はてなキーワード: 気づきとは
昨年亡くなった親類のマンションの部屋をわたしの父が受け継ぎ維持している
親類の部屋は8階にある
ときおり管理のためにわたしや父が交代で出かけて掃除や整理などする
昨日はわたしが赴いたが、体調が悪くなりそのままひとりで泊まることにした
突然のことで歯磨きをするすべがなかったので仕方なくそこに残してあった介護用の使い捨て口腔用スポンジで代用する ふにゃふにゃと柔らかく隙間が磨けない
歯磨き粉の味は1年ちかく経っても変質しないようだ
夜中悪夢を見て目が覚める その部屋で亡くなった親類の太い両腕がわたしの肩を枕の真上から押さえている 夢の中でこれは夢であると気づきそれで安堵する
自分のこれまでの身の上のふがいないことを親しかったその親類に叱咤されているような情けない気持ちでそのままうとうとと起きていた
朝になって鳥の声がよくきこえ、快晴、そのまま穏やかな午後になり、サンダルを玄関から持ち出して居間の窓を開けベランダに出る
そこからの景色をみればはるか遠くまで澄んで美しい 風のぬるい暑い日
隣の部屋のベランダには美しく手入れの行き届いた鉢植えがある ラベンダー、セダム、名前を知らない小さな白い花、黄色い花、白茶けた低木
明けきらない早朝恐怖心にまみれたまどろみの中で隣の柔和な笑顔の住人がそれらを静かに動かす音や水をやる音を聞いていた
ベランダから真下を見おろすと一階の庭もタイル張りに美しく整えられて美しく掃除されている ばらの木、ヤマボウシの木を真上から見る
規則正しい隣や真下の生活、それらはベランダから見渡す限りどこまでもどこまでも続いているが
しかしそのどれもがわたしの人生に明らかにひとつもかかわりがないのだと思うともうここで終わりにしてもいいのではという気持ちが突如として湧きあがる
だがこの部屋で短期間に人死にを出すわけにもいかず見つける人のことを考える
そのくらいの世間体を気にする感覚は残っており何よりその前にも準備がある 恥ずかしいものを隠したり消したり
その懸念があるうちはなにか衝動的な誘惑に負けたまま早まらずも鬼籍の親類をふたたびもみたびも落胆させずにも済むだろうと思うがそれは美しい午後にこそ口を開けているものなのだと今日わかった
なるべくならここには一人で来ない方がいいだろうと考えながらカーテンをしめ、電気、換気扇、ガスの元栓、すべてよし、最後に鍵もよし、と口に出しながら鍵をかけてその部屋を夕方に去った
このトシになってはじめて、自分は思考が浅く仕事ができない人間であることに気づいた。
そしてこの状況を変えないと社内ポジションでも、今後のキャリアでも多分に影響してくるのでどうにかしたい。
うそ。上記かっこつけて言ったけど社内ポジションは薄々軽んじられているなと思っており、とてもキツい状況なのはわかっている。
本ダイアリーは自分の状況を可視化するとともに、誰かの気づきになれば嬉しいがただの独りよがりになるかもしれない。
キツいが、今までコンフォートゾーンにいた自分を変えることができるし単純にできることが増えるので楽しい。と思えるのではないかと思っている。
また、自分をよく知る人からはアスペっぽいと言われており、幻冬舎新書の『アスペルガー症候群』を読んだら心当たりありまくりなので多分そうなのだろうと思っている。
そこで下記は本書にも共通して書いてあることなのだが、私の話をしていこうと思う。
これも最近になって自分は優先順位をつけることがニガテなのだと気づいた。
一日のタスクをリストアップするが、ぜったい優先順位を見誤る。
これは皆さんがご存知の緊急度、重要度等で4グループ化したフレームワークでいったんやってみようと思う。
それでも見誤ったらまたそのとき考える。
▼自問自答を一切していない
アウトプット物にいつも「浅い」だとか「もう少し納得がいくものを」などいくつものフィードバックを年下上司から貰う。
年下上司がいるってことに恥ずかしいと思えよと思う人もいるかと思うが、今まで経験してきた職種や業界が違うし上司にはこの業界の知見やアセットがあるから年齢関係ない。
話は戻るが正直、浅いものをどうしたら深いものにできるのかわからなかった。
また、思考の「浅い」「深い」が重要であることも最近気づいた。
昔から「考える」ということを無意識に避けてきたのかもしれない。
それがこの状況である。私は本当に何も考えていなかったというか危機感ゼロでここまできてしまった。
3点目に、、、と続けたいところだが今のところ上記2点を改善・習慣化していくことで変化を期待したいと考えている。
先月父が亡くなって、財産の整理も終わって、あとは父の部屋に残った(大したことはないであろう)遺品整理をしてた。それが一昨日の金曜だ。
大半はそのまま家に置いておくもので、あとは明らかなゴミとか、雑誌類とかだったんだが、とある衣装ケースの中に父が地元市役所に勤めていた時の思い出グッズがあった。
(以下明細)※見つけた順。(!?)は驚いたという意味。「疾風伝説 特攻の拓」みたいなやつじゃない。
・入庁した時(1973)の同期との集合写真
(加山雄三に似てるって言われてたけど本当だった)
・人事異動通知書数十枚
・市民病院財政健全化の支出カットを巡っての偉い人との折衝記録
(普通に脅されてた。わが父ながら憐れだった...)
・止水栓の蓋を開けたり閉めたりする専用の道具(!?)
(我が家が料金未納で上水道を止められても大丈夫!! ミッキーマウス「ハハッ♪ ボク、水道料金払わないよ♪」)
・公共事業と思われる団体の、お金けっこう入った通帳。(!?)
(昔、高校の校長先生が教委と解放同盟の板挟みになって自殺したらしい)
・給与明細数十通
(自営の俺より年間所得が多くて悔しい)
ほかにも、「職場から持って帰っちゃだめなんじゃね?」的なものがわんさか出てきた。ここでは書きにくいものもある。正しい道とすれば、市役所に連絡して取りに来てもらうのがいいに違いない。
でも、正直なところ、個人的な思いとすれば……めんどうくさいことに巻き込まれたくないから、闇に葬りたいと思ってる。このまま見なかったことにするか、うちの裏山に穴を掘って埋めるか、そういうのを考えてる。
妻や兄妹には話してない。あれらは正直だから、きっと誰かが「市に連絡!!」とか言うに決まってる。ふざけるなよ、俺が家を継ぐんだぞ。お前ら何もしないじゃん。一緒に責任を被ってくれるわけでもなし。うちも市とか外郭団体から仕事もらってる身だから、面倒くさいことに巻き込まれたくない。
でも、正しい道ってのがあるんだよなぁ。どうすればいいんだろう。迷ってる。本当に悩ましい。早くこのトピックから解放されたい。
○労働組合
一昔前は悪名高き労働組合だが、大量離脱があり、いまはほぼ半壊状態となっている。
ニコニコ動画などにもアップロードされていたが、東日本旅客鉄道労働組合(東労組)にあらずんば人にあらずという状態であったが、
いまは大半は非組合員となっている。
大宮支社、八王子支社、千葉支社あたりはまだ組合が比較的強いようだ。
国鉄労働組合(国労)のおじいちゃん方とは特に意識することなく仕事もできている。
そんなに額が変わることもないのだが、会社側は日頃の貢献を鑑みて0.1ヶ月の加算などしみったれた金額にも関わらず、仰々しく話をするし、
労働組合は2.5ヶ月を死守したなど減っているにもかかわらず、謎の成果をアピールしてる。
また、会社は公表してないが、過去のボーナス額が何ヶ月分であったかは労働組合のホームページで筒抜けとなっている。
社長、部長、支社長などの社内の偉い人のお話を聞くこと。特講とも言われる。
講義と言いつつ研修や社員教育のテーマに沿って話すというよりは精神論が多い。
配属された直後だったり、社長の現場視察のタイミングで行われたりする。
もちろんありがたいお話を聞いた後は作文の提出がついてくる。
なにか話を聞くたびに感動し、思いを改め、新たな気づきを得ることにも疲れてくる。
普通に全体ミーティングなのだが、端々に社内の権威付が行われている。
(つづく)
この文章は24卒の文学部に所属している私が書いたもので、同じ文学部の人たちや学部を悩んでいる高校生、その親御さんとかに向けて書いているつもりです。キャッチーなタイトルにはなっていますが私は文学部が好きだしここで勉強できて良かったなと思っています。主に文学部での大学生活と就職活動について正直に書いていきます。進路選びの参考にしてください。構成を決めず、思ったことの羅列なので読みにくかもしれません、すみません。読んでいるうちに私の所属にピンとくる方がいるかもしれません。その時はおすすめの東京のご飯を教えてください。
24卒私文。都内近郊生まれ都内近郊育ち、中高一貫からMARCHへ。やや厳格な家庭だが進路や普段の学習・成績ついて厳しくは言ってこない環境で育つ。
サークルなし、体育会なし、大学に友達(と呼べる関係の人)マジでゼロ、長期インターンなし、普通のバイトと特殊なバイト
一言でいうと文学部はおすすめしません。やめておきましょう。なぜなら文学部の授業で聞くことは基本的にやる気があれば調べたり本を読んだりすることでみにつけることができるからです。特に国文系や史学系は新しい事実が追加されることがあまりなく、すでに体系化されたものをその科目のオタクの先生が楽しい感じでおしゃべりしてくれるだけだからです。要するにうんちくマンにはなれますがご飯を食べていくための能力は授業だけでは身につかないかなと通って思いました。いつか忘れましたが阪大の文学部(?)の卒業式で部長っぽい人が言っていた「文学部の学びは金にならないけど人生の節目節目で生きてくる」(意訳、ググって読んでください。これを読んでいる人には刺さると思います)の通りだなと思います。うんちく(笑)がたくさんあるに越したことはありません。けれど考えてみてください。あなたが面接官だとして、マーケティングを学んできて神話や文学の知識にも明るい商学部の人とレポートの文字数を稼ぐのが異様に得意で国生み神話を事細かに話せる文学部ではどちらの方が欲しいですか?(泣)私はこのことに大学4年の春に気づきました。「イザナミとイザナギが空からぐちゃぐちゃにかき回したらできた島が淡路島なんですよ〜!」っていう知識が会社で顧客の獲得に大きく貢献するでしょうか(涙)。あなたの文学部での研究が面接官にまったく刺さらなかったらどうでしょうか(涙)。私は広告に関する卒論を書いていますがマーケ的な視点ではなくシンプルに趣味で調べましたみたいな内容なので全然ウケないです!
なので今進路に迷っている高校生はよっぽどの確固たる動機がない限りは文学部を選ばない方がいいと思います。理由は①やる気さえあれば本やネットで十分に学習できる、②会社で直接役に立てる知識が身につきにくいからです。数学ができるなら商学部や経済学部、そうじゃなくても文学部以外だったら基本的に会社の仕事に直結できるようなスキルが身につきやすいのではないでしょうか、知らんけど。たとえば法学部とかだったら薬の会社の法務職とか、マーケ勉強してたらマーケターの採用もあるので学びと結びつけやすそうだなと就活して思いました。
では私には確固たる動機があったのでしょうか。ありました。高校生時代のある経験から「広告をつくりたい」という強い思いができたこと、その経験から文学部で勉強するという動機がうまれ進学を決意したのです。今思うと大学入学時にすでになんとなく行きたい業界(広告)が決まっていて、かつ広告に関係することで卒業論文を書こうと決めていたのでなんとか納得のできる就活ができたのかな、と思います。結果として行きたい業界で満足できる会社の内定をいただけました。ふわふわした感じで「歴史が得意だから」「源氏物語が好きだから」「神話をもっと詳しく知りたい」みたいな趣味ベースで行ったら苦労すると思います。その好きや趣味の先に「こういう仕事、業界で働きたいから文学部で〇〇を勉強するんだ」というビジョンがない限りは文学部は選ばない方がいいと思います、マジで。文学部で就活に成功するのは基本スポ薦でゴリゴリ体育会ウェイか授業最低限で長期インターンハマり奴か公務員になろうという意思を持って1年から公務員就職に関する勉強や情報収集をしている奴です。何も考えずに大手受けても普通に落ちます(笑)パンフレットに載っている大手や勝者で活躍している先輩の紹介はマジのマジで一握りです。各大学が出している学部別の「就職先企業データ」をみましょう。何も考えず王手を受けるのはMARCHの文学部では心もとなさすぎます。運動部全国大会系ガクチカ、長期インターンガクチカなどが作れない(作る気ない)けど文学部で趣味の延長線上みたいなことがしたいならとにかく上位の文学部に入りましょう。
教員志望は学芸大学とか早稲田の教育とかとりあえず知名度とか偏差値の高いところに行くべきだと思います。理由は周りの(っていっても友達がいないので雰囲気でだが)教職履修者は大体途中で履修をやめているからです。文学部というのはおそらくどこの大学も専攻がわかれていて、国文とか史学とか色々あってそれらの必修をなんとなくとっていれば教員免許に必要な選択単位が自動で取れるのですが教職のための科目を取らなければいけません。教職科目は履修人数が多くてテストありきで(レポートや出席点がない)落とす可能性があったり、土曜だとか平日の遅い時間か1限に授業が入っていて「とりあえずとっとくか〜」のノリでとった人は大体やめます。教職は保険代とかであまり課金せずに取れる資格課程なので辞めるのもハードルが低いのでしょうね。教職履修者で残るのはマジの教員志望と親が教員でとりあえず受け続けている真面目なやつくらいです。なので「1年の時は教員になろうと思っていたけれど3年になってやっぱ一般企業にしよ」とか言う人も多いと思います。なので高偏差値の教育学部に行っておけば教員という道をやめても就活市場で戦える可能性が高くなるのではないかと思いました。
ここまでできれば文学部はやめとけの路線で行きましたが、文学部でできること(いいところ)をいくつか挙げておきます。
文学部は経済や法と違って知識の定着を問う試験はあまりありません。(もちろん試験ある科目も一定数ある)基本的に14回分の授業を通して考えたことやそこから発展して自分で決めたテーマに沿ってレポート(最低2000字くらい)を書くことのほうが多いです。文学部はどちらかというと知識や体系を詰め込むところではなく「ここまで色々話してきたけどじゃあ貴方はどう思うの?」と問われることが多いところなのかなと思います。文学部に入学するということは基本的に中高時代に作文などで苦労したことが少ない人が多いと思うので元からある程度の作文スキルがあるでしょうがそれがより強くなります。難解な表現やカタカナ語を駆使して中身がないのに文字数のある文章を書けるようになったり、参考文献を読む機会が多いので要約する力や全然関係ない学部の他校の友達のレポート代筆ができるようになります。多分3年生くらいになると最低2000文字のレポートを課されても「ツイート15個分カァ」くらいになると思います。授業の感想を毎週数百文字で求められる授業も多いので文字数を稼ぐ文章力や考えを整理する力、あとはブラインドタッチができるようになります。(逆にこの力を4年かけて400万で欲しいですか?笑)
②ずっと日本史とか世界史の教科書の端っこのコラムみたいな話が聞ける。
文字の通りです。その分野のオタクの先生がコラムみたいな話を100分盛りだくさんで話してくれます。考えてもみてください、文系(人文社会学)で院行くだけでもかなりのキテレツなのにそこから大学教員で研究者になるってよっぽどの厄介オタクですよね。先生に質問とかすると基本ニコニコされるし気に入られます。中高の頃先生と仲良くなるのが得意だった人(仲良くなりやすい人)は中高の延長線上みたいな授業になるのではないでしょうか。
③一般教養科目がめちゃくちゃある。
どこの大学の文学部でも大体当てはまると思います。専攻や専門以外の文学部の授業がたくさん取れます。国文系でも哲学や歴史、心理、宗教など幅広く授業をとることができるので(めちゃくちゃ偏見だけど)楽単度合いで選ぶよりも内容で取りやすい、しかも大体が出席とレポートで簡単に単位が取れるのでおすすめです。あそ文学部の所以ではないでしょうか。
パッと思いついたのはこれくらいです。基本的に高校時代までの趣味嗜好がそのまま勉強になるみたいな感じなので授業そのものは満足できると思います。
就活について
就活は広告、テレビ、出版、映像などクリエイティブ系を見てました。また好きな商品やサービスを宣伝するのも楽しそうだという思いからメーカーもいくつか受けました。メーカーは全て「ES落ち」でした(笑)。保険などの無形商材と不動産と金融、コンサルなどは「私如きが人様の人生に口出しできない」という思いとウェイ系が多そうということで受けませんでした。文学部は大学によっては教員・公務員志望がほとんどで大3の夏になってもサマーインターンの話が全く出ないみたいなこともザラなので仲間が欲しいとかなら他のコミュニティに入るか文学部はやめましょう。就活を始めたのは大学3年生の春で、といっても春は片っ端から興味のある会社のマイページを作って本格的にやっていたのはサマーインターンの応募からでした。ちなみによくtwitterとかでみるサマーインターン経由の優遇・内定を勝ち取れるのはごくごく一部です。期待するのはやめましょう。また、twitterでゴリゴリサマーインターンを勝ち取った報告をする人がいますが病む必要はありません。意識が高いからtwitterをしているのです。いい結果の時しか呟かないでしょうし、心配する必要はありません。夏インターンに参加できたのはテレビ局(単日開催→上級参加)と誰でも参加できるキモいベンチャーのふたつだけでした。キー局と電博、読広、D2C、NTTとかの大手をミーハーで出してました。インターン参加しなくても本選考が始まると説明会や座談会がたくさん組まれるので大丈夫ではあると思います。20社参加した!とかいうのもあまり気にしないようにしましょう。
私が就活を終えたのは6月に入ってからでした。ありがちな秋〜冬の大手に落ちまくってバリ病んでいたところ、たまたま行きたい度が高かった会社の選考がとんとん拍子で進んで内定をいただくことができました。大手だけ見るのはマジで精神を病みます。行きたい業界の大手と業界10位以内くらいまでの会社をとりあえず出して、あとは駒を増やすために逆オファーサイト(オファーボックス、ABABA、ネオキャリアなどなど)を登録するといいと思います。逆オファーは有名な(かつブラックである)飲食チェーンとレバや某ハウスみたいなウェイベンチャーと零細意識他界ベンチャーしかないので、逆オファーサービスメインでの就活はやめましょう。
あとは話せる人がいるって大切だなと思いました。学校の環境が就活モード低そうであれば夏秋冬のインターンに参加して居合わせた学生とインスタなり交換して情報交換できるようにしましょう。私は大学での友達がマジのガチのゼロでしたが夏インターンで出会った子と励ましあったり情報共有をしたりしていてメンタルが保てました。有名かつ人気の企業のインターンに「選抜」されているということはそれだけである程度優秀なのでぜひそこの繋がりも意識してみてください。大学が違う方が僻んだり妬んだりしないのでなるべく違う環境で生きている子の方が精神が安定するしモチベも保ちやすいです。
ESや面接のガクチカは特殊なバイトをしていたことと特殊なゼミに入っていたこと、地元でのボランティアでの活動を出す会社によって分けていました。これらの活動をしていたのはサークルなどに入っていなかったのでガクチカ代わりになると思ってやっていました。ゼミの方は結構ウケて、特殊なバイトの方は広告・エンタメ系ではウケました。結果として行く会社に内定をいただけたのは特殊なバイトを面白がってくれたからだと思っています。文学部の人は学部に華がないので大学+自分にしかできないような経験が必要じゃないかなと思います。商とか経はよくゼミ大会とかゼミでコンペに出すこともあるのでゼミがガクチカになりうると思いますが自分の趣味を発展させただけの文学部でのゼミの活動は「で、なんか役に立った?(笑)」になってしまいがちです。クリエイティブ系を目指すのであれば変なバイト、特殊なバイトをしましょう。特殊なバイトというのはタピオカ屋やスタバ、高級焼肉などある程度のハードルが必要な飲食もいいですがライター、特殊清掃、ラブホ、街ゆく人の数数えるなど人とのコミュニケーションや人間観察ができる、価値観に影響しそうな仕事を選ぶといいと思います。私は上に書いたようなバイトを経験しました。話すと結構興味を持ってもらえました。SNS運用インターンもいいですが、特殊な経験をうまく話したり表現することができると食いついてくれる(おもしれ〜女・男認定される)のではないかと思います。
ガクチカについては「これまでの学生時代」や「いつでもいい」などがない限りは基本大学での活動にしていました。高校時代のを話すときは文化祭でのリーダー経験でした。ガクチカを「作る」のはお勧めしません。せめて経験を「盛る」くらいにしておきましょう。周りの話や感覚としては「サークル活動」は弱いです。圧倒的に「体育会」が強くて次点で「長期インターン」です。行きたい業界に関連した会社のインターンがおすすめです。おそらくその長期インターンはベンチャーが多いと思いますが間違えてもそのベンチャーに魅せられて就職したりベンチャーで就職するのはやめましょう。
個人的ヤバい(ヤバそう)会社の見分け方は①20代で人事、②HPや会社説明文をみて一発で何をしている会社かわからない(成長・やりがい・仲間みたいな単語で内容が薄い)のは要注意です。特に①で外したことはないです。(D◯M、〇―〇〇〇〇〇、すか〇〇―◯など飲食全般)ベンチャーはベンチャーでも出資元が老舗企業だったりキャリアのある中途が多い人は結構印象よかったです。(タクシー配車アプリの会社とか)
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございました。文学部の受験を考えていた方は考え直してくれたでしょうか。推薦で文学部を考えている人も私の文学部での生活をぜひ参考にして自分でもイメージしてみてください。教員や公務員志望の方は文学部でいいと思います。結局文学部だけに限らずどこでも大学では「自分の意思」が非常に大切です。周りに合わせていたら詰みます。一緒に行動している友人が就活を始めるのが4年の4月だったらあなたもそうしますか?面白くなさそうだけど友達がとるからその授業をとりますか?ぜひ自分の意思で行動してみてくださいね。
文学部に行きたいと思っている後輩へ
考え直してみましょう。〇〇について詳しく知りたいな〜くらいの動機だけじゃないですか?大学の文学部ではその〇〇を知った上で何か新しい視点をみつけなければいけません。自称進に通うあなた、先生に穴場学部として文学部を勧められていませんか?早慶くらいならまあいいかもしれませんがMARCH以下ならやめておきましょう。MARCHで文学部に滑り入るくらいなら勉強して文学部以外に入れる成績に持っていくかランクを落として法学部に入ったほうが就活楽そうに思います。(個人の感想)旧帝以上なら学歴に箔がつくと思うので文学部でもいいと思い Permalink | 記事への反応(30) | 15:34
家族は夫一人、未就学児の息子一人、今現在はフルタイムで働いている。
ずっと子どもなんて欲しくなくて、結婚しても欲しくなくて、夫と二人であちこち旅行に行ったり美味しいものを食べたり、楽しく暮らしていた。
子どもがいてもいいかもな、と思ったのは三十代になってから、就職した時からすごく良くしてくれていた上司が倒れて、ふと、このままずっと同じようには暮らしていけないんだなと気づいた時だった。三十代になって年齢的なこともあったんだと思う。先のことを考えた。あと四十年、五十年、生きられるとして、このままどうやってやり過ごして行けばいいんだろう? このまま楽しく暮らしていくことはできると思う。だけど、変わらないことを願いながら生きるにはこの先があまりにも長い。そう思って子どものことを考えた。そしてそう、夫と話をしたら、ちょうど夫も似たようなことを考えているところだった。
そしてなんやかんやで子どもが生まれて、本当に、幸い、運よく元気にすくすく育っている。歩いているのを横で見ているだけで、びっくりするほど掛け値なしに可愛い。
もちろん、心配なことはいっぱいある。この先の日本で大人になるこの子は、大変だと思う。まあ、自分たちの世代くらいまでいなくなったら楽になるかもと楽観的に思ったりもする。ままならないこともたくさんある。喧嘩なんかしたこともなかった夫と喧嘩することもある。保育園に通わせはじめて、自分が「学校」が大嫌いだったことも思い出した。友達の誘いを断るしかなくて、気を遣われているなと思うことがある。大好きだった仕事でも迷惑かけている。風邪ひくことも増えた。自由に辛い物も食べられない。旅行も好き勝手は行けない。
だけど、私は、子どもがいてよかった。
子どもと一緒に道を歩く。保育園の帰りに公園に行く。生えている草を見る。だんごむしを探す。一緒に鉄棒をする。ベランダで星を数える。家で子どもの好きな食べ物を作る。スーパーでたくさん牛乳を買う。どうしても、時折、自分の子供の頃のことを重ねあわせる。母親のことを思い出す。父親のことを思い出す。子供の頃好きだった本のページ。つまみ食いしたご飯。長靴で泥濘を歩く感覚。母親を呼ぶ自分の声。ずっと忘れていたそういうことを一つ一つ思い出すたびに、震える。驚きと、そしてたぶん嬉しいのだと思う。自分は親から、たくさんのものを貰っていたと、やっと気づけた気がする。これは辛い人には辛いことだと思う。だけど私にはとても大事な気づきだった。
十代の頃に読んだドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の一節を思い出した。
何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。(中略)自分たちが生きていくなかで、そうした思い出をたくさんあつめれば、人は一生、救われるのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。
思春期に拗らせていた私と同じように、息子も生まれてこなければよかったと思う日が来るかもしれない。私も子どもの反抗期に泣くかも。大っ嫌いだと言われるかも。何にせよ、ずっと心配し続けるのかもしれない。夫だって同じだ。どうしたってきっと私も最後は一人で死ぬ。
そう言えば、阿佐ヶ谷姉妹の「私たちにとって仕事は思い出作り」という言葉が好きだった。
勝手に言葉を広げてしまうが、生きることも全部思い出作りだとするならば。
私は子供ができたことで、きっとこの先もこの瞬間を思い出して生きていけるだろうと思うことがたくさんできた。夫と息子が笑い合っている写真を何度も見ている。こうした思い出をたくさん集めて、この先も、私は救われるんだと思う。
「弱者男性」というフレーズがSNSで常々注目を浴びていますが、ほんとのところ「弱者男性」とは「性自認が女性」であるけど、まだそれに気づいていない「女」なんじゃないかと思うんですよ。
なぜかって?だって、「男性」が「弱い」ってのはなんか違和感ありません?「男性」っていうのは、骨格から筋量、さらには知能や精神の安定性に至るまで、女性とは一線を画す存在ですよね。にも関わらず「弱者」と称するのは、彼らが「女性」だからではないかと考えられます。
では「弱者男性」と自認する人たちの特性をちょっと見てみましょう。
一つずつ見ていくと、これら全部「女性」の特性であるところに気づきませんか?
そうなんです。彼らは性的役割と自身の精神や能力が食い違っている、まさに「トランスジェンダー」だったのです。今話題の「LGBT理解促進法」なんてのは実は「弱者男性」たちの救済策だったんですね。「弱者男性」のみなさん、これを聞いて少しホッとしたのではないでしょうか?
全ての「弱者男性」は各々が「女」であることを自覚し、社会の多様性を保護する盾に守られ、性別の束縛から自由になることで救われるのです。
こちら都心に勤務でほぼ毎日山手線を利用してますが、もうオバさんとかオジさんとかそういう分類不要で、若いの(小学生くらい)からお爺さんお婆さんまでぶつかってきますよ。スマホ見ながら前見ないで歩くの普通。
2023/06/03
例えばこのブコメとか、「俺からすれば」ぶつかり◯◯の眷属にしか見えねえのよねわりーけど。
だって俺も品川経由で山手線使ってるけどぶつかってねえもんスマホ歩きに。
どう避けてるのかも思い出せないくらい自然にちょっとずつ避けてる。
逆にたまにいるタイプなんだけど
スマホ歩き見るとわざと衝突しにいくやつって確実にいるじゃん?
俺はスマホも進行方向も見えてるから目の前に変なの来ればわかるんだけど
そこで立ち止まったり目をあげたりするとギクッとした感じになるんだよね。
「スマホ歩きで前みてないやつに天誅!」て気分でぶつかろうとしてたしか思えない。
そんでもし俺が目をあげなかった場合はほんとにぶつかってて
そいつその後にネットで「ぶつかられた」って書くと思うんよね。
そういう認知とか歩く速度によってみんな感じ方が変わるからどうにもならん。
俺は歩くの早いから一番邪魔くせえしねと思うのはスマホ歩きじゃなくて
歩くのおせーのに追い越し車線的なスペースに広がってくるやつね。
前のやつと変わらない速度で歩くなら前のやつの背中につけって。
なんかちょっと視界が開けてきもちいーていどのことで無駄に道に広がるなよ。
追い越したい人間からもすれ違う人間からも邪魔きわまりないんだよ。
でもあのあほどもはそういう迷惑かけてるなんて気づきもしないし
これ読んでる多くの人は俺の方が異常者だと思うだろ。
中庸とは:過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。中正。中道。
きっかけは、仕事で行き詰まったときに上司から「お前は極端すぎる」と指摘されたことにある。
先輩に何かを期待していたというわけでもないが、飲みの席で愚痴ってしまったことからこの話が始まった。
「特技を伸ばすことは悪いことではないのに、どうして出る杭は打たれるんですかね」
「中庸っていう教えがあって、何事もバランスがよいことが大事らしいよ」と。
最初は、そうやってこの人もこちらのアンバランスな部分を叩いて直してくるつもりなのだろうと思った。
「ところでバランスが取れてるってどういう状況だと思う?」
「たしかにそうかも知れない。例えば、目の前に高い場所に渡された綱があるとして、自分なら渡るときにどうやってバランスを取る?」
少し考えて、「こんな感じですか?」と両手を広げてバランスを取るふりをしてみた。
「だろ?そういうことだよ。」と先輩は言ったきり喋るのを止めてしまった。
すでに話し終えたかのような顔をしている先輩にさらに問いかける。
すると先輩はゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。要約すると下のようなことらしい。
「バランスを取るということは、その場にお行儀よく立ち止まることではない」
「両手をいっぱいに広げたほうが、当然バランスは取りやすくなる」
「足場が悪ければ悪いほど、綱渡りのように両側に長い棒を持ったほうがよりバランスは取りやすい」
つまり「中庸」とは、中心に収まろう収まろうとすることではなく、両側に大きく手を広げてバランスを取ろうとすることだと言うことらしい。
「バランスを良くしようと大人しくするほどアンバランスになるなんて皮肉だよな」
先輩は笑いながら言った。
それでもわかったようなわからないような顔をしていると、先輩は更に言葉を続けた。
「君がバランスが悪いのは、片手しか広げてないからじゃないかな?その片手を下ろすことも一つの手段だけど、反対の手を広げたほうがバランスがよくなるはずだよ。」
「たとえ受け入れがたい反対意見や手段だとしても、そうしたことに耳を傾けて受け入れてみて、はじめて今よりももっとバランスが良くなるようになるんじゃないかな。」
ハンマーで叩かれたような衝撃だった。
今で言えば、自分は片側だけ目一杯翼を広げている状態だという。
たとえ反対の翼の形が一緒でなくとも、だいたい同じように広げることができればバランスは随分と良くなるに違いない。
今までは自分という出る杭が叩かれることに対し負けてなるものかと意地を張り続けてきたが、こんなふうに考えてみたことは一度もなかった。
少し例えが違うかもしれないけど、「人に迷惑をかけるな」という教えがある。
でも、それは無理だと先輩は言う。
生きている以上は少なからず迷惑をかけるし、むしろその事実から目を背けて「誰にも迷惑をかけていません」と開き直る方が問題なのだと。
そうすれば迷惑をかけられた側だって悪い顔はしないし、それでも嫌がる相手からは距離を置けば良いということがわかる。
言うなれば「迷惑」と「感謝」の翼を両側に広げている状態だと言う。
それも一つ、バランスの良い状態だと言えるのだと思うと、先輩は言った。
付け加えるように、先輩はこの考え方には2つの気づきがあるという話をしてくれた。
「1つは、自分が進みたいという道に向かうことで偏ってしまうかもと恐れる必要は一切ないということ。」
その分、反対側の考え方も同時に身につけていけばバランスが悪くなるということはないし、むしろ良くなるはずだ。
「もう一つは、そのためには自分が進みたい方向に費やす学びの時間と、反対側の考え方に対する学びの時間の2つが必要になるということ。」
なぜなら、今以上に無駄なことに使ってる時間なんてないんだということに焦りすら感じられたからだ。
先輩がいつも何かに興味を持って話を聞いている姿も、難しい話をしているかと思うと突然緊張感のない例え話を切り出したりとする時の姿も、アンバランスのようでどこか安心感があるのはこの考えがもとにあるのかもしれない。
そんなふうに思えた。
もう10年以上前に教えてもらった話を思い出しながら書き起こしてみた。
あれから結局その会社はすぐに辞めてしまったが、それまでの自らの努力が否定されていると思っていた自分にしてみればこの言葉は心強い救いになったし、それからの自分にしてみればそれまでとは世界が全く違って感じられるほどに影響力のある言葉だった。
そんな先輩が亡くなったという知らせが入った。
病気で体調を崩したという話は聞いていたが、見舞いにでも行こうかと考えていた矢先のことだった。
自分には感謝こそ口にすれど迷惑をかけられた記憶は一つもなかったのに、先輩には迷惑をかけっぱなしで十分な感謝をする機会がないままになってしまった。
やっと先輩の話が理解できてきて、これから先輩の迷惑をいくらでも受け入れられるほどに成長できたようなそんな気がし始めていたばかりだというのに。
すでに葬儀は終わっていて今更線香を上げに行く間柄でもない。
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
大学を卒業して社会人になった日から全部が止まっている気がする。
自分がもう何年も何年も働いていて、その間に転職や入院をした強烈な記憶があってなお、大学を出た年から人生が全く動いてない気がする。
成長が止まっているのが原因だろう。
仕事のことは身についているが、日本社会の外に出れば何の役にもたたないだろう。
科学や語学の知識、論文の書き方、飲み会のセッティング、社会に出てから使った知識、使ってはいないがいつか使う能力、そのどれもが学生時代に既に身につけていたものみたいに思える。
会社の中でしか使えない身内ルールの経験値、取引がある会社の商品に偏った業界知識、そういったものを身につける裏で基礎的な学力は日に日に落ちていくのが分かる。
中学校の数学さえいきなりテストを受けたらボロボロだろう。公式がちゃんと頭に入っている気もしないし、問題文と結びつけるセンスが喪われている。
歴史も地理も地学も、日常で出番のないものはまるで分からない。
47都道府県の全ての県庁所在地を並べるのはもう出来ない。単純に思い出す力が下がっているから、一生忘れないはずのことさえ咄嗟に思い出せないのだ。半日すれば思い出せるかも知れないが、その場で諳んじれないのは中学生であれば恥ずべきことだろう。だが、大人の中にはそういう人間が大勢いるんだ。
そういった劣化や成長の無さから目を逸らしたいのか、体感年齢はずっと止まっている。
身体や記憶がボロボロになっていくので歳を取っているのは実感するが、その時間経過に付随するはずの人生に対しての手応えがない。
夢に向かって進んでいたはずという認識が自分につかれていた嘘だったことにある日気づき、そこから慌ててとりあえずで仕事を見つけ、それから世界は止まったままだ。
鏡に映る中年を見るたび、自分の年齢を書き込むたび、強い違和感とともに現実を思い出す。
あったはずの人生が失われている。「失われた○年」が自分の中で起きている。確かに積み上げた年齢を証明するものがない。預貯金はそれなりに増えているし、肩は上がらなくなってきた。ただそれだけだ。人生の次のステージにたどり着くことが出来ないままずっと昔通った道をグルグル回っている。
仕事は学生時代のバイトの延長をどこまでもしているような感覚しかない。責任を求められているのはバイトリーダー的な責任からの延長のようなものとしか思えない。自分が所属してる組織の正式な構成員であるという実感がなく。やっているビジネスがどういう経緯で人を雇えるレベルで成立しているのか実はよく分からない。
子供の頃に想像した漠然としたサラリーマン像の中で今も生きている。夢から醒めれば自分はまだ中学生なんじゃないかとさえ何度も何度も思ってしまう。
それほどここ何年もの人生に対しての実感がない。本当に自分は生きてきたのだろうか。偽の記憶を植え付けられているのではないか、実は就活に失敗した男の妄想でまだ大学を出て一ヶ月ほどなのではないか。そういった妄想に一理も二理もあると考えてしまうほどに自分の体感年齢が狂っている。狂っていくのだ。
蛙化現象に当たるかわからないんだけど、最近マッチングアプリを始めて何人かの男性と食事をしたんだが、例えば手羽先を食べて手が汚れたり食事のソースが指についたりするとそのあと全員その指を舐めて綺麗?にしていて、その仕草が気持ち悪くてお断りするってことが多かった。
家ならともかく、初めて会う異性と外で食事をして指を舐めて綺麗にするってことは普段から無意識にそうやってるってことだし、おしぼりあるのに何で舐めるんだろう…自分って意外と食事マナー気になるんだ…と気づきを得ながら1人目を断ったけど、2人目、3人目と続くうちにもしかして普通ソースのついた指は舐めとるのは普通なのだろうか?そんなことでお断りしてる自分がおかしいのだろうか?と自信がなくなってきた。これも蛙化現象なのかな。でもやっぱり指で舐めとるって仕草は誰であろうと気持ち悪いと思ってしまう気がするから、自分の性質を変えるのは難しい…譲れない条件になってしまう…
増田は30歳(今年31歳)で、マッチングアプリで知り合った付き合って半年の1つ年下の29歳(今年30歳)の彼氏がいる。
7年程付き合って結婚も考えてた元彼が〇〇活してたのがわかってやけくそになって登録したマッチングアプリで、趣味が合って、好きになれる人居た。
元彼のことを勿論引きづったり色々あったけど、付き合って3ヶ月で母親を亡くした増田に寄り添ってくれて、増田のことを本気で考えて、寄り添えるのは俺以上に居ないと自負するとまでいってくれた彼のことを好きになるのは時間がかからなかった。
現状増田は、給料は少ないけど育休・産休が取れる会社で正社員として働いてる。
32歳までに結婚、35歳までに1人子供が欲しい。そんな風に私は思っている。
一方彼の方は、この春に博士号を取得し、出身大学に任期付き(任期3年)の助教として就職。彼の希望もあって、院生時代と違う研究室に配属されたらしく。
将来的には、現研究室でのポストを目指して、教授になりたいとのこと。
もちろん、私は全力で応援したいと思っている。
教授に、論文を1つ書いたら、海外留学の話を持ち出されているそう。ほぼ強制で断ると、ポストに影響がでるから、彼も留学する気でいる。彼の大学の教職員の留学は、最低半年~最大2年(2年目は休職扱いらしい。)
ここで問題があって、彼の留学開始時期が何年後になるか不明で、なんなら期間も半年かもしれないし、2年かもしれない。なにひとつ分からない。とのこと。
留学先も提携大学になるだろうけど、いくつかあってどこの国になるかわからない。
私としては、年齢的なことも考えて、早めに一緒に暮らして、籍を入れ、助教の任期に妊娠出産、彼が留学に出発するまでに乳児期間を終えて、単身赴任という形で留学するのが理想形だと思っているんだけども。
彼の方は、まずは仕事第一で、1年目で金銭的に不安があるから、すぐ結婚は考えていない。32歳までに結婚したいという増田の理想は叶えられないと思ってて
と言われている。
留学まで籍を入れるかどうかも正直怪しいと思ってと言われてる。(遠距離恋愛はしたことがないから考え方が変わって、増田のことが好きでいられるか不安とのこと。)結婚やこどものことは、留学からかえってきてから(彼の想定では留学からの帰国は36歳~38歳)が理想と言われてしまった。
元彼女は30歳までに必ず結婚したい。彼は30歳になる年に、社会人1年目(博士号取得→助教着任)が決まっていたため、30歳までの結婚は考えられない。
元彼女と同じ道をたどりそうで・・。
彼と別れて、新しい人探すべき・・?
でも、彼と結婚したいんだよな。
【追記】
こんなに反応をもらえるとは思ってませんでした。
私自身、”結婚して王道人生を歩みたいという希望が強いところに長年付き合った彼氏と別れてしまったことで、とにかく早く結婚したいという焦りに引っ張られて”いるのは、事実だと思います。
母を急に亡くしたことから、父親には結婚して安心させたいという思いが強いです。
(母が亡くなるまで、結婚願望がこんなに強いことに気づきませんでした。)
彼曰く、大学からの特別奨学生として奨学金をもらっているので、大学院卒業後(つまり2023年春から)5年は大学の職員として働かないといけないらしいです。
大学側としては将来的にポストが空くことが確定しており、助教→講師→准教と順当に彼を育てていきたいと思っているらしく、海外留学もその一環とのことです。
私はキャリアにこだわりはなく、海外留学もできるのであればついていきたいです。(彼曰く、付いていくのは無理。どうやって生活していくのとのこと)
子供に関しては、授かりものなので、欲しいと思ったタイミングでできるものではないので、そこはまぁ。35歳までに子供は理想ですが、彼と一緒にいる以上、皆さんのおっしゃる通り、子供は・・。
なので、彼が海外留学までに結婚出来ればと思うのですが、彼はそれをあまり望んでおらず、
絶望的にキャリアプランが合わないと思って、どうしたものかと悩んでます。
【追記その2】
ネットで同様の研究者を旦那に持つ人の意見や男性研究者のなどの意見をみたら、海外留学に妻として帯同してる人やしてほしいと思ってる人も多く、なんとかならないかなぁ。と思うばかりです。
しがない中小企業の会社員でしかない増田ですが、世間一般な企業では海外赴任や、転勤は、ライフプランをある程度の考慮して貰えるものだと思ってます。
だから、結婚して籍を入れてしまえば、彼の大学もある程度の考慮はしてもらえるんじゃないかと思ってます。(妻帯同なり、留学期間なり、留学先がアジア圏なり)
増田は大学に行ってないので、詳しいこととはわかりませんが、6年生学部卒業→大学院→3月に卒業の29歳で、大学のHPの彼の研究室紹介に“助教”として掲載されてるので間違いありません。
【追記3】
増田は、“彼と結婚したい”が強いと思ってたんですけど、本音は結婚がしたいだけなのかもしれません。
将来が不安で不透明で、彼にプレッシャーかけてしまうのもそのせいかも。。。
“彼に人生掛けてもいいかな”と思えるので、博打するのもありかもなぁとか思いました。
私は増田に中学生くらいから入り浸ってる喪女のアラサーで、彼は増田が8年振りの彼女だし、チー牛は当たってるかと。。。
増田のスペックは地方の高専卒で、首都圏の中小企業でReactとかTs書いてる遊んでるエンジニアです。
【追記その4】
気がついたら、ホットエントリ入り。
7年付き合っていたら彼とは、同棲・結婚の話が出た頃に〇女〇際が判明し(1アウトじゃなくて、5アウトぐらい)、これは無理だと思ってお別れしました。
私は地方出身(飛行機2時間程度です)のため母が亡くなったことによる精神的負担や、親族一同からかかるUターンの圧で参ってたところ、元彼から再構築の話を出され、所謂流されて、結婚しようと思ってました。。
彼に全てを話、お別れを決意したのですが、そのときに、【だったらオレと結婚して~】文中にでてくる【オレ以上に~】といっていただいて、舞い上がってるのはあるかもしれません。
理想のライフプランはありますが、こういった場所で吐き出すことで、理想のライフプランは彼とは厳しいことを再認識しました。
好きな人と結婚したいという気持ちはあるので、ライフプラン云々は置いといて話し合って見ようと思います。
あ、彼は6年生学部卒の博士号持ちですが、医学部ではありません。。。
【追記5】
まだ話し合いはできていませんが、追記その5です。
ご指摘のように増田は自分勝手に"増田の都合"で彼に"理想"を押し付けていました。
また増田が"適齢期で結婚に対して焦ってる"という意見や、彼は不誠実じゃない?という意見も大変参考になりました。
彼の海外留学が確定になったのは、増田と付き合って、実際に現場配属されたこの春(4月)です。
今年度から彼の所属研究室のボスが代わり、そのボスが海外志向だったためで、彼にとっては想定外で、院生時代のボスは海外留学は別に行かなくて良いという考え方だったため、マッチングアプリで知り合い、付き合う前は2~3年のうちに結婚を考えているといっていました。。。。
泉に増田を落として女神の質問に正直に答えるとこれが返ってくる。
私はこのたび、はてな匿名ダイアリーに投稿させていただくことを決めました。長文となるかもしれませんが、私の思いを伝えるために、ゆっくりとお付き合いいただければ幸いです。
この日記に投稿する理由は、私が抱えている悩みや感じていることを、匿名で吐き出す場所が欲しかったからです。人間関係や仕事、家庭のことなど、私は様々な面で心の中に抱えているものがあります。しかし、それらを他人に打ち明けることは難しいし、なかなか理解してもらえないのではないかという不安があります。
だからこそ、この匿名ダイアリーの存在は私にとって心強いものです。ここでは他の人々も同じように悩みを抱えているはずで、それぞれが自分の思いを包み隠さずに書き綴っている。だからこそ、私もこの場で自分の思いを吐露することで、少しでも心の重荷を軽くしたいのです。
最近、私は仕事において大きなプレッシャーを感じています。日々の業務量が増え、その中でのパフォーマンスに追い詰められることがあります。同僚や上司からの期待も高く、自分自身に対するプレッシャーも大きいです。このままでは心身ともに疲弊してしまいそうで、本当に苦しいです。
また、私の人間関係にも悩みがあります。友人との関係が希薄になってしまったり、家族とのコミュニケーションに問題が生じたりと、孤独感や寂しさを感じることもあります。人とのつながりを大切にしたいと思っているのに、なかなかうまくいかない現状に戸惑いを感じます。
このような悩みや感じていることを吐き出すことで、私は少しでも心の整理をつけたいのです。それだけでなく、他の投稿者の経験やアドバイスを通じて、新たな視点や気づきを得ることも期待しています。自分自身が変わるきっかけとなるような言葉や励ましをもらえれば、とても嬉しいです
「繊細な人」というと「細やかなことに気づき大体の人にはきづかれないようなことにも気付いてくれて優しい人」みたいなニュアンスが出てしまうような気がするのだが
HPSにはそんなニュアンスは含まれず、たんに「神経が過敏な人」というだけだと思う(そもそもHPSが病名でも診断名でもなんでもないという話は置いておいて。というかなんでもないからこそ定義が曖昧で図々しい人に好き勝手使われている印象)
だから、物事の「自分の」受け取り方に過敏なだけであり、他人を傷つけることに鈍感なことにも矛盾はない
というか本当に繊細な人はHPSを公言できないと思う、公言して配慮を求めてる時点で図々しさ満点なのでHPSではない
なので自称HPSです!って言ってるやつ全員まともに向き合う価値なし、特にやらかしの言い訳に使われたらすぐ逃げろ
いいとこ生活を共にしてるとか大事なパートナーくらいのレベルぐらいにしか開示するもんじゃないだろ
HPSという概念を知らずに傷だらけになっている人に教えて、その人がその概念を自分の中で自衛に使うということにはとても大切なことだと思う
リアルでは絶対言わないし態度にも出さないけど、合理的配慮とかさ、くそだるいんだよな。
わかってる。わかってるんだよ。頭ではわかってるんだ。
どうしようもない愚痴だし、外に出したら荒れるし人を傷つけることだけど、疲れたんだよ。
1つ何か頼むにしたって、手間とも言えない手間が2~3は増える。
例えば取引先からのメールを「確認して」と伝えたとする。普通の奴は確認っていったら、間違いがないかとか、対応が必要なものなのか、情報の共有も必要ならしてくれる。すくなくともうちの職場にいる普通の人間は確認→自分で考えて→行動する。
これが発達だとそうはいかない。確認とは見るだけ。そのあとの行動がない。
こっちが指示してないから。
俺が悪いらしい。
俺がしなくちゃいけないのは確認したあと「返信してor対応してorこっちにも情報共有して」とか、とにかく具体的に細かく指示を出さなくちゃいけない。
返信するにしてもほっとくと放置する。「早めに返信して」だとだめらしくて「いつまでに」を具体的に伝えなくちゃいけない、とかなる。
お前まじ社会人何年目?
他人の仕事ぶりにいちいちそこまで口出してらんねーよ。あほくさ。
おまけにこっちがちょっとでもキツイ言い方になると、途端に思考停止しやがる。いままでも怒られることが多すぎて過敏になってんだと。しらねー。
あいまいな表現がだめです、マルチタスクできません、怒らないでください、ってさ。
どう考えてもうちの職場は向いてないよ。使えねー。簡単で単純な仕事しかふってないのにミスするじゃん。
せめて障碍者雇用枠でこいよ。給料は安くなるけど、もっと単純なシングルタスクだけの業務あるから。普通に働きたいらしいけど、お前のプライドの為に疲弊させんなよ。
他の普通の部下たちからも不満が出てるけど、簡単にやめさせることもできないし、なんとか宥めて合理的配慮ってやつをみんなで実践してる毎日なわけよ。
「いままでの職場で一番働きやすいです」って本人は喜んでるけど、その裏では俺らが必死に配慮してんだよね。
配慮しなきゃいけないことが多すぎて正直言うと一緒に働くのはだるいんだよな。
ごめんな。最低な上司で。
https://www.toben.or.jp/message/pdf/230518arktokyo.pdf
ここで言う「A社」とは株式会社DSC、「B社」とは「株式会社Dキャリアコンサル」、「同一人物」とは児嶋勝なる人物のことです。
https://diamond.jp/articles/-/250777
3年前の東京ミネルヴァ法律事務所の破産で裏にいたのと同じ会社、同じ人物。
首都圏にいると気づきませんが、地方のラジオや新聞は今でもいわゆる「過払い金」の広告で溢れています。
その広告を手掛けているのが上記のA社=株式会社DSCを代表とする広告代理店群。
サムライうんちゃんらとかね。名前は入れ替わりつつ、常に数社そういう会社がある。
上記の「児嶋勝」氏もそうです。
経営基盤が弱い弁護士事務所に取り入る(食い詰めた弁護士を取り込んで事務所を作らせるパターンもある)。
相談会の広告費は回収した過払い金報酬から払えばいい、と甘いことを言う。
相談会の日程、会場(公民館とかが多い)、相談者の予約設定までやってあげる。
弁護士は、回収した過払い金から弁護士報酬を徴収し、そこからさらにツケになっていた広告費用を支払う。
もし支払えれば、ですが。
そのツケが貯まりに貯まって数10億に達して破産を申し立てたのが東京ミネルヴァ。
破産申立てにすら行き着けずクラッシュしたのがアーク東京です。
A法律事務所はいわゆる「過払い」の代名詞のような事務所です。
A法律事務所は2000年代後半のいわゆる「過払いバブル」の渦中に登場し、瞬く間に47都道府県に支店を置くほどの規模に成長しました。
その急成長は代表弁護士(一時期テレビによく出ていた)の手腕によるものだったんでしょうか?
それは甚だ疑問です。
実はA事務所も中核に武富士OBの人物がいて、実質的に事務所の経営を仕切っていました。
過払い金回収の顧客は、要はかつて消費者金融から借り入れていた人です。
どこの誰が、いつ、どれくらい消費者金融から借り入れを行っていたか。
株式会社は2010年9月に会社更生法の適用を申請し、事実上倒産しています。
それ以前から武富士の経営は苦しく、従業員多数が外部に流出していました。
武富士の元従業員が退社に際し顧客名簿を持ち出し、過払い金回収ビジネスに活用した。
弁護士業界を潤したいわゆる「過払いバブル」の真相は実はそれだった可能性が高い。
武富士の倒産については、「計画倒産だったのでは?」という根強い疑問があります。
弁護士業界では、武富士といえば「過払い金の支払いの気前がいい」ことで有名でした。
過払い金を請求するとホイホイ認め支払ってくれる相手方が武富士でした。
会社の負債総額を膨らませて倒産を急ぎ、創業者一族はとっとと資産を持って逃げる。
武富士創業者一族の計画にまんまと司法が利用されたのかもしれません。
もっとも弁護士は儲かったので、ウィンウィンでいいのかもしれません。
武富士倒産当時、過払い金の影響で次に潰れる消費者金融大手はどこだ、と言われていました。
ところが結局、その後は大手はどこも潰れていません。
プロミスにせよ何にせよ、大手銀行の傘下に入りピンピンしています。
結局、消費者金融は儲かるんです。
昔のように年利40%とかは取れなくても、年利20%でも十分ビジネスとして美味しい。
だから、過払い金という負債を物ともせずどこも今も消費者金融業にまい進しているんです。
過払い金に手を出したのはA法律事務所や東京ミネルヴァやアーク東京だけではありません。
当時、驚くほど多くの弁護士が過払いビジネスに参入していました。
過払いビジネスには、
そうは思えません。
弁護士はペーパーテストを頑張った秀才がつく専門職であり、事務作業は概して得意ではありません。
それらの事務作業をやってあげたのは、実は上記DSCを始めとする武富士OBだったんじゃないのか。
弁護士業界の過払いバブルとは、実は武富士OBに利用されただけじゃないのか。
そう疑っても不合理とは思いません。
もちろん、過払いバブルで潤った弁護士と、上記の東京ミネルヴァやアーク東京には大きな違いがあります。
でもそこに質的な差があるとは思えません。
まだ過払いが美味しい時期に参入し、うまく立ち回り、さっさと撤退した前者。
旨味が薄れた時期に今さら参入し、儲けることもできず、あげくに大事故を起こした後者。
その違いは、要は上手くやったか否かだけです。
過払い回収業務への規制はどんどん厳しくなっていましたから、むしろ前者の方がヤンチャしていた可能性すらあります。
というか、実際そうだったはずです。
冒頭のA社こと株式会社DSCと取引があった弁護士は、東京ミネルヴァやアーク東京だけではありません。
もっとたくさんの弁護士と取引をして、渋谷にキレイなオフィスを構え、キレイなお姉さんを多数雇っていました。
私ってあってもなくてもいい状況とかの描写を異様に欲しがっているのかも…
この情報は誰と誰が知ってる?
AがこれをしていたときにBはなにをしていた?
それはいつ? どこで? どうして? 誰が?
あの時Cがあれをした意図とは…?
そこまでの作品だったらまあアレなんだけど、大好き作家の本を読む時はない行間も読みますよね。だいたい最後まで読むとなんかあるのかと思った行間なんて何もねえんですけどね。探偵と助手は付き合ってないし。でも、けむに巻かれるのって楽しい。まあそれだけです。いわば自縄自縛ですよね。
だから、意味ありそうななさそうな、状況のディテールの描写がとても好きです。
何だろう。マンガで言うところの、コマのはじに引いてある不安を掻き立てるうねうねした効果線とか、ハッピーラブラブなほわハートのトーンがあったらアガるってことなんでしょうね。
そんなことに気づきました。
人が書いた文章読んでると、そんなにしっかりは書いてないんですよね。
別になくても全然話は進むし。いや、二人が歩いてる道ってどんな道なんよ!? って私は気になりながら読んでるんですけど、あれ、もしかしてそういうスケッチっていらないのか? みたいな。大発見でした。
二次創作を読んでて読者としてのお願いなのですが、
場面が切り替わるたびに、いつどこでどんな雰囲気で、とかは書いてもらえると嬉しいかもしれん。ものや動作に対して何らかの印象がつくような描写をチョイ足しすると、とんでもねえ深みと奥行きが生まれるんじゃないかなって私は思います。情報も整理されるし。
例えば「頭を撫でる」動作だとしてもおっかなびっくり撫でたのか、大雑把な手つきで撫でたのか、その辺で感情の籠り具合が変わってくるし、何となく意図を匂わせる感じになっていい感じじゃない?
なんかからなんかに場面が切り替わって、キャラが道を歩いていたとして。同じ住宅街の道でも、「陽炎がちらつく無機質なアスファルトの道路」か、「人の気配に満ちた真昼の住宅街」を歩いているかで何となくウキウキ度とか変わってくるしさ。
さっきのシーンからどれだけ時間が経過したかとかも書いて欲しいな。読む方の心構えが変わってくるじゃん。5秒しか経ってないのか5週間経ってるのかさ。ドキドキ感変わるくない?
高校生の時に習った気がします。小説は人の感情を追って楽しむものだと。
だから私はシロートながら動作にしろ情景描写にしろ、キャラの感情が乗るように書けたらなあと思います。
まあ、私はストーリーを考えるのが得意でないので、そのあたりで及第点を取ろうと頑張っているだけなのかもしれません。
悲し〜〜
ほんとこれだけはお願いしたい。
寝てる?立ってる?座ってる?膝に乗せてる?ベッド?イス?ソファ?床?飲食してる?タバコ吸ってる?なにもしてない?向かい合ってる?並んでる?同じ方向を向いてる?どこ見てる?相手?それとも部屋にあるパンダの置物?それとも床に転がった死体でも見てる?左手はどこに置いてる?右手は?足は行儀いい?絡み合ってる?靴は脱いでる?ねえ。
ここまでじゃなくていいからもうちょっと景色をクリアにしてくれ。二人が何をしているのかわからないと(´・ω・`)こんな顔になってしまう。
あなたが見た推しカプの幻覚をもうちょっとでいいからはっきり見せてくれ〜〜〜
お願いします。