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2019-06-18

anond:20190618102647

電源コードを変えると音が変わるのはピュア界では常識です。

私は発電所から専用線我が家まで電力を引っ張り込んでいます

電線の材質は無酸素銅が最高ですよ。

おかげで、ウチはミニコンですが、ハイエンドよりいい音がしますよ。

ちなみに電力会社の違いでも味付けにサがでるよ。

電力会社長所短所お奨め
東京電力バランスモッサリ遅いC
中部電力低域量感低域強すぎA+
関西電力高域ヌケ特徴薄いB
中国電力透明感低域薄いB+
北陸電力ウエットな艶低域薄いA-
東北電力密度とSN低域薄いA+
四国電力色彩感と温度低域薄いA
九州電力バランス距離感C
北海道電力低域品質音場狭いB-
沖縄電力中高域艶モッサリ遅いA


で、上は発電所から5km地点での特徴。

それより自宅〜発電所間の距離が長いと上記特徴+マイルドの味付け

短いと上記特徴+刺激的な味付けが加わるよ。

2019-02-25

昔、学校教科書かなにかで読んだ小説

様々な場所を巡行し演奏をする二人組(もしくは三人組)。確かバイオリンとかチェロとか、そんな弦楽器だったと思う。

病院に呼ばれてミニコンサートを開いていた。かつてはフルート奏者だったが、事故で重い後遺症が残った患者が出てきたはず。(他の患者ほとんど意思疎通が出来ないような重い症状だった記憶。というか病院自体がそういう人を受け入れる場所だったかも)

タイトルが思い出せない。読んだことのある人いない?

2017-12-19

ウーマンラッシュアワーのどこが「面白くない」か

ウーマンラッシュアワー漫才賛否両論話題になって大変結構なことだ。

政治ネタ、際どいネタがたくさん入って刺激的だったのは良いが、一方で面白くは無かった、という声も多く聞かれる。

なぜ面白くなかったのか、いくつか理由はあるが、おもに漫才構成観点から指摘したい。

序盤は良かった。軽い吉本批判芸人批判から自虐。緊張と緩和、高慢さと滑稽さの落差が大きく笑いの量も多かった。

続いての原発ネタも同様に社会批判的でありつつ、福井で夜間に電気がついておらず電気必要ないという発電量とのコントラスト。背景に発電地と消費地がなぜ違うのかという社会問題はありつつ、それが気にならないほどの落とし方。ここが一番笑いの量が多かった。

その後は、そこに住みたい人はその地に対する愛情を示せ、そうでなければ住ませない、というやり取りのミニコントが繰り返される。ここからがややこしい。

始めは福井新幹線かがやき福井に来る30年後には福井高齢者は星になって輝いている、というかなりブラックオチブラックであることもだが、これを言うことが福井愛を示していることになっているのかわかりにくい。「輝いている」と言うことを肯定的に捉え、褒めている、と言うことなのだろう。まずここで少しつまづく。が、それほどは気にならない。話芸の達者さと勢いで笑える。

次に、東京都民ファースト自分ファーストになっている、と言う都知事批判オチ。これも東京愛になっているのか非常にわかりにくい。都知事東京のためになっていない、それを指摘することが東京愛になっている、と解釈するのか。かなり好意的解釈をすればそうなる。この辺りからほとんど勢いだけで進む。

沖縄熊本に関しては、最も社会派発言として評価されている部分かもしれない。ここは構造的に地方への配慮を訴えることが地域愛に繋がり先述の戸惑いはほとんどない。その代わり、正論になってしまい笑いの量もあまり多くない。とはいえ、ここは次の展開へのネタ振りパートとも言えるので勢いで押し切れば十分と考えて良いだろう。

ここから地域の飛び方自体が笑いとなる。

突然のアメリカ。これ自体は話の飛躍があり面白いしかし、日本アメリカにとって都合の良い国、と表明することがオチだが、これもアメリカ愛なのか疑問。

次に北朝鮮。ここも地域のチョイスは面白いしかし、キム総書記の「単なる太った動物」という悪口自分のことだろう、というオチは、それこそただの悪口北朝鮮愛になっていない。体制に反対している北朝鮮国民目線、ということかもしれないが、説明なしでその設定はかなり無理がある。

最後日本。この展開は綺麗で良い。ここもこれまで同様だが、ニュースの内容が悪いのは国民意識が低いから、というオチ。もはや愛でもなんでもない。

後半は当初のコント構造ほとんど崩壊しており、メインは二人で社会批判を勢いよく言い切る、ということだけが目的化されている。そこを面白さと捉えるなら面白いが、それにしては社会問題の切り取り方に偏りもあり、真面目すぎるようにも見える。この場合意見に対する賛否や見る側の個々の問題に対する距離感面白いかどうかはかなり変わる。

そして一番最後に村本が、「お前たちのことだ」と観客に指をさしながら批判して去っていく。ここでそこそこ大きな笑いが起きる。

これが笑いになるということは、つまりこれまでの社会批判は芯を食っていない、ということを示している。早口でまくし立てていること自体がやりすぎであり、ある種の道化となっているわけだ。視聴者には、このような少しぶっ飛んだ人に少々批判されても笑えるという余裕が生まれている。一段低いところからわあわあ言っている人。そのようなポジションを村本は意識的に作り出している。だからこそ、社会批判が全体として笑いに変わっているわけだ。

これは逆に言えば、社会批判が軽くなってしまう、ということでもある。

上述のように、笑いの構成として整合性にやや無理がある。それはおそらく、強引に社会批判ねじ込んでいるからだろう。その強引さ自体が笑いでもある。

まり社会批判の強さ、正しさと笑いの量は相反するものとなっている。

そうなると、一部で熱狂されているような、よくぞ言ってくれた、という賞賛は笑いの量の少なさ、つまり面白くない、ということの象徴とも言える。

とは言え、これも含めて計算通りなのだろう。笑いの量を減らしても話題性、あるいは自分の言いたいことを言う、と言うネタなのだ。その意味では、大いに成功していると言える。一方で笑いが多少犠牲になってしまたことも否めない。

今後、同じようなスタイルは難しいだろう。今回は話題性としては非常に良かったが、この先同じようなことを繰り返せば、笑いの量が減っていくか、道化として批判インパクトが失われるか、どちらかに収斂して行かざるをえない。同じ社会批判道化には爆笑問題太田がいる。彼はかなり道化よりだ。

まあ、もともと村本も同じことを繰り返す気もないだろうから要らぬ心配なのだが、一部の賞賛者が期待するような、お笑いに変革が起きて社会風刺が増える、というような形には良くも悪くもならないと思われる。

2017-09-05

僕の好きだった上司

上司は前を歩いてるキレイな後ろ姿の女性がいたら顔をチェックせずにいられない性分だ。

からくそこでミニコントをはじめる。

増田くん、僕、ちょっと用があるから先を急ぐよ」

と大きめの声でいったあと、小走りで行く。

女性を抜かしたくらいで、「あ、忘れてた」って振り返り

そのタイミングで顔をチェックしてまた小走りでおれのところに戻ってきて

適当な用件をおれに話しつつ小声で「ブスだったよ」という。

久しぶりに思い出したけど4回くらいやってて「美人だった」といったのは1回もなかった。

イマイチ」が最高評価だったのかな。

んー、だからおまえ40過ぎても彼女いない歴年齢の素人童貞なんだなと今にしては思う。

でも、上司大好きだった。すっかり不義理で縁遠いままだけど、今、なにをされておられるのだろう。

2014-04-07

笑っててもいいかな?

 フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。

笑っていいとも!最終回スペシャルで、明石家さんまはこう考えていた~エムカクさんによる文字起こし - Togetterまとめ http://togetter.com/li/651874

 文字起こしではなくライブ関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院ラジオを聴きスタッフ馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。

笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともアングラ芸人タモリを始めとする監督芸術家作家アナウンサー文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家ダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。

 鶴瓶ヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野スタッフ死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんま毒舌というより真正から他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族とんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりお石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体お笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。

 長々になってしまったので他の関係は駆け足で。

 太田談志後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリさんま石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人なのだろうが、もしも浜田ツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田東野宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。

 たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月フジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリ集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下赤塚浅井慎平高平哲郎に比べ高田文夫テリー高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆タモリ小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。

 ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人ダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二現在爆笑太田

 鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。

 タイトルにした香取慎吾スピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。

 

駆け足が長くなった。ここでおわり。

2013-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20130612233039

中学は手書きじゃないか

うん、外枠は印刷したもので内容だけ手書きだったな。

でも、その頃は80年代初頭か70年代だったから、そもそも実用的なPCすら無かった時代だったしなぁ。銀行オンラインですら、今より遥かに未熟だった時代だしw

高校は工業系だったけど、ミニコンで動いてる成績管理システムがあったし(後に32ビットPC98数台で稼働するようになったみたいだが。流石に今はどうなってるかは知らんが)、それが普通だと思ってたよ。

高専でも同じようなもんじゃないの?

2011-01-26

お嬢様大学の子と合コンしたんだけど面白かった

聞けば誰でも知ってるようなお嬢様大学の子と2対2で合コンしたんだけど持ってる一発芸が全然お嬢様じゃなかった

清水ミチコの声真似(かなり似てた)でAKB48「会いたかった」を歌う芸を持っていた

しかも曲の合間合間で、清水ミチコ秋元康にあたしもAKBにいれてよと頼むミニコントまでセットになっている

秋元康役はもう一人の子が絶妙のタイミングで曲に割り込んで歌とコントが展開していく

曲が終われば間髪入れずに二曲目に突入して「ポニーテールとシュシュ」を清水ミチコで歌いあげる

やはり合間合間にミニコントがセットになっていた

今度はAKBに入れてあげるから一発やらせてよと秋元康清水ミチコを口説き落とそうとするコントだった

まさか一曲目と二曲目が繋がっているとは・・・

結局、コントの中の秋元康清水ミチコに振られた挙句裁判まで起こされた

素晴らしい完成度だった

脚本は二人で書き上げたそうだ

ちなみに秋元康役の子は、ワハハ本舗梅垣義明たいに鼻に枝豆詰めて飛ばすという芸を持っていた

テーブルの端に置かれた空のグラス3つそれぞれに鼻から枝豆を飛ばして入れてた

あれはそうとうやり慣れてる感じだった

この二人は最終的に俺の連れをベロベロに酔わせてお持ち帰りしていった

俺は一人しっかりとした足取りで帰路についた

2009-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20090812143245

確かに。で、これまたエレガントではない対処法で、ループでかかってる時間を差っ引くのはどう?

予め空ループをブン回して、ループ処理にかかる時間を測定。

次に、測りたい関数を入れたループを回して時間を測定。で、予め測っておいたループ処理分を差っ引く。

フツーに詳しい人のご名答を待った方が勉強になりそうです、降参!

ってか、降参ついでにいぢけてみると、昔のDOSマシンマイコン/アセンブラ、遅っそいミニコン/WSならともかく、

イマドキの(パソコンでさえ)すっごい速い計算機マルチタスクOS上で、10ms以下のような小さいプログラムの実行時間を、

実験的に評価する意味があるのかと、ふと思った。むしろ、手計算であれ機械計算であれ、論理的にステップ数を計算した方がいいような。

だって、ループ処理でかかる時間が誤差に効いてくるぐらいなら、ループしてる間に他のタスクから受ける割り込みの影響も出てしまうと思うもの。これはどうなんだろう。

 
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