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はてなキーワード: 袋小路とは

2015-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20151015153726

こういう中途半端に考える頭のあるグズ(クズではない)が袋小路に入って自滅しやす時代なんだろうな。

はっきり言って青い鳥探してるお子ちゃまようにしか見えないけど、いざ仕事についてからこんなはずじゃなかったとか言い出す考えなしよりはまだマシなのかもって気がするのが本当に厄介。

案ずるより産むが易しと気楽に言いたくなるけど、それも結局は増田の言うふわっとした人生論の域を全く出れてない。

俺はこいつに対してどんな言葉をかけてやればいいのか全く分からんよ。

それなのに相手がニート自分より弱いから安易に叩くとか無理。

それでも「いいから働けよニート」と言い放ちたくてしょうがないのは人事(ひとごと)だからなんだろうね。

2015-09-24

そもそも動物価値観場合、雄の目的は、たくさんの雌を従えることで、

雌は、そういう強い雄の遺伝子を残す。ってのまで含めて、動物価値観なわけで

それを、男女の話に落とし込めば、女性だって男性だって

という当たり前の袋小路しかならないので、そういうのを争ってるのが非常に疲れる。

しろ議論するべきは、そういう動物価値観から脱却するために思考錯誤したのが社会歴史なわけで

それを人レベル適用した途端に、いきなり魅力が無い。というのは本当かって話の方が大事

2015-09-06

何を袋小路というのか

http://anond.hatelabo.jp/20150906022757

日常系作品を他にも読んだことありますか?

日常系空気系というけれど多くの作品はその日常の終わり(学校ものなら卒業)を意識して書かれていて、

楽しい時間にもいつか終わりが来ることを意識させられるような構成になっている。

決してそれは安寧の繭と呼べるものではない。

時間の経過を描かない作品ギャグに重点を置いていて、さざえさん時空的にループしていることを自己言及するものもある。

また、現代中学高校生活を描くものから大学社会人生活を描くものファンタジー歴史ものなどとジャンルも広がりを見せていて、

縮小再生産で似たような作品ばかり作っているわけではない。

日常袋小路と呼ぶのは不適当だと思う。

2015-07-30

スプラトゥーンでの立ち回り2

前回の記事を見ていただいてありがとうございました。

しかったです。続きです。

ガチガチシューター系A+です。その他のブキの人はすみません。 

 

http://anond.hatelabo.jp/20150727154851

 

==

 

■シオノメ

苦手なので長くなる。

・キルスポット

 → 激戦地中の激戦地

   → 対通路だけなら、手前の柱を登った細い高台が有利

   → 基本的ガチガチの殴り合い。

     防御アップ2つと安全靴つけとけばいーんじゃない(適当)

   → 突進するときは、端っこギリの落ちるスレスレを狙うと途中で詰まらなくてうまく行く気がする。

    → 何度も書くけど基本殴り合い。

 

 → 先手必勝。

 

 →ガチでは無視。やめろ、いくなぁッッ!

 →ナワバリではスプリンクラー投げとくと初心者を釣れる。

  →ラスト30秒に北からガチ勢が降ってくるので、怖い人は自陣側の高台で待っとくと広場ウンマーできる。

 

エリア

開始

・味方のブキ構成を見て立ち回りを少しだけ変える。

 

 →通路へダッシュ

 → 正面へのボムは奥の角を目掛けて投げるとあたりやすい。

  →多分逃げようとしても反転が間に合ってない。

 →撃ち合い

  →相手より味方のほうがシューター多かったらゴリラプレイ

   →ボムをポイー。→一緒に突進→爆発!→相手がアタフタしてるので倒せる、最悪相撃ちになる。

   →相手にローラーがいたらバシンてされる。

 →相手が重めのシューター場合は、初回の撃ち合いでは引き目。

  →相手が引いたらフルバーストジャンプ突進。

  →助走中に倒すくらいのインクは補充できるよ。

 →下の通路を視界端でチェックする。

  → 裏取りマン発見

  → なんか怖いので気持ち早めに撃ち合いから引く。

   → 裏取りマンに戦犯タンプ。(インクバシバシ)

 →テンプレここまで。

 

 →上から降ってくるローラーの恐怖。広場へ登れる柱を2つを塗る

  →うまく通路のシューター勢を手前に釣れるとローラーさんが潰してくれるか恵みの雨を降らす。

   →ナイス連打。

   →柱を塗らずにローラーさんを正面に立たせるのは可哀想だ。

 →柱を塗るのうまいので塗らない。

 →通路の中央入口横の壁を塗ってエリアに入り時間稼ぎ役を買って出る。

  →エリア側の相手通路に爆弾を投げて、相手の突進勢を引かせる

  →柱を撃つときオブジェクト射撃をガードするのを意識するといい感じ。

   →たまに相手の早足ローラーが奥に走ってるので、満面の笑みでキル。ホッホッホッ。

 →自陣通路から正面入口を狙うリッターが相手にいたら、オブジェクトに隠れましょ。

  →正直あんま怖くない。

 →確保されたら無理。

 → 「1人2殺がノルマな。」スタートダッシュ。広場通路を攻略できたら相手側高台の裏を確保してリスボン地点で嫌がらせして時間稼ぎ。

  →遠投を積んでいると通路側の高台から相手の降り口へクイックボム攻撃できる。

   →着地点を塗ると、入り口で足を止めるので高台からRボタン連打してアボン

    →たぶん相当恨まれる。

  • ビーコン持ってないのに北にダッシュしてるイカがいる。

 → 肉ビーコンをご所望のようだ。

  → 味方が何人デスしてるか確認して北へ走るか検討すべしおすし

 

・味方が裏取りに走った!!

  • !? 味方に精神的奇襲とはやりよる。

 → 前線でできるだけ時間稼ぎ。

 → ブラスターローラーは最初不利っぽいし許す。いってらっしゃい。

 

■確保された。

 →柱を登ってチョロチョロ → 釣れたイカさんをダイブキル → エリア侵入 → 入口を通って通路側へダッシュ、敵の通路確保マンをかき乱す。

 →侵入できないほどガチガチに固められたら、畜生と叫んでボムを入口近くに投げておいて通路側へダイブ。上から通路確保勢に八つ当たり

 →通路がとれたら3パターンの攻め。

  1. 通路からX字にインクを投げ込みまくって導線を開ける → 隙があれば突進。 →入り口を通るときに置きボムして追跡できないようにする。

  2. 通路側の壁を塗って、広場壁に起立。 → ボーッとしてる相手がいたらパパパボシュン → 中央高台ジャンプ → 後は臨機応変。

  3. トルネード先輩やっちゃって下さい。 → なだれ込み。

 →本物の猛者はクイックボム連打して突進する。

 →通路側のエリアをしっかり塗るとカウントストップしやすい。

  →後ろにたっぷり引いてて手出しできなかったイカちゃんが怒り顔になって近づいてくるよ。

 → 確保されてる小山への突進は、相手が小山端の通路にヌーって行くと結構割合でまけるので絶対やらない。

 → 小山分岐点で向こう側からゾンビアタックされる。

  →1人でも残ってるとゾンビアタックされる。

   →とにかくゾンビアタックされまくる。

    → 実際、私も守りが一人になったら、猛烈に逃げて、助けてカモン連打する。

     →降り立つダイナモ神の神々しさ。まじゴット。ゴットダイナモ

  → 自陣側の柱に登ると向こう側の様子がまるわかり。

   → インクを上からかけまくって、引いた隙に小山を確保する。

     → 高台をとれたら後は追い込み漁

     

 → 真下までインクを塗れればスピード勝負。(ズシャッ ババー!)

 → アロワナチャージャー退治はチキったら負ける。

 

確保時

  • 通路2人、中2人がベストだと思う。

 → チャージャーさんはお芋さんにならずに高台移動して通路側の攻撃対応してもらえるとマジイケメン

 → 移動を頑張ってるんだしチャージャーさんの命1つくらいあげる。(さっきまでそいつ敵だったし。)

 → 最初に裏取りしてくるイカは確保されたら、裏取りもっかいしてくるよ!

  → たまにダイナモが裏取りしようとして下からインクが見えてすごく面白い

  → 攻めが大人しい気がしたら嵐の前触れ。 

 

■ヤグラ

 → わざと確保させて敵勇者をアボーン

 

・ 敵に確保された

 

・ 取り返した

 → 余裕があれば、高台への柱を塗っておくと制圧を逃したときリカバリが容易。

スペシャルを使うならここ。

 → インクバシバシ相手に顔を出させない(照準をつけさせない)

 → 下りに入ってからはインク補充の暇がないのでボムはなるべく使わない。

  • 敵通路側通過時

 → 下からインクバシバ

 → ガード陣は、ヤグラから少し離れて2キル目標に動くと2ターン目で制圧やすい。

  →一人目でゴールまで行けることはかなり稀なので割り切って囮にする。

   →ごめん。でも、生贄こそが真の勇者だ。

  →丁寧に書く。勇者が死んでヤグラに飛ぶ前にリスボン地点にいるイカを倒さないと

   進められないので囮がいるうちに倒しに行く。

 

 

デカライン

・キルスポット

 →中央に立ってると死ぬ。相手側に寄ると死角になる。

  自陣側の壁を塗って戻ろうとしてはいけない。

 →窪みの壁を塗りまくると奇襲がポンポンきまるよ。

 →逆に、自陣側で前に出ると壁に張り付いたイカに奇襲をうけるので、適当ボムを転がししながら左の坂道と右の坂道を塗って前進を妨げる。

・そのほか

 チャージャー狩りや追い込みのときだけ使う。

  • 道は使わず奇襲以外しないようにするとキル稼げる。

中央の窪み部分の壁を意識的に塗るとローラーさんイッキイキ。敵陣前の右側のガードレールを優先して塗る。

事故が起こりまくるので自陣側が塗られてたら、塗り替えす。

 

 

エリア

キルはあまり取れないけどなんとなく投げとく。(そーい!)

 

  • 後にさがってカニ歩きで自陣塗り

→ そんなこんなやってると右側の坂から凸してくるイカがチラ見できるのでジャンプ突進すると大体倒せる。

  → 坂なので相手は引くとインクが届きにくくなる。

 

  • まずったら、とにかく左後ろの角まで退避。
  • 最初の動きが一巡すると普通は塗りあいになってスペシャルか奇襲による事故で均衡が崩れる。
  • チャージャーが敵にいたらかなりうっとうしい。

 ボム投げる → チャージャー逃げる →壁塗って突進 → チャージャークイックボム乱舞 → いったん逃げてもう一回コンニチワ(ニッコリ) → 大人しくなったチャージャーにバシバシ。

 →できると良いけど、大体壁に登る余裕がないので、スパショ確殺。

  →スパショは縦照準を気にしないで良いので

   横のエイムだけを気にすると忙しくても当てやすい。

  

・ヤグラ

  • 陣地の進入口が山場。かなり激しくなる。

 →守りで高台に行けない場合は、広場のスペースを塗りまくった後に、壁にある自販機の上で待機をおすすめ

  ヤグラと高さが同じくらい。ヤグラに複数のイカが乗ってることが多く虚をついて全倒しできる。

  →攻めの人は左か正面に夢中でボーナスステージ状態。

 → スペシャルがない場合左側に逃げると高台から死角になって落ち着いて行動できる。

 → ヤグラが昇ったら高台ジャンプ。2人着地できたら勝ち確。

・ヤグラでの中央広場は、ラインランナーが非常に多いので外周走行を心がけるとやられにくいよ!

 

 

ホッケ

・キルスポット

左右から狙われること、狙えることを頭に入れとくと立ち回りしやすい。

・地道に網の目を塗って、異変を感じとれるようにしとく。

 広場側が有利なので、ミスったら逃げる。

・進入は左右の通路

 →気にするの片側だけ!

  →敵が中央入り口から出てきたら横からカモる。

 

エリア

  • スタートしたら、左右高台どちらかの通路を開ける。左優先。打開ルート
  • 戦況把握が難しいので、画面上のイカでキルデスを確認して前線の位置を調整する。

優位なら、ゴリラプレイ推奨。マンドリル

 

  • 確保された!

 →通路から前進している味方と合わせて左高台から進軍。

  通路前にボムを投げて敵を引かせつつ、通路とガチエリアにあるオブジェクトへの道をつくると味方が進軍してくれる。

 →うまく行かなそうだったらいったん引いてカモン連打。

  味方2人がエリアに流れ込めると何とかなることが多い。

 →塗る前に降りるのはダメ絶対

 →キルされたら右側から2回目のトライ

  →斜め右前に突進して中央口の壁裏から出口確保するマンに攻撃

  →難しそうであれば敵エリア確保マンになる。置きボムして逃げ。→相手エリアの角につくまで絶対振り返らない。

 

・確保中は敵陣で分散して守る。

 →味方イカ「ぬわー!」 残骸インクでジタバタ。私「ぬわー!」これが最悪。

 

・ヤグラ

  • 攻め

 →前半は細かい裏取りをしまくる。

  左右の通路を確保できるとみんなが奇襲しまくるはず。

 →ガチエリア広場の相手から見た死角にビーコンがあると惚れる。

 →攻めは、左通路の上に入り込めると有利。

  ヤグラ前は、後ろからヤグラがきて逃げ場がないセルフ袋小路

  →死亡確率80%(あっひょ)

  →登れかった場合はヤグラと反対側に進む。

   →裏取り狙うマン退治をしつつ守りイカの裏取り。

 →ゾンビアタック応酬になるので、少し引いた位置のビーコンが強い。

  ヤグラ勇者になる場合は、反復カニ歩きでフルオートしてるとA帯でも2体ぐらいは安定して狩れる。

  • 守り

 →高台射程ギリギリから、放物線撃ち。

 →最後の直線に入られたらゾンビアタックの餌食になるので正面からは無理。

  →攻め側のほうがヤグラが高台だしスペシャルゲージあるしで有利すぎる。

  →左側高台から裏取りを狙う。

 

 

ネギトロ

・キルスポット

 →人数が多いほうが勝つ。

  →多人数を相手にしなきゃいけない場合テンプレ

   →十時の高台に登って振り下ろし撃ち → 逃げ →自陣側でパパパ → 追い詰められる→自陣側台座裏の壁に逃走→出たり引いたり潜伏からの不意打ちしたりして時間稼ぎ

    →助けがこなかったらあぼーん

 

 →しょっぱな裏取りやめろ。やめてくれ。

  →2人以上裏取りにいったらむしろ付いていく。

   →裏返ったァッッ!ガチエリア復活ッ!(×8)

 →長距離強すぎ。

  ガロンジェット高台からシャーシャーやられるだけで負けかねない。

  →退治無理。スパショ。

 →立ち位置は外側エリアラインあたり

  →ひたすらカニ歩き撃ち。

   →内側は裏取りに対応できない。

  →相手の立ち位置テンプレなので、真ん中にたってのスパショが鬼。

  →逃げ道の壁は塗っとく。

   →相手が片方に寄ったら反対側から進入する。

    →突破するタイミングがとにかく大事

 

  • ヤグラ

 →守りの左、攻めの右

  →相手にヤグラ取られた瞬間なら対応できるので、最初は右側進行のほうが好み。

   →ヤグラに乗って壁を登る瞬間は13階段。無理せず降りようね。いのちをだいじに。

   →絶対殺すマンのときは、壁を登ったら右側にグッっと進んで広間を塗ると超有利。

  →最後の押し込みはスペシャルが無いとこじ開けるのかなり難しい。

   →ヤグラが邪魔で相手に攻撃できない。

    →絶対殺すマンピンチ

   →仕方がないのでヤグラの壁に張り付いて勇者が屠られたら、実は私もいるよー!ってダメ押す。

   →それか左か下に進んで肉ビーコン。

  →カオスに巻き込まれるとインクに潜れずセルフ煽りイカになってる間に試合が終わる。

 →防衛ときは高いところからシバシ。

  →撃ち合いには付き合わない。

  →上に行けなかったら、発射ボタンを押したままイカセンプク移動を小刻みにやる。

   →撃ってりゃ当たるくらい込み入ってる。

    →「はいはい、そこ通りますよー。」って後ろからフルオートで駆け抜ける。

     →ほんで、「やっぱ、やめますよー。」って逃げる。

      →ナワバリで遊んでて初心者イカに不意をつかれるあの感じ。少しほんわか。

 

モズ

・キルスポット

 →高台自体は案外平和

 →でも居座るとやられる。

 →移動にだけ使うと奇襲の起点として優秀。

 →困ったら高台登ると現状把握ができるのでクセづける。

 

エリア

  • 正面入口は罠。

 →正面、高台、左(リッター)の3点から攻撃される。

 →正面に入る場合は左の味方に合流する。

 →突入後正面に向かうと塗られていない中での撃ち合いなのでかなりリスキー

 →それでも勝てる猛者がたまにいるので恐ろしい。

 

  • 確保された!

 →トラウマが蘇り、奥歯ガチガチマン。ガチガチイカ。

  取り返すのがかなり難しいので丁寧にいく。

 →絶対1人で突進しない。味方の復活を待つ。

 →ダイナモ神がいれば金魚の糞戦法。なんとでも言え。ウンコマンだけはやめろ。(増田成分)

 →左から入ったら右に進む→高台死角活用して正面口の味方と合流。

 →なんか左からは無理っぽい!

  →時間に余裕があればバクチ撃ちしましょう

   →右の裏取りルートに進入してカモン100連打。

 

 しっかり守るだけー 以上。

 倒さずにヘラヘラ守って、時間稼ぎ。たまにスパショ。

・ ヤグラ

 - 高台積極的に登って状況把握を頻繁にすると

  不意打ちできる可能性がグンと増えて撃ち勝てる

  →これはマジ。高台の細い通路から飛び降り撃ち強い。

 - 攻め

 →広場に入る前に金網から撃つマンが絶対現れるのでヤグラがない方向から撃つ。

  →相手はヤグラ見てるので、危険なく倒せる。

 →最後広場差し掛かる前に壁から爆弾を降らすと1イカ倒せる。

  →爆弾でボンか、通路に炙り出し。

 →最後の押し込みまで行けたらスパショ。正面だけでなくて横にも絶対撃つ。

  →押し込み失敗するときは正面から攻撃じゃなくて横からの奇襲ってことに気づいたとき世界が変わる。

  →坂にダイナモ神がいると背筋が凍って息を飲む。(ハァッ....マンメンミィ。)

 →最後の押し込みに乗り遅れたらヤグラに乗ろうとせずにポテトマンからの肉ビーコン。

 

 - 守り

  →とにかく真正面だけはやめる。→斜め前でも良いから真正面だけはやめる。

  →高台めざしましょ。中央高台、金網(歩ける位置までいっちゃダメ

  →坂はいつでもおすすめ

   →リスクが少ない細かい裏取りがいっぱいできるよー。

 

 

 

疲れたので書くのやめます

イカよろしくー。

2015-06-22

ファンサ嫌いがファンサ厨になるまで

私が好きなジャニーズアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。

それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。

(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)

ジャニーズコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間セットリストに組み込まれている。

それは大体アイドルトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。

ツアー名に自分たちグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。

…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。

本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。

これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、

構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、

他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、

薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。

コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。

自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。

から、私はコンサートでもアイドル名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。

自分こそが"正しい"ファンだと思っ(ry

そんな私が変わったのは今年の春。

好きなアイドルジャニヲタ的に言うと自分担当するアイドル自担、が出演するコンサートツアーが始まった。

今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)

自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。

でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。

ファンサが手厚いアイドルお手振り差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。

コンサート自担団扇を持ち、それに自担が気づいてくれる。

それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。

全国に何万人いるかからないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。

そのおかげで、今春のコンサートツアー概要ほとんど覚えていない。

いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題Jr.活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担視線しか追ってない。

果たして、こんなんでツアーを楽しんでいると言えるのか?

これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。

自担に干された。

「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。

そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサート満足度に影響するようになったことを自覚した。

ただ平穏パフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。

もう"正しいファン"ではなくなっていた。

自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。

その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。

自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。

これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。

「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。

アイドルグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。

アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足しかないけど、それにしても自己満足自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。

というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。

コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじまれる私の団扇自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。

もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。

コンサート披露されるパフォーマンスも、自担視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。

たった半年前までは、ファンサ厨は自分幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。

そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。

でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。

時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。

こうしてファンサ厨が一人できあがりました。

2015-06-18

自分が「無能な働き者」の場合、どうしたらいいの?

ネットで時々「無能な働き者」という言い回しを見る。

有能な働き者は役に立つ。有能な怠け者はうまくやる。無能な怠け者は役に立たないが放っておけばいい。しかし、無能な働き者は役に立たない癖にしゃしゃり出てきて他の人の足を引っ張るので、一番タチが悪い、ということらしい。

いま「無能な働き者」でググってみたところ22万件ヒットしたのだが、最初の数十件を見てみると、ほとんどすべて、「無能な働き者に対してどう対応すればいいのか」という趣旨のようだ。つまり他人が「無能な働き者」である場合について書かれている。

自分が「無能な働き者」である場合は、どうしたらいいのだろうか。

なんでそんなことが気になるかというと、私自身がまさに「無能な働き者」だからだ。

ろくに仕事ができない。成果物の質はよくないし、時間がもかかる。判断したことはたいてい正しくない。みんなで議論しているところに悲観的な意見(のような何か)を出して話を袋小路に追い込む。やる気はないし、向上心もない。

他にも、ネットで「無能な働き者」の特徴とされていることがだいたいあてはまる。自分ではわからないが、きっとこの文章から無能さが読み取って頂けることと思う。

さすがに自覚して、せめて「無能な怠け者」を目指そうと思ったのだが、自分よりも他の人の方が仕事を抱えているので、割り当てられた作業を放り出しても迷惑がかかる。

無能なので、他のプロジェクトに呼ばれることもなく、大きく昇進することもなく(会社年功序列なのでちょっとだけ昇進して残業代は出なくなったが)、同じところに居続けた結果、「他の有能な人たちが管理職になった後、現場に昔からいる人」ポジションになり、新しい案件があると呼ばれて意見を求められたりするようになった。

しかし、結局のところ無能なので、何かしら役に立つような提案ができるわけでもなく、「いいんじゃないでしょうか」とか「ここがちょっと気になりますね」とか言ってお茶を濁し、それで後から冷静に振り返ると相手の足を引っ張っていただけで、何も言わない方がマシだったのでは、ということがよくある。

こういう場合、どうしたらいいんでしょうか。

無能な働き者」でググって出てくるページを見ると、周りにいる人たちとしては、死んでほしいとか、辞めてほしいとか、他の部署に飛ばされてほしいとかなんですが。

自分が「無能な働き者」の場合死ぬか辞めるか異動希望を出すくらしかないんでしょうか。

個人的妄想としては、国が国立姥捨山みたいなのを作って、「無能な働き者」認定された人間を収容するとかしてほしい。そしたらそこで死ぬまで静かにしているんだけど。税金をそんなことに使われるのは腹立つと言われそうだけど、普段の生活の中で他人の足を引っ張ることがなくなるので、それで許してもらえないかと思ったりする。



追記: はてブトラックバックコメントをくださった方、ありがとうございました。

また、不快な思いをさせてしまった方、ごめんなさい。

せっかくコメントして頂いた内容に対して、何か書くべきかとも思ったのですが、自分の中で咀嚼するのに時間がかかりそうです。申し訳ありません。

いずれにしても、あちこち間違っている・認識が偏っていることは認識できました。繰り返しになりますが、いろいろな観点からコメントを頂きありがとうございました。

2015-01-23

消極的営業を結婚適齢期女性にかけられると困惑する

さて。

スペック:34歳 独身

見かけ:まあまあ。悪くはない健康的。

年収:悪い。平均以下

な俺なわけで、

基本ネット自分より年下をナンパしていて勝率は割と良い。

ナンパといっても恋愛対象としてで、ヤリ捨てとかではない。

結婚相手とか恋愛対象としても、あまり年代に胸張っていける感じではない。上記のスペックでも

OKしてくれそうな子ならまだしも。

そんな俺はリアル職場では女性に手を出さない。

職場の女には手を出さない。面倒臭いことになると、働くのがつらくなるから。いつも顔合わせるのが。


そこで件名の、消極的営業をたまに受ける。

いや、受けた気持ちになる。

これがなんかモヤモヤして気持ち悪い。

当方思い込み激しいタイプと自認しているので

「気のせい、気のせい、あー、気のせいだわマジマジ」

と思っているのだが、なんか面倒臭い

少しずつ袋小路に追い詰められている気持ちになる。

かいことが重なっていくと、それが気になっていく。

例えば:

 -しょうもない雑務をしたら「ありがとう」とわざわざ言ってくる

 -上記のようなことで、「ありがとうメール」をCCありの他の人も見るメールでいう

 -頼んでもない業務に必要そうなもの(本当はいらない)を「察して」くれて購入してくれる(事務費用で)。こちらが礼を言わねばならない。

 -違う部署内で盛り上がっていたネタを聞いていたのか、わざわざそのネタを拾って自分声かけてくる。

上記のような「それ、わざわざいうの?必要なくない?」ということがままある。

一年前の研修の後片付け手伝っていたら容姿を褒められたのだが、ここからなんかモヤモヤがたまっている。

この事務員Aは、人を使うのがうまく、空気も読む年齢不詳アラサー~30代中盤くらいなんだが、

頭が回る分、何を考えているのか読めない。顔は整っているのだが、ときおり妖怪みたいにニターっとわらう。

プライベートでなにをやっているのか社内の人がほとんど知らないというのがまた怖い。

年末中国旅行へ行ったらしいが。

* *


上を見返してみると、こいつは思い込み激しい痛い男だ!恥ずかしい!

たぶんあれだな、ちゃんとナンパした子とデートして幸せになれればこんな気持ちは抱かないんだろうな。

14才年下というのがネックなのだが、まあいいや。

2015-01-15

Midas、ダサピンクを語る

ダサピンク現象」は、男女の問題ではなく文化的差異問題である - ココロ社

http://kokorosha.hatenablog.com/entry/2015/01/13/214552

について書かれたid:Midas氏の一連のブコメ面白かったのでまとめておく。


ダサピンク問題について増田が思ったことは、

例えばMidas氏のコメントにはこれまで色んな人(学者とか暇な頭良さげな人とか)が

すでに議論したことに触れたことがあるのだなという「背景」を感じる。

それで、なるほどなあ、と思う(賛成の部分も首をかしげる部分もあります)。

男女問題ジェンダー問題に限らず、みんなが疑問に思うことは、みんなこれまで結構考えているのだ。

自分のアタマで考えよーもいいけど、まずはそういうものに触れてみてはどうかな、ということだった。

ダサピンク問題に関しては、あまりにも「何周目だよこれ」という記事コメントが多かったので。

引用元

http://b.hatena.ne.jp/entry/239048296/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239140285/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239219334/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239222743/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239223009/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239223181/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239223541/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239223932/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239226929/comment/Midas

http://b.hatena.ne.jp/entry/239227815/comment/Midas


増田が一部改行を加えております

 見にくいという方はご意見下さい。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.12 『鈴がうたう日~醒めて見る夢の向こうに』

■その1。

 いやー、『ONE輝く季節へ』を、やっとこオールクリアできたので、記念(?)に、『ばらえてぃたくちくす!』を買ってきました。

 「ほう、『鈴がうたう日』番外編か……あ、そういえば、本編、途中で止まったままだよ!」(またか

 ……という訳で、今月は『鈴がうたう日』(以下『すずうた』)です。つーか、新作より、目の前にある積みゲーの数々をクリアしないとな……おかげで、歴史の把握が、かなーりおかしいことになってて、頭の中で文脈が混乱しまくってるよ!

 さて、前半、平凡な日常描写を積み重ね、後半で非日常的な描写へ一気に持っていく構成、その対比と高揚感から特定感情を生み出すという演出手法は、普遍的になりつつある。実際、効果的だけど、最近は、苦痛に感じることもある……。

 そして、前半と後半を繋ぐために、ある種の情緒……ファンタジー要素や少女幻想的な描写を使う作品も多い。また、日常崩壊を匂わせる、詩的な言動や描写を、前半で伏線的に配置しておくパターンもある。

 しかし、『すずうた』の場合は、何故か両方とも欠如しているのだ。前半に配置されるのは、少女幻想を前提とした詩的なラブコメ描写ではなく、あくま少年まんが的なノリで作られたギャグ描写だ。なので、ラブコメという感触は乏しい。むしろ、ノリとしては久世光彦の作るホームドラマだ(『ムー』とか)。

 前半で配置されている非日常的な要素を強いて挙げるならば、物語の発端となる、すずの来訪(登場)なのだろうが、それすらも、簡単に日常へ取り込まれていく。そのことが、後半の展開との落差に、違和感を生み出す遠因となっているようだ。

 ほとんどの美少女ゲームは、恋愛の予備段階と言える状態からスタートする。犬チックな幼なじみが起こしに来たり、変人な先輩と偶然にぶつかったりするが、それらの出会いには、主人公モノローグなどで、恋愛予兆があらかじめ内在する。

 ところが、『すずうた』は、「恋人未満、友達以上」どころか、まるっきり友達感覚描写ばかりが続くので、その予兆が内在しない。そして、恋愛予兆排除された状態から、後半、一気にハード恋愛状態へ流れ込むが、恋愛描写少女幻想がもたらす酩酊感が全くないので、関係性の変化という事態に対し、全くフィルタがかからないのだ。よって、急性アルコール中毒になったような感覚に陥り、あまりにも不条理な災厄が降りかかったような気分になってしまう。これが、先に述べた違和感の正体だと思う。

 さて、その後半に目を向けると、提示されている仕掛けはことごとく、対立する視点が介在し(七海トゥルーにおける紫姉、など)、いわば、理性で言霊暴走を抑えている格好になっている。なので、前半の軽快さとは一転して、重苦しい展開になっている……という対比はあれど、高揚感は生まれない。従って、プレイヤーもまた、流れに乗り切れないまま、物語は終わる。おまけに、どのラストも正直、爽快とは言い難い。しかし、シナリオ手法としては、これは決して悪くない、と思う。

 同じように、イベントで盛り上げるという仕掛けを排除した作品としては、『いちょうの舞う頃』が挙げられる。しかし、『すずうた』の場合は、『いちょう~』ほど明確に排除している訳ではない。むしろ、仕掛け自体積極的に使用しているのだが、問題は、そのほとんどに意図的抑制が働いていることだ。早い話が、ラブコメ物語構成要素に対し、再検証が行われているのだ。

 ラブコメというシステムは、その発生においては、過去歴史から断絶しようとする意志によって成立したものだった。実際、袋小路に入っていた物語に対するカウンターとしては機能を果たしたが、システムの発展に伴い、【オブジェクト嗜好】という、形骸化に陥ってしまった。

 だから、『すずうた』が目標とする場所に到達するためには、言霊抑制し、感傷に流されることを避け、登場人物たちを自律的な選択に導いていく必要があったのだろう。

■その2。

 【お約束】な停滞からの逸脱=ラブコメ定番パターンから進化しかし、それは物語システムを自壊させる行為でもある。その意味で、この問題に最も自覚的だったのは『WhiteAlbum』だったのだが、それ故に、一部のユーザーから生理的嫌悪にも似た反発に遭った。

 物語構成要素の再検証という行為は、作品の質は上げるが、その分、間口を狭くする。ちなみに、某誌によれば、『ア○マゲドン』のプロデューサーが「観客というのは、感動的な音楽さえ流せば満足する豚だ」と言い放ったことで物議を醸したらしいのだが、目標とする対象が多ければ多いほど、低いレベルでの記号化は強まる。水は低きに流れるものでして……。まあ、だからといって、エアロスミス音楽は正解だとしても、出演女優フェラチオの上手さだけで決めるのはどうかと思うがなあ……っと、話を戻そう(笑)

 つまり、【恋愛】というファンタジーをめぐる、物語システムとしての【ラブコメ】が直面している問題に対し、停滞からの逸脱を目指した上で、恋愛関係の可能性を描こうとした場合必然的に、既存パターンにはない微妙感情を描いていくしかない。同時に、それは、類型化された方程式否定していく作業になる。記号イメージに頼ったテキスト作りは許されない上に、記号によるお約束に慣れた(眼鏡っ娘=内気、とか)ユーザーからは反感を買う……正直、茨の道ではある。

 でも、逸脱の手段として、日常においての自律的選択(自力本願)という方向性を追求した作品群の中では、『すずうた』のテキストは、かなりの強度を持っていると思う。

 例えば、『ONE輝く季節へ』の場合は、日常から日常、そして、日常へという流れを持っているが、『すずうた』の場合日常から日常へと繋いでいく。しかし、前半で提示される日常は、後半で提示される現実の上に成り立った、虚構に限りなく近い日々なのだ。そして、その断層から過去の幻影と現在を繋ぐという、もう一つのテーマが浮かび上がってくる。あと、女の子たちの物語への感情移入よりも、日常の脆さを提示されることが優先されているのが、筆者には新鮮だった。まあ、恋愛小説というよりは、教養小説っぽくなった感じもするが……。

 それから、感心したのは、父性母性の扱い方だ。すずシナリオでは、後半、唐突に父親との相克テーマとして浮かび上がるのだが、過剰な行動には至らない。逆に、蛍トゥルーでは、負の母性との相克テーマになるが、これまた、過剰な補完行動には至らない。類型的な受容と和解で解決してしまい、結局、依存から逃れられない作品が目立つ中で、『すずうた』の登場人物たちは、周囲の助けを借りながらも、あくま自律的運命を選択していく。

 他人犠牲も含めた上での自律的な選択は、『WhiteAlbum』の場合もそうだったが、必ずしも許容できるものではないだろう。しかし、偶然と選択の危うい積み重ねの結果である、平凡な日常が脆いように、全員が幸せに笑っていられる優しい世界もまた、脆さを内包しているのだ。

 そして、わずかに残った非日常的な要素(すず)も、全てを無に帰すほどの力を持っている訳ではなく、奇跡=解決にならない。だからコールタールのようにまとわりつく現実から救われることもないし、すずの存在もまた、過去記憶として、日常的に失われていくものの一つとして、現実に組み込まれていく。

 だからこそ、むしろ、哀惜という感情が静かに流れ込んでくるのだけど、美少女ゲームとしてのカタルシスは欠いているのかも知れない。

 しかし、あくま自律的な行動によって、過去の欠損を補填していこうとする、ささやか意志の方が、ゲームを終了し、物語プレイヤー現実に取り込まれた際に、有効機能するのではないだろうか?

 過去日常現実日常を再接続する物語に触れることで、個人の物語再生する……それが、歴史を紡ぐのだと……筆者は思うのだが。

■ちっとも終わらない近況。

 仕事がここに来て、がーっと集中してしまい、一日7時間ファミレスに籠もって、モバイルギアキーボード叩いても、ちっとも終わる気配がないよ……(迷惑)。脈絡不明仕事ばっかしているので、最近は「本業編集者」とは言えなくなってきたですよ……。

 あ、事務所ホームページに、このコラムバックナンバー再録を始めました。とりあえず、昨年分はアップ済。つーか、次回で連載一周年なのか。エロゲーテキスト解釈だけで一年も続けるんじゃないよ、俺。もっとも、結構辛いけど、それなりに面白くなってきたので、もう少し続ける予定です。最初は、もう少し普通(?)のゲームレビューにするつもりだったのに……脱線しすぎ。

2014-12-09

誰かを恨んだって仕方ないのに誰かを恨むことの多いこと…

自分人生が上手くいかないのは確かに半分は社会のせいだけれどもう半分は自分で克服できるはずだし、

そう思わないと生きることすら厭になる。

ただ限界も感じる。他人を助けられるほど気力も体力も無いけれど一人ではやはりつらい。

からといって誰かに自分の荷物を負って貰うわけにもいかない。

なんとか頑張ってきたけれどここに来て袋小路に入った感がある。

ただひたすら居場所がほしい。

2014-11-28

30歳をすぎました(+追記)

めちゃくちゃ長い上に主題がないです。鬱々と半生振り返ってる自分語りで人のせいにしてる愚痴

30歳は、彼氏いない歴=年齢、友だちも少ない、内向的デブとまだ詰んでるとは言わなくても結構揃ってゆるやかに袋小路に一直線に歩いている感じの誕生日でした。

今年前厄ですよ。厄祓いは済ませました。担げる験は担ぐタイプ

ほんでなんかついでにずっとモヤモヤしている愚痴を垂れ流してみようかなと思ったので取り留めもなく垂れ流します。

誰にも相談できないから誰か見知らぬ人にでも、「あんたの親はちょっとズレてる」と言って欲しい、要はそんな話です。



私は非常に他人の目が怖いです。

高校卒業くらいまでは、友人を作るのすら「この人達は私のいないところで『あいちょっと優しくしたら友だちぶってすごいウザいwww』とか笑われているんじゃないか」と疑心暗鬼生活していました。

まあこれは、大学に入った頃に「他人はそこまで私を見ていない」と理屈だけじゃなくて心からストン理解できたので、高校大学の頃の友人達とは今も付き合いがあります。ありがたいです。

多分大学に入って接客業バイトを始めたのが大きかったのかなーと思いますが、ただ単にちょっと成長しただけかもしれません。



現在実家を出て一人暮らし社会人な身ですが、やっぱりたまに寂しいので彼氏かいたらな~ってぼんやり思うことはあります

しかし未だに「友だち」と違って彼氏(というか好きな人)については、自信も持てないし、恋人欲しいなと言うことも何かしらアクションを起こすことも出来ません。「あいつあれで彼氏欲しいとかwwwwww」ってpgrされるんじゃないかと、怖いからです。

からいい人だな、素敵だなと思っても、そこで全部止まります

好きってところまで行かない。

普通赤の他人は、見知らぬ人の恋愛事情に興味なんて無いよって思うけど、でも笑われるのが怖い。

お見合いはどうか、と一度だけ母親に言われたことがありますお見合いなんて特に怖い。「あれで結婚したいと思ってるとかマジ勘弁だわーwwww」ってそのお見合い相手に笑われるんじゃないかとか。

あとそんな風に後ろめたいというか、真後ろ向きみたいな思考回路で、内心どこかびくびく同情か嘲笑されてるんじゃってずっと心配しながら他人生活するなんて耐えられる気がしない。



自分でもクソうぜえと思うし、私はデブスの根暗性格わるいやつだ。

で、ここ数年は何で自分でもウザったい程マイナス思考なのか考えてみていました。

(正確な切っ掛けは数年前に色々あって、あなたは元々の自己評価が低すぎるみたいだからちょっと考えてみてはどうかと、心療内科カウンセラーさんに言われたからでした)



そんで色々遡って考えてみた結果、そもそもの原因は母親かなあと思ったのが結論です。

私の中で一番古い恐らく関連するであろう記憶は、5歳くらいの頃には既によく言われていた「コロコロしてる」「どんくさい」「気が利かない」の三つでした。

太っているのとドン臭いってのは、特に繰り返し言われていた気がします。

あと「足首太い、偏平足(ゾウ足)」もかな。

いやまあ、ゾウ足については確かにそうなんですけど(下半身の骨がゴツイみたいで、こりゃ生まれつきどうしようもない模様)コロコロしてるのとどんくさいのに関しては、今では疑いようもなくデブなのでまあいいとして、当時(5歳~15歳くらいまで)は今考えると、まだ標準体重前半でせいぜいぽっちゃりレベルでしたし、運動基本的はいつでもクラス全体で真ん中よりちょっと良いくらいだったので、しつこく言われるほどじゃなかったんじゃないかなあと気付いた次第です。

小学校の間は水泳をしていたので肺活量もありましたし、特に持久走なんかは頭から何番目かでした。せいぜいちょっとは走れるデブぐらいではあったと思います

因みにその水泳に関しては、母になにか言われたことはありませんでした。

母は泳げないので。



下には活発な弟二人がいましたので、そっちと比べていたのもあるでしょう。

小学校に入り、中学高校と進むとますます母の指摘する内容は具体的になりました。でも母親の言動に初めて疑問を持ったのもこの頃です。

確か小学校五年生の運動会の日、私はクラス対抗リレー中盤の参加者でした。

その時にはもう物心つくかつかないかのこからどんくさい」と言い続けられただけあって、完全に「私は運動音痴だ」って思い込んでいたので、すっかり運動嫌い、本番がすごく嫌だったのですが、昼休みで午後がリレーという時に母親がふと

「あんたはお父さんとお母さんの子ども(二人共運動神経は悪くない)だし、

実際足も言うほど遅くないのに、何でそんなに自分で足が遅いし運動苦手って思ってんだろうね」

と言ったことです。

もうほんと、「え?」ですよ。お母さんが言ったんじゃん。ちっちゃい頃から今までずうっと言ってたじゃん。違うの? って。

今でもこれを定期的に思い出します。



そういえば、一度足の皮がぼろっとむけてたことがあって、それを見つけた母親に(父が水虫だったので)「あんた水虫じゃないの」って。

で、いやいや~って言ってたらもうこっちがマジで深刻になるまでひたすらずうっと「水虫だ」「間違いない」「まだ中学生なのに」「伝染るからやめときなさい(弟達に)」等々……。

夏休みでその日の内に皮膚科に連れて行ってくれたのでいわゆる毒親と言うのかは判りませんが、でもあの時本当に、何かに取り憑かれているかのように繰り返し、こっちが泣きそうになるまで言われたのはなんだったんでしょう。

あ、結果はただの皮膚炎でした。

「も~この子もわたしも焦りました~」とかお医者さんに言ってたけど、焦ってただけか? あれ。あと焦らせたのはオマエだからな?

デブとかならまあダラが悪いのである程度ハイハイで終わらせますが、結構身体的にどうしようもないことで色々と云われることは多かった気がします。

一番何度もしつこかったのは睫毛の長さで、小学生辺りから

「睫毛短いwww」「ほんとに短いwwww」「○○(弟)と交換できたらよかったのにねー(って弟に)」とか散々バカにされて笑われてましたねえ。

多分言われるほど短くないです。別にビューラーで上がればいいじゃんマスカラあるし。

短く見えたのは奥二重が原因でもあるんじゃないかと気付いたけど今は普通にデブなので瞼がry

あと人よりちょっと手の親指や足の指が短いんですがそれもry

弟が色白だったので、「○○と交換できたらよかったのにねーwww」って。

別に母と違って地黒じゃないので極普通肌色してたとおもうんですけどね、昔から。兎も角弟たちage材料しかありませんでしたかこれ。

あと足首太いのとかくせっ毛とか、兎も角身体的にどうしようもなく『女の子なら気にするであろう』部分が悪いのは、父方に似たせいでした。

性格悪くなったのはあんたのせいですけどね。



中学に上がった頃から私は本好きがそのままオタクになり、普通デブにもじわじわ進んでいたのでますますsageは増えました。親にsageられるので、当然弟たちからもどっか根っこで下に見られます

未だに家庭内カースト一番低いんじゃないかな、私。

父は職場は近かったもの仕事帰宅が21時とかが多かったので、私の性格形成上では結構空気です。ただ趣味が似通ったお陰で人生楽しみが増えたので、ちょっと感謝していますアクション映画好き)



大学に上がって確か二十歳になった頃に、一度本気で一生許さな言葉を吐かれた事がありました。

何を言われたのか、内容はもう忘れています人間すごいですね、絶対忘れようと思ったら数日で本気で忘れた。

ただ『許さな一言を吐かれたって事実は忘れない』ともおもったので、もう一生覚えていると思います



あとこの頃、弟たちの進学や就職がらみで色々あって、ここにきてなんだかんだ(大学は滑り止めの私立に行かせてもらいましたが)一番手がかからなかった、とちょっと周りに評価するような言動をされることが増えてきました。

就職新卒でちゃんときめましたしね、滑り込みで可も無く不可も無くなところですけども(しかももう転職したけど)

ただここでも、中学高校在学中は成績が50番、100番台になると、何でこんなバカになったんだろうって見え見えの顔でため息吐かれたり周りに愚痴ってた事も知っているので、その手のひらの返しように不信感が増しただけですが。



なんというか結局、親の言うことは悲しいくらいに絶対なんですね、すげーいやですけど。

親にとっては友人達に対するちょっと毒舌冗談だったとしても、子どもは「ああそうなのか」って受け止めるだけです。本気にする方が悪いって、親の言うことを幼稚園児が疑えるか。あんたの言ってた通りに育ちましたがこの結果なので、何でアンタはそうなのって私に聞くのは愚問です。

そんなこんなで母親が私を産んだ歳をとうに突破した今、両親には確かに何不自由なく育ててくれて感謝していますが(実際、私くらいの年齢で三人も育てるのは本当に大変でしょう)尊敬しているかと言われると母親については全く話は別です。



私という子どもにとって、残念ながら親はいわば神様です。

仏様か邪神か知りませんが。尊敬していなかろうが、心の根っこのほうで「親がそういうならそうなんだろう」って思います

別におだてて褒めてくれとは言いません。でも、子どもは親の言うことをそのまま飲み込んで成長します。成長しましたとも。親だから許されるのではなく、親だから、ただの軽口もシャレにならないことがあるってのがどうしてわからないんだろうか。

大体情緒もしっかり育ってない子供にいうことかってのばっかじゃねえか。



良く友だち親子なんてありますが、あれが成立するのは子ども奴隷思考な事に気付かず都合よく母親が酔っているか、本当に子どもから『友だち』と思われて子ども人生に何の影響も与えないってことに気づかずノーテンキに喜んでるバカだけだと思ってます。が、うちの母親もそれに憧れてるというか、そうありたいと(恐らく自覚なしに)思ってて反吐が出る。

小学校高学年の私が居る傍で、電話で父方の祖母の愚痴を言っていましたし(私には内緒よ♡だって。素直に内緒にしてましたよバカだね、子どもから仕方ないけど)

(そして弟達のいるところでは母は絶対に言ってなかった、私だからお姉ちゃんから黙っとかなきゃいけないんだって思ってた)忘れられないのは、叔母に電話

「○○(私)の赤ちゃんの頃、どうしてもイライラして怪我しないように畳んだ布団の上に落としたりしたよ。すぐ後にごめんねって抱き上げたりしたけど」

とかって言ってたことです。

恐らく当時赤ん坊だった従兄弟を育てる叔母に、子どもに当たりそうになるのは普通だとかそういうことを言っていたのだと思いますが、私同じ部屋で聞いていました。勿論、母も私が居ることを判ってます

昔のこと、あくまで(当時したけど)冗談ということで、許されるとおもったのでしょう。そりゃ、友人同士で愚痴として話すのなら判ります(それこそ叔母と二人っきりでなら何も関係無いでしょう)でもそれを聞いたたった十歳ちょっとの子どもが、言いようのない何かを抱えるということを想像しない超絶鈍さが信じられんな、って今なら思います

因みにその時のフォローは「聞いてたよねアハハごめん、まああんたが赤ちゃんの頃だから」でした。

なんて返せば良かったんでしょうね、もやもやした気持ちを表現できるほど精神的に成熟していないし、語彙もないのでいつもsageられるときと同じに曖昧に笑って誤魔化した気がします。

そういえば、下の弟と揃って「あんたが私の同級生だったら絶対に友だちになってない」と言われたこともありました何度か。確かにいっそ同級生だったら良かったんですけどね。友だちなんてこっちからお断りですから絶対関わりにあってないと思いますし。



特に不機嫌になったり問い詰めたりせず曖昧に笑ってるだけの長女はそりゃいいサンドバッグだったんでしょうねえ。この子は鈍いから平気、と思われていた気もします。

言われたことも全部判ってましたけど、まだ子供だったので言ったって論理的な話なんて出来ないし、こっちの口が達者になった頃には母は感情論ばっかりでお話にならないことを理解して、会話するだけ無駄なんで黙ってただけです。

成長してからは長く会話しても会話が破綻するばかりなので面倒で短く応答してたら「あんたは冷たい」「どうしてそんな言い方しか出来んの」とかも言われましたけど、あんたがそうさせてんだよ。

返してもぶん殴られる(精神的に)なら極力かかわらんとこうっていうこっちの努力もお察し頂きたい。

おかげさまで初対面で人のことをどんだけ取り繕っていようが「コイツは下に見ていい人種だな」って風に接してくる人間が見分けられるようになったので、……別に役に立たないですね。

寧ろ(相手はこっちが察してないと思って)バカにしてるなーとわかるので割増で気分悪い。



ここまでぼんやりと書いてて思いましたが、他人からpgrされるのが怖いというよりも、「まじめにやった何かを」「親に馬鹿にされる」という経験が全ての原因のような気がしてきました。

友だちだと思っているのは私だけかも、とか、好きになった人にバカにされるのかも、とか、結局私はまじめに、真剣に考えて考えて勇気を振り絞ったことや、自分なりの努力を、家族馬鹿にされ笑い話ばっかりにされてきてたので「家族でさえそうなのに、他人にそうされないはずがない」とおもってます ね。



服装やメイクに気を使うのも、にあわねーしwwwwなことを言われる位なら最初からしない、と思っていました。人と関わるときに、社交辞令じゃなくてほんとに約束していいのか判らなくて、うわ本気にしてるwww引くわwwwって言われないだろうかと思ってると、人と連絡を交わすこともなくなり、ただでさえ少ない友人は疎遠になったりならなかったり。

デブスが何してもムダムwwwww」みたいな風に裏で笑われて思われるのがこわい。

普通の人なら社交辞令って判ることを、私だけ判ってなくてそれを笑われてるんじゃないだろうか、とか。

実際に、「普通ならこうすべき」ってことが私はイマイチ良く分からない。

甥っ子生まれた時も嬉しかったんだけど、どういう距離を取ればいいのか解らないし、どういう風に嬉しさを表現したらいいのかも判らない。それを相手が不快に思うかもしれない……と思うと、つい気付かないふりをしたり、スルーしたりしてしまう。

みんなどうして、あんな風にやれるんだろう。

友達子どもが生まれた時も、贈り物していいのか、おめでとうと言っていいのか、ぐるぐる考えて結局何もせず疎遠に……って子が何人かいたし。

義妹にも甥っ子にも、できればウザいと思って嫌われたくないので、だったら『無』の方がいいな……ってあまり連絡をしない。

基本的に好きな相手(友達とか)にはべったりいきそうになるので、それもたまに我に返って、めっちゃウザいし嫌いだしって思われてないかな、とか……。



ただこの頃ようやく、周りはどうあれ自分のために、ちょっとダイエットして可愛い服を着たい!と思えるようになりました。

三十路手前のもうちょっと早い年齢でこれに関しては吹っ切れて欲しかったですがw

そしてこんなもんかいてる時点でお察しの通り根暗のダラなので地道に運動頑張ります



そんなわけ一番の原因は母親が苦手だからで、おかげでめったに帰省しません。

でもあの人はきっと子ども自分を苦手としているだなんて天地がひっくり返っても理解しないだろうし、言ったところで昔の些細な事をいつまでも覚えている、気持ちの悪いおかし子どもを持ってしまったとしか思わないんでしょう。あなたがそう言いましたと言っても、あんたが根暗なせいだからで終了するのが目に見えます根暗ですが。

メール電話も、受けたら9割愚痴のため、母親サンドバッグになってやる義理もないので基本無視ですが、そろそろあんたに連絡したくないんだって気付いてくれないかなあ。

父や弟の電話は出るしメールもすぐに返してますよー。このくらいのいじわるしてもいいよね、ってこっちも底意地悪いんですが。

ていうか、家族全員もう私のことはたまに「ああいるよねー」程度に思い出してくれるだけでいいんですけど。

たまに両親から地元就職すればいいのに、とも時折話が出ますが、ぜっっっっっっったい帰りません。するか馬鹿



私もぱっと見は仲がいいねと言われる家族の中で一人鬱屈しているので、こんなこと誰かリアルの知り合いに話したところで理解されるはずもないし、この実は結構クズなんじゃねえかなっていう親を持って不幸ですよ。スタート地点間違えたかな的な意味で。

でもある程度成長してから特に就職して実家を出てからこの性格改善しなかったのは自己責任だと思っているので、母親についてばかり何か言うのも間違っているのでしょう。

しかし三十にもなって今更性格変わるかって変わらんだろうしなー。



そんなこんなで対人関係についてはもう改善もないだろうし、マイナス思考根深いので、最近はあと十年か十五年か適当なところでぽっくり逝けたらなあと結構まじめに考えます積極的に願望があるわけじゃないですけど、安楽死制度とか出来ないかなあ。

素でぽっくりいくのは地味に難しそう。

楽しみがなくなったらもういいかなーって思うし、実際年々映画小説漫画も熱中するってほどでは無くなってる気がする。

あと正直働けなくなったら詰んでるし。かといって病気になるのはお金かかるしなあ……

健康体の人は臓器提供前提で安楽死オッケーですよとかあったらいいのに。

そうだなあ、出来れば親より先に死にたい

親に先に死なれたら、あんたのせいで基本構造間違えましたよって言う機会が無くなってしまう。



でも私が先でも、あんたのせいで自己評価マイナスでここまできました、って言っても理解しないだろうし、言って私だけが感じている家族に対する不信感を明確に家族VS私の構図にする勇気もないというか。

でも、母が無自覚に「家を離れて一人暮らしをしている娘を気遣う母親」に酔ってるのも鼻についてクソなんですよね。

大体趣味あってねーよ、気持ち悪い。何年一緒に暮らしてないと思ってんだ。

こういうのをいつか知らしめたいと思うけど、言ったところで何も解決せず引っ掻き回すだけで、私が一方的悪者になって終わるオチも見えるので

ただこれを私ひとり胸の内に抱えてしねばいいのかな。



こう書くけど、結局私がひねすぎてるだけで、ごく普通幸せ家族を未だに厨二病ナナメに見てるだけなのかな。

でも親にsageされつづけてきたので、もしこれが好きな人(友人異性問わず)にも同じようにされたら再起不能になるから、人付き合いしたくない。

でも寂しがりなので時々無性に人恋しい。

でも母親みたいな友だちも家族もほしくない。もうお腹いっぱいです。



こんなこと書いてた頃に親からメールが来たので、一応去年は(誕生日なので)久しぶりに返しましたけど、

「あんたのメールで元気になったよ^^」って、こっちはその誕生日当日に気分悪くなりました。オエー

そしてお誕生日おめでとうのはずが、8割弟夫婦愚痴でした。なんで自分性格が悪いと思いつかないんだろうこの人。



そうしてとりとめのないまま終わり。難しいですね日記って。

ところで某ネズミーランドとも同い年ですが行ったことがありません。

お金貯めていつか行ってみたい。あとちょっと彼氏欲しい(結局)

ネット婚活ってどうなんだろう……





++追記

覗いてみたらブコメつきまくっててびっくりしました。

すみません、長いですよね。でもありがとうございます

一年ぐらい悶々としてたことを一気に書いて投稿した後、すごくドキドキしてすっきりしたので消そう、と思ったんですが、どうせなのでいつか親に突きつけてやる(かもしれない)用に持っておくことにしましたw

そして何より、私の考えていた事は私の性根が腐ってるから、ではなさそうだし、別におかしくないんだーこのままでもいいのかーっていう納得をくださって、本当にありがとうございました自虐的でなく客観的に見るのはまだ難しそうですが、もう少し気楽に私の人生楽しめるように頑張ります

あと、私と母の性格が似ているみたい、というコメントもいくつかあって驚きました。確かに自分でも母の嫌いな部分がよく似ている、と思っていますw



結婚される方、対等な立場の味方を得られること、大変うらやましいです。おめでとうございます。お幸せに!



考え始めて一年、ずっと悩んでいたけど吐き出せて良かった。本当にありがとうございます

本も読んでみますね。

2014-11-19

浮世絵の興奮が覚めないのでもう少し書き綴る

http://anond.hatelabo.jp/20141117014426

思ったよりもブックマークがついた。

ありがとう

しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。

生で見ればわかる。

博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!

いや、説得力がないのはわかる。

入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。

浮世絵をみたことで、ようやく美術ってものがわかったんだよ。

自分解釈だけどさ。

で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。

ピカソって下手だろ。

正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?

って思ってた。

どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?

って思ってた。

こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg

こんなの(ゴッホ)

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

こんなの(ピカソ)

http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg

で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?

ぜったいおかしい。

と。

ところがだ、浮世絵をみて全てを理解した。

「塗り」の限界

油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。

塗った上に、さらに色を重ねられる。

油絵なんて描いたことがないから想像なんだけど。

もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。

筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。

小学校の頃かな、ある油絵をみたんだ。

畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。

「うへー」

って思ったよ。

化粧みたいなものなんじゃないかな。

どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。

それが油絵

で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。

色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。

もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?

明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。

たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?

壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。

どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。

比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。

というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。

ハッハーw

線のチカラ

「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。

線が絵になる。輪郭が形を作る。

輪郭を強調することは、恥じゃない。

写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。

なんのことはない。

輪郭を強調させればいい。そうしたら対象物はどうなるか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg

こうなる。マネの笛を吹く少年

なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。

色のチカラ

改めて考える。

本当に背景は暗くなければいけないのか?

対象物を浮かび上がらせることがそんなに重要なのか?

明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。

色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?

こうなる。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/

ナンダコレハ?ナンダコレハ?」

になるだろゼッタイ

色を重ねずに、並べる

浮世絵場合、色を重ねずに、並べるんだな。

油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg

富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。

人間視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。

色を重ねるとどんどん濁るのに、脳内で作るいろは淀まない。

筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

そう、ゴッホに戻る。

明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8D#mediaviewer/File:Edouard_Manet_037.jpg

これはマネ。

製作年は笛を吹く少年から10年くらい経ってるらしい。

なんだこの浮世絵美人画ポーズ

浮世絵のような明るい色彩。

影もない。

明るさといえば、雪あかり表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛

漫画浮世絵である

輪郭線、点描、1トーングラデーション効果線、etc....現代漫画表現にすごくすごく似てると思う。

そう。

僕らが日々読んでいる漫画とは、浮世絵だよ。きっと。

恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。

浮世絵を見ていて気がついたのは、絵にはお約束がある。

縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。

絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。

しかし、多くは生きている。

たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/

真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。

http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg

漫画ではもうお約束である

浮世絵時代発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。

と、僕は感じた。

というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。

馬鹿正直に人間視点で真横から写生なんかしてない。

あくまエンターテイメント

これとか、どうみても漫画コマだろ。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/

ここまで書いてこういうのも変なはなしですが

ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん

騙されたと思って、是非、是非!

なんで薦めるのかといいます

みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。

もうホント漫画感覚で。

当時、ずいぶん安かったんだと聞きます

今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。

から、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。

世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類幸福だと思うのです。

書ききれないので今日はここまで

ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人名前が出たのは葛飾北斎だそうです。

徳川家康坂本龍馬松下幸之助AKB吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。

まり、生で見れば誰でもわかるんです。

凄さが。

2014-06-11

ちょっと最近

自分でも相当まいってるのが分かる。

弱ってる。弱ってるからつい人にあたる。

人に優しく出来ない。

袋小路の八方ふさがり。改善の見込みは無いし

状況が悪くなる要素しか無い。

また気持ち的に追いつめられる。

悪循環だわ。

2014-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20140504103822

アニメ本編はちょっと袋小路だなあと思うけどアニソンもぬるくなってるかな

ジュディマリもそうだし、増田だとAIKOアナライズが話題になってたけど

あいった音符配置的な面白さはDTM発達してきた昨今

誰でもできるとは言わないまでも、かなり敷居が下がってきて

最近アニソンはみんな普通に一時転調入れてスケールカチカチ切り替えてる印象

で、その行き着く先のひとつ進撃の巨人の曲とかだと思ってて

音符配置的にはこれでもかと詰め込んでインパクトはあるんだけど

悲しいかなオケもミックスも安いので繰り返し聞いてると割とすぐ飽きちゃう

あいうの聴いてるとアニソンちょっと袋小路だなあと

まあぬるいっちゃぬるいかもなあ

まあでも、いい楽器と奏者とスタジオエンジニアが揃った「いい音」ってのは

当然金がかかるわけで、そういうところに拘れるご身分ビッグネームの方々は

引き続きがんばっていただきたいなと

2014-04-29

ダイソーの良くない兆候

さっきダイソーに寄ったのだが、この企業の迷走を強く感じた。

1.腹に手を添える不自然なおじぎが嫌

宗教じみている

2.プライベートブランド商品しか置いていないということ

→例えばセリアなら、プラスチック刻印東大阪会社名前があり、中小企業を応援する気にもなる。

 ダイソーにはない。トップバリュと同様、うさんくさい

3.レジ前に置いてある菓子会計のたびにおすすめ商品として薦めてくる

→ただただ非常識

4.ビニール袋に同梱されていたチラシに、不快すぎる鼻の角栓写真が大写し

→これについては余りのデリカシーの無さに怒りが沸いてきた

何としても株主のために業績を上げなくてはならないのは理解できるが、方向性がよくわからない

そもそも100円ショップ業界の中では落ち目なのだ

消費者から見ても資本主義袋小路に辿り着いてしまった感がする

2014-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20140426114821

言うほどダンピングされてない。デフレなのに賃金定期昇給して実質的には結構上がっている人達

そっちに賃金が喰われて安い非正規に追いやられている人達二極化しているか平均値が下がってる。

ここで賃上げなんてしたら前者の取り分も増えてさらに安い非正規に追いやられる人が増える。袋小路

2014-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20140401005610

なにがいけない?って

全然いけなくないんだけどさ。

そんなヒトとして袋小路人生

私は嫌だし、絶対にそうなりたくない。

2014-03-25

結婚希望もなく、出世希望もなく

人生袋小路ってやつは確かにあるよ。

結局、日本サル山の猿の集まりからな。俺もお前らも。

名大学も嘘つき、有名企業も嘘つき。有名政党も嘘つき。

微塵の嘘も言うななんて言ってないが、あきらかに世間的な問題になるような嘘つきばかり。

 

バブルからずっとこっち。嘘つきほど得をするように政府支援してきた。なぜだ?

1つはキックバック目当てなんだろうな。嘘つきほど沢山キックバックをくれる。

いいけどさ。あまりにもみんな平然と嘘をついて、嘘をつくことが当たり前でしょ?何言ってるのコイツ ばかじゃね?

ダマされる奴が悪いに決まってるじゃんという奴ばかりで

あぁ、こりゃぁ俺じゃ勝てないやと諦めた。

みんながみんな嘘つきなら、そりゃ、社会が成り立つわ。納得した。

2014-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20140311111743

http://anond.hatelabo.jp/20140311113555

昨日の記事の元増田です。

この記事の元増田とは別増田です。

学校で教えて欲しかった恋愛」というタイトルで、「教えて欲しかった、青春を返してほしい」などと言ってますが、

もちろん本気でそんなふうに思っているわけじゃないです。

最後冗談だ、ってことを示したつもりだったのですが、思いのほか、タイトル通りに受け取ってしまった方が多いのを見て驚きました。

(あそこに書かれたようなことを思春期前の児童に教えてみたところで、全然ピンとこないでしょう)

はいえ、私もマニュアル教科書には意味があると思います

実体験がまず重要です。

でもそこで何か失敗してしまった時に、その原因が...

  • 単にやり方が良くなかったのか
  • 相手との相性が悪いから
  • 自分がイケメンじゃないのが悪いのか
  • 今まで努力してこなかったから、こうなっているのか
  • そもそも生まれてきたのがいけなかったのか

どれなのかは、なかなか判断がつきません。

そうした時に、やり方が間違っているだけだ、と示すことは、努力を続けるためのよい助けになります

また、人は「できるはず」だと思っていることに関してだけ、努力できます

この二つの意味で、マニュアル教科書有用です。

(学校で教えるべきかは疑問ですけどね。)


努力する意志、はとても重要だけれども、とき袋小路に入ってしまうこともあります

例えば、初対面の相手に対して、仲良くなろうとして、相手を理解しようとして質問攻めにしたりすると、良くない結果になるでしょう。

例えば、打ちひしがれた誰かがあなた相談してきたときに、相手は自分と同じ生き物だ、と想定していつもどおりに”アドバイス”すると、あなた真剣であればあるほど、相手を傷つけてしまうかもしれません。

例えば、いつも相手の愚痴を聞いている自分に対して、相手は心をひらいているはずだ、なのに、なぜ俺は嫌われているんだろう。理不尽だ!と思ってしまうことがあります

『頑張れば頑張るほど、悪い結果になる。』

そういう哀しさに、私はこれまで何度も陥ってきましたし、その度に相手も傷つけてしまいました。

皆さんが同じ失敗をすることを防げれば、その助けになればと思って記事を書きました。

私は恋愛専門家では無いので、かの記事で書いたこと、男女の性差などは統計に基づいているわけではありません(ウケウリと経験です)。

ただ、諦めなくてもよいのだ、ということが言いたかったんです(青春に歳は関係ないのです)。

2014-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20140310164530

奢られたらごちそうさま、て普通いうよ。

増田と同じで僕もそう思っている。

奢られたら当たり前にごちそうさまでしたと頭をさげるやろ。

例え、ジュース一本でも。

ただし、相手にお礼を強要するのは恩義の押し売りみたいで格好悪くて出来ない。

さりとて、奢るべき時に奢らないのも格好悪くて出来ない。

結局、上の立場の筈なのに泣き寝入りするしかないと言う袋小路だね。

僕の場合、他のヤツ(そいつのことを知っている同僚とか)にめちゃくちゃ陰口を言うけどね。

例え、ジュース一本でも。

2014-02-09

現代音楽歴史超簡略版

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905

ベートーベン事件の論評は間違いだらけ

まりに気の毒な当代一流の音楽家新垣隆

この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。

そこで日本現代音楽界とか教育Disるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。

大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。

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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代

まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。

一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12技法」ってのを作った。

これは何かってうと、まず1オクターブ12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。

で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。

それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。

まりルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなもの音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。

でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。

シェーンベルク弟子たちがそう考えて、より主観性排除する方向に向かうわけです。

どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。

どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。

そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。

同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。

(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要ポイントだと個人的には思ってるよ。)

でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明ものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。

ここまでが「無調」。

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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ

彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで

サイコロ演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージ最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。

ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。

このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。

このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽存在しなくてもいいんだよ。

さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)

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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。

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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては

調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。

ただ調性感のある音楽は大したことがないから著作権放棄する作曲家ばかりなのかは自分作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。

あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックバリバリやってた人です。

そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。

2014-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20140115101745

どうもです。私の元カノあなたの奥さんでは性格も経緯も全然違うのでしょうがあなたが陥ってしまった精神的な袋小路に私も一時期いたような気がします。

悩みを伝える元気ができたとのこと、嬉しく思います。ぜひともがんばって下さい。

準備なしに離婚発言を言われると対応できないのでしょうから自分がどう伝えるのかについて、十分なメンタルトレーニングをしておくといいのではないでしょうか。

それでも伝える自信がない場合は、二人の関係が良好なときに切りだした方がいいと思います離婚と言われたそのときけが苦しいのではなくて、前に言われた発言がその後も尾を引いているのですから関係敵対的でないときに持ち出しすことは、間違っていません。

2013-12-27

暇だから人工知能について垂れ流してみる

人の知を機械的に再現できるのではないか、これが人工知能の当初の夢でした。

でも「人の知」を解明しそれを実現するというアプローチは突き詰めて考えていくと、袋小路に陥ってしまいました。

チューリングテストとか中国語の部屋とかフレーム問題とか、聞いたことあるでしょう。人工知能挫折と苦難の時代ですね。

困った人工知能研究者は、「知とはなんぞや」という疑問はとりあえず保留にして、「とにかく今できていないことに挑戦しようぜ」精神研究を進めました。

結果、多くの成果を上げて、今日でも一つの学問領域として存在しています

そのため、いまの人工知能学会中の人たちの目的最大公約数的にまとめるならば、

「今までコンピュータ機械でできなかったことをできるようにするよ(したよ)」というところでしょうか。

この程度の緩い集まりなんですよ。実際。全員がアンドロイドを目指しているわけではないんです。

はいえさすがに何でもありでは話にならないので、この学会所属するためには暗黙のキーワードがあります

それが「知」です。「こんな知的振る舞いができるようになりました」少なくともこれがアピールできなければ

学会で発表しても他の研究者から無視されてしまます

逆に「知」であることが認識されたなら、個人の「知」どころか集団の「知」すら研究対象になります

から人工知能は何をする学問なのか、これについて、できるだけ簡潔に言うならば、

「知」を人工的に実現する学問

でしょうか。知を解明するじゃなくて、知を実現するというところがポイントですね。

え?「知」とはなんだって? そんなこと聞かないでください。そんなの研究者の数だけ意見があるのですから

でもその意見が正しいかどうかを示す方法の一つとして、

「たしかにそれは知的だ」と多くの人に同意してもらえること。

というのがあるかもしれません。

そう考えると、他人に同意してもらうための戦略として、視覚的に人間に模すのは当然ですよね。

人は何に知を見出すのか。これだけでいくらでも文章が書けそうですが、普通に考えれば、

ルンバ知的振る舞いをするよりアンドロイド知的に振る舞った方が一般の人には受けがいいですよ。きっと。

まり人工知能屋の一部がアンドロイドを目指すのは、それが目的からではありません、

「ボクガボクタチガジツゲンシタサイキョウノ知」をアピールするのに最適だから

あくまで手段にすぎないのです。

と、タテマエと理論武装はここまでにして、

手段が目的になることってよくあるよね ってオチ

だってしょうがないじゃない。少なくとも日本人工知能やっている人の原体験って、

アトムドラえもん、あーる、タチコママルチまほろさんなどなど、魅力的なキャラクターなくしてありえないのだから暴言

それに要件をギリギリで満たすよりも能力的に余裕を持って振る舞う方が知的でしょう?

機能美は工学的に正しいアプローチだけど、余裕あるなら外観にも凝りたいし。

そう考えると、情報機械工学人工知能の違いはロマン成分の割合なのかもしれない。

そしてロマンは人によっては妄想と言い換えても間違いじゃない。

結局この長々と書いた文章で何が言いたいかというと、

ロマン妄想)垂れ流しでゴメンナサイ」

個人的には大好きだけど雑誌表紙に萌え絵はないわ

もっとこうさハードでスチームでパンク電脳な感じの・・・妄想垂れ流し)

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ブックマークで気になったのがあるので補足みたいなのを)

  • 少なくとも人工知能という領域ができて現在に至るまで、このアプローチ成功したという話は聞いたことありません(領域を区切れば部分的成功することはあるんですけどね)
  • もちろん将来的にはわかりません。人間と同じ構造のボディ、あるいは脳構造すら近づけていくうち、ある閾値を超えたときに実現できるのかもしれません
  • でもあくまで仮説、本当にそうなるかはまだわからない。だってそれを成功させた人はまだ誰もいないのですから
  • そういった意味で、「ロボット人間の外観に近づける」ことは(仮説を検証するための)手段でもあるのです。 も、目的じゃないよ!ほんとだよ!

これまた長くなっちゃたので言いたいことを以下にまとめますね。

しろこれだけ読んでもられば十分かも

そしておやすみなさい!

2013-12-03

地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。

つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。

もしくは以下のような仮定をしてみる。。

予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPO一部の人だけに支援をするのは不適切からと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。

世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族宗教性別ジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。

奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。

今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。

もちろん国や地域社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等社会を実現することを目標としているように見える。

貧困差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。

差別をなくすためにも何らかの負担必要だ。上に挙げた例のようにゲイオカマデブハゲチビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりマイノリティが抱え込まされている負の財産大勢ちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。

2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。

世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」

続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまり戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟必要覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。

誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。

現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険カバーすることは可能だと思う。日本人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会から可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。

全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。

食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困犯罪を引き受けてあげますか?

貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)

今は世界の都会でもいわゆる危険エリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。

先進国の豊かな暮らしは、貧困犯罪差別や不衛生やその他の負の財産途上国マイノリティ負担してもらう事でなりたっている。

みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。

それでも海は陸地より大きいのではないか不安になる。

全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。

おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。

追記

トラバにあるように、まずは自分生活大事。遠くの誰かより身近なペット心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。

しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。

じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。

追記2

トラバブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。

身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。

社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティ死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策模索しているわけですよね。

だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。

10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化目的ではなく、ただの表現ですから

全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員アルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会沈没に向かっているということになるのではないか

というのがメインテーマです。

さらに追記

いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます

そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別マイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ

話を広げ過ぎてしまったこちらのミスです。すみません

だけども、基本的には同じだと思っています

命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?

差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?

一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。

歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回り大事から」と言って物質精神搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています

http://anond.hatelabo.jp/20131203172536

わかりやすい説明をありがとうございます

富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心

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