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2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

2021-02-01

子どもの頃「命」という概念理解するのに苦労した

というか、今でも理解してるか怪しい。

いや、「なんで人を殺しちゃいけないんですか?」とかそういう話ではなく

純粋にこの単語が何を指しているのかという国語問題としてね。

「生きてる」「死んでる(死んだ)」は分かる。

虫とか殺してたしな。

「心」も「魂」もそれがどこにあるか、実在するかはともかく

概念、コンセプトとしては何を指しているのかは分かる。

例えば「生気」「精気」と言われれば、これも実在するかはともかくイメージはわく。

でも「命」って生きてるものには有って、それ以外には無いというもの

何と言うか「電源ON状態」に名詞を一つはっ付けた感じだよな?

なんかその他の名詞と比べて運用のされ方が特殊なような気がする。

と、いうようなことを

https://anond.hatelabo.jp/20210128221455

を読んで思い出した。

2020-12-09

小島慶子モラハラなのか?

結婚後、俺が家族のために辛い仕事をしているときに、子供もいるのに妻が不貞行為理由は「構ってくれなくて寂しいから」。ふざけんなよ

妻は俺を傷つけた。俺は被害者、妻は加害者。この事実は一生変わることはない。血こそ流れないが俺は加害行為による被害者だ。家族を殺された被害者家族反省しない犯人を見て、そうじゃない!って怒るのは別に普通のことだし、もっと勉強しろと焚き付けても不思議ではない。彼らはモラハラなのか?

お前らは不貞行為を甘く見すぎている。上原多香子の夫はこれで自殺までしたんだ。魂への暴力行為なんだよ本当に。

小島慶子被害者であり、傷つけられた「心」リカバリーを求めている。どこがモラハラだよ

2020-10-16

好きなVtuber卒業する

私は特に熱心なVtuberファンというわけではない。活動を欠かさず追い続けている特定Vtuberがいるわけではなく、ましてグッズやイベント投げ銭などの有料コンテンツに金を払っているわけでもない。自分作業ゲームをするときBGM/BGVとして、また暇なときや眠れないときなどに気に入った配信者(Vtuberに限らない)の動画を流したりする程度だ。

そんな私がVtuber配信を見るようになったきっかけになった子が卒業するらしい。

彼女を知ったのはVtuberの身内のゲーム大会で、まだ1年も経っていないのではないか。その集団の中でも有名なVtuberを切り抜き動画で何人か知っている程度だったが、大会での彼女の快進撃には注目せざるを得なかった。

自身思い入れのあるキャラクターたちを相棒として選び、彼らを活躍させて勝つため対戦相手分析し、準備した結果導いた勝ち筋を通して勝利を重ねて行ったのだ。

彼女より登録者が多かったり、有力視されていたりする対戦相手に対しても勇敢に戦い勝利して行く姿は、見ている私をも熱くさせ、すぐに虜になった。それはかつてニコニコ動画などでも見ることができたような感動を思い起こさせるものだったのだ。

その後は時間が合えば彼女配信を見るようになったが、その雰囲気が心地よいものだった。

他のVtuberも見るようになったが、配信の回数を追うごとにVtuberなのか演者のものなのかよくわからなくなってくる人も見受けられる中、彼女彼女自身が考える見せ方にとても気を遣っていたように思う。

彼女場合も、どうしても演者パーソナリティ漏れしまうこともあり、私はそれも含めて好きだったのだが、彼女はそこを見られることはあまり好んでいなかったように思う。

また、私が知ったきっかけの大会に出ているように他のVtuberとの交流もありながら、流行に乗るだけではなく、どちらかといえば一定距離を取ることもあり、自分のやりたいことをして、視聴者とやりとりしつつ配信するスタイルも魅力的だった。

彼女卒業すると聞いた寂しさは、どう例えたものだろうか。

あるいは小学校ときに仲の良かった同級生が転校したときのような、清原引退したときのような、そんな寂しさだろうか。

しかし、同級生は25年経った今でも(おそらく)どこかで人生を送っていることだろうし、清原引退しようが逮捕されようが、「NoシャブNoライフ!」と叫ぼうが、その後に送っている人生を知ることができる。

より近い感覚としては、親が突然余命宣告されたとき、または少しの間会っていなかった友人が急死したときのそれかもしれない(画面の向こうのVtuberに対して親を引き合いに出すのはどうかと思われるかもしれないが、私は世間一般に比して親のことをあまり好きとは言えなかったので、まあ適当塩梅なのではないかと思ったのだ。)。

まりVtuber卒業とは突然の死なのだ。それについては過去に散々議論はされているものと思うが、私はそう感じた。「言葉」ではなく「心」理解できた、と言うべきか。

しかし、卒業の知らせがショックであった一方で、彼女「卒業」という選択をすることができたのはある意味幸福であるようにも思う。この業界(と言うほどに私は詳しくもないが)、突然の活動休止や謹慎、その後の引退契約解除になるケースも珍しくない中で、彼女自分の見せたいことをやりきった結果として、というかそれを完成させるために「卒業」へ至ったようにも見えるからだ。

活動の中で垣間見える演者の人柄を見るに、これまでの人生必ずしも順風満帆ではなかったのではないかと(邪推ならいいのだが)思えることもあった。それが良い方向に向かうよう努力している様子も伺え、内心それを応援していた私としては、演者人生がより良い将来に繋がってほしいものだ。

彼女とその演者彼女を愛した人たちに明るい未来のあらんことを願う。

2020-08-16

路上で潰れた虫を見たとき自分の子供に何て言えばいいかからない話

道を歩いていると、車に轢かれたり人に踏まれたりして虫が潰れて死んでいるのをよく見かける。

そういうのを見ると、たぶんみんな「うわあ」と感じると思う。

俺も思う。

俺の「うわあ」だが、おそらく他の人より5倍くらい大きい気がする。5うわあだ。出社途中に見てしまったりすると、歩いている間中、頭の中がそのことで重苦しい感じでいっぱいになる。

死ぬこと自体はしかたがないが、別にそんな死に方じゃなくてもいい。

そういうわけで、まだ生きているやつは誰かにまれる前に俺が拾って植込みとか土の上とかに放りこまれることになる。

自己満足だ。死ぬなら俺の見てないとこで死んでくれ、ということでしかない。とにかく拾って放る。

カナブンも拾うしセミも拾う。カマキリも羽のもげた蝶も拾う。カエルも拾う(虫じゃないけど)。デカ芋虫とかはさすがに無理。

夏になると多いのはミミズで、ミミズマジで悲惨だ。地中が暑いから表に出てきてら、逃げ込んだはずのアスファルトの方がはるかに高温で焼かれてしまう。

のたくるたびに、まるで「えっ…」と混乱しているように見える。「えっ、おかしいな。熱っ。えっ、おかしいな」という感じ。直接は触れないので木の枝とかに引っ掛けて土の上にどかす。

セミの幼虫とかもたまに死んでいる。抜け殻としてよく見かける透明なやつじゃなくて、羽化するために土から出てきた中身が黒く詰まってるやつだ。

何年も地中にいて、成虫になるために出てきたら潰されて死ぬのか、と思う。

実際のところ、何かの本で読んだが、昆虫には感覚はあっても俺たちのような「心」はないらしい。

から、体が致命的に潰されても、別に怖かったり悲しかったりはしないのかもしれない。

セミの幼虫が羽化を目の前にして死ぬだって人間目線でそれを大事ステップとして強調してしまうだけで、セミ自身は何も考えていないだろう。何もかも、人間感傷に過ぎないんだろうな、と思いながら、俺は路上でウロウロしているコフキコガネとかをつまんで土の上に投げてる。

俺は30過ぎで子供がいない。だから、このまま持たない可能性も割とあるが、別に持たないと決心してるわけでもないので、いつかできるかもしれない。

外で小さい子供を見かけるとき、たまに、このぐらいの息子や娘がいたらどういう感じかな、と妄想してみる。

そいつは俺の周りをチョロチョロしながら、路上のありとあらゆるものに興味を示す。生きている虫とか木の実とかなんかの枝とか。その中には、潰れて死んだ虫もあるだろう。

そいつが俺に何か聞いてくるのが怖い。「なんでこの虫は死んでるの?」

なんでって、誰かにまれたからだよ。生き物はそうやって死ぬこともあるんだよ。

とは言えない。妄想妄想を重ねてしまうが、その質問の奥に、もっと手に負えないものが潜んでいることへの恐怖がある。

「僕/私もいつかこうやって死ぬかもしれないの?」「こうやって死ぬかもしれないのに、僕/私は生まれたの?」

路上で潰れて死ぬ虫を見て感傷的になる前に、この世の色んな場所で、「暴力」によって生き物が抗うこともできず死んでいる。

食用家畜とか、紛争地帯での殺人とか(この二つを同列で扱っているわけではない。念のため)。

「なんで動物は殺して食べてもいいの?」「なんで○○(適当地名)では人と人が殺し合っているの?」

かなり困るが、そこには答えるためのフォーマットもある。

要は人間が生きていくために根本的に抱えている利己性、ということだと思っている。そんな答えの中に屠殺される家畜への感謝とか、諸外国歴史とかを織り込めば、一応回答にはなる(正しいかどうかは別として)。

でも、この虫みたいに、いつか何の理由もなく暴力さらされて死ぬかもしれないのに、お父さんは僕/私を生んだのか、という質問には答えがない。

なんかの宗教に入ってればよかったなあ。困るなあ、と思いながら、子供もいないのに、肩を落としながら今日散歩をしていた。別にそれでも、俺はぜってえ子供持たねえ、とならないのはいい加減というか、少し恐ろしい話な気もするんだな。

2020-06-06

心の哲学」をまとめてみたよ

たとえば「女の生理痛は男が金玉を蹴られた痛みと同じ」という言説から考えてみよう。

これは冷静に見れば全然おかし言葉であることがわかるだろうか。

個人差とかもあるが、それ以前に「自分の感じる痛みを他人のそれと比較すること」はどうやっても不可能なのである

何故なら痛みという「感覚自体を、何らかの言葉や図表、量的な指標を用いて他人に伝えることができないからだ。

極端な話、自分の感じる【この】痛みという感覚が、他人の感じる痛みという感覚と同じなのかどうかすらわからない。

これがクオリアという概念だ。

自分の見ている赤が他人の見ている赤と同じとは限らない、と言う説明がされることが多い。

ところで質問なのだが、このクオリアという心的現象は、物理現象一種なのだろうか?

まり現在脳科学が発展していないために見えていないだけで、実際のところ「心の働き」と呼ばれるもののすべては脳神経で起こっているニューロンの発火や電気信号だけで成り立っていて、それらを完全に解析さえすれば上述のような「他人の痛みの比較」も可能だし、人が何を感じ、何を考えているのかといった心的現象も追うことができるのだろうか?

もしくは、意識感覚といった領域物理法則では縛られない世界にあって、ニューロンの発火だけでは絶対説明がつけられない部分が残るのだろうか?

あなた

  • 前者に賛成する→1へ進む。
  • 後者に賛成する→2へ進む。

1.心的現象物理現象一種だよ派

あなたは、意識感覚などの心的現象物理法則に則った現象一種にすぎず、人間技術力に限界さえなければ、いずれは脳神経学によって解き明かすことのできる類のものだと考えている。

しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは自由意志問題である

心的現象物理法則に則っているのであれば、あなたの「コーヒーが飲みたい」「あの本を読もう」「右足を前に出そう」といった意識はすべて、その直前の脳神経の物理状態から力学電磁気学などによって導き出される現象に過ぎない。

そうであるならばあなた意識と行動のすべては法則支配されており、自由意志などというもの存在しない。

あなたはこの考えを

  • 受け入れる→1-1へ進む。
  • 受け入れない→1-2へ進む。
1-1.

あなた物的一元論だ。

あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子分子物理法則にしたがって動作した結果であり、そこにあなた意志はない。

あなたがこの文章を読んでいることも、これからあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎない。End

1-2.

あなた物的一元論を受け入れながらも、自由意志存在肯定する。

すなわち、現代科学では解明されていない領域に、自由意志存在を受け入れる法則が隠れていると考えるほかない。

たとえば、量子力学説明する波動関数の収縮等である

あなた自由意志とはあなた構成する量子の揺らぎの別名であり、シュレディンガー方程式自在に操って、この文章を読むと言う物理行為を成し遂げているのだった。End

2.心的現象物理現象ではないよ派

あなたは、意識感覚といった心的現象には、ニューロンシナプス物理挙動だけでは理解しえない、物理法則とは別種の法則が働いている領域があると信じる。

しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは物理領域因果的閉包性問題だ。

物体物体に衝突して相互作用を起こす時、それは純粋物理世界のできごとであって、この現象に対して神や霊魂祈りなどが作用することによって物理挙動が変わることはない、と、多くの人間に信じられている。

これを適用するならば、心的現象物理実体である脳神経や肉体に干渉をおよぼしてその物理挙動を変えさせることはない、と言うことができそうだ。

あなたはこの結論

  • 受け入れる→2-1へ進む。
  • 受け入れない→2-2へ進む。
2-1.

あなた性質二元論だ。

あなたは心の存在肯定しながら、物理領域因果的閉包性をも肯定する。

すなわち、心的現象物理領域干渉されてもよいが、逆に物理領域に心的現象干渉することはできないと考える。

では、あなたが「コーヒーを飲みたい」と思って実際にコーヒーを飲むときあなたの心の動きが肉体という物理実体を動かしたことにはならないのだろうか?

すべての前提を整合させるには、こう考えるしかない。「コーヒーを飲みたい」という心の動きと同時に、脳におけるニューロンの発火という物理現象もまた起こっていて、それによって肉体が動作するという物理的結果を招いたのだ、と。

あるいは、心の動きと脳の物理現象は実は同一のものの二側面と考えても良いし、心の動きは脳の物理状態随伴して起こると考えても良い。

いずれにせよ、この立場を取るのであればあなた自由意志存在否定しなければならない。

あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子分子物理法則にしたがって動作した結果であり、その結果にあなた意志干渉していない。

あなたがこの文章を読んでいることも、これからあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎず、あなたの中に確かに存在しているその「心」は、物理実体に束縛された背後霊のようなものだった。End

2-2.

ここまで辿り着いたあなたには最後質問を投げかけたい。

あなたは、「物理実体」なるものが本当に存在すると信じているだろうか?

  • 信じる→2-2-1へ
  • 信じない→2-2-2へ
2-2-1

あなたは、心身二元論だ。

物理領域因果的閉包性なるものは、単なる科学主義者の経験則にすぎず、本当は心的現象物理実体干渉を与えて動作させることもできると考える。

今もまた、あなた霊魂という非物理実体は、あなたの肉体という物理実体操作して、画面をスクロールし、眼球を回転させ、あなた自由意志のもとにこの文章を読み、それについて何か考えを抱いている。

あなた自由尊厳はついに守られたのだ。End

2-2-2

あなたは、心的一元論だ。

あなたは、世界とは根本的に心の働きによって成り立っていて、物理実体物理挙動物理法則なるものはすべて心の働きがあなた自身に見せている虚像に過ぎない可能性を否定できない。

かにあなたの目の前にパソコンスマホがあるといっても、それはあなた視覚という感覚が伝えてくる像に過ぎないし、触れて確かめようとも触覚が同じことをするだけだ。

あなたは、パソコンスマホが目の前に「実在」すると断言できない。

あなたの脳は培養液に浮かび、接続された電気コードから絶え間なく信号を与えられている存在に過ぎないかもしれない。

もしくはそんなものもなく、世界などというもの根本的に実在しておらず、観念的な情報が漂っているだけの存在、それがあなたなのかもしれない。

今もまた、あなた自由意志は、あなたあなたの指であると思っているもの操作し、あなた文字であると思っているものを読み進める。

恐れることはない。あなた実体がなんであれ、あなたという意思主体存在すること自体は、他ならぬあなただけは絶対否定できないのだから。End

2019-06-22

独断偏見で選ぶ、動物を使った心理学に関心のある学生に勧める書籍30選

動物心理学」は動物学習、知覚、認知生理機構といった諸形質の放散と収斂の原理過程の解明を目指す心理学の一領域である

心理学全体の中ではマイナーではあるが、国内研究者の集まりである動物心理学会」は、実は数少ない戦前から続く (1933年発足) 学会であったりもする (ただし、悲しいことに、動物心理学が学べる大学は減り続けている)。

だが、動物心理学を学びたいと思った学生が、何から手を取ればいいのか、あまり紹介の記事が世に出回ってない気がした。そこで、独断偏見で、オススメ書籍を挙げてみた。番号はオススメ順とかではなく、特に意味はない。気になったものを読めば良いと思う。

(1) 動物たちは何を考えている? -動物心理学の挑戦- (技術評論社)

藤田 和生 (著, 編集), 日本動物心理学会 (監修)

日本動物心理学の主だった研究者たちが、動物心理学代表的研究について平易に語った本

(2) パピーニの比較心理学―行動の進化と発達 (北大路書房)

マウリシオ・R. パピーニ (著)

日本語で鈍器のような大きさでまとまっているのはこれくらいか

(3) 鳥能力―小さな頭に秘められた驚異の能力 (化学同人)

渡辺 茂 (著)

鳥類の行動とその神経基盤について解説した本

筆致が軽やかで、ベッドの上で寝転がりながら読んでも十分に理解できる。書名通り鳥限定であるが、名著である

(4) ハトがわかればヒトもわかる―比較認知科学への招待― (共立出版)

渡辺 茂 (著),

同著者がハト比較認知科学研究に特化して書いた本

心理学ではハト伝統的によく使われる。

(5) ソロモン指輪動物行動学入門 (早川書房)

コンラート ローレンツ (著)

動物行動学の創始者ローレンツいか動物と向き合い、その行動を観察していたのかを記したエッセイ

ローレンツ論文は難解で読みづらいことで有名だが、一般向けの著書は対照的に驚くほどとっつきやす

(6) タコの心身問題――頭足類から考える意識起源 (みすず書房)

ピーター・ゴドフリー=スミス (著)

哲学者である著者がダイビングタコイカと接することを通じて彼らの生き方

タコとて侮るなかれ。動物心理学を志す者が覚えていてほしい動物との向き合い方がぎっしり詰まった一冊である

(7) 動物心理学史―ダーウィンから行動主義まで (誠信書房)

R. ボークス (著)

動物心理学が、いかなる過程独立した分野として成立したのかを述べた本

傑作である絶版なので図書館で探そう

(8) 種の起源 (光文社古典新訳文庫)

ダーウィン (著)

言わずと知れたダーウィン古典である。いつ読んでも何かしら発見があるもので、それが古典古典である所以なのだ

余談だが、動物行動学の論文ダーウィンが扱った問題を再び取り上げるときは “Charles Darwin once said…” という殺し文句で始めることがある。

(9) 遺伝子から解き明かす脳の不思議世界 (一色出版)

滋野修一 (著), 野村真 (著), 村上安則 (著)

「脳」の起源と、その発生、さらには脊椎動物の脳のデザインいかに生じたのかを、ホヤから霊長類研究者まで多彩な研究者が論じた本

図や動画が手に入るURLQRコードがついてくる嬉しいおまけつき

(10) 感覚器の進化―原始動からヒトへ水中から陸上 (ブルーバックス新書)

岩堀 修明 (著)

はいかにして出来上がったのか?感覚器 (視覚聴覚、触覚、嗅覚、味覚) が現生の形になった進化道筋解説した本

(11) 生物から見た世界 (岩波文庫)

ユクスキュル (著), クリサート (著)

比較生理学の祖、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが豊かな想像力動物生理学的機序からその「環世界」について語った本

名著中の名著である

(12) 動物環境と内的世界 (みすず書房)

ヤーコプ・V・ユクスキュル

同著者が、生物の生きる、その固有な世界像について、当時の解剖学的知見と合わせてより詳しく解説した本

(13) あなたのなかのサル霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源 (早川書房)

フランス・ドゥ・ヴァール (著)

チンパンジー研究者大家、ドゥ・ヴァールの一般向けの著書

ドゥ・ヴァールはかなり擬人主義的な研究者で、研究者によって評価が真っ二つに分かれる。動物心理学一枚岩ではない。氏の著作同意するかどうかは、自分をどのような立脚点に置きたいのかをはっきりさせる意味でも一度は目を通すと良いだろう。

(14) 心の先史時代 (青土社)

ティーヴン ミズン (著)

人間の心はいかにまれたか?スティーヴン・ミズンは「元は個別用途進化させた認知機能が、文脈を問わず適用できるようになった」認知流動性により、高度に柔軟な我々の心が生じたと考える

内容は既にやや古いが、独創的な論考の面白さは色褪せない

(15) 行動理論への招待 (大修館書店)

佐藤 方哉 (著)

行動主義心理学エッセンスが詰まった本。絶版なので図書館で探そう。

「行動主義」的なもの見方は、認知研究では棄却すべき対立仮説として扱われることが多い。しかし、実際にはその対立仮説は多くの場合単なる誤解であり、藁人形を叩いているに過ぎない。

(16) 認知心理学有斐閣ニューリベラルアーツ

箱田 裕司 , 都築 誉史 他

比較認知科学は、動物心理学の中でも、動物認知機能を種間で比較し、その種差や共通性を描出する分野である比較認知科学実験では概念手続き認知心理学のものを援用することが多い

従って、認知心理学についてよく知るのが重要なのは至極当然なのだ

(17) キャンベル生物学(エッセンシャル版)

池内 昌彦 (監修, 翻訳), 伊藤 元己 (監修, 翻訳), 箸本 春樹 (監修, 翻訳), 道上 達男 (監修, 翻訳)

今日科学の分野間の壁はますます小さくなり、生物学と動物心理学をことさら区別する必要性も薄くなりつつある。

とはいえ原書版は鈍器のように重たいので、エッセンシャル版の方が挫折しないと思われる。

(18) カールソン神経科学

泰羅 雅登 (監修, 翻訳), 中村 克樹 (監修, 翻訳)

同様の理由で、自身神経科学を取り入れるか別に神経科学についてもどこかで通っておいた方が良いかと思われる。

そもそも、「動物心理学に固有」な方法論というのは現代にはなく、近隣領域連続的なつながりを持って成立しているのだ。

(19) 流れを読む心理学史 (有斐閣アルマ)

サトウ タツヤ (著), 高砂 美樹 (著)

心理学の成り立ちに関して、コンパクトかつしっかりまとまった本

歴史を学ぶと、どこかで役に立つ。物理学者エルヴィン・シュレディンガー言葉を引いておこう。

歴史は, あらゆる学問の中で最も基本的ものである。なぜなら、人間の持つ知識には、その成立条件や解決してきた問題や, 果たすべき機能が忘れ去られた場合, その学問的意義を失わないもの存在しないかである

サンキューシュレディンガー

(20) 視覚科学 (勁草書房)

横澤 一彦 (著)

別に動物研究の本ではないが、視覚についてよくまとまった本

視覚に興味があるなら、読んでおいて損はない。

(21) メイザー学習と行動 (二瓶社)

ジェームズ・E. メイザー (著), James E. Mazur (原著), 磯 博行 (翻訳), 坂上 貴之 (翻訳), 川合 伸幸 (翻訳)

学習完全に理解したマンになりたい人が必ず読む本。学習完全に理解したマンになりたいなら読もう。

次に読む本としては『オペラント心理学入門―行動分析への道』も良い本である

(22) 古典的条件づけの理論―パヴロフから連合学習研究最先端まで

入門レベルでは「犬とベルと唾液」くらいにしか教わらない古典的条件づけがいかに奥深く、理論的な探求に富んだ領域なのかが概観できる。例えるなら魔術書である

(23) 感じる脳 情動感情脳科学 よみがえるスピノザ (ダイヤモンド社)

アントニオ・R・ダマシオ (著), 田中 三彦 (翻訳)

これも動物研究者の本ではないが、ダマシオは身体性を重視する立場認知神経科学の方向を作った一人だ。

ダマシオは多作で、『デカルトの誤り』『自己が心にやってくる』など、他の著書も面白い。

(24) 盲目時計職人 (早川書房)

リチャード・ドーキンス (著)

進化学流布の急先鋒ドーキンス一般向け書籍。同氏がスリリングな筆致で進化について語る。

利己的な遺伝子』の方が有名だが、オシャレさでは『盲目時計職人』の方が上だ。

(25) 脳の中の幽霊 (角川書店)

V・S・ラマチャンドラン (著), サンドラブレイクスリー (著)

これの動物研究者ではなく、ヒトの神経科学者の本であるが、大変面白逸話がたくさん載っているので挙げた。

続編に『脳の中の幽霊再び』『脳の中の天使』も出ていて、どれも楽しく読める

(26) 鳥たちの驚異的な感覚世界 (河出書房新社)

ティムバークヘッド (著), 沼尻 由起子 (翻訳)

鳥にも我々と同じように目・耳が二つ、舌が一つ、皮膚には触覚受容器が備わっている。しかし、世界の見え方はまるで違うことがわかっている。彼らの感覚世界について、鳥類学者一般向けに語った本

(27) 実は猫よりすごく賢い鳥の頭脳 (エクスナレッジ)

イサンエメリー (著), 渡辺 智 (翻訳)

鳥の代表的認知研究について、各項目2p程度でまとまった入門書。どんな研究が、どのような方法で行われているのか、ざっと知るにはぴったりである

ちょっと邦題間抜けな感じがするが、原題は "Bird Brain: An Exploration of Avian Intelligenceである

(28) 脳科学と心の進化 (岩波書店)

渡辺 茂 (著), 小嶋 祥三 (著)

生物という視点から「心」がどのように形成されたのかを解説した本

まとめ方が独特だが、面白いことには間違いない

(29) 「つながり」の進化生物

岡ノ谷 一夫 (著)

動物コミュニケーションはヒトの「人間らしさ」について何を語るか?

元が高校生向けの連続講義であったらしく、大学生なら誰でも読める。

おまけ

(30) ご冗談でしょうファインマンさん (岩波書店)

リチャード P. ファインマン

ノーベル物理学賞を授賞した天才物理学者ファインマン好奇心に満ちた生涯について書かれた伝記

読めばきっと、未知への興奮と探究心、そして科学への憧憬が刺激されるに違いない

2019-03-05

同じ意味を持つ単語でありながらニュアンスの違いを感じる熟語

意外→驚き、予想外。中立的肯定的に使われるが否定的な使い方はあまりされない。

心外→予想外な意味でありながら、決まって否定的に使われる言葉

「意」も「心」もおなじ「こころ」を意味する漢字

他にある?

2019-02-04

「心」に「み」の音を当てるのはなぜ?

こどもの名前でよく見るんだが、なぜ「み」なのか。読めない。

2018-09-27

anond:20180925104434

そう読んだとしたら、申し訳ないが誤読しか言いようがない。三段落で私は、いま弱者とされている人の生きづらさを解消することが社会全体にとって「利」なのだ、という話をしている。福祉行政目的、そして、私がLGBTの権利主張に同調するのは、それが「社会全体にとって利があるから」=公益のためだ。

そもそも福祉は「かわいそうな人のためにみんなが損をして『あげる』」ために行うのではなく、社会全体に安心(セーフティネット)を与え、無意味偏見を取り除いて社会の風通しを良くするために行われる。それに対して、既存社会のありようをただ守りたいというノスタルジーから反対する(つまり偏見に基づく差別肯定する)のは、率直に言って社会悪だ、と私は述べている。そこでは主に保守主義的な立場から批判に対する意見として述べたわけだが、仮にあなた立ち位置リバタリアニズムにあるのだとしたらもう少し違った説明をした方がいいかもしれない。

あなたの「弱者の側が社会に損させてでも自分利益だけを求める」という捉え方、言い換えれば「福祉は『お上から下される憐憫』」的な捉え方に基づけば彼らへの支出を絞るのが「公益」となるのだろう。だが、政治行政とは慈悲ではなく現実に即して行われている。社会弱者へのセーフティネットもLGB支援も、徹底的に「公益」に適う視点で行われているのだ。

もちろん、社会弱者に手をさしのべることが公益となる根底には、人間他者への想像力、同情、などの心情が働いていることは否定しない。それはたとえば、孤島に流れ着いた10人の集団が生き延びようと努力するとき怪我をした1人の仲間をどう扱うか、という問題に似ている。あなた、あるいはリバタリアンは「安い同情はやめろ。こいつはもう歩けるようにならない。ただの足手まといだ。せめて崖から突き落としてやるのが慈悲だ。」と主張するかもしれないが、リーダーがそのように振る舞えば、そこは弱肉強食バトルロワイヤル舞台と化すだろう。だがもし「歩けなくても、可能範囲でこいつにできる仕事を回して、協力して生きのびよう」という意見を述べるリーダーがいたら? そこでは弱い人間安心して社会の維持に協力できるし強い人間も周囲との競争リソースを裂くことな社会全体に貢献できる。バトロワ化した集団後者社会、どちらがサバイバルに有利かは明白ではないか

福祉とは公益に適う視点実施されているのであり、それに反する意見は端的に言って社会である」というのはつまりそういうことだ。後者リーダーの下で我々が安心して働けるのは、確かに我々が想像力を駆使しているためではある。また、そのような想像力の働きは「同情」という形で現れるかもしれない。しかしながら、人間がそういう生き物である以上、それを前提に社会制度は設計されなくてはならない。福祉実施されなくてはならないのは、先のように社会を一つにするための徹底的にリアルな「公益」に基づいている。このような認識に立つとき…つまり個人善意などには信頼したり頼ったりしない」という冷徹立場の上に、福祉実施されるべきである、というリベラリズムが成立しているのである

もう少し言えば、「同情」という心情が生き物としての我々の「心」にセットされているのは、おそらくそれが生存に有利だったからだろう、ということもたやす想像できる。ほ乳類進化していく過程のどこかで「同情」という心性が生まれ特に集団形成するタイプの生き物の中で生存に有利に働いた。たとえば犬、ウマなどは「同情」するし、サルはもちろん深く「同情」する生き物である。そのように私たちは「同情」する生き物なのだ。「同情」によって数百万年の間、過酷自然生存してきた生き物なのだ思想理論に偏らず、このように人間という生き物そのもの性質を踏まえた上でなければ、現実に生きて働く政治形成することはできない。

2018-08-02

「心」だろ。

大切なのは

お前たちはやれ「論説」やら「マウント」やら「知識」やら、そういうのがネットで生きるので大切と思ってるようだけど、本当に大切なのは「心」だろ。

インターネットってさ、画面に絵や文字が踊るだけの世界からさ、言葉が力になると思ってるだろ。

でもさ、その言葉を作るってのは誰でもできるんだよ。

増田自分が猫だと思いこんでいる奴がいるけどさ、自分が猫だと思いこんでいるやつでも言葉は書けるってことだ。もしかしたら本当の猫だったとしても、猫でも言葉は書けるんだ。

でもお前たちは人間だろ?人間言葉というツールに頼ったら、そのツールをうまく扱えるAIが出たら人間に勝ち目はないわけだよ。

だってそうだろ。辛くて筋力のいる仕事をするのは人間か?いや、ロボットだ。ロボット人間ほど自由ではないけど「アーム」、つまり「腕」を手に入れたら。だから人間よりパワーのあるロボットは辛くて筋力のいる仕事人間よりうまくやる。そんなロボットに対抗して力をつける必要はないだろ?

ものづくり現場は、もちろん機械を導入できるほどの資金がないという場合もあるが、頑固な職人がいる場合があるだろ。彼らはロボットに対して何が勝っているのか。それが「心」だろ。「この道でずっとやってきた」というプライド、そのプライドから来る技術仕様に合わせて柔軟に作る、すべて「心」だろ。

から、大切なのは「心」だと口酸っぱくいっているんだ。

お前たちは言葉に頼っているから、すぐに「低能」だとか「今日も男は女叩き(その逆も然り)」とか「野菜350gと瞑想」だとか強い言葉を使う。

その言葉「心」は篭っているか

本当に心をこめて「低能」っていってるのなら俺はなにも言わないが、ほとんどの人が「低能と返せば強い」と反射的に「低能」と書いているだろ。

から不毛トラバのしあいになる。「心」がないから。

文字「心」を込めるんだ。そうすればきっと「低能」という同じ文字でも重みが違う。

心を込めて「低能」と書くんだ。

その事をどうか胸に刻んでいただきたい。

2018-06-19

ネタバレありでDetroit: Become humanの話聞かせてよ。

タイトルの通り。ネタバレありでデトロイトカムヒューマンの話をさせてほしい。

いや、ツイッターとかでさ、「プレイヤー同士で話をしてもストーリーが違いすぎて話が噛み合わない」って聞いたんだけどさ、私の周り誰もプレイした人いないんだよ。友達が少ない&コンシューマーゲームプレイする層の友人がいないっていうね。

みんなはどんなエンディングを迎えたんだろう?そんな話を聞きたいので、コメントお待ちしてます

以下私のストーリー

私の最初に辿った、なにも知識を入れずにたどり着いたルートは、

運命の分かれ道」時点で

コナー変異体を選びサイバーライフタワーへ。ハンクとも良い関係性。

カーラ…ルーサーを助けた上でバス停まで急ぐ。

マーカスジェリコメンバー全員生存の上で平和デモを画策。

というルート

基本方針として

犠牲を最小限に留める」

危険可能な限り起こさない」

「友好的アプローチを優先する」

という感じで道徳的に進めたつもりだった。

ここまで結構上手くいったつもりだったんだよ。こっからがまあそう上手くいかないって話でね。

コナールートはかなり私の好きなエンディングだった。

ハンクもコナー生存した上で変異解放ルート

サイバーライフタワーでのハンクとのシーンは何度見てもグッと来る。

息子の名前を聞かれた瞬間に、ゲームシステムルート解除の演出がいい味出してるんだよね。こういう何気ないゲームシステムが、演出に加わるの本当に好きなんですよ。今までのコナーとハンクの歩んだ軌跡はこの瞬間のためにあったのだと、そう感じられた演出でした。ハンクに殺されてたりハンクが殺されてたりするルートもあるんだろうな…観てみたいけど、最初に誰も犠牲にならないルートを見てしまったせいで悲しいルートへと向かうのに少し躊躇してしまう。

ところでコナールート、魂の夜でルーカスに殺されてたらどうなってたんでしょう?新型コナーによる機械のままルートで再開?

ルーカスも上手くいきましたよ。世論も味方につけて、ジェリコの主要メンバー生存の上で和平を勝ち取りました。

噂では結構アレなんですね、ジェリコメンバー生存は色んな人で別れるみたいですね。特にサイモンサイモン、私屋上で打たれたけどコナー操作時に変異体に殺されて操作中断してしまったためにサイモン、逃げ切れたみたいです。後日ジェリコに帰って来てました。

結局は、愛の力か!!っていうキス生存ルートでした。歌でも生存できるんですか?なんというか、歌の方が私は好みだったかもしれませんがキスにしちゃいました。でも、キスという2人だけの行動によって世論が動かされるよりも歌で、大勢で心を動かした方が美しいエンドのような気もするんですよね。これは完全に好みの話ですが。

でも、アメリカ映画っぽいな!って思ってしまった。愛は全ての根源、的なハリウッド思想

そしてマーカスは追い詰められるも、最期の瞬間に恋人のノースとキス。その愛の様子に心を動かされた大統領攻撃中止を命じる。

そこにサイバーライフから大勢アンドロイドを引き連れたコナーが戻り合流。

アンドロイドたちはその「心」によって、人々の心を動かし、共存への道を歩んだのであった…。

うーんいい話。

で、終わらないんすよ。

カーラ編がどうにも救いのないエンディングで。

どこが運命の決め手になったのかな、と思い返すとあそこですね。バス停に行くために、検問を迂回したのが悲劇伏線でした。

カーラ達はバスに乗れず、国境へと向かうことができなくなってしまいました。そこに現れたのがローズ

ローズ達は川を越えて国境を越えるためのボートを用意してくれていたのでした。

ボートに乗り、水を切り裂くように進むと近づいて来るのはカナダの街の光、自由の灯火たち。

アリスカナダでの自由生活想像しているのを聞いて、私もホッとしました。ルーサーからの問いにも、これからは穏やかに日々を過ごしたいとも答えたんですよ。

いやあ…薄々感づいてましたけど、まさか全部フラグとは…。

突如やって来たのが国境警備隊の船。

挨拶代わりの銃乱射にこちとらパニックですよ。

ルーサーは撃たれて倒れるし、アリスまで撃たれてシャットダウンまでのカウントダウンが始まってもうなにも考えられない。エンジンも捨てて、ルーサーも水へと沈め、向こう岸へと泳ぎボートを押すカーラ。

あの時のボタン連打ほど、私の想いのこもったボタン連打は無いだろう。

生きたい、生きたい、生きたい。

どうしようもなく力を込めてボタンを連打してしまった。

対岸へとたどり着き、アリスを抱きかかえるカーラ。その腕の中で、アリス一言だけ残して、シャットダウンをしてしまう。

その一言は、想像が付くかもしれないけれどぜひご自身の耳でお聞きください。

というわけでカーラ編だけカーラのみ生存ルートという一番過酷ルートになりました。いや、みんな全滅の方がまだいいよ…。カーラだけ全てを背負わねばいけないなんて過酷な…。

というわけで、安全な道を選ぼうとしたが故に、より大きな危険を歩まねばならず、結局はその危険から逃れられなかったのでした。

もちろん、全主人公で全員生存ルートを歩む方が美しく幸せなのでしょうけれど。

カーラ達があまりにも悲惨ルートを辿ってしまったけれども。

これはこれで、一つのお話として、綺麗に閉じているなと思ったのです。

世論も変わり、世間は大きく変わった。

その中心にいるリーダー達の周りには大勢の仲間とともに歓喜の声が鳴り響く。

けれどもその一方で、生きようと懸命に歩みを進めた母と娘は、結局は幸せを掴むことができなかった。

強者弱者世間個人、という対比が綺麗に成り立っていて、ルーカス達が喜びの声を上げるのを見た後だからこそ、カーラが密やかにアリスを看取る姿が一層惨たらしく胸を打つ。

私の選択では、世界を変えられたけれど、たった1人の女の子を救えなかった。

その、どうしようもない無力感が、胸に残るお話になったのでした。

皆さんはどう?皆さんは、どんなエンディングで、どんなことを感じたんでしょうか?

今、他のエンディングを探してループを繰り返している私に、こんなお話があるよ、とか、こんなストーリーでこんな風に感じたよ、とか、お話ししてみたいです。

ぜひ色々教えてください。

付記

その後私は、アリスを救う&全く違うルートを見たい!ということで

マーカス反乱、コナーアンドロイド、カーラはバスに乗れて国境へ向かうルートに行ったんですがもう完璧悲惨で、マーカスは反乱に失敗してしまうわ、カーラは誰も犠牲にせず審査官の良心に語りかけるも、反乱のニュース速報によって良心訴えも無駄になりカーラ達は国境直前で全滅、コナー最期マーカスを追い詰めるも、私がマーカスを殺すのをためらってしまい、そしてマーカス化学兵器使用デトロイト壊滅という最上級のバッドエンドになりました。

コナーはね。変異体を選ばなかったルートだけどどこか人間味のあるルートになりましたね。敵対することになっても、ハンクの過去を思いやり、マーカスのことを最後最後で見逃したり。

でもマーカス街爆発させるし(私が選んだんだけど)カーラ達も全滅だし(アリス最期言葉はどのルートでも変わらないのがまた苦しい)めちゃくちゃ鬱ルートになってしまいました。

その後、コナー変異体、マーカスデモ、カーラ国境ルートで誰も犠牲にしないエンドを見た時はめちゃくちゃに泣きました。いや、泣くでしょアリスとカーラがようやく自由を掴みとった姿。

何度も悲しい姿を見てたから本当に嬉しかった。こんな未来もあったんだな、と。

めちゃくちゃに長くなったけど、私のデトロイトライフはまだまだ続きそうです。

2018-06-08

anond:20180608140613

しかし、AIには「心」が無い。

心の強さで比べるならば、藤井7段とAIの強さでは明らかに藤井7段に軍配が上がるのではないか

2018-05-03

安倍昭恵氏参加、世界こどもサミットの胎内記発言関係者メモ

公益のために以下に記します。

http://world-childrens-summit.com/


小木曽健登「映画かみさまのやくそく」を見たことで、前世記憶を思い出す」

羽生すみれ「胎内記憶を持ち、生まれた時からかみさま」「天使さん」「お腹の中の赤ちゃん」「見えないけれど暖かく見守ってくれる存在」と会話する」

中塚彩葉「2歳頃、胎内記憶、生まれる前の事を話し始めた」

斉藤希望「小2の頃、突然胎内記憶を2時間くらい話し始めた」


パネラー

公立麹町中学校校長 工藤勇一

→ググったけど特に変な記事は見つからず。改革者として報道 https://gunosy.com/articles/RhSB7

参議院議員 二之湯武史

日本会議国会議員懇談会 あっ(察し

慶應義塾大学大学院教授 前野隆治

ポジティブ心理学幸福学は学術的な面も強いが、

霊魂脳科学から解明する 人はなぜ「死ぬのが怖い」のか』

無意識対話する方法: あなた世界の難問を解決に導く「ダイアローグ」のすごい力』

仏教科学発見した「幸せ法則」: 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』

ちょっとオカルトタイトルの本もある

大阪市立大小学校初代校長 木村泰子

特に見つから

三重県知事 鈴木英敬

龍馬プロジェクト所属

龍馬プロジェクト日本会議的な復古主義+「ロックフェラーロスチャイルドの~」みたいなセミナーの受講をしているという記事もあり。

http://ch.nicovideo.jp/amanomotoyasu/blomaga/ar1138157

池川クリニック 池川明

→胎内記憶が~!と主張する張本人


実行委員会クルー

安倍昭恵

ユニリーバジャパンホールディングス 島田由香

コミュニティ館湊 菅沼奏香

→「講演会 出口王仁三郎経済学 世界破局後の経済への処方箋方箋」

https://ja.eventbu.com/city/event/9311500

著者出口恒は王仁三郎思想により言霊学や医学天文学経済学などを統合したホント真実学門確立を仲間とともに目指している。

ひょえ~~~

司会

キングコング西野亮廣

→ お察し

後援 東京都千代田区教育委員会

協賛 公益財団法人孫正義育英財団

https://anond.hatelabo.jp/20180501230751

2018-04-29

anond:20180429215146

実は運動はそれなりに足りていると思われる。

最低週に1回はジム筋トレ水泳などをしている。

今日は前々からやってみようと思っていたマラソン(家の周りを走るだけだけど)もしてきた。

君の言う「心」のほうがむしろ不足しているとしか思えないが、簡単に埋められるものでもないしな。

2018-03-29

anond:20180327195310

本ひたすら読んだらいいんじゃない

あと、宗教あくまで道具に過ぎない。宗教家が言っていた中身こそが全て。

17世紀のデカルト以前は全部「誰かが言ったから正しい」の世界

から、昔は宗教世界のすべての知識を担っていたが、次第に科学検証宗教の取り扱う世界が狭まっていった。

と言っても、科学再現性が取れるように物事を取り扱うために、物事を細かく見るため、「心」のような複雑なものは苦手としている。

なので、昔宗教聖人たちが言っていたことがそのままいまでもつかえる

と言っても、自分の頭で考えて比較検討しないとならないけどね。

神への信心なんていらない。

というより、神というのは、自分の外のもの抽象的に取り扱うツールみたいなものだと考えてる。

例えば、なんか知らないけど山の木を切りまくったら洪水がいっぱい起こるようになった。

今でこそ植物の根の保水効果ということが言える。でも昔は原因なんて確かめようがなかったから、「山の神が怒っている」と抽象化して取り扱った。

神を大切にするというのは身の回りの人を大切にするのと同義

たとえば、今通りすがりの人を助けたとしても、それが必ず君に帰ってくるとは帰らないが、そうやって助け合いが当たり前の社会になれば、君が困った時に誰かが助けてくれるかもしれない。

というのを抽象的に取り扱ったのが「人助けをしてるのは神様が見ている」という現象だと思う。

2018-01-09

ライブで体を動かしたくない

とあるアーティストライブを観に行ってきた。クラシックコンサートはそれなりに行くことがあるのだけど、ライブ過去に2, 3回行ったことがあるくらい。この度は10年ぶりくらいのライブ参加であった。

というのも、そのアーティスト生の声演奏を聴きたいから会場に赴くのであって、自分が手を振りかざしたり体を動かしたり声を出したりするのにかなりの抵抗があるからライブは苦手意識があった。できればずっと座って音に耳を研ぎ澄ませ、演者の姿を目に焼き付けることに集中したい。

今回は、その苦手意識を超える程にそのアーティストが好きだったので、一念発起してチケットを取ったのだった。

そしてライブ開演。演奏が始まった瞬間に周りの皆が立った。そういうものなのかと釣られて立つも、曲の盛り上がりに応じて行われる手の振りや体を動かす気にはなれない。結局立っただけで(あとは曲の後の拍手くらい)、観客としてのパフォーマンス特に何もしないで終わった。

こういうライブ会場で観客としての統率された動きをしない人は、他のライブ参加者からすると内心迷惑だろうか、ノリが悪いと思われるだろうか。空気を壊すことに加担したくもないが、自分にとっては黙ってじっと聴いていることがライブを最大限に楽しむ方法なのだが…。

余談だが、ふと皆の手の振り方にもクセがあることに気付いた。忘れないうちに気付きをこちらにまとめる。

※なお、ここでいう「手の振り」とは、肘を曲げて手を頭の側面ないし上方に構えてから肘を伸ばして手を前に突き出す動きのことをいう。

■上段突きタイプ

拳をまっすぐ突き出す、オーソドックスな形。

砲丸投げタイプ

上段突きにやや振りかぶりが加わったタイプ

じゃんけんタイプ

最初は拳を握っているが、肘を伸ばしきったタイミングで指を開く動き。開く指もそれぞれで、人差し指のみ(鼻くそ飛ばし方式)が多数だが、親指・人差し指中指の三本(フレミング方式)、全部の指(水飛ばし方式三重の極み方式)など色々あった。

心配無用タイプ

厳密にはアレの動きの「心」に相当する部分を繰り返す「心心心心心」の動き。拳の状態から空気を鷲掴みにする素振りで、力強さを感じる。

パネリストに話を振る司会進行タイプ

手のひらを上に向け拳を緩めて突き出す要領。

阿波踊りタイプ

突き出すというより曲線的なしなやかな動きをする。見ていて拍が非常に取りづらかった。

砲丸投げの砲丸タイプ

突き出した拳あるいは手のひらが放物線を描いて下降していくタイプいまいちノリきれないのか、疲れてきているのか。

2018-01-04

うつ病とうまくやっていく、たったひとつの冴えたやり方。

ハサミの使い方を忘れました。

■ちゃんとハサミを使えたボクの話。

それまでのボクは、ケータイサイトを作るベンチャー会社でちゃんと働いていました。

その会社社長とボクとボクの友達で作った小さな会社

2000年誕生し、2007年には株式上場最初は4人だった社員も今では150人強に。そんな中でちゃんとした給料をもらい、取締役という役職ももらい、ちゃんと仕事をしていました。

かに、朝9時30分に出勤し家に帰るのは午前1時とか2時とかだったり、土日も出勤してたりもしましたが、「ベンチャー企業なんてそんなもんだよね。」と人からも言われ自分にもそう言い聞かせて働いてました。普通に

逆にそんな風に頑張っている自分が誇りだったし、「最近寝る暇も無い位忙しい」ってことが自分にとっては「美談」でした。

気づいていただけましたか??すべて過去形です。

そうボクがちゃんと普通に「ハサミ」を使えてた頃の話。

ここで一度考えてみてください。

あなたの「ちゃんと」って、本当にちゃんとしてますか?

あなたの「普通」って、本当に普通ですか?

■ハサミの使い方を忘れました。

意外と自分自身の事って自分ではわかりません。

「ボクってカッコいいのかなぁ?」とか「ワタシってかわいいのかなぁ?」ってのは、「誰か」と自分を見比べて、鏡の前で悩めばわかるかもしれません。

自分って健康なのかな?」ってのは、健康診断を受ければ解決します。

ただ、「もしかして、ボクって精神的におかしくなってきたのかも?」っていうのは案外自分では気づかないものかもしれません。

幸いにも(?)ボクには兆候がありました。

ある日突然「ハサミの使い方」を忘れたんです。

ハサミを見て「あ、これはハサミだ。」ってことはわかるんです。でも「何に使うものなのか?」ってことが分からないんです・・・

「何かの道具」だって事は覚えてるんです・・・

でも、「何のための道具なのか?」って事が思い出せないんです。

他にも「会社資料を作っているときに誤字脱字が増えてきた」「会社会議などスケジュールを覚えていなかった」「机の上に置いてあるお茶が、いつ注いだものかわからなかった」など、いろんな兆候がありました。

でも、なにより会社に行きたくなかった。社長に会いたくもなかった。

部下にも会いたくなかった。

この時期、会社でボクの身に何があったのかというと上司取締役が変わったことくらい・・・

その方は他社から転職してきた方で、もともとは凄くボクとも仲良くしてくれていました。

冗談を言いあったり、喫煙室で長い時間話をしたり・・・

ところが、直属の仲間になった途端そんな関係は造り物だったことに気付きます

喫煙室で顔を合わせると、不機嫌な顔をされ一言も口を聞くことはありませんでした。仕事相談すると「今忙しい。それくらい自分で考えろ。」と一蹴され、取引先に向かう電車の中で「あんたってこの会社に8 年間もいて今までどんな実績上げてきたの?何も無いんじゃない?あったら私の耳にも入ってくるけど。本当は社長あなたの事なんて要らないと思ってるんじゃない?」なんて事も言われました。

さすがにきつかったので他部署のAさんBさんに相談しました。

なんとなくですが、「社長が僕自身を鍛え上げるために、この取締役にそう言ってあるのかな?」なんてポジティブに思ってた事もあって。

今までの同僚としての距離感ではなく、取締役としての距離感で接してくれているから、こんな冷たい態度なのかな?って思ったか・・・

その数日後。その人に会議室に呼び出されました。

あなた、AさんとBさんに何か相談したらしいじゃない?」

その一言で目の前が真っ暗になりました。

信じていたAさんBさんもボクの味方では無かったんだ・・・

その真っ暗な目の前を真っ白にしてくれる一言がやってきます

「そんな事くらいで他人相談するし、仕事もできないし、あんたなんて生きてる価値ないんじゃない?」

『ボクはこの会社必要とされてない役立たずなんだ。』

『もうこの会社に居たくない。』

そんな気持ちがボクの心のすべてを満たしていきました。

家族にも相談し、近所の心療内科のドアを叩きました。

でもそれは、自分兆候(症状)を相談解決してもらう為じゃなく、会社に行かなくてよくなるように「診断書」を書いてもらうためでした。

そう。ハサミの使い方を忘れてしまったボクは、もう一度ハサミを使えるなるようになることよりも、いまの現状(会社から逃げ出したかったんです。

もう一度ハサミを使えるようになりたいなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。

■ハサミの使い方を思い出した今のボク。

最初に今のボクの生活をご報告します。

1年2ヶ月という長い休職期間を経て、この度元の会社復職いたしました。

精神的にも安定しています。まだまだ薬は飲み続けています・・・

でも、逆に薬さえ飲んでいれば普通に生活できるわけで、何てことはありません。

今だから思うこと・・・

うつ病になる前の自分生活には、絶対戻りたくないと思っています

あんなに仕事人間だったボクが、会社と上手く距離をおいて物事を考えています

趣味カメラを持って出歩いたりしています

今でも人混みは苦手です。

でも、そんな所に行かなくても生きていけるので不自由はありません。

そう。

今までのボクは会社100%依存していたんです。

特に趣味もなく、会社評価されること・会社仕事をこなすことだけが、ボクの生きがいであり、ボクの存在必要としてくれる居場所だったんです。

そりゃぁ、その会社からあんたなんて必要ない。」って言われれば、自分の居場所が無くなるんだからうつ病にもなりますよ。

今のボクは、趣味であったり、美味しい食事であったり、大好きな自然だったり、友達だったり、ブログだったり、いろんなところに居場所があります

から会社で辛いことがあろうが平気です。

逆に今の会社で無くてもいいやってくらいに思ってます

不思議と楽なんです。会社以外に帰れる居場所があるから

ライフワークって言葉があります

今までのボクは仕事ライフワークにしていました。

今のボクは仕事会社を「ライスワーク」と考えています

御飯食べるための仕事。要するに飯の種って事です。

それくらいに割り切ったお付き合いを会社人間関係に置いてみると、多少嫌なことも我慢できるのかもしれません。上司にガミガミ言われても、新しいカメラレンズを買うためなら・・・って。

では、ボクがここまで変わることが出来た経緯をご紹介します。

休職できた。

休職」ってボクの中では重病(骨折とか入院とか)の方しかできないと思っていました。

よく勘違いする人が多いのですが「うつ病心の風邪」って言う人がいます

うちの会社の総務の人も「うつ病心の風邪からちょっと休めば治りますよ。」なんて、気休めを言ってくれました。

ボク自身がまずは「うつ病は脳の病気」だと意識を変えました。

しかも外傷も見当たらない「脳の重病」だと。

だって、食欲もない・眠れない・何もする気が起きない・・・これって心(気持ち)でどうにかなるものでしょうか?

「心」なんて自分の体のどの臓器かもわからないのに、「心の病気」とか「心の風邪」って言われることが本当に怖かったんです。

だって自分じゃ治しようも無いわけですから

心療内科先生カウンセリング先生からうつ病は脳の病気です。」って聞いて、本当に安心しました。自分おかしなっちゃったのは「心(気持ち)」がおかしくなったんじゃなくて、脳がちょっと壊れちゃったんだなと。

しかも、ちゃんと薬があるのであれば、怖くもなんともない。何となく「心の病気」って言われると、自分自身おかしくなったように思っちゃって怖かったんです。もう元に戻らないような気がして。

ボクは胸をはって休職することにしました。

当然の権利だと思いました。会社ストレスで脳に病気を持ったわけですから。だから休職することに何の抵抗もありませんし、恥ずかしくもありませんでした。

最初診断書で「3ヶ月の休職期間を必要とする。」と記載してあったので、会社からは3ヶ月の休職期間をいただきました。

3ヶ月で治るんだと思っていましたが、治りませんでした。

そして、会社休職期間の限度である「6ヶ月間」に休職期間を延長してもらいました。

多分、6ヶ月で治りますうつ病になる前の仕事人間自分には。

ちょうど休職期間が終わる6ヶ月後の頃、会社面談を行ないました。

その時の総務の方の対応に疑問を覚えました。

毎回「調子はどうですか?」と聞かれ、ボクは「たまに、メマイとかします。人の多いところとかだと。」と答えます事実、今でもそうですが・・・

それを「明確な復帰の意思、どこに復帰したいか意思表示がありません。」と言うふうに社長や他の取締役に報告していたようなのです。

人混みでメマイやパニック障害を起こしている状況で「はい!もう大丈夫です!元の取締役として働かせてください!」なんて言える人はいないと思います

そして、そもそも根本的な疑問を持ったんです。

「あれ?ボクはなんでうつ病になったんだろう・・・。」って。

この時、自分の持っているすべての感情会社にぶつけました。

だって会社うつ病にさせられた」と思ったから。

もう、休職期間も終り自然退職自己退社)になるんだから、言いたいことは全部言ってやれ!って気持ちでした。

休職期間に入るとき社長から伝言で「休職は認めるけど、戻ってきたら取締役解任ね。」って言葉を頂戴してました。

それ以外他にも例の人から言われたことの全てを総務の人に報告し、「パワハラではないか?」と詰め寄りました。

そもそも、総務の人は現場で何が起こっているのかを知りません。

レベルで「こんな事いわれたらしい。」と言うことは聞いていても、他の取締役本人の口から伝えなきゃわかってくれません。

から言いました。

スッキリしました。

本当に。

今までのストレスを全部吐き出したんです。

今思えば、抗うつ剤副作用だったのかもしれません。

抗うつ剤の服用者が暴れたり言動が荒くなったりってニュースを見たことがありました。

今思えば、この頃のボクはそんな状態だったのかもしれません。

でも、今のボクは当時のボクを責めたりはしません。

自己嫌悪もしていません。

薬の力を借りていたとしても、自分の気持を汚い言葉罵声であれ会社に伝えられた自分を褒めてあげたいと思っています

だって、それだけストレス溜まってたんですもん。たまったストレスを吐き出させてくださいよ・・・

今までいっぱい我慢してきたんだから

今思えば、休職してすぐにストレート会社気持ちをぶつければよかったなぁとも思います。でも、そんな気力も余裕もなかったんですよ。

自分の気持を整理して、相手の言うことを理解し、自分の気持と照らし合わせ、思いを伝える気力と余裕を持つまでに半年掛かったってことです。

その半年間のことは正直よく覚えていません。

ひたすら寝て、きちんと薬を飲み、食べられるものを食べる。

人間として何とか生きている感じ。

でもきっと、気力を貯めこむ期間として必要半年間だったんだと思います

おかげで気持ち会社へ伝わり、会社の規程が「病気場合での休職は1年間とする」と変更されました。

ただこれに素直に感謝できるまであと半年かかりました。当時は当たり前だろって位に思ってました。

今思えば、ここからが本当の「闘病生活」の始まりでした。

■本当に自分と向き合った半年間。

一気にストレスを吐き出したボクは、やっと何かを吸収する余裕ができました。

からアドバイス聞いたり、本を読んでみたり、ちょっと難しいテレビを見てみたり、Twitterを始めてみたり・・・

やっぱり自分気持ち(想い)が自分の中に溜まっていると、人から何を言われても「そうは言うけど、ボクはうつ病だし・・・。」みたいな感じで聞く耳を持てなかったりします。

想いを全て会社に吐き出して、やっと「何か」をしてみようという気持ちになれました。

この想いの吐き出し方や吐き出し先は人それぞれだと思います

ボクの場合は「会社のせいだ」と思ってしまっていたから、会社にぶつけたまでで。

まずは何故自分うつ病になったのかをきちんと主治医カウンセラー相談し、答えを見つけることが必要なのかもしれません。

余裕が出てきたところでやっと気付きます

「うちの会社うつ病でこれだけ長く苦しんでいるのは自分が初めてだ。」と。そして、相手を思う余裕も出てきます

「もしかしたら、会社の総務人事の人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?だから、ああ言う対応しかできなかった。」と。

そこで1つの結論自分の中で出ます

「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と。

簡単に言っちゃいましたが、「そりゃぁ、仕方ないよね。」って考え方は、ボクの中に初めて生まれた考え方でした。

仕事人間だったボクは「何にでも白黒付ける」事を求められ、必ず答えを出さなければいけなかった。「仕方ないよね。」とか「どうしようもないよね。」で片付けることなんて出来なかった。

全てにおいて私生活でも白黒付けて生きてきました。

「この世にはどうしようもないことがある。」

それに気付き納得できたことは、これからのボクの闘病生活を大きく左右する出来事でした。

会社人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?」から「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と思ったボクは、「うつ病」について知ってもらおうと思いました。

せっかくなので会社の人だけでなく、全国の人にも。

うつ病を楽しんでみる。

ボクは写真が好きでブログTwitterをやっていました。

まずはブログTwitterで「自分うつ病であること」「うつ病の人ってこんな人」ってことをセキララに語ってしまおうと思いました。

本名会社名を明かした上で。

当然、ブログで「ボクはうつ病です。こんな生活を送ってます。」なんて記事を書こうと思ったら、自分生活で「あれ?」と思ったことを記録しなきゃいけません。

・ あれ?ボクは何でこんな事してるんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事を考えたんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来ないんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来なくなったんだろう。

この4つを思いついたときメモするようになりました。

そうすると何だか自分自分のことが面白くなってきたんです。

例えば、ある日「冷蔵庫サランラップ仕舞っている」事がありました。

朝、冷蔵庫を開けたら冷蔵庫サランラップが入っていたんです。

・・・あれ?ボクはなんで冷蔵庫サランラップ入れたんだろう?って思いました。

それをうつ病のせいにしてブログに書いてみたんです。

サランラップ冷蔵庫に入っていました・・・うつ病って凄い。」って。

そうしたらいろんな人からコメントを貰いました。

「あー!私もよくあるから大丈夫だよ!」

「疲れてるだけだよ!」

「冷たいサランラップって気持よさそう!」

などなど。

あれ?と思いました。

自分の変な行動をみんなが面白がってくれてる。

ちょっとでも人を笑わせる事ができるってことは、凄いことなんじゃないか

急に目の前が明るくなった感じがしました。

それから毎日その繰り返しです。

そこであることに気付きました。

自分の中で「変な行動や変な考えを全てうつ病のせい」にするのって意外と楽だって事に。

だって病気がボクをそうさせてるだけで、ボク自身おかしいわけではないんじゃないか?きちんと病気と向き合って対処すればいいだけじゃないか

これに気づいたときに本当に楽になりました。

今まで無かった「目標」ができたんです。

そして、このメモ主治医カウンセラー相談するときにも役立つんです。

この発見は本当に大きな出来事でした。

それからのボクは、「うつ病を楽しむ」生活に切り替わりました。

うつ病が恥ずかしいなんて気持ちはいっさいありませんでした。

「ありがとう」って言われたくなる。

そんな日々を繰り返していると、Twitterメッセージを貰いました。

ブログを拝見しました。ご想像の通り、ボクも若干うつなのです。薬も服用しています。でも、まだ公表できていません。ブログを読んで気持ちが楽になりました。ありがとうございました。ただ、それがいいたくて。」

別に誰かを幸せにしたいとか何も考えずに書いているブログに、「気持ちが楽になりました」って言ってもらえるなんて思ってもいませんでした。本当に嬉しかった。

ボクにだってかに勇気を与えることができるんだ。

こんなボクに「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだ。

本当に嬉しくて、夜中に涙を流しながら母親電話しました。

「生きてて良かった。」って泣きながら母親に話をしたことを今でも覚えています

それから他人から「ありがとう」って言われることをすれば、自分存在理由を見つけることができるのかもしれないと思うようになりました。

同時に、きちんと自分から「ありがとう」と言える人になりたいと思いました。例え、コンビニ店員さんであっても「ありがとう」って言うようになりました。外食したときお金を払って店を出る前に「ごちそうさまでした」って言って帰るようになりました。

しかすると、その事自体別に褒められることではないのかもしれません。

人間として当たり前のこと。

だとすると、なおさら「今までやってこなかった自分」を恥じるようになってきました。

そう「仕事人間で余裕が無く他人に『ありがとう』とも言えなかった自分」が恥ずかしくてしょうがなかったんです。

普段探してみると「ありがとう」って言う機会は思った以上に転がっています

それに気づかなかった過去自分おかしいんじゃないか?って思ったんです。

それが自信から確信に変わったときにハッキリと目が覚めました。

そして「うつ病になる以前の仕事人間自分になんて戻りたくない。」と。

自分に自信が無くなったときは。

はいえ、自分って何故こうなんだろうって、自信を無くす時はあります

そんな時ボクは、あまり褒められる事ではないのですが、見知らぬ誰かと自分を比べるということをしています

例えば、街でタバコポイ捨てしている人を見かけたら、「自分ポイ捨てしないなぁ。」って思えれば、その人よりも自分のほうが生きてる価値があるのかもしれません。

まりいい事ではありませんが、自信を持つことは出来ます

2017-08-11

リアル恋愛たかどうかに囚われてる奴は負け組

何をしたかじゃない、どう生きたかじゃない、どう感じたか、どう考えたか、そこなんだよ

そこを分からないまま体験の「形」にだけ拘っているうちは「心」を見失ったまま

2017-02-10

課金、思うこと。

8月中旬くらいから陰陽を始めた、まだまだ「若輩者」ですが、思うことを。

2月2日2月9日に開催された「同盟イベ」にて得られる報酬であるSR式神」が、現在開催中であるコンプイベの「天敵」になっていないという、何ともアタマの痛い仕様に、ギギギギギ。「前イベで報酬を得るために使った努力(時間リアルマネー)が報われない」んですよね。SRをゲット出来た時の達成感は、何だったのだろう。Lv30の同盟員にもSRが届くように、みんなで配慮して「SRゲットやったね!」の爽快感は、何だったのだろう。

ガチャは、(運営からしたら)美味しいですよ。「天敵当てるまでに3万突っ込んだ」も珍しくないでしょう。3万って、青瓶何本買えるんでしょ。

じゃ、そもそも「何でこんな(天敵持ち越し不可)状態になったの?」を考えると、おそらくですが「収益が上がらなくなって、搾りにきてる」んじゃないですかね。人がどんどん離れて行ったサービステコ入れは、かなり大変です。言い方悪いですけれど「そろそろオワコンを頑張るより、新サービス開始してユーザ集めた方がラク」とも思えます

もうこれって、負の連鎖

露骨な搾り上げ → 今までの層(優良顧客)が逃げていく → 過疎 → さらに搾り上げ → 「無料でないとはバカにしてる」層だけが残る → サービス終了

https://twitter.com/zolge1/status/811809574550315013 このツイートが身に染みる。

http://megalodon.jp/2017-0210-2018-33/https://twitter.com:443/zolge1/status/811809574550315013 ツイート見られない方のために魚拓

偉そうに書いている私ですが、ガチャ課金は基本やらないため使っても月額3000円程度。とても「優良顧客」とは言えません。でも「気持ち課金」ではありますサービスが終わってほしくないから、気持ち程度だけれど課金しています

プレイを始めたばかりで、まだ「自分に合うかどうかも分からない状態」にて、いきなり「課金しろ!」「ガチャをやれ!」はキツイでしょう。だけれど「数カ月以上毎日プレイして、ビタ一文払わない」層は、理解しかます。月300円でも500円でもいいから、存続して欲しいサービスには「気持ち程度」は支払ってもらいたいと、個人的には思います

キャリアスマホ持ち、本体月賦で合計1万円近くも支払っている」層が、なぜサービスには金を支払わないんでしょう?

しかしながら「少額課金ならしたいけれど、どーしても出来ない」層ってのもあると思います。例えば「ソシャゲに100円でも課金したら怒られる主婦」など。でも「大学生からクレカ持ってません><」だったら「VISAJCBデビットカードが使えるだろうから銀行で発行してもらって、300円でも"気持ち課金"してあげて!」と。

あなただったら出来ること」は、それぞれ異ります

どうしても課金が難しい人は「心」を使って下さい。「心」を使ってゲームを盛り上げて下さい。(ここでいう「難しい人」とは「ビタイチ金を払いたくない人」ではありません。)金は払っても、心が上手に使えない人居るでしょ?人をイヤな気分にさせて、ユーザを離れさせちゃったらどうなるのでしょう。

アクティブユーザ激減 = 過疎化 → 搾り上げへの加担

また負の連鎖。終わりの始まりです。「心」は上手に使えば、それはちゃんとした「武器」です。

長くなってごめんなさい。最後に。

https://twitter.com/extrose_xinei/status/829093070805143552

http://megalodon.jp/2017-0210-2040-06/https://twitter.com:443/extrose_xinei/status/829093070805143552 魚拓

良い時は「良い」声をあげましょう。そして今回のように「酷い!」と思った時も、声をあげましょう。

ちなみに。

PS4オンライン対応するのに、月額500円かかります本体購入、ソフト購入、PS On line加入500円です。だけれど、それって「高く」ないんですよ。「ある程度でいいから快適なネットワーク維持するためには、どれだけのコストがかかるのか」を考えてみるのもいいかもしれないですね。

#どーしようもなくなって、無課金には5歩走ると15秒広告とかになったら、ガチで「ビタイチ払わない人」は、文句言って辞めてくんですよね…。

2016-10-24

物心両面における幸福

一見別々のもののような言い方だけど、「物」の面が満たされてはじめて「心」の余裕などが生まれるのではないか

これを唱える人たちは主に経営者なんだけど、「物(≒報酬等)が満たされなくても心(≒やりがい等)が満たされればいいだろ」的なニュアンスで使ってくる。

要するに「無償奉仕せーよ」という、極めて浅はかなお題目しか聞こえなくなってしまう。

「物」と「心」、それぞれの「幸福」とはなんなのか、具体的な「定義」を尋ねたいものだ。

間違いなく、我々労働者が考える「幸福」と、経営者が考える「幸福」って食い違ってるぜ。

2016-04-24

死にたい」って気持ちが「頭」ではなく、「心」で分かったぜ!!!

研修医生活始まってわずか3週間。すでに無理だ。

過労死基準とかってレベルじゃない。

手抜きをする勇気もなかったが、自動的に無理になって。頭より体が動く。

病棟業務入院患者を診る)のが中心なので、カルテなんかも、前日のコピペで切り抜ける。

本気で診る患者と診ない患者は悪いがつけさせてもらってる。無理なんだもん。悪いけど、上級医は病棟にいない。外来とかやってる。実質俺一人で数十人の経過を見ている。

本当に著変がない患者なのかはわからないが。とりあえずそういうことにしてる。

完璧な診察は無理。知識もないし、完璧な診察なんてやろうとして教科書みてやるのは無理。

危ないものだけを除く作業だけして、もしかして急変したりしたら相当困る。

おそらく、患者が考えているような医療提供できてない。近くにお医者さんがいるところに住んでいる程度の認識くらいでちょうどいい。上級医が朝夕数分来る程度以上の医療なんて提供できてない。

っていうか、週1回はうったえられたら負けるような場面診てる。診てるけど、俺は悪くない、上級医や病院責任研修医は責められないだろうと思い込んでスルーしている。

  

家に帰っても、余裕で携帯に連絡来る。

病院用の携帯を持たされてるんだけど、平気で時間外に薬剤部なり、看護師からかかってくる。

  

一回も褒められてない。上司ありがとうとか、そういうのはいうけど、褒めることは絶対にない。

  

余談だが、俺は一度も彼女できたことがない。

当然看護師にも相手されていない。医者になったらモテるというが、その流れにも乗れなかった。

そのあたりの別の意味人生終わってる感もあるが、そういうのよりも目の前の生活のつらさがつらい。

  

もちろん、9時17時じゃない。建前はそうだけど、7時には病棟居て患者把握してるし、21時くらいまでカルテを書いてる。当直も週1回はあって、自分じゃ絶対見れないのに、診ている。

ショック状態にならなきゃOK程度の救急医療しか研修医はできてない。研修医提供するべきだといわれてるラインってのは、患者さんを次の日の朝までにショック状態にしないことだけだ。それすらできない。まともな医療提供できる確率はほぼ0.次の日までに医療ミスが出る確率は100%と思ってくれて構わない。

だけど、研修医しかいないから仕方ない。もちろん、危ないと思ったら上級医呼ぶよ。でも、その判断できるわけないんだよ。この前まで医学生だよ?尿管カテーテルなんて入れたことないし、点滴を入れることすらままならない。

やべーやべーと思いながら比喩でなく冷や汗と超絶なストレス抱えてやってる。

一般人が目の前で人がおぼれて助けてるくらいのレベルとほぼ変わらない。それが週2、3回は来る。そりゃ頭おかしくなる。

  

本当につらい。

だんだん仕事に慣れてきてはいるんだけどさ。

せいぜい俺のメンタルや体力ができる医者としての仕事は1日3時間くらいか。その3時間を消費しきらないために、休日出勤してカルテのまとめしたり、勉強したり、仕事覚えたりする作業

でも、全然追いつかないよ。

本当に、死にたい。きつくってきつくって頭おかしくなる。

また来週も月曜日だ。

2015-11-20

いい加減受け入れなければならない

友人に子供が生まれた。名前には「心」が含まれ「心」と書いて「こ」と読ませる。

例えるなら「増心」を「ますこ」と読むような感じだ。

遠いところの話と思っていたが、周囲に出産ラッシュが訪れる中で、とうとう身近にも来たなと思った。

個人的にこの「心」用法には違和感があって受け入れがたい。「子」でええやんと思う。

しか自分の子供でもなく、名付けの相談を受けたわけでもないので、とやかく言う筋合いはない。

「そう、増心ちゃんっていうんだね」で終わりだ。

言葉は生き物」だといわれ、ある言葉に新しい意味付与され、それがだんだん受け入れられていく。

今や「心」を「こ」と読ませ、かつての「子」に置き換えることは当たり前になりつつあるのだろう。

いちいち目くじら立てて「子でええやん」と言い続ける(直接言ったことはないが)のは野暮以外の何物でもない。

増心、かわいいではないか。もう受け入れなければならない。

与謝野晶心。

真木よう心。

萬田久心。

大丈夫。受け入れていける。

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