はてなキーワード: ヒーローとは
https://www.tokyo-np.co.jp/article/135244
プリキュアは性的視線から意図的に遠ざけられている。主な視聴者層は未就学の女児。キャラクターは自分より年上のロールモデルだ。もしそのキャラが性的に消費されてしまったら、保護者はもとより、これから羽ばたこうとする女の子の翼を折ってしまうからだろう。
現在の女子大学生は、ちょうど初代プリキュアを見た世代だ。私が授業でコンセプトを紹介すると、「当時プリキュアを見て、強くてかっこいい女性になりたいと思った」「アニメを通して固定概念がなくなるのは良いこと。自分もそうした流れに参画していきたい」という感想が出てくる。戦隊ヒーローものの「ごっこ遊び」では、ピンク役(1人だけしかいない女性キャラ)をやるしかなかったが、「プリキュア以降は好みのキャラが選べるようになった」という学生もいる。プリキュアのメッセージが若者に確実に伝わっていることが、とても頼もしい。
こういうジャッジをされるとき、一番プリキュアを「汚された」と感じる。「女の子にも暴力のカタルシスを」というテーマで始まったやつを「正しさ」で評価するのなんなん。
普通に濃縮されたビビッドカラーの女の子の性的イコンそのままじゃん。プリティーシリーズやアイカツとかもそうだけど
キュアブラックが最初へそ出してたのを続編で隠されてその後またへそ出しプリキュアも登場してくるのはどう解釈すれば
強くてかっこいい女キャラならリボンの騎士も峰不二子もキューティーハニーも居る。ポワトリンやイパネマ、シュシュトリアンなんかも観ていた自分としては、フェミ的な持ち上げ方をされるプリキュアは苦手。
キャラクターが違和感なく受け入れられるポイントとして、物語上の必然性があるかという点がある。
たとえばアイドルの話なら、踊るため、魅せるための衣装というデザインが成立するし、水泳アニメFree! もスポーツなので細マッチョ男子高校生の上裸が成立する。
ジャンプ漫画の僕のヒーローアカデミアは、作者のある種の性癖に思われる獣人やマッチョな女性が登場するが、超能力による身体変化・ヒーローというプロレスラー的職業、そのためのコスチュームなど、デザインの理由がある。
必然性が無いパターンとは。よくあるのは学園物で、なぜか女子制服だけいわゆる乳袋的なデザインになっているような場合。作品の中でも自然とスルーされていて理由が見当たらない。こういうときに視聴者は「?」となる。作者の性癖が出ているだけじゃねーの、と。
作品の外、広告になるとさらに複数の必然性が求められる。商品・ターゲット・媒体・コラボ作品・社会情勢・テクノロジー、そういったものが噛み合っていると(大多数には)普通に受け入れられる。
特にエンジニア界隈で賛否両論喧しくやられているようだけども、おそらく話がだいぶ長く進んだこともあって途中から読んだり前の方の話を忘れたりで議論の流れがおかしくなった批判やコメントがいくつも流れてくるので、ちょっと整理したいと思う。
まず最初に、例のワニ漫画をきっかけに広くネットに認知された「100日後」フォーマット。本漫画もそのフォーマットを踏襲し、1日ごとに新作が投下される流れになっている。
この流れに沿っていくと、読者はその「100日後」に何かが起きることを想定した上で物語を消化していくことになるが、その「100日後」が設定されていることを「物語の中の世界」は全く知らない。それどころかその残り日数を無視したかのように呑気な展開を見せることすらあり、読者はそのコントラストも込みで翻弄させられるわけだが、当然この47歳さんの案件でも同じことが起きている。
この増田を書いている2021/10/05時点で残り18日。いわゆる退職の意志を通知する期限が1ヶ月前だの2週間前だの、その点を以って47歳さんの動きの鈍さをどうこう言うコメントがあるようでそうした世間一般における転職活動上の慣習と比較して述べる見解にはある程度同感はできるものの、最初に強く胸に留めておかなければならないことが一つある。「100日後」の期限は、読者にしか見えてないのだ。
そしてさらに言えば、47歳さんは決して転職活動をしているわけではない。
何度か自身から言及しているように、彼は決して現職を辞める意志は持っていない。
https://twitter.com/tome_ura/status/1440876591718940673?s=20
https://twitter.com/tome_ura/status/1444499320145731585?s=20
辞める意志を持っていない癖に短期間にこんだけ休みまくってるというのは、はっきり言って理解に苦しむ。いやいいのよ、休んでも。ただ、彼は転職活動ごっこを通じて他社から内定をもらい、その内定を現職経営陣にちらつかせることであわよくば賞与0円の評価を覆させたいという狙いをもって現状を展開させているのである。その前提条件がありながら、わざわざ現職経営陣に対してさらに自己の評価を貶めかねない行動を取ることにどれだけの合理的理由がある?というのは、当然あがってくる疑問だろう。何しろ、休暇をとってまで進めなければならないほど急ぐ話では本来ないのだから。「100日後」のトリックについ騙されてしまうが、(L社の都合さえ目を瞑れば)可能なペースでゆっくりやればいいのだ。
またごっことはいえ転職活動を始めるにあたって、普通のケースであれば「何のために転職するのか」とか「転職先で何を求めるのか」というような、エージェントとの面談でよく行われるような自己確認のプロセスを全く踏んでいない。ほとんど衝動的に転職活動ごっこになだれ込み、atcoderに没頭している。
https://twitter.com/tome_ura/status/1441237149269958659?s=20
正味の話、40代から上のしかも(マネジメント方面ではない)エンジニア志望の転職活動となると本当の本当に厳しく応募者を評価してくるので、若手の転職活動ですら生半可な応募は簡単に落とされるのにさらにこの年代の転職活動は鉄骨渡りかってくらいに肝を磨り減らす状況になる。それが何となくフワッと始まってしまったわけで、そりゃ見ている方は黙っていられなくなるってもんでしょう、という感想もある(その厳しさゆえ、経験者ほど語りたくなる心理をくすぐるという話も)。
そう。何もかもがフワッとしすぎなんよ。実際、あんだけご執心のatcoderというかコーディングテストも、それを持ち出したL社がどんな志望度合いかつ適性マッチングで、彼がどこまで本気出さないといけないか分かんないし。ここを「100日後」フォーマットの都合で説明するための分量は割けないとかって言うのは簡単だけど、流石に読者に丸投げしすぎだと思う。
でこの時点で会社側の47歳さんへの評価というのを振り返っておかないといけないが、ぶっちゃけ「いてもいなくてもいい」レベルになってると思われる。
もちろんその評価が一時的な気の迷いとか、社長お戯れをみたいな話もあることはあるが、そのくらいの意味を持つメッセージを47歳さんに与えてしまったことになる。
https://twitter.com/tome_ura/status/1440149422537543680?s=20
なぜかって言えば、賞与が0円になるということは、当人が転職をもし考えているなら「賞与支給時期まで待たずに今すぐ出ていっていい」ということになるからだ。まさしくIさんがそうしたように。
https://twitter.com/tome_ura/status/1437984013939929088?s=20
通常退職を考える場合、いつ退職するのが当人にとってベストかという考え方でスケジュールを設定することになる。多くの場合賞与が支給される時期まで待ち、しかるのち退職日となるよう調整を図る。それより前に退職してしまったら賞与が貰えないからだ、と言ってしまえば当然のように聞こえるが、逆に言えばそれまでは辞められない。早く新環境に移ってバリバリやりたいぜなんてケースでも、6月末なり12月末なりまで待たないと動けないのはかなわん、ということだってあるわけで。しかし賞与0円ということはそういったしがらみがなく、もう当人の好きなタイミングで辞めてしまっていいわけである。金銭的には痛さしかないが、転職活動をアクティブに行いたいと思えばこれ以上ないメリットとなる。しかも採用側も「即戦力が欲しい」とすぐにでも動ける人材こそ大歓迎と募集を掛けるケースもあることを考えると、実は結構有利なカードを47歳さんは持っている。
ただ、どうやら当人はそこを十分に理解しているとは思えない状況なのが実にもどかしい。まあ転職に関する経験値がある程度ないとこの辺は発想できないところではあると思うけど、ただその辺をケアしてくれるのがエージェントなんだよな本来なら。
ちなみに採用活動においてコーディングテストを課すケースが増えているのはその通り。分野や当人の志向性にもよるが、40代50代でも必要と判断されたらコーディングテストが行われるのは何ら不思議なことはないと思う。特に30-40代くらいからはテックリード系の募集が増えてくるのでそうしたポストを狙う際には大体必要になると思っていて間違いない。マネジメント系だと流石に減る。けど最終的には場合によりけり。
ただ、そうした募集形態はWEB系に多く、それらで需要の高いPHPやPythonやJavaScriptといった言語に比べて47歳さんの選択したC++はあまりお呼びでないケースが多い。ゲーム系なら多少はあるけど最近はC#の方が優位だし、現職で彼が担当しているようなサーバー側をC++でやるってのも(ないことはないけど)かなり限られてくるので、その点でもどうなんだろうね?という疑問符はつく(物語の必要上敢えて入れてるフェイクの可能性もあるけども)。まあやるならMMO系とかかな、かなり会社限られちゃうけど。他はMLや仮想通貨含む金融系、決済サービス、あとIoTモノもいけるか?どのみち選り取り見取りというわけにはいかないのでかなり長い期間腰据えて良いマッチングを探す必要が出てくると思う。
それにコーディングテストがあるかどうかは過去実績等で事前に知ることのできるものだし、応募する意志があるならその応募前の時点から準備をするようエージェントが促すことだってできたはず。準備に時間が必要と感じればその準備を先に47歳さんにやらせておいて、OKとなってから応募するのでも全然遅くないし、そういうふうに採用企業側に応募スケジュールを待ってもらえるよう、エージェントに交渉を頼むことだって十分できる。そう振り返ると、さっきも気になったけどこのエージェントも結構大概な輩な気がする。
賞与0円提示を受けるまでの物語前半から中盤にかけて休日も含めて連日連夜出勤しどおしだったわけで、おそらく有給も代休も溜まりまくりなはずだしその点での心配はないだろう、会社の制度に従って休む限りは思う通りにやればいいんじゃないかな。
ただ最初に触れたように47歳さんは決して転職活動をしているわけではなく、辞める気は現時点ですら全くない。それを考えた時、すでに賞与なしというほぼ最低級の評価を食らってしまっている状況でしかも他社の内定提示を以ってあわよくば会社側にその評価を覆させようとしている戦略と、いかに就業規則上認められた範囲の休暇行為とはいえどこまでマッチしているのよっていう疑問は拭えんのですよ。
大事なことなので繰り返すけど、「休んでいいかどうか」で言えばどうぞどうぞ存分に、しっかり休んでリフレッシュしよ?制度は有効に使えば宜しい。ただ47歳さんの今企んでることからすると完全にマイナス方向にすっ飛んじゃってる。ここで認識のズレたコメントやレスバが何件か見えた。この辺の把握のしにくさは前後の流れを続けて追いにくい投稿形式故の泣きどころか。
しかし流石に今後もずっとこのペースの勤務状況が続くとは思えないけど、こんだけ会社側に心象悪くしてたら次回賞与も0円提示だよ普通に。
これは本当に難しい。
確かに物語前半のように来る日も来る日も目の前のことだけに忙殺されて一息つく暇もないような状況に置かれたままでいると、人間誰しもまともな判断がつかなくなる。それによって普通なら苦もなくできる常識的な選択すらもできなくなって、どんどんドツボにハマる。これが怖いからブラック企業みたいな環境には(できることなら)近づくべきではないのだ。
しかし、47歳さんの場合その理屈をどこまで通していいのか?という疑問もある。
明確な基準があるわけではない。しかし、物語前半で悩まされてきたデスマが終わり、例の0円提示を受ける前後くらいからは勤務状況にも余裕が出てきてそれまで黙殺してきた転職エージェントのアプローチにも連絡をとってみようかと思えるほどには余裕が出てきたところだった。今後の身の振り方を時間かけて考えてみるのかと思いきやいきなりそのエージェントの言われるがままに求人応募をし、さらに応募先企業の求めるがままにコーディングテストに入ってしまった。それに47歳さんには家族もいる。20代やそこらのまだ身軽な立場とは訳が違うのだ。ごっこではない本当の転職活動を考えたなら、真っ先に相談しなければいけない相手がいるのに、である。
そりゃないぜおい、と総ツッコミ状態になるのも頷けるというものである。
そう。この物語を読む上で大事な要素がもう一つ。ツッコミ役がいないのだ。
出てくる人間皆どこか呑気であっけらかんとしていて、ブラック企業然とした勤務体制の割にどこか抜けている。それがある意味、ブラック企業を構成するのは必ずしも悪意や力による強制とは限らないリアリティを帯びていたりして読む者を惹きつけるのだと思うが、物語上の要請としてはやはりツッコミ役がいるといないとでは、読者心理の安定感が違ってくる。
ツッコミ役が居らず終始ボケ倒すだけの物語進行は正直辛い。特に主人公が必ずしもヒーロー的ではなく、様々な出来事に戸惑い振り回されミスを冒したりしながら進めていくような場合、「そうはならんやろ」と物語中で言ってくれる存在がどこかにいないとなかなか人は安心できない。ツッコミ役とは、物語世界と読者世界をリンクしてくれるありがたい存在なのだ。
ただ本案件においては、このツッコミ役の不在が逆にそれらの読者のフラストレーションを活用してネットのバズを呼び込み、言葉は悪いが炎上マーケティング気味に成功した側面もあると思う。なので功罪両面から見ていく必要があるとは思うが、物語の消化、進行という意味では間違いなくデメリットとして記憶しておくより他はない。
さらに踏み込んでしまうと、この47歳さん、「自分が周りからどう見えているのか?」という視点が全くない。驚くほどに。
通常40代も後半となれば、どれだけ拙くてもいいからチームや会社からどのように自分が見られているかを把握し(ようとし)、その上でどのようにプレゼンスを高めていくかを戦略的に考えて行くことが求められる年代だし、それが会社からは給与賞与として反映される仕組みであるとかの理解として備わってることを期待されるし、転職採用側もそういった視点を強く求めて応募者を見極めようとすることだろう。
しかしこの47歳さん、(いくらブラック勤務疲れで思考力が弱まっていたとはいえ)ただただ賞与0円提示をひっくり返すためだけに転職ごっこをはじめ、その代償に短期間に有休消化を繰り返し、現職も辞める気はないとくれば、側で見ている方はただただ疑問符ばかりが並ぶしかないわけである。そんな他社からの内定があったからって簡単に会社の評価が変わるか?というのも疑問だし、万一それで評価を変えたところで、そんな易々と評価が二転三転する会社を信頼して居続けることを良しとするか?という疑問だってある。
そもそも他社の内定を糧に現職に賞与アップを迫るという構想自体が、47歳さんの中での完全なひとりよがりである。何かしら彼がそう発想するに妥当性を与えるようなエピソードがあったわけでもなく、経営側の視点も他社の評価やatcoderの成績がどうこう影響しそうな要素は微塵もない。せめてそこを何らか裏付けるような話の流れでもあればまた印象は違っただろうが、他者からの視点や評価を全く交えず完全に47歳さんの思い込みだけで始めてしまったギャンブルを、そう簡単に肯定的に受け止めることなどできないわけでして。ええ。
元々の話がその「自分の評価を上げるため」に始まったものだったはずが、その「上げる」人が誰であってその人は何をすれば「上げて」くれるのか、この戦略判断からして怪しいぞとなってくれば、読者も黙っていられなくなるのは必然。どう見てもこの展開で47歳さんが賞与もらえる未来線描けないもの。
それも含めて作者の狙い?バズ呼び大当たり?うーん、どうなんすかね。
わかんない。
ただ言えるのは、縷々この記事で述べた通り、狙ってることとやってることがチグハグすぎてどうしようもないなというのが正直なところ。元々は転職する気がないのだから、ごっこ遊びなんぞには目もくれず全く別の戦略が必要だったかなというのもまあまあある。ただ、会社の体質として問題があるのは確かでその点は転職は不可避なんじゃないかと思える一方、その現職になんだかんだでよく適応してるのも確かなわけでどうしたらよかったかと言われると正直わからん。というか47歳さん自身、どうすべきか以前にどうしたいかのところでわけわかんなくなってないかい?知らんけど。
一方で今の状況じゃ転職活動としては踏み込みが甘いし、冒頭に述べたように「100日後」なんてリミットは彼には本来ないわけだから、転職に向けた自己分析とatcoderの練習とを諸々仕切り直しつつ毎週の週末に少しずつ進めていけばいいのだ。そしてしかるのちスケジュールをぐにゃっと変えて残り-30日か-60日ぐらいのタイミングで転職する47歳さんあたりがまあまああり得る妥当な展開かな。
L社のテスト?本気なら待ってもらうしかないっすね。他の候補者がどういう状況か次第だけど、本気で交渉すれば結構融通きかせてくれますよこの手の締切は。待ってもらえないなら巡り合わせが悪うございましたってことで。
フェミニストがこういう会社に質問状出して締めてくれたらすごいことになるよ。
そうなったら私だけでなく世間みんながフェミニストを応援するよ。
会社の社長引きずり出して謝罪させたら大喝采、フェミニストは世間のスーパーヒーローになるよ。
世間が強く許せないと感じるものとフェミニズムの思想的に容認できないものが見事に一致してる。
なんでこういうのにぶつかりに行ってくれないんだろう。
もちろん他力本願だけど、ぶつかりに行ってるのを見たら全力で応援するし拡散するしお布施するし喝采するよ。
アウトなのかセーフなのか微妙なラインかつ松戸だの秋葉だのの片隅にあるチンケなオタクポスターやムービーに是非を掛けたって
キモオタが大騒ぎして敵に回る&キモオタ以外の世間は無関心で何の功績とも思わないってなって
言っちゃなんだけどフェミニストという集団に何の手柄も利益も積まれないじゃん。
またフェミニズムの思想から言ってもああいうものを狩るのが絶対に必要なのかかなり微妙だと思う。
・キモオタは変に話が噛み合うので叩くと手ごたえがあり党派意識を刺激してくれる(世間的にはコップの中の嵐)
キモオタと延々戦うのってフェミニストの利益にならないしフェミニズムという思想の実践としてもそこまで有意義ではないんじゃないかなって感じ。
キモオタの色んな表現を制限するのって社会の中で困ってる女性にとって優先度の高いタスクなのかな?
本当の社会の悪と戦ってくれないだろうか。
そうしたら絶対社会から尊敬されるしキモオタの中からすらフェミニストのファンは出てくるよ。
キモオタはみんな電通やサイバーエージェントみたいな文化大嫌いだし男性文化だって嫌ってるよ。
フェミニストが上から目線で説教したりコンテンツ制限かけたりすると牙をむくだけで。
でも作品だってちゃんと見てればジャンプ作品ですらどんどん変わっていってるよ。
呪術廻戦とかチェンソーマンとか鬼滅の刃とか見てもジャンプ漫画は旧態的な女性観にとどまってると思う?
読んだうえでの相手の立場を考慮した批判なら聞く耳持つキモオタだって一定数いるよ。本当に。
元増田の会社みたいな誰から見てもクソな文化の社会のエネミーがまだまだたくさんいて
そうやって実績積み重ねたら現状の反フェミやキモオタですら一目置いた下手の態度になるよ。
本当にビジョンと志と実行次第でフェミニストはヒーローになると思う。
撃ってない・・・
いまの統一教会がどうこうの泥沼もさっさと撤収すればいいのにと思いながら見てます
はっきり言ってこの話も世間的には全然興味持たれない話だと思いますよ
「note記事デマでした!今回は確認不足でした失礼!」って切りあげちゃえば終わりだと思う
もしかしたらヤメて次の話始めようとしてるのかもしれないけど
全然違う話を始めればいいのにって思う
kuzudokuzu 「私のヒーローになって」はわざとネジ曲げると、「私のためにあなたの人生を捧げて」をヒーローという耳触りのいい言葉で洗浄してるだけなので、無意識なら増田は気をつけた方がいいよ。無責任なモブの論理だから。
2021/10/04
もちろん普通の人にこんなこと頼めないけど
フェミニストの人たちは普通の人ではないヒーロー志望者に見える
キモオタと戦うことに凄いリソースと情熱を投下してて全然普通の人じゃない
それならあっちをやった方がwin-win-winではないでしょうかと
つまりは、ワイドショーを独占するような凶悪犯罪に手を出すようなド腐れた人間性じゃなくて良かったんだけど、それはそれで結局この「何者かに成りたい欲」に毒された者には緩やかな地獄の延長にしかならないんだ、という話。
私って結構すごいんだよ。ガキに理不尽な暴力を振るう虐待親を持つ、今でいう親ガチャ大ハズレの人間なんだよ。ちょっと伸びをしたら「そんなに肩凝ってるなら肩たたきしてやる」って言いながら思いっきりぶん殴ってくるような。ロクに飯も作らないくせに、わずかな小遣いを飯に使ってたら「ロクな使い方しないから金の無駄」って言ってそれすらも没収するような。ちょっとでも反発したら「社会で通用しない」って呪いをかけるような。それでいながら、世間様から褒められるようなアルバイトも馬鹿にされるようなアルバイトもこなして、遥か後方のスタートラインから国立大学で院卒っていう学歴持ってるし、今はちょっとは名のしれた大企業で技術者やってるよ。初年度から実家の世帯年収超えたよ。自分への給餌のために、ちゃんと栄養バランス考えた飯も作れるようになったよ。あんまり偉ぶれるような肩書はないけど、スタートラインからの差分で言ったら結構なもんだと思ってる。
それで、ゴミみたいな実家から開放されたら、自分が何者なのかってさっぱりわからなくなっちゃったんだよね。今までずっと自分の人生生きてなかったんだ。あのゴミ共よりマトモな人間になってやる、社会で通用してやる、幸せになってやる、って思ってたんだけど、社会は実家よりはるかに理不尽じゃないし、ゴミの社会と普通の社会って全然違う。幸せって、なんなのか全くわからない。幸せなんてゴミの社会にはなかった言葉で、全員が「私は不幸」で埋め尽くされてたゴミの社会では、不幸でいることが義務だったんだろう。そんな社会から決別するのは正解だと信じてるんだが、決別したらしたで、その社会の価値判断で生きてたので何もわからなくなった。当然ながら「普通の社会」って決してやさしいせかいではなく、私が凡人であることを容赦なく突きつけてくるんだよな。私と同じくらいの立場の同僚も、幼少期からピアノ習ってたとか塾に通い詰めだったとか、個人的には羨ましい限りなんだけど、どうもそれはそれでクソらしく。また同僚は学生時代に一般的な社会経験を積んでいて、やっぱりそれも羨ましくて。こんなにも苦労したんだから、私は何某かの立派な、世間から褒められるような、何かになっていなきゃおかしいみたいな、何者かに成りたい欲はずっとくすぶってる。
同僚たちが結婚ラッシュになるような年代になって、それが本当に悔しくて悔しくて仕方がない。とっくにマスのヒーローになるのは諦めて、誰か個人のヒーローとして頼ってくれる人がいるんだろ、そして相手は苦しむ自分のヒロインになるような人がいるんだろ。私はまだまだマスに対するヒーローになりたいっていう願望が抜けないし、そもそも誰かのヒーローになるような器じゃない。私がしょーもない人間であることなんて、私が一番わかってるのに、この「何者かに成りたい」という欲は歳を重ねるごとに酷く膨れ上がっていく。今日もまた「結婚おめでとう」っていう嘘をついてきた。歳を重ねると諦念が身につくのが普通の大人なんだろう。それが欠片もない。現状の私は世界に対して「良いことをする」ようなマスのヒーローどころか、個人に対して「良いことをする」ような個人のヒーローにもなれない、宙ぶらりんの「悪いことをしない」だけの普通の社会に溶け込んだ空気みたいな存在なんだろうけど、自意識だけは誰もが私を凄いと思って尊敬されてなければおかしいと遙か上空に行っちゃってる。
調べてみたら、これはアダルトチルドレンという、機能不全家族で育った人間によく見られる兆候らしい。これは完全に自分の恥で、傲慢で、どうしようもない自我なんだが、「そんなところまで、「よくいる」人間の兆候なのか」と、自分に対する嫌気が差してしまった。マスの医療(認知行動療法というらしいが、医療なのか?わからないけども医療としておく)で改善はできるらしい。これすらも、お前は悩みすらも一般的なのかという、自分は特別でなくてはならない、というあまりにも強烈な自我に自分を揶揄される。自覚と自我だったら自我が勝つから、とウエストランドという漫才師が言っていたが、今は完全に自我が勝っている。強烈な飢餓感を訴える自我と、足るを知れという自覚。この喧嘩、「普通の人」だったら高校生のときに終わらせてるのか?それともそんな喧嘩は起きないんだろうか?わからないが、こんな悩みも一般的なんだろう。
「何者かに成りたい」という強烈な自我は、一束いくらの人間になりたくない、自分は特別でいたいという、ある程度は当たり前の精神であると思っているが、私はあまりにも強い、それも大人になってからが本番のヤバい欲望になってしまった。特別感を演出する引き出しが多い分、飾り立てる言葉が多い分、重たくのしかかってきている気がする。これすらも「自分は殊更に不幸」って言いたいだけの精神から来ているのだろう。「私は不幸」で埋め尽くされてたゴミの社会の価値観だ。これは適切な年齢のときの自我としては、自分を伸ばす背伸びになったんだろうが、伸びをすると思いっきりぶん殴ってくる親がいた私には、大人になってからしか持てない自我だったのかもしれない。
どう考えても昨今の表現の自由界隈から反論を向けられていた(一部のインターネット)フェミニストたちがカウンターとしてカルトとのレッテル貼りを持ち出したわけだけど、そのせいで左派思想系コミュニティの多くが煽りを食っちゃってる。
間違いなくこの後に続くのは左派思想系コミュニティへ所属している人たちがカルトや過激思想派コミュニティと接触してないかの粗探しだよ。
何ならはてブでの肯定的コメントやTwitterのいいね!やシェアまで粗探しされて、もしそのアクションがカルトや過激思想コミュニティを本人が気付かなくても肯定するものだったら叩かれてしまうところまで行く。
つまり昨今のキャンセル・カルチャーのノリで左派思想コミュニティがどんどん焼き討ちにあっていくものと思われる。
SFで描かれるような終末兵器みたいな感じだよコレ。
誰しもそれがセンセーショナルで強力な印象付けを行えるとわかっていても使ってこなかったのは、その破壊力が自身に向いたとき止めようがないことを理解していたからだ。誰しもが使える強力な終末兵器なんて普通は理性で使用を抑止するはずだからな。
追い詰められた悪役が理性を捨てて死なばもろともと終末兵器を発動させて世界が滅亡する、そんな使い古された今では三流五流のシナリオをまさか現実に使ってしまうヤツ、いや連中が居るとは誰も思ってなかっただろう。
そういえば日本人は追い詰められた際に撤退作戦を選ばずに奇策で一発逆転を狙う精神文化があると聞いたことあるけれども、奇策が終末兵器とは恐れ入る。
冗談はこの辺にして、カルトとのレッテル貼りを持ち出した連中、そしてそれを支持した連中どうするよ?コレ止まんねぇぞ?
お前らが支持する政治家や政党、思想家にまで波及するだろうし、お前らの中のヒーローにも波及、何ならお前ら自身にも波及するだろう。
静かに波が静まるまで待つのも良いが、その時間使ってお前らが支持するモノ、大好きなモノがカルトに関わった情報は集められ拡散されるだろう。時間は万人に平等だからな。
まぁただ解決策はゼロってわけではないんだぞ。
今起きてることがクソみたいな使い古されたシナリオっていうなら、ぶつけるのは同じく使い古された熱いシナリオじゃねぇか?
人間が間違った力を使ってしまって力が暴走してしまったのならば、すべての人々が手を取り合って暴走に立ち向かう何千何万と繰り返された熱いシナリオが必要だろ?
昨今のVTuberバッシングは、オタクもフェミニストも男女も年齢も生まれも何も関係なく、間違っていたと全員があらゆるインターネットコミュニティで叫べ!
イタズラにカルトとのレッテル貼りをしてしまい申し訳なかったと言え!
フェミニストの感情をイタズラに煽って申し訳なかったと書き込め!
いっちょかみしたのに炎上したのを見て関係ない振りしてごめんなさいと叫ぼうぜ!
手を取り合ってみんなでバカみたいな言い争いを止めよう!
お前ら今までインターネットで見たことあるか?
大規模にいがみ合ってた連中が手を取り合って仲直りするなんて新しいシナリオを。
pipechair おぎの稔はオタクと統一教会を結ぶためのハブとして活動してる人間、とそろそろ言い切っていいのではないか。統一教会が何だかわかっててそれでも「距離を置く」とさえ言えないなら構成員と見なす他ない。
mouseion おぎの稔とか山田太郎とかが署名求めて応じたオタクはただのアホだよな。表現規制タカ派の麻生太郎の車にローゼンメイデンの漫画が置かれてたのが記事になった時ローゼン閣下と呼び親しんでたもんな。ホントちょろい
chada_5 早速否定して擁護しようとする人間が現れてて笑う
chi-Haya 宗教がVtuber利用して布教、と言う内容は十分にありうる。Vtuberが全員ソレとは言ってない
kazatsuyu 突然もなにも署名活動で目立ったからバレたというだけの話では……
D_Amon カルトが実体を隠して近づいて絆で絡めとって信者獲得する方法として一部のVに近づいたりVを運営したりすることは十分ありえると思う。引用されているおぎの氏の反応が臭いすぎる。
cinefuk 荻野稔氏自身がVtuberとして人脈を作る中で、界隈を系列メディアにオルグしているのか>『バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん』ねこます氏にインタビュー!アバター文化は世界を変えるのか?(Viewpoint/世界日報社)
nowa_s 普通ならその態勢で"政治と無関係は通らない"けど、「?別に政治活動とは無関係ですよ?」とさえ言えば「そうか、無関係なんだな。だってそう言ってるもん」と思ってくれるピュアな人をお客として選別してるんだろね
tobalno1tobalno1 これ本人たちは布教活動の手伝いしてる自覚多分ないんだよね。そして気づいた頃には公私共に教団関係者が関わりすぎてて離れられなくて「個人としては良い人だから…」と自分を騙しながら過ごしていくと。
sink_kanpf ご当地ヒーローが流行った頃、地域振興団体を装った原理がヒーローをプロデュースしてた事があったから、Vをオルグ媒介にする事を聞いても驚かないけど、カルト警報出す人への反応を鑑みるに入れ食いなんだろなー^^;
spirobis 想像以上に統一教会系とズブズブなVtuberもいる、という話。カルトに対する無自覚ぶりには驚きを通り越して呆れる。
tegi タイトルは扇情的だが、実際なかなかにやべえ展開だな…と背筋が寒くなる印象
msukasuka ズブズブとは言い難いが、かなり忍び寄ってる事は言えるかな…。やめてほしい。Vそのものには興味ないし信仰の自由はいくらでも行使してもらえればいいけどソレと隠してオタク界隈に布教するのだけは勘弁して欲しい
mori99戦後の新興宗教の最盛期を知らない世代が増えているのか。統一教会と言えば、お払いのためとかで普通の壺を法外な値段で売り付ける霊感商法詐欺などで名前を馳せた有名なカルトなのだが
cha9 おぎのが言い訳してる様がもう完全にカルトに絡め取られた信者のそれ。踏み絵だとわかってて踏み絵踏めてないのが見て取れる。おそらく常日頃カルト被害者に接してるヤマベンは同じ匂い感じ取ってんじゃないのかね
agricola ↓統一教会は「宗教」ではなく「宗教を入り口にした反社カルト」。後者と前者の同一視は致命的だぞ。矮小化してる界隈は馬鹿でなければ……。
Dragoonriders 統一協会がフロント使って忍び寄ってくるのはいつものこと。そういうメディアがあるということは頭に入れておかないとね。署名の件を含め注意喚起は当然で、特にあの大田区議の不誠実さは論外だろう。
yamada_shirou この流れは、ここ最近急に河野太郎の悪事が暴かれだした現象に似ている。やはり悪事は必ず挫かれ正義が勝つのだな。
sasoridan はてなーが予想外に統一教会に寛容でビビってる。カルト抜きにしても(カルトの時点で論外だが)仮にも左翼を名乗るなら不俱戴天の仇のはずだし、もしかして韓国系だからとかないよね…
ScarecrowBone おぎの稔と統一教会を要警戒
beresford 統一教会への警戒を怠るな、という点だけ留意する必要があると捉えておく。
coffeeglass 「運動」に裏は付きものですよ。賛同するにも背景を気にしながら。
senbuu 直接カルトの宣伝はしなくとも、カルトの関係者とコラボすれば、そのカルトに、これまで己が積み重ねてきた信用をまんまと利用されることになるんだよね。政治家が詐欺師とのツーショット写真を撮られるのと同じ罠。
筆者が謝罪した記事「統一教会系メディアとVtuberがズブな件(アーカイブ)」へのブコメを分類してピックアップ
id:bt-shouichi ViewpointがうまいことVtuberを利用した感じか/アバターをまとって他人に近づく行為はカルト宗教の布教と親和性がある、と
id:cha9 おぎのが言い訳してる様がもう完全にカルトに絡め取られた信者のそれ。踏み絵だとわかってて踏み絵踏めてないのが見て取れる。おそらく常日頃カルト被害者に接してるヤマベンは同じ匂い感じ取ってんじゃないのかね
id:cinefuk 荻野稔氏自身がVtuberとして人脈を作る中で、界隈を系列メディアにオルグしているのか>『バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん』ねこます氏にインタビュー!アバター文化は世界を変えるのか?(Viewpoint/世界日報社)
id:chada_5 早速否定して擁護しようとする人間が現れてて笑う
id:Cunliffe 「統一教会系の人間が名を連ねている署名、私ならやらないです」はい。これ最低限のネットリテラシーだよね。ブコメを見てる限りこれがなさそうな愚かなオタクが多いみたいだけど。
id:D_Amon カルトが実体を隠して近づいて絆で絡めとって信者獲得する方法として一部のVに近づいたりVを運営したりすることは十分ありえると思う。引用されているおぎの氏の反応が臭いすぎる。
id:Dragoonriders 統一協会がフロント使って忍び寄ってくるのはいつものこと。そういうメディアがあるということは頭に入れておかないとね。署名の件を含め注意喚起は当然で、特にあの大田区議の不誠実さは論外だろう。
id:freq5Ghz VRC系コミュにイマイチ乗り切れないの、どこ行ってもおぎのが居るからって所あるんだよな。そういう状況で「VTuberは統一教会紛れてるから近寄らんとこ」は「オウムかもしれないからヨガサークルに近づかない」と同じ
id:haruhiwai18 "政治家としてのアカウントとVtuberとしてのアカウントを分けずに活動している時点で政治と無関係は通らないわけですが、その無茶苦茶な理屈をばーちゃる美少女ねむさんは私に言ってきた" →こりゃやべえ。
id:kaerudayo 若者を誘い込むなら、どんな手でも使うんだよ。そして、霊感商法と珍味売りと集団結婚。アパートの一室で集団生活、朝から晩まで働いて稼いだ金は全部献金。それでも幸せと言い張られるから、誰も救えない。
id:kazatsuyu 突然もなにも署名活動で目立ったからバレたというだけの話では……
id:kenjou 署名してしまった数万人には、これから宗教とか政治系団体とかの勧誘が舞い込んでくる可能性が高そうだよね。署名する時にはその主体が何者か、というのを見極めておかないと危険だわ。
id:kusigahama タイトルは雑すぎるけど、社会から阻害され気味な若者が多くいるであろう領域にカルトへの勧誘者が入り込んでるのはまあ当然なんだよな。
id:kkkirikkk これでやりすぎみたいな事言ってる人は大抵統一教会についての認識不足。「親でも殺されたのか」が冗談じゃないパターンさえあるんだから。
id:mouseion おぎの稔とか山田太郎とかが署名求めて応じたオタクはただのアホだよな。表現規制タカ派の麻生太郎の車にローゼンメイデンの漫画が置かれてたのが記事になった時ローゼン閣下と呼び親しんでたもんな。ホントちょろい
id:nowa_s 普通ならその態勢で"政治と無関係は通らない"けど、「?別に政治活動とは無関係ですよ?」とさえ言えば「そうか、無関係なんだな。だってそう言ってるもん」と思ってくれるピュアな人をお客として選別してるんだろね
id:oka_mailer マハポーシャを懐かしがってる場合じゃない。
id:ooblog #宗教は悪い文明 #統一教会 #表現規制 #VRChat #Vtuber 「大学入学の折に勝共unite=原理研=統一教会に気を付けろと言われるのはもはや我が国の慣例となっておりますが~もしVtuber界隈にも統一教会の魔の手が伸びていたら嫌」
id:pipechair おぎの稔はオタクと統一教会を結ぶためのハブとして活動してる人間、とそろそろ言い切っていいのではないか。統一教会が何だかわかっててそれでも「距離を置く」とさえ言えないなら構成員と見なす他ない。
id:rci この件、統一協会がどういう風に一般人を取り込むために巧妙に近づいてくるのかがリアルに観測できて、なんというか、勉強になるな。
id:rgfx ヤマベンすら引いてるの、文字通りのガチ案件っぽさがある(アンチリベラル枠でご同輩のはずなんだが)。団塊ジュニア層のオタクたちももうそろそろ更年期を迎えて判断力に陰りが見えてくる頃。ご安全に。
id:segawashin 悪質な反社会カルトがフロント団体使って近寄ってくるのに絡め取られるなんて実にチョロい。「○○さんもインタビュー受けてたし問題ないよね」と警戒心のハードル下げる役回りになるわけで、カルトの片棒担ぎだよ。
id:senbuu 直接カルトの宣伝はしなくとも、カルトの関係者とコラボすれば、そのカルトに、これまで己が積み重ねてきた信用をまんまと利用されることになるんだよね。政治家が詐欺師とのツーショット写真を撮られるのと同じ罠。
id:sink_kanpf ご当地ヒーローが流行った頃、地域振興団体を装った原理がヒーローをプロデュースしてた事があったから、Vをオルグ媒介にする事を聞いても驚かないけど、カルト警報出す人への反応を鑑みるに入れ食いなんだろなー^^;
id:spirobis 想像以上に統一教会系とズブズブなVtuberもいる、という話。カルトに対する無自覚ぶりには驚きを通り越して呆れる。
id:tikani_nemuru_M 統一教会に対して脇が甘い界隈であることが、この記事への反応をみてもわかるなー。統一教会への脇の甘さというのは、言い換えればリテラシーの欠如でもあるわけでね。
id:tobalno1 これ本人たちは布教活動の手伝いしてる自覚多分ないんだよね。そして気づいた頃には公私共に教団関係者が関わりすぎてて離れられなくて「個人としては良い人だから…」と自分を騙しながら過ごしていくと。
id:Arturo_Ui 統一教会がネット上で色々やっているらしい、とは「2ちゃんねる」の頃から指摘され続けているわけで。過去の行状が酷すぎる上、いまだに浸透・拡大の機会を狙っているのは事実なんだから、常に警戒しておくべき。
id:chi-Haya 宗教がVtuber利用して布教、と言う内容は十分にありうる。Vtuberが全員ソレとは言ってない
id:guldeen 『人が集まり賑やかな所』に、政治勢力やカルト宗教/ニセ科学がヒタヒタと近づくのは、あるあるだからねぇ。早期に暴かれるのは、検証機能が健全な証拠ではあるが…
id:nisemono_san 単純に「魂」「肉体」「受肉」という言葉の関係性が「ネタ/マジ」という宙ぶらりんで存在している以上、そこに宗教性を見いたす事に"賭ける"「新興宗教」が出てきてもおかしくないとは思いますよ。
仮面ライダーは孤独に戦う等身大のヒーローだって?いつの話をしているんだい?たしかに今YouTubeで絶賛配信中の仮面ライダーBLACKなんかは確かに孤独に戦う等身大のヒーローだ。なんがしかの組織に属していたり多人数だったりする平成令和に比べると南光太郎はびっくりするほど一人で戦っている。彼が仮面ライダーだって知る人はほとんどいないし、南光太郎はあくまで仮面ライダーの友達で通してて、バックアップしてくれる組織もない。だが平成令和とくだっていくにつれて、孤独でもなければ「職業、仮面ライダー」みたいな仮面ライダーはゴロゴロ出てくる。当然私はこれら全部を書き明かすほど知識も文章力もあるわけじゃないが、コレコレ!コレだよ!っていう仮面ライダーをつらつらあげていこうと思う。
巨大化する仮面ライダーといえばJがあまりにも有名だが、個人的に好きなのはやはり「お前たちの平成って醜くないか?」でお馴染みの「仮面ライダージオウ Over Quartzer」だろう。
回を重ねるごとに昆虫ベースの改造人間からかけ離れていく仮面ライダー。毎年出てくる仮面ライダーは最早改造人間ですらなく改造人間設定はオマージュの対象となり、改造人間よりも怪人の方が強いライダー作品まで出てくる始末。年々ふざけていく見た目、毎年ガラリと変わる作風。あまりにもおふざけが過ぎる仮面ライダーのなかでもジオウはとくにふざけてた。なんだ!顔に!!「ライダー」って!!!2号は平仮名で「らいだー」って書いてあるぞ!ふざけているのか!と思って1年間見てたらもう顔に「ライダー」って書いてないと物足りなくなってしまった!
そんなジオウの劇場版、ISSAが演じる敵ボスは、そんな毎年毎年作風が変わりまくってデコボコな平成ライダーに一石を投じるべく仮面ライダージオウに戦いを挑む男である。それゆえの「お前たちの平成って醜くないか?」というパワーワードだ。彼も仮面ライダーに変身するが、仮面ライダーBLACKがベースの仮面ライダーバールクスに変身してジオウと戦う。平成の力を無効化する能力。忠臣だと思っていた男が実は敵方の人間だった衝撃の事実。囚われの身となったジオウを励ましにサプライズ出演する仮面ノリダー。憲武が!仮面ライダーの映画に!出てくるのだ!パロディライダーが本家の劇場版に出てくる!劇場で見た時、これはもう青天の霹靂であった。最後は巨大化して戦うISSAことバールクス。小渕の平成のパロディまでやってくれる!エピソードファイナルやパラダイスロストも名作だが、ジオウたちが巨大化したバールクスとどう戦うのか、是非とも見てほしい!
特定組織に属した仮面ライダーが増えていくのは先ほど書いたとおりだが、もはや書くことがいっぱいありすぎる!まず組織とは!というところから始めないといけないが、巨大組織との軋轢、という面でいうと、ショッカーから始まりゴルゴム、スマートブレイン、BOARD、ZECT、ユグドラシル、野座間製薬、果ては警察まで出てくる。
クウガに出てくる仮面ライダーは平成にしては珍しくたった一人である。どこの組織にも属さない。一応警察と協力して戦っているが、あくまで協力であり言ってしまえば業務委託のようなものだ。OPでも「英雄はただ一人でいい」と歌われているが、敵の暴力に暴力で対抗できる人間は自分一人だけでいいのだ。ある時、芝居の先生を敵に殺されたヒロイン(奈々がヒロインかどうかは民意に委ねる)に暴力の虚しさを説くクウガ。日夜暴力を振るっていることなどつゆ知らず「あんたの言ってることは綺麗事ばっかりやんか!」と言われ悲しい顔をするも「そうだよ、本当は綺麗事が良いんだもん。暴力でしか解決できないなんて悲しすぎるから!」と悲痛な返答をするクウガ。警察や世間からは「未確認生命体第4号」と呼ばれ他の怪人と同じく当初は射殺対象となるも、日々の戦いのなかで警察と協力して戦うようになっていく。少しずつ警察や世間の信頼を勝ち得ていく流れを、敵の暴力を暴力でしか解決出来ない最終バトルまでの悲哀を、是非とも見てほしい。
そのほかにも、所属している組織が1話でいきなり壊滅して、「オンドゥルルラギッタンディスカ」と叫ばざるを得ないなか、訳の分からないストーリーや勝手気ままに敵対して回る先輩ライダーなど、滑舌しかネタにすることのなかったのに、いざというときしか役に立たない男、肝心な時にしか役に立たない男、平成の善逸、強敵にしか勝てない男、などさまざまな異名を持つ男や、最終回の自己犠牲が後続のライダーの最終回に大きな影響を与えた男など、信じられる組織が初回で消滅してしまった男たちの生き様を、ぜひ見てほしい。
アギトのG3は未確認生命体第4号を模した警察のパワードスーツで、G3ユニットを巡って警察内部でずっと争いと諍いがあったのは見ての通りだ。なんなら最終回までずっと揉めてたからな、あいつら。イヤミなエリート刑事北條さんにずっと付け狙われるG3ユニット、あかつき号事件をネタにG3に変身するも敵前逃亡キャストオフでクビになり、めげずにギャバンみたいなシステムで対抗するもG3Xとの模擬戦でボコボコにされ、最終的にアギトは人類の敵認定されて怪人活動保護組織に成り下がりかける警察。これもぜひ見てほしい。
他にも555、剣、カブト、鎧武など、ベルトが組織の持ち物、ライダー対組織、という構図が年々強めになっていく。シンゴジラほどじゃないにしても組織描写は多いわけだ。賛否両論激しいゼロワンのお仕事五番勝負も会社対会社の争いで、あれも組織対組織の争いと言える。幹部同士の諍い、組織の中の揉め事、そういうの俊樹の十八番だな。組織描写が庵野の十八番なら、より面白いストーリーにしてくれることは期待できるだろう。
そんなわけで仮面ライダーのコンテンツはとても膨大なので私の知識と文章力では書ききれない。みなさん是非とも仮面ライダーの面白さをブコメなりトラバなりで語っていってほしいと思う。
シンゴジではその得意分野を持ち込むことで(これまでぶっちゃけ通好みな評価だった)実写作品でも成功を収めたわけじゃん
それに対してライダーは基本的に孤独に戦う等身大ヒーローじゃん
まあそれを得意な方向にアレンジするのもアリだけど今日の発表を見る限りかなりオーソドックスなライダーというか初代まんまになりそうじゃん
https://www.youtube.com/watch?v=H4uezAsjKkw
アニメーションを作るために、専用のソフトまで作ってしまうエンジニアでもある。
そのCiiさんが今度は漫画を作った。
当然、ただの漫画ではない。
Ciiさんは今回も新しいソフトを作り、これまでの漫画の枠を超えた新しい表現に挑戦していた。
ただ残念なことに、その表現を本来の形で読める環境は普及しておらず、
『飛べないツバサ』は漫画を撮影し、YouTubeにアップする形で公開された。
今回は作品、Ciiさんの凄さをもっと色んな人に知って欲しいと願い、文章を書く。
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『飛べないツバサ』は左から右へとページが進んでゆく短編漫画だ。
少女は必至で走るが、やがては崖に追い詰められる。
逡巡。
一瞬、ふわりと体が浮く…。
すると、これまで右へ右へと進んでいた漫画のページが、落下に合わせ下へと下へと進むようになる。
落下する少女と断崖絶壁をナメるように、ページを縦に何枚もつなげたような長さで、1コマが下へと伸びる。
漫画を下へ下へとスクロールしてゆくと、こんどは漫画の1コマ1コマが連続してパラパラ漫画のように動き始める。
崖を落ちながら、必死で飛び上がろうとする少女の静止画が連続し、生き生きとしたアニメーションで動き始めるのだ。
『飛べないツバサ』はキャラクタの移動にあわせて読む方向が変わり、見せ場のシーンではキャラクターが文字通り動き出す漫画だったのだ。
読んでいて嬉しくなった。
ただフォーマットを崩すだけでなく、それが新しい表現になっている!
紙面の制約の中で効果的に伝えるように、漫画は様々なテクニックが使われている。
自分も漫画を描くので、そうしたテクニックは自然と身に着いていった。
しかし、ただのテクニックだったはずなのに、自分の漫画はテクニックに縛られるようになっていった。
過去作を読み返せば、登場人物はたいてい左に向いて走っているし、芝居は前後のコマやフキダシに誘導するようなポーズになっている。
最近ではスマホで読む人が増えたので、見開きは描かないようになった。
しかし考えてみれば、登場人物が右に走ればページも右に進めば良いし、左に走ればページも左に進んだっていい。
一ページごとに用紙の大きさも変えていいし、なんなら一部をアニメーションにしたっていい。
とはいっても、「紙の本で出版をしたい」「雑誌で掲載したい」などの下心があるなら、フォーマットを崩すことは難しい
自主制作でやるにしても、漫画家の多くは、その発想を実現する手段を持たない。
『飛べないツバサ』という作品で、Ciiさんは鮮やかに壁を飛び越えてみせた。
漫画は縦横無尽に進み、コマの大きさはページを超え、連続したコマが繋がってアニメーションになる。
フォーマットを超えた自由な発想をし、発想を実現させるソフトを作り、それでもって新しい漫画を作り上げた。
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昔、アニメーションを作っていた頃、Ciiさんは自分の中でヒーローだった。
自分はアニメーションというフォーマットの中で、他との差異を作るのに一生懸命になっていたのに、Ciiさんはアニメーションの作画工程そのものから問い直し、新しいソフトを自分で作り、制作環境から変えてしまうタイプの作家だった。
漫画家になり、アニメーションを描かなくなり、Ciiさんの名前を見る機会も減った。
そんな自分の目の前に、Ciiさんは新しい発想とソフトをひっさげてふたたび現れた。
「相変わらず格好良いな」「この人にはかなわないな」と感じた。
本当はCiiさんは『飛べないツバサ』の少女のように、地ベタを這いずるように、もがきながら作るタイプの作家なのかもしれない。
Ciiさんは遠く高い空を自由気ままに羽ばたいている。
https://anond.hatelabo.jp/20210927231404
続き
「全部妄想だったのか」となって、すべてのやる気を失った状態は過酷だった。揶揄してくる同僚、潰してくる同僚、否定してくる同僚。
死のうと思った。
でも死ぬ前に報道ステーションの古舘伊知郎から頼まれた仕事だけでも終わらせておきたかった。
また、文献を調べてまとめてウィキペディアに書き連ねていく日々。
そしてなんとか原発問題についてうまく書きまとめられたとき。時期はぼかすが、ぱっと前が広がった。また報道ステーションから交信があったのだ。それに道行く人もまた自分を知っているかのような振る舞いをする。
というか以前よりもきぼがひろがっている。報道ステーションだけじゃなくて他のニュース番組でも、いやバラエティ番組でもなんでも自分のことを噂をしている。
変だ変だと思っていたがまわりのボルテージは上がっていく。なんと自分とタイミングを合わせて天皇が退位をしたいと言い出したのだ。退位せずとも摂政をつければよい、摂政としては・・増田はどうかね。そんな裏取引が想像され現実味を増していく、結局はポシャったが、もうそこらへんから自分でも笑えてくるが、摂政の代わりに秋篠宮佳子さまの婚約相手はどうか?という話が想像されて現実味を増していった。
増田は36歳独身童貞。労働の結果結婚相手をもらえるならやぶさかでもない。若い美人の秋篠宮佳子なら申し分無い。
ニュース番組をみて自分の手に佳子が届くのを逐一チェックするが待てど暮らせど手元に来る感じがない。そのうちリーズ大学に留学なんかしちゃうし結局卒業してしまう。自分んのフラストレーションは極限に至る。
自分の職場には宮内庁からのエージェントの「佳子」がいた。俺はその人に文句を言おうと思った。文句というかストレスが溜まってて自分でもよくわからなかったから、結局頭がおかしくなってた朝に殴打してしまった。
警察がくるやらで大問題w。自分は精神病院に入って妄想性障害だと診断を受けて一件落着。
これが自分の30代のほぼすべて。
誰か俺を殺してください
ピンチの時には助けに来て、みんなを救って姿を明かさずに去っていく。
かっこいい、そう思った。自分もいつかなれると思っていたんだ、誰かのヒーローに。
でも現実は甘くない、私はヒーローになれなかった。大きくなるにつれて人間にならなきゃならなかった。
私は普通という呪いにむしばまれた、でも幸か不幸か私は容量が良かった。我慢を続けて我慢を続けて、それでも私が生きる意味は少ないけれど確かにあった。
生涯の付き合いになると思っていた、そんな親友で幼馴染の二人が私にはいる。
二人のヒーローに、二人が私のヒーローに、そんな存在だと思っていた。
一緒に過ごすのが本当に幸せだった、それだけでよかった、それだけでよかったのに。
今こうやって文章を書いてどうにかならないかと願って逃げている。救うべき相手から逃げたんだ、私は
今年の五月、精神を病んでいた私に、深夜訃報が流れた。弟から私のヒーローの一人が自殺したと電話越しにそんな言葉が聞こえた。
夢じゃないかと思った、頭が回らない、世界がスローモーションになっていく、思考が沖に逃げていく。
わからない馬鹿なふりをするので精一杯だった、考えたら受け止めなきゃいけない気がしたから。
今涙を流したら顔を合わす時までに自分の心が持たない気がして、そんな気がしてまた我慢した
それでも時は止まらない、葬儀に出席するために色々な用意もあれば、日常も止まってくれるわけじゃない、洗濯しなきゃと喪服を引っ張り出して、洗濯を済ませて取り込んだ時、春の香りがして、もう駄目だった。
涙が止まらなかった、思いが止まらなかった、動けなくなるぐらいその日は泣き続けた。
実家への帰路、バスの中でまた涙が出てきた。人目も気にせずまた泣いた。
葬儀が始まって、亡き骸を見たとき寝てるんじゃないかと思った。本当は質の悪いドッキリなんじゃないかって思い続けた。
それでも時間は進んでいって火葬場に行かなきゃいけなかった。吐きそうだった、世界が歪に見えた。これは夢だからと自分に言い聞かせた。そうしないと自分をだましていないと世界の速度に追いつけなくなっていた。
煙が見えた後、もう一人の幼馴染とふたりで骨を拾った、すべての時間が夢ならどんなに良かっただろうか。
現実感がないまま、時だけが進んで思考が置き去りにされていく。
私は生きる意味が減ってしまった、こんな苦痛を味わって生きた先に待っているものは何だろうか。
時間が解決すると皆が口をそろえて唱える、ヒーローがいない世界で、長い時間をかけて何が解決するんだよ。解決ってなんだよ、人が、私の大切な人が死んだんだ。もう会えないんだよ。
私は救えなかったし、救われなかった。
眠れない日々が続いて、毎晩私は彼への後悔と自分の不甲斐なさにイライラして泣いて朝が来る。
この後の人生、人のふりをしていきていけるといいな。
どういたらいい、教えてくれよヒーロー
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。
以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。
『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。
おすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』
ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。
ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代の価値観が垣間見える。
例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心の象徴としてジミニー・クリケットという名前のコオロギが登場する。この「ジミニー・クリケット」という名前はジーザス・クライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。
『ピノキオ』自体は退屈な作品ではあるものの、歴史や時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会に要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。
ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。
『バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編の物語映画はなく、とくにおもしろい作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリに総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。
この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観が三位一体となった教育映画が制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカの外交・安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。
丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。
『シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリー風ドタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないものの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出に成功する。
『眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツでクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品の作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。
ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫の悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。
『ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パンも未成年淫行で炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。
『わんわん物語』では都市的自由を謳歌していた野良犬がペットとして不自由な幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義と無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。
おすすめの作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』
『眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフな描線で作品が構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的に不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。
技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。
『おしゃれキャット』は金持ちのペットが使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニーは節操のなさがすごい。
この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。
前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワークや作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的な3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立のメタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種が共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴的である。
『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。
シャーロック・ホームズの翻案である『オリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろいものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児のパンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者の集中力が乱される。
おすすめの作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』
この時期ディズニーは批評的評価・興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。
たしかに作品のクオリティは過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新や価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンスの言葉通り、ある種の保守回帰の時代に当たる。
おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術やテーマ設定ではなく、安定して高品質な作品を量産する社内の体制や組織づくりの技術にあったのではないか。
個別の作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。
『美女と野獣』でははっきりと他者理解をテーマに打ち出し、また女性主人公が男性からの求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え。他者を尊重することを覚えた野獣が救われ、他者の存在を最後まで容認できなかった村のヤンキーは破滅する。主人公が読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解はプリンセス側に一方的な負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。
『ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略・植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカンの民族系団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。
『ターザン』もインディアンをゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後に白人研究者たちがゴリラの部落に居残ることでギリギリのバランスを取っている。ここにはターザンとポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。
『ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画で障害者の活躍を描いた点は積極的に評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者を積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本のコンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである。東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。
そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術の進歩を見て取ることができる。
みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり、2D映画最後の全盛期に当たる。
作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスものの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要な作品である。
自分の欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命体スティッチが、貧困家庭のネグレクト問題とSFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画から細かい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。
残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観のアップデート」を図ることになっていく。
『アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディアや宮崎作品みたいなものをアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公にオタク青年が採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公はイケメン・マッチョではなく非モテ・オタクが主体となっていく。
『白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテの小人たちが「社会的にただしいとされる」物語の主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本のアニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板なキャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。
『ブラザー・ベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。
続く