2020-10-16

好きなVtuber卒業する

私は特に熱心なVtuberファンというわけではない。活動を欠かさず追い続けている特定Vtuberがいるわけではなく、ましてグッズやイベント投げ銭などの有料コンテンツに金を払っているわけでもない。自分作業ゲームをするときBGM/BGVとして、また暇なときや眠れないときなどに気に入った配信者(Vtuberに限らない)の動画を流したりする程度だ。

そんな私がVtuber配信を見るようになったきっかけになった子が卒業するらしい。

彼女を知ったのはVtuberの身内のゲーム大会で、まだ1年も経っていないのではないか。その集団の中でも有名なVtuberを切り抜き動画で何人か知っている程度だったが、大会での彼女の快進撃には注目せざるを得なかった。

自身思い入れのあるキャラクターたちを相棒として選び、彼らを活躍させて勝つため対戦相手分析し、準備した結果導いた勝ち筋を通して勝利を重ねて行ったのだ。

彼女より登録者が多かったり、有力視されていたりする対戦相手に対しても勇敢に戦い勝利して行く姿は、見ている私をも熱くさせ、すぐに虜になった。それはかつてニコニコ動画などでも見ることができたような感動を思い起こさせるものだったのだ。

その後は時間が合えば彼女配信を見るようになったが、その雰囲気が心地よいものだった。

他のVtuberも見るようになったが、配信の回数を追うごとにVtuberなのか演者のものなのかよくわからなくなってくる人も見受けられる中、彼女彼女自身が考える見せ方にとても気を遣っていたように思う。

彼女場合も、どうしても演者パーソナリティ漏れしまうこともあり、私はそれも含めて好きだったのだが、彼女はそこを見られることはあまり好んでいなかったように思う。

また、私が知ったきっかけの大会に出ているように他のVtuberとの交流もありながら、流行に乗るだけではなく、どちらかといえば一定距離を取ることもあり、自分のやりたいことをして、視聴者とやりとりしつつ配信するスタイルも魅力的だった。

彼女卒業すると聞いた寂しさは、どう例えたものだろうか。

あるいは小学校ときに仲の良かった同級生が転校したときのような、清原引退したときのような、そんな寂しさだろうか。

しかし、同級生は25年経った今でも(おそらく)どこかで人生を送っていることだろうし、清原引退しようが逮捕されようが、「NoシャブNoライフ!」と叫ぼうが、その後に送っている人生を知ることができる。

より近い感覚としては、親が突然余命宣告されたとき、または少しの間会っていなかった友人が急死したときのそれかもしれない(画面の向こうのVtuberに対して親を引き合いに出すのはどうかと思われるかもしれないが、私は世間一般に比して親のことをあまり好きとは言えなかったので、まあ適当塩梅なのではないかと思ったのだ。)。

まりVtuber卒業とは突然の死なのだ。それについては過去に散々議論はされているものと思うが、私はそう感じた。「言葉」ではなく「心」理解できた、と言うべきか。

しかし、卒業の知らせがショックであった一方で、彼女「卒業」という選択をすることができたのはある意味幸福であるようにも思う。この業界(と言うほどに私は詳しくもないが)、突然の活動休止や謹慎、その後の引退契約解除になるケースも珍しくない中で、彼女自分の見せたいことをやりきった結果として、というかそれを完成させるために「卒業」へ至ったようにも見えるからだ。

活動の中で垣間見える演者の人柄を見るに、これまでの人生必ずしも順風満帆ではなかったのではないかと(邪推ならいいのだが)思えることもあった。それが良い方向に向かうよう努力している様子も伺え、内心それを応援していた私としては、演者人生がより良い将来に繋がってほしいものだ。

彼女とその演者彼女を愛した人たちに明るい未来のあらんことを願う。

  • 彼女じゃなくて、中身は汚いおっさんかも

  • 中国の犬なんでしょ?

  • 表向きの理由はちゃんとあるにしても、実際には金銭的な事情でも活動を継続しにくいな…という判断の後押しになる可能性は十分高く 引退するにしても金銭以外の事情で辞めてほしい...

  • 順風満帆ではなかった 劇場型の配信もゲーム実況のゲームタイトルも一般受けするようなものではなかったし人気を得るという面に於いては悪手しかしてなかったと記憶しているわ それ...

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