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はてなキーワード: 心身二元論とは

2023-04-07

anond:20230407133250

レスもらった増田は俺だよ。

でも言いたいことは横増田がいってたな。

 

性別社会的ロールである。それはいい。

だけど、「社会的ロール」の理解がお前は雑だな。社会的であることを、人工物であるとか、自然ではないとか、変更可能であるとか、強制力産物であって不要であるとか、考えてるだろ。

アリの巣が社会的であるように、社会的であることと、生与であること・生物として必要であることは、両立する。

 

お前がすげー昔から理論勉強して語ってるのは、わかる。

わかるけど、昔の理論のなにが批判されてきてるかは勉強してないようだな。

例えば、「ジェンダー」という概念は、20世紀アメリカ教育学の悪影響下にあって、実際より広く理解されてきたことがよく知られている。男の子武器を好きなのは社会的に影響のせいだってことにして、取り上げておままごと強制したりね? 実際には、多くの男の子武器が生まれつき好きだ。

お前の話からは、社会教育次第で、性別なぞ如何様にも変えうるみたいな、過去の間違った理論の影響が見て取れるな。

あと、唯心論の話もしてるな。心は実際には脳に存在しない、だとか。それも心理学の古い立場の一つで、脳科学の発展によって淘汰されつつある考え方だね。心は脳にある。少なくとも、脳の物理的病変で心の形態は変わってしまう。

唯心論は、デカルト心身二元論ベースなのでなんか論理っぽいし、、魂みたいなもんを想像させて受け入れてやすい、今でもたまに信じてるやついるけど、基本的にはもつ使えない考え方だ。ぶっちゃけ宗教だよ。

宗教宗教言うお前自身が、実は別角度の宗教を語ってるわけ。

 

ジェンダー界隈の人文学理論ってさ、明らかに生物がらみなのに、理系科学から切り離されちゃってるせいで、古典で学ぶと、そういう間違いが結構残ってるのよ、

現代はそういうとこ是正しようとしてるはずだけど、まあ俺やお前みたいな年寄りが、大学時代教科書で読んでたような理屈は、結構ヤバいと思っていいぞ。

社会活動団体パンフレットやばい。俺ら世代が作ってるから

 

別にお前の、全ての人が幸福自由を得ればいよね的な、結論部分とかに間違いって言う気はないんだが、途中の理屈が明らかに間違ってるんだわ。

 

2022-09-01

anond:20220901221353

心身二元論に傾きがちな西洋思想家女性的で心身合一論を好む東洋思想家男性的ということですかね(違う)

2021-07-21

anond:20210721093129

その二つを区別するのは、心身二元論の亜種じゃないか

社会精神が創るし、精神社会が創るだろ

2020-10-22

anond:20201022144845

単なる法的不平等を、人文学が先走って心の中の問題にしてしまったのが原因だな。

 

なんでそうなったかというと、心身二元論を元に考えてたので、心の中のことを教化で変えることができるという事実に反する前提が共有されてしまっていたからだった。

anond:20201022124139

苦しみは脳の活動と関連して発生しているかのように見える

 ↓

脳の活動止めれば、苦しみと関連しているように見える脳の活動も止まる

 ↓

脳の活動止めれば、苦しみは止まる

 

こうだよ。

心身二元論世界観採用した場合でも随伴現象説ならこれで苦しみは止められる。

2020-08-11

おっさんの余り皮_蛇足

女性社会進出が進んだ昨今においても、社会人として女性であることはそれだけで一つの特色のようなものでないか

それはメリットデメリットにもなり得るが、とき自分付与された消しがたい属性を鬱陶しく感じることもある

これは性別に限った話ではない

若さ、顔立ち、声の高さ、身長といった、肉体、つまり器の個性は否が応にも、我々と社会との繋がり方に影響を与える

我々は器の個性に縛られながら生きている

そして進路、就職、進退、結婚ーーといった数々の人生の岐路において「自分は何者か」「自分は何をすべきか」というアイデンティティ問題に直面する

増田は、出世結婚狭間で、自らのアイデンティティに悩み、これから生き方に悩む独身女性である

インターネット匿名に沈み込み、現実から逃避しようとしたある日、増田が手にするのは「おっさんの皮」。

社会における没個性象徴であるスーツ若い女性の増田にとって、強固に社会に埋没した存在である「おじさん」

この二つの合わさった「皮」は、悩むことに疲れた増田を「女性であること」から解放する

皮を着た増田は、社会では、若さ性別に起因した他者から評価、夜道や痴漢への恐れから逃れ、思うままに働く

そして、プライベートでは皮を脱ぎ捨て悩みの根源であった「女性性」を目一杯楽しむ

つの在り方を手にし、増田人生歯車は回り出す。何もかもがうまく行き始めたように思える

が、幸せ絶頂の瞬間、皮は増田と一体化し、増田は「女性」を失ってしま

おっさんとして手に入れた成功の代償は、若い女性として手に入れた愛であった

しかし、元の器を失い、おっさんになっても増田増田でなくなってしまったわけではない。彼氏から罵声を浴び、狼狽増田の「あっうっ」という情けない声。これこそが、完全におっさんに変化してしまった中年男性増田」の素の声であり、女性の皮では女性を演じ、男性の皮では男性を演じる不自由増田本来の姿なのである

ーーー

(あとがき)

アイデンティティ匿名性、若い女性とおじさん、心身二元論について考えながら書きました。自分自身から逃れたいという願望が叶ったとき、人は何を失い何を得るのかがテーマです。解説をつけてみました。

おっさんの皮(anond:20200810172511)

2020-06-10

anond:20200609170307

なるほど俺は基本哲学知識に基づいて書き込みしたけど、法学で言うところの「内心」は意味が少し違うのだろうか。

 

心身二元論に基づいている気がするが、考えてみれば、近代法現代ではなく近代にできたんだからデカルトの影響下にあるのも当然かもしれない。

2020-06-06

心の哲学」をまとめてみたよ

たとえば「女の生理痛は男が金玉を蹴られた痛みと同じ」という言説から考えてみよう。

これは冷静に見れば全然おかし言葉であることがわかるだろうか。

個人差とかもあるが、それ以前に「自分の感じる痛みを他人のそれと比較すること」はどうやっても不可能なのである

何故なら痛みという「感覚自体を、何らかの言葉や図表、量的な指標を用いて他人に伝えることができないからだ。

極端な話、自分の感じる【この】痛みという感覚が、他人の感じる痛みという感覚と同じなのかどうかすらわからない。

これがクオリアという概念だ。

自分の見ている赤が他人の見ている赤と同じとは限らない、と言う説明がされることが多い。

ところで質問なのだが、このクオリアという心的現象は、物理現象一種なのだろうか?

まり現在脳科学が発展していないために見えていないだけで、実際のところ「心の働き」と呼ばれるもののすべては脳神経で起こっているニューロンの発火や電気信号だけで成り立っていて、それらを完全に解析さえすれば上述のような「他人の痛みの比較」も可能だし、人が何を感じ、何を考えているのかといった心的現象も追うことができるのだろうか?

もしくは、意識感覚といった領域物理法則では縛られない世界にあって、ニューロンの発火だけでは絶対説明がつけられない部分が残るのだろうか?

あなた

  • 前者に賛成する→1へ進む。
  • 後者に賛成する→2へ進む。

1.心的現象物理現象一種だよ派

あなたは、意識感覚などの心的現象物理法則に則った現象一種にすぎず、人間技術力に限界さえなければ、いずれは脳神経学によって解き明かすことのできる類のものだと考えている。

しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは自由意志問題である

心的現象物理法則に則っているのであれば、あなたの「コーヒーが飲みたい」「あの本を読もう」「右足を前に出そう」といった意識はすべて、その直前の脳神経の物理状態から力学電磁気学などによって導き出される現象に過ぎない。

そうであるならばあなた意識と行動のすべては法則支配されており、自由意志などというもの存在しない。

あなたはこの考えを

  • 受け入れる→1-1へ進む。
  • 受け入れない→1-2へ進む。
1-1.

あなた物的一元論だ。

あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子分子物理法則にしたがって動作した結果であり、そこにあなた意志はない。

あなたがこの文章を読んでいることも、これからあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎない。End

1-2.

あなた物的一元論を受け入れながらも、自由意志存在肯定する。

すなわち、現代科学では解明されていない領域に、自由意志存在を受け入れる法則が隠れていると考えるほかない。

たとえば、量子力学説明する波動関数の収縮等である

あなた自由意志とはあなた構成する量子の揺らぎの別名であり、シュレディンガー方程式自在に操って、この文章を読むと言う物理行為を成し遂げているのだった。End

2.心的現象物理現象ではないよ派

あなたは、意識感覚といった心的現象には、ニューロンシナプス物理挙動だけでは理解しえない、物理法則とは別種の法則が働いている領域があると信じる。

しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは物理領域因果的閉包性問題だ。

物体物体に衝突して相互作用を起こす時、それは純粋物理世界のできごとであって、この現象に対して神や霊魂祈りなどが作用することによって物理挙動が変わることはない、と、多くの人間に信じられている。

これを適用するならば、心的現象物理実体である脳神経や肉体に干渉をおよぼしてその物理挙動を変えさせることはない、と言うことができそうだ。

あなたはこの結論

  • 受け入れる→2-1へ進む。
  • 受け入れない→2-2へ進む。
2-1.

あなた性質二元論だ。

あなたは心の存在肯定しながら、物理領域因果的閉包性をも肯定する。

すなわち、心的現象物理領域干渉されてもよいが、逆に物理領域に心的現象干渉することはできないと考える。

では、あなたが「コーヒーを飲みたい」と思って実際にコーヒーを飲むときあなたの心の動きが肉体という物理実体を動かしたことにはならないのだろうか?

すべての前提を整合させるには、こう考えるしかない。「コーヒーを飲みたい」という心の動きと同時に、脳におけるニューロンの発火という物理現象もまた起こっていて、それによって肉体が動作するという物理的結果を招いたのだ、と。

あるいは、心の動きと脳の物理現象は実は同一のものの二側面と考えても良いし、心の動きは脳の物理状態随伴して起こると考えても良い。

いずれにせよ、この立場を取るのであればあなた自由意志存在否定しなければならない。

あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子分子物理法則にしたがって動作した結果であり、その結果にあなた意志干渉していない。

あなたがこの文章を読んでいることも、これからあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎず、あなたの中に確かに存在しているその「心」は、物理実体に束縛された背後霊のようなものだった。End

2-2.

ここまで辿り着いたあなたには最後質問を投げかけたい。

あなたは、「物理実体」なるものが本当に存在すると信じているだろうか?

  • 信じる→2-2-1へ
  • 信じない→2-2-2へ
2-2-1

あなたは、心身二元論だ。

物理領域因果的閉包性なるものは、単なる科学主義者の経験則にすぎず、本当は心的現象物理実体干渉を与えて動作させることもできると考える。

今もまた、あなた霊魂という非物理実体は、あなたの肉体という物理実体操作して、画面をスクロールし、眼球を回転させ、あなた自由意志のもとにこの文章を読み、それについて何か考えを抱いている。

あなた自由尊厳はついに守られたのだ。End

2-2-2

あなたは、心的一元論だ。

あなたは、世界とは根本的に心の働きによって成り立っていて、物理実体物理挙動物理法則なるものはすべて心の働きがあなた自身に見せている虚像に過ぎない可能性を否定できない。

かにあなたの目の前にパソコンスマホがあるといっても、それはあなた視覚という感覚が伝えてくる像に過ぎないし、触れて確かめようとも触覚が同じことをするだけだ。

あなたは、パソコンスマホが目の前に「実在」すると断言できない。

あなたの脳は培養液に浮かび、接続された電気コードから絶え間なく信号を与えられている存在に過ぎないかもしれない。

もしくはそんなものもなく、世界などというもの根本的に実在しておらず、観念的な情報が漂っているだけの存在、それがあなたなのかもしれない。

今もまた、あなた自由意志は、あなたあなたの指であると思っているもの操作し、あなた文字であると思っているものを読み進める。

恐れることはない。あなた実体がなんであれ、あなたという意思主体存在すること自体は、他ならぬあなただけは絶対否定できないのだから。End

2019-11-21

哲学的ゾンビ

完全に物理状態が同じ人間ゾンビがいてゾンビクオリアを持たないということを想像できない、と物理学者が言ったとき哲学者論点先取である批判するのは論理としておかしい気がする。

なぜならばクオリアを持たないゾンビがいると仮定すること自体心身二元論論点先取となっているからだ。

哲学的ゾンビ論法論点先取のただのトートロジーではないのか?

2018-01-28

思想を使うことについて

思想とは、個人思考傾向をまとめたものである

たとえば、レイ○された人は魂の殺人ということになるが、被害者が信じていなかった魂の存在を信じるようになったり、

心身二元論者になるというのは私は信じていない。

まり被害者はそういった存在を信じるようになるのではなく魂という存在や、心身二元論被害をきっちりと表現するために使用しているということを想定する。

被害者レイ○されたことが十分に回復した場合に、魂の存在心身二元論を使う必要がなくなるだろう。

私は思想を使う有意義性を例をあげて説明したとおり理解している。

しかし、私はこの考え方には、いくつか問題点があると考えている。

そこで思想を使うという状態問題点を書いていこうと思う。

使うということは有効だということである

当然、有効でなければ使うことができないということを意味する。

思想を使って、もし間違っているのなら、簡単に取り下げられる。l

その思想を信じているわけではなく、一時的有効である思想立場使用しているだけだからだ。

そうなると問題が発生する。なぜ信じていない思想を正しいと思えるのかという問題である

思想を使うという状況を告白した時に回答は不可能だろう。

信じていない思想を信じているように振舞えるのはその思想

どれだけ目的を達成できるかで決まっている。

また、ここで次の問題が発生する。

目的達成の有効性が正しさを上回ってしまうことである

目的が達成されるなら一定の線引きはするだろうが、悪とされることを実行してしまう。

これらの問題は、思想を使うことの不都合さを表している。

思想を使う人たちの、事実を聞けないのであればなおさら思想を信じることと、思想を使うことの区別不可能だろう。

思想を使うことで発生する問題点を書いてきた。

もちろん思想を信じている人たちに問題がないわけではない。

しかし、現実の状況として、思想を使っている人の隠れ蓑思想を信じている人であって、

その逆が成り立たないのだ。

これらの問題からみて目的達成型の人間に関する注意点が確認できそう。

それはまた別の機会に考える。

2017-11-05

この世界仮想現実であることを示す証明

単純な心身二元論としての肉体と魂からなるという世界観は受け入れがたいけれど、

世界仮想現実であるという主張は否定しがたい。

この世界仮想現実であることを示す証明

https://www.youtube.com/watch?v=nv7WQqJLru0

2015-04-03

健全精神健全な身体に宿るかどうかは分からない

 それは我が国伝統の心身一元論の考え方だが、残念なことに、一般世界では心身二元論が通説であり、身体が腐っていても人工的に精神健全にできることはある。ただ実際に身体が健康な奴に守られてないと日本ではそれは無理という実情はある。

 
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