はてなキーワード: キャバレーロンドンとは
自分が通っていた中学校の体育館に入ると、すでに催しは始まっていた。20人ほどの参加者、PA業者、参加者を世話するスタッフなど。中でも、色とりどりの浴衣を着込み踊りの準備をする女性たちが、無彩色な体育館でひときわ目立っていた。
うろ覚えだが、この催しは難病などで将来を悲観した人びとが集団で安楽死を行うものだったと思う。公的サービスの一環なので、このように公立中学校の施設が使われる。安楽死の手段がどのようなものなのかは分からない。
自分はケーブルテレビの撮影スタッフとしてここに来た筈なのだが、現時点でカメラも三脚も無い。機材バッグは片隅にあるが、その中は空っぽで私のカメラは見当たらない。誰かがすでに持ち出したのだろうか。
会場では参加者が朝礼のような横長3列に並び、スタッフの説明を聞いている。内容は「大丈夫」とか「スケジュール通りに」といった事務的なもので、宗教的なニュアンスは感じられない。聞いている参加者の表情も平静で、これから死という大事を迎えるように見えない。
浴衣の女性たちが会場の端で金魚のように踊っている。これから死ぬ参加者たちの気持ちをせめて安らかにしようとしているのだな、と感じた。
一旦説明が終わり休憩となった。参加者の一部は外の空気を吸うために体育館出口に向かう。私の居る場所はその出口付近なので、彼らとバッティングしないよう、左右に避けようとするのだが、向こうもこちらと同方向に避けるのでぶつかりそうになってしまう。私はこのような不吉な人たちとは接触したくないので、靴を履かないまま出口から校庭に出た。靴下の足裏に濡れた砂の水分がしみて不愉快だ。
近くを歩いている役場職場と話す。この催しは担当する職員の心理的負担が大きいそうで「俺も、これやった後に入ってる会議とか全然集中できなくてさあ」などという。私は内心このような集団自殺が、その程度の負担感で済むとは役場職員は凄いな、と思う。
体育館と校舎をつなぐ渡り廊下に自分の靴を見つけ、ああここに置いたんだな、と安心し会場に戻る。
参加者は俯いてシクシク泣いていたり手で顔を覆ったりと、悲観的な様相だ。自ら死を選び覚悟を決めていても、やはり直前になると動揺するようだ。私の三脚は傍らにあるが、乗せるカメラは無い。そもそもこんなものを撮影しても使えないだろう、と思ったし、人が大量に死ぬ場面を見る勇気もないので、ここを退散することにした。
さっきとは別の小さい扉から出て、両開きの引き戸を閉める。体育館なのに、すりガラスがはまった木製の扉であった。
横のおばさんに「どうして撮影しないの?」と聞かれ「カメラが無いし気味が悪いから」とこたえるが、おばさんはなにやらしつこく話しかけてくる。
おばさんと連れ立って体育館脇の緩い坂道を下っていると、中からたくさんの人間が嘔吐する音が聞こえてきた。音だけではなく、扉の下の隙間から飛沫が私の首に飛んだ。手ぬぐいで拭うと、人参や肉など食物の破片が混じった粘液状の吐瀉物だった。
直前に迫った死の恐怖で参加者が嘔吐したのだ。やはり、誰でも死が怖いのだ。
私はその後、行きつけのバイク屋に行ったがいつのまにか夜になっていたようで、店は既に閉まっていた。
バイク屋が一階に入っているビルから自転車で誰かが出てきた。顔見知りの女性だがなぜ?と声をかけると、「私ここでホステスやってるの」という。確かにバイク屋の二階は「キャバレーロンドン」だ。彼女のバニーガール姿を見たい、と強く思った。