はてなキーワード: ユニリーバとは
俺をこの沼に引き込んだ元凶。身体と頭を同じ洗剤で洗っていいと言う概念に衝撃を受けた。
ほのかな柑橘の香りが爽やかだが、洗いあがりがさっぱりしており香りも残らない。
洗浄力はそれほど強くないが悪いとも思えない。強いワックスを落とすのは少し苦労するかなというところ。
髪の短い男なので、それほど気にしなかったが、髪がごわつく感じもそれほどしなかったと思う。
泡立ちが弱いので、使い始めた当初は洗っている感じがしなかったが、全身用シャンプーというジャンルは総じて泡立ちが弱いようだ。
しかし、じきに慣れる。そして慣れたころにはもう戻れない身体になっている。
ボトル一本と手ぬぐいひとつで、俺はたちどころに清潔になれるという万能感は堪らない快楽だった。
銭湯やジムのシャワー室に行くたびに、周りの人々を見て「お前ら、身体を洗うのにそんな大荷物が必要なのかい?」と歪んだ優越感に浸ったりもした。
とにかく身軽が嬉しかったし、浴室のモノが減って掃除も楽になったのも嬉しかった。
この蜜月を永遠に続けたいと願っていたが、昨年末に突如販売終了となり、俺の心に風穴を開けたのであった。
堪らない喪失感が俺を狂わせた。
AC部の狂ったCMに煽られて、俺はコイツに手を出したのだった。
最後の理性でレビューを確認したところ、普通のタイプは髪の軋みがスゴいとの事だったので、俺はもう「なめらかタイプ」しかないッ!!!と意気込んでドラッグストアに乗り込んだ。
無印良品の全身シャンプーより圧倒的に安い。これがこの商品の最初にして最後の美点だ。
安いので思い切って使える。しかし、流してもどこかヌメリが残る。これがお前の言う「なめらか」なのか?
そして、使い始めは何故か手の甲に発疹のようなものが少し出た。
でも、他にアテのない哀れな俺はとりあえず使い続けた。使い続けて分かったのは、やっぱり髪がごわつくという事だった。
そして匂いがキツい。フロ~~~ォラルな芳香が手ぬぐいに匂いが残る程であった。
どうしたものかと思いながらも使い続けていたが、梅雨の湿気でついにごわついた髪が制御不能(アウトオブコントロール)になり、もはや入浴なのか修行なのか判別できなくなったため使用を断念した。
俺は追い詰められていた。
髪と体は別々の洗剤で洗うという世間の風潮を拒否し、安住の全身用シャンプーを探し求めるまつろわぬ民 ――それが俺だった。
全身用シャンプーというジャンルはまだまだマイナーなようで、数多あるシャンプー・ボディーソープに比べると選択肢はあまりに狭い。
これまでの価格帯(1本1,000円程度)を外すと、次は1本5,000円台といった感じだ。
そして、1,000円クラスはやはりマイナーなメーカーでレビューも芳しくない。とにかく、キシつきは避けねばならない。
ボトルは150mlの小さいものしかなく、商品のwebサイトでもフィットネスやジムで使うことを想定しているようだ。
それでも、容量あたりのコストは無印良品並で個人的に許容できる範囲だ。
使ってみると、使用感も無印良品に近い。髪の軋みもそれほど気にならず、大分良い感じ。
香りはミント系で爽やか。もちろん、洗いあがりも良く、香りは残らない。流石ラックスと感激している。
願わくば、再び巡り合えた良き全身用シャンプーが終売の憂き目を見ないよう、こうしてささやかなダイレクトマーケティングに励んでいる次第であります。
特段のこだわりが無ければ、身体を清潔にするのは簡単なほど良い筈で、全身用シャンプーは簡易とクオリティを両立させるものだと思う。
もし、他にも良い製品をご存知の方がいらっしゃれば、是非とも教えて頂きたい。
http://world-childrens-summit.com/
小木曽健登「映画「かみさまのやくそく」を見たことで、前世の記憶を思い出す」
羽生すみれ「胎内記憶を持ち、生まれた時から「かみさま」「天使さん」「お腹の中の赤ちゃん」「見えないけれど暖かく見守ってくれる存在」と会話する」
→ググったけど特に変な記事は見つからず。改革者として報道 https://gunosy.com/articles/RhSB7
参議院議員 二之湯武史
→日本会議国会議員懇談会 あっ(察し
『無意識と対話する方法: あなたと世界の難問を解決に導く「ダイアローグ」のすごい力』
『仏教と科学が発見した「幸せの法則」: 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』
龍馬プロジェクト→日本会議的な復古主義+「ロックフェラーやロスチャイルドの~」みたいなセミナーの受講をしているという記事もあり。
http://ch.nicovideo.jp/amanomotoyasu/blomaga/ar1138157
池川クリニック 池川明
コミュニティ館湊 菅沼奏香
→「講演会 出口王仁三郎の経済学 世界大破局後の経済への処方箋方箋」
https://ja.eventbu.com/city/event/9311500
著者出口恒は王仁三郎思想により言霊学や医学天文学経済学などを統合したホントの真実の学門の確立を仲間とともに目指している。
ひょえ~~~
司会
→ お察し
自分は仙台に住んでいるんだけどさ、内陸だから3月の震災の被害は家が少し壊れるくらいで済んだ。避難所に行かなかったのだからかなりの幸運だ。
ライフラインは全部止まるし、クルマのガソリンだって残り少ない。食べ物が、いつどこで買えるかの情報戦も展開されていた。
ある日、朝7時から郊外にあるスーパーへ出かけて、その当時にしてみればかなり多くの食料が確保できた。
地元の人なら知っているだろう、震災のどさくさに紛れて、ぼったくりなんてしたあの店で。
これが人のやることか。この非常時なのに、考えているのは目先の金のことだけか。そう家族と話し、憤りを隠さずに帰った。
自宅に戻ると、電気が復旧していた。急いで充電器に携帯電話を繋げる。あの日、我が家にたどり着いてから間も無く、電池がなくなっていた。
数日ぶりに電源の入った電話に、次々とメールが舞い込んでくる。友人らが、安否確認のメールを送ってきてくれていた。
それらひとつひとつに目を通していると、一通だけ、毛並みの違う文面のメールが紛れていた。
「大丈夫だからね、みんな繋がっているから、日本は今、ひとつだから」
他の友人は、とにかく大丈夫?とか、あるいは自身は無事である、あの時は怖かった、などという内容のメールを送ってきていた。
文面としてはおかしくない。勇気付けようとしてこういうメールを送ったのだろう。
だけど無性に腹が立った。
ぼったくられたばかりだった。余裕がなかった。偽善の言葉のように聞こえた。東京に住んでいて、何でもあるのに、何を抜かす、と本気で思った。
だから、「メールをくれたのは嬉しいけれど、そんな綺麗事を抜かすな」と返信した。メールは戻ってこなかった。
それから数ヶ月が過ぎ、震災前とほとんど変わらない日常が戻ってきた。ニュースさえなければ、一日くらいは震災のことを全部忘れて過ごせるような気がする。
私の街は少し寂しくなった。空いていない店がまだある。建物がめちゃくちゃに壊れて、閉店した店も少なくない。
私自身も仕事が変わった。いつ切られるか分からないけれど、3月よりも前向きに過ごしている。
ついこの間、ちょっとしたことがきっかけで、例のメールをくれた友人のtwitterのアカウントを見つけたので、覗いた。
ぞっとしてしまった。なんか気持ち悪い。
震災のことばかりをつぶやいている。ユニリーバの募金のことは毎日欠かさずツイートしているようだ。
毎日毎日、震災のことばかりをつぶやいて、宮城が大変だとか放射能がどうとか、福島はかわいそうだとか、そんなことをつぶやいている。
愛とか平和とか、絆とか、積み重ねれば大きな力になる、差別反対、エトセトラ。半分くらいは誰かの言葉のリツイート。
こんなことは恐らく、普通のことだ。寒気を感じる自分がおかしいとは分かっている。だけど腹が立つ。私は被災者様なのだろう。津波に遭ったわけじゃないから、被災者でもないのだけど。
友人に哀れまれているようで嫌だった。本人はすごく力になりたいのだと思っているのだろうけど、頑張る方向が違うような気がする。綺麗事だけじゃ生きていけない。
低所得層にモノが飛ぶように売れる?
ttp://diamond.jp/articles/-/5306
日本の大手食品・日用品メーカーが、世界を視野に入れた「世界ブランド」に経営資源を集中させ始めている――という記事が、日本経済新聞で大きく紹介された(2009年12月20日付け朝刊)。
ロッテはタイに工場を建設し、菓子の「コアラのマーチ」を東南アジアで広く販売。花王は衣料用洗剤「アタック」やヘアケア商品「アジエンス」など7ブランドをアジア戦略商品に据えている。
いずれも、国内市場の冷え込みと縮小を受け、新興国を睨んだ海外生産の増強を目論むものだ。
しかし現在、さらに一歩先を行く市場展開が活発になっている。それは、これまでビジネスの対象とされなかった世界の低所得者層だ。
この世界で約40億人と推定される「新・新興国」のボリュームゾーンを相手とするビジネスは、「BOP」(ボトム・オブ・ピラミッド)ビジネスと呼ばれ、主に欧米の大手企業で注目されている。
このボトムとは、「1人当たりの年間所得が3000ドル以下の世帯」と定義づけられている(世界資源研究所と国際金融公社による)。また、BOPを最初に提唱したのは、ミシガン大学ビジネススクール教授のC.K.プラハラード氏とされ、1997年に「貧困層は援助の対象ではなく消費者。ビジネスで所得や生活水準を向上させるべき」と発表している。
BOPビジネスの成功例として模範とされる日用品大手のユニリーバ(英蘭)では、売上の実に36%をアジア・アフリカ地域が占めているという。
インドでは、小分けしたシャンプーや石鹸を約4万5000人以上の現地女性たちが農村部で戸別販売し、多くの世帯の経済的自立を実現させた。
日本企業もこれに追随している。味の素は現在、世界約100ヵ国に進出。インドネシアでは全土に約400組の営業チームを組織し、週に約10万店の飲食店を巡回訪問する。
フィリピンやペルー、ナイジェリアでも同様のモデルを展開し、同社の利益率は海外比率が半分に達しているそうだ。
また、スズキは1982年に参入したインドで、自動車会社「マルチ」と国営企業「マルチ・スズキ・インディア」を設立。同社はインド自動車市場でシェアの半分を占めるまでになった。
これらの成功のカギは、徹底した「現地化」を図り、市場に合った商品を作り、現地の人々と共に発展しようとする互恵関係を構築したことにある。成長性と収益性だけでなく、社会貢献性をも備えた新しいビジネスモデルと言えるだろう。
CSR(企業の社会的責任)の観点からも、企業ブランディングに非常に有効となるBOPビジネス、2010年以降の動向に注目していきたい。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに由来する、シュタイフ社などが製作するクマのぬいぐるみの総称。
おおぐま座になったギリシャ神話のニンフと、こぐま座になったその息子。
1980年開催モスクワオリンピックのマスコットキャラクター。
あずまきよひこ作『よつばと!』で、小岩井よつばが所有するクマのぬいぐるみ。
あずまきよひこ作『よつばと!』で、綾瀬恵那が所有するクマのぬいぐるみ。(3体)
2006年にベルリン動物園で生まれたホッキョクグマ。母熊が育児放棄したため、飼育係により育てれた。
ドン・フリーマンによって書かれた絵本の主人公のクマのぬいぐるみ。緑色のズボンをはき、デパートで誰かが買ってくれるのを待っている。
あいはらひろゆき作・あだちなみ絵による『くまのがっこう』の主人公のクマ。
マイケル・ボンドによって書かれた児童文学の主人公のクマ。彼が発見されたイギリスの駅名が名前としてつけられた。
イラストレーター森チャックが描くクマのキャラクター。爪が強調され、しばしば血まみれとなっている。
A・A・ミルンによって書かれた童話の主人公のクマのぬいぐるみ。
A・A・ミルンの息子が持っていたクマのぬいぐるみの名前の由来となった、実在のアメリカグマ。ロンドン動物園に
て飼育されていた。
日本ホールマークが展開する「ベアーズ・ウィッシュ」シリーズのクマ。
地上デジタルテレビジョン放送を推進するキャラクター「地デジカ」に対抗して、アスキーアートの「クマー」をモチーフに作られたキャラクター。
ユニリーバ・ジャパンからニッサン石鹸へ受け継がれた柔軟剤のマスコット。アメリカでの商品名はSnuggle。
セガサターン用ゲームソフトなどで展開した『サクラ対戦』シリーズで、アイリス(イリス)・シャトーブリアンが所有するクマのぬいぐるみ。
グリーティングカードの絵柄として誕生したクマのぬいぐるみのシリーズ。個体により色がことなり、腹部に虹やクローバーなどが描かれている。
神沢利子によって書かれた童話の主人公のクマ。以前は教科書に採用されていた。
スージー・スパッフォードが描くクマのぬいぐるみのキャラクター。腹部に赤いハートがついている。
トルストイ翻案・ヴァスネツォフ絵による『3びきのくま』に登場するクマ。(3匹)
合併前の住友銀行のマスコットキャラクター。「おはようございマグ」などのグッズが製作された。
アメリカのバンドGrateful Deadのキャラクターのぬいぐるみ。
ラドヤード・キプリング作『ジャングル・ブック』に登場するナマケグマ。
コンドウアキによってデザインされたクマのきぐるみのキャラクター。好物は団子。
当初は「ディズニーベア」としてディズニーシーに登場したクマのぬいぐるみのキャラクター。顔・足の肉球がミッキーマウスのシルエットになっている。
インドには、11億という膨大な数の人口がいます。その内、7億人が貧困層であり、大概は農村で貧しい暮らしをしています。そんな7億規模の村々に企業が市場を開拓し儲けようと活動しています。そもそも今までの農村は自給自足の生活で泥で髪の毛を洗い、火の燃料も泥を使用している村もありました。そんな貧しい村々にどうやって企業が参入、開拓したのでしょうか。2回に分けて書いていきたいと思います。
まず初めに、「ユニリーバ」という企業。ビジネスモデルは、シャンプーや石鹸などの生活必需品を小分けの袋に詰めて、1つ25円くらいで販売すること。やはり、貧困がゆえに安いことが条件になります。しかし、この方法でも欠点がありました。インドの村といっても都市部に近い村、完全自給自足の村、等々貧困の中にも格差はあり、この方法だと都市部の村人は購入するのですが、もっと貧しい農家たちは近くに店がないということと、根本的に石鹸で手を洗うとか、シャンプーで頭を洗う概念がありませんでした。それゆえ、都市部からほど遠い村人の購入は皆無に等しい状態でした。
そこでユニリーバはどうしたかというと、村の学校へ行き、特別授業として子供たちに紙芝居で石鹸で手を洗わないとバイ菌にやられるよ、だからユニリーバ石鹸で洗いましょうと教えたのです。悪く言えば洗脳ですね。しかも、テレビや新聞があまり普及していない家庭がほとんどですので、洗脳された子供が、家で親や友人に勉強したことを口コミし、より広まる事になったのです。
しかし、これだけでは石鹸を買いたくても店がなければ購入できません。そこでユニリーバは、地元の女性に販売員になってもらい個々人に直接売り歩く計画を実行したのです。外部からの情報が少ない村では共同体がしっかり根づいています。そこを利用したワケですね。
しかし、ここでもまた違う問題が発生しました。農村の女性たちは貧しいがために学校にも行けず、畑を手伝い、18歳くらいで嫁に行く人が殆どで、全く教養がなく販売員としてうまくいかなかったのです。そんな問題をユニリーバは徹底した研修と実践でビジネスをたたき込み、物を売ってお金を手にする喜びを教えたのです。これも悪くいえばマルチです。その結果、4万5000人くらいの販売員がインドの村々で仕事をすることになり利ざやを企業が稼ぐことになりました。
泥で洗っていた農村の人たちは、最初に無料で配られるシャンプーを使用すると、一発で依存し買い続けると言います。そんなビジネスモデルを開拓したユニリーバは、インドの貧困層をターゲットに習慣が変えやすい子供を洗脳し、販売員という地元の女性を使い、インドの貧困層7億人、年間購買力16万円、全体で25兆円ともいわれる大市場を開拓し膨大な利益を獲得しているのです。