http://xkxaxkx.hatenablog.com/entry/2014/01/15/115350
読んだ。
「予約たくさん入ってて大変でした!」
って、言ってる方は、図書館で予約いっぱいなくらい大人気ですよ!
って、きっと褒め言葉のつもりっぽい
ブコメで作り手に対する配慮が足りない人の存在が指摘されてたけど
見てもらって褒めてもらって、まだなにか欲しいのか
こちとらタダでもなかなか聞いて貰えないんだ
自作CDが図書館置いてもらえるなら喜んで実費で焼いて寄贈するさ
とも思う
図書館で読まれるってプロ作家先生にとって、そんなにダメなんかな
ワナビはたくさんいるはず
ブコメであったように
「図書館で読みました!」と言われたら「次は買ってね!」
くらいが、きっと正解なのかもしれないけど
そんな立場になることを夢見つつも
「次は買ってね!」の前に
「価値観に善悪も正邪も優劣もありません。誰にとって有益なのか、あるいは有害なのか、ただそれだけなのです」
この言葉を聞いた当時の俺は二十歳そこそこの学生だったが、十年以上の時を経た今になってようやく身にしみて理解出来たように思う。
まぁ、そのあたりのことは、わかっていてのだろうけど。
私は公共セクターで広報に関わる仕事をしています。数年前から、いわゆる萌えキャラクターを活用した広報をやっています。
萌えキャラクターを活用した広報は、うちの仕事では今までにないぐらいの話題性が出ていて継続的にやりたいというところです。
また、今までの心積もりとしては、男性向けと女性向けを交互に展開する方向ですすめてきました。
確かに、スプツニ子さんの指摘のとおり、人工知能学会の紀要の表紙は差別的であると非難されてしまう要素はありました。また海外で活躍されているスプツニ子さんやメイロマさんのご指摘のとおり、海外からの指摘として、ああいった日本的なサブカルチャーに依拠したものは理解され難く、非難の対象になることも、おっしゃる通りです。
特にメイロマさんの指摘の通り、リスクマネジメントの観点から言えば、公共性のある舞台では避けるべきというのはもっともな見解であると思います。
さて、どうしてもオタクカルチャーの文脈は異性を性的に見る視線が脱臭できません。それは、その出自からも明らかなことです。宮崎駿ですら、その少女を描く視線にオタクあるいはロリコン、あるいはマザコンとしてのリビドーが見受けられるでしょう。
しかし、いや、だからこそというべきでしょうか。そのようなリビドーとファインアートの反対としての技巧主義的な姿勢に裏打ちされ、同時に作家性(=ファインアート性)を抱き込みながら、大衆向けポップカルチャーとしての地位を築く原動力となりました。
もう第4四半期です。予算の執行も迫っています。私はイラストレーターやデザイナーを選定しなければなりません。
しかし、ここで下手を打てば。つまりスプツニ子さんやメイロマさんなどに批判的に取り上げられ、ネットで賛否両論が話題になれば、この方向性は二度と日の目を見ないでしょう。
最近は、コンテンツツーリズムや萌えおこしといった文脈で同業他社さんからの問い合わせもあります。
ここで、私がコケれば、公共セクターがサブカルチャーを活用した広報や事業を行うことに、大きな影響ではないでしょうが問題が生じるでしょう。少なくとも、私の所属する組織では日の目を見ることは無くなります。育てたキャラクターは倉庫の奥に仕舞われ、死に至るでしょう。そして、これは今まで、後ろ暗い趣味であったオタクを世に認めさせてきた諸先輩の顔に泥を塗ることにもなります。
しかし、冒険を嫌い、安全な道を選び続けてきた公共セクターは、とてもつまらないものしか生み出せず、時代や社会にそぐわない「誰も文句を言わないが、誰も得をしない」事業ばかりやるようになっています。いや、現実はもっと悪くて、過去の経緯からの利益誘導に堕しているものが多くあります。
しかし、それが組織はもとより、個人のリスクマネジメントの観点からも妥当なのでしょう。私はそれが嫌で嫌でたまりませんが、しかし、ここで私が怒られ、出世の目がなくなるぐらいで済むならいざしらず、新しいことをやろうとする多くの仲間に水を差すことになるのは避けなければならないと考えてしまいます。
正直言えば、私はスプツニ子さんに恐怖を抱いています。この私の泣き言だって、要するに彼女の顔色を窺っている、あるいは畏れ多くも内心を忖度しているにすぎません。
私はどうすればいいんでしょう。今まであったような、ありがちで文句を言われない、でも誰の記憶にも残らないような広報をすべきなのでしょうか? それとも、リスクを甘受して、新しいものを目指せばいいんでしょうか?
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家に帰ってみたら、すごい勢いで言及されていてびっくり。とりあえず、はじめてtwitterアカウント作ってみました。
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1 釣りじゃないの?
釣りではありません。
2 萌え絵が否定されているのではなくて、差別的なモチーフが批判されているのでは?
確かに一義的には、ステロタイプな女性像が描かれたことによって、差別的であると判断された、ということが問題であるというのは認識しています。
しかしながら、フェミニズムの観点から検討すれば、それだけではない問題が明らかになると思います。
そもそも、ある性別が特定のジェンダーロールに縛られるという過程においては「まなざし(視線)」と「客体化」ということが問題になります。女性がジェンダーロールに縛られてきた過程においては、女性が客体、選ばれる性として扱われてきたということがあります。女性が主体化せずに配偶者に付き従う、といったようなステロタイプな見方は客体化という作業なしには存在しえません。また、その客体化はまなざし(視線)によって形成されるものです。
翻って「萌え」というカルチャーを見れば、ササキバラゴウを引用するまでもなく、少女を消費することによって成立してきました。
仮にジェンダーロールに反旗を翻すキャラクターを想起しましょう。古典的にリボンの騎士でも考えてみてください。さて、今、あなたがpixivで「女騎士」というタグで検索すればどういう絵を見ることができるでしょうか?
つまり「まなざし」や「客体化」というプリミティブな作業を経由すれば、ジェンダーロールに従っているかどうかに関係なく、私たちは少女性を食らい尽くすことができます。そして、萌え絵というのは、まさにそのようなカルチャーに根差しているということを指摘しなければならないでしょう。
やりようはいくらでもあります。ネタの絡ませ方や、出し方一つでおもしろい方法はいくらでも考えられます。
少なくない作家が今の時代にオリジナルはないというような事を言っていますが、逆に言えばエピゴーネンの組み合わせというのはまだまだ余地のある分野です。
4 コンサル入れたら? めいろまさんやスプツニ子!さんに頼んだら?
5 追記
仕事上はこんな突っ込んだ話なんかできないし、差別問題への深い理解を求めるというのも難しいのが現実です。そのために、公式見解的なものは、木で鼻を括ったようなものになりがちです。
だから、この問題が公共セクター業界で真剣に扱われ、前向きな解決策が出るなんて思わない方が良いでしょう。
奇しくもめいろまさんがこの件についてマニュアルとコンサルティングによるリスクアセスメントの価値を論じましたが、まさにそういった形で外部有識者という免罪符を買うか、あるいはマニュアル化された手法で乗り切るしか、組織においてはできません。
非常に残念ですが、現実はそのようなところです。
もちろん義務ははたさなきゃならないもので、権利は行使できるものなんだけど、必ずしも義務と権利が釣り合うとは限らない。
よく誤解されることなんだけど「権利には義務が伴う」っていうのは、義務を果さなければ権利を行使できないっていう意味じゃない。
例えば法律に「請求する権利がある」とあった場合に請求された方は「回答する義務がある」という意味。
「有休を請求する権利がある」に対応する義務は「有休を与える義務がある」ってこと。
法律の条文に権利しか書いてなかったとしても、対応する義務が書かれているものと見做すという法律上の理屈を言葉にしたものが「権利には義務が伴う」なんだ。
社会全体としては権利と義務の量は当然ながら等しくなるけど、ひとりの人間が果す義務が権利より多かったり少なかったりはする。
極端な話をすると、世の中に何ひとつ貢献できない無能者を殺していいかっていうとそんなことはないよね。 それが生存権。
何ひとつ貢献できない人に対してもなお与えなければならないものが人権というもので、労働基準法が定めるのは最低のクソ社員に対しても、本人が要らないと望んでもなお与えなければならない最低限の待遇なんだよ。
義務と権利が等価交換なのだとしたらわざわざ人権やら何やらを定める必要なんかない。
今日見た夢が頭にひっかかって離れない。
内容は自分がピアノを引いていいる所に安倍首相が通りかかって演奏を褒めてくれるというもの。
と聞いてみたら、苦々しく思ったのか顔を伏せて立ち去った。
これは何を意味しているのだろうか。
件の主を弁護する気もないが、お前も大概だわ。
このコメント、ホッテントリ入り初期の方はトップブコメに表示されてたんだけど。見たくなくても見えちゃってたんだけど。
何のゲスパーする必要もない、ただの一声優の結婚報告エントリで、祝賀ムードと一抹の切なさを感じてる時に、突然こういうコメントが目に飛び込んでくるわけだよ。
ダウン症をそこまで言うって一体何なんだ。
大震災の時に生命保険会社は規約ではしなくていい補償をしたんだ
なんだ~。怖い部屋っていうからどんなかと思ったら、意識の高い人の綺麗な部屋じゃん。
これを怖いとかいう方がどうかしてる。
「居心地屋 蛍 上人橋店」ってお店みたい。
http://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40004061/
http://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40004061/dtlrvwlst/5422021/20239665/
でこのお店、前回・前々回の居酒屋甲子園で優勝して、
食べログのレビュー見た感じだと人気店で繁盛してそうなんだけど
先日日経に載ってた数値
9月7日~12月8日のツイートで、
「原発」を100回以上ツイートした人(ヘビーツイート主)は、人数では全体のわずか1.8%。
で、このヘビーツイート主発信の原発ツイートは、原発ツイートの中の実に56.8%を占めるらしい。
まさに「ノイジー」。
俺は 自分でばんばん自虐ねた言うし、いじられるの嫌いじゃないからちょっといじられたくらいだと逆に笑いを取れてうれしいくらい。
でもここだけはいじって欲しくないっていうポイントがいくつかある。たとえば、絵の趣味。自分の描いた絵をいじられて笑いの材料にされた時は腸が煮えくり返る。でも、どんな表情をしていいか分からない。
いつも自虐したり、いじられたりして、自分自身を使って笑いを取っている分、こういう本当に嫌な時でもなんか言いにくい。いつも「俺は別にいじられても怒りませんよー」って態度で表明しているのに、いきなり怒るとかどうなのよって思ってしまう。うーん。
立ち直られても困るんじゃね?
被害者やその周囲はいまだに加害者に対する憎しみで腸煮えくり返って、まともな人生歩めないのに、加害者の方は刑務所で毎日写経したり聖書読んだりして、出所するときには心穏やかな好人物になったりしたら…考えただけでも恐ろしい。
罪を償うってなんだろうな。
「電気自動車という欺瞞」http://anond.hatelabo.jp/20140114151838 で盛り上がったブクマとツリーに関してですが、
個人的には下記のページがかなり参考になると思います。
http://hori.way-nifty.com/synthesist/2012/04/co2-e34e.html
電気自動車のほうが効率が段違いにいいと書かれたサイトとは違って、
CO2排出を抑えたいと思うなら、石炭火力の割合が無視できない中国電力管内と沖縄ではハイブリッド車を、
そうでないなら電気自動車がよいということです。
欧米に呑まれないようにしていたのはある面では事実だろうが、じゃあ相手が欧米である事を理由に呑まれないよう足掻いていたのか?
プレエントリー段階でSNSの友達数とかフォロワー数とか入力させられる某広告代理店の話。
「御社の新卒採用Faceb◯◯kページいつも拝見しています。就活生個人のSNS上の情報などは選考に関係ありますか?」
デザイナーのサイトはサイトのデザインそのものがコンテンツなのではないかな?
どんなデザインが得意なのか、あるいは好みなのかを示してるんだろう。
「コメント遊び」という名前自体は俺が今適当に考えたものだ。他に適切な名称があるんなら適宜読み替えて欲しい。
どういう行為なのかというと、インターネット上で特定の事象に関して、大げさだったりふざけて曲解したようなコメントを書く悪ふざけみたいなものだと思って欲しい。
地方ネタに関するネットの書き込みを想像して貰えると理解しやすいかと思う。
たとえば、群馬県を未開で野蛮な民族が住む場所だとか、福岡県をまるで戦争真っ最中な危険地域などと茶化すようなコメントを書き込んで、その場の名も無い参加者達とひとときの気晴らしやコミュニケーションをとるというものだ。
ネット上でこういう「コメント遊び」があらゆる分野で日常的に行われているというのは、増田なんかをいちいち開いてる暇な読者諸兄には感覚的に理解出来るかと思う。
しかしネット上独特のこういった文化は、ネットに疎い中高年層の目には非常に不可解で不愉快な物に映る。
俺個人は、この「コメント遊び」文化は中高年層にネットリテラシーを普及させる際の最大の障害だと認識している。
これを「ああ、こいつらはふざけあっているだけなのか。書き込んでいるのはごく一部の人数で、しかも大半は本心からそう思っているわけではないのだな」と、いかに早い段階で理解してもらうか。
これが非常に難しい。何せ現実で当てはめられる現象が非常に少ない。