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はてなキーワード: 80年代とは

2022-07-05

80年代バブル時代東京テーマにした遊園地があればいいのでは

そこはフリーターでも余裕で生きていける別天地(遊園地だけどな!

2022-07-04

anond:20220703134056

共同体への適応力が高いかいか

高いと浸かってしまうからアップデートできない。

低いと常に孤独他人事からアップデートできる。

80年代まれ空気読めない陰キャ(当時は陰キャという言い方は無かったが)やってたけど、正にその通りだと思うわ。

当時から電波少年とか大嫌いで全く見てなかったのでクラスで浮きまくってた。

2022-07-03

anond:20220703132033

80年代まれはちがくね?

70年代まれじゃね?

85年くらいかゆとり世代じゃなかった?

ゆとり世代はそういう価値観に触れてる世代だけどその後アップデートできた世代だよ

田舎はアプデ出来てない人もチラホラいるけど

週刊少年ジャンプ史上最も偉大なマンガ20

https://anond.hatelabo.jp/20220701203714

↑を見て日本マンガ史の重厚さと幅広さを実感し、媒体レベルでまとめるのは無理だと悟った

せめて出版社掲載誌レベルじゃないと議論がとっ散らかりすぎるから一旦みんな好きそうなWJ作ってみた(ジャンプ専業とそうでない人の比較においてアンフェアな気がしたので作者単位ではなく作品単位にした)

選考基準独断偏見しかなく、強いて言えば後世の作家への影響、言語化できないジャンプっぽさを重視している。ランキングではなく、連載開始順に並べただけです

1.ハレンチ学園 作:永井豪 1968年創刊号 - 1972年41号

黎明期レジェンド枠。現代観点で言えばいろいろと問題ありそうだけど、サービスエロジャンプマンガの大きな側面を担っていた事実否定できないし、そもそもこの作品の売上が無かったらジャンプが存続してたかも怪しいので入れざるを得ない。

2.男一匹ガキ大将 作:本宮ひろ志 1968年11号 - 1973年13号

黎明期レジェンド枠2。ジャンプ黎明期の売り上げを支えつつ、不良系マンガを一大ジャンルとして確立させた意味で実は物凄く偉大な作品なのでは?という印象。これが無かったら東リべも存在しないよ多分。

3.こちら葛飾区亀有公園前派出所 作:秋本治 1976年42号 - 2016年42号

ギネス記録である40年にわたる長期連載、そしてサブカルチャー全般積極的に題材として取り入れたことで現代日本風俗文化を凝縮したような史料価値を持つ作品になった点を評価したい。

4.リングにかけろ 作:車田正美 1977年2号 - 1981年44号

黎明期レジェンド枠3。売り上げもさることながら、見開きを用いたド派手な演出の数々や、「荒唐無稽能力バトル」というジャンル確立させた点を評価したい。(このジャンルパイオニアアストロ球団なのだが、後進への影響はこちらが上かなと思う)

5.キン肉マン 作:ゆでたまご 1979年22号 - (週プレNEWSで連載中)

リングにかけろ確立したバトルマン路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品という認識。初めてのジャンプ黄金期を作った作品で、キン消しとか一般社会への影響力もすごい。

あと個性豊かなキャラクター関係性が面白い。「友情努力勝利」の「友情」はほとんどキン肉マンで作り上げられたイメージなんじゃないかな。

6.キャプテン翼 作:高橋陽一 1981年18号 - 1988年22号

勝利友情といったそれまでのスポーツマンガの王道を抑えるのみならず、サッカーという競技本来リアルな楽しさにフォーカスすることで、現実社会でもサッカーブームを巻き起こした。マンガ史全体としてはドカベンがそういうジャンルパイオニアだけど、ジャンプで言えばキャプ翼がそれ。海外で人気が爆発したほぼ初めてのジャンプ作品という点も評価したい。

7.北斗の拳 作:武論尊原作)、原哲夫作画1983年41号 - 1988年35号

80年代ジャンプ象徴といえる作品。創刊以来、ジャンプの主たる系統であった劇画タッチハードボイルドな男向けの作風の最高到達点だと思う。

8.ドラゴンボール 作:鳥山明 1984年51号-1995年25号

90年代中盤のジャンプ黄金期を牽引した作品であり、連載が終了してなおもジャンプ日本マンガ文化の頂点に君臨する作品。急激な路線変更、無理やり感ある後付け設定と引き延ばしなど、負のジャンプらしさをも象徴している。

9.ジョジョの奇妙な冒険 作:荒木飛呂彦 1987年1・2号 - (ウルトラジャンプにて連載中)

国民作品として定着してきたのはここ数年って感じはするけど、現代異能バトルマンガはほぼ全てジョジョ3部の影響下にあると思うので入れざるを得ない。

10.SLAM DUNK 作:井上雄彦 1990年42号 - 1996年27号

スポーツマンガの金字塔としてやはり外せない。勝利と成長の喜び、敗北と挫折の苦さがこれ以上なく詰まっている。マンガの域を超えて心に響く名言が多いのも特徴だと思う。

11.るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 作:和月伸宏 1994年19号 - 1999年43号

特筆して後世への影響や売り上げがずば抜けている印象はないけど、DB幽白スラダン終了後ワンピナルトブリーチが現れるまでの柱としてジャンプ暗黒期を支えた世代代表として入れておきたい。

12.遊☆戯☆王 作:高橋和希 1996年42号 - 2004年15号

ここに入れるのはだいぶ攻めてるような気もするが、集英社における映像媒体以外のメディアミックスとして最大の成功例ではあるのでね。お金正義

13.I"s 作:桂正和 1997年19号〜2000年24

ラブコメから選ぶならこれかな。ジャンプの主たる読者層である10代の甘酸っぱい青春がこれ以上なく伝わってくる作品肉感的なエロさを持った絵は典型的少年マンガっぽくありつつ、キャラクター内面を繊細に描き出す表現力が見事。

14.ONE PIECE 作:尾田栄一郎 1997年34号 - 連載中

大河ドラマ的な作風であったり、連載中であったり、作画コストが高すぎたりで他作品へ与えた影響がまるで感じられない(マネしたくてもできない)点が評価を迷うポイント。でもなんだかんだ国民マンガジャンプ看板地位は譲ってないのがすごい。

15.HUNTER×HUNTER 作:冨樫義博 1998年14号 - 連載中

残酷で先の読めない展開、異常に複雑で難解な設定、それでいて少年マンガ的なシンプルな熱さを持ち合わせた稀有作品。「続きが気になるマンガ」を描かせたらなんだかんだ冨樫の右に出るものはいない。

16.NARUTO 作:岸本斉史 1999年43号 - 2014年50号

まあ、国外で最も人気のあるジャンプマンガなので(適当)。

17.ボボボーボ・ボーボボ 作:澤井啓夫 2001年12号 - 2005年50号,2006年3号 - 2007年31

純粋ギャグから一作入れたかった。読者をただ笑わせるパワーにおいて、この作品を超えるものジャンプ史上ないと思う。

18.DEATH NOTE 作:大場つぐみ原作)、小畑健作画2004年1号 - 2005年11号,2005年20号 - 2006年24

サスペンス主体としたマンガとしてこれ以上ない完成度。ジャンプ作品って大別するとバトルものスポーツもの恋愛ものギャグもののどれかになると思うんだけど、それ以外のジャンルで最も成功を収めた作品な気がする。

19.鬼滅の刃 作:吾峠呼世晴 2016年11号 - 202024

ワンピース以降不在だった、圧倒的な看板力を持つマンガ

趣味多様化出版不況といった逆風を跳ね返せる力がマンガにはまだあると示してくれた功績がデカい。それは単行本の売り上げや映画興行収入より何倍も価値がある。

20.チェンソーマン 作:藤本タツキ 2019年1号 - 2021年2号

今のジャンプジャンプ+がどんどんジャンルレス化している主たる要因はやはり藤本タツキだなーと思う。コンセプチュアルでありながら大衆性少年ウケを奥底に秘めた感じというか。まだそこまで顕在化してないけど、今後10年でタツフォロワー無限に産まれそうな予感がするので入れておく。

anond:20220703132033

80年代半ば生まれだが主語が大きすぎる。

中学生までなら見ていたテレビ番組次第では仕方がないが、少なくとも自分の周囲では高校生テレビを見る時間が減ってきたあたりで減った。

00年代中ごろは「世界の中心で愛を叫ぶ」やら「1リットルの涙」やら同情を誘う薄幸闘病もの流行ってたし。

00年代後半にはネットが普及してきてテレビ以外の娯楽が増えたのと、10年代には大規模災害複数あって社会的福祉的な気性が出来ている。

少なくともあの時代ダウンタウンやらロンドンブーツ番組を見続けない限りあの価値観は維持できない。

よく言われるのがさんまさん(&ひょうきん族)とダウンタウン比較

さんまさんによるとダウンタウンは「根暗」で、

松本さんによるとさんまさんは「クラスに一人はいる人気者」。

さんまさんの場合はどこいっても学校一の人気者だろうけど。

80年代はそういうお笑いで、

90年代ダウンタウンのような少しギークシニカル皮肉な笑いがウケた。

00年代以降はよく知らん。

1980年代まれ90年代後半~00年代前半に若者だった世代だけど今どきの若者からしたらキチガイ人物扱いなんだろな

この年代まれの連中が若い頃、男女問わず当然に共有されてた価値観があってそれは

「人を酷く傷つける、めちゃくちゃに恥かかせることを思いがけない角度や独特の言い回しで言える奴が強い、エラい面白い、カッコイイ」

みたいな価値観なんだけど多分今の若いからしたら理解不能唖然呆然なんだろな。

今どきの若い人は妙に道徳的な奴多いから。

でもこれってマジでから好かれたり絶対イジメられたりしないイケてる奴ほどこの価値観強く持ってたのよ。

田舎だと今もこんなもんらしいけど、90年代00年代って田舎も都会も東京若者はそういう価値観に染ってた。


そんな価値観に基づいた無邪気な害意があちこちで飛び交ってたのは、全盛期ダウンタウンロンドンブーツ(っていうか『やるキッス』とかやってた時代の初期ロンハー)の影響がめちゃくちゃ大きいと思ってる。


ダウンタウンやばかったもんなあ。

生放送特番でいきなりつぶやきシローに対してコンビ2人がかりで鬼みたいに顔で

なんやその喋り方寒いんじゃボケ!!!!」

とかサラ金の取り立てみたいに怒鳴り散らして萎縮させたり(見かねた上島竜兵道化モードで止めに入るレベル)、

野球挙っぽいゲーム企画でお色気要員として呼ばれたけど、これ以上も脱ぐの?的に困惑して進行滞らせた無名女性タレントに対しても

「お前さっさと脱げやボケ!!!!」

で容赦ない強要したり(ビビり倒したナイナイが半泣きでその女タレントに「じぶんほんま頼むわ…はよしてくれや」と八つ当たりする始末)。

老人と化した今の彼らがよくやるヤクザ風のキレ芸じゃなくて当時はガチだった。

本当にどうかしてるんじゃないかってくらい彼らはことあるごとにイライラしてた。

そういうのに当時の若者の多くはモロに影響受けてたね。

15年前の若者有吉あだ名芸や毒舌猿真似をこぞってしたがったのと同じ。

あの時代10代はとにかく精神ぶっ壊れてた(歳食った今も人間性変わってないんじゃないか?)。

例えば、悪意丸出しの婉曲表現やニヤニヤ笑いで障害者イジりするとかにかなりの割合の奴がためらいなかったもんなあ。

だって俺の同年代の奴らはふとした時にかなり際どいこと言うやつ多いもん。

ボソッと知的障害者ネタにしたり。ブスな有名アスリート皇族とヤレるかどうかみたいなバカ話したり。


こういうイヤ~な感じで陰湿価値観がよく表れた「働くおっさん劇場」っていう松本人志のバラエティ番組があるので、興味がある人は是非見て欲しい。

80年代まれ的な異様な価値観がどんなものかよく分かると思う。

anond:20220703132033

anond:20220703134654

これ80年代まれ価値観だと思うぞ。

まり90年代価値観80年代価値観はただ馬鹿脳筋なだけで底知れない陰湿さと悪意は無い。

anond:20220703132033

大体同じ年代層だけど、その「80年代価値観」は10代後半時点で古くなってたから捨てたわ。周りもそんな感じだから、その価値観を持ったまま歳をとった人ってピンとこない。

OSでいうところのセキュリティアップデートで、定期的に更新させられてる感じはある。それを拒む気もない。なんせセキュアな生活のためだから。抵抗して古い環境(古い価値観)を正として生きるほうがしんどい

1980年代まれ90年代後半~00年代前半に若者だった世代だけど今どきの若者からしたらキチガイ人物扱いなんだろな

この年代まれの連中が若い頃、男女問わず当然に共有されてた価値観があってそれは

「人を酷く傷つける、めちゃくちゃに恥かかせることを思いがけない角度や独特の言い回しで言える奴が強い、エラい面白い、カッコイイ」

みたいな価値観なんだけど多分今の若いからしたら理解不能唖然呆然なんだろな。

今どきの若い人は妙に道徳的な奴多いから。


でもこれってマジでから好かれやすかったりする、絶対イジメられたりしないイケてる奴ほどこの価値観強く持ってたのよ。

田舎だと今もこんなもんらしいけど、90年代00年代って田舎も都会も東京若者はそういう価値観に染ってた。



そんな価値観に基づいた無邪気な害意があちこちで飛び交ってたのは、全盛期ダウンタウンロンドンブーツ(っていうか『やるキッス』とかやってた時代の初期ロンハー)の影響がめちゃくちゃ大きいと思ってる。



ダウンタウンやばかったもんなあ。

生放送特番でいきなりつぶやきシローに対してコンビ2人がかりで鬼みたいに顔で

なんやその喋り方寒いんじゃボケ!!!!」

とかサラ金の取り立てみたいに怒鳴り散らして萎縮させたり(見かねた上島竜兵道化モードで止めに入るレベル)、


野球挙っぽいゲーム企画でお色気要員として呼ばれたけど、これ以上も脱ぐの?的に困惑して進行滞らせた無名女性タレントに対しても


「お前さっさと脱げやボケ!!!!」


で容赦ない強要したり(ビビり倒したナイナイが半泣きでその女タレントに「じぶんほんま頼むわ…はよしてくれや」と八つ当たりする始末)。


老人と化した今の彼らがよくやるヤクザ風のキレ芸じゃなくて当時はガチだった。

本当にどうかしてるんじゃないかってくらい彼らはことあるごとにイライラしてた。

そういうのに当時の若者の多くはモロに影響受けてたね。

15年前の若者有吉あだ名芸や毒舌猿真似をこぞってしたがったのと同じ。


あの時代10代はとにかく精神ぶっ壊れてた(歳食った今も人間性変わってないんじゃないか?)。


例えば、悪意丸出しの婉曲表現やニヤニヤ笑いで障害者イジりするとかにかなりの割合の奴がためらいなかったもんなあ。

だって俺の同年代の奴らはふとした時にかなり際どいこと言うやつ多いもん。

ボソッと知的障害者ネタにしたり。ブスな有名アスリート皇族とヤレるかどうかみたいなバカ話したり。



こういうイヤ~な感じで陰湿価値観がよく表れた「働くおっさん劇場」っていう松本人志バラエティ番組があるので、興味がある人は是非見て欲しい。

80年代まれ的な異様な価値観がどんなものかよく分かると思う。



追記1

主語がでかいとかそんな価値観知らないとか白々しいこと言わないで。

ダウンタウンはそういう陰湿攻撃的な人を傷つけまくる芸風で若者から絶大な支持を得ていたし、

学校では人を傷つけまくる陰湿な奴が友達多くて彼女も取っかえ引っ変えでお前らより充実してたじゃないっすか。みんな自由やらせてたじゃないっすか。


追記2

でもブコメ民はどうせ「ハマタは好き」なんだろ?

大したリベラルだな。

お前らマジできしょいわ。

2022-07-02

「Aくんの作文」の元ネタを探してます

概要

Aくんの作文、A 子さんの作文、バイクでいくぜ!などと呼ばれている小噺元ネタを探しています

ネット上の断片的な情報をもとに、まずは90年代前半の学研科学学習調査中。

もし、元ネタに心当たりがある方はどんな情報でもいいのでコメントをください。お願いします。

Aくんの作文とは

いくつかパターンがありますが、大方以下のような話です。

(アニヲタwiki(仮)より引用)

A君の今日宿題は作文です

A君は作文の書き方が分からなかったので料理中のお母さんに「お母さん、作文教えて~」と聞きました

お母さんは「あとでね」と言いました

A君は作文に『あとでね』と書きました

次に、A君はお父さんに「お父さん、作文の書き方知ってる~?」と聞きました

お父さんは「あったりめぇよ!」と言いました

A君は作文に『あったりめぇよ!』と書きました

次に、A君はアニメを見ている小さい妹に「作文ってわかる~?」と聞きました

妹は「アンパンマーン!」と言いました

A君は作文に『アンパンマーン!』と書きました

次に、A君は彼女電話しているお兄ちゃんに「お兄ちゃん、作文教えて欲しいんだけど……」と聞きました

お兄ちゃん電話に夢中で「バイクで行くぜ!」と言いました

A君は作文に『バイクで行くぜ!』と書きました

そして、次の日

先生「A君、宿題を発表して下さい」

A君「あとでね」

先生先生をなめてるんですか!?

A君「あったりめぇよ!」

先生「私をなんだと思ってるんですか!?

A君「アンパンマーン!」

先生「後で職員室に来て下さい」

A君「バイクで行くぜ!」

なぜ元ネタを探しているのか

先日この話を思い出してネット元ネタを調べても分からず、気になって仕方なくなったため。

本当にそれだけです。

ネット上の情報

知恵袋ベストアンサー学研科学学習に載っていたとのコメント

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1321798893

アニヲタwiki(仮)では

VIPPERでは1990年代かそれ以前に一度聞いたとされる書き込みが見られる

ピクシブ百科事典では

バイクで行くぜとは1980年代後半以降、全国の小学生の間で同時発生的に流行ったネタの事である

(中略)

昔の学研科学学習漫画元ネタなんだとか。

また、2chまとめブログコメント欄で「科学投稿でみた」「学研付録漫画で見た」とのコメントあり。

以上から80年代後半〜90年代学研科学学習の本誌、あるいは別冊付録元ネタがあると推測しました。

調べたこ

80年代後半〜90年代では範囲が広いので、ひとまず90年代前半に絞って資料を調べました。

科学の別冊付録

90年代前半には別冊付録がない(あるいは所蔵されてない)ことが判明。

科学学習の別冊として学年毎に年2冊刊行された「読み物特集

→91年と92年の一部を閲覧。しかし該当作なし。

また、90~95年の科学学習本誌を100冊ほど閲覧したがこちらも該当するものなし。

情報提供のお願い

不確かな情報をもとに元ネタを探すのは厳しいと思っていましたが、予想以上に大変です。

掲載年や形式不明なので1冊1冊を集中してみる必要があり、かなり体力と精神力を奪われました。

とはいえこのまま元ネタが分からないのは非常に嫌なので調査を続けていきます

もしAくんの作文について何か情報(雑誌を見た年、学年、掲載形式など)をお持ちの方はコメントをお願いします。

「正しさ」に窒息しそう

食中毒出した店が取り締まられるのはいいけどこんな大騒ぎするもんじゃねえだろ、生ガキだって「色々検査して安全性は確保してますが当たる時は当たります」で売ってるんだわ。鳥刺し系も「気を使ってるけど当たる時は当たります」表示を徹底させればいいだけじゃん。

子供スケボーみたいなので遊んでて怪我して死んだって、そりゃ遊んでりゃ稀にそういうこともあるんだよ。当事者は大いに悲しめばいいけど、社会全体で大騒ぎするから社会子供絶対安全安心提供すべき→親も子供絶対安全に育てるべき→責任重すぎで少子化、ってなるんだろ。一人死んだら三人産めばいい、一日1000人死ぬけど1500人産んでます、みたいな気軽な感覚に戻さないと人口増えねえよ。

京都ネタはやめろ尼崎ネタはやめろ東北ネタはやめろ東京ネタはやめろ、チー牛はやめろこどおばはやめろ、冗談でも人権ないとか地雷とか言うな、そうして誰かが傷つく言動を一個一個潰してったら、生傷は減ったけど呼吸ができなくなって生きが悪くなってる。チー牛なんて元々オタク同士の自虐ネタだぜ、「内輪以外の目にも触れる世の中だから」なんて理屈で、自虐ネタすら許されない世界幸福か? 踏んでる足をどけましょうってみんなで見張り合ってたら、ダンスする人がいなくなって文化は衰退期に入りました。

日本イノベーションが起きづらい、画期的企業が少ないし経済成長しない、それがなぜか? 色々理由はあるけど、一つには企業安全責任政治的正しさを求めすぎだからってのもあるだろ。中国並になったらヤバすぎるが、アメリカ辺りでも企業活動被害被った人間新サービス対応できず切り捨てられる弱者へのフォロー結構なおざりで、だからこそモラルには欠けるが開発や金儲けの才能はあるやつが集まってきて、活気が生まれ経済成長するんだよ。まあ最近では、先進国はどこもまずモラルありき、コーポレートガバナンスコンプライアンス重視ってなってはいるが、日本は70~80年代から割と安全安心意識が厳しかったのにさらに強まって、ろくすっぽ面白い企業活動が出来ねえ。ごくまれ成功しかけても、頭角表しだした頃に「正しい社会からコンプライアンス問題を指摘されて勢いを削がれる。最近ならアニメ漫画アイドルVTuberプロゲーマーみたいなオタク産業ちょっと活性化してきたが、なんとまあ素行を叩かれることよ。いけいけどんどん、不道徳からなんじゃガハハでやりゃいいんだよ。

だって「正しさ」と「安全」に大いに守られてきたさ。でも先進国ほど少子化になってるし、特に治安の良い日本特に少子化が深刻なのを見ると、これは続けられないんだろうなっつう危機感がある。モラルがひどかった時代よりマシだと断言する人は、モラル正しく安全人口減少していきづまるならそれでいいと思ってるのか答えてほしい。それって穏健な反出生主義に近づくけど。

目の前の苦痛をやわらげようってのは優しさだけどさ、それはミクロ目線での善行であって、マクロだとむしろ悪い結果に繋がることもあるんだよなあ。

お前らは人類史上最も賢いはずなのに、瞬間的な同情や共感に引っ張られすぎだ。目の前で飢えてる子供がかわいそうだからとなけなしの種モミを振る舞って、次の年には集落丸ごと飢えちまうみたいなことをやっている。その子の身内がそうしたがるのは仕方ないが、他人は同情と冷静な計算を両立させてくれ。

「目の前で苦しんでる人間は、四の五の言わずまず救うんだ!」というもっともらしい道徳意識が強まり、かつ「新たな苦しみを次々に定義し主張するメソッド」が広まってる現代は、短期的な安心安全を追及して、結局は清潔な集団窒息死に向かってるんじゃないですかね。

個人の話をしてるんじゃねーよ、「正しさ」という祟り神に目をつけられぬよう息を潜めながらじゃないと他者と触れあえなくなってきた、お前ら文明人の先行きの話だよ。







ブコメに対して

「今回の食中毒事件じゃ被害者はそんな覚悟なかったろ」って言ってる人たちは、ちゃん文脈理解してくれ。

今回の事件は、注意書きがなくて客が覚悟してなかったのは確かに問題だ。だから、表示するようにすべきだと俺も書いてるだろ。

しかし、生肉文化やめろとか食中毒懸念のある料理全部禁止しろとかまで騒いで、正しさと安全の名の下にどんどん締め付けようとしてる人たちはおかしいって意見だよ。

また、食の話は一例にすぎない。

俺の例示の脇が甘かったのかもしれんが、話題の一つでしかない鶏の話にだけ食いつきすぎだろ。「日本人は大抵のことは笑って我慢するが食の問題には怒る」というエスニックジョーク実例みたいになってるじゃん。

この記事主題は、社会ゼロリスク主義批判することだ。ゼロリスク主義という総論問題視するなら、各論でも、食中毒リスクの大雑把な許容という一見道徳的じゃない主張をしないと筋が通らない。

ゼロリスク主義への批判は色んな人がしているが、彼らも具体的な各論になると「正しくない」主張をするのにビビってしまいがちなんだよな。それじゃあダメだよ。感覚的に強く抵抗したくなるような各論事例でこそ総論原則に則って考えないと、どんどん議論が骨抜きになる。(匿名で書く俺もビビってるけどさ)

2022-06-30

おすすめ80年代OVA

アマプラなんかには追加される事もまれなので

そんなに手軽には見る事ができないか

興味はあるけど手を出しにくい

おすすめがあったら教えてくれないだろうか

anond:20220630113408

横だけど可愛い女が何故か冴えない俺をってパターン流行ったのは80年代90年代だと思う。

今はあなたが言ってるパターンの方が人気あると思う。

世界人口80憶人

You Tube を見ていたら、過去NHKスペシャルが上がっていた。『生命~40億年のはるかな旅』。

宇宙飛行士毛利衛さんが進行役で、「これ見たことあるわー」と思って調べたら1994年制作だった。28年前か。

冒頭ナレーションで、世界人口56億人、と言っていて、その頃はそうだったんだなと思う。今は1年で、7900万人ずつ増えていて、来年には80憶人を越える。

と言うか、私が小学生の時に習ったのは人口40億人で、それでも「急激な人口爆発」とか言われていたけど、そこから2倍になったのか。凄い増え方だ。よく養えているなと思う。

半世紀かからなくて、人口が2倍になって、それでいて、80年代以前にはよくあった飢餓が、頻度としては減ってきているのはすごいことだ。

2022-06-24

セル画アニメ撮影の話を読みたい(聞きたい)

セル画アニメに、撮影という工程がある。

セル画を重ねて、ちょっとずつ動かしながら撮影していき、フィルムに焼き付けていく作業だ。

どのセル画アニメにも必要工程だったので、80年代90年代セル画アニメ全盛期には相当な分量の撮影がされていたと思う。

たとえば、借りに1秒あたり6コマ撮影するとしても、1分あたり360コマ分。30分アニメなら7000コマ撮影することになる。

これを複数セルの動かす量をちゃんと調整しながら、ピントや露出なども合わせて安定したクオリティ撮影しつづけることになる。

相当な芸当ではないだろうか。

上の文も半分想像で書いてみてるので間違ったことを書いている気がする。

撮影に関わってた人の細かいノウハウや苦労話などを聞いてみたい。

どこかにいい資料ないだろうか。

2022-06-23

ドラえもんパラレル西遊記クレジットシャフト入っててビビった

なんとなく最近アニメ制作会社っていう印象が強かったけど、80年代にはもうあったんだな

なんかフロム・ソフトウェアファミコンゲーム出してたような気分

anond:20220623070257

ええ・・・どう考えても80年代90年代に比べたら社会的貧困層格差は増えてるだろ

そのかわり家庭内格差は減った=夫婦の稼ぎがほぼ同じになってきた

別にそれでいいと思ってる派だけど、今の日本貧困なんかない!アフリカ貧困国に比べたら天国から文句なんかない!は無理があると思うんやが

anond:20220623065049

本邦は80年代以降(売国ではなく本当の意味での)左派が頑張ったので、ずいぶん弱者に優しい国になったと思う。

中進国の罠にハマったまま高齢化突入する中国とか見ていてゾッとする。

2022-06-21

anond:20220621120803

その単語出てきたの80年代で、つまり前回見捨てられたときムーブだね。

 

今回はそれとはまた別にあるよ。

2022-06-15

日教組被害を受けた僕ら」の歴史的経緯

これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592

 

この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。

この言説のキーマン小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。

 

日教組批判が激しくなったのは1980年代後半から

日教組昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。

右翼による日教組批判特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである

街宣車大音量日教組日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校先生組合なんて知らんもんである。但し右翼一般受けは悪かったので日教組評価は下がらなかった。

また日教組集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量軍歌を流し音圧を競うようになった。

すると近所の会社仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。

でも日教組知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。

 

こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。

その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である

ソ連敵性喪失

右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼統一教会も皆同じだ。

だが1985年ゴルバチョフ書記長就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連改革政策ペレストロイカ推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。

それによって西側ではゴルバチョフ歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである

更にソ連共産党活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。

これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男ソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。

 

また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。

まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。

またソ連大使館前の道路街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバス20分以上立往生なんて事はザラだった。

 

こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。

だとしたら残存敵性勢力である日教組に向かうしかない。

という事でこの時期に日教組悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである

 

任侠右翼参入増による右翼街宣車の大増加

まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売テキ屋も同じだった。

区切りを引いたのは警察である

戦後右翼は、例えば児玉誉士夫など体制癒着しそれは米国従順という事でもあった。

1960年代末に左翼学生運動が盛んになるとこれに対する体育会右翼学生組織されていった。新右翼と呼ばれる。

新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。

ここを境に右翼系の政治結社誕生して行く。そしてそれらは「街宣車軍歌を流し辻説法をする」というスタイル確立していく。

この街宣車は最初旧軍自衛隊国防色(カーキと灰色バトルシップグレイ)だったのが後述の事情威圧感の強い黒塗りになっていく。

よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年から右翼政治結社街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。

因みに日本会議中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである

 

80年代になると校内暴力学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族右翼感染が進んだ。特攻服旭日旗暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである

更に暴走族ヤクザ構成員リクルートの場になる。

こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。

 

思想右翼の主な資金源というのは機関紙販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。

が、もう一つのパターン不正思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。

ヤクザが参入する主目的後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業商業活動暴力団が威圧をもって参入する事だ。

企業恐喝街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。

暴力手段行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。

 

因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり学生運動就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会不正糾弾する記事を書きまくり総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正総会屋が潰されると大方廃刊

だが技能を身に付けた者は大手メディアフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身結構居たのである

 

こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組集会8月9日反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエーススピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。

ハイデッキ観光バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ自動車電話冷蔵庫バーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党共産党のようなプロの街宣用スピーカーアンプを搭載して、北方領土の日にはフェリー陸路釧路とかの空港回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである

しか一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。

 

ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザ描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察問題視されていた。

そこで暴対法施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。

伊丹十三ミンボーの女には暴力団が右翼街宣車企業恐喝に来るシーンがある。この映画暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹ヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。

余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社道路に面しておらず、また同社は本社付近建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。

 

ちょっと長くなったが、「えせ右翼在日朝鮮人右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。

えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的ヤクザ運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。

 

90年代右翼不遇の時代 

こうして

1.バブル的に増加した任侠右翼暴対法により急速縮小

2.ソ連消滅により敵を喪失

となってソ連勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。

そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞コラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。

そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである

当時は欧州もみな社民政権リベラル人気で冷戦後世界情勢にも楽観的だった時代だった。 

 

 

 

続き→https://anond.hatelabo.jp/20220615180755

anond:20220613094136

LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚批判する議論はありますぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます

まずゲイ男性同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的交流交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定相手との排他的関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターン自分たちが創り上げた独自ライフスタイルゲイライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。

もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代ヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています

もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアンフェミニスト的な立場人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たち模倣するなんて…という抵抗感もありました。

そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですからさらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。

こういう流れを一変させたのが、80年代AIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVAIDSは、発症抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地ひとつとなった米国ゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市コミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまりパートナー医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。

結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもありますAIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験想像ゲイレズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピック海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由享楽的ゲイライフ」という夢の先にある、生活者としての現実シリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが自分後者だと思います

AIDSパニック以後、ゲイレズビアンアクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護ニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者法曹支援者同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージチョーンシーの『同性婚 ゲイ権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。




というわけで、実は元増田意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアンゲイコミュニティでの典型的同性婚批判ロジックとしっかり符合してるからです。

自分同性愛者だったら絶対結婚とか目指さんけどな

だって結婚って異性であることを前提とした文化制度法律じゃん

そんなもん同性パートナーとのルールとして採用したくないわ


これは上でも書いた「異性愛前提の制度模倣従属すべきでない」という声。

それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい

それが多様性だろ


これは「既存結婚制度に縛られない、よりフラット意味合い法律関係シビルユニオンPACSパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります

よく話聞いてると同性婚目指してる人たちって、結婚恋愛のゴールだと思ってる節あるんだよな

から同性愛者にも恋愛のゴールとして結婚させろと言ってるみたいでアホっぽい


恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義ロマンティック・ラブ・イデオロギー模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイ歴史学者で「自分同性婚法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認象徴なんですよね。その関係行政公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います

元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアンゲイコミュニティだと思います

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