はてなキーワード: 阿佐ヶ谷姉妹とは
陰謀論者とか集団ヒステリーっぽい書き込みばっかり流れてくるのが嫌
岩下の生姜だって可愛い鹿のマスコットがいてさ、阿佐ヶ谷姉妹が贔屓にしてたりほのぼのしてたイメージがあるのに
暇空を「食べて応援」したい人が買うもので反対に暇空不支持の人は不買運動しなければならないものみたいになって
ただの生姜なのになんでそんなことにならなきゃいけないんだ
なぜ生姜を買うのに政党の支持不支持を表明するみたいにされなきゃいけないんだ
「主人公に不快なところがないし他の登場人物も読んでて好感が持てるんだよな~、弱者や女にオラつくような奴がなあなあで許されて幸せになるようなこともないし、優しくて真面目な奴が報われる世界で好きだ」と思ってる漫画の作者たちがだいたい暇空支持しててそれがめちゃくちゃ広まってしまって
そのせいで作品の内容が不愉快なものだと誤解されたり暇空応援のために買うみたいな感じになってて
最初に言った通り東京都知事がどうとか全然興味ないし関係ない地方在住の読者が熱心な暇空支持者扱いされたらたまったものじゃない
いつ終わるか知らないけど今週末くらい?早く過ぎ去ってほしい
そんな感心するかねえ
「ゲイと友情婚」なんて性嫌悪こじらせた女さんの定番ファンタジーで既出も既出なんだから珍しくもねえじゃん
(他に「阿佐ヶ谷姉妹路線」みたいなのもあるけど、好き勝手夢見るだけで実行なんかしないのは同じでしょ)
主人公は史実準拠で二度結婚させるしかなくて、しょうがないからおもしれー女+逃げ恥パロみたいな展開でごまかした
本命に振られた後都合よく二番手が出てくるのも別に今回が初めてじゃない
あれも大概女向けポルノだけど朝ドラ自体がそんなもんだし、今回ああも思想露骨に押し出すならそりゃ女のミサンドリームにだって寄り添うでしょ、としか思えない
「所詮実家が太い人らのおままごとでしょ」という批判をかわすためだけに存在するような、農家出身親ガチャ外れ姉は売春自分はカフェ勤務苦学生宝塚みてーな男装とてんこ盛り設定
そして今回のアレ
家の近くのスーパーで夕方、ほぼ毎日勤務してるスーパーの店員の中年女性がいるんだけど、
とにかく声がデカくて張り切ってる。
下品な感じじゃなくて阿佐ヶ谷姉妹みたいな高くて突き抜ける上品な声質。
いらっしゃいませーーー!ありがとうございましたーーー!〇〇のお預かりでーーーす!袋どうされますかーーー!?うん、まぁうるさい。
仕事終わって疲れてスーパーで買い物してるとあの元気の押し売りみたいな声を聞くと疲れる。
たぶん他の客も同じようなこと思ってるんじゃないかな?都内のオフィス街にあるスーパーだから客層はサラリーマンの男が多い。
客が少ない時も他の従業員にあーだこーだと仕事のことで話してる。仕事大好きなんだろうな。
普通に見たら大きな声で接客して感じが良いんだけど、なんか「私すごく頑張ってる!」というのを見せつけられているようでイラっとする。
他の店員はよくいるスーパーの店員と同じでローテンション。まぁそれが普通だよね。というか、夕方だし客も仕事終わって疲れてるのにハイテンションで張り切った声出されると聞いてるだけでもしんどい。
そういうのは時と場合によるよね。
居酒屋で客が酒飲んでハイテンションなら店員もハイテンションだと「ノリ良いね!」ってなるけど、スーパーで客も店員もみんな疲れてダラーっとしてるのに1人だけハイテンションで「みんな元気無いわよ!」と言わんばかりに声張られるとムカつく。
でも悪いことしてるわけじゃないし誰も注意できないよな。というか他の店員はこのおばさんをムカつくと思ってないかもしれないが。
「レズカップルの破局率がゲイやノンケに比して数倍高い理由がこれ。
女、基本的にテイカー過ぎて他者に価値を提供せず施されるのが当然と考える個体が多いので、いくら阿佐ヶ谷姉妹のような関係を望もうとビジネスパートナーのような利害一致がなければ共同生活を継続させることすら難しいんだよな。」
https://x.com/n8zsbucitkxu4a8/status/1788084757869519302?s=46
このポストについて、色んな層のゲイカップルやレズビアンカップルを見てきたというか関わってきたゲイが思うこと。
「経済的に厳しい、または経済的格差が大きいカップルは別れやすい」という感じ。
男2人だと基本的には経済的に強いので生活が安定している。片方がヒモとか片方があまりにも金持ちとかはうまくいってるように見えてある日突然別れるイメージ。もちろんずっとうまくいってる人もいる。
女2人だと基本的には経済的に弱い。そもそも女性の方が給料が低いことが多いので。そうなると経済的に苦しく日常もしんどいし将来のことを考えると絆が壊れがちなイメージ。自分の周りの大企業勤め×士業、医療職×医療職、外資×外資とかの人は長続きしてる。なんなら男女のパワーカップルより強い。
愛はお金では買えないというのは間違いないけど、豊かさは愛をさらに深め、貧しさは純粋な愛に傷をつける。それは男女カップルでも男男カップルでも女女カップルでも変わらないと思う。
自分はブラック企業で働いてた時は恋愛が長続きしなかったけど今のホワイト企業に転職してから相手といい関係を築けるようになった。
同じく、超美人年下年収バカ高の高嶺の花と同居してます!!!!!!!
ある日「男と結婚するくらいならあなたと暮らしたい」って泣きながら電話きて
その後酔っ払いながら「阿佐ヶ谷姉妹みたいに仲良く女と暮らして年取るのもよくない?」と言われたり
パートナーシップが認められる国ならあなたとなってもいいなぁと言われたり
でも私は同性愛者、相手はノンケ、という状態でそこからも友情が何年も続き
ある引っ越しのタイミングに「てかマンション買うのもありだと思うんだよね」といいだすので「いいじゃんいいじゃん犬飼えるし」っていってたら
翌週には内見、翌月には契約、3000万円の3LDKをさいたまのはずれに購入していて
私も相手も完全在宅仕事なのでアクセス悪いところでも全然生きていけるんだけど
一番狭い部屋にはなっちゃうけど…ベッドルーム余ってるんだよね、家賃4万でどうだろう…と同居に誘われる。
嬉しい~~~~~喜んでーー!!!
しかも40万かけて全室霧ヶ峰をつけてくれた。世界一かわいい犬つき。
コンロは3つで料理が死ぬほど捗る!追い焚きできるリノベしたてのお風呂、ウォーターサーバーに大きな冷蔵庫!神かな。4万でいいの?ほんとに?
ユニットバス築30年家賃28000円に住んでたっていうのに突然こんなことある!?
先日ようやくカミングアウトもして、全然外に恋人をつくってもいいとのこと。やったー!!
ただ、死ぬまで一緒に暮らすつもりで家買っちゃってるので、突然出ていかれちゃうのは寂しいし、売却したり自分の婚活も再検討しなきゃだから
半年前には相談がほしいとのこと。それは人としてもちろんです!!!!
なんかね、別に恋愛関係にならなくても、お互い恋愛対象外でも(お互いに性的魅力を一切感じない)
この人と協力して生きていきたいなあって思ってもらえると
家族は夫一人、未就学児の息子一人、今現在はフルタイムで働いている。
ずっと子どもなんて欲しくなくて、結婚しても欲しくなくて、夫と二人であちこち旅行に行ったり美味しいものを食べたり、楽しく暮らしていた。
子どもがいてもいいかもな、と思ったのは三十代になってから、就職した時からすごく良くしてくれていた上司が倒れて、ふと、このままずっと同じようには暮らしていけないんだなと気づいた時だった。三十代になって年齢的なこともあったんだと思う。先のことを考えた。あと四十年、五十年、生きられるとして、このままどうやってやり過ごして行けばいいんだろう? このまま楽しく暮らしていくことはできると思う。だけど、変わらないことを願いながら生きるにはこの先があまりにも長い。そう思って子どものことを考えた。そしてそう、夫と話をしたら、ちょうど夫も似たようなことを考えているところだった。
そしてなんやかんやで子どもが生まれて、本当に、幸い、運よく元気にすくすく育っている。歩いているのを横で見ているだけで、びっくりするほど掛け値なしに可愛い。
もちろん、心配なことはいっぱいある。この先の日本で大人になるこの子は、大変だと思う。まあ、自分たちの世代くらいまでいなくなったら楽になるかもと楽観的に思ったりもする。ままならないこともたくさんある。喧嘩なんかしたこともなかった夫と喧嘩することもある。保育園に通わせはじめて、自分が「学校」が大嫌いだったことも思い出した。友達の誘いを断るしかなくて、気を遣われているなと思うことがある。大好きだった仕事でも迷惑かけている。風邪ひくことも増えた。自由に辛い物も食べられない。旅行も好き勝手は行けない。
だけど、私は、子どもがいてよかった。
子どもと一緒に道を歩く。保育園の帰りに公園に行く。生えている草を見る。だんごむしを探す。一緒に鉄棒をする。ベランダで星を数える。家で子どもの好きな食べ物を作る。スーパーでたくさん牛乳を買う。どうしても、時折、自分の子供の頃のことを重ねあわせる。母親のことを思い出す。父親のことを思い出す。子供の頃好きだった本のページ。つまみ食いしたご飯。長靴で泥濘を歩く感覚。母親を呼ぶ自分の声。ずっと忘れていたそういうことを一つ一つ思い出すたびに、震える。驚きと、そしてたぶん嬉しいのだと思う。自分は親から、たくさんのものを貰っていたと、やっと気づけた気がする。これは辛い人には辛いことだと思う。だけど私にはとても大事な気づきだった。
十代の頃に読んだドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の一節を思い出した。
何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。(中略)自分たちが生きていくなかで、そうした思い出をたくさんあつめれば、人は一生、救われるのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。
思春期に拗らせていた私と同じように、息子も生まれてこなければよかったと思う日が来るかもしれない。私も子どもの反抗期に泣くかも。大っ嫌いだと言われるかも。何にせよ、ずっと心配し続けるのかもしれない。夫だって同じだ。どうしたってきっと私も最後は一人で死ぬ。
そう言えば、阿佐ヶ谷姉妹の「私たちにとって仕事は思い出作り」という言葉が好きだった。
勝手に言葉を広げてしまうが、生きることも全部思い出作りだとするならば。
私は子供ができたことで、きっとこの先もこの瞬間を思い出して生きていけるだろうと思うことがたくさんできた。夫と息子が笑い合っている写真を何度も見ている。こうした思い出をたくさん集めて、この先も、私は救われるんだと思う。