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2021-10-21

赤池弘次(京都賞2006受賞者)からメッセージ

https://www.youtube.com/watch?v=QAugnlK74Tw

今後統計学重要になる分野

実はですね、統計学というのは、非常に複雑な対象をですね、適当な形にまとめてなんとか処理をしていくと、そういうときにどうしても必要な考え方なんです。私自身のそういう見方は必ずしも現在ふつう統計学上のみなさんの考えとは、全面的には一致しないかもしれませんですけれども、でも、あらゆる科学の分野に関係している、技術の分野関係している、そして事実私自身の仕事哲学者がですね、関心を示しているようなことがありますから科学哲学、ようするにものの考え方に関連するところは、どこにでも関係していくと思います

創造性を維持していくには

創造性を維持するっていうよりも、やはり即当面の問題に集中するっていうことですね。そして、適当な、常識的な解で満足してしまわないということです。要するに自分が当面している問題を徹底して理解するというか把握して、納得するまでやると、そういう構えがあれば、どんな問題でも創造性は出てきます。要するに簡単問題なんかないんです。実際は一見簡単で、みんなが普通にこういうことをしているから同じように処理すればうまくいくと思ってしまうところで、創造性なくなるわけです。そうじゃなくて自分で本当に納得するまで捉えると、そういうことを続ければ、どなたでも誰でも創造的な仕事に到達すると、そういうものだと思います。それが科学ですね。問題っていうのは、こうやはり一種の戦いのように思うんですけれども、これを累積させない限り創造性は出てこないと思いました。

社会のために科学ができること

科学者に限らないんですけど、私、戦争が終わった時にちょうど海軍兵学校卒業間近でした。もう一期前の人は特攻に行ったような人もいるような、戦死した人もいるような、そういうクラスでしたから、やはりその頃はですね、明日自分が出ていくのかなという日々でしたから、それはもうやっぱりそういう問題には直面してたわけです。それで「人間が生きていくっていうことはどういうことなんだ?しかもそんなところで自分毎日何をしていたらいいだろう?」そこで私は先に戦死した叔父の残していった数学の本をですね見ながらまあ数学でもやっていますかと言って海の水を見てた訳です。ところが終戦になって帰ってきた。だから当然今度はその国家社会復興と、そういうことに自分たちが努力してなきゃいけないと思って帰ってきた。ところが社会のですね、価値観というか倫理観のようなものは急激に音を立てて変わる訳です。それを目の前で見ているとですね、それは茫然自失するっていうか、どこに自分が足場を置いたらいいのだろうってことはもう非常に悩みました。悩んでいるうちにですね、やはり結局、自他の生命尊重と、自分生命と人の生命尊重すると、それが全ての道徳の基本なんだと、自分たちの生き方を律していく上での基本なんだと、これさえしっかり押さえていけば、どこでどんな生き方をしてもよろしいと、こういうふうに考えるようになりました。ですから、いわゆる科学者じゃなくても、どんな人がどんなところで働いていても、そこだけ抑えていってくだされば、将来は明るいと思いますけど、ややもすれば、単純な専門分野の知識に惑わされて盲目的な行動に走る、この点だけは、やはりこうはっきり分けて認識していただくしかないと思います

これから研究者アドバイス

好きなことに熱中してですね、とことん妥協しないでちょっとの混乱には絶対へこまないでですね、やり抜くと、要するに頑張り抜くとこういうこと以外ありません。これさえあればどんな分野でも、どんな仕事でも、必ず成果が得られるとそういうふうに思います

2021-10-19

村木こすも、キラキラネームじゃないの。

あだなとしてラッキーとして設定したいだけなら下の名前なんでもいいんじゃん。

井上きずなの方はまともなのにどうして。

こすもって明らかに外国語由来じゃん。コスモポリタン

漢字当て字してるわけじゃないからいいって考えなのかね?

でもよおこれを子供が親になって真似したらやっぱだめなんじゃね。

でも哲学者の息子がめるろだしなあ。哲学者の親の威信があるからいじめられなそうだけど。

2021-10-16

anond:20211015131721

面白い・人に刺さる内容は才能の比重が高い

まずこの主張がたとえ正しかったとしても間違ってたとしても、文章お約束習得するのに才能が必要不要かという話とは独立してるんだよね。

お約束習得するのに必要な才能の比重が、面白い・人に刺さる内容を書くことよりも相対的に低いということであれば俺も同意するけど、決してそのような譲歩をする気はないんだろう。

いろいろ文章読本とか700ページ以上あるレトリック辞典なんかも熟読したが、俺にはお約束ものにするほどの才能もないから諦めたいというだけの話なのに、それすら認めてくれないのが謎。もちろん面白い文章を書く才能も同様に俺にはないと思ってるよ。比重に関する単純な程度問題なのだから、型を身に着ける才能がない、いわんや面白い文章を書く才能をや、ということは自明に導けることだよね。

数式がひいひいじいちゃんとかの代からあったものから写経しろってのも意味不明論理が飛躍してる。

ひいひいじいちゃんとかそれぐらい前の代からあるものなら、写経することで身につくものだ、という論理ただちに成り立つはずないじゃないか

だってそうやって遥か昔から数式や数学観念次世代継承されていくために全ての人間が才能を持ってる必要はないわけだから

一部の才能を持つ人によって数学もまた発展してきただけの話。

しかにそうやって発展させてきた人には数学書を穴が空くまで読んだり写経のようなことをした人も中にはいるかもしれない。

でもみんながみんな写経することで数式の意味理解できたりするようになるわけじゃない、ということぐらい考えればわかることじゃないのだろうか。

たとえば方程式を見ても、その答えを出せないという場合は、数式に沿った思考ができていないことを示唆しているだろう。

もちろん答えが当たっていたしても単なるまぐれ当たりかもしれず数式の理解を反映した結果とは限らないし、答えを出せない場合でも数式の意味部分的には理解できている場合もあるだろう。

とにかく位相幾何学でも微分方程式でもいいけど、そういうもの教科書写経させればみんながみんなその範囲内で初見の類題を出されても100%解けるようになっているだろうか。バカげている。

ましてやその領域上のことを発展させて新しい数学概念発見(発明ともいわれる)、つまりより一般的にいえば言えば今よりも対象可能概念、君が言う「中身」というものを増やすことが出来るような人は、さら根本的に理解を極められたごく一部だろう。写経という努力でなんとかなる?才能など不要?ありえない。

数式以外の自然言語についても写経哲学者並みに概念を扱ったりできるとは限らない。前にも書いたように「論語読みの論語知らず(現代風にいうならいわゆるチャットbotのようなものしかない)」になってしまうことがありえるわけだよ。偉人言葉いくら覚えても丸暗記の域を出なけりゃ間違った文脈(見当違いな場面で)でそういった言葉引用しかねないしその言葉が言わんとすることをさらに発展させること(たとえば素朴な記号論から生成文法へと発展させるようなことなど)は出来ない。

なのにそういうことわざを挙げてる箇所には言及してくれない。結局なんというか都合の悪い部分を意図的スルーして同じことをずっと強弁してる感じなんだよね。

2021-10-13

anond:20211013094752

>「正しい」の定義は何だという話でもある。

  

 それはな、確かにお前の言う通り。厳密な話をしだすともっともなんだよ。「正しい」とは何かを考え出すと、そんなものはない、としかならない。相対論採用せざるを得ない。客観的など存在しない。

 でもな、そうやって「科学的な正しい」を決定的に疑った哲学者ファイアアーベントの論は、いまでは、

 

 科学的に否定されているからって幽霊がいないないとは限らない!

 西洋のガン治療などやめて私の気功を受けろ!

 

 みたいな。

 詐欺師狂人しか使わないんだよ。

 なせそうなるかというと、客観性科学的正しさを否定した先には、不毛荒野しかいからだ。

 荒野にはお前の好む思想の自由があるかもしれない。お前は不自由が嫌いだと書いている。

 だが荒野は、精神を苛み、生活を蝕み、利益を盗み、生命を損なうだろう。

 

 まあ興味あるなら、ファイアアーベントはやっとけ。面白いから

2021-10-01

anond:20211001185333

から美辞麗句で書けるようになりたいって話じゃないし伝わることが優先というのは俺も同じだから全然しっくり来ないけどまあ言いたいことは全部ぶちこめてるだろうって文でごり押しして投稿することあるよ(それが正しく相手に伝わってるのか謎だけど)。

このツリーでは今のところ俺の言語能力を超えてるところがないからなんとかこうやって返答できてるだけだぞ。

そもそもから有は生まれないというのは全くオリジナル言語規則表を提示せずに使っても伝わらない(プログラム導入せずにそのプログラムで書かれたソフト使おうとしても起動しないのと同じで)ということを言い替えただけ、もっといえば言語社会性というもので分かり切ったことだぞ。究極的に言えば言葉で伝えようとするかぎりは人間はありあわせの言葉を使うことでしか相手情報を伝えることはできない。

身体がどうたらというも世界哲学者人生相談というNHK番組でやってた気がするけどもはや本件とは関係ないな。

2021-09-29

ラーメン評論家 VS エロ漫画ソムリエ

ごめん。

文章を読むのがこんなにつらいと思ったの久々。

おかしいとかじゃなくてものすごく文章が下手。

フードジャーナリスト早稲田卒?

50代でこの文章力ってどんな水増し人生送ってきたんや…ってぐらい下手

新橋九段くんとか、せの喜代さんの文章も相当酷かったけど…それを超越してる。

悪いんだけど、こんな文章書いて許されるのFラン大学生ぐらいだと思う。

大の大人が書いていい文章じゃない。

いや、書くのは自由だけど、無能だと思われても文句言えない

文章バカほど長い僕が言うのもアレだが…文章長いやつは頭の良し悪し以前に性格がめんどくさいと思います

僕だろうと、東浩紀クラス哲学者だろうとめんどくさいと思います

でも、中身スカスカ文章で長いのは…もう最低です。

性格も知性も最低だと思う。擁護できない

文章が長い→性格がネジ曲がってる

文章スカスカ頭が悪い論理構築能力構成力も語彙力もない。

どっちかなら人としてまだ伸びしろある。

でも、どっちもの人は…残念だけど、伸びしろもないし、擁護もできない

俺が人生出会った文章で一番下手くそで、読んでも読んでも内容が頭に入ってこないすごい文章だった。

そして、酒でトラブルを起こしたのに、問題を起こしたことを認めながら酒のんで書いた文章謝罪言葉もない人間として最低な文章唖然としてる。

けがわからん

文章って食べ物飲み物と一緒。

本当にダメものを読むと頭痛がする。

話せばわかるなんて嘘です。

しろダメな人って話せば話すほど嫌いになる要素が増えていくからダメです。

なにか言葉を話すならまず相手のことを考えるか、自分を磨かないと

2021-09-26

anond:20210923101358

お偉い生命倫理哲学者も、自分自分を食うことに対しては非倫理的だといって否定しないはずだ。

2021-09-08

から文を追加しようとするとき文章おかしくなる

哲学書とかが難解になるのにもこういうことが一因していると思う。

言いたいことを一通り書けたと思ってたところに付け足したい情報や主張が浮かんできたとする。

追記として分離して書くのが手っ取り早い方法だが文章プライドがある人間はこういうことを避けがちだろう。

なんとか元の文章調和するように思い浮かんだことを組み込もうとする。

たとえば文章自然な流れをまず考えてここだと思った位置に一文として挿入してみる。

するとそれでもなんか前後とのすわりが悪い感じがして、周辺の文が挿入文にマッチするように書き換えなければならなくなる。

そうすると書き換えた文がその前後調和しなくなってというふうに、連鎖的にリライト作業が増大していく。

テクニカルライターとしての文才などはない哲学者なんかは、そこらへんかなり妥協して、既存の文のどこかに連体節としてくっつけて完了させてしまう人も多いんだろう。それが欧文の直訳みたいな感じになってることにも関わってると思う。

文章妥協を許さないということにすると、元の文を一旦KJ法なんか使って意味の集まりとしてばらす必要が出て来る。

追加しようとしている事項も、意味の完結を単位として考えると一文として挿入するのは最適解ではない場合がある。

結局元の文をばらした言うなれば意味の集まりというべきものに対して、追加したい情報もばらして散りばめるなどして、元の文章とは流れとかリズムとか意味の配置なんかが全く異なるように再構築するしかなくなる。

そこまでしてやっとつぎはぎを感じない、元からそういう形で、そういう思考の流れで発展していったような文章ができあがる。

俺はそんなアクロバティックなことはできないのでタイトルのようなことが発生した場合にはまずます駄文改悪されて増田に送り出されることになる。

(それでも俺はあくまで言いたいこと全てをとりあえず伝え切ることを優先する)

2021-09-07

単に分かりやすい文じゃなくて多少は文飾の凝った文が書けるようになりたい

でも社会学とか哲学の本は逆に尋常じゃなく文学的言い回しがあるけど小難しすぎる

そんな俺自身が彼らの文章から猿真似で癖をトレースしてこういうときに彼らはこういう言い回しをするだろうと文を書く

すると哲学者の表現自分の言いたいことと照応しているかもしれないが俺の場合は何を言ってるのか分かってない奴が何を言ってるのか分からないような文になるに決まっている

まずはもっと読解力をあげること

そのうえでほどよく文彩に富むが分かりやすくすっきりしているという文が書けるようになりたい

科学客観性・不党派性について

われわれが『科学客観性』と呼んでいるものは、科学者の個人的な不党派性産物ではない。

そうではなくて科学方法社会的あるいは公共性格(social or public character of scientific method)の産物なのである

そして、科学者の個人的な不党派性は(仮にそのようなもの存在するとしてだが)この社会的あるいは

制度的に構築された科学客観性の成果なのであって、その起源ではない。

科学および的客観性はひとりひとりの科学者の『客観的』たらんとする個人的努力に由来するものではない(由来するはずもない)。

そうではなくて、多くの科学者たちの友好的-敵対的協働に(friendly-hostile co-operation of many scientist)由来するのである

ポパーがこんな事言ってるし哲学者社会学者で似たような事言ってる人達は沢山いて

自分もこの手の主張にそこまで反対はしないんだけど、

ただ現実的一定手続きを満たした結果は正しいとする科学者が沢山いるのも事実だと思うんだよな…

そして数学に至っては揺らぎが殆ど無いような手続きとして

コンピュータにチェック出来るような証明支援システムを用いたものがある。

ある人間支援システムに基づく証明を提出して、その前提と結論理解出来る数学者が沢山いた場合

理解した数学者はその人間証明を一切の疑いも無く正しいと言うだろう。

せいぜい存在するのは証明文が誰かのをパクったか等の証明の正しさに関係ない問題だけである

証明文を提出した人間にどんな人格的・思想的・政治的社会的問題があろうと

証明自体は正しいと言う科学者が大勢いるのは当分の間は確実だと思われる。

たぶん最初引用した主張がされていた50年前よりずっと多いと思う。

この部分でいつかポパーのような考えを持ってる哲学者社会学者達が滅茶苦茶騒ぐ事態がまた起きそうで心配である

2021-08-26

anond:20210826195133

いずれにしても、君のは誰か哲学者の主張だったり、学術的な背景のある意見では無いだろう。

別にそれはそれでいいんだから、無理して哲学的だったり学術であるかのように見せかける必要は無いし、そういう事をすると今回のように突っ込みを受けるから気を付けた方がいいよ、って事。

誰か哲学者の主張だったり、学術的な背景のある意見では無い

これはわかる。でも、誰か哲学者の主張だったり学術的背景のある意見でなかったとしても、あるひと個人意見がそういうニュアンスを含んでしまうことはあるでしょ。

それを無理した見せかけとするのはよくわからない。

内容が間違ってるからで叩くはわかるけど、なんか個人意見から哲学っぽい要素がないように気をつけて書けみたいなのは余計な点では・・・

2021-08-21

anond:20210820123355

この国は基本的に上流の理念みたいなものを全部西洋諸国に頼り切りで国内での意見を聞かないわけだ。

ハテブで現実的意見をいうような連中ってのは排除されて、消費者である女子供意見も言わず正確な仕事をする労働者けがもてはやされがちだ。

しかしながらクズってのは合理的実益を軽視せず無駄コストをかけないって利点でもある。

そういう連中を排除し続けてきたから、無駄残業やらが海外経由で指摘されるような変な国になっちゃったんじゃねえのかなと思うんだよな。

本当に貴方無能なのか?人を無能にするのは本人の力量だけじゃない。周囲の環境にもよる。

それは育て方だけじゃなくて、そういう能力組織としてうまく使えてないからってのもある。

クズの割に人間の繊細な感情はよく見ようとしている。

合理的且つ現実的人間の心情を把握し、行動力もないので実際に実行に起こす危険もないとすれば、

社会学者論理学者、哲学者司法関係者中間管理職代表取締役参謀などに向いていると思うのだよな。

この国はこういう連中の使い方を間違っているような気がするんだよな。

anond:20210820123355

この国は基本的に上流の理念みたいなものを全部西洋諸国に頼り切りで国内での意見を聞かないわけだ。

ハテブで現実的意見をいうような連中ってのは排除されて、消費者である女子供意見も言わず正確な仕事をする労働者けがもてはやされがちだ。

しかしながらクズってのは合理的実益を軽視せず無駄コストをかけないって利点でもある。

そういう連中を排除し続けてきたから、無駄残業やらが海外経由で指摘されるような変な国になっちゃったんじゃねえのかなと思うんだよな。

本当に貴方無能なのか?人を無能にするのは本人の力量だけじゃない。周囲の環境にもよる。

それは育て方だけじゃなくて、そういう能力組織としてうまく使えてないからってのもある。

クズの割に人間の繊細な感情はよく見ようとしている。

合理的且つ現実的人間の心情を把握し、行動力もないので実際に実行に起こす危険もないとすれば、

社会学者論理学者、哲学者司法関係者中間管理職代表取締役参謀などに向いていると思うのだよな。

この国はこういう連中の使い方を間違っているような気がするんだよな。

2021-08-16

anond:20210816100508

衣食住が足りて初めて人は哲学者になれる。

そして哲学者になった人は人生に悩み苦しむことになる。

2021-08-14

いかにしてヴァイオレット・エヴァーガーデン第一次世界大戦を語り直したのか

ソースhttps://www.animefeminist.com/history-not-with-a-bang-but-a-letter-violet-evergarden-rewrites-traditional-world-war-i-narratives/

暁佳奈のライトノベル原作とする京都アニメーションの名作、ヴァイオレット・エヴァーガーデンネットフリックスで公開されたとき初見の私が想像していたのは、Foreignerのヒット曲さながら、愛というものを知ってみたい少女の無邪気な物語だった。まさか号泣することになるとは。

ものの数分でその予想は裏切られた。

この作品は涙なしには観られない戦争ドラマであり、スチームパンク歴史改変モノだったのだ。しかし、何よりもトラウマにまつわる物語だとわかった。

PTSD歴史1900年代初頭の文学作品における定形表現、そして人気ジャンルである戦争物語」を、本作は、少女兵士主人公とした上で見つめ直している。第一次世界大戦歴史、とりわけ女性歴史を振り返り、再解釈することで、かつての物語に対してフェミニスト的なテーマ根底に据えた新たな息吹をもたらしているといえる。

Dulce et decorum est歴史フィクションにおける第一次世界大戦

戦争物語という切り口からヴァイオレット・エヴァーガーデン解説している人は珍しくない。例えば「Mother’s Basement」というYoutubeチャンネルでは、人情味を持って共感表現し、ヴァイオレットの成長を描ききったシナリオの妙について見事な考察動画がアップされている。だが、トラウマ障害を抱えた少女が自信を持って活躍できるようになっていく様子や、いかPTSDリアルに描かれているかという点については、あまり取り上げられてこなかったように思う。

この点を踏まえた上で、テルシス大陸における戦争モデルとなった、第一次世界大戦の基本事項を整理するところから始めようと思う。ざっくりと言えば、この大戦1914年から1918年の間に起こったもので、何がきっかけとなったかは諸説ある。開戦とともに急速に戦火が拡大したけれど、1914年の冬までには終結するだろうというのが大方の見方だった。

その目算が外れたのは言うまでもない。戦争は4年も長引き、フランスドイツイギリスを中心とした各軍のインフラは、塹壕戦と呼ばれる、この時期に流行した新しい兵器や戦法に対応するための装備が圧倒的に不足していた。

兵士の多くが若く経験不足だったこともあり、戦いは想像以上に過酷ものになっていった。戦争から帰還した兵士たちの間には、「新しい」病気蔓延した。俗に「シェルショック」と呼ばれ、後に「PTSD」や「PTSS」 (心的外傷後ストレス障害、外傷後ストレス状態)として診断されることになる、「男性ヒステリー」という病だ。

ヒステリー」とは、当時、性別役割分担に厳格だったヴィクトリア朝時代に用いられた医学用語で、今で言うところの鬱病不安神経症、心的外傷後ストレスといった精神疾患全般を表すものだったが、適用対象シス女性ほとんどだった。そのため、「ヒステリー」扱いされた兵士たちは周囲から男失格のレッテルを貼られ、つまはじきにされる結果となった。

兵士だけではない。第一次世界大戦に参加した国々とその植民地は、集団的トラウマに苦しんでいた。とりわけ顕著なのはドイツで、戦争への参戦とその後の経済低迷の影響からナチスの台頭を許すほどだった。フランスイギリスドイツメディアでは、この大戦は未だ主要なテーマであるし、世界各国の兵士とその家族が残した手紙は今なお読むことができる。

この大戦世界に与えた影響は計り知れず、文学歴史、そして現代戦争にも様々な影響を及ぼしている。だが、ここで重要になってくるのは、戦争にまつわる有名な物語歴史で描かれるのは男性ばかりなのに対し、本作の主人公であるヴァイオレット・エヴァーガーデン女性兵士ということだ。

男性ばかりなのは当然、当時の軍隊で中心的な役割を担うことができたのは男性だけだったからだ。例外としては、第一次世界大戦において戦闘に参加した唯一の女性イギリス兵、フローラサンデス(セルビア所属)や、マリア・ボチカリョーワという若い女性が隊長を務めた、「ロシア婦人決死隊」と呼ばれるロシア軍の小隊などが挙げられる。

だが、第一次世界大戦軍隊従事した女性の多くは、戦場看護師として働くか、工場で働くなどが一般的だった。例えば、アメリカの「ヨーマネッツ」や「ハローガール」と呼ばれる女性たちは、銃こそ持たなかったが、電信技師カモフラージュデザイナー魚雷組立工など、幅広い仕事によって戦争を支えた。

軍に従事した女性たちにも多くの物語があったにもかかわらず、戦争物語フィクション作品ほとんどが男性中心となっている。女性はもっぱら脇役として登場し、戦死した兵士を嘆き悲しんだり、恋人役だったり、あるいは…良からぬことをされる。言ってしまえば、男性キャラクターを成長させるための舞台装置であり、そのためだけに殺されてしまうことも少なくない。

戦場の先にある人生ヴァイオレット・エヴァーガーデンと新たなポスト戦争物語

ヴァイオレット・エヴァーガーデン世界においても、戦闘戦争は男の仕事であり、女性はもっぱら「受動的」な役割に追いやられている。だが、ヴァイオレットは他とは異なり、女性であるだけでなく、兄ディートフリートからギルバートへ「プレゼント」として押し付けられた「道具」という扱いであることから、注目すべき例外と言える。ヴァイオレットはモノ化されているのだ。殺人こそがヴァイオレットの生かされる理由であり、ギルバート命令に従うことが唯一の生きる意味なのだ

こうした虐待と、戦争ギルバートを失ったトラウマ、そして戦場で目にした暴力が相まって、ヴァイオレットは明確なPTSDを抱えることになる。作品を通して、ヴァイオレットは次のようなPTSD特有の症状をいくつも示している。

これらの症状は、娘を亡くして嘆き悲しんでいる作家オスカーのために手紙を書いた後、はっきりと立ち現れてくる。戦いの中で自分がしてきたことを理解し始めたヴァイオレットは、戦場フラッシュバックに苛まれ始める。

最終的に、ヴァイオレットはギルバートを探すために戦地を訪れる。ギルバートを見つけられなかったことで深い絶望に陥ったヴァイオレットは、自殺を試みる。退役軍人自殺リスク現在も高く、自殺者数は戦死者数を上回っている。

第一次世界大戦歴史を描いた物語の多くがそうであるように、ヴァイオレットが抱えるテーマも、いかにして心的外傷後ストレスに立ち向かうかという点に重点が置かれている。このことは、作品構成にも反映されている。

ストーリー序盤におけるヴァイオレットは、戦地での負傷から立ち直ろうとする、感情を失った少女だった。しかし、第7話でホッジンズが警告したように、ヴァイオレットの記憶は「(自身を)燃え上がらせる火」であり、いつか「たくさん火傷している事に気付く」ことになるものだった。そして、ヴァイオレットはそれに気づいてしまう。戦場で過ごした日々を思い出すたび、ヴァイオレットだけでなく、視聴者までもがフラッシュバック体験することになる。

しかし、「女々しさ」とか「弱さ」といったPTSDに対する従来の見方とは異なり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンはヴァイオレットのシェルショックを丁寧に扱っている。ヴァイオレットが自動手記人形仕事を通して他人共感してきたのと同じように、この作品視聴者にもヴァイオレットへの共感を求めているのだ。

ギルバートの死を否定するのをやめ、自身トラウマを受け止めたヴァイオレットには、PTSDから立ち直るための長く険しいプロセスが待ち構えていた。トラウマ研究では、これを「心的外傷後成長」と呼び、ネガティブもの(停滞、衝動的な行動、否定)と、ポジティブもの前進対処法の獲得など)の2種類に分けられる。

ヴァイオレット自身にとっても視聴者にとっても幸運なことに、ヴァイオレットの心的外傷後成長はおおむねポジティブものだった。自動手記人形として人と一緒に働くうちに、自分感情を受け入れ、なぜそのような気持ちになるのかを考えて納得できるようになったことで、ヴァイオレットは回復の道を歩み始める。

さて、本作のいわゆる「今週のお客様エピソードの中には、「戦争で失った恋人を恋しがる女性たち」というお約束的展開をそっくりそのまま踏襲しているものがあるが(OVAがその好例)、一応付け加えると、この展開自体本質的に悪であると言いたいわけではない。OVAでは、第一次世界大戦中に多くの女性体験した出来事リアルに描かれており、膨大な量の手紙世界各地に送られたという点も史実に忠実となっている(手紙の多くは歴史資料として残存している)。

しかし、ヴァイオレット自身は、作品を通して、そのような歴史的・文学的な流れに逆らっている。

ヴァイオレットは家に帰ってきたが、想い人は帰ってこなかった。

兵士は、新たな傷を負って帰ってきたのだ。

そして、ヴァイオレットはその生い立ち故に、想い人を亡くしたクライアントと、亡くなった想い人の両者に共感することができる、いわば、境界的な立ち位置人物といえる。「民間人」と「軍人」、「女性世界」と「男性世界」、「家庭」と「軍隊」、そういった境界の中でこそ、ヴァイオレットは真に花開くことができるのだ。

中継役と触媒役— フィクションにおける「受け身女性」のイメージに疑問を投げかける

ヴァイオレットの境界的な立場は、自動手記人形仕事においてユニークな強みとなっている。作中の時代設定と同時期に当たるヴィクトリア朝時代第一次世界大戦期は、タイピストゴーストライターになる女性が急増した時期であり、ヴァイオレットも当時の女性たちと同じく、この波に乗っていると言える。

こうした女性たちは、「媒体としての女性」というお約束表現として文学に登場するようになった。彼女らは、タイプライター電信機、さらには速記法を用いて、人々の思いを目に見える形にし、様々なメッセージを伝えるという役割を担っていた。哲学者文学理論研究者のマーサヌスバウム言葉を借りれば、「目的のために使われる道具」としてモノ化されることも多かったが、家父長制の世界を生きる多くの女性にとって、この種の仕事は、生まれてはじめて主体性を獲得できる場でもあった。

ヴァイオレットの当初の動機は、初めて手にした主体性社会で活かそうとしたヴィクトリアン朝の女性たちとは若干異なっている。自動手記人形を志したのは、他者理解したい、そして何よりも、少佐最期言葉理解したいという目標を叶えるためだった。そして、人々の思考感情の「媒体」としての立場を通じて、自分感情をよく理解し、虐待トラウマを乗り越え、主体性を獲得することができるようになっていく。

第一次世界大戦や、そこに至るまでの過程を題材とした文学作品によく見られる、「媒体としての女性」という定形表現とは異なり、ヴァイオレットが主体性を持つことができたのは、その境界的な立場ゆえである戦争に巻き込まれる家庭の立場戦争を戦う軍隊立場、その両者に対して共感理解できるという強力な武器を生かすことで、戦争テーマにしたアリア歌詞を書くために戦死した兵士手紙研究したり、嘆き悲しむ父親のために文字通りの意味媒体となったり、兄弟の絆を取り戻す手助けをしたりと、ヴァイオレットは単に人の気持ちを左から右に渡す中継役ではなく、自らの手で変化をもたらす主体となっている。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン史実の違いは、これまでメディア等で描かれてきたタイピスト媒体役の職業人たちが受け身存在と見なされてきた一方で、ヴァイオレットは周囲の人々の物語積極的に関わっているという点にある。こうした活動を通じて人々の成長を助けていく中で、ヴァイオレット自身にも成長が見られるようになっていく。

11話では、その成長がはっきりと見て取れる。過激派部隊を立ち退け、銃弾に倒れ死に瀕している兵士エイダン最期言葉を記録し、訃報の知らせと最期言葉家族の元へ届けに行くという、物悲しいエピソードだ。戦争の両側面への共感を要するこの仕事を全うしたことで、ヴァイオレットはようやく自分他人に対して素直に悲しむことができるようになる。ギルベル少佐の死をきちんと悼むことができるようになったのも、ここからである

単なる道具でしかなかったヴァイオレットが、今や積極的に自らの心的外傷後成長を促進しようとしている。これは、従来の戦争物語や、シェルショックや女性タイピストにまつわる歴史に対する新鮮かつ現代的なアプローチといえるのではないだろうか。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン第一次世界大戦に大きく影響を受けており、史実によるものから文学から引用されたものまで多岐にわたる。PTSDに対する思いやりあふれる描写然り、「媒体としての女性」という定形表現に対する批判然り、この作品は、歴史上の極めて重要時代最後退役軍人が亡くなり、徐々に記憶から忘れ去られつつある時代—との対話の上に成り立っている。

だが、家庭内物語戦争物語ブレンドし、両ジャンル共通する定番の展開を巧みにひっくり返したという点で、ヴァイオレット・エヴァーガーデンファンタジー世界は、オマージュ元の戦争物語と趣を異にしている。スチームパンクファンタジー世界という舞台の上で、使い古された展開を別な角度から見つめ直すことで、進歩的物語を紡ぎ出しているのだ。

退役軍人の描かれ方、精神疾患女性物語、こうした事柄尊敬の念を込めて丁寧に扱うことで、戦争トラウマにまつわる従来の物語いかに語り直すか、その基準点をこの作品確立したと言える。戦争トラウマにまつわる物語も、より包括的で、健全で、私たちに活力を与えてくれる存在たりえるのだ。それが、従軍した兵士や亡くなられた方々に対する、せめてもの追悼でもある。

戦争は決して変わらない」とよく言われる。だが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが示してくれたように、その語り方を変えることができるのは確かだ。

2021-07-28

anond:20210728001114

経済学者というわけではないが古代ギリシャ哲学者タレス哲学なんてやってもおまえ貧乏やんけと今でもよくある感じのおちょくられ方をされたことでブチギレた。

そして彼はオリーブの収穫量を予測して豊作だと見るや圧搾機械を全て借りておき、収穫時期に自分が借りた機械を高く借りるしかない状況を作ることで大儲けしたのである

先物取引の魁やな。

その気になれば稼げる学者もいるという逸話や。

そういう話がないわけではないんやぞ。

GAFAなんかも経済学者採用したりしとるしな。

日本人学者は金儲け下手な方かもしれんが。

2021-07-25

anond:20210725150353

アホか。

新しい物事の前には積み重ねがある。

新しいものは、(1)何に使えるかわからない段階、(2)着想を得たが、市場商品技術合致したプロダクトマーケットフィット(PMF)がなせていない段階。(3)PMFがなせたが、企業リスクを取れる段階。(4)企業リスクを取れる段階。と歩んでいく。

はじめから3以降のものがあるはずだとアホをおだてて無理強いした結果、皆地獄に落ちているがゆえの今の衰退という側面がある。(1)(2)は政府の基礎萌芽研究投資で育むしかないが、選択と集中破壊した。(1)(2)を政府支出と教育で育み直すことしかない。

だ。なのに、リスクを取ることが必要だと「他人に強いて煽って」実際そいつらはゴミクズのように扱われてる現状がある。起業家や若手研究者だ。すると当然新しいものなぞなくなる。それが新自由主義の結末。

デフレ国家の衰退。

そこを開き直ってデフレのほうがマシだそれを望んでるなんて馬鹿しか言いようがないな。経済学哲学者がやってたか精神論になるだぁ?ちょっと実態を見てその実態から得られる事象を見て考えろや。

まずは「他人が危ない道を歩めば、そいつが死んで、俺達は豊かになる」みたいな腐った根性なら一生黙ってろ。経済学経世済民と言って、世の中を良くするための学問だ。

anond:20210725063243

俺の主張が精神論に聴こえるのは、経済学アダム・スミスのような哲学者たちを始祖にしているから仕方がないよ。

新自由主義だと一度不景気になったら二度と復活しないし、不景気故に設備研究投資をしなくなるし、儲かる前の基礎科学破壊するから。そこでイノベーションがおきれば良いとウロウロするが全然だめ。

新自由主義は「大きな政府による」だぞ。アメリカ場合は、公務員ですら失職するのに、解雇規制をそのままやって新自由主義なんてやってみろよ。またまた公務員さまという権利団体復権が起こるぞ。それに、「一度不景気になったら二度と復活しない」ってまさかスノーボール理論か?

かい要素がどうのこうのなぞ興味がない。「政府投資が良くない」に教条的にこだわって他のことを夢想的にふわふわ語って、それに騙されるかわいそうな人間いないかうごめいているクソみたいな存在がお前みたいな連中だ。万死に値する。

しろ利息がゴミのように増えていく無意味投資をするぐらいなら、無理に公共投資なんてするぐらいだったら、まだデフレのがマシ。

団塊様たちが死んでくれるまでは、デフレが「選挙民主的に選ばれた」人たちにとってメリットがあり、しか国内への投資が非効率な今は、たとえ国際競争力が下がっても良いかデフレの方が「若者未来を奪ってでも」得なんだよ。むしろ生産性の高い若者不要で、介護のような「安くで使える」若者の方が需要あるのかの。

2021-07-23

anond:20210723102950

ニーチェなんか既に否定され尽くしたカビ生えた哲学者引っ張ってきて何がしたいん?自己啓発

2021-07-22

マルクス資本論』は何を間違えた?~商品価値を決めるのは労働

 この2018年は、共産主義の父といわれる哲学者経済学者カール・マルクスの生誕200年にあたります。出生地であるドイツトリーアで記念式典が開かれ、青年時代を描いた映画が各国で公開されるなど、話題を集めています

 先月創刊した、古典・名著をマンガ化する新シリーズ講談社まんが学術文庫」の初回刊行分にも、マルクスの主著『資本論』が入りました。近代資本主義興隆する19世紀英国舞台物語が展開し、『資本論』のエッセンス解説します。若い登場人物たちのドラマは楽しめます

 けれども、原作である資本論』が不朽の古典として扱われることには抵抗を感じます。今からみれば、経済について完全に誤った考えに基づいているからです。

 たとえば「等価交換」という考えです。マンガ版ではパン屋八百屋が売れ残ったパン野菜を交換し、その交換が成り立つのは互いの商品が同等の価値を持つからだと解説されます

 何となく納得してしまうかもしれません。しかし人が物を交換するのは、相手の物が自分の物と同じ価値を持つからではありません。もしそうなら、多くの買い物客がスーパーコンビニを出たとたん店に引き返し、不良品でもないのに、買ったばかりの商品を返し、お金を取り戻そうとするはずです。同等の価値を持つことが交換の理由なら、商品お金の交換を何度繰り返しても、人は満足するはずだからです。

 しか現実にはそんなことをする人はいません。買い物客は、払ったお金よりも買った商品価値が大きいと思うからです。一方、店の主が商品を手放すのは、逆に商品よりもお金価値が大きいと思うからです。

 つまり交換が成り立つのは、同じ物(お金も物の一種です)でも人によって価値の大小が違って見えるからなのです。

 ここからわかるのは、物の価値とは、それを作るためにかかった労働量などの客観的基準で決まるのではなく、人それぞれの主観によって決まるということです。この事実1870年代、オーストリア経済学者メンガーらによって明らかにされました。経済学の歴史上、革命的な発見といわれます

 しかし、それ以前の世代に属するマルクスは旧来の考えにとらわれたままでした。1867年に全3巻のうち第1巻が出版された『資本論』は誤った古い考えによって書かれたため、つじつまの合わないおかしな主張が多いのです。「等価交換」はその一つです。

もっとおかしな主張は「剰余価値」です。マルクスは『資本論』第1巻でこう述べます商品価値はすべて労働によって生み出され、その価値どおりに市場で売買される。ところが資本家商品を売って得た代金のうち、労働者には一部を賃金として支払うだけで、原材料費などを除いた残りは利潤として自分の懐に入れてしまう。いいかえれば、労働者が生んだ価値の一部には対価を払うが、残りの価値剰余価値)には払わない。これは実質的な不払い労働であり、不当な搾取である、と。

 これは商品価値労働によって決まるという、誤った考えから出発しています。実際には、商品市場価値を決めるのは労働者の働いた量ではありません。消費者の心に基づく選択です。私たちは買い物をするとき商品製造にかかった労働量を調べたりしません。

 もしマルクスのいうように商品価値労働量で決まるなら、大規模な設備を使い人手を省く資本集約産業よりも、サービス業など人手を要する労働集約型産業のほうが利益率は高くなるはずです。しかし実際にはそのようなことはなく、長期ではあらゆる産業利益率は均一化に向かいます。ある産業利益率が他より高ければ、その産業に参入する企業が増え、価格競争が広がって利益率が低下するからです。

 マルクス自身、『資本論』第1巻でこの矛盾を認め、あとの巻で解決を示すと約束しました。ところが第1巻を出版した後、なかなか続きを出さないまま、16年後の1883年に死んでしまます

 あとを引き継いだのは盟友フリードリヒ・エンゲルスです。エンゲルスマルクスの遺した草稿をもとに、第2巻を1885年出版します。しか矛盾解決は示されませんでした。読者が不審に感じることを警戒してか、エンゲルス序文で、解決は次の第3巻で示されると予告し、経済学者たちにこんな「挑戦状」を叩きつけます。この矛盾をどう解決するかわかる者がいたら、第3巻が出版されるまでに見せてもらいたい、と。

 そこから9年後の1894年、残りの草稿やメモを取りまとめ、ついに第3巻が出版されますエンゲルスはまた序文を書き、前巻での「挑戦状」に応えて多数の論者が矛盾について論考を発表したが、どれも的外れだった――と勝ち誇ります。それでは第1巻の刊行から27年もたってようやく出版された最終巻で、マルクス矛盾をどのように解決したのでしょうか。実は、解決できなかったのです。

 第3巻でマルクスは、商品価値は投じられた労働で決まるという理論と、異なる産業利益率は均一化するという現実は「一致しないかのように見える」と改めて述べますが、その矛盾解決は示しません。その代わり、資本主義が発達した国ほど利益率の均等化が迅速に進むという現実を認めるだけです。これは結局、商品価値労働で決まるという第1巻の理論放棄したものです。

 メンガーと同じオーストリア経済学者ベームバベルクは1896年出版した著書『マルクス体系の終結』で「マルクスの第3巻は、その第1巻を否認している」と指摘し、マルクス解決でなくごまかしを示したという他の経済学者の厳しい意見同意します。第1巻で述べた剰余価値理論が間違っているなら、それに基づき展開された、資本家労働者を搾取するという主張は根拠を失いますベームバベルクは『資本論』を「カルタ札で組み立てられた家」、すなわち砂上の楼閣だと切り捨てました。

 マルクスが第2巻以降を生前出版しなかったのは、この破綻が修復不能だと気づいたからともいわれます。そうだとすれば、学者としてかろうじて誠実だったといえるでしょう。

 今の世界ではこうした経緯を無視し、マルクスを見直そうと無責任な声が高まっています欧州連合EU)のユンケル欧州委員長は記念式典に出席し「平等の実現のために力を尽くした」と功績をたたえました。

 しか20世紀社会主義諸国崩壊が示すように、破綻した論理を土台に未来を築くことはできません。マルクス話題となる今、それこそがかみしめるべき教訓のはずです。

https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3064412017052018000000

すばらしいまとめ。エンゲルス隠蔽手法は百家争鳴論を思い出す。矛盾ばかりで骨格ができていない思想だったから、虐殺国家が生まれしまったのだろう。

2021-06-23

anond:20210623075553

ぼくたちは声優になれないし芸術家になれないし哲学者になれないし宇宙飛行士になれない

何のために生まれ

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