこっちなんだから前を向かなければ」という気持ちトリガーになるっていうか。

元ネタであるワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドなんてまさにそういう映画だったと思うわけよね。

なんつうか「こういう空想の中で自分たちを慰めることも出来る。創作活動を続けるってのはそういうことなんだ。創作活動最高と言え」みたいなパワーがあるわけですよ。

そこがイマイチ足りてないっつうかさ、もっと深く踏み込めば、あの事件に対してどう向き合うかって話だった訳じゃないですか。

まあ映画版はそのへんについて「パクりやがってよぉ!」の言葉を入れてくれているので敬意は凄い感じるわけなんですけど。

それでもやっぱ足りないっていうか、根本的な構造としての「漫画世界における漫画の力」と「映画世界における漫画の力」だとやっぱエネルギー量に致命的なまでの差があるなと。

ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドという映画が「映画の中で映されたハリウッドという土地の持つエネルギー」によってあの荒唐無稽さすらある並行世界を描いたことの再現は出来てないなと。

いやマジで全体としてはすごくいい映画だったと思うよ。

こんだけ頑張ってもらえるんだからタツ先生も喜んでますよって感じましたよ。

でもやっぱちょっとだけ足りないんですよね。

観客の頭の中で「並行世界への扉」を開くだけのパワーが足りてなかった感じなんすよ。

なんつうんですかね、繰り返しになるんですけどワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドという映画の中においては、あの映画の中で起きたことこそが事実だったわけじゃないですか。

「俺達の住んでいる地球事実」と「ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド事実」はそれぞれ存在できていて、どっちが上か下かっていうのとは違ったと思うんですよ。

その等価性があったからこそ、「でも俺達の地球で起きている事実が俺達の生きる現実しか無いんだよね」という読後感みたいのに繋がるっていうか。

ルックバックという作品キモってどうしようもなくそワンポイントに集約されていると思うんですよね。

そこが、ちょっとだけ踏み込みきれてなかった。

ただそれだけでそれ以外は何の不満もないんですけど、惜しかったなという感想しかなり得ないんですよ。

半年ぶりにもう1度みたら別の感想になるかと思ったんすけど、全く同じ感想になりましたわ。

  • 原作もそこまでじゃね?タツキ信者?

  • おいおい、なんだよその愚痴!確かに気持ちはわかるけど、ちょっと冷静になって考えてみろよ。 まず、映画版『ルックバック』について言うなら、あの作品の本質は、「原作をどう再...

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