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2021-06-20

anond:20210620115333

いい加減、化石マズロー卒業して

科学的根拠無いのにNRIもそのまんま載っけたままだから

マジ、ジャップですわ

https://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/lst/ma/maslow

 

マズローの着想は科学的な厳密さの欠如により多々批判されている。ひとつアメリカ経験哲学者による、科学的に脆弱だというもの[3]。2006年には、Christina Hoff SommersとSally Satelが経験実証の欠如により、マズローの着想は時代遅れであり「もはやアカデミック心理学世界では真面目に取り上げられてはいない」と断言した[4]。ポジティブ心理学においてはペシミスティックな観点(How things go wrong)より、(How things go right)の探求に力が注がれている[5]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%AD%E3%83%BC

2021-06-16

レスバトル発の哲学的大発見

そんなもの寡聞にして知らないが見逃されてるだけな気もするんだよな

裾野が広い山ほど高いっていうし、レスバトルには相当な人間が参加してきてるわけだから本来その議論からまれものは計り知れない

何としてもその論争に勝利すべく機転なりウィットを利かせるうちに従来の論理学では見出されていなかった論法が生み出されていることだってあるかもしれない

哲学者という名の大学教授論文とか書いて金をもらっているように、レスバトラーにもそういった功績に応じて褒賞金が出るべきなんだよな

でも金を与えられるような身分人間先入観ネット上のレスバトラーを軽視してるからなのかそもそもそこで画期的大発見がなされようが光が当てられることもないのだろう。

あれ、ソーカル事件ってレスバトルみたいなもんだっけ。でもあれだって媒体な純然たる査読誌だしなあ…。

2021-06-06

陰謀論者は増加中?フラットアーサーは日本にも。

いつもは反ホロコースト否定論活動報告みたいな投稿してるけど、ちょっとだけ視点を変えてみようと思った。

Netflixビハインド・ザ・カーブ』の衝撃 

地球平面説の広まりを知ったのは、Netflixにある「ビハインド・ザ・カーブ」を何年か前に見た時くらいからだと思う。いわゆる、トンデモ説を信じる人が昔から絶えないのは知っていたけど、まさか地球平面説を現代で信じる人がいると言うのは私にとっては衝撃的だった。科学万能の時代に生きていて、スマホには当たり前にGPSを使った地図アプリがあり、毎日天気予報には観測衛星データが使われ、そんな人工衛星宇宙ゴミになるほど衛星軌道上に存在してて、海外旅行では時差を合わせなきゃならないし、ネットを使って海外の人とリアルタイムでやりとりすればこちらは昼でもあちらさんは夜なんてよくある話――と地球が球体でないと考え始める理由が見つからないほど文明人全員が地球が球体だと知っていると思っていた。

 

そんなフラットアーサーたちが拒否する考え方である地球が球体である事実」を何故、現代文明人のほとんどが受け入れているのかをアーサーたちに言わせれば、それは「NASA陰謀」らしかった。アーサーたちは例外なく、たくさんの他の陰謀論を信じている。9.11は当然アメリカ政府陰謀だし、人類は月へなど行ってないし、イルミナティだのロスチャイルドだのシオンの議定書だのと言ったよくある陰謀説をいくつも信じている。もちろん、ホロコーストだって連合国ユダヤ人による陰謀だ。アメリカン・アーサーのオキニ映画は『トゥールーマン・ショー』である理屈的に言えば似たような発想であるマトリックス』にならないのは、正直、知性の問題だとしか思えないわけだが、アメリカン・アーサーの直感にピッタリなようである。(ほんの少しだがレベルが上がるとマトリックスの「白ウサギを追え」が合言葉になるQアノンになるけれど)。

 

アーサーたちは改心することがあるのか?

どうも、それはないようである。アーサーにも色々な人がいて、積極的に「地球は平面か球体か?」を科学的に調べようとする人たちもいる。200万もする高精度ジャイロを使ったり、あるいは遠距離レーザービーム飛ばしカーブを調べようとしたりするのだけど、自分達で調べておいてその「球体である」と証明されたはずの実験結果を都合よく平面説の方に合わせてしまうのだからけがからない。私は、ネットを通じて何人かの人に聞いてみたのだけど、一様にその回答者全員が「信仰を変えさせるのは無理」との返事だった。都合の悪い様々なエビデンス無視するか、何かが間違っているからだとか、都合よく解釈して平面説に無理やりに合わせてしまうので、どうしようもないらしい。

 

何故そうまでして平面説にこだわるのかを聞いてみると、直感に反するから、だけのようである。例えば、科学的に説明される「地球赤道上で時速1700kmで回転しており、太陽の周りを時速10万8000km太陽自体銀河系を時速85万kmで移動している――だなんてアンビリーバボー!」なんだそうだ。確かに、そんな速度で動いていたら人間はひとたまりもなく吹っ飛ぶ説を覆そうとすると、それらが相対速度であったりすることを「科学的に」説明しなければならなくなるので、アーサーの知性の方が早々に吹っ飛んでしまうだろう。

 

フラットーアーサーは日本でも増殖中?

そんなアーサーは海外からこそ見られる現象なのかなと思っていた。特にアメリカは、進化論否定する人たちが大勢いることもよく知られているし、アメリカ人はアメリカこそ世界の中心だと思っている人も大勢いて、地球平面説が受け入れられやすい土壌があるから広まっているんだと普通に考えていた。しかし流石に日本は海に囲まれ島国だし、「日出る国」と呼ばれるからこその「日本」でもあるし、なんとなくイメージ的にフラットアーサーは皆無に近いと思っていたのだけど、そんなことはなかった。こんな本がとうとう日本にも。

地球平面説【フラットアース】の世界 単行本(ソフトカバー) – 2021/2/2

私が知らないだけで、昔にもあったのかもしれないが、レビュー欄を見て二度目にびっくり。一つだけ引用してみよう。

Eden Mediaというチャンネルで、CGI宇宙偽装している動画を見てからフラットアースってありかもと思っていました。地球がとんでもないスピードで移動していることを、本を読むまで全く考えたことがなかったのですが、数字を見たらありえないスピードです。私はめまいがするメニエール病で苦しんだ経験があるので、考えただけでも気分が悪くなるような異常な速さの高速移動。こんなのあり得るの?と思いますが、実際に現実の地面は全然動いている気配がしません。あと重力とか引力とかが、単に仮説だったとは。とにかく自分常識だと思っていることが、実は真実ではなかったという驚きの連続で、とても面白いです。

南極条約の不自然さがとてもよくわかりました。きっと南極条約世界中がウソをつくことに契約したんだろうなと思います。騙されていたことに腹が立ちますが、新しい世界が見えてきたようで、なんだかすがすがしい気分。フラットアースオカルトでもスピ系でもなくて、自然ちゃんと観察して出した結論だと思います自分でも太陽や月を観察してみたいです。とにかく本当の世界が知りたいと思いました。

南極条約世界中がウソをつくことに契約した」だそうであるわたしゃ、南極条約というと、ファーストガンダムで「捕虜の扱いは南極条約に則ってくれるんだろうな?」のコズンのセリフしか思い浮かばなかったけど、そっか、南極の向こうは地球平面の縁だったもんな、アムンゼンの偉業は嘘だったんだね、――ともかく、結局そういう陰謀論で解決するんだと呆れた。

 

フラットーアーサーは単に知性のレベルが低いだけだから生ずるのか?

知性レベルが低いのは必要条件ではあっても、十分条件ではないとは思う。個人的に思ってるだけの話だけど、知性レベル教育レベルであるとか元々の頭の回転の良さであるとか、特に定義があるわけではないが)が低くても、ほとんど大抵の人は自分が知らないことに対しては思考シャットダウンする。例えば、私は歴史に非常に弱いのだけど、そうした知らない歴史の話が出てくると、普通に私は知らないだけなので話に加わることはほぼ出来ない。実際、誰もが知らないことがたくさんあるのが当たり前だし、そうした無知世界に対しては、ほとんど大抵の人は考えること自体は無いはずである。極端な話をすれば、私の飼ってる猫のプリンが、地球が球体であるか平面であるかなど考えることがあるとは信じられない。

 

私たちは、そうした考える必要がなかったり、考えても知らないだけの事に対しては、普通思考シャットダウンするのではないのか。この話については、AI領域の話で、「フレーム問題」ってのがあって、簡単に言うと「ありとあらゆることについて考えないと行動に移せないのであれば、そのロボット永久に止まってしまう」というパラドクスである私たち人間はどこかで思考シャットダウンするからこそ行動が出来ているのである。例えば、道路交通法では自動車運転手は今から運転する自動車を最低限の点検しないことには運転してはならないはずだが、ほとんどの人が運転開始前の点検などしないはずだ。これを極端に考えて、自動車のありとあらゆる部分について点検しないと安全を保てない、などと考え出したら、一生かかってもその自動車運転することは出来なくなるはずである。「ガソリンに異物が混入していないか」「バラして点検した後に組み付けた時に何かミスはしていないか」「何か部品時間的劣化はないか」等々。

 

一言で言えば「余計なことを考えるな!」だけの話ではあると思うのだけれど、その余計なことを考えるように仕向ける「自分の頭で考えてみろ」というアドバイスをする人がいるから困る。著名な哲学者ルードウィヒ・ヴィトゲンシュタインは「語りえざることについては沈黙すべし」と言ったが、私に言わせれば「考えても無駄なことは考えるな」と翻訳したいところである

 

なんか話が変な方向に行ってしまったが、ともかく、地球平面説な人たちは日本ももしかすると増殖中なのかもしれないよ。

反出生主義はやがて覇権を取る

いまはまだ、結婚して子供作って"幸せな家庭"を築いて…っていうのがある程度共通物語として受け入れられてるから、その根幹を否定する反出生思想への反発はかなり強い

でも、今後どんどん結婚率も出生率も下がってくるわけで、そうして子供を持たない人の方がマジョリティになると、話は変わってくるんじゃないか

マジョリティである子供を持ちたい・持っている人」を否定するから、反出生主義は分が悪い

子供を持ってない人・持てない人・持ちたくない人」にとっては、反出生主義はどちらかというと快く響く

「俺は子供を持ってない/持てないが、だからといって人生の敗北者だということはなく、むしろ倫理的に優れているのだ」っていう理屈を与えてくれるから

エラい哲学者先生が本を書いてるだけあって、論理的破綻もなかなか見つけづらい

絶対とるぞ、覇権

セクハラとか煙草なんかは、昔は当たり前に横行してたのが、いまや「ありえない」って目で見られるようになってる

おんなじことが起きるんじゃないかな?と俺は思います

楽しみですね

2021-06-01

バーチャルYouTuberファン大川隆法

VTuber名前検索すると、大体サジェストが「前世」とか「中の人」とか言ってくる。「中の人」というのはなんだかよくわからないが、「前世」ならば知っている。

手元の新明解国語辞典第七版によると、「(仏教で)この世に生まれる前の身分や生涯」とある。べつにVTuber仏教を広めているとは聞かない、いやそういう人もいるのかもしれないが、とにかく仏教とはそれほど関係はないようだから、そこの部分は据え置く。

このことから、どうやら今日でも、いわゆる輪廻転生を信じている人が日本には多いようだと考えられる。日本人は無宗教なのではなく多宗教なのだとよく言われるが、やはり多神教的な世界観は根強いようだ。

 

ところで、「前世」を特に重視する人たちとして、「幸福の科学」がいる。

幸福の科学総裁である大川隆法の本では、よく誰々の前世は誰それだ、という話が出てくる。哲学者政治家までいろんな人の前世が出てくる。ちなみに大川隆法さんの元奥さん前世ナイチンゲールとかだったのが、キリストを裏切ったユダだということになったらしい。

これらの前世というのは、どういう根拠で言ってるのかは、よくわからない。いや幸福の科学教義理解すればわかるんだとは思うが、そこまでする気力はない。

 

さて、VTuberの「前世」という話があるわけだが、これもなんだかよくわからない。なにやら480pとかの古い動画とかを出してくることが多いが、そのVTuberの姿となにも似てないじゃないか。なにより三次元人が二次元人に転生するんだろうか?いやこれも仏教を学べばわかるんだろうが、それは面倒くさい。

で、その「前世」ということを主張する人たちは、どういう根拠で言ってるんだと。そう考えたとき、やはり特定個人前世・現世・来世の関係を結びつけることを信じているからこそ、あのようなことが言えるのだと考えられる。

宗教というのは、科学的な世界観を超越したものであるし、そうであるべきだろう。前世だの来世だのということは少なくとも現代科学には受け入れられていない。彼らは科学を超越した幸福の科学、あるいは大川隆法教義信仰して居るからそそう考えるのだろう。

で、やはり特定個人前世特定できるとしている宗教と言えば、やはり幸福の科学だろう。他の宗教にもあるのかもしれないが、私は知らない。

そう考えると、VTuberファンの中には、結構たくさんの幸福の科学信者がいるのかもしれない。いや、それどころか、幸福の科学VTuberを利用しようとしているのかもしれない。

 

幸福の科学アイドルというのが話題になったことがある。公式にやってるのかはよく知らないが、たしかアンジュルム」ならぬ「アンジュエル」という名前だった。このように、宗教政治団体などが若者文化を利用して勢力拡大を図るのは世の常である

VTuberが嫌いな人も結構いるわけだが、VTuberファンから一定数の人間を確保できれば御の字だろう。そう考えると、彼らが布教することを目指してVTuberファン層に訴えかけてもおかしくはない。

幸福の科学VTuberファン洗脳している、などということは確認されていない。しかし、他の団体なども含めて、そのようなことがあってもおかしくはないだろう。備えあれば憂いなし、十分に警戒すべきだろう。

 

この文章でなにが言いたかったのか?それは、「Youtube中の人的な内容の動画を薦めてきてうぜえ」ということだ。別にそんなもん見たいわけじゃないんですよと。そういうのは2ちゃんでやっとけよと。

というわけで、そういうの出てこなくする方法とか誰か知りません?

(この文章フィクションです。)

死は無。無は恐怖。死の恐怖は避けられない。

から宗教ってもんが生まれたんだよね。

ほとんどの宗教で最も大事作用はは死後を保証してくれるってこと。

輪廻転生でも、主の御許に誘われるでもなんでもいいんだけど、死んでも無にならないよ、大丈夫だよと信じさせてくれる存在宗教

オウム東大卒とかバリバリ高学歴会社経営者がハマってたのも、結局、どんだけ頭がよくても、金があっても死の恐怖を克服することはできないということ。

実際、死の恐怖を克服する方法は少ない。

 

1.アホになる

考えてもわかんねーもんはわかんねーから考えるのやーめぴwwwwwと死を忘れる、棚上げする方法

日本では一般的解決方法である

 

2.アホになる

宗教など「死後の世界」や「死んでも生まれ変わる」といった、死によって無にならないということを信じることで死ぬことは終わり、恐怖ではないと思い込む。

海外では一般的解決方法である

 

3.アホになる

死とは何か。死んだら本当に無になるのか。を、文献、歴史等を紐解き心霊的、科学的にあらゆる角度から徹底的に考えつくす。だいたい発狂したりするけど、哲学者かになったりもする。

 

4.アホになる

もう開き直って死んじゃう。

たまにいる。まぁ、やめとき

 

他にもちょこちょこあるが本当に少ない。棚上げ理論採用するにしたって、ふと寝る前に「もしかたらこのまま目が覚めなかったら」という恐怖を覚えたことがある人は少なくないと思う。

無を考えることはできない。考えることができないのが怖い、というのはいかに人間的で愛すべき愚かさだと私は思う。

2021-05-31

反出生主義と神とフロイト

まとめ


デカルトから始まる近代的自我

デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。

あらゆるものを疑ってかかったとしても今思考している自分のこの思考自体存在否定できない。

よって思考している自分存在している。



自我というもの存在確立したデカルト三段論法西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我存在規定できるという点だった。

でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在証明する時代要請があったのだけれどそれについては後で触れる。

フランス革命と神の死

時代は流れてフランス革命が起こり国民国家誕生する。国民国家誕生すると神が死ぬ

どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈正当化されてきたのかということを説明する必要がある。

王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。

神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民支配する権利がある。



中世神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、

彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要公共事業として神の存在証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。

ところが、王が打倒されて国民自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。

これがいわゆるかの有名な「神は死んだである

そして神に変わったもの国民自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対ものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。

これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。

神と反出生主義になんの関係が?


神が存在すると反出生主義は成り立たない。

なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。

これには同意意志確認も入り込む余地がない。

神様が決めたことだから仕方がないのである

なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。

フロイトによる無意識発見


更に時代は進みフロイトが登場する。

フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析手法全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。

フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神科学まな板の上に載せたこと」それ自体

2つ目は今回話題にしたい「無意識発見」。

フロイト夢分析過程人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去トラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。

患者自身自分理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。

これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我コントロールしているとされていたのだから

フロイト無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。

あの映画オチヒロインは忘れていた過去トラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。

これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、

犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか

梅干し写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。

映画映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラ写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。

こういう感じで無意識人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。

フロイト原始的欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識概念さらに発展させていった。

不随意運動からエス

表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。

たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。

心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいいから鼓動も不随意運動には入る。

呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているとき随意運動意識していないとき不随意運動といえる。

表層意識には上らないのでこれらも無意識だ。

ところで人間意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。

脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞代謝とか。

さらさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。

さてそうすると、どうなるかというと、人間自分意識自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間活動の大部分は無意識コントロールしていることになる。

意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。

ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから

ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかい名前をつけた。

なんでコギトが間違ってるのか


意識ではなくエス人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。

「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。

反出生主義は全てを理性で説明しようとしすぎる


反出生主義の理屈を雑にまとめると、

「生きるのは苦痛である苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである

「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」

「よって生むのは無責任であり生むべきではない」

理屈の通った三段論法に見える。

しか人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。

第一登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識存在しない。つまり無意識である

無意識相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論無意識エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。

で、重要なことはその「エス自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである

今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。

精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子排出だって不随意運動なのでこれらはエスである

胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識自我もない。

だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である

それらはエスであり、自分自身である


それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。

自意識肥大化


自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルト呪いがとけていないのだと思う。

「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。

生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓勝手に動いている。

体中の細胞栄養を取り込んで代謝をせっせと行っている。

どう見ても肉体は生きようとしている。

やっていることと言っていることが違う。

でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかいかである

自己境界定義自我から少し広げることをおすすめする


自己定義自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。

エス定義自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。

流石にそこまで悟ることは難しいが、自己定義自分不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。


哲学やっとこうぜ


若いうちに哲学やっとくといいよ。

2021-05-17

anond:20210517185319

哲学者イデア論はもう飽きたよ

科学者が全員クオリアにだまされてるかも~ってそこまでかもしれない運転しなくていいぞ、桂小太郎ちゃんみたいに

2021-05-05

anond:20210505163219

こういう問題を扱うのが一番上手いのは哲学者だと個人的には考えているから。

そうは思わない人がいても当然だとは思うけど。

2021-04-19

anond:20210419200752

カント経験してねーことなんてわかるわけねーだろ。前までの哲学者純粋理性をイデアだのなんだのと言ってるけど? なんすかそれ~w(長瀞さん風)わかるわけねえ~し~みたいな!」

わかりやすくするとこんなかんじ。

anond:20210418190144

哲学者だって、初期思想、中期思想、後期思想とブレまくってるから人間だれでもブレるものだ。

2021-04-11

ゆたぼんの少し前に中島芭旺って哲学者がいたけど

の子はいったいどうなったの?

ググったがTwitterは消えてるしFacebook投稿が止まってる

あそこは母親が商魂たくましかたからどんどん世間に売り込みたかったはずだ

しかし、ここまで消息不明となるとおそらく芭旺君自身メディアに出たくないと言ってるのではなかろうか

真相わからん

彼が注目を浴びていた時期にテレビで彼を見たのを覚えている

たまにびっくりするぐらい聡明子供がいるが芭旺君はそんな片鱗を微塵も感じさせない良くも悪くの平凡な少年だった

どう考えてもレールから外れて生きていける子には見えなかった

ちゃん学校行って期末テスト赤点とって友達にいじられて、好きな子と同じ班になって心の中で喜んで、だりぃとか思いながら文化祭の準備して……

そんな日々を過ごしてることをおじさんは願うよ

2021-03-17

anond:20210317192339

かの古代ギリシア哲学者プラトンレスラーとして名を馳せたと言うし、その師であるソクラテス従軍経験があったという

まり古代ギリシア哲学者は、哲学だけじゃなくて筋肉大事だってしっかり理解していたんだよな

2021-03-16

anond:20210316102950

こないだ言われてた哲学者云々は結局セーフなんだろうか・・・

2021-03-12

anond:20210312165235

近代哲学の中心の時代とかもう哲学者とかむしろ労働者としての色合い強すぎるのが踏まえるべき前提って感じだけど

まあ「元来」上流階級活動、ってだけの話だと実態としてどうだったか関係ないのか・・

有名な哲学書が、「わかりやすい成果」を上に求められて取り急ぎ書いただけのものだったりするのが近現代哲学現実なのに。

anond:20210312164803

じゃあフランスドイツ近代哲学者がたくさん居る学問的に素晴らしい国ですね!ってのも

大学教員被雇用者活躍評価してるから差別的になるのか

そういう褒め方してる人大学めっちゃいたけどあそこまで学識高い文化人集団セオリー発言でも今の時代アウトなんやな・・

2021-03-08

必読書コピペマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (2)

戻る→ anond:20210308081829

デュマ・フィス「椿姫

個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。

ちなみに主人公独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまものです」。……バレましたか

野尻抱介太陽簒奪者」

自分日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。

この作品は、太陽の表面に異星から物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。

ちなみに日本SF作家をより広く読むようになったのは大森望日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝

オルハン・パムク無垢博物館

三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公結婚約束をした女性から婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い

ところでトルコという国は、女性スカーフを被るかどうかだけで政治的立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。

マヌエル・プイグ蜘蛛女のキス

映画オタクゲイ政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話であると同時に、ゲイお気に入り映画を語るとき調子推しについて語る幸せオタクのものである安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。

リチャード・ブローティガン西瓜糖の日々」

大学時代年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。

彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガン絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。

町田康パンク侍、斬られて候

就職のために架空宗教団体によるテロでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間クレーマーおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチ基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチギャグ結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。

トーベ・ヤンソン「たのしムーミン一家

ムーミンシリーズ以外のヤンソン文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。

児童文学短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。

全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニールヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。

マリオバルガス=リョサ「悪い娘の悪戯

嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽ存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。

これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこら悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。

バルガス=リョサには基本的にどれも面白い

D・H・ロレンスチャタレイ夫人の恋人」。

猥褻だということで昭和時代裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。

表現露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。

ピーターワッツブラインドサイト

最強のファーストコンタクトものひとつで、ネタバレするとオチは「意識クオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。

基本的構造は「宇宙ランデブー」の変奏で、未知のエイリアン遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配

それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼ゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?

以上。

2021-03-04

言語とは精神病発言の主たる要因である

私が毎日使っている言語は、一種記号である

五感で得た情報を司り、言語という枠を使って漠然としたイメージ表現する一種記号である

言語は想起のための指標である。それは経験知識の曳き手であって、イメージリアリティではない。

 書くことは、他者とのコミュニケーション可能であることを前提に、ラベル付けされた一連の記号を用いて、他者に対して主張や理性を主張する方法の一つである

 口頭での主張は、私たちが獲得した仮説推論の致命的な能力と、類似点を見つける病気悪用して、メディアミーム感染させる一種ツールである

インターネットを通じて他人イメージを乗っ取ることを意図して書かれている。この思索は、言語というナンセンス方法を使っているので破綻している。

       自由幸福は、自分の手に負えないもの無視することで得られる。


 これは古代ギリシャ哲学者エピクテテスの発言です。これは権威的な重み付けのための引用であり、特に意味はありません。

松井秀喜がこのストイック哲学者と似たようなことを言っていたので、歴史的にも理解できる考え方だと思いました。

言語の美点は、話し手意図した通りに「もっともらしい」もの人間に刷り込むことができることである。ある公理を真理として刷り込み、恐怖や扇動によってその絶対性を刷り込む行為は、様々な組織の中で日常的に見られる。

 そもそも言語誕生は、人間による宗教の獲得と不可分である人間はある時点で、言語を通じて空想力、理性、類似性を見出す能力を獲得し、自分ではどうしようもないことを生活の中に内在化させてきた。

それは例えば、お金権威などの暴力一種であったり、感情という人間状態一種であったりする。

すぐには永続させることのできない現象が、言語という記号を使って他者と共有されるようになったのである

それだけでなく、活版印刷インターネット技術革新によって、言語は時空を超えて広く、長く保存されるようになりました。

それと引き換えに、宗教絶対性を広めることで、言語習得デメリットである上記のような制御不能事象を打ち消そうとする試みがなされたのである

上記記述には何の根拠も示せないので、適当な本やネット上の類似情報相互参照して、ご自身結論否定判断にお任せすることにします。

エピステーム

 精神病についての深い考察は、ミシェル・フーコーの著書をお読みください。エピステームという重要概念提唱されています

エピステーメとは、ギリシャ語で「知識」を意味する言葉をもとにフーコー造語した言葉である簡単に言えば、私たち認識形成される知識の枠組みを指す。私たちの知覚は、私たち経験から直接、媒介されずに得られるものではありません。私たち経験はすべて、私たちが持っているある認知的枠組みに適用されたとき知識となるのです。

 そもそも精神病」という名前を使うのはよくありません。何と言っていいのかわからない。ラ・ラ・ラ・ラ・ラ。なんだっけ?

インゲニヤトー

 1213世紀ヨーロッパでは、労働組合倫理規定により技術開発が停滞していましたが、後のルネサンス期の15世紀には、相次ぐ戦争対応するために様々な技術が開発されました。この時の新技術はインゲニウムと呼ばれていました。その技術を開発したのがインゲニウム・トーである。インゲニウムは、今日エンジニア語源です。レオナルド・ダ・ヴィンチもインジニアトールの一人でした。

 レオナルドの写本の中で最も有名なのは、アトランティコ写本とマドリッド写本である。彼はすべてのもの描写するために、フォトリアリスティックな絵を必要としていました。言語のような一対一の記号ではなく、より具体的なイメージを捉える方法必要だったのだと思います

 ピクトリアルジオメトリという幾何学技法がありますガスパール・モンジュによって確立され、産業革命期にエコール・ポリテクニークで教えられました。ルネサンスの数世紀後には、主に軍事目的であったが、イコノグラフィーが導入された。

2021-02-23

実存主義

いまこそ実存主義を再起用するべきだと思うんだよな.(哲学に詳しくないため間違いがあったら遠慮なく指摘してもらえると助かります.)

時代遅れな考え方かもしれないし,そもそも哲学は実際の社会に影響を与えないと言われている感じもある.

だけども閉塞感や虚無感に耐え切れず社会自身が「昔はよかった」と回帰するような社会は決して防がなくてはならないだろうから,その際には特効薬候補になると感じる.

かにサルトルは乗り越えられた」なんて言われて,構造主義へと重心が移り,実存主義はそれこそ歴史の中に閉ざされてしまったわけだ.

構造主義がより正しく思えるのは,フィールドワークを基にした裏付けが取れていること,思想根底にある偏りを見透かすことができたことだと思う.

この点については,自身西洋とは異なる文化背景にある日本で過ごしてきたからこそ納得感がある気がする.

しか時代背景が大きな要因の一つになったと思えて仕方がない.

サルトルがもてはやされ始めたのは戦後の混乱期(平穏が訪れるまでの過渡期)だった.

少年期に戦争経験して,これまでの規範とは異なった生活,のらりくらりと暮らしていた若者が『実存主義者』だとオトナ達に揶揄された時代である

そんな中でサルトルは「実存主義ヒューマニズムである」という講演をきっかけとして有名になった.(もっともそれ以前のサルトル実存主義自称したがらなかったようだが)

他方,レヴィ=ストロースが「野生の思考」を携えて登場したのは1960年代である

このときにはWW2から既に十数年経過し,ドイツが明確に西ドイツ東ドイツに分断され,朝鮮半島も同じく南北に分割されていた.

このときにはもう冷戦構造が成立しており,生きる目的規範と言われるようなもの国家もしくは共同体によって掲示されているようなものであった.

それはざっくりと表現すれば,西側諸国では「東側らしくない振舞いをせよ」,東側諸国では「西側らしくない振舞いをせよ」といった具合に.

そんなような状況下になっていったわけだから構造主義がより理解されやすく,より勢力をましていったのだと私自身は思う.

別に実存主義に分類される哲学者や思想家はサルトルだけではなく,他の著名な人物にはニーチェヤスパースハイデガーなどがいる.

キルケゴールも忘れてはいけないだろう.場合によってはパスカル実存主義に分類するそうだ.

この実存主義と呼ばれる思想に一貫しているのは過渡期をきっかけとした点にあると言える.

例えば,目の前の状況に対して挫折するだとか,死へと進み続けることを自覚するだとか,大戦によってこれまでの規範が形骸に近くなってしまっていたりだとか.

そういった既存規範(あるいは構造世界観)に綻びが生じた状況において,次の新たな規範が構築されるまでの過渡の段階で実存主義的な発想が生じてくると考えられる.

あいにく今現在私たちの状況を鑑みるに,私たちの考え方の根底は再び綻びを見せてきている.

新型コロナウイルスもその一つだろうし,資本主義を盾にした新自由主義挙動もその一つだろう.

この繁栄を盲信することのできない過渡期に生まれたことを悔いても仕方がない.

人間自分自身時代を選ぶことはできないわけで,その中でうまくやっていくしかないわけである

強いてこの生を受け入れるのであれば,この生を選び取ったと言えるような生き方体現するべきではないだろうか.

それこそまさにアンガジェするという言葉の通りに.

2021-02-22

必読書コピペマジレスしてみる・哲学

日本文学編→anond:20210222080124

追補編→anond:20210218080224

プラトン饗宴

おっさん飲み会真実愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。

アリストテレス詩学

どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。

アウグスティヌス告白

読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌス若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。

マキァベッリ『君主論

塩野七海エッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしま自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨言葉があり、全くその通りだと思う。

モア『ユートピア

未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。

デカルト方法序説

自然科学的な考え方、ロジカルシンキングマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考そもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。

カント純粋理性批判

平凡社の上巻を読んで挫折純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルト時間とか空間とかの枠組み、基本的概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。

この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。

キルケゴール死に至る病

エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。

自分特定信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。

ニーチェ道徳の系譜

善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分カトリック中高一貫校出身であったせいかキリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめマッチョぶってるところはあるが。

フロイト快感原則彼岸

新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。

彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分フロイトアドラーよりもユング派だが。

ラカンについては新書を読んだがさすがについて行けなかった。

ブルトンシュルレアリスム宣言

ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素

ただ、言語限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。

ちなみにウィトゲンシュタインポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。

レヴィ=ストロース野生の思考

シン・ウルトラマン予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。

この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族身分入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものから

定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。

サイードオリエンタリズム

面白い。僕自身スタンスとしては、日本人海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分外国に対する偏見無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分イスラーム世界インドについて、どれほどわかっているのだろう?

上田秋成『胆大小心録』

雨月物語しか読んだことがない。「雨月物語はいいぞ。

九鬼周造『「いき」の構造

どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。

柳田國男『木綿以前の事』

遠野物語しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。

おまけ:いしいひさいち現代思想遭難者たち

自分現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいち本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。

おまけ2:ローラン・ビネ「言語の第七の機能

上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーサウナ美青年イチャイチャしたり、七十年代音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。


以上。

2021-02-17

anond:20210217180703

科学哲学、という分野で議論されている。 

 

反証性や再現性がある、広く公共に認められている、実験確認できている、などの条件が一般的

 

真の科学的な正しさな存在しない、と言った哲学者もいる。

 

いずれも古典だ。興味あるなら初学者向けの教科書でも取り寄せてみろ。俺は結構すきだった。

2021-02-12

必読書コピペマジレスのやつのパクリ海外文学

パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317

だって楽しそうだったから...(自分文学的教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)

ネタバレありだけど、ちゃん確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。

ホメロスオデュッセイア

オデュッセウストロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通おっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチ理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?

旧約聖書創世記

途中で読むのをやめた記憶がある。

ソポクレスオイディプス王

エディプスコンプレックス父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対シェイクスピア悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね

唐詩選』

タイトルすら知らないやつ、その1

ハイヤーム『ルバイヤート

いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。

ダンテ神曲

地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代詩人だか哲学者かに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャララブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。

シェイクスピアハムレット

シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットシェイクスピア戯曲の中でも登場人物精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。

セルバンテスドン・キホーテ

パルケエスパーニャにいた。

スウィフトガリヴァー旅行記

巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセス存在しないので無限無為を繰り返してた。

スターントリストラム・シャンディ』

タイトルすら知らないやつ、その2。

サド悪徳の栄え

「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。

ゲーテファウスト

最強天才ファウスト博士悪魔契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士普通精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。

スタンダールパルムの僧院

面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人若者恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。

ゴーゴリ外套

うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気ナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。

ポー盗まれた手紙

タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。

エミリー・ブロンテ嵐が丘

主人公女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン主人公)やヒースクリフ主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリック意味不明言動キャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。

メルヴィル白鯨

クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船物語体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーン映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。

フローベールボヴァリー夫人

間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...

キャロル不思議の国のアリス

ディズニー映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニー子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。

ドストエフスキー悪霊

ドストエフスキーノイローゼ死語患者独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。

チェーホフ桜の園

由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄り使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分チェーホフ戯曲より小説のほうが好き。

チェスタトンブラウン神父童心

タイトルすら知らないやつ、その3。作者名も知らない。

プルースト失われた時を求めて

5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。

カフカ審判

読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカ基本的キャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話自分には楽しめないのだな、と思った。

魯迅『阿Q正伝』

読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。

ジョイスユリシーズ

読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。

トーマス・マン魔の山

結核患者の療養施設であるところのサナトリウム生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物精神性についてバリエーション豊かで不思議リアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。

ザミャーミン『われら』

タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。

ムージル特性のない男』

タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。

セリーヌ『夜の果ての旅』

このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手自分定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分感情もっとわかりやす説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。

フォークナーアブサロム、アブサロム!

このお話はすごい好き。南北戦争前の南部黒人バリバリ奴隷として使われてる時代地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさん人生全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ短編から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレから後に回すのがおすすめ

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4

サルトル嘔吐

そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。

ジュネ『泥棒日記

読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。

ベケットゴドーを待ちながら

なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。

ロブ=グリエ嫉妬

タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5

デュラス『モデラートカンタービレ

読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹小説登場人物の行動を感情的にしたような感じ。

レム『ソラリスの陽のもとに』

タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学研究者なのにSF全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラテンアメリカ文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議リアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人感性日本人ヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリー意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないか個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。

残り全部

詩はたしなまいから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。

終わり

ちなみに、「哲学思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。

2021-02-04

社会学()

社会学って学問自体曖昧でつかみ所がない。

デュルケームとかジンメルかいるけど、ビックネームがいないし

日本でも宮台さんぐらいしかいない、

研究者の多くは社会学イメージを嫌って哲学者社会心理学者を名乗る

バブル時代にとにかく学部を増やせと実態曖昧な「社会学部」みたいなのを私大が乱立させたのが悪い。

雑にデータを集めて精度の低い帰納的・恣意的結論大学紀要に載せ続けるだけで助教授教授へと出世できた。

空虚な器を満たすように、スカスカ研究出世してきた程度の低い教授連中が諸悪の根源だ。

2021-02-03

anond:20210203202834

https://twitter.com/tm2501/status/1356865620206186496 と連続するツイート

主張を箇条書きにしてみると、こんな感じだろうか

 

原:何度も言ってるけど、「社会学哲学は真理の探求や再発見目的とした学問じゃないことが問題」なんですよ。

訳:社会学哲学は、真理の探求や再発見目的とした学問に見えず、問題であると感じる。

理由は示されない。事実ではなく感想

 

原:これが科学なら(以下略

訳:社会学哲学科学ではない。「議論に参加するまでの難しさ」や「成果を示すこと」によって、大衆を納得させることができないかである

意味不明。主張者が科学一般的定義について理解しているのかは不明

 

原:だから個人的には哲学歴史学倫理学の一部ぐらいに(以下略

訳:社会学哲学は、真理の探求や再発見目的とした学問に見えず、問題であり、また、社会学哲学科学ではないから、哲学歴史学倫理学の一分野として扱うべきだし、社会学民俗学経済学又は心理学の一分野として扱うべき。

意味不明

 

原:これが国なら不法行為を取り締まるのは基本警察以下略

訳:国家機関官公庁)に例えてみると、不法行為を取り締まるのは、基本的には警察である

 但し、法律で定めのあるものについては、公正取引委員会麻薬取締官労働基準監督署国税庁消費者庁等所管が違う場合があ(って、一見ややこしく見え)る。

 

原:「ややこしく見える」は控えめな言い方で(以下略

訳:哲学者や社会学者は、自らの学問のみでなく、周縁の学問についても深い学識を有すべきだが、そうした訳でもなく、自らの狭い理解物事を語ろうとしており、問題である

→前の主張とどう繋がっているのか、いまいちからない。また、実例が挙げられないので、有効な主張としては取り扱えない。

 

原:お国で言うと特に犯罪が多かったり

訳:国家機関官公庁)で言えば、被害額の多い事件等、ある種の犯罪については、警察とは違う官庁に取り扱わせようというのは、合理性があるから、納得できる。

 

原:でも、社会学哲学って(以下略

訳:しかしながら、社会学哲学は、現代において重要性が低く、また独立した一ジャンルとして扱う必要合理性は認められない。これが世論見解である

理由根拠が示されないので到底同意はできないし、それが世論であるとは言えない。

 

 

以上

全般言葉足らずだな。本人の中では納得できてるんだろうけど

Twitter仕様のせいなのか、余計文章としてまとまりがなく、非常にわかりにくい。

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