はてなキーワード: 村井純とは
次の新紙幣なんてもう出ないんじゃないの?デジタルマネーの時代に。
全体的に深読みしすぎだと思うが、あえて考えるなら俺はこうかな。
ドラゴンボール・ポケモン / ロボットアニメの有志たち / ひろゆき・佐藤栄作
ホンダカブ・富士山 / 村井純・イチロー / マリオ・キティ / 祇園・二宮金次郎 / 苔
俺は野口に変わるタイミングでも別に諭吉は諭吉だったから、誰になってようがどうでも良かったかな。
夏目漱石時代は単に画力が落ちたなって思った。今回のフォント問題と同じ感想。
ただし、聖徳太子を除いて、岩倉具視とか伊藤博文みたいな政治家が描かれるものだったものが、近代教育の人物に変わった時は驚いた記憶がある。
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。
当初は鳴り物入りで立ち上げられたデジタル庁が、今や「干したる庁」などと嘲られ、国民や同庁の原動力となるはずだったITエンジニアからの期待を惨めにも失墜させるきっかけとなった平井大臣によるNECへの恫喝発言問題だが、それを受けて「疑惑を晴らす」として始められたオリパラアプリの発注プロセスに対する調査結果が公表された。
内容については東京新聞の記事に問題点の概要がまとまっているし、7月初旬の時点で日経クロステックが報告書の内容に繋がる記事を書いている。ではなぜ、平井大臣にとってこの調査が「疑惑を晴らす」ことになるかと言えば、「和泉首相補佐官らが、デジタル行政を仕切る自分に断り無く進めた不透明なプロジェクトを俺が止めてやった」という意識があるからだろう。先月末に、その辺りの詳細を新潮が報じている。
確かに、この辺りの事情を勘案すると、平井大臣の言っていることに決して理がないわけではない。では、平井大臣の恫喝は不公正な調達に対する適切な苦言だったのか?そうはならないだろう。オリパラアプリの受注金額は NTT が圧倒的だった(73億円中の45億円)のに、自分は自分で NTT から繰り返し接待を受けているからって、そこを問題にせずに NEC を槍玉に挙げて排除したり、挙げ句に自分と親しい会社をねじ込もうとするのは道理に合わない。そもそも、公正であるべき行政の責任者が、民間に対して「見せしめを作る」などと言いながら権力を振りかざすような態度を取ること自体がありえない。結局、これは政府内での「デジタル利権」を巡る醜い争いに過ぎない。
ところで、この新潮の記事を今から見返すと面白い点があって、それはデジタル監(デジタル庁の事務方トップ)の任命問題に言及していることなんだよね。どうも、7月くらいまではこの件で槍玉に上がった神成淳司氏が有力候補だったらしい。つまり、平井大臣としては「政敵」が推している人物ということになる。それが、オリパラアプリの問題を受けて辞退した。これが7月20日頃の出来事。
「確かに最高幹部のひとりとして神成さんの名前は挙がっていました。和泉首相補佐官と官僚トップの杉田和博官房副長官が推薦していたんです。ただ、日本のインターネットの父と言われ、内閣官房参与でIT分野のアドバイスをする慶應大学の村井純教授は反対していました。そうこうするうち、7月20日前後のことですが、神成さん本人から辞退の申し出がありました。週刊新潮でNECと共同研究を行っていることなどが報じられたので、幹部に就任すれば辞任に追い込まれる可能性もあります。自ら傷つく前に辞退したのでしょう。それにしても、“疑惑”の渦中にある人を幹部に据えようとするとは、和泉さんや杉田さんは何を考えているのやら」
その3週間後の8月5日にデジタル監に伊藤穰一氏を据えるという話が出てきた。
結局、ご存知の通りこの話は撤回されることになった。その原因である、いわゆる「エプスタイン問題」については文春の記事が詳しいので繰り返さないが、一方で、同様の内容を報じた新潮の記事に以下のように書かれている。
「今回の人選については、デジタル改革担当大臣の平井卓也氏が進めてきました。菅首相の肝いりの政策ですから力が入っており、平井氏も意中の人がいたようですが、何人かにフラれて伊藤さんにお鉢が回ってきたといいます」
結局、政敵の送り込んだ人物を排除して、自分の肝いりの人物を重要ポストに据えようと企んだものの、行政の責任者としての基本的な適正すら見抜けずに失敗した(そもそも、もっぱら投資家からの資金調達を得意としている人物にデジタル庁の何をやらせようとしていたんだろう)。この人たちは、本当に何をやっているんだろうか。ため息しか出ない。
お前それ村井純の前でも同じこと言えんの?
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いつもの月に比べてあとで読むタグが少ない。あとで読みたくなるような記事が少なかったのか、あとで読むを付けるタイプの人が寄り付かなくなったのか。
Go言語の名前の由来について、デマを思いついたので、ちょっと面白いと思った人は広めてほしい。
こんな感じで。
Go言語はブレイク寸前であり、かなりの関心を集めているが、まだ詳しく知られてはいないので、デマを広めるには今が絶好と思う。
こんな感じで返していただきたい。
ロブ・パイクやケン・トンプソンがUTF-8の考案者だということは知ってる?(注:これは本当)
で、彼らがそれを考案するきっかけは、慶應の村井純先生が、ベル研で「日本語」についての講演を
したことだというのは知ってる?(注:これも本当)
http://d.hatena.ne.jp/oraccha/20081004/1223124803
そもそも君だって、ドイツ語とかの第2外国語で1から5ぐらいまでは数えられるんだから、
彼らが出来たって不思議はないだろ?
こんな感じで返していただくのはどうか。
そりゃ、表向きはそうだよ。彼らはGoogleで開発してるんだしさ。
だけどそれは後付けなの。
PHPが 「PHP Hypertext Preprocessor」という、GNUみたいにカッコイイ
再帰的頭字語を由来にしているけれど、元々はPersonal Home Page の略なんだよ。(注:これも本当)
それと同じ。
そもそもケン・トンプソンやロブ・パイクは、C言語やUNIXの父だし、
ノーベル賞やチューリング賞の受賞者をザクザク輩出しているベル研の出身だし、
Pythonのグイド・ヴァン・ロッサムみたいに、何かあったらすぐ他所に行くよ。
(注:グイドはGoogleを辞めて、2013年からDropboxで勤務している)
こういう態度で返していただくのはどうか。
(∩ ゚д゚)アーアーきこえなーい
このデマを、ロブ・パイクやケン・トンプソン自身の耳に入れること。
彼らに後付けで公認してもらえたらなお良し。
100ブクマ以上ついたので、上司に無断で弊社の宣伝をしてみる。
いろいろ怒られたら消します。
池田信夫は、相手を罵倒して社会的地位を下げることしか考えていない。
だから匿名だと問題ある訳で、筋の通らない実名論を唱え続けるだけ。
実名で書いたところで、人を誹謗中傷してそれが間違いであっても決して訂正しない。
今のid:arakik10への対応見てもわかるだろ?
もういい加減、副島隆彦みたいにトンデモだと見なしてシカトする方がいいんじゃないか?
IPV6、スパコン、ネット論などなどIT関係に首突っ込むと頓珍漢なことしか言わないんだし、これがSFC出身ってんだから笑える。オマエ、わざわざ院に行って村井純や徳田英幸に何教わってたんだ?って感じだし。
(追記)
http://d.hatena.ne.jp/m-bird/20071117/1195315749
ここ数年,いわゆる著作権に関する議論がネット上の各所で行われており,
その様相は混迷を極めている.
そこで,この日記では,著作権関連の議論がわき起こった経緯と変遷,
および現状についてのまとめを行い,著作権にまつわる議論についての概観を把握することを試みる.
日本にインターネットが登場したのは,1980年代の半ばから後半である.
東京工業大学の助手であった村井純(現・慶應義塾常任理事)率いるメンバーはJUNETを作り上げ,
それらのメンバーが中心となったWIDE Projectが,日本へのインターネット導入を推し進めていった.
草創期こそ,インターネットの社会への浸透はゆっくりな物であったが,確実に広まっていった.
インターネット登場からしばらく後の1995年,NTT東西がテレホーダイと呼ばれる,定額制接続サービスの開始を始めた.
従来まで,エンドユーザにとって,インターネットの接続は従量課金方式しか選択肢がなかったが,
定額制接続サービスの登場は日本のインターネットに大きな追い風となった.
テレホーダイの始まった1995年代以降から既に,インターネット上に違法ソフトや違法MIDIファイル,
楽曲に関して言えば,1995年頃の日本においては,MP3はほとんど無くその大半がMIDIファイルであった.
そのMIDIファイルも違法とはいえ,本当に音楽の好きな者が趣味で作成した,同人的なものがほとんどであった.
しかし,その数年後には,楽曲の違法配信の主流はMP3へと移り変わっていく.
1997年,NullSoftは当時におけるMP3再生ソフトの標準とも言える,Winampをリリースし,
その1年後の1998年には,フリーMP3エンコーダの代表と言えるLAMEの開発が始まっている.
MP3の普及には,これらMP3プレイヤとフリーのエンコーダの登場が背景にある.
(http://en.wikipedia.org/wiki/Mp3)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/LAME)
一方,1990年代の中盤から後半にかけての日本の音楽シーンは,盛況を極めており,
参考までに,1990年代後半のCDセールス状況と,2006年前後のセールス状況をいくつか記す.
ただし,売り上げ枚数は100万枚以下四捨五入した.
globe / Departures (1996) - 累計売上229万枚 (オリコン)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/DEPARTURES)
華原朋美 / Hate tell a lie (1997) - 累計売上106万枚(オリコン)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/Hate_tell_a_lie)
宇多田ヒカル / Automatic (1998) - 累計売上206万枚(オリコン)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/Automatic/time_will_tell)
モーニング娘。 / LOVEマシーン (1999) - 累計売上165万枚(オリコン)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/LOVE%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3)
KAT-TUN / Real Face (2006) - 累計売上105万枚(オリコン)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/Real_Face)
レミオロメン / 粉雪 (2005) - 累計売上85万枚(オリコン)
倖田來未 / 4 hot wave (2006) - 累計売上39万枚(オリコン)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/4_hot_wave)
それまでは,Webを利用したMP3ファイルの配布など,比較的細々とした配布が主だったが,
1999年のNapsterの登場により,その様相は激変した.
NapsterはP2Pネットワークと呼ばれる技術を基礎とした,分散型のファイル共有ソフトウェアである.
このソフトを利用することで,非常にたやすくMP3ファイルの交換を行うことが出来るようになったのだ.
しかしながら,登場してすぐの1年後には,Napster開発元のNapster社は全米レコード協会から提訴されることになる.
Napster社が提訴されてからも,しばらくサービスは続いていたが,2000年7月にNapster社が敗訴しサービスは停止した.
サービス停止後はWinnyなど別のP2Pファイル共有ソフトウェアに,その立場を譲ることになる.
なお,Napsterは現在,Roxio社に買収され,合法の音楽配信サービスとなっている.
ちなみに,2000年のオンラインソフトウェア大賞は,フリーのMP3エンコーダである「午後のこ〜だ」が受賞しており,
(http://ja.wikipedia.org/wiki/Napster)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%88%E5%BE%8C%E3%81%AE%E3%81%93%E3%80%9C%E3%81%A0)
(http://www.nmda.or.jp/enc/fsp/sjis/osp2000.html)
Napster等のファイル共有ソフトウェアが原因かどうかは明確に分からないが,
このころから音楽業界の売り上げが世界的に低迷することになる.
当然,音楽業界は音楽CDの売り上げ減少の理由を,インターネット上の不正利用に求めた.
その結果2002年に,Avex,ソニーBMG,東芝EMIなど音楽レーベル各社は,
コピーコントロールCD(CCCD)の導入に踏み切ることになった.
CCCDの導入は,音楽レーベル,アーティスト,ユーザを含む大論争に発展したことは記憶に新しい.
例えば,CCCD導入が原因による,アーティストからの音楽レーベル契約解除,
ソニーBMGのrootkit問題に代表される,ユーザと音楽レーベルの対立など,様々な社会的な問題も引き起こしていった.
CCCDに関する議論・問題は非常に多くあり,全て取り上げることは困難なので,詳細はWikipedia等を参考にされたい.
(http://japan.cnet.com/special/story/0,2000056049,20090811,00.htm)
2005年頃になると,CCCDをリリースしていた音楽レーベルの一部はその有効性を疑問視し,
CCCDの利用を撤廃する方向に流れていった.
一方,このころ,アメリカ合衆国ではYouTubeとよばれる,動画共有サイトが登場しだした.
YouTubeはサービス開始間もない2005年の12月にはすでに,NBCの人気テレビ番組である,
サタデー・ナイト・ライブがNBCの許可無くアップロードされていた.
当時のYouTubeはアメリカのサイトであり,言語も全て英語であったが,日本からの利用も非常に多かった.
しかしながら,著作者の許可を得ずにアップロードされたコンテンツも非常に多く,
権利者の多くからは問題視されていたのも事実である.
多くのコンテンツが権利者に無断でアップロードされる中,2006年6月,
ついに日本の権利者からの依頼が理由で削除された動画が確認されている.
(http://www.youtube.com/watch?v=R-fjqo3dNhg)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/Youtube)
(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/681572.html)
これと関連した事項として,2000年代前半から現在にかけての日本における,
テレビ放送のアナログ放送からデジタル放送への以降とそれに絡む問題がある.
デジタル放送の開始当時は,通常放送にはデジタル著作権管理(DRM)は適用されていなかった.
しかしながら,デジタル放送を録画したビデオテープが,インターネットのオークションで出品されているのを問題視したテレビ局は,
2004年4月5日から,全ての放送に対してDRM技術のを用いたコピーコントロールを適用した.
デジタル放送のDRMは,B-CAS社が提供するB-CAS方式を用いて行われており,
原則,私的利用であっても複製物からのコピーを一度しか許さないという,非常に厳重なDRMである.
コピーワンスは,ユーザやHDDレコーダなどの製造メーカからの批判が非常に強いため,メーカなどからは,
9回までコピーが出来るコピーナインなど,より緩いDRM方式なども提案されている.
しかしながら,現在の処,前述したYouTubeなどの登場も受け,コピーワンスが変更される見通しがあるとは言い難いのが実情である.
B-CAS方式,コピーワンスについても,様々な議論が行われており,ここで全てを取り上げることは困難なので,
興味のある方はWikipedia等を参照されたい.
(http://ja.wikipedia.org/wiki/B-CAS)
(http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0511/21/news003.html)
(http://www.phileweb.com/news/d-av/200708/11/19076.html)
こうして,著作者と違法利用者のいたちごっこが続く中,
日本における著作権法は改正されていき,徐々に罰則が強化されていく.
2006年には,違法コピー等に対する罰則は,最大で,10年以下の懲役,又は1000万円以下の罰金に引き上げられている.
なおここで参考として,著作権法違反とその他犯罪の罰則の比較を載せる.
著作権法違反 - 10年以下の懲役または1000万円以下の罰金もしくはこれらの併科
強盗罪 - 5年以上の有期懲役
現状,日本での保護期間は著作者の死後50年と著作権法で決められているが,アメリカ合衆国では死後70年となっている.
アメリカ合衆国の保護期間は,もともとは,もっと短いものであったが,
ウォルト・ディズニー社の保有する著作物「ミッキーマウス」の保護期間がすぎようとするたびに,保護期間が延長されるよう法改正されきた.
この延長にウォルト・ディズニー社が絡んでいるかは明らかにはなっていないが,
状況証拠のみでアメリカの著作権法は「ミッキーマウス保護法」と揶揄されている.
現在,著作権保護期間延長問題について,広く意見交換・議論が行われいるものの,議論は水平線を辿っており問題の解決には至っていない.
ここで,参考までに,著作権およびその他知的財産権の保護期間について,列挙する.
特許権 - 出願日から20年
実用新案権 - 出願日から6年
意匠権 - 設定登録日から15年
著作権 - 著作者死後から50年
YouTubeなど新たなパラダイムの登場は,非常にイノベーティブなものであるが,
一方で,従来の権利者を混乱におとしいれている.
今後も議論は続くと予想されるが,各々,著作権法の冒頭に記されている一文を決して忘れずに議論を行ってくれることを願うばかりである.
(http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html)
著作権法より抜粋
第一章 総則
第一節 第一条 通則