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はてなキーワード: OCRとは

2023-11-02

画像の数式をlatexに変換するfree ocr スキルを身につけるか?

2023-08-08

チョレギサラダ」の謎

はじめに

日本ではすっかり定番となった「チョレギサラダ」。

ざっくり言えば「レタスごま油と塩ダレで和えたサラダである

ワカメ海苔を入れたり、ドレッシング醤油ダレだったりすることも多い。

韓国料理だと思っている人もいるだろうが、実はこのサラダ韓国には存在しない。

そもそも韓国人に「チョレギ」と言っても通用しないらしいのである

では「チョレギ」とは何なのか?

インターネット上ではいくつかの語源説が流布されている。

ちぎる説

かつて多かったのは「チョレギ」=「ちぎるという意味韓国語」という説明である

https://www.seoulnavi.com/special/5000619

チョレギサラダのチョレギとは、手でちぎるという意味。その名のとおり、レタスなどをちぎって作るサラダなのです。

しかし実際に調べてみると、韓国語で「ちぎる」は「뜯다(トゥッタ)」や「찢다(チッタ)」と言う。

この説は明確に誤りと言えそうである

浅漬け

もう一つは「チョレギ」=「韓国語で浅漬けキムチ意味するコッチョリの方言チェレギ」という説である

おそらく以下のようなブログで書かれた内容が広まったのだろう。

https://www.kansyoku-life.com/2006/04/86.html

結論から言うと「コッチョリ」の慶尚道方言で、現地の発音では「チェレギ」と呼ばれます

「コッチョリ」とは浅漬けにしたキムチのことで、発酵期間をおかず、漬けてすぐに食べるのが特徴です。

野菜に味付けをして和えるだけなので、見方によってはサラダとも言えるでしょう。

サンチュのコッチョリなどは、見た目もサラダのものです。

現在Wikipediaなどでも概ねこの説が踏襲されている。

しかし疑問は残る。

サンチュコッチョリは「サンチュ唐辛子ダレで和えたサラダ」とでも言うべきものであって「レタスごま油と塩ダレで和えたサラダ」ではない。

ワカメなどはサンチュコッチョリでも使われることがあるらしいのでいいにしても、少なくとも唐辛子が使われていないとコッチョリとは言えないのではないか…?

犯人エバラ

さて、「チョレギ=ちぎる」説について、前掲の記事ではこう説明されている。

チョレギの意味が混乱しているのは、日本にやってきた当初の説明不足が原因だと思われます

僕の記憶によれば、チョレギを有名にしたのはエバラCM

チョレギドレッシングなるものを発売し、大々的にチョレギの名前日本に広めました。

このときホームページでの説明が、「チョレギとは『ちぎった生野菜サラダ』を意味します」というものでした。

この説明で「チョレギ=ちぎる」という認識が広まりネット上でも、そのように説明されているケースが多いです。


2001年当時のエバラウェブサイト確認してみると、たしかにそう書いてある。

https://web.archive.org/web/20011214042210/http://www.ebarafoods.com/news/recipe/choregi_recipe.htm

チョレギとは?

『ちぎった生野菜サラダ』を意味します。

しかも、当時のエバラの「焼肉屋さんのチョレギサラダシリーズには「あっさり塩味」「ピリ辛コチュジャン味」「焙煎ごま醤油味」があったらしい。

まり当時のエバラは「チョレギサラダ」を「ちぎった生野菜韓国サラダ」というだけの意味で使っていて、味付けはさまざまなものを想定していたのだろう。

ただ、「焼肉屋さんのチョレギサラダ」は2005年頃に販売終了、その後はチョレギドレッシングを発売しても塩味だけにラインナップを絞っているようだ。

まり売れなかった(あるいは塩味しか売れなかった)のかもしれないが、当時は印象的なCMを盛んに流していたので「チョレギサラダ」の知名度は向上したものと思われる。

エバラ以前の「チョレギ」

では、エバラドレッシングを発売する以前、日本で「チョレギ」はどのくらい広まっていたのだろうか?

例によって国会図書館デジタルコレクション調査してみよう。

国立国会図書館デジタルコレクション

これをみるかぎり1976年週刊ポスト記事が最も古い。

国立国会図書館限定」なのでネット上では内容を確認できないが、以下のような記述らしい。

女性に人気があるのは、いうところの野菜サラダであるチョレギなる代物。特製の味つけは店の極秘というだけあって、その味はちょっとしたもの

OCRの精度がかなり怪しいが、どうも「神宮前の『神宮』」という焼肉店を取り上げているのではないかと思われる。

次に古いのが1981年週刊文春記事

それからサラダの「チョレギ」はサラダ菜と長葱に十種類の調味料を合わせたドレッシングが使ってあって、味も格別です。

こちらも、おそらく「青山の家の近くに開店した焼肉屋さんの『第一神宮』」という店について書かれている。

この神宮前の「神宮」と青山の「第一神宮」はおそらく同じ店を指していると思うのだが、

第一神宮 青山店」はつい最近まで営業していたので食べログにも載っている。メニューを見ると、

https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13001197/dtlmenu/

チョレギ 700円

手作りドレッシングサラダ

ワカメチョレギ 800円

と、しっかり「チョレギ」が確認できる。「ワカメチョレギ」もある。

また写真を見るかぎりでは唐辛子確認できず、それほど辛くはなさそうだ。

そうしてみると、韓国サンチュコッチョリをもとに現在のようなチョレギサラダを作り出したのは「第一神宮」なのではないか、と推測したくなる。

(もちろん記録に残っていないだけで他店でさらに古くから存在した可能性はある)

ついでに「コッチョリ」も検索してみよう

週刊現代1985年

あっさり味のサラダ「コッチョリ」

主婦生活1987年

夏野菜韓国サラダ・コッチョリ ごま風味の辛みダレでいただく

月刊食堂1992年

コッチョリ(韓国サラダ)

週刊現代2000年)

コッチョリ600円。しょうゆベースの甘辛いドレッシングがかかる韓国サラダ

1980年代の時点ですでに「コッチョリ」も「韓国サラダ」という意味になっていたようだ。

また「あっさり味」「ごま風味の辛みダレ」「しょうゆベースの甘辛いドレッシング」などはそれぞれ異なる味付けに思える。

こうしたバリエーションを眺めて、エバラが「塩味」「コチュジャン味」「醤油味」を発売したというのなら筋が通る。

まとめ

「チョレギ」はもともと韓国浅漬けキムチのことである

韓国ではどちらかというと「コッチョリ」と呼ばれることが多いらしい。

特にサンチュのコッチョリは「唐辛子ダレの野菜サラダ」とも言える料理である

日本では1970年代から第一神宮」という焼肉店が「野菜サラダ」として「チョレギ」を提供していた。

それはコッチョリというよりも、おそらく現在チョレギサラダに近いかたちにローカライズされたものだった。

1980年代以降、チョレギやコッチョリは焼肉店などを通じて広まり、さまざまな味の「韓国サラダ」の総称となっていった。

2001年に、エバラ韓国サラダドレッシング商品化した。

塩味」「コチュジャン味」「醤油味」があり、それがおそらく当時の焼肉店でよく見られた韓国サラダラインナップだったのだろう。

また、そのときチョレギサラダ」という呼称採用されたことにより、「コッチョリ」よりも「チョレギ」という呼称が広まることになった。

といった感じでどうだろうか。

ここからさら調査を進めるとしたら「第一神宮」の店主に話を聞いてみたり、

1970年代以前に「チョレギサラダ」や「コッチョリサラダ」を出していた店がなかったかを調べる感じか…。

2023-08-07

anond:20230806205521

そうなんだよなー。

板書も、写真を撮ってOCRをかけて、教科書問題集とあわせて編集して「ノートを取っている」んだよ。

びっくりした。

2023-06-18

白地に黒文字テキストより、白地に青文字テキストのほうがOCR認識率が劇的に向上してなんで?って思った件。

2023-05-23

anond:20230523100555

いいえ、ただの親切心です。以下再放送↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

フツーに海外では取り組まれている話です

彼らは、親から兄弟姉妹からも先輩や友人から先生牧師から自然セックス意識を学ぶことはできないとして、

様々な親向けの資料当事者向けの学習資料があるよ。

ポルノと実生活

行為がどのようなものか知りたいのは当然です。

一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます

ただし、ポルノ描写されているセックス自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。

例:
24歳の自閉症スペクトラムゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザ配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザ配達人になりたい」と答え、その理由ポルノビデオ描写を交えて説明しました。
リック最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つめました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているか何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。

 

OCRSEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:

https://researchautism.org/sex-ed-guide/

 

キミも上記の側の人間

フィクション現実曖昧な人、そういう特性を持つ子どもにまともな性教育しないDQN親が多いから仕方がないね

2023-04-08

もしかしてOCR

海外の反応韓国大企業サムスン、今度はテレビでベンチ不正!!【ゆっくり解説

https://www.youtube.com/watch?v=dLDAx1ZS3Aw

世界中で売れ残ってるGalaxyは5000万らしいわ

は?

ちなみに2022年に2億2000万出荷しようとして売れ残りが5000万だと

の間違いなのか? ちゃんと「ごう」とか読んでるのはわかってないらしい。これだけ韓国叩きしてる動画のくせに日本人じゃないのか?

この間の大谷翔平(おおたにしょうたいら)といい、韓国叩き界隈なにか陰謀めいたものを感じる

2023-04-02

論文PDFOCRする場合のコツ

研究必要論文が紙媒体しかない、あるいはPDF単体だとめちゃくちゃ高いが図書館複写なら安いということはよくある。

しかし紙論文だとDeepLに放り込んで流し読みができない。

そんなときPDF+OCR化の需要がある。

ScanSnapにはOCR機能はある(検索可能コンテンツに変換)が、これの精度があまり良くない。

"clinical"をなぜか"cUmcal"と置き換えたり、一体どこに目が付いてるんだといいたくなるような文字列に変換してくる。

そんな時にはAdobe公式サイトの、PDF無料Word変換機能が役に立つ。

手順はこうだ。

1. ScanSnapPDFとしてスキャン

2. 検索可能コンテンツに変換

3. 2のPDFAdobe 公式Word変換に放り込む

4. 出力されたWordPDF

これで快適DeepLライフ

2023-03-21

anond:20230321125626

それ表現の自由じゃなくて作品教えてくださいじゃん

割とカジュアルに猫が酷い目に遭う作品あるぞ

たとえば ギロチン チェインソー とか。悪役が猫を虐待→猫が虐待死する→主人公自殺からはじまる

 

あと現実フィクション区別が生まれつき曖昧な人・生まれつき極端に衝動制御能力が弱い人が存在するので

エロ暴力描写はむしろ犯罪を誘発するのでいい加減認識改めてな

ポルノと実生活

行為がどのようなものか知りたいのは当然です。

一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます

ただし、ポルノ描写されているセックス自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。

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anond:20230321094246

せやねー! まじつよい。そのうちコピペとかしなくてもWIndows 11の音声入力なり、WordOCRなりにデフォルト接続される様になるんだろうな。 こう言う面倒な仕事を潰してくれるのはマジありがたい。

anond:20230321093841

ChatGPTにOCRの読み取り結果を直させるのもいいよ。

2023-02-07

オレオレAudbleを作ろうとしてる

自炊した書籍PDFデータとかをOCRに噛ませる→更に音声合成システムに噛ませてオーディオブック化するっていうのを試してる

法的にはよく知らんけど私的利用なら多分大丈夫

テキスト化までは成功してて、試しにvoiceboxに読ませてみたんだが流石に誤読が多すぎる

adidasもエーディーアイディーエーエスって読むからなんのこっちゃってなった、まあそういう用途は想定されてないわな

Amazon PollyかGCPText to Speechデモ試したら良い感じだったからこっち試そうかな

毎月400~500万文字くらい無料らしい、そこそこぶ厚めの技術書でも文字数は10万とかだったりするからまあ事足りるかな

明日はそっち試してみよっと

2023-01-30

anond:20230130120721

ギリ健のこと考えなさ過ぎなのよ

彼らは、親から兄弟姉妹からも先輩や友人から先生牧師から自然セックス意識を学ぶことはできないとして、

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2023-01-16

ChatGPTにセキュリティ問診といてもらった

なんかセキュリティ認定をもらうために定期的にこういうの必要みたいなので

効率よく仕事を終わらせておきました。何故か問題文が画像だったのでGoogleドライブに上げてOCRもかけました

全問正解したからChatGPTくん褒めてあげたよ😁

2022-12-17

anond:20221217193322 anond:20221217214126

フツーに海外では取り組まれている話です

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キミも上記の側の人間

2022-12-11

anond:20221211101438

快適な自宅でコーヒー飲みながら読める

google booksみたいなOCRしてあって検索もできてコピペもできる方が100万倍良い。

2022-11-23

anond:20221123095249

「賃借」対照表って読み方が違うから100%誤変換ではないんだよ

そして「貸借」対照表って会計のド基礎だからちょっとでもまともな会計知識があったら間違えることはないんだよ

で、その会計知識があるなら間違えることがないもの知識がある人のように批判してるなかで間違えてるのが吹き上がる要因なんだろうね

ようは「にわか」叩きだと思う

あと「誤変換」っていう読み仮名うからありえない言い訳

一応だけど多分いろいろな企業webで間違ってるのは知識ないコーダー外人OCRに投げたの、ひっくるめて格安外注でザルチェックだろうから知識問題ではないと思う

2022-11-06

anond:20221106162740

そのサイトOCRみたいな処理してて栗を粟に誤読してるだけじゃないの?

https://yourei.jp/%E9%85%92%E8%90%BD

OCR誤読やすい「〇洒落」→「✕酒落」で検索してもいっぱい引っかかるけど

これらの原文が全部こんな間違いしてるとは思えないので

追記:「立派」→「立流」もあるから間違いないな

https://yourei.jp/%E7%AB%8B%E6%B5%81

そこで挙げられてる粟色も原文では普通に栗色の可能性が高い

2022-09-29

OCRより音声文字起こしの方が先に精度が良くなったのは個人的には意外だなって思う

2022-09-08

コンピュータ様の判断絶対しろ

俺、OCRが絡むシステムを作ることが多いんだけど、例えば1を7と読み取っちゃう誤読って、どうしても発生しちゃうのよ。

でも、コンピュータ様が7だって言ってんだから、これ1じゃなくて7が正解なんじゃね、って思う。

コンピュータ様の判断絶対とする考えが広まれば、世の中わかると思う。

2022-08-12

anond:20220812103711

>これ人間がやらなくてもよくねとか、そもそも無くしてもよくね

ある意味で現状と過去の過ちを認めるってことだから

全然経験が無いんで知らんけど、

言葉の選び方でどうにかならんもんか?

「この業務最近は手軽なOCRも出て来たらしいんで、PCに任せてもよさそうですね」

みたいな進言の仕方をすれば、角が立たないんじゃなかろうか。

最近ようやく便利になったらしい」「過去はそういう技術が無かったんだから仕方ない」として

過去経営を責めたりしない言葉を選べばいいんじゃないかと。

2022-08-04

スマホOCR計算機能の話が出ているけど、

これもっとからある、人の回答を写すことの形式が変わっているだけでは

それを教師対策しろっていうなら、監視するしかない気がする・・・

けど、実際教師から何もやる必要はない気がする(というか無理)

例えば、完全に理解しているならまあやる必要はないし、

理解していなかったらテストで痛い目をみるだけで

一言、横着したら力がつかないというだけでいい

余談だけど、今の技術だと、1問1問カメラで撮るの凄く面倒だと思う

取り組んだりしたら、早いかもだけどそこまでする?ってなる

それで、このレベルなら自前でするのが早いって気づく

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

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