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はてなキーワード: 主観性とは

2018-10-06

ネット社会に生きる人間を蝕むもっとも恐ろしい現象

AIを用いてネットニュース信頼性政治的な偏りを判断するという研究報告」

についての記事GIGAZINEで見た。

が、これはネットニュースよりも増田や5chみたいな投稿にこそ必要システムだと思った。

かにネットニュースは閲覧者が多く、影響力も大きい。

でもお仕事で書かれてる文章って、そこまで品性を疑うレベル偏屈さではない率が高いと思うんだよね。

少なくともここみたいな個人匿名で喋る場所比較したら。

メディア記事は別人によるチェックが入ることも多いし、ひどく偏屈ものは間違いなく炎上するし。

それに、メディアはそのメディア特性を踏まえて、構えて見るものだ(バズって本来の読者層と別の人に読まれる例だと「構え」ができてない事もあるけど)。

例えば産経なら右寄りだなとか、スポーツ紙の言うことだから~、オカルト雑誌記事から~みたいに。

一方で、口コミみたいな個人の主張の寄せ集めみたいなものを繰り返し見せられる場だと「構え」は困難だ。

結果、人はそれを「確かに」「正しい」「真実」認識やす脆弱性があると思うんだよね。

こっちの方が粗暴な論がゴロゴロしてるのに。

見慣れたネットスラングを、(出自が如何わしい台詞でも)いつのまにか恥ずかしげもなく使っている現象と同じで、

こういう場で見聞きした考え方や言葉遣いは、いずれ自分の深層に自分のものとして定着してしまう。

たとえ初めは下卑た論外な論だと判断できていても、それを繰り返しいろんな言い回し摂取する度に、染まっている。

まるで単純接触効果のように。

それが、匿名ネット上の議論品位や質が著しく低くなる理由だと思う。

もちろん、偏った意見を主張する人の声ほど大きくしつこく聞こえてくる(一方まともな見識ある人は論争に参加しない)、

という、先日ひろゆき氏が言っていたような要因も大きいとは思うけど。

それだけでは説明できない、ネット主義主張がなるべくして低きに流れる思考汚染とも言えるこの現象こそがもっとも恐ろしいものだと思う。

その思考汚染の申し子たちが、ここや5chやtwitterやなんかで、今日も男女、左右、老若などの陣営に分かれて、あるいは作品評などに関して、口汚く罵り合っている。

彼らの多くは、ネットの掃き溜めに浸かる以前にはそんな人間ではなかったはずだ。

うそうなってしまった人を救うことは難しいが、そうなりそうな人を救うには、

名もなき個人の声が跋扈する掃き溜めに紛れる「ヤバイものに「これヤバイやつです」というタグを貼って可視化していく必要があるだろう。

それを人間が手動でやるのは物量的にも無理だし、主観性問題もある。

冒頭のAIの話は、ファクトチェック自動化するような話だったが、

こういう場における発言の偏り判定をAIでするには、もっと複雑で高度な判断必要になるだろう。

それでも、これから情報社会に必ず必要になってくるシステムだと僕は確信している。

一部のまとめblogredditなんかについている、書き込みへのgood/badボタンは同系統の人力システムではあるが、

やはりそれもボタンを押す読者層のリテラシーレベル依存した評価しかできない。

wikipediaでよく見られるような注釈自動でつけるあたりが現時点で想像できるシステムであると思うが、

……眠くなってきたのでこのへんで。

2018-05-04

1+1+1は2だと思う

Vtuberの登場で、やっぱり顔はいいに越したことはない、って証明されたよね」

 わたしたちコメダ珈琲新宿御苑前店で一服していた。いとうは爪で髪を掻きつつ続けた。

ドゥルーズは『千のプラトー』で顔は記号だけど同時に身体でもあるから政治的ものだ、って言ったわけじゃない? で、顔の美醜を問うのはポリティカルインコレクトだってことになった。けどこれは、まさに悪しき民主主義だよね。アリストテレスは『二コマコス倫理学』で、少なくとも顔の醜くないことを幸福の条件に挙げてるけど、古代ギリシャから現代までに民主主義記号化してるんだよね」

 他人がきけば白眼視するようなことを言う。そうした話ができるだけの知性を見積もられていることは心地いいが、いつもわたしがきき役だ。

 いとうは神経質そうな険のある顔をしているが、ひとによっては美人とみるだろう。わたし彼女の顔をみるたび、坂口安吾の『白痴』に書かれている、狂人の「風采堂々たる好男子で……常に万巻の読書疲れたような憂わしげな顔をしている」という描写を思い出す。

「ひとの顔をじっとみないでよ。たいぼくちゃん、繊細そうにみえて、そういうところ図太いよね」

 いとうは愁眉を寄せた。

「――お待たせ」

 倫理わたしたちに声をかける。黒のカットソーで、シースルーレースが首周りから両腕を覆う洒落た服だ。それを着こなすだけの顔立ちをしていた。アップにした髪型が、服と調和している。彼女ほど顔立ちが整っていると、髪はまとめた方が素の魅力を出せていいのだろう。

 倫理をみると、ときどき冷たくて薄い靄のような感情かられる。

「遅い」

「ごめん。バルトで『ラブレス』みてた」

セックスするとネコミミのとれるマンガ? 女子ゼロいいよね」

 わたしがいうと、倫理は苦笑した。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の新作。失踪した息子を探す離婚協定中の両親のはなし。郊外舞台なんだけど、途中から延々と廃墟の場面になって、それがいいんだ」

証券って忙しい?」

 いとうが尋ねる。遅刻への当てこすりではなく、ただ気になっただけだろう。

営業そうかもしれないけど、ディーリングは定休が決まってるからそうでもないよ。うちは外資リテール部門がないしね」

 待っているあいだ、何をはなしていたか尋ねられる。いとうが説明すると、倫理は笑った。

「たしかにダナ・ハラウェイのサイボーグフェミニズムはそういう論旨だね。ただそこまでいくと、むしろチャンの『顔の美醜について』みたいに、みる側の感情操作する方が自然な気もするな。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の〈情調オルガン〉みたいにね」

 倫理はいとうのはなしをすぐ理解して、気の利いた返しをした。そのことに体内が熱くなるような感覚をおぼえた。

 店を出て、新宿御苑沿いに新宿駅に向けて歩く。二人が話しているため、わたしはその後ろをついていく形になった。他意はないとわかっていても疎外感をおぼえる。

「でも、Vtuberアンドロイドでもただのキャラクターでもないでしょ。だからナマモノと同じようにあつかわなきゃいけないわけだし」

 そう口を挟む。いとうは歩きつつふり向いた。

カントは『純粋理性批判』で対象物自体として存在していて、人間はそれを超越論的主観性において認識するのみだといった。で、ハイデガーは『存在と時間』で、そうした直観主観性にすぎないと批判して、現象学でもって実存存在者を存在させると定義しなおした。存在論的にいえば、ヴァーチャルYouTuberという架空人格存在する、あるいは存在しないというどちらの立場も幼稚すぎる。他人人格ですら、無条件に存在するとはいえないんだから。まあ、未成熟なひとは自分理想像を押しつけることで、他人人格所与のものとしてあつかうけどね。そういうひとが勝手に本人を代弁して、ナマモノダメだとか言いだすわけ」

常識範疇なら、そういう代弁もいいと思うけどね。二次エロとか。ただ本人がナマモノを解禁してるのに頑なにナマモノ禁止するひととかは、そういう主観論に陥ってるんだろうね」

「だからVtuberについていえば、Vtuberとしてした百合営業に〈中の人〉が触発されて、それがまたVtuberとしての百合営業につながるというような、循環的な重層性があるわけじゃない。実在非実在二元論じゃないでしょ。ウンベルト・エーコの『ヌメロ・ゼロ』もそういうことを主題にしてるわけでしょ? 『存在と時間』では記号をただ指示するものでなく、それ自体がもろもろの記号構造を暗示するものとしているけどね。でも、常識範疇ってなに?」

 いとうは苛立たしげに髪を掻いた。

Vtuber自然人としてあつかうとして、どうして身体属人性を与える方向にいくかなぁ……、それなら自然人の身体人格とは別個のものとする方向にいくべきでしょ。天与のものである身体人格と同一視して自然権を認めるのは、明らかに不合理じゃん。だからグレゴリーマンキューも皮肉で〈身長税〉を提唱したりするわけでしょ。……、え? マンキューくらい専門外でも知っておきなよ」

 議論めいてきて、倫理の口調も熱をおびてきた。自然わたしは無言になる。

そもそもVtuber著作物と見なした方が簡単じゃない? 〈中の人〉はVtuber演者としての著作隣接権もつわけ。二次エロには著作隣接権著作人格権に準用して対応すればいい」

「ちがうね。マッピングで体をリアルタイムに同期させてるVtuberはVRよりARの方が近い。もちろんARみたいに空間認知人格投射するわけじゃないけど、運動感覚でも同じことがいえるでしょ」

身体人格から分離するのが進歩的なのはわかったけど、テクノオプティミズムすぎるよ。こんなことをいうと、イーガンSFに出てくる保守主義者みたいかな。けど一般論として、エロが一部のひとに不快感を与えるのは事実でしょ? 前から思ってたけど、自分に関わることだとすぐ感情的になるくせに、他人には正論を押しつけるよね」

自分に関わることな感情的になるのは当りまえじゃない? 正論を曲げる理由はないよ。倫理こそ、他人配慮してるようだけど、等しく他人を見下してるだけでしょ? あと、テクノオプティミストでけっこう。わたし原発推進派だし」

 感情露出して落ちついたのか、いとうは息を吐いた。

倫理のいうこともわかるよ。でも、制作者の意見もないのに他人規制しようとするのはただの自治厨だと思うな。そういうファンは決まって創作をしない側だよね。創作ができないから、その代わりに自分ルールを考えて、それをコミュニティ強制しようとすることで存在を主張しようとするんだ。まあ、そういうファンはどこのコミュニティにもいるから、無視する以上のことはできないんだけどね」

 いいながら、いとうは自分言葉でふたたびイライラしてきたようだった。いとうは神経過敏だ。紙やすりのようだと思う。

 いとうが自家中毒めいて、自分言葉で気分を荒立てているのを察したらしく、倫理は優しくいった。

自分他人のあつかいに差があるのは当然だけど、いとうの場合、それが甚だしいってことをいったつもりだったんだけどな。あんたみたいなディスコミュニケーション女にもわかるようにいってあげると、誰もがあんたみたいにコテハン擬人化されて喜ぶ人間ばかりじゃないってことだよ」

「なるほど…」

「あ。いまのでわかるんだ」

「いとうの見方個人主義的すぎるよ。後期ヴィトゲンシュタイン言語ゲームも、そういう分析哲学に対する批判としてあるわけでしょ?」

 それから、しばらく誰も話さなかった。黙々と歩く。倫理雰囲気を変えるようにいった。

「そういえば、たいぼくってウケるんだよ。前に泊まりにいったとき料理をつくったんだけどね。カレーにするつもりで牛筋を煮込んでおいておいたら、朝にたいぼくがコンソメスープだと思って飲んでたんだよ」

 いとうは爆笑した。

「たいぼくって本当に生活力ないよねー」

 倫理に囃す。「それにしても、あんマメだよね。よっ、家父長制」

 倫理は本気で不快そうな顔をしたが、いとうは気づかなかった。

都庁って変なデザインだよね。すくなくとも都の庁舎じゃないでしょ」

 遠景に都庁みえて、なんとなくいう。

「いや、あれは自生する秩序の象徴から都市役所としてふさわしい建築だよ。エッフェル塔と同じ」

 わたしが疑問に思っていると、倫理解説した。

ロラン・バルトの『エッフェル塔』だよ。『あらゆる時代、あらゆる映像、あらゆる意味に通じる純粋表徴であり、拘束のない隠喩』ってね。具体的にどういうことかは、ルイ・マルの『地下鉄のザジ』をみればいいよ。『地下鉄のザジ』ではエッフェル塔の内外から鉄塔の無機質な幾何学模様が無限に顔をもつところが撮影されているから。『地下鉄のザジ』の原作者が『文体練習』のレーモン・クノーっていえば、わかりやすいかな」

 なんとなくおもしろくなく黙っていると、いとうがいった。

「でも、そういう意味をもたないことを意図した無機質なデザインなのに、結果として都市ランドマークになってるのは皮肉だよね。そうそう、ケヴィン・リンチは『都市イメージ』で都市認知地図における主体を〈パス〉、〈エッジ〉、〈ディストリクト〉、〈ノード〉、〈ランドマーク〉の五つに分類したけど、これはプロファイリングのGCT犯罪地理探索モデル)に利用されているんだよ。〈犯人の標的捜索行動は居住地から離れるにつれて犯行に及ぶ確率が単調減少する〉、〈居住地の近隣に犯行の行われない地域存在する〉、という二つの仮説のもとで距離独立変数とする距離減衰関数を導出するんだ。もちろん、それだとただ犯行地点の二次元的な分布の平均を求めるだけだから、ここに認知地図を当てはめるわけ。たとえばエッジに近づくと距離が縮小するとかね。平山夢明の『独白するユニバーサル横メルカトル』は、これを種本にしているんだよ」

 往来でプロファイリング平山夢明について語るいとうは完全に異常者だった。

「そういう自生する秩序の象徴をもそのうちに組みこむのが、自生する秩序なんじゃないの?」

 倫理皮肉げにいった。

そもそも新宿のもの意味をもたない記号都市なんだよ。大政奉還前は飯盛女のいる宿場戦前遊郭戦後闇市復興期は赤線地帯。七一年京王プラザ建設を皮切りに七〇年代高層ビル建設されて、九一年都庁移転するまで、ここは周縁だったんだよ。都庁にふさわしい場所でしょ? ちなみに、いわゆる〈新宿二丁目〉は二丁目の北側だけで、二丁目と三丁目は御苑大通りで隔てられてて、歩行者天国地下道もそこで途切れている。で、ご存じのとおり二丁目は都市から外れて住宅街モザイクになってる。つまり、二丁目は周縁の周縁ってわけ」

 そこまでいって、倫理は表情に翳を落とした。

「まあ、これは殊能将之が『キマイラの新しい城』で六本木についていったことを、新宿転用しただけなんだけどね。〈キマイラの新しい城〉っていうのは復元された古城と同時に、六本木ヒルズのことも指してるんだ」

「いいじゃん。ロラン・バルトによれば日本のものが『記号帝国』らしいし」

殊能将之って『波よ聞いてくれ』に引用されてたよね」

 倫理は頷いた。

「『黒い仏』だね。柔むげさんがさ、いつか『殊能将之読書日記』に感動してたじゃん。わたしはそれがわかるんだよね」

 歩きながら、倫理Kindleの端末を開いた。

「『殊能将之読書日記』ではフリッツ・ライバー長編への見方が顕著かな。殊能将之は〈ほとんどエロゲーの世界〉とか腐しながら読んでいるんだけどね……。その皮肉さがわかりやすいのが『A Spectre Is Haunting Texas』だよ。殊能将之は『幽霊テキサスに取り憑く』と訳しているけどね。月周回軌道ステーションまれ主人公が、第三次世界大戦後のアメリカにきたら〈テキサス国〉になってたってはなし。日本でいうと〈「第3次世界戦後大阪日本支配するようになった時代大阪人は全員きんきらきんの漫才師ルックで、『なんでやねん』『そんなアホな』などとしゃべっている」みたいな設定〉ってこと。テキサス国の首都テキサステキサスダラスで、街にはケネディ暗殺を記念した黄金モニュメントが建ってるの。教科書倉庫の窓から突きだす銃身とオープンカーのシャーシのやつ。で、テキサス国の政権交代大統領暗殺でおこなうのが慣例なの。爆笑じゃない? で、まあギャグ小説なんだけど〈A nation nurtured on cowboy tales and the illusion of eternal righteousness perpetual victory. カウボーイ神話永遠に正しくつねに勝利しつづけるという幻想に養われた国。〉とか書いてあって、痛烈にアメリカ批判しているわけ。だからアメリカでは出版できなくて、タイトルだけイギリス英語の〈spectre〉の綴りになってるんだけどね。ちなみに日記には追記があって、このタイトルは『共産党宣言』の〈ヨーロッパ共産主義という亡霊が徘徊している〉のパロディだと教えられたからってタイトルの仮訳を訂正してるんだけどね。教えたのは中村融なんだけど」

 倫理はひと息ついた。

世界にこういう視座をもっているひとは生きるのが辛いよね。そういうひとを理解してしまうひともね。ナボコフの『ロリータ』もそういうはなしだよね。嫌味で文学趣味スイス人が、延々とアメリカ呪いながら一人の少女を愛するはなし。柔むげさんは、そういうところに感じたんじゃないかな。で、わたしもそういうひとたちに片足を踏みこんでいるからそれがわかるんだよね。だからわたしは『程』では灯が好き」

「あ。そこにつながるんだ」

 まったく予期しない展開だったためにおどろいた。が、いとうは思うところがあったらしく、無言で前を見つめていた。

 新宿駅みえてくる。

「そういえばたいぼくちゃんお酒買った?」

キリンをまとめ買いしておいたけど。あ、あとポテチカップラーメンも買っておいた」

 そういうと、いとうは爆笑した。

大学生じゃん」

 倫理も苦笑しながら言う。

「ここの成城石井ワインチーズを買っていこう。あ、でも、それならクラッカースモークサーモンハムを買っていって、ムースをつくった方がいいな。素材の味が出るから、いいものじゃないとおいしくないんだよね」

 買物をしてからJRのコンコース階に移動する。倫理カードで決済して、わたしお金を使うことはなかった。

「ごめんね。一応、ホストなのに」

 いとうは笑って「出世払いにしなよ」といった。

 倫理は微笑していった。

「それにたいぼくちゃんからモラトリアムの気配をもらってるところがあるからね。わたしも……、わたしたちもこうして社会人鋳型にはまってるけど、それが仮初めのものだってことを思い出させてくれる」

 コンコースでは大勢のひとが行き来していた。天井からは各路線を案内する表示板が大量に下がっている。これらの記号が指示するものなかにわたしたちのいく先もあるのだな、と思った。

2018-03-25

anond:20180324204110

伸びるかなと思ってたら伸びたな。

パラドクス哲学についての回答の1例を記す。

 

テセウスの船

ある物体オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき

基本的に同じである同一性アイデンティティ)と言えるのか?

これは「観測者」に定義依存する。

観測者が「テセウスの船であることを認めない」と主張した場合は、その観測者にとってその定義有効とされ、

別の観測者が「テセウスの船であることを認める」と主張した場合は、別の観測者にとってはその定義有効とされる。

そして広義的な定義多数決によって執り行われる。

この場合部品を置き換えられた結果の船を周知していながら関連者はテセウスの船である認識しているため、

これはテセウスの船であると言える。

ただし、これにはオリジナルテセウスの船自体主観性がないとする。

日常において構成物質が変わっているのにも関わらず同一個体として認識されているものは「人間である

物体としては焼け落ちた城を再建させた城についても同じことが言える。

この場合も周りの観測者が大阪城と認めるから大阪城定義できる。

 

水槽の脳

あなた体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか

正しい知識とは何か、意識はいったい何なのか・・・

これは仮定としては十分成立する。

反論として現代科学において脳にこのような仮想世界を作り出すために必要コンピュータを作り出すのは物理的に不可能だというものがある。

しかしこれは現実世界科学技術物理法則を元に論じられており、

水槽の脳実在する世界」においては別の物理法則や遥かに進んだ科学技術を持っているという仮定をするだけで条件をクリアできる。

映画マトリックス世界がそうであったかのように。

そのためこの世が仮想現実であるという主張に対して、完全な反論存在しない。

その説そのものが、科学的な進歩において何の有益性もないという科学者や論者がいるが、

その事実仮想現実論の否定とは結びつくわけではない。

 

哲学的ゾンビ

外面的には普通人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験意識クオリア)を持たない架空人間

哲学的ゾンビは存在可能なのか?なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか?

これに関しては解答不能である

人間とまったく同じふるまいをする、主観的意識を持たない哲学的ゾンビを作り出すために必要構成物質定義できないから、である

例えば魂と言われる霊的存在主観的意識人間のようなふるまいに必要不可欠であった場合哲学的ゾンビは成立しない。

魂の研究に関してはまだ発展途上の段階であり、最近になって発見されたクォーツなどのように、

仮に未だ見つかっていない法則や粒子が主観的意識構成する物質であり、必要な要素であった場合哲学的ゾンビは成立しないからだ。

まり主観的意識の有無が哲学的ゾンビの成立に関与するかどうかを科学的に証明できない限りは反論可能である

地球が平らであると信じられていた時代においては端にいくとその先に何があるか、という論議は成立するが現代では成立せず、

仮に魂の構成物質機能発見が終わった後にもまた、この問いかけは成立しなくなる。

私自身は魂がまだ未発見の粒子により構成されているという説が正しいと信じている。

 

スワンプマン

ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥不思議化学反応引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶知識も全く同一である

沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、

死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

人格同一性問題を考えるための思考実験

こちらもやはり主観的意識構成する物質存在し、

それがコピーできないもの代替できないものである場合

全くの同一性定義上満たしていないことになる。

職場家族スワンプマンと元の男を見分ける術がないが、

これは素人が本物とよくできた贋作を見分けることができない程度の認識問題となる。

 

また、仮に最初落雷がある男に落ちずに沼に2度落ちた場合は、スワンプマンを含めた男は計3名となる。

しかし3名全員の主観的意識はそれぞれ別個に存在しており、

その点だけをくみ取ってもスワンプマンたちに同一性は成立していない。

よって沼にはじめて来た男とスワンプマンは同一存在ではないと定義できる。

 

哲学において同一性テーマが語られることが多い。

これは魂・霊的存在主観的意識科学において未だに解明されていないことを意味している。

科学的に解明されていない余地があるからこそ、思考実験バリエーションが多く組まれる。

また、観察者の能力についても、人類は正確に把握できていない。

そのため主体性意識を持つ存在認識定義について論じない、触れない哲学も多くみられる。

観測行為観測する者の不在では論じれない量子力学最先端物理学においては必要不可欠であり、

哲学が未だ観測者の能力機能性について、正確に学問体系に組み込めていないというギャップ引き起こしている問題だと考える。

2017-11-17

anond:20171117103325

増田女性なら本当に怖かったですね増田はなんにも悪くないよ(共感性パーフェクトコミュニケーション)

増田男性なら報告の主観性差し引きして考えると増田の方がよりキチガイであった可能性を排除しきれないので病院警察で話を聞いてもらうのが確実だと思う

2017-09-21

FGO 1000万DL記念対象☆4鯖のメタスコア

ゲーム攻略サイトAppMediagamewithGAMY神ゲー攻略ゲーム乱舞》の1000万DL☆4鯖オススメ記事と、個人ブログ代表としてこの集計をするきっかけになった《Nkentsukimiya氏の評価》を対象として集計をとった。

BoomAppGames記事作成途中だったが、全鯖網羅し点数はつけず長所短所の講評なので完成後も追加はしない。

ほとれいっ!は攻略情報のみ、ファミ通Appと電撃オンラインオススメはなく、従来型攻略wiki@wiki、wicurioでも主観性の高いオススメ作成されていなかった。

サイト80~100点、MAX590点(オススメ内の上下が無いサイトで一律90点としたため)


【6採用】4騎

ランスロット(570)高スペック

ヘラクレス(560)高難易度適性

術ニトクリス(540)周回適性

茨木童子(525)高難易度適性


【5採用】1騎

エレナ(450)周回適性


【4採用】6騎

アルトリアオルタ360)高スペック

セイバーオルタ(355)高スペック

エルドラドバーサーカー(350)高スペック

フラン(350)周回適性

ランスロット(340)周回適性

騎アストルフォ(325)周回適性


【3採用】4騎

ラーマ(270)、術ギルガメッシュ(270)、弓エミヤ(250)、剣鈴鹿御前(240)


【2採用】6騎

ガウェイン、槍ヴラドEXTRA、槍エリザベート、術ナーサリー、殺カーミラ、殺不夜城アサシン


【1採用】7騎

ジークフリート、剣ネロ、弓アタランテ、弓トリスタン、術メディアリリィ、殺ステンノ、讐ゴルゴーン


【0採用】14騎

デオン、弓エミヤオルタ、槍フィン、槍メドゥーサ、槍李書文、騎アンメア、騎マリー、騎マルタ

エジソン、殺エミヤ、殺新宿アサシン、狂タマモキャット、狂ベオウルフ、讐新宿のアヴェンジャー


以上全42騎。判断の参考になれば。

マーリンピックアップを回すならば☆4配布鯖の選択はその後でいい、締切に注意

・手持ちに無い鯖を求めるか、既存の鯖の宝具を上げるか

・周回性能を求めるか、高難易度適性を求めるか

・手薄なクラスを補強するか、他クラスの高スペックを選ぶか

ストーリー限定は入手しにくい

・手持ちの鯖・礼装との相性・相乗効果

・配布鯖との性能比較、☆5☆3との比較

自分の好み、キャラ

ネロ体操着


だから俺達は星4鯖の話をする時にキラキラしたいずれたどり着く夢の話しか出来ない

FGO配布星4鯖を決められない人へ

2017-05-08

私は卑怯かそれともバカ

私は「自分にとって都合の悪い事を言わない」という行為卑怯ものだと考えていた。

しかし様々な知人に指摘されたのもあり、もしかしたらそれは卑怯でも何でもないただの普通なことなのかもしれないと最近ようやく思うようになった。

いわゆるバカ正直というやつである


何か出来事が起きたときはなるべく主観性排除して中立的客観的事実を述べるべきだと考える人間であったため、

人に説明するとき、私は自分にとって都合が悪い事も含めて全て話すようにしていた。

そうすることで私は私自身に胸を張ることはできたが、それ以外はほとんど私自身が不利益を被るという結果が得られていた。

だとしたらこれはただのバカなのではないのかと最近思うようになった。

知人が戦略的他人誘導しているという話を聞いた際、本人に「面白みがないからこのことは相手に言うなよ」と言われたこともあった。

私はそれをチクったりすることはなかったが、「素直に自分に都合が悪いから言うなよって言えばいいのに何故そういう風に自分に都合のいい解釈ができるのだろう」と考えていた。

だがこれも恐らく世間一般的には普通解釈で、自分の考え方が厳しすぎたのかもしれない。

高校時代学校が嫌で、共働きの親に黙って仮病で休み遊びに繰り出したが、後で罪悪感に苛まれ親に自白して謝罪したこともあった。

親は私のことを褒めも𠮟りもせず、「バカだね~黙っときゃ一生バレなかったのに」と笑った。

当時は肩透かしを食らった気がして呆気に取られていたが、もしかすると親も私のバカ正直な点について懸念していたのかもしれない。

例え車がいなければ赤信号でも横断歩道を渡ってしまうように、私含め誰だってみな柔軟にルールを破る。

恐らく今回の件もそれの一環なのだろう。

それどころか考えてみると「自分にとって都合の悪いことを伏せる」というのはダメなことだというルール存在しないし、私がそう教え込まれ記憶も一切ない。

そこも考慮すると尚更私自身がバカバカしくなってきた。

上記のことを考えてから、試しに下手に自身にとって都合の悪い事を自ら言わないように意識して生活を送ってみた。

そしたらなんとまぁ簡単自身にとって都合のいい世界が構築できることか。

気分としてはチートアイテムを使って無双しているような気分である

だが恐らくこれはチートではなくもともと存在してみんなが使っていたアイテムで、単に自分がそれを使わない縛りプレイをしていただけなのだろう。

だが、今まで25年間ずっとこのような考え方をして生きてきたため後ろめたさがあることには変わりがない。

実際にあった話から自分にとって都合の悪い部分を消去し、捻じ曲げられたイメージ相手に植えつけ賛同を得るというのはどうももやもやとした感情が残る。

また、幸い友人も多く職場などでも非常に良好な人間関係を築くことができているため、今までの自分はやはりあながち間違ってはいなかったのではないかと考えることもできる。

伏せると生きやすいがやはり卑怯というイメージがぬぐえない。

伏せないと自身に胸を張れるが不利益を被ることが多くバカバカしくなる。

どこでバランスをとればいいのか。わからない。わからない。


都合の悪い事実を伏せる私は卑怯者なのか、それとも今までの私がただのバカであったのか、まだ私自身には冷静な判断を下すことができない。

自分にとって都合の悪い事を伏せて話すことについて皆はどう考えているのか、私はとても知りたい。

2016-11-02

ゲームカタログWiki

ちょくちょくゲームカタログWiki記事を書いているんだけどさ、ゲーム評価点や問題点って書いていくと、結構主観性の強い内容になっていくんだよ。

でもWikiで誰でも編集できるという構造上、編集編集を重ねるうちに揉めたりもするけど、そういう記事を書いた人の主観性ってのはある程度薄らいでいくわけ。

でもそれって、誰もが編集したがるメジャーゲームからこそ成立してる面もあって、自分がたまに作るマイナーゲーム記事なんて、たまに誤字脱字を校閲してくれる編集はあっても、内容そのもの編集してくれることなんてほとんどない。酷いものになると自分しか更新してない記事もあったりする。

ゲームカタログWikiってゲーム名でググる結構上のほうに出てくるから、そんな自分主観だらけの評価が、そのマイナーゲームネット上の評価みたいな扱いをされたりするんかな……と思うとちょっと怖い気がする。考えすぎかもしれないけど、なぜかこの手のWiki情報って、個人ブログなんかより信用する人が多いからね……。

まあそんなことをふと思っただけで、これまでどおり記事は書くと思うけどね。

前述のとおりマイナーゲーム基本的に作られにくい傾向にあるので、詳しい人がいたら記事をじゃんじゃん作成していただくようお願いします。

2016-05-08

主観的な「気づいた」はダメ

主観性の強い主張に「気づいた」を使うのはダメ

その主張と異なる意見を持つ者に対し、先回りして遥か上から見下すという非常に攻撃的な姿勢となる。

からダメ

逆にそれが意図どおりなら使えばいい。

でも俺の目の前で使ったらぶん殴る。

良い例

  • 1に1足すと2になることに気づいた
  • 俺の娘がかわいいと言われていることに気づいた

ダメな例

2015-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20150827160030

妻が感染症内科医なこともあり、子どもたちには任意のものを含めて予防接種を全部受けさせているし、その科学的意義は十分理解しています日本承認される前のワクチン(ちなみに、現時点ではすでに承認済み)を受けに、遠くのクリニックまで子供を連れて行ったこともあります。妻が専門家として判断しているからこそですが、その判断プロセス自分も共有しているし、彼の記述科学的に間違っている主張が含まれていることも分かります

ただ、生命倫理勉強をした黒歴史を持つものとして言わせてもらうと、予防接種強制の是非は、医療倫理的理論上難しい問題を含んでいるし、彼個人を一方的に叩くのは間違っているのではないかとも思います

ちょっと知識をひけらかすようなことを言うと、英米系の国は日本と比べて個人の権利よりも公衆衛生を優位に置く思想を持っています。たとえば、HIV感染があると、性的関係を全部調べあげて関係者調査する。予防接種拒否社会的ペナルティがあったり、入学拒否されたりすることもあります。いずれも日本では考えられないと思います。一方、西ヨーロッパ大陸法の国)は、比較日本と近く、公衆衛生よりも個人の権利重視で、予防接種についても受けないという選択が尊重されるべきという考え方です。

いわゆる英米法大陸法の違いという話ですが、それぞれ理論的には一貫性のある立場であり、簡単に間違っていると言えるようなものではないのです。どっちが正しいとか言うつもりはありませんが、少なくとも片方の立場を元に逆の立場一方的に叩くことができるような話ではありません。もうちょっと突っ込んで言うと、これはリスク評価主観性、そしてそれによるリスク評価多様性をどう社会的包摂するかという問題であり、簡単に答えが出る問題ではないのです。

そういう意味で言うと、彼の予防接種についての知識は間違っているかもしれないけれど、少なくとも大陸法系譜を持つ日本法体系上、それを「虐待」と言うのはおかしいのです。そして、ネットで寄ってたかって批判されているのを見るとすごく悲しくなる。なんていうのか・・・直感的には叩いている人の言うことも分かるのだけど、そこに欠落している法秩序への無理解、ある種の衆愚国家主義とも言える事態に悲しくなるわけです。

・・・・という意見増田あたりで理解されるとは思えないけど、メモ代わりに。

2015-08-19

人間性」や「人として」といった主観性の強い言葉

たまたまそこに居合わせた人の機嫌が損なわれたから、あるいは都合の悪いことを言われた/されたからといって「あの人には人間性がない」という人がいる。

そういった主観的な要素が強い言葉を使う人に会うと私は、その人に対して「人間性って何?」とつい、尋ねたくなる。

すると、相手方は私に対して「お前には人間性がない」「人としておかしい」と罵倒する。

どうやら人間性というのは人がロジック自分立場正当化するために使う言葉らしい。

こうした言葉はその発言をする人が年をとっていれば、ある程度の訴求力を伴う。

そういった意味では、私には人間性というものはないのかもしれない。

2015-06-25

邦画カメラワークがチープな感じなのはメタから目線から

結構前に話題になってた奴。

これ、日本ビデオゲームアニメもか?)の特徴でもあるんだけど、カメラ=観客 を神様の立ち居地に置いてるからだと思う。

メタから目線・観客席から目線・神から目線お茶の間から目線……要するに、安全なところからすべての情報完璧に見ることが出来る視線

ものすごく客観的目線のみで捕らえ、主観的目線を排する。

まず「カメラ主観的視線概念を極力排除」している。

注視するものって動かずに見え、背景こそが動いて見えるのが、目の機能としては自然なんだけど、日本演出注視すべきものほどよく動き、逆に背景は動きが抑えられている。

これによって、観客は「何に対しても注視していない感」が与えられる。

ビデオゲームは動かず注視される対象主人公なんで、そこはちゃんとしているんだけど、逆に敵に焦点が当たってないわけで、主人公に対して没入せず、他人目線を維持する。FPSを避けてTPSに走る。

また全体的に被写界深度も深く、これまた「注視してる感」を避けてる。

あと同系統の話しになるんだけど、「カメラに入るものは、全てが神のごとくよく見える」

手前に邪魔ものが入ったり、重要な部分が見切れたり、陰影でつぶれて、見るべき対象物がよく見えない、という状況をかなり避けている。

被写界深度もそうなんだけど、カメラに入るすべてのものが、きっかりはっきり情報を与えている。

注視対象は全て見えるようになっていて、緊張感があるシーンでは、真正から見据えてますます情報を隠させない。

あとそもそもとして「対象記号的に捉える」っていうのもある。

意味が一意に取れるシンボルとして描かれる。ある種のミニマリズム

UI理想形みたいな繋ぎ方をする。

要するに「観客にとって不安定で、意味を確定できない情報」がとことん排される。

超どアップが多用されるのも「見るべきものけがこの世界存在しているもの」だから

これらの禁則を破る場合インパクトを出すため。

ドッキリシーンとして一瞬だけ行われ、その状態を維持して不安にさせるような使い方はさせない。

で、視線主観性を排して、どこでメリハリをつけるかというと、時間軸に主観性を持たせて、そこでメリハリつけるのが日本物の基本。

特にこの辺にコストがかからないアニメなら、スローモーションバレットタイム、絵の一時ストップ、見得を切る瞬間、などなど。この辺はハリウッドに輸出された。

ただ、これもある種の神様視点特権かもしれない。

神はあらゆるものを精査に見渡せるのだから、見るべきシーンがスローでじっくり見られるのは当然という。

2015-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20150611204804

こいつが明らかに昭和偉人レベルの純主観性を持ち,昭和偉人意思を受け継ごうとした人間であるところ,昭和偉人に抑圧されていたゴキブリ自分時代が来たと思った瞬間こいつに虐殺されてまた昭和のエサ状況にされてしまって夏にしごきあげられていた悪ゴキブリ忸怩たる思いをしているだけなんだよ。

2014-04-21

 キルミーベイベー放送終了からもう、二年になる。

 この二年で、番組伝説から英雄になった。キルミーベイベーは今年も盛大にネタにされている。

 しかし、英雄に沸くネットの片隅で、私は思うのだ。例えば十年後、誰があの忙しい愚者、優しい殺し屋のことを憶えているだろうか。最初の日、「先生」が命名したこの『キルミーベイベー』は残っているのだろうか。

 争いも犠牲も、あぎりさんのあの微笑みさえも、全ては時の彼方に流されていく。

 いや、その方がいい。憶えていてはならない。何故ならあれは、英雄譚などでは決してなかったのだから

 全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。

 いつの日か、現在私たちも、未来の誰かの古典になるのだろう。

2014-02-09

現代音楽歴史超簡略版

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905

ベートーベン事件の論評は間違いだらけ

まりに気の毒な当代一流の音楽家新垣隆

この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。

そこで日本現代音楽界とか教育Disるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。

大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。

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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代

まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。

一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12技法」ってのを作った。

これは何かってうと、まず1オクターブ12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。

で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。

それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。

まりルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなもの音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。

でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。

シェーンベルク弟子たちがそう考えて、より主観性排除する方向に向かうわけです。

どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。

どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。

そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。

同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。

(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要ポイントだと個人的には思ってるよ。)

でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明ものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。

ここまでが「無調」。

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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ

彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで

サイコロ演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージ最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。

ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。

このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。

このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽存在しなくてもいいんだよ。

さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)

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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。

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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては

調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。

ただ調性感のある音楽は大したことがないから著作権放棄する作曲家ばかりなのかは自分作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。

あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックバリバリやってた人です。

そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。

2014-01-13

こういうのが典型的な頭の悪い人間なんだろうな

http://anond.hatelabo.jp/20140113095101

日本軍航空機の飛行時間パイロットレベルを把握していた」

という事実がどこまで正確なのかは知らないが、この事が示すのは、レベルを図るものとして、主観性などをなるべく排除するために

最も単純な尺度として「飛行時間」を取ったわけだ。


これをそのまま「プログラマー」に当てはめれば、単純に最も長くパソコンの前に座ってた人間、もしくは、最も多く文字を打ち込んだ人間、ということになるだろう。

それが最も単純で客観的な数値だ。

それ以外のレビュークリアだなんだって、この事柄に最も反することだ。


なんで自分で例を上げて賞賛して、その直後でその真逆の事が素晴らしいんだ、って出来るんだろう。

頭の悪い人の考え方ってのは想像を絶するな。

2014-01-06

『何事にも全力を尽くす』は目標じゃなくてただの理想

『何事にも全力を尽くす』とかい理想を掲げて自分の首を絞めて楽しんでるドMはそろそろ理論的に考えてもっと現実的目標を立てるべき。

それは目標じゃなくてただの理想

霞食って生きられるようになってから言えよって話。

そもそも指標がないのにどうやって全力かどうかを評価する気なの?

主観性が悪いとは言わないけど、漠然としすぎて結局当てもなくグダグダして「できませんでした」ってなるのが目に見えてる。

から1年後についてかけてもいい、その目標という名の理想、絶対達成できない。

あと~を頑張る系の目標を立てる人は大体できなかったときに「できた・できない」の結果しか見てない。

「何をどんな風にどれぐらいの時間でどういうことをしたけど結果こうなったからこの目標ダメだった」っていうのが全く見られない。

感情論しか残らないから「私はダメだ」にしか着地しない。

最初から無理ゲーなのにどうしてそうなった。」ってこっちが訊きたい。

落ち込む意味がわからないよ、最初から無理なんだもん。

進歩しないんじゃなくて、最初から考えるの放棄した結果なんだから反省すべきはまずそこ。

落ち込むのはおかしいと思う。

添削とかしてるとすんげー思うんだよな・・・

大の大人でもこれを平然と言ってのけるからコイツ絶対バカだな』って私ごときに思われるんだよ教えてあげないけど。

だって普通に考えればわかることじゃない?

何事にもってさ、おかしいだろ。

意識的に頑張れる部分よりも、生理現象・無意識・不随意の部分が大半の日常生活に対して何事にも~って(笑)

じゃあ全ての事柄にベスト対応策知ってるの?って訊きたくなる。

意地悪すぎるかな。

 
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