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はてなキーワード: 80年代とは

2022-08-02

年寄りほど安倍国葬に反対する理由若い頃に反体制ってかっこいいと刷り込まれたか

年寄りが若かった頃、60年代から80年代にかけての日本が豊かだったので

反体制運動とかヒッピーとかフリーターとか、サヨクっぽいアンチ体制派自由に生きる俺みたいな生き方説得力ちょっとだけあった

当時そういう価値観かぶれていた連中が頭が良いとか、正しいとか、実力があったとか、自立していたとかではなく、

適当なことやってても社会に溢れる豊さが回ってくるのでなんとなく成立していただけなのだが、

年寄りはその事に自覚がないので、俺らの価値観は正しかったと思っていて、今だに若い頃かっこよく見えた反体制価値観

国葬とか政治的な大イベントアレルギーで反対しているだけだから、本当はちゃんとした理由などないのだ

俺らの価値観に沿わない、気に食わないからやめろと言ってるだけで、口先から出る理由は全て適当な付け足しだ

2022-08-01

おばさんのノリがいいなこれ

80年代TV番組空気を若干思い出すことができる

https://www.youtube.com/watch?v=imRDVI_Y9OQ

anond:20220727101527

80年代初頭の漫画とか読むとBカップCカップ理想的とされてたっぽいんだよね。

実際エロいマンガに出てくる女の子おっぱいもたいてい小ぶりだし。

いつから再現なくデカイ乳が出てくるようになったんだろうなあ。

2022-07-27

非モテ男性女性と付き合うということ

自分高校卒業するまで、女性と付き合うどころか、話をすることすら稀な、今でいう非モテだった。趣味マンガゲームオタクというほどに極めていたわけではないが、陰キャ陽キャでいえば陰キャであったことは間違いない。なので、恋愛に関する知識は、基本的マンガアニメで得たものしかなかった。

さて、そんな自分大学になんとか合格した。地方から関東大学に進学したため、知り合いは誰もいない。人間関係まっさら状態大学生活をスタートした。

入学式の日、サークル勧誘のなかを一人でうろうろしていた。80年代末、いま話題宗教系の勧誘も多かったが、どれが宗教系でどれがそうでないのかは当然わからない。変なのにひっかからなかったのはラッキーというよりほかない。たまたま声をかけてきてくれたのが、いまでいうオールラウンド系のサークルで、居心地がよかったこから、すんなりとそこに居つくことになった。女性も多く、男しかいない中高で辛い記憶しかない自分には、突然、異世界に放り込まれたかのようだった。

そんなわけで、すっかりのぼせ上った自分は、すぐに同じ学年の女性を好きになった。今考えても性格の良い女性だったのだが、いかんせん恋愛についてフィクションで得た知識しかないので、かなり歪んだ恋愛感情だった。自分勝手相手イメージを作り上げて、そのイメージを好きになっているという感じだろうか。リアル女性相手にしているはずなのに、アニメキャラと話をしているかのようにふるまってしまう。当然、会話は空回りするし、うまくいきようがない。結局、その女性と付き合うには至らなかった。

そこからしばらくは、ずっと彼女いない歴=年齢を更新しつづけた。サークルでも人間関係がうまくいなかくなり、他のメンバーともギクシャクするようになった。ただ、ごくわずかではあったが、仲のよい女性もいた。恋愛感情はまったくなく、話をしていて楽しいというだけ。ところがあるとき、その女性の横顔をみて唐突に「あれ、可愛いんじゃない?」と思った。客観的にみれば、それほどでもないと思うし、それまでは自分もそういうふうに見ていなかった。でも、世間的な基準とは別のかわいさというのがあるんだと知った。

そこでやっと、イメージではなく、ちゃん相手をみなくてはならないことに気づいたように思う。優しそうだとか、お嬢様っぽいとかそういうのではなく、話が合う、一緒にいて楽しい、そういう感覚大事にしたほうがいいということだ。そこからちょっとずつ間を詰めていって、数か月後にようやく付き合うことができた。

ただ、非モテなので、やはりイメージ的なものからは逃れられない。漫画だと相手と結ばれればそれでハッピーエンドなのだが、人間関係それからも続く。誰かと付き合えば、ずっと幸せ毎日が続くと思いきや、とにかく口喧嘩が絶えない。自分が持つフィクション的な恋愛観だと、どうしても相手を束縛しすぎてしまうので、すぐにギクシャクする。付き合ってからのほうが落ち込むことが多かったように思う。ただ、そういうしているうちに、だんだんと慣れていって、相手を縛らなくても気にならなくなった。

結局、何が言いたいのかというと、事前に変なイメージを詰め込みすぎると、相手をまともに見れなくなって、人間関係をつくるのがとても難しくなるということだ。

最近ネットでは、女性一般ネガティブイメージを膨らませている人をよくみるけど、あれも具体的な人間というよりイメージ相手に戦っているようにみえる。それをずっとやっていると、パートナーをつくるのはますます難しくなりそう。余計なお世話だと思うけど。

説教くさくなるが、他人と一緒にいるということは、思い通りにいかないことの連続だし、逆に思いもよらない楽しさがある。そこがイメージとの最大の違い。赤の他人と一緒にいるということはそういうことだ。

その後どうなったかといえば、いまも一緒にいるし、妻はとてもかわいい。もう50歳過ぎてるけどな。

anond:20220727080750

最近の流れを見ても、右派エコチャンバーでは自民党統一教会関係はあるけどそんなものは大した事じゃない、追悼の方がはるか大事、なのにパヨク政治的下心から大騒ぎして故人をキャッキャと侮辱して人の心が無いって方向に行ってる

既に明らかになった関係挨拶しただの数万円のパーティー券だのでは、80年代90年代統一教会がヤバさを経験してない人間にはどこが問題なのかぴんとこないのかもしれない

議員秘書100人情報漏洩ハニートラップに関わっていたというところまで行けばさすがに矮小化するのは無理だと思うけれども

2022-07-24

話題書籍の1章を読んだメモ

話題書籍を買って読みました。ひととおり読んだのですが、話題の1章を読みつつ取ったメモを、本が回収される前に置いておこうと思います

ちなみに最初電子書籍で読んだのですが、回収かもって話を聞いて紙も買いました。

以下にメモをそのままのっけるので、たぶん書籍と照らさないと意味不明だと思います


Web1・2のプロトコル

・Web1は「1970年代から1980年代」というのが若干謎ではあるが、この本ではそういう定義だとおもって受け入れる余地はあるか。実際、列挙されているTCP/IPSMTPHTTP最初RFCは70~80年代

HTTPWebサイトの「構築」をするものではない(Webサイトデータを取ってくるためのプロトコルである

レイヤー構造

TCP/IPの4層モデルとかOSI参照モデルとかを意識しているんだろうけれど、いまひとつWeb2とWeb3の対比ができていない。また、後段で「ブロックチェーンプロトコル」と主張する割に、このLayersにも「Protocol Layer」が存在しており、いまいち言いたいことが伝わってこない

・Web2 Layersの雑さは見ての通り。「中間レイヤー」としてなにを想定しているのかが気になるところ。「プラットフォーマーの上に載っている」という結論ありきで作られた図のように思える

データ通信方法

・Web1の例としてHTML/CSSWebサイトのことを提示しており、それはそれで正しいのだが、冒頭のWeb1は1980年代プロトコル云々というところと整合しない。

JavaRubyはわかる C++もそりゃあたくさん使われてるわけだが、この並びで出てくるのはちょっと違和感PHPとかは?

あとP2PはべつにWeb3独自ではない SkypeとかWinnyとか、クライアントサーバではない仕組みは2000年代からいくらでもある

ログイン方法

・このへんはあんま詳しくないのでよくわかんなかった そういえばログインIDメールアドレスを使わせるようになったのってなんでなんでしょうね

・この書き方だとSNSログインすると情報収集できそうに読めるけど、SNSログインを介したからって即ログイン先の情報プラットフォーマーが集められるわけではない

具体的なサービス

ブラウザのとこはそうだね~っていう感じだったが、Firefoxハブられてるのがかなしかった オープン云々のはなしをしたいならMozilla財団の果たした役割は相当に大きいと思うのだが、(この本に限らず)無視されてることが多い

OSの部分は突っ込みどころがいっぱいあるしスクショがバズったのですでに突っ込まれている

ここもLinux無視されているのが悲しいところ

プロトコルがどうこうのところ

あくまで例示で出てきてるだけなので本質的なところではないし、よくあるまちがいではあるのだが、POPはどちらかというと「受信したメールを取ってくるため」のプロトコルと呼んだほうがいいと思う じぶんが使っているメールサーバ(というかMTA)までメールが届くのはあくまSMTPが使われている 「プロトコルが一緒じゃないと~」という文脈で考えると、いったん向こうのMTAに到達しさえすれば、読み手POP3で受信しようがIMAP4で受信しようがどうでもいいわけで、例示としてあんまりうまくない

唐突にICMPが出てきてびっくりした 重要であることはまちがいないのだが、あんまりプロトコルの例」として出てくるとこはみないので

・後段で「Web3ではいろんなプロトコルがあるんですよ~」という話をするんだったら、ここでWeb3のプロトコルとしてBitcoinとEthereumしかさないのはなんか話が通りにくいのではないか

2022-07-22

anond:20220722183022

どの企業もチラシみたいなCMばかり

国が衰退するってこういうことなんだなと感じる

YouTubeにある80年代90年代CMのなんと豪華なことよ

ちむどんどん本日放送分がキモすぎてもうだめだ

見たくないんだが同居人が週間として朝飯時刻に時計代わりにつけているので見てしまっている…その場にいる全員でツッコミ入れながらだけど。

もうツッコむ気力も失せた。

吐き出しておきたいかちょっと書いとく。

ーーーーーー

沖縄とは何度か観光した以上の縁がなく民俗研究とかしてない身だけど、沖縄文化はご先祖様を大事にしてお盆は盛大にやる、くらいは知っている。こちらでいうお盆はウークイといい、旧盆の時期にやるのだそうだ。古来より盆暮正月帰省が許されるんだから、お母ちゃん再婚の噂で「すぐ帰る!」とかトチ狂ったこと言わすんでなく、ウークイだから帰ります、でいいんじゃねーのかよ。旅費高いから数年ぶりの帰省って感じにすれば当時の沖縄との距離もだせたじゃんよ。

ウークイは盛大にやる=準備が忙しいわけで、こんな時期に「だけ」遺骨収集にいくお母ちゃんっておかしいだろ…比嘉家なんも準備してねえな?お父ちゃんのお迎えとお送りしねえの?いや、自分ちが親戚全滅してたとしても近所のお手伝いとかあるじゃん社会から完全位孤立してんのか比嘉家。これまでの行いからして孤立してても不思議じゃねえけど。

そもそも山原沖縄の北のほう)からガマのある南部って片道移動に半日かかるぞ…。

で、石川家の嫁、なんで実家にいんの?ここんとこ娘の姿がねえな、どこにやった?海に沈めたのか?子役スケジュール押さえられないなら、子供出すなよ。

そもそも博夫は実家から出てアパート暮らしてんだから、そこに合流すればいいだけなのに良子が実家にいる理由はなんだ?実家に入れば育児は歌子に丸投げできるからだろう?「この子母親は私しかいない!」とか言ってたのは無かったことになったんだな。

だいたいそもそも、ウークイは毎年巡ってくるだろ?子供時代のお父ちゃん死んだ初盆子供に教える体でお作法とかやって、お父ちゃんとお母ちゃんの話をちょっとして「幸せになりなさいね」ってやればよかったやんけ。そしたら視聴者もウークイの勉強になり、ストーリーもなんぼか見られるかたちに積み上がったのに。30近い兄弟雁首揃えて、はじめてのウークイの体ではじめてお母ちゃんの昔話聞いてる体が不自然すぎる…気持ち悪…。

昔話パートでも、親戚探しにいくと言って、親戚の一人でもあるオーナーに親戚の消息を報告するでもなしにいきなり結婚して山原に住むと事後報告とか、お父ちゃんも大概だな。

そして沖縄戦の悲劇は合計30分未満の語りで終わって、ノブコとクズピコのラブシーンの踏み台にされただけだった。は?きも。海と三浦大和の歌で誤魔化しきれると思ってんのか?八百屋あんちゃんはもう退場なのか?オーナーの、メイレイハゼタイって要らんだろ。きも。

ただ、昔語りの2日間はノブコが「マサカヤー」「アリエン」と金切り声あげなかったから耳に優しかった。それだけは評価する。どうせなら顔映すのもなくてよかったかな。あの人声が良くねえ。あの子供っぽい喋り方はそういう演出なのか?厨房では髪を結べ、汚えな。

本土復帰50周年作品と銘打ってしまたか沖縄を使ったけど、沖縄文化を描くでもなく、本土復帰前後のもろもろの社会運動や復帰後の混乱を描くでもなく、ただ顔の濃い方言女子おっさんの考えるカワイイムーブさせたかっただけじゃねーか感。

料理とか取ってつけた感しかないし、イタリア料理について調べもしてない。食材ぶちまけるとか焦がすとかい寒いギャグの連発を見るに、製作陣は、食事エネルギー補給のエサとしか思ってないんじゃないか鶴見居酒屋下宿して、自転車10分の横浜寄りの小綺麗な洋食屋修行でよかったじゃないか

そして1970年代80年代前半の新聞記者様(エリート)は当時の鶴見なんぞには絶対に住まないので、クズピコノブコが同じ下宿=やりまくりですね!になるんだよ。あーあ下半身の相性が良すぎてステータスと金を持ってくるはずの婚約者切っちゃった、とな。

放送開始前に思い描いたのは、沖縄舞台にして綺麗な海や山原のモリモリの森やギンギンの太陽を背景に、地元食材を使って、戦争の傷を抱えた人々とともに食のアメリカ化に抗う沖縄料理食堂を切り盛りする物語だったのに…。なんでこんな…。

本土復帰前後は「二人のウルトラマン」で描かれてた。

2022-07-19

anond:20220719211406

80年代吉田証言から2009年民主党政権交代までの間について何も言及してないということは、増田は当時をリアルタイム体験しなかった40代かそれよりもっと下の年齢なんだろうな

記憶として知らない自分が嫌いなものを、わざわざ歴史として知る必要なんて無いのでは?

2022-07-18

サイレントヒルシリーズ1-3の説明

全部米国舞台 

 

サイレントヒル1

父親が娘をステーションワゴン(サイド木目=70~80年代アメ車代表)に乗せて走っていると、「その娘」が目前に現れスリップ事故

意識回復すると娘は消えていた。

娘を探して霧にけぶる古いリゾート地サイレントヒルをウロウロするが異形の怪物が現れ、やがてサイレンが響くと世界が真っ暗で錆びと血だらけの世界に反転。懐中電灯の視界だけで探し回る。

やがてこの異常事態の原因がサイレントヒルの土着カルト宗教にある事、娘の失踪に関わっている事を知っていく。

車の前に現れた娘’はカルト司祭の娘で自分の娘を儀式の生贄として使用し神を産もうとしていた。この為娘’は虐待され生死の境を長く彷徨っていた。

娘’は死に、半分が転生したのが娘だった。要するに娘はサイレントヒルの半身に呼ばれて行方知れずになっていた。

娘と娘’が娘++に合一化したのでカルトの秘儀は遂げられて神が生まれたがどう見ても悪魔しか見えない。

主人公がそれをブチ殺すと娘++が赤子を託した。ここは彼岸でこの赤子は此岸で生きられる転生体。これが3の主人公

 

開発陣が当時非常に寂れて廃墟だらけだった熱海(今なら鬼怒川温泉が近い)に投宿した際に構想されたという逸話がある。熱海静岡からサイレントヒル。また、熱海は急斜面にあり、坂を上った先の箱根は濃霧で有名。

サイレンが鳴ると錆と血と臓器が散らばる世界になるっていうのは映画ジェイコブスラダー』が元ネタ

 

サイレントヒル2

1とは違う物語で、病気の妻の介護精神を病んだ男が主人公

死んだはずの妻から手紙が届き昔二人で訪れたサイレントヒルに赴く。

常世界の景色登場人物精神投影されている。その為に艶めかしい脚だけの怪物などエロ悪趣味が合一された世界が展開される。途中に何度も底の見えない穴があり、そこに飛び込む。

その筋では人気のレッドピラミッドシングが登場するのもこれ。

強迫観念メタファが多用され、例えばレイプされ続けていた父を殺した女性にはベッドと合一化した男が襲い掛かり、その周りには常に火が見えている。これは贖罪意識である事は容易に判るが、主人公にも火が見えている。これによりどうも彼女と同じ罪を背負っていると察せられる。

ホテル主人公と妻の忘れ物とされるビデオテープを渡され、再生すると看護疲れた自分が妻を殺した事を思い出す。

過去が判ってくると妻の手紙白紙になってしまい異常世界で妻に再会すると殺害咎められ、これを打倒し、贖罪意識の元になっている妻を再度殺す羽目になってしまう。

カルトの秘儀を行い妻を再生する為に男は霧の湖ボートを漕いでいく。

 

サイレントヒル3

1の転生体が成長したJK主人公

JKイオンに居ると異世界突入白髪三浦瑠璃のようなカルト狂信者に遭う。

家に帰ると父が殺されていた。この男の邪魔で神の降臨が妨げられた、再び神を降臨させ神の国を作りましょう、サイレントヒルで待つと。

JK自分輪廻を絶ち、父の仇の狂信者をぶっ殺す為にサイレントヒルに向かった。

落ちていた週刊誌からJK生前の娘’が居たのはカルト二世収容する児童養護院で、教義に基づいた虐待洗脳が行われていた事を知る。

錆と血とグロと暗闇の異常世界で色々あってカルト教会に着くとさっきの女に会うが、身ごもっていた神が産まれそうになる。

しかしこれを堕胎すると女はこれを飲み込んで発狂、消し飛ぶ。

神が生まれたが、どう見ても神じゃない。これが神なら文鮮明メシアだ。神をぶっ殺してJK輪廻運命自分意志で断ち切った。

 

たかホラーゲームと侮れないのは、メタファが多用されているところ。

例えば同じところに戻ってきたり、怪物が丸いハンドルを回していたりする。これは主人公輪廻を表している。

日本TVしか見ない人には判り難いが、洋画を見る人には結構刺さるものがあると思う。

グラフィックは大変悪趣味グロで、懐中電灯廃墟探検をしていて何年もタイルに流れた血を洗わず腐っていて瓶漬け臓器が転がっているような地下の霊安室、解剖室を歩いているのを想像すると良い。錆と汚れと血が乾いた梯子素手で上るとか。怖いというより精神的に参ってしまう。

ストーリー的には自分意志で決着をつけるという物語なので怖さはない。

 

件の事件との関係では、親族の仇に復讐する、殺人で己の運命を断ち切るというのはありきたりな話だから特別関係はないんじゃないか

ただ、美術史には図像学イコノグラフィー)というのがあり、キリスト教美術のこの部分はこのモチーフを表すという暗号解読みたいな絵の見方があるのだが、そういうのに素養があると「あれはこういう意味じゃないか?」というのが気になる作りになっている。

ただ宗教教義の中でそういう勉強はないと思うので、特にインチキカルトである統一教会にもないと思われる。

ただ、2→3と連続でやると、強迫観念メタファが多い2を引きずったままでメタファ多用の3をやる事になり、強迫観念増幅効果があるかもしれない。

また運命を断ち切る当為最中カルト二世児童養護院での洗脳虐待が出てくるって事情はある。

2では底が見えない穴に落ちるという行為連続していて、これは哲学的投企を表している事明白だ。死を暗示する行為が今の自分からあらまほし自分への前進という訳で、ちょっとファシズムテロルっぽいところもある。

 

ただこの程度で事件を決意するなら増田もスコセッシのタクシードライバー見て殺人事件起こしてるはずなので、結構心を動かされた程度の可能性だと思われる。

80年代ひょうきん族とか

バブルのノリを築いた人たちって、70年代は暗いイメージだったんだろうか?

少なくともさんまさんはそのように語っていたと思う。

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-17

ホームビデオ最初に「今日は何月何日で◯◯の日でーす」と言わされるやつ

大人になって誰もそんなやついないしあれうちだけだったのかとうっすら疑ったがマーティ・マグフライもやってたか80年代文化だな

2022-07-15

anond:20220715085845

昔、80年代までに新しい宗教がとても広まったので、その勢いがこのまま続くと思われていた国があります

日本という。

2022-07-14

セクト法は80年代から

結局は暴対法の拡充で反社会的勢力をまとめて規制すればいいんじゃないかねぇ

適用条件の精査は必要だけど

教会ルーツ韓国にありますが、教会研究した歴史家によると、伝統的に教会の富の70パーセント提供していたのは日本でした。元日本の高位の教会員はかつてポストに、ムーン組織1970年代半ばから80年代半ばにかけて日本から米国に8億ドルをもたらしたと語った。

WP詳しいなあ

黒幕アメリカ

2022-07-12

anond:20220712105056

横だが、そこが微妙なところかと。もちろん現状を見ればロシアの脅威とその影響の波及を考えて防衛政策の変更は当たり前なんだけど、あくま経済力あっての防衛力からね。

冷戦期を見れば、米ソが軍事費負担に喘いでいる間に日独が目覚まし経済成長を遂げていたわけで、80年代には日米貿易摩擦も起きていた。その後、冷戦終結後には今度はアメリカ平和配当を受け取る番になってガンガン経済が上向きになった。

anond:20220712104814

80年代から90年代にかけて23区内に住んでオタク活動してたものだが、差別意識なんて感じなかったな。

それ、世間差別ではなく学校内のいじめ空気だったんじゃないか

2022-07-11

プロテスタント大学での統一教会の扱い

統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント大学での統一教会の扱いについて説明するよ。

https://anond.hatelabo.jp/20220710130132

因みに日本ミッションスクールイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。

 

プロテスタント校では統一教会絶対認定

 

日本の多くのプロテスタント教会統一教会と戦っているので、そのミッションである大学では統一教会活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない

特にピリピリしているのが学内での勧誘原理研偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。

 

もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、と強く警告を受ける。

曰く 

 

1.当該学生は呼び出される。

2.教会牧師教授の説得チームが構成され親を交えた脱会説得。親が田舎に居る場合でも大学に出てきてもらう。

3.「説得に応じない場合」という譲歩の想定は無し。

4.偽装サークルを作っていた場合サークル強制的に閉鎖、関わった学生は全て停学の上で上記1と2コース

5.停学の解除条件統一教会脱会のみ(勧誘しませんの約束ではない)。

6.断った場合例外なく退学。

7.偽装サークル主催者猶予無しに退学。

 

統一教会には絶対に接近されるな、勧誘されるな、勧誘する立場までになったら退学だぞ」と念押しされるんだな。

その結果、ミッション校では完全に原理研フリーになってて、学生統一教会問題というのは過去のもので既にこの世にないものと思っていたりする。それで、卒業したら統一がまだ現役で活動しているという事を知って驚いたり、逆に接近されても気が付かなかったりする。

増田卒業後にネット原理研の話を聞いて、あれってまだ現役だったモノなの?と驚いてしまったくらいだ。

免疫まで無くなってしまうのはちょっと考えものかもな。

 

熾烈な戦闘脱会運動

 

なんでプロテスタントミッション校でこんなに統一教会を徹底的に排除しているのかというと、過去に非常に戦闘的な脱会運動をしていたからなんだな。

統一教会国会などで問題になって盛んに報道されるようになったのは1990年以降なんだが、その前の80年代には霊感商法洗脳的な集団生活などが問題になって来ていた。

それで牧師たちがこの邪教から学生相談を受けた親の子息を足り戻す脱会運動をしていたんだがこれは説得とか生ぬるいものじゃない。何しろまず洗脳解除をしなきゃいけないから使う言語肉体言語込みになる。

 

1.まずターゲット道場や寮で集団生活をして宗教活動に励んでいるので、外に出るタイミングを見計らって路上などで親と牧師達で取り囲み、説得したり怒鳴ったり泣き落とししたり腕力で肉体的に説得して車に押し込んで連れ去ってしまう。その為には生活パターンの把握が必須なので張り込みもやる。

2.統一が身柄奪還の為に連絡を取りに来るので、家には戻さない。教会大学の寮に入れる。とにかく身柄を確保してしまう。

3.洗脳を解く方法は逆洗脳。寝かせずに説得、キリスト教教義の論争を仕掛けて全て論破しまくる、大声を浴びせて疲れさせる、急に泣き落とす、急に叱りつけてから急に話を聞いて心を開かせ過去自分を思い出させる。信者のせいで崩壊した家庭の事を説明してこの先の事を考えさせる。

 

こんな風に非常に強引な手法洗脳を解き、日常に復帰させる。その後のセミナーカルトなどの例を見ても脱洗脳はみなこういう方法を取るようだ。

だけど教団側も手をこまねている訳じゃない。こういう手段で身柄を取り返しに来る。

 

通勤通学路や家の近くで待ち伏せして「騙されているんだ帰ろう」と説得する。これは数度だけじゃなくて非常にしつこく、何年間、何十何百回も繰り返される。

人身保護仮処分請求

 

から教会とか寮とかの牧師達の目の届くところに住まわせる必要があるし、法廷闘争に対抗して弁護士を立てる必要もある。

牧師達は第三者なので親は仕事を休んで家裁に行く必要もある。

 

からネットとかで統一側に立って「信教の自由がー」「信者人権がー」って言ってるのを見ると悪いが鼻で笑ってしまう。

人権学校では「崇高なもの」みたいに教わるが法廷では誰もが主張できる武器である武器を掲げているからそっちが正義みたいに思い込むのは学校ホームルームであって、こっちは法廷である

本人脱会後で終わりじゃない

 

本人の脱会成功しました。おめでとう御座います…じゃない。その後も再オルグ対策は続けなきゃならない。

非常にしつこく信者接触しに来るので、本人の引っ越しは当然のこと、家族引っ越しする。その為に家を売り払う場合もある。

本人は何とか大学卒業する。そして遠方に就職する。友人も本人を追えなくする。交友関係が切れてしまうが仕方がない。

とにかく身を隠す為の生活余儀なくされるのである。まるで犯罪者だ。

実家引っ越しには親の転職も含む場合がある。だから相当の金も掛かるし、人生も変わってしまう。でも信者のままで霊感商法従事すると本人も家族人生なんて無くなるからずっとましである

 

オウム事件で非ミッションスクールにも飛び火

 

プロテスタント牧師達はこういう風に統一教会と戦って大学から排除していたのだが、他の私学、国公立では信教の自由の下で放置されていた。だから統一ミッションスクールから手を引いてやりやす普通の私学国公立オルグをしていた。

ところがオウム事件日本中を震撼させると学内でのオルグ問題になってくる。

そこで多くの大学方針を切り替えた。プロテスタント大学のように戦闘的な脱会運動や退学処分が当然のような方針ではないが、他のカルトと一緒に統一教会原理研勧誘注意喚起が出され、「原理研偽装サークルに注意!」と張り紙が出るようになった。

 

因みに1990年頃の大学改革米国式実学学部が人気になり、旧来の学部でも実学系の講義が増えたのだが、その非常勤講師自己啓発セミナー勧誘を行う事が問題になっていた。それも当時にそういう講師を学期途中でも解雇にするという形になったのだが、、、後にこれら自己啓発系は企業社員研修に食い込むようになってブラック企業隆盛の片棒を担ぐようになったのだな。

 

名称変更問題

統一教会1980年代末にはTVで大々的に批判されたので、こういう状況になると警戒されて学内勧誘が非常に難しくなった。

そこで統一名称の変更を言い出す。世界平和統一家庭連合通称:家庭連合だ。

因みに「家庭」っていうタームは、1990年代の保守陣営流行のようななのだ

共産主義親玉ソ連が無くなって自由主義陣営共産主義陣営の戦いという「歴史が終わっ」って戦う相手がいなくなってしまったせいで、陣営としてバラバラになってしまった。運動の核が無くなっちゃったのだな。それでマルクス主義フェミニズムなんかが家族という制度攻撃している!家族父性大事にしようっていう風に再び集合するためのテーゼを共有したのだ。この時、この家族大家族なのか、戦後核家族なのかは敢えて問わないようにした。

 

この名称変更を文化庁はずっと拒否していた。理由偽装勧誘の為なの明白だから当然な対応である

これを第2次安倍内閣下村大臣時代に通してしまった。

これまでの経緯を見るとかなりヤバい事をしたと言っていいだろう。牧師らの長い戦闘脱会運動オウム事件で流れた血の果てに統一勧誘名指しが無されたのにその効果をパーにしてしまった。

 

日本保守プロテスタントの折の悪さ

保守派の論客自民党議員カソリック信徒の人は多い。日本ではプロテスタントが専ら優勢なのに奇妙だ。

それは、以上の経緯で日本プロテスタントがかなりリベラル寄りになっているって事が原因だ。

そもそも統一信者霊感商法家族崩壊という社会問題化を封じてきたのは反共議員達であって、憤怒の的だ。

反共議員が多いのは自民党だったが、社会党にはもっと濃度の濃い反共議員がいた)

そういう事情が影響していると思われる。

から日本プロテスタントが左寄りだ!っていうはそうだと思う。

だが、ネットで「日本プロテスタント共産主義!」とかいうのを見る事もあって、そういうのを見ると「ああ、やってるなぁ/誰の影響か知らずに居るんだろうなぁ」と思うのである

2022-07-10

anond:20220710193215

別に俺は素人で詳しくないけど

1.80年代から統一教会霊感商法社会問題になってワイドショー統一教会報道ピークは92年の桜田淳子合同結婚式。完全にアレなヤバい宗教と定着したが、オウムテロ事件で影に隠れてしまった。90年代後半からは登校時間ゲリラ的に学校前で「純血キャンディー」とか配ったりして政治で「過激性教育」とか問題にするのと歩調を合わせ二度と叩かれないようにロビー活動により熱心になってった。どっかの東スポが「現在コンプライアンスが強化されてる」とか書いてるけど霊感商法トラブル10年代でも頻発している(例:https://anond.hatelabo.jp/20220710213029

2.韓国では統一教会プロテスタントでもカトリックでも異端韓国wiki韓国での統一教会温度が少しはわかるだろhttps://namu.wiki/w/%EC%84%B8%EA%B3%84%ED%8F%89%ED%99%94%ED%86%B5%EC%9D%BC%EA%B0%80%EC%A0%95%EC%97%B0%ED%95%A9#s-15

2010年代後半に台頭したウェーイ系ヤンキーに憧れるキモヲタ害悪さは計り知れない

陽キャ陰キャ」という言葉を使って驕り高ぶり、ネット芸人評論家アピール、エセ関西弁ナンパ師気取り、pornhubを見て深夜番組のノリで騒ぎ、K-POP・鬼滅好きで流行乗ってるアピールゴミ

ウェーイ系ヤンキーキモヲタの正体は、郊外から地方にかけて生息するヤンキーになれなかったヲタクだ。世代的には今の小学生から20代である

スタミナ太郎やラウワンの駐輪場部活の先輩に貰ったAVパッケージ持って「ウェーイ!!これクッッッソエロいわー」とか言っちゃう集団である

彼らの価値観では芸人を知っていればリア充という異様さなので、ネットでも「1周回ってあのイキったハネがほんま最高やんなwうちかて尺巻いてー!ゆーてドチャクソバリ盛り上がって昨日は眠れやんかったわ」と芸人用語関西共通語を織り交ぜてリア充アピールしてしまう。冷静に考えてダサ過ぎる。

80年代90年代世代(今の40, 50代)と全く変わらない。文化の中心にダウンタウンとんねるずがいて、アイドルグラビアが大好き、「おれっち昨日ギロッポンでシースー食べたんだよね〜(笑)ユーもザギンに行っちゃえばいいじゃ〜ん」とギョーカイ人ぶって関東共通語アピールするところが。

ギョーカイ人ぶる馬鹿世代から世代へ受け継がれていることを考えると、深刻な社会問題と言える。彼らは世界の恥で、日本全体の文化にも大きな悪影響を与えている。日本低俗人間がこれを恥じないといけないのと、メディアが変わる必要がある。

2022-07-08

酒鬼薔薇聖斗呪い

80年代前半生まれの彼ら。

かつてキレる17歳と呼ばれた彼ら。

その呪いはいつまで続くのか。

酒鬼薔薇聖斗

ネオ麦茶

加藤智大

金川真大

片山祐輔

そしてまた一人・・・

山上徹也

この「最悪の世代」に課された呪いは一体いつまで続くのだろうか

anond:20220708150612

そら、30代は多少は80年代の抑圧がマシになってる世代からな。

幼少期は抑圧、その後は平成不況就職氷河期さらデフレ非正規とか40代かわいそすぎ。

1947年から1980年までは参議院選挙全国区というのがあって、作家など著名な文系議員になっていた

60年代までは鬼丸義斎(娘は最高裁判事になった)や、石原慎太郎など強力な右翼当選していたが

70年代社会党系が盛り上がって中山千夏無所属青島幸男などが当選するようになった

するとなぜか社会党割れ選挙制度も改変され、自分選挙権持った頃には全国区はもうなかった

2000年代は著名な作家議員田中康夫ぐらいか

80年代には文系コピーライターという亜種が現れ、企業支援しはじめ、フワフワ景気感を演出し、バブル崩壊を招いた

以来、経済は衰退

ということで、人が苦しんでいる原因は社会的に何なのかを描いて見せる作家には、社会的重要役割があるように思うが、今や洞察力のあるような著名作家そもそも少なく(幻想文学コピペ判決文はあるが)

ドキュメンタリー作家週刊誌記事書き手はいるが、だいたい一つの事件を追う作品になるので物語作家とはやや異なる

現代文化では、漫画アニメゲームラノベ絶対的主流というわけでもないと思うが、情報は日々ネットに溢れてライン投資取引に忙しく、本はあまりまれてないのか?

個人的には世界の中の日本史全般に注目していて面白い本いかなーと思っているが、その分野の作品は、これもまたほぼ論文形式

一方、大河ドラマなどは偏りすぎていたり端折りすぎていて、ただの神話のようだ

国際関係論文英語(なお英語文献は、途上国に対する欧米企業の影響は書かれているが、欧米政治の影響はあまり書かれない)

最近ロシア問題武器市場が活発だというので、そのあたりの金融ドキュメンタリードラマがあったら、不謹慎だが興味あるかも

ついでに

英米や独日の親露中派が、どんな活動をしてきたか

ドイツナチス過去があるから何が起きてもロシア敵対しないようノルドストリームを推進した

変わりにドイツ系の多いアメリカや、英国と元英国カナダ紛争を煽っている

島国は大きくても国境防衛が楽で海軍損害保険優遇されるだろうし、国民も抑えやすいのだろう

そして直接の被害住民存在しない海上と金融の戦闘は、ほぼ報告書のみのブラックボックス取材しにくい

サンジが追われるほど

と思ったところだった

2022-07-07

ストレンジャーシングス シーズン4をこき下ろす(含:ネタバレ)

Stranger ThingsはS3までは、Huge Fanて程じゃないけど普通に好きなドラマだった。でもS4、てめーはダメだ!

何がダメって、とにかくストレスが強すぎる。嫌な事しかない。良い事は嫌な事に対してほんのちょっとしかない。

話を大きくしたか被害ストレスも大きくなるんだろうが、それでも俺にはやりすぎとしか思えない。

災難なんてレベルじゃないエル(とマックス)

メインキャラクターの一人、エルは特にひどい目にあわされ続ける。学校いじめられ、久しぶりに会ったボーイフレンドにも嘘をついて誤魔化しギクシャク、挙句の果てに傷害事件まで起こしてしまう。失った力を取り戻すために悲惨トラウマとなってる過去をほぼ強制的に見せられ、やっと仲間と再開して心から笑顔が出るのが全9話中第8話のラストしかも悲しさ混じりで、笑顔時間ほんの数秒。最終話でもすべてが終わったあとのエピローグというか、次シーズンへの繋ぎシーンで笑顔を見せるが、S4全部で782分、9エピソードあって最後5分はスタッフロールから45分引いたら737分。12時間以上あって、最後の25分までずっと酷い目にあいっぱなし。

24 -TWENTY FOUR-ジャック・バウアーとか、(性別関係無く)大人ボッコボコにされてコテンパンにされ、なんとか最後勝利するってのは、勿論ストレスはあるにはあるが楽しめる。でもダメだ、未成年がここまでボコボコ精神的にも肉体的にもやられるのは楽しめない。よほどひどい業でもあるのなら話は変わってくるが、エルはそういうキャラでもない。勿論業がないわけではないが本人の選択によるものというよりは境遇によるある程度仕方のない物だからだ。これは今シーズンシーズンボスヴェクナのターゲットとなり酷い目に遭い続けるメインキャラNo.2マックスも同じだ。

それなのに12時間もずっとエルがしんどい顔してるのを見せ続けてくる。どんな拷問だよ!

ちなみに1~7話が第一部として5/27に配信、8,9話は第二部として7/1配信だ。つまり7/1までエルが心から笑うシーンは無かった。

マックスも笑うシーンがあるのは8,9話だけじゃないだろうか。彼女の方はエピローグでも意識不明の重体だが。

自分の命を狙ってきた兵士とはいえ、エルが自らの意思で「殺人」してるのもしんどい。多分死んでるよな?あのヘリにのってた兵士狙撃銃持ってエルを殺そうとしてたんだから正当防衛ではあるんだろうけど……銃が身近ではない日本人的には理解はできても納得しがたい。「正当防衛」なら一切の業、カルマなぞ発生しないって割り切れるの、アメリカ治安が相当悪い所に限られるのでは。

ヘルファイアクラブ

1話でまず視聴者が見せられるのは、キレキャラっぽいエディがマイクやダスティンに、TRPGキャンペーン重要セッション(ドラマに例えるとシーズンエピソード)に出られないルーカスの代わりを探してこいとパワハラかましてるところ。意図したのかどうか分からんが、少なくともS1~3までメインキャラクター達が遊んでた対等さはない。高校クラブならそんなもんだっていうならそれでもいいけど。自分がつるんでたオタ仲間、先輩風吹かせて圧力掛けてくるような人ほんとに一人もいなかったんだよね。高校時代は先輩とのそういう付き合いなかったし、大学時代の話でそれも2桁はいないんだけどさ。自分幸運すぎただけなのか?それにそもそもTRPGで1人たりないかプレイできないなんてそんな馬鹿な話ある?って論点もある。

実はエディも悪い奴じゃない。1話最後の方で一緒に楽しく遊んでる姿は描かれてはいる。


これが楽しい日常最後のシーンで、この後1話ラストからひたすら重たい話が続く。

インキャラの不均衡

シーズンボスヴェクナのターゲットになったマックス別にしても、その元カレルーカスやお調子者ダスティンは見せ場がいっぱいあるのに、マイクはエルの彼氏役、ウィルマイクへの恋愛感情を隠して(るようなニュアンスで、明言はないのだが)喧嘩して仲直りするだけ。だけって言うと異論はとんでくるんだろうけど、他に記憶に残った見せ場が無い。一番主体的な見せ場がなかったのはマイクか?別シーズンでつり合いとればいいのかもしれんけど、それでも今回ほんとエルとマックスだらけでウィルマイクの影が薄すぎた。

殺し過ぎ

シーズンボスは何故高校生ばかり殺すのか。心理的トラウマ持ちを狙うというが、殺された高校生のトラウマは大して描かれず、高校である必然性も俺には分からなかった。俺は安易子供を殺すのが大嫌いだ!!!!(勿論フィクション上のことで、現実では安易じゃなくても大嫌いだ)

1話で下級生にパワハラかましたりドラッグ売ろうとしたりチアリーダー殺害者の汚名を着せられたエディは実はいい奴で主人公たちと一緒になって戦うのだが、最後は「俺が囮になって時間かせいでやる」というクリシェを発動して犠牲になる。これも誘導が甘いというか、理由けが余りに雑。殺すために殺しただろ、としか俺には思えなかった。後日避難所で、ジャスティンがエディの父親形見を渡しながら、町の住人ほとんどが殺人者だと思ってるエディだが、「本当はいい奴だったことを知っている」なんて伝えるお涙頂戴シーンまでねじ込んでくるの。泣くよ。そりゃ泣くだろ普通。でも無理矢理泣かされてる感しかねえんだよこっちは!!!!雑だから!!!理由が納得できないか!!!!!俺は安易子供を殺すのが大嫌いだ!!!

俺 は 安 易 に 子 供 を 殺 す の が 大 嫌 い だ ! ! ! !

マジでこれ、オデロ殺した富野よりひどいからな?


ニヤつくジェイソン

3話の冒頭のシーンなんだけど、S4で一番納得いかなかったのがこのニヤつくジェイソン1話ガールフレンドが殺されて、その犯人だとされるエディ(真犯人ではない)を狩り(探し)にいこうと車で準備中、メインキャラの一人であるルーカスに近寄る時に気持ち悪くニヤつくの。これがもう本当に無理だった。なんでガールフレンド殺した犯人捕まえにいく文脈でこんな笑い顔が出てくるの?アメリカ人ならわかるの?日本人でもわからないとおかしいの?俺がおかしいの?ガールフレンドが殺された直後でも、場合によっては笑顔出る事もあるだろうよ、それでも犯人狩りにいこうと誘う時に出るか?これがずっと強烈ひっかかってて、ワンチャン邪悪な物に操られてるんなら筋は通るよな、と思ったけどそういうのも一切無し。アホか!!!!!!!!!!!!

粗探し

もうこうなってくるとS3までなら気にならなかったところまでガンガン嫌になってくる。

「Crit Hit!」が「やった~!」とか「命中

これは翻訳上の問題だけど、1話TRPGセッション中の大逆転シーンで、20面体ダイス20だして「Crit Hit!」て言ってる。

これを吹替で「やった~!」字幕で「命中」て訳してるのブチキレたくなる。

簡単に、一般化しないといけないのはわかるけどさすがにはしょりすぎでは???

クリティカルだ!」でも相当割合わかるでしょ?分からない人ちょっとでもだしたらだめなの?

大人組の珍道中

ジョイス(ウィル母親)とマレー(眼鏡のさえない陰謀論系の元ジャーナリスト)がソ連収容所にいるホッパーを助けに行く。ド素人2人がガチ収容所にどうすんだよ、と思ったらあっさり捕まって捕虜になったかとおもえば、マレーが実はカラテかなんかの達人でした!ってなろうもびっくりなコミカル珍道中。子供組が超シリアスやってるのになぜ大人組がコミックリリーフ担当なの……??正直リリーフする前には?ってなる。

どう見ても先に発砲できる敵が発砲せずにやられる

4話の残り時間38:08あたり。階段下の、マイクたちが逃げてきた部屋に入ってきた兵士が護衛に撃たれるんだけど、撃たれた位置からすれば完全に撃たれるために発砲しないで待ってる。兵士目線では絶対に護衛を先に撃てる状況にある。カメラ外に居るやられ役モブは発砲しないとか随分初心者向けな無双FPSだな。

湖に飛び込んでも濡れてない

6話のラスト、湖底のゲートに引きずり込まれスティーブを追ってみんな湖に飛び込んでいくんだけど、時系列的にその直後の7話冒頭で濡れてるやつだれもいないの。みんな髪の毛ふわふわだし服も濡れてない。なんだそれ……

その他、個人的な好みでの難癖に近いレベルのもの
  • ヴェクナが触手釣り下がるシーンがおおいんだけど、その時の触手がどうみてもただのホース触手なら重力に従う1本のホースじゃなくてうねうねうねらせろよ。俺は触手が好きなんだ!雑に触手るんじゃねえぞ!!!
  • 雰囲気を伝えるためのBGM誘導的(当然なんだけど)につかわれ過ぎて気持ちが悪い。これからどういう雰囲気になるのかをほとんどバラしてる。でもわかりやさを優先するためにはしかたないのかもしれない。
  • 使いまわしの回想シーン(バンク)が多い。1回1回の長さはそうでもないけど回数が多い。LOSTほど尺稼ぎ見え見えではないレベルだけど。
  • 裏切ったロシア側の道化が改心する理由が軽い。えっ?それだけ?ってなっちゃう。
  • 時間軸の使い方も下手だと思う。同じ時間を3視点あれば3回繰り返すので緊迫感が削がれる。割と落ち着いたシーンならそれも構わないと思うけど、触手で首絞められてるのに他所でまた別の視点で、とかやられるとおいおいってなる。
  • 上と似たようなのだけど、一刻一秒争うシーンで長々と会話しちゃう

ベタだったりあまりきじゃない演出があったのはちゃんと分かってた。それでもお話面白かったから大して気にならなかったのに、S4で気に入らないポイントがでてくると粗探しばっかしてしまってご覧の有様になってしまった。


まとめ

いやね、S3でも薄々ちょっと気配はあったんですよ、話が大きくなりすぎる気配が薄々ね。それでも好きか嫌いかって聞かれたらノータイムで好きって答えられる作品だったの、S3までは。

自分はそれなりにタイトルにたいするLoyaltyが高い方で、好きなタイトルが途中で評判悪くなってもそれなりに好きなままでいる方だと思う。Game of Thronesの最終シーズン酷評されまくってたけど、期待外れ感はわかるけどそこまで酷評されるほどじゃない、と思ったし、NetflixHouse of Cardsの最終シーズンも、ファンなら楽しめるんじゃない?位には好きだ(見返す事は多分ないけど)。

でもストレンジャーシングスS4、世間の評判は悪くないし、Twitterなんか絶賛一色だし、imdbみたらS3までより盛り上がる部分では高レート。Rotten TomatoではTOMATOMETER/AUDIENCE SCOREが、S1から97/96 94/90 89/86 90/89。Rottenではシーズンすすむと評価若干下がってるけど、俺の中じゃこんなもんじゃない落第点だ。あまり否定的意見ネットに出にくいんだろうけど。

自分がS4ダメ理由の大部分を占めてるのが、いくらなんでもエルを酷い目に合わせすぎってこと。ここさえクリアできれば楽しめるのかな、とも思う。ホーキンス組は1話後半で楽しんでるシーンあるけど、カリフォルニア組はそれすら無いからね。そもそもエルはS3まで十分に酷い目にあってきたんだよ。それなのにまたさらにひどい目に合わせるのか!

でもなんでみんなそんな普通に楽しめるの?こんだけ子供が辛い目にあいまくってて。

自分ホラー映画きじゃなくて殆ど見ないんだけど、ホラー映画では子供普通に酷い目に遭いまくってるの?でも映画ならせいぜい2時間前後じゃん?ドラマ12時間以上あるんだよS4。その殆どで強烈なストレスに晒されてるの、未成年が。3人も殺されて、エル以外にも、メインの1人であるマックスまで重大な死の危険と長い間隣り合わせで、最後意識不明入院中。なんでこんなに未成年がひどい目にあうの嫌いなのか自分でもわかんないけどほんとダメだ。年取りすぎたのかね?S1とかではウィルが酷い目に遭ってるシーンはここまで徹底的に描かれなかったから許容できただけ?

あともう一つのジェイソンのニヤニヤ。あれほんとダメ

あれをやっちゃう制作陣を俺は信用できないわ。あれみんなどうやって納得してんの?確実に意図した演出だよね?俺が知らないだけでホラージャンルにはあれを説明できるコードがあるの?


自分ジャンル好き嫌いが多い方だ。興味の無いジャンルそもそも見ない。好きな人らで盛り上がっててくれって思ってる。

オカルトホラーは昔からきじゃなかった。それでも楽しめたStrangerThingsが何故S4で楽しめなくなったのか。それを少しでも知りたくてこれを書いた。imdbRotten Tomatoを見ればそれなりの評価なので、俺が少数派なんだろう。

からこそどうやって他人がS4を楽しんだのか楽しめたのかが知りたい。俺が問題だと思った事はみんな問題なんかじゃないしそれどころか楽しい要素だったんだろうか。80年代アメリカポップカルチャー(音楽映画)にさほど思い入れ(そもそも見てないか知識も)が無いからなのか?TRPGは大好きだけど、1話でやっただけだしな。話が大きくなってホラー要素が強くなりすぎて、俺にとってnot for meになってしまっただけなのか?

教えてほしい。

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