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2020-02-16

anond:20200216135743

特定キーがかすれるのは単純に日本語構造問題じゃない?

それらがあなた文章でよく使う音価なんでしょう

2014-02-09

現代音楽歴史超簡略版

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905

ベートーベン事件の論評は間違いだらけ

まりに気の毒な当代一流の音楽家新垣隆

この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。

そこで日本現代音楽界とか教育Disるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。

大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。

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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代

まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。

一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12技法」ってのを作った。

これは何かってうと、まず1オクターブ12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。

で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。

それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。

まりルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなもの音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。

でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。

シェーンベルク弟子たちがそう考えて、より主観性排除する方向に向かうわけです。

どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。

どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。

そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。

同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。

(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要ポイントだと個人的には思ってるよ。)

でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明ものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。

ここまでが「無調」。

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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ

彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで

サイコロ演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージ最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。

ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。

このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。

このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽存在しなくてもいいんだよ。

さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)

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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。

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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては

調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。

ただ調性感のある音楽は大したことがないから著作権放棄する作曲家ばかりなのかは自分作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。

あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックバリバリやってた人です。

そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。

 
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