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はてなキーワード: 80年代とは

2022-08-28

anond:20220828102724

大学行ってない奴には実感ないのかもしれないが、80年代大学新入生は「原理研には気をつけろ!」とさんざん注意喚起されたものなんだよ

脳金Fランはどうだったのか知らんけど

2022-08-27

山上については警察適当捜査して、検察裁判所略式起訴略式裁判本人不出頭で終わらせたいだろうな

リクルート佐川急便政治汚職断罪されたのは80年代の話

ミレニアム司法改革以降は佐川リクルート警察国交省の天下で、断罪ナニソレ美味しいの?とか言ってる

今回は国葬補助金が貰える業者ちかが、警察に動いて貰ったのかなあ

事件予測して事件が起きやすいよう計らったところで、罪にはならんのだろ?

海外日本世界最先端だった」 70・80年代日本黒人音楽世界から絶賛の声

https://b.hatena.ne.jp/entry/kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-4078.html

なんか当たり前だと思うんだ。タイトルの「黒人音楽」はちょっと変だけど。

昭和の頃、可処分所得結構割合ステレオセットにみんなつぎ込んでいた。1970年代にはパソコンがほぼなかった。

(それでソニーヤマハ、山水、オンキヨートリオなど多様なブランド切磋琢磨していた)

状態のいいレコードが沢山残っているのは往年の音楽ファン鬼籍に入ったりして中古店に放出されているから。大事に保管されて新品同様の盤がある。

日本人世界中音楽を聴きまくっていた。なんかニューヨークで、ロンドンで、とかいう圧がすごかった。

・なんかお金持ちの人達ニューヨークロンドンで拾ってきた流行渋谷とか六本木で再発信するみたいな流れがあったんじゃないか

大貫妙子の後ろでドラム叩いてるのYMO高橋幸宏だし、キーボード坂本龍一だし、ベース細野晴臣だし、クオリティ高くて当たり前じゃないか

いまの日本って取りつかれたように最先端を追求するとかないもんね。お金時間もないし。ステレオセット置く家もないし。音楽米国でも

なんていうか貧乏人の時間潰しみたいなの多いよね。

anond:20220827015542

あんたらの息子世代80年代日本東京が輝いてた論者本当に大嫌い。文脈わず無理だ

anond:20220826141838

多分同世代。確かにそんな空気あった。上流下流わず。まあ悪い風潮だよな。

でも若かったのもあるだろうけど杉山清貴竹内まりや山下達郎に彩られてた80年代日本は本当に輝いてた。時代遅れ人間であることは認めるがそこだけは譲れない。

2022-08-26

富野由悠季仕事

YouTubeザンボット3配信されていたので富野由悠季の略歴を調べたら、この人は80年代の人であることがわかった。ガンダムイデオンダンバインで売れて、エルガイムで失敗、それ以降はガンダムに集中するようになった。

anond:20220826142443

杉山清貴が出てくるってとこはそれくらいやろ。80年代日本全盛期を知ってるおじさん増田やん。

2022-08-23

anond:20220823190833

なるほど納得。

ちょっとズレるけど洋楽アルバム和訳センスも好きだったんですけどねえ。

最近はみんなカタカナでそのまんまな輸入に。

anond:20220823190833

80年代90年代インターネットがなく多言語辞書を扱える人材も少なかったため

謎のカタカナ造語が氾濫した

anond:20220823122035

紙のジャンプコミックスも値上げはしてるしな。

ドラゴンボール一巻が80年代価格で売ってたりしないし。

2022-08-22

きみは高槻うどんギョーザを知っているか

夫の言い出した『たまごどうふ』がわからない - Togetter

これを見て思い出していたんだが、うちの家にはニラ玉という名前で伝わる謎の料理があった。

肉のミンチ、刻んだチルドうどん、いい感じに切ったニラ生卵を混ぜ合わせて、ちょっと薄くして両面焼くというシンプルかつガツンと来る料理だ。ポン酢で食べる。

うどんが焼けてパリパリになるのがうまいんだよな。

ニラを入れて小さいお好み焼きみたいな玉にするからニラ玉。

幼少のみぎりよりそのように育てられて来ていたのだ。

からこの炭水化物と脂質の暴力みたいな食い物がかなり好きだった……。

幸いにして、うちではレシピ伝承され一人暮らし時代にもよく作っていた。

クックパッドにも一切でないし、親に聞いても祖母から聞いた由来のわからん謎の料理であると……。

結婚してからも何故ニラ玉と言うのかわからん。謎すぎると言いながら食べていたんだが。

ある時見つけたのだ。

高槻うどんギョーザ - Wikipedia

これだーーー!!!

全く同じ!

こうしてニラ事件は無事解決を迎えたかに見えた。

だがちょっとおかしい。Wikipediaによるとこの料理80年代高槻主婦から伝承されたとある

うちの家系はそっちに地縁はないし、祖母の代からならもっと早くから作られていたはずなので。

どういうこと?

ニラ事件はまだ解決していない。我々の調査はまだ始まったばかりなのである

いや……わりとマジで気になるので現地に行って確認したいまであるな。

あと本題なんですが、冒頭の件、こんなどうでもいい夫婦コンテンツでボロクソに叩かれ、あまつさえ離婚しろとまで言われるの、インターネットって怖いところだなって思いました。

2022-08-21

anond:20220820221916

最近非モテだとか、喪女コミュ障といった属性タイトルにいれる文章が多いとふと思った(最近といってもここ10年くらいのスパン

これって、物語にスッと入ってもらうにはとてもいいキーワードではあるんだけど、

読み手に対する予防線でもあるんだよね。「不器用人間ですから。そっから先は聞かないでください(高倉健)」みたいな。

自虐的自称は、80年代の「オタク」、90年代の「ニート」が最初ではなくて、もっと遡れば1960-70年代ノンポリ

そのほか、もっと広くとらえれば、モラトリアム世代フーテンヤクザ浪人渡世人と、江戸時代までさかのぼる。

とりあえず非モテで考える。

タイトル自称するということは、非モテイデオロギー的な主体読み手に受け入れさせ、非モテイメージコーティングされた主体だけを提示し、物語を展開する、ということ。

非モテという言葉違和感なく入り込める、まず読者の選別をする。

そこに読者を誘導する意味は、結局のところ、選別した読者に、見せたい自分をみてもらいたいということなんだろう。

そうすると、必然的に、主題は、「自分に対する評価」になる。

自分の話がいかに読者の心に響いたか、あるいは、いか自分評価されたか、されなかったか

2022-08-18

anond:20220818174602

80年代大学生だったら、まあ平和戦争への認識なんてそんなもんだよ。 

ビートルズイマジン現実にやることが「平和」だと思っちゃう空気が、かつて確かに正当で主流だった。。

 

リベラルがどうこういうより、老人になって勉強をやめちゃったなら、偉そうに語るのもやめないといけない、みたいな話だろう。

2022-08-17

ドラえもん のび太魔界冒険1984)。

ドラえもんの「もしもボックス」で魔法が使える世界が作られてしまう。これは、「もしも〜だったら」という条件を設定すると、それが適用された現実世界が生み出されるという、とんでもない道具だ。シミュレーション世界を作っているわけではなく、現実として世界を改変する、または条件が適用された別世界を丸ごと創造している。もはや神の次元

魔法世界では魔王世界侵略しようとしている。(なぜか映画ドラえもんでは何かに侵略されがち)そして魔王と手下の悪魔は強い。一回はドラえもんがいても負けてしまう。この展開は子どもの頃に見たら、ハラハラしてしまうだろう。悪魔デザイン結構怖い寄り。

ゲストヒロインちゃん活躍していたり、80年代感満載の音楽が今の耳で聞くと再評価できたり、楽しめるポイントが多い。

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-14

出生率が高いのはどんな地域

anond:20220614165753

どうも元増田です

ずいぶん前に出生率について書いて、色んな疑問、例えばなんで栗東市出生率が高いのか、といった疑問をブコメでもらって、

いつか書いてみようかなと思いつつ、ついつい忙しくてお盆になりましたとさ

というわけで、出生率が高い地域はどんなところか書いていこうと思うよ

出生率が高い地域の条件

最初から結論を書いちゃう

1.door-to-doorで工業都市へ30分以内or東京大阪名古屋へ1時間半以内(もちろんandであればなお望ましい)

2.一般労働者でも広々とした家が買えること

この二つだよ

もちろんこれ以外にも要素はあるだろうけど、それは例えば「周囲から結婚圧力がある、出産圧力がある」みたいな話で、

あるかもしれないけど定量的に測りようがないし、それを答えとするのではみんな納得しないだろうしでいったん無視するよ

具体的に出生率の高い地域とは

最初に一番重要出生率データだけど、一覧性を考えて以下の日経データを参照するよ

https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/regional-regeneration/birthrate-map/#8235

基本的出生率数字はこの2013~2017の数字を指すことにするよ

ちなみにここには全国平均の出生率が書いてないけど、この期間の全国平均は1.43だよ

で、さっそく栗東市の話を~としたいところだけど、まずは大都市への近さの話をするよ

流山市つくばみらい市

一番わかりやすいのは、この2市だね

場所がわからないよって人に向けて言うと、流山市チーバくんでいうところの鼻の下あたり、つくばみらい市はそこから東方面の茨城県に入ったところだよ

出生率流山市が1.58、つくばみらい市が1.65

なぜこの2市が高いかといえば、つくばエクスプレスがあるからです

つくばエクスプレスは新しいのと郊外を走ってることもあってスピードが出せるんだよ

つくばエクスプレスができたのが2005年なので、このデータの推移を見るとこの2市が右肩上がりなのがわかるでしょう

栗東市

前回比較に出した栗東市だよ

出生率2.02

栗東市場所滋賀県南部やや西寄りのところだよ

栗東市は何があるって言うとそれはもう工場だよ

東海道新幹線に乗って車窓を見てると、北側にめちゃくちゃデカ積水化学工場、両サイドにこれまたデカ日清食品工場があるんだけど、

これらがあるのが栗東市だよ

特に日清自社工場が5か所と協力工場6か所があるんだけど、そのうち自社工場2か所(滋賀工場関西工場)があるのが栗東市だよ。(ちなみに他の自社工場茨城静岡山口

ただ順風満帆だったわけじゃないよ

新幹線新駅を見込んで土地を買収していたのに嘉田知事誕生で直前に建設中止、その後リーマンショック

傾いた財政を立て直すために市長が選んだのは徹底した企業優遇市民サービスカットだよ

からいまだに栗東市子供医療費無料化は就学前までと全国最低レベルだよ

それでも充実した雇用先で高い出生率を保持しているのが栗東市だよ

福知山市

関西方面出生率が高いところとなると、京都府福知山市も見逃せないよ

出生率2.02

下の福知山市資料を見てもらうとわかりやすいと思うけど、

https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/site/promotion/27481.html

福知山市がすごいのは通勤時間の短さだよ

平均通勤時間が片道で18.3分、楽々だね

かといって祖父母は近くに住んでいるけど、3世代同居は少ない=新しく家を作るだけの開発余力もあるってことだね

忍野村

関西から離れるけど(別に関西にこだわる理由もないんだけどね)山梨県忍野村を見るよ

出生率2.06

日経地図山梨県を見れば一つだけ真っ赤な場所があるからすぐわかると思うよ

忍野村がすごいのもやっぱり工場だよ

RESASっていう内閣府データを見てもらえればわかると思うよ

https://resas.go.jp/industry-all/#/map/19/19424/2016/2/4/1/-

これは企業付加価値産業割合を表示したものなんだけど、ほぼすべてが製造業

なんでこうなるかというとファナックっていう産業機械世界メーカー工場があるからだよ

Googleマップなりで見てもらえればわかるけど村に対して巨大な工場群があるよ

数字で言うなら忍野村可住地面積(ざっくりいえば平地の面積)が11.5平方キロにたいして、(正確に言えば隣町の山中湖村も含むんだけど)ファナック工場の面積が1.8平方キロだよ

まり村の平地の1/7くらいが1社の工場敷地だってことだね

 

では栗東市福知山市忍野村はなんでこんなに工場があるかって言うと、十分な開発可能土地があること

そして高速道路だよ

栗東市名神高速栗東IC栗東湖南IC福知山市舞鶴若狭自動車道福知山IC忍野村は村内にはICはないけどファナック工場の真横に東富士五湖道路山中湖IC

実をいうと栗東市はこの手の話をするときにはよく出てくる街で、なんでかといえば田中角栄日本列島改造論で、「高速道路で豊かになった街」として栗東市(当時は栗東町)が紹介されるからだよ

事実こうやって安定した雇用、そしてその結果として高い出生率享受しているわけだから、そりゃ70年代80年代に全国の首長が競って高速道路陳情をしたもの当然なわけだよね

おおげさじゃなく、村の存亡がかかってるわけだから

道路is政治政治is道路と言ったのは竹下登だと言われているけど、まさにそれが昭和後期の政治だったわけ

 

と、こう書くと、「なるほど、やっぱり少子化対策に一番重要なのは所得、そしてインフラなんだね!」ってなるかもしれないけど、そう結論付けるのはちょっと待ってほしいんだな

所得村(ただし...)

大都市ではないけど高所得な村を2つ紹介するよ

飛島村

愛知県にある飛島村だよ

この村は昔々、伊勢湾台風で甚大な被害を受けたんだよ

その復興策として当時の愛知県が全力で投資をしたんだよ

その結果、県内有数の工業地帯になって、圧倒的な法人税収を手に入れたんだよ

その結果として

・18歳までの所得制限なし医療費無料化はもちろん、

結婚で5万円、出産小学校中学校入学10万円給付

公立中学校なのにアメリカホームステイ制度もある

まり関係いから詳しくは書かないけど高齢者予算も潤沢だよ

 

これだけ仕事もあってお金もあって子育て予算も潤沢なら、さぞ出生率が高いと思うじゃん?

飛島村出生率は1.56です

ちなみに愛知県の平均が1.55です

まりほぼ県平均

 

なぜこうなるかというと、市の大半が洪水リスクから市街化調整区域指定されているからだよ

このために住宅地を増やすことがほぼ不可能なんだ

このためによその人が入ってこれないんだね

 

から愛知県内では、十分な土地があって、工業都市豊田市大都市名古屋市のどちらにもアクセスできる日進市(1.85)、みよし市(1.80)、刈谷市、(1.80)、大府市(1.93)のほうが出生率が高いんだ。

地域から移住が望めるからね。

猿払村

次は北海道猿払村

ここも昔は貧しい村だったんだけど、近年はホタテ漁があたって、

たとえば2017年では、地域平均所得港区千代田区に続く全国3位になったよ

漁業が主軸なだけあって変動が激しいけど、平均すればだいたい全国10前後、具体的に言えば品川区と同レベルで推移しているよ

これだけ高所得なこともあって大きなお屋敷が立ち並んで、ホタテ御殿と呼ばれているよ

 

そんな猿払村出生率は1.63

全国から見れば高いといえば高いけど、隣接する稚内市(1.58)、豊富町(1.54)、頓別町(1.56)、幌延町(1.69)とくらべると、「やや高い」という水準にとどまるね

なぜこうなるかといえば簡単な話で、高所得なのはホタテ漁師だけだからだよ

よそ者猿払村移住していきなりホタテ漁師になれるわけじゃない

ホタテ加工工場仕事はあるけど、賃金水準は低いよ(ま、それでも仕事がない村よりはましかもしれないけどね)

 

この2村からわかるのは、もちろん経済力があるに越したことはないんだけど、より出生率重要なのはいかに「出産適齢期の移民」を入れるかってことだよ

経済はその移民を連れてくるのに一番手っ取り早い「宣伝」になるってこと

なんで高速道路はうまくいかなかったのか

さて、上で高速道路で村が活性化する話をしたんだけど、今そういう話をしても誰も信じないよね

なぜかといえば、やはり限界があるからなんだ

たとえば栗東市高速道路武器日清食品工場を誘致したわけだけど、高速道路によって日本工場が増えたわけではなく、

実際は日清はほぼ同時に高槻工場を閉鎖しているんだ

まり移転なわけだね

栗東市での雇用が発生したのと同時に高槻での雇用が失われた

からと言ってゼロサムってわけでもないんだけど、プラスなのはあくま効率化した分だけなんだ

から市町村単独プラス効果分だけ見て、全国に高速道路ができたら全国でどんどん工場ができるって言うのは間違いなんだよ

 

...って言うとみんな納得してくれるんだけど、それは少子化対策も同じだよ、って言うとみんな怒り出すんだ

同じロジックで同じことを言ってるだけなんだけどね

 

市町村単独出生率を上げることはできる

ただしその大部分は他の市町村から奪ってきた出生率

仮に令和の所得倍増計画が本当に(しかも実質で)実現して日本全国が飛島村状態になるとかい池田勇人もびっくりな経済成長が起こったとして、

せいぜい到達できる出生率は1.55程度(つまり+0.1程度)

なぜなら全国で経済成長しちゃったら若者の取り合いが起こらないか

 

もちろん市長さんが自分の市の人口を増やすためにポテンシャルを生かして試行錯誤することはいいことだよ、賛成

子育て支援を増やすことはいいことだと思うよ

でも、あたかも全国でそれができる、どんどん出生率が上がるかのように言うのは不誠実だね

親が一流企業部長東大生が、「生まれ学歴なんて関係ないよ」、「誰でも普通に勉強すれば東大合格できるよ」って言っちゃうくらいのうすら寒いものを感じるよ

 

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追記

思いのほかコメントがついてびっくりしているよ

沖縄はどうなの?チェリーピッキングじゃないの?って言うコメントについては、半分そうだね

最初にも書いたけど、どうしても「地域性、地域空気」みたいなものは強くて、上でかいた内容で出生のすべてを説明できるわけじゃないよ

ただそういう話に踏み込もうとすると、データの不足(というか「地域空気」のデータなどない)もあるし、どうしても「男女論」的な雰囲気がまとうから避けたね

とくにはてブって男女論は燃え上がりやすいからね

単純な男女対立みたいな話にはしたくないから書くとしたら気を使って書かないといけないから、書くとしたらまた先になっちゃうかも

データで見れる範囲で書くとしたら、ブコメリクエストのあった奈義町を中心に書いてみようかな

ではまたいつの日か

2022-08-12

anond:20220811212437

仰っしゃりたいことはわかります。でもまあ時代時代流行りがありますから

(と言っても、今チャートに上がっている曲が「先進的だ」などとは全く思いません

それこそ「いつの時代の曲だよ」と感じるものもあります。新鮮味がない

一方でびっくりする程惹かれる変わった曲とかもあります

本邦に於いて昨今流行っているボカロ系の曲・歌手なんかは10年前に一部で流行ったものがやっと世間に出てきたわけで

今更感が強いですよね。あと、一様にジャケットイラストになっているのも笑います既存アーティストまでソレ系のイラストにしている

それでもやっぱり「みんなが面白いと感じて惹かれる」曲・声なんだなと思います)

増田さんはこれから80年代90年代ロックバラードを聴き続けてください

無理して現代の音楽キャッチアップする必要は無いと思います

自分は昔のも今のも好きな曲を楽しく聴きます

まあ、そのうちまたああいった曲が流行るかもしれません

(というか、現在売れている様なバンドアーティスト達があの時代の曲をカバーしたら流行るんじゃあないですかね

別にあいった曲が「古臭い」とは感じませんし。普通に現代でも聴けると思います

日本の昔のシティポップだって流行ってるそうじゃあないですか。海外

自分大滝詠一など知らない世代でしたが、学生の時に聴いて引き込まれたクチですし

良いものはいつの時代でも楽しく聴けるもんですよね)

2022-08-11

戦後日本メディアは、「ゆりかごから墓場まで」のイギリス福祉政策はスゴイと、ビートルズシェイクスピア作品まで褒めそやしていたが

80年代には福祉削減政策に転換してて、あっさり裏切られたよね

さておき寓話的に見れば、日本クール・ジャパンと言われるには、世界が憧れる福祉政策とか移民政策をやれば良いのだ

戦後日本メディアは、「ゆりかごから墓場まで」のイギリス福祉政策はスゴイと、ビートルズシェイクスピア作品まで褒めそやしていたが

80年代には福祉削減政策に転換してて、あっさり裏切られたよね

さておき寓話的に見れば、日本クール・ジャパンと言われるには、世界が憧れる福祉政策とか移民政策をやれば良いのだ

2022-08-09

anond:20220809174233

80年代なんて、氷河期にとっては子供の頃の淡い記憶じゃん

氷河期なら90年~-00年代青春を送ったわけで、そのあたりから選ぶでしょ

ボカロがヒットした2007年はギリ20代だったりもするからボカロから選ぶのもあり得る

甲子園の中継見てると、大声での応援制限があるからか、ブラスバンド演奏がけっこう明確に聞こえる。各校のレパートリーをそれとなく聞いていると、80年代くらいの曲がけっこう多めな気がする。パラダイス銀河とか、ブルーハーツとか、男の勲章とか。なんだろう、学生文化的成熟した時代だったんだろうか。

クイーンのウィ・ウィルロック・ユーは70年代後半か。でもだいたいそのくらい。

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part4 〜キャンセルカルチャー批判

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part4 〜キャンセルカルチャー批判

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3428s

57:08~1:05:19

抑圧側と被抑圧側との逆転の構図

抑圧側と被抑圧側とのこのような逆転の構図というのは、2010年代にはオルト・ライトと呼ばれる新興右派

あるいはそれとも重なるミソジニーに満ちたオンライン男性主義の主張などにおいて、幅広く利用されるようになっていきます

もちろんマイノリティを、かぎかっこ付きの「私たち」の外部にある敵というふうに認定する、

その敵の攻撃から身を守らなくてはいけないという形で、当該のマイノリティへの抑圧や暴力正当化していくっていう、

その形というのはもちろんその以前から

例えば排外主義において、あるいはモラルパニックにおいて広く見られてきたものではあります

9.11同時多発テロの後、対テロ戦争期の欧米各国におけるイスラムフォビア暴力っていうのはこういうものだったわけですし、

あるいは70年代80年代に、同性愛者とりわけゲイバイセクシャル男性というのを、

当時は性的捕食者、セクシャルプレデターっていうんですけれども、性的捕食者あるいはHIVウイルス拡散元として、

非常に激しくバッシングしたのが英米モラルパニックっていうのになるんですが、これなんかがすぐ念頭に浮かぶと。

じゃあそのオルト・ライト勢力オンラインミソジニーアカウント群を巻き込んだ、2010年代の特徴っていうのは何かっていうと、

これ単にマイノリティ側を、自分たちを脅かす敵なんだというふうに認定するだけではなくって、

マジョリティ側が力のある側が、自分たちを「差別されている」「抑圧されている」、あるいは「自由侵害されている」という形で、

はっきりと、私たちこそが「被害者である」「被抑圧者である」という形で、語り始める点にあると言えるかもしれません。

そういう語りのこの後もいろいろ出てくると思うんですが、

今のところ最新の形がいわゆる「キャンセルカルチャー批判」というものになります

キャンセルカルチャーとは

CAMBRIDGE DICTIONARY

社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱する (offend) ようなことを言った人を完全に拒絶したり、その人の支持をやめたりする振る舞い方

MERRIAM-WEBSTER

不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団キャンセル行為(公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること)をするような実践

ピュー・リサーチセンター(2020)

リベラル寄りの人々は「ある人に自分の行動に対する責任を取らせるためのアクション」と捉える

保守派よりの人ほど「検閲」と捉える

キャンセルカルチャーという語が急激に知られるようになってきたのは、

2010年代後半のことで、したがってだから、数年なんですよね、

キャンセルカルチャー意味とか語法も、現時点で完全に固まってるとは言い難いところがあります

実際、例えば辞書定義を見ても、Cambridge Dictionaryだと、

社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱すること」、offendという言葉ですが、

自分を傷つけたり侮辱したりするようなことを言った人を完全に拒絶したりとか、

あるいはその人への支持をやめたりする振る舞い方」、いうふうに定義している。

それに対して、もう一つ別の有名な辞書でMerriam-Websterなんかを見ると、

不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団キャンセル行為」、

このキャンセル行為というのは「公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること」なんですが、

集団キャンセル行為を行う実践」っていうふうにしていて、だから重点がちょっと異なってるんですね。

またピュー・リサーチセンターによる2020年時点の調査では、

リベラル寄りの人々は、

キャンセルカルチャーというのは、ある人に自分言動に対する責任を取らせるためのアクションと捉える傾向が強い。

それに対して保守派に寄っていく人ほど、

同じキャンセルカルチャー検閲であるというふうに捉える傾向があるということが明らかになってます

まりある人々が、差別的だったり暴力的だったりするなど社会的・文化的問題があると思われる言動を、

放置しないために取るアクションだ、ってふうに考えているものが、

より保守的な別の人々にとっては、これがつまりキャンセルカルチャー批判」の文脈になるわけですけど、

そちらの人々にとっては、それが集団での圧力とか検閲とかっていう形で理解されている。

言い換えれば、「キャンセルカルチャー批判」という形でのキャンセルカルチャーってのは、そもそも最初から

しばしば多数派である括弧付きの「私たち」の言動を、差別的とか抑圧的などと非難することで、

私たち」の言動検閲する抑圧する、あるいは「私たち」を差別する圧力というふうに定義することができる。

から先ほどからお話ししている逆転の構図を含み込んだ用語っていうのが、キャンセルカルチャーだと言えると思います

正義と開かれた議論についての書簡」(通称ハーパーズ・レター」2020)

153の署名: ノーム・チョムスキーサルマン・ラシュディマーガレット・アトウッドなど

若い左派から批判キャンセルカルチャーキャンセル

人種的社会正義を求める強力な抗議運動」や「とりわけ高等教育報道慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等包摂を求める声」というような「必要過去清算(reckoning)が、同時に、開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」

保守派による「キャンセルカルチャー批判」の事例というのは、とりわけ2020年代になってからほとんど枚挙にいとまがない。

毎月のように何か出てくるんですが、ただ時間がないので、

ここでは学問の自由に関わる、そして最も知られた例の一つを挙げておきたいと思います

何かというと、2020年に公開された「正義と開かれた議論についての書簡」というものです。

一般的にはハーパーズ・レターと呼ばれるんですが、その公開書簡なんですけども、

この公開書簡は、当時のトランプ大統領代表される右派の動きというのは民主主義の脅威であるというふうに位置付ける一方で、

同時に右派はまずいと、だけど同時に左派の間にも異なる見解に対する不寛容がまん延しつつあるというふうにして、

より開かれた議論必要性を説くんですね。

ここの何か不寛容とかそういう表現が、先ほどちょっとお示ししたブッシュ・シニアポリコレ評価と、

用語としてこう微妙に近似しているのは非常に興味深いところなんですが、

とにかくただこれだけ見ると何でもない主張に見えるんですけれども、

この公開書簡、例えばノーム・チョムスキーとか、サルマン・ラシュディマーガレット・アトウッドなど、

非常に有名な人たちを含む153名の研究者作家ジャーナリスト署名しているんですけども、

この公開書簡、何でもない、割とこう、どうでもいいというか普通のこと言ってるように見えるにもかかわらず、

公開されるとすぐに「キャンセルカルチャー自体キャンセルしようとする公開書簡である」っていう形で、

人種的性的マイノリティを中心とする若い左派から大きな批判を受けることになります

実際のところただこの公開書簡自体を見ると、

キャンセルカルチャーという用語は、それどころかキャンセルっていう用語も1回も使われてないんですね。

じゃ何で批判が来るのかっていうと、ここ(=スライド)にあるんですけども、

人種的社会正義を求める強力な抗議運動」や

「とりわけ高等教育報道慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等包摂を求める声」というような

必要過去清算」、この清算というのはReckoningという言葉を使うんですが、これが同時にそれは必要だと、

だけど同時にそれが「開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、

一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」というふうに言うと、

この表現が、とりわけBlack Lives Matterを通じて、

Racial Reckoningって人種的過去清算の盛り上がりを迎えていた英米両国においては、

人種主義への批判のもの不寛容だと見なすキャンセルカルチャー批判」の文脈につながる書簡だというふうに受け止められた。

同時に、キャンパスにおけるポリティカル・コレクトネス批判者として知られていた、

言語学者スティーブン・ピンカーであるとか、

ハーヴェイ・ワインスタインの弁護を引き受けたことで、学生から抗議を受けてハーバードロースクール学部長職を退くことになった、

法学者のロナルド・S・サリヴァンであるとか、

この公開書簡の公開時にはトランス排除言説の支持者として知られていて、その言動批判が集まっていた、

作家J・K・ローリングとか、

そういう人たちが名前を連ねていたということももちろん、

この公開書簡が「キャンセルカルチャー批判」の一翼をなすものと受け取られた一因ではあったと思います

この書簡は、先ほどもちょっと申し上げたように、例えば左派代表知識人と見られてきたチョムスキー署名をしている。

同時に、ネオコンサバティブの論者である、例えばフランシス・フクヤマみたいな人も署名してるんですね。

まり従来の分け方で言えば、まさに右も左もなく同意できる原則を語っているように見える。

にもかかわらず先ほどから申し上げているように、

実際には、より若手のマイノリティライターとか研究者から強い批判が出る結果になった。何でか。

恐らくこれは、後者に当たるより若いマイノリティの人たちというのは、

学問の自由とか言論の自由擁護というのが、

近年では力のある地位にある人々が、自分たち差別的・抑圧的な言説の責任を問われたときに、

その批判糾弾を振り払うために使う枠組みになってしまっている、ということを感じ取っているのに対して、

フクヤマにしてもチョムスキーにしても、ある程度は地位が固まった偉い人たちっていうのは、

その事実をあまりきちんと把握できてなかった、いうことではないかと思います

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

2022-08-02

年寄りほど安倍国葬に反対する理由若い頃に反体制ってかっこいいと刷り込まれたか

年寄りが若かった頃、60年代から80年代にかけての日本が豊かだったので

反体制運動とかヒッピーとかフリーターとか、サヨクっぽいアンチ体制派自由に生きる俺みたいな生き方説得力ちょっとだけあった

当時そういう価値観かぶれていた連中が頭が良いとか、正しいとか、実力があったとか、自立していたとかではなく、

適当なことやってても社会に溢れる豊さが回ってくるのでなんとなく成立していただけなのだが、

年寄りはその事に自覚がないので、俺らの価値観は正しかったと思っていて、今だに若い頃かっこよく見えた反体制価値観

国葬とか政治的な大イベントアレルギーで反対しているだけだから、本当はちゃんとした理由などないのだ

俺らの価値観に沿わない、気に食わないからやめろと言ってるだけで、口先から出る理由は全て適当な付け足しだ

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