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はてなキーワード: 注釈とは

2020-10-18

昨日買った音声作品

【緒言】

 シチュエーションBL作品わず、刺草ネトル氏、四ツ谷サイダー氏、新堂大輔氏の作品を追っているが、BL作品の新作のペースが(裏名義では)芳しくない。同人BL音声のエロ化作品が好みであるため、同人作品にも出演している声優開拓することを目的とした。

 複数作品試聴を行った結果、「はああん」のような抜けた喘ぎ声が耳障り良く、また邪な気持ちも抱いたため、一夜愛氏が受けの作品を2作購入した(1)。



【作評】

1.『雌堕実習』

 快活な教育実習生が生徒に迫られ開発されていく王道ストーリーだ。一夜愛氏は実習生役であった。爽やかかつ少し緊張の入った青年ボイスが似合っていた。生徒役の二回戦中氏はごく普通の、少しゆったりとした生徒、といった演技が可愛らしかった。

 シーン切り替えに行為音声のフェードアウトを多用しているのが勿体なく、フィニッシュまで描いた後切り替えであれば嬉しかった。先生と生徒という設定にしっかり、授業中ローターを挿入して…というシチュエーション描写したのは高評価だ。その後の休み時間では堕ちきった先生の雌喘ぎが最高だった。普段生活と雌堕ちのギャップを演じきっていた。




2.『男騎士が「くっ、殺せ!」って言うからメス調教してみた1』

 言わずとしれた「くっ殺」で、わかりやすタイトルの期待を裏切らない内容であった。調教を行う宰相役はAki氏が務めていた。騎士としてのプライドを持ち、果敢に立ち向かうが、体は調教により敗北していく様をしっかり声で表現されていた。一夜愛氏は雌堕ちがお上なのだと感じた。

 原作を未読なため世界観に馴染めない部分が有った。また、タイトル的に続編が作られるようだが、原作の試し読みをしたところ、姫らがギャグ漫画のような行動をしていたため手に取らないかもしれない。ただ、調教の数々や掛け合いは本当に素晴らしかった。






【結果】

 一夜愛氏の声は、かなり腰に来るシーンも多く、これから情報を追い、好みの作品に出演された際は購入する。次回買い物をするときは、氏の、シチュ音声で気になっていた作品カートに入れることを決めた。

 声優買いは刺草ネトル氏と四ツ谷サイダー氏、情報を追いつつ選んで購入するのは新堂大輔氏と一夜愛氏となった。購入した作品は暫くリピートするため、また半月からひと月後に先の4人の新作、あるいは新たな声優買いをする。


注釈

(1)>邪な気持ち

『君に捧ぐサディスティック』で拝聴した三浦祥朗氏の愛らしい喘ぎに似ていると感じ、ジェネリックになれば良いと考えた。失礼な感情であるため注釈に記す。

2作品試聴後の声質の感想としては、通常の喘ぎは柊三太氏と春野風氏が近いかと思う。高音の抜けたような声はとても可愛らしく期待通りだった。裏と表の方を混ぜて並べてしまったのは申し訳ない。

カッペとの会話で一番荒れるのって車の話題だよな

あえてカッペと言う見下した言い方をするのは

やつらが「自分価値観以外のパラダイム認知するための脳の容量がゼロから」な。

そうじゃないただの地方在住者をカッペとは思いません。

 

 

でさあ、

ネット何気なく雑談みたいなことしてて

カッペが突然激昂してくるのって必ず車の話題なのよ。

 

俺が自家用車がない家庭で育ったってことを何気なく言うと

「あっふーん(察し) 相当貧しかったんだ?」みたいな反応が返ってくるわけ。

え?いや親父は慶応卒でいいとこ勤めてて年収はかなりだったよっていうと

もう「嘘だ!」ってブチギレて発狂してくるわけ。

 

何にキレてるのかさっぱりわからなかったけどなだめながら話を聞くと

「車を買えないならしょうがないが、車を買えるのに買わないということはありえない、認められない」

っていう話らしいのね。

 

当人も何にキレてるのか整理できてないんじゃないかってぐらいキレてくるんだけど

要するに車マスト価値観否定されたことに対するショックがすさまじいっぽいわけ。

 

俺もさすがに

いやなんでそんなに怒るのかわからん

特に不自由も感じずそれで育ったし(「休日に出かけるとき電車!?みじめじゃないか!」って言われた)

だっていうけど顔も知らないあなたにそんな微妙な嘘をついてなんになるの

っていうんだけどまあ信じないし落ち着かない。

 

   

要するに田舎しか暮らしたことがない人と首都圏暮らしてる人間の断絶な訳よ。

俺は生涯首都圏だけど、地方で車がマストだし便利なんやろな―っていうのは想像は出来る。

震災後に福島観光に行ったときはあーレンタカー借りればよかったんだなって思ったし。(まあペーパーだから知らんとこ運転する自信なかったけど)

 

でもなぜかカッペはその逆の想像全然できないのよね。

できないかカッペなんだけど。

首都圏だとあなたが日々実感してるような自家用車の有難味が全然感じられないし

駐車場代とかも田舎とは比べ物にならないし、かわりの交通機関も発達してるし、

ライフスタイルにもよるけど自家用車持たない選択全然あるんですよ

ってことがどうしても認められない。

 

この「認められない」ってのが重要なんだけど、

単に想像できないって言うのを通り越した「認められない」の気配を感じたのよね。

車と言うのが一種信仰対象心理的安定感の要になってるので

車が要らないっていうのは別のライフスタイル示唆をされるという以上に

自分価値観人生に対する根本的な否定として受け止めてるんだなって

何度かその種のカッペとやりとりするうちに段々わかってきた。

 

 

どっかの砂漠の民に「ラクダは持ってねえし要らないですね」って言ったら

「そういう民族も居るのか…想像したこともなかった」ではなく

「我々の生活と魂と祖先根本から否定したな!」ってなるかもしれない。

カッペ自動車要らねえって言ったときあいつらの激烈な反発はそういう感じの作用が心の中で起きてる。

 

 

 

https://anond.hatelabo.jp/20201017180336

こいつは俺が過去に遭遇した砂漠民族カッペよりは知識的には「外の世界」を認識してるんだけど

それでも根っこの部分で自動車に対する心理的な何かがあるよね。

こいつらのそういうぶぶんを察知せずに「自動車ツールとしての便利さ」「環境の違い」だけで話をしようとするとどこまでも荒れるのよ。

カッペが本当に認めてほしいのは自分達の車に対する愛着とその文化なので。

そこを自分客観化も出来てないので一方的にこっちが察知・洞察して配慮してあげないといけないのがめんどいんだけど。 

 

返信

baikoku_sensei これだから 田舎ゲイは嫌いなんだ! 人口密度低くて ゲイ人口も少なくて 人と接する機会が少ないかコミュニケーション 能力が育ってない!

あれはむしろエスコートマナーや会話のとこでお前のそれ未熟やんてなってるだけだから

異文化コミュニケーションとしてはむしろ圧倒的に「通じ合えてる」方なんだよな。

同じ尺度や同じ欲望の中であなたはまだまだですっていうだけ。まるっきり同じ輪の内側。

ゲイという独自文化や男のチンポと言う強い目的が他の色んな差異を埋めてしまえてるんだ。

  

Tmr1984 都内乗用車めちゃめちゃ走ってるのに。さてはテメエ東京エアプだな笑

2020/10/18

誰が「都内自家用車持ってる奴おらん」とか書いてるんだ?

テメエはまず日本語読めるようになれ。

Yutorigen 都会に住んでて車持ってない側だけど、この価値観と同一だと思われたくはない

あのさあ

俺がどのような価値観をここで提示してるの?

自身は車に乗らない(必要としてないし車へのフェチズムや憧れも全然ないペーパードライバー)けど

自動車を持つことについて否ともなんとも言ってないよね

田舎では自動車必須だろうけど首都圏ではなしという選択も有り得る」ぐらいしか言ってない

 

俺の文章が偉そうなのは認めるけど何らかの価値観の話なんかしてねーのよ

から上の奴と同じで、日本語読めるようになれ?

 

mayumayu_nimolove 内容がひどくて3行読んでやめた。せめて読ませる文章作らないと誰も読まないよ。

読んどるやん

で、お前はカッペって言う差別用語拒絶反応を感じたからやめたんだろ?

それはまともな感覚だけどその自分が何に拒絶を感じたのかっていうのを客観的に把握して正直に表現してほしいわけよ

 

nenesan0102 そういう人いるけど、あまり想像力がなさすぎて会話が成り立たないよね…。増田大変だったろうな。都心部だと電車、たまにタクシーが一番安い

2020/10/18

同意してくれてありがとうだけど

この文の主旨は「カッペ自分文化の外を想像できない」じゃなくて「カッペにとっての自動車ツール以上の精神的な何かだよね」だ

まああんたのそれもまるで不正解の回答とは言わんけど

 

sakuragaoka 東京自動車運用が著しく不便な土地なので仕方なく公共交通機関使う場所、と思ってる。保有はしてたけど普段の移動はやっぱり電車が早いし。

そうね

東京で車乗る人は多かれ少なかれ車の所有とか運転体験とかなんかしら趣味性を持って好きっていうのはあるでしょ

そしてそれはたぶん田舎在住者の無いと死んじゃうツールとしての切実さや砂漠ラクダとしての愛着って言うのとは重なる部分はあっても全く異質な部分もあると思う

 

kbeee そんな反応するのならアキレス腱なんよ、それは。なかったら精神が路頭に迷うくらい。

うん

まれときはムカついたんだけど

そのうちにああこいつらにとっての車はなんか侍の刀とか牧畜民族の羊とかそういう市民権や豊穣を象徴する何かなんだなっていう気付きを得た話なんだよね

 

sangping 要するに都会暮らし自体が不便なんだよな。どう考えたってドアtoドアの車の方が便利だもん。自らの気の毒な境遇自覚していない都会人の価値観他者理解されにくいのは当然だが、当人はその方が幸せなのかも。

ごめんそういう話はしてないし全然興味もないから賛成も反対もしないし勝手にやってくれ

自身はそんなに都会のメリット享受してないし田舎暮らしいいなーって思うこと多いよ

人間関係とかうざそーみたいな消極的理由移住までは出来んけど

 

differential “俺は生涯首都圏だけど”都民じゃないのか笑(マウント)/うちは使用頻度低いから売ったけど実家(都心)も車持ってたし周囲も車持ってる人多いよ。通勤圏の県住みの人はもっと保有率高いと思う。

東京横浜をウロウロする人生だけど

土地に対するコンプレックスとか全くないのでそういう感じの(笑)マウントが全くわからない

それをやる人はかなりそういうコンプレックスがあるのねー、としか

一番愛着感じてる町は小学生の時住んでた江東区だよ 夢の島ゴミの島)とかに隣接する人気のない感じが好きで好きで

 

hyoutenka20 地方民も仕事大学等で東京に行く人は多く、地方にいても東京マスコミ情報ばかりで東京生活認識できてる人が大半 

想像力や視野とかの話をすると、ずっと東京住まいの人の方がどうなのかな、と思うことはある

ちょっと面白い指摘だけどねー、これは逆なんだよ。

東京生活東京に住まずにメディア情報だけ見ててもやっぱりわからない。(逆も同じ)

なのに地方に居ながら東京情報を見せられ続けてるとどうなるか?

完全未体験なのによくよく知悉してると勘違いするようになるんだよ。

 

これはどのジャンルでも恐ろしいことよ。

たとえばオタクって空手合気道が戦ったときの相性について得々と語れる奴いるのよ。

どっちも自分でやったことすらないんだけど、刃牙とか格闘漫画でよく出てくる構図だから

空手の打撃はこういう風に合気道にさばかれちゃうって「知って」るわけ。

そんな感じで格闘技とか筋トレに関する事って全く未経験なのに一家言持ってる男は結構いる。

漫画をはじめとしたメディアで変な情報は沢山載るので、それを見てるうちに「ちょっと、いや結構知ってる」って気分になるの。

バーベル触ったこともないくせにウエイトトレーニングアドバイスしてくる奴マジでいるからね。

もっとすごいのだと、スポーツクラブでどこにも筋肉がない体の奴が明らかにやってる身体の人に何か助言してるのを見かけたりする。 

 

何が言いたいかと言うとメディア情報では実態を知ることどころか想像力すら養われないし

「何も知らないのに知ったような気になる効果」に自覚的で気を付けない人には小さくない害ですらあるということ。

土地に対するコンプレックスがある人も憧れがある人も、知らないんじゃなくて「中途半端によく知ってる」状態なんだよ。 

俺はどの土地が恥ずかしいとかどの車が恥ずかしいとかそういうコンプレックスが全くないけど、それはそもそもまりにも興味がなくて知識が全くないからなのよ。

そういう格付けとかを気にする奴は土地ランクや車のランクに滅茶苦茶詳しい。 

住んだこともない土地や乗ったこともない車についてメディアから大量の情報を取ってる。

 

summoned 雑に広範に刺さる蔑称を使っておいて、「これはこういう意味で言ってるのでありまともな人には言ってません悪しからず」って面倒臭い注釈で反撃封じる言説は卑怯かつ放置すると本来蔑称意味で広まるんだよな

そりゃ俺だってリアルではこんな常識疑われそうな言葉は使わんけど

はてなジャップだのマイルドヤンキーだの始めいろんな蔑称が常用されて許されてる治安悪い場所じゃん何を今更って感じ

人の言葉遣いに突っ込むよりも自分の口や自分のいる場所に注意力持った方がいいぞ

 

kamezo わかりあいたいなら「カッペ」とか言ってケンカを売るようなことをしなければいいのに/それでもわかりあえないこともあるが、それはまた別の問題よな。 コミュニケーション

分かり合いたいなんてどこに書いてんだ

本当に文章の読めない奴が多いよな

俺の読みやす文章が読めないのは相当不味いぞ

 

俺はこのエントリで「カッペの生態や精神世界はこうなのではないか」という観察所感を発表してるんだから

元々カッペに対して失礼な文章であってこれはカッペと言う言葉を「地方在住者の中の一部の我の強い方々」とかにしても本質は変わらん

まりこの文章カッペに語り掛けたり分かり合おうとしたりしてないわけだ

この文章カッペと分かり合おうとしてるつもりだとか言ってたらそっちの方が傲慢なやべーサイコパスだと思うぞ

 

HEXAR 増田都内以外の地域で車を所有している人たちの暮らし価値観が分からないのはもったいない気がする…相手は決して見下す対象ではないし車があるとどういうところに遊びに行くの?とか聞いてみればいいのに〜

あのさあ

からさあ

俺は車に乗らんけど車必須な人や車が好きな人や車がラクダな人の生活否定はしておらんの

というか意味わからんぐらい車好きな叔父かいてなんか有名らしいオープンカーに乗せてもらったりするの(けどそれの名前全然覚えられん)

 

興味はないけど別に車を嫌ってはいないしただ運転には自信がないしそんなに車で出かけたい場所がない生活なだけだよ

誰が「自動車好きの奴うぜーわー 車なんか買う奴バカだわー」とかいう話をしてんだよ

そんな話は一ミリもしてねえわ

 

お前は別に攻撃的な感じでレスはしてないんだけどさあ

人の話を一ミリ理解してない、全く日本語読めてないって点で

ちゃんと読んだうえで俺に突っかかってくる奴(こいつらには何の悪感情も持てない)とかよりはるかにウザいんだわ

お前みたいなのはほんと、ちゃんと人の話を理解する能力付けた方がいいよ?

 

俺の今回の話も「全く予想外なわけわからんキレ方をする異文化の人をなだめながら話を聞きだしてその人の背後の生活精神世界を探って言語化してみた話」なわけ

関心と理解レベル40ぐらいの話なわけ

お前はレベル3もねえよな

そりゃお前は表面的にはスマートで行儀も悪くないのかもしれない

けどそうやって攻撃的じゃないポジティブな感じの口調で飾ってたって

関心や理解レベル3未満ならそれは無能だし、会話してて面白くねーし、もっと端的に言えばバカって言うんだよ

カッペみたいな差別語使う俺よりお前みたいな行儀がいいだけの無能の方が対人関係においてはよっぽど無礼だし見るとこなしだと思うのよ

 

kurotsuraherasagi 「貧しかったんだ」っていう方も「親父は慶応卒」って煽り返す方も余裕ないなあ…

あっ

これは全然違う

 

「えっ車がなかった…(察し) 貧しかったんだね」っていうのは

そのカッペ氏はほんとにそういう風に察してただけでこっちを気遣うニュアンス発言だった

煽りだなんてとんでもないしそこまでは普通に和気藹々と会話してたの

  

カッペ氏が突如猛烈にキレだして険悪になったのは

俺が「全然貧しくはなかったけど自動車は持ってなかった」ことを理解してから

 

俺が別に貧しくはなかったよってのもただそれだけ言っても信じない(自動車持ってないのに貧しくないなんて!)勢いだったか

作り話では用意しにくいディテール付きでむしろ裕福だったよって言う説明をしたわけ

カッペ氏の様子が激変したのもそういう説明の中で「裕福なのは嘘じゃない」「でも自動車は持ってないらしい」ということを理解してからだった

そのキレるタイミングやキレかたが不思議過ぎたからなんじゃこれって印象に残ったし、なだめながらなんでキレてんのか探っていったのよ

その後似た感じの相手に数回遭遇して仮説を立てて確信を深めていった 

 

…っていうこれもなあ

最初からわかるように書いてると思うけどなあ

なんで家が裕福だとか言っただけで煽りだとかマウントだとかに直結するんだ

読解力がない上に発想の貧しい人達だな

 

dogear1988 この手の摩擦にはグラデーションがあってな。本当に一方的発狂されたなら同情するが、車や地方欠点を論った上で自分文化圏を正当化する人間は都会側にもいるんで、そういう可能性を考慮すると何も言えない。

俺が「貧しくはないけど自家用車はなかった」と説明して、それが事実だと悟った瞬間にカッペ氏はキレた

つーか俺は車について興味も知識全然いから利点も欠点も語りようもない

よく積極的自家用車不要派が言う維持費がどうのこうのの話だっていくらかかるのかとか全く知らねえんだからさ俺は

そういう車文化土地文化の衝突に何の興味もねえって何度も何度も書いてんじゃん

免許もむだにMTで取ったままゴールデンペーパーだわ 

dogear1988 価値観の押しつけなどへの反発には賛同するんだが、結論追記で「車への愛着自体揶揄してるのはアンフェアじゃないかね。寧ろそこを認めないなら「ライフスタイルとしての尊重」とは言えんのでは。

えっ どこがよ?

カッペの車は侍の刀や砂漠の民のラクダなんだねってとこ?

そこを揶揄だと思うのはお前の自覚の方が足りてないだけだよ お前は武士ベドウィン族より何か進歩してるつもりなのか?

我々はみんな刀やラクダの代わりの何かに執着して生きてるんだよ

でも現代ではそういうのはだんだん内面的な対象に引っ込んでっているから今回のカッペのように外部的なもの生活や魂や権利概念がこもってる感じの執着のあり方は予測がつきにくかったし面白かったわけ

お前もお前のラクダは何なのかを考えてみるといいよ 

 

memoryalpha しょうもないマウンティングなんて頼まれてもないのに隙を見せてるようなもんだから可愛いもんです。愛でてあげましょう。ただしルサンチマンこじらせてるやつは相手してはいけない(´・ω・`)

違う

カッペ氏はマウンティング煽りなんかしてない

自分生活や魂を根本否定するような異星人に遭遇して驚愕し混乱しキレてた

って、もう何回書いても無駄だなこれ

 

日本語読める奴は俺がくどくど注釈しなくても読めるし

読めない奴はどう説明したって読めねえんだ

 

kyo_ju まぁ日本社会貧困化がさらに進むと、公共交通が死んで自動車保有必須な状況をいいことに"クルマにかかる金(税・保険その他を含め)を払うために1ヶ月働く"ようなところまで搾取が深刻化するかもしれない。

こういう「元からどんな話題でもそこから何も受け取らず自分の言いたいことを繰り返すだけ」みたいなidの方がよほどムカつかずに見れるよなそういうコオロギみたいで

りーんりーん あべしねー にほんしねー

みたいな

秋も深まってまいりました

 

sin4xe1 堀江みてーな奴 増田

リアルでたまに古市みたいって言われることある

俺はあいつ嫌いだったけどよく知ってみると確かに考え方は似てるかもしれない

から見ると古市は相当おせっかい無駄減らず口が多いが

 

文字数限界になったからこれで終わりだ

2020-10-12

キャプテン翼に救われた同人女の話

キャプテン翼に救われた同人女の話

2020年コロナ禍やコンテンツへの疲弊により同人活動を続けるモチベーションが右肩下がりの同人女出会ったのはキャプテン翼でした。

今なお展開されている長寿巨大コンテンツにめちゃくちゃにされ救われた同人女の話です。


経緯

原作小学生編の公式無料配信

2020年9月同人女同人活動に対しての熱を失いかけていました。好きだったコンテンツに対する不信、疲弊負の感情が大きくなるばかりで一時は創作意欲がなくなるほどでした。このまま惰性で続けていても疲れるだけでは?と同人活動のものに対しても疑問を持ち始めたその時、友人に勧められたのがキャプテン翼でした。

何も知らない自分に散々壁打ちし今なら公式小学生編が配信されていると情報を添えた友人、今では感謝気持ちしかありません。

勧められたのが大型連休中だったのもあり、最初暇つぶしに丁度いいと軽い気持ちで読み始めました。

これがすべてのはじまりでした。

まず最初漫画のものの質が高いことに驚きを隠せませんでした。

大胆なコマ割り、魅せるページ展開、秀逸な視線誘導、正直言って漫画がめちゃくちゃにうまい漫画はこんな風にも描けるんだという感動がそこにありました。(連載開始時の作者のご年齢が20歳なのを最近知って膝から崩れ落ちました)

また、話の展開が自分イメージしていた爽やか青春物語ではなく、サッカーにかける情熱や夢を抱き泥だらけになりながらも、ときには選手生命を絶たれるレベル怪我を負っても前へ進む非常に泥臭い物語(を絵柄も相まって爽やかに描かれている)だったことが衝撃でした。

サッカーは夢である主人公サッカーはひとを繋いでくれるものである親友サッカー家族を養うための手段であるライバルなど、様々な事情や信念を抱えたキャラ達が繰り広げる試合はアツくもあり、面白くもあり、感動させるものでした。

初期の絵柄は小学生がメインだったのもありすごーくかわいいです。みんなもちもちしてて本当にかわいい主人公大空翼(※1)は基本走り回っている。かわいい

小学生達のかわいさにボディーブローを受けながらも正気を保ちつつ小学生編は作品のもの純粋に楽しみ夢中で読みました。小学生編までは。


・予感する中学生

小学生編を夢中で読破し、はやく続きが読みたい!という思いでここから文庫本を揃えていきます。興奮を抑えつつ漫画を買ったのは本当に久しぶりでした。

中学生編は小学生から3年経ち大空翼中学最後全国大会前人未到V3を臨むところからはじまります

小学生時「ボールはともだち!」とチームメイトを励ましていた大空翼にその面影は薄く、ストイック勝利を目指すキャプテンとして成長。大会前に気が緩んだチームメイト紅白戦ボコボコにし叱咤激励する姿を序盤から見せられます

空白の2年間彼は何を思ってどう過ごしてきたのか、公式の隙間を妄想するのが好きな同人女はここで「なるほどね」と訳知り顔になりました。

中学生編では数々のキャラクターにスポットが当てられ心情を丁寧に描かれています小学生編でも登場したライバル達は個性サッカー技術さらに磨きをかけて再登場、元チームメイトだったキャラ達もライバル校として登場、個性溢れる新キャラも続々と登場します。

そして個性があるだけ、ドラマがあります

小学生編のアツい展開はそのままでありつつも精度は増し、さらには技名まで導入した中学生編(有名なスカイラブハリケーンはここで登場します)が織りなす数々のドラマは読むひとの感情許容範囲を容易に越し言葉では言い難い何か熱いものが溢れるばかりです。

大空翼の最大のライバルである日向小次郎(※2)のドラマ中学生編の成長ポジションとして大きく取り上げられ、笑いあり涙あり感動ありで気分はまさにジェットコースター。おれ(読者)を置いて行くな。

最後試合である決勝戦では感情が高まりすぎて泣きました。なぜそうまでして今の試合に全力を出すのか。少年達がサッカーにかける情熱に思いを揺さぶられました。

わたしにも情熱をかけれるものがあったはずだ…。

少年達が試合を通して成長していく姿、情熱、絆、そのひとつひとつ描写に何かを予感しながらも中学生編では松山光(※3)が好きになりました。


狂気ジュニアユース

中学編の全国大会が終わった数週間後、ジュニアユース日本代表として選ばれた全国のサッカー少年が集まり世界に挑むのがジュニアユース編です。

これまで戦ってきたライバル達が同じチームメイトとして勝利を目指す、もはやこの時点で頭がおかしくなりました。

さらにそこに加わるのは小学生時代大空翼と共に活躍し、その後は海外に渡った元チームメイト。もはやドリームチームと言わざるおえません。だってみんな好きだから

最初海外の壁に打ちひしがれる全日本、寄せ集めのチームでそのボコボコぶりには少年漫画ならではのものがありました。

キャラの見事な役割に唸りつつも、全日本の「みんな同じチームにいる」という事実に慣れず刺激が強すぎて本を綴じることも増えました。どうしてみんな同じチームにいるんだ…(日本代表からです)。

キャラである海外勢も魅力溢れる子ばかりです。最大の敵であるドイツをはじめ、フランスイタリアアルゼンチンと国ごとに個性が違い魅了されてばかり。出てくるキャラ全員かわいくて本当に困る。

中でも情緒をかき乱されたのがフランス戦。強敵フランスに挑む全日ひとつ目標に向かってみんなが一丸となって戦う姿には涙を誘うものがあります

怪我により次の試合にはもう出られないと悟った選手は今この時を全力を出して戦うと覚悟を決め、死力を尽くすシーンはあまりにも痛々しく純粋情熱的で胸を打たれました。

ジュニアユース編は読者の情緒を乱すだけ乱し爽やかに完結。完結の文字を見たときは「この作品出会えてよかった」と、致命傷レベルの傷を抱えながら思いました。

ありがとう全日本ジュニアユース。最高のチームだった。みんなかわいすぎる…そんな狂気ジュニアユース編を経た同人女に出来ることはただひとつペンを手に取ることだけでした。


・救済

アツい展開を見事な演出で盛り上げる、一冊一冊が持っているエネルギーが爆発的で毎巻読み終わるごとに息切れをしているかのような気分になりました。

キャプテン翼から受けたエネルギーは計り知れず、その有り余ったエネルギーは失いかけた創作意欲を取り戻し、いつかの自分が出来ていた作品純粋に楽しみ、全力で遊び、片手間に創作をすることを思い出させてくれました。

もう少しはやくハマっていれば…と思うところはありますが逆に今だからこそハマれたのだと思います。今ハマれてよかった。

生きるのがめちゃくちゃ楽しいと死に物狂いの中感じています

そしてキャプテン翼は今なお連載中の作品です。ここまで話したのは「無印」の話。ここから先も「サブタイトル付き」で大空翼達の物語は進んでいきます

さらに今年8月に発売されたゲーム(通称RONC)も盛り上がりを見せるばかり。

自分キャプテン翼という巨大コンテンツのほんの端くれしか味わっていないのだと思い知らされると同時に、まだまだ楽しめるんだというワクワクが止まりません。

ありがとうキャプテン翼。こんなに情緒をかき乱す作品だとは思いませんでした。

今後の展開も楽しみにしつつ、ジュニアユース編のアニメ化を心から期待しています


注釈

※1 大空翼主人公永遠サッカー小僧。中学生編ではあまりの強さに調整(怪我)がはいる。

※2 日向小次郎主人公最大のライバルキャプテン翼では珍しい特訓シーン有。猛虎(にゃ〜ん)。

※3 松山光北海道代表キャプテンハチマキが印象的。粘りのキープ力と雪国で鍛えられた強靭な足腰、そこから繰り出す地を這うロングシュート、そして不屈の精神が売り。常にチームのことを考え仲間の思いを背負い戦っている。大空翼日向小次郎などのサッカー天才に比べて自分にはそのような才能はないと認めつつも卑屈にならず努力を重ねて勝利を目指した努力の男。その姿にチームメイトは常に励まされついてきた。あまりにも人間として出来ている。元は中盤のポジション(MF)だったが持ち味を買われて世界大会では守備の要(DF)としてポジション変えをしている。背番号は「10」であったが、大空翼に譲りさら大空翼親友に「11」を譲り自身は「12」となっている。気遣いの塊である。良さしかない。推しです。

2020-10-06

Google検索で困ること

自分比較Google検索する回数が多い人間だと思うが、

最近よく言われるような「ゴミ情報邪魔で本当に欲しい情報が出てこない」という実感に乏しい。

どちらかというと昔のサイトが消えているほうに危機感を覚える。

最近Naverまとめが消えた。

Naverまとめ古典注釈書のようなもので、

すでに消えているサイト引用から元の記述類推することもできた。

最低限、消えたサイトURLがわかるだけでも便利だった。

嫌われものの「いかがでしたかブログ」も似たような特徴がある。

ある話題に関する情報を大雑把にまとめてくれているので、

それをもとに自分で真偽を確認すればよい。

どちらも検索のとっかかりになる情報提供してくれるもので、

「一発で正解を取得したい」という目的には向かないのかもしれないが、

個人的にはそこまで邪魔に感じない。

無駄情報を除外する検索はいくらでもやりようがあるが、

情報がなければどうやっても検索はできなくなる。

データが増えることよりも消えていくことのほうが問題で、

大きなサービスが停止するとき政府データ移管して

閲覧だけでも保証してくれるような制度必要だと思う。

あと、5chの過去ログ歴史を振り返るのに非常に有用なのだが、

Googlebotが上手く日付を取得できないのか日付指定検索があまり信用できない。

日付を取得できていないページが多いので、

日付指定をした瞬間にそれらが除外されてしまうのだ。

こうしたところは改善してほしいと思う。

2020-10-05

nmmnを楽しむということ

それは実在する人物を元にした二次創作

広くいえば、実在する人物たちの日常出会い生活想像するもの

よく使われるのは、実在する人物同士をくっつけて関係性を深掘りするもの

狭くいえば、実在する人物同士が(おそらく恋愛対象となる性別でないと思われるにも関わらず)恋愛をする様子を描いたもの

これらを、小説、絵、漫画MADゲーム、その他さまざまな手段で表す。

nmmnに関する、よくある最悪のニュースといえば

「○○と××のBL小説を、本人である○○もしくは××が読んだ(加えて、本人たちが決して喜んではいなかった)」

というものである

最悪である。せめて注意書きと簡単パスワード必要である

(たとえパスワードの答えが"1"であったとしても、である。読者に対して注意書きを読んでから回れ右できる機会を与えるべし)

まずは一般の方、つまりnmmnはまず見ないよ」という方へ。

上のような最悪な出来事は誰によって引き起こされるのかを知ってもらいたい。

結果として2パターンである

著者が自ら公衆面前晒したか、著者ではない人が勝手公衆面前晒したかである

前者はクソであるnmmnをひっそり楽しむ界隈から是非とも消えてほしい。もしくは更正してその文才を適切な場所で発揮してほしい。

とはいえ自ら書いたものを自らの意思晒したという点では、まだ救いようがある。悪意めいたものがとりあえずは存在しないかである

後者もクソである。そして後者は前者よりクソ野郎である。というか何勝手他人創作物別のところに晒しとんねんアホか。

この後者は本当にどうしようもない。ただ、ただ一応救いとしては、「自分の好きなものを他の人にも見てほしいから」という思いなのであれば、救いはある。そう、「他の人が書いたもの著作者許可なしに転載するな」。 無断転載ダメ絶対

救いようのない奴は、残念なことに存在する。悪意をもってそれを晒したやつである

著者はきちんとわきまえた場所に出し(検索避けもして)、注意書きを載せ、パスワードをかけた。著者はできることをした。

しかゴミ野郎はわざわざパスワードを解いてまで、中にある小説やら絵やらをコピーだのダウンロードのして、別の場所転載した!もちろん無断転載である!悪意ある晒し行為である!なんでそんなことするの?「気持ち悪いよね」って共感してほしいの?ああ、そう。

このように、最悪な事件は決して書いた人が自ら晒すことだけによって起きるのではない。悪意を持った第三者によっても十分に起こり得るのである

注釈であるが、「じゃあはじめからそんなもの書かなければいいじゃん / 読まなければいいじゃん」という意見は、賢い諸兄姉であれば無意味であることはお分かりだろう。

少なくとも日本国においてはnmmn法律的に禁じられたものではない。加えて、たとえエグい内容であっても、検索避け・注意書き・パスワード等、「誤ってURLを踏む等しても目に入ることがない」のであれば、それはその存在否定されるべきではない。存在を認められなければならない。レッツ現代国家

次は「そんな最悪なニュースを見たとき、またはその事件に出くわしたときのかまえ」である

これは結果として一つである。「無視または無反応を貫く」。これ一択である

どうしてもこれができないときは、「まあそういうのもあるよね」で流す。流せ。何か特別思想がない限りは流せ。ことを荒立てるな。

nmmn駆除して消えるもんじゃない。人間複数人生きる限り必ず存在し得るからだ。

反応をするな。反応した奴にも反応するな無視しろ。要らん火を燃やすな。お願いだからもっと人類が生きやすくことのためにその熱を使ってくれ。誰かを生きにくくすることのためには決してその熱を使わないでくれ。

というわけで、「晒しニュースには無反応」。これ一択である

(一緒になってnmmnを叩くやつはアホなので死ね)

さて、ようやく本題である

私たちは如何にしてnmmnを楽しむか?」である

(この先、筆者はML(BLではない)を中心とした好みのため、BLGLNLに寄りきれない内容になる可能性があることを先に謝っておく。)

まずそこの腐女子。目の前の男子二人がいちゃこらしてるからって真っ先に盛り上がるのをやめろ。彼らは付き合ってなどいない。

そしてそこの腐女子バラエティ番組で絡み合う同グループアイドルらを見て鼻血を垂らすのを止めろ(抑えろ)。彼らは付き合ってなどいない。

最後にそこの腐女子公式が「二人で一泊二日の旅行に行きました」という情報を出したからといって「これはもう付き合ってるでしょ」というのを止めろ。彼らは付き合ってなどいない。

わかっているのなら良い。しかしすぐ「これ二人は付き合ってますよね?!?!」などと言うから「うわ腐女子消えろ」って言われるのだろう。そりゃそうだ。「実際にはあるかないかわかり得ないもの(そして可能性としては低いもの)」を「絶対そうだ」と決めつけるのである。正直このような決めつけはnmmnでなくても嫌われる。付き合ったらめんどくさいだろうと察する。

さて、ではどのように日々nmmnと付き合うのが良いのだろうか?

答えは「彼らは付き合っていないと理解すること」である

(ただし「彼らが実際に付き合っていることを断定して楽しむ」という人は別である。この答えは当てはまらない。)

「彼らは付き合っていない」と理解することで、「実際の彼ら」と「妄想の彼ら」を別に持つことができる。

そうするとどうなるか。

とにかく騒がなくなる(ただし耐えられないときは耐えられない)。たとえ彼らが同じ部屋で寝泊まりしようが、彼らだけでどこかへ旅行に行こうが、「いいねぇ」で済むのである。それは「実際の彼ら」に対する感想である

そしてその事実出来事を「妄想の彼ら」に適用して楽しめるのである。この2つの「彼ら」を決して混同することはないため、「絶対付き合ってるよね?!?!」というクソ腐女子ムーブで周囲がゲロを吐くことはない。人に菌を移さないためにマスクをするようなものだ。

あくまnmmnで作られる世界パラレルワールドであり、決して「この世界」ではないということを自覚することで、比較的「痛さ」を軽減することができる。あくまでも自分の中ではそう考えている。これが腐女子10年の答えである

最後に、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

一般の方と悪意ある人間nmmnの著者とnmmnの読者について、最近私が感じたことでした。

もちろんnmmn隔離された場所のみで展開されるべきであり、決して本人に知られるべきではない、というのは理解しております。そのため、具体的な固有名詞は出さず、複数のもの(ニュース出来事)がヒットするような書き方を心がけました。

加えて、nmmnは決して腐女子だけのものではないこと、nmmnを毛嫌う腐女子もいること、nmmnを好むのは女性に限らず男性にも存在することを記しておきます多様性大事nmmn固定観念は要りません。でも住み分け大事

これで全てです。ありがとうございました。

追記

どうして腐女子の方って人間に限らずモノでも事象でもなんでもかんでも掛け算できるんですか?私は腐女子に分類されますがそのような能力は持ち合わせておりません。できればこの能力についてご解説いただきたいと思いますが、一方でこれは研究対象にも成り得ます情報求ム。

追記2

「どうして私はnmmn楽しいと思うのか」が無かった。失態である

私の場合は「nmmnから」という条件で楽しんでいるわけではない。おそらくこれは他の方々も同じであろう。

やはり何らかの「対象」が先に存在しており、「対象」の性格等を理解していくことで、「あ、これ"いける"な」となるのであるイケメン語源である(不確か)。

それがアニメ漫画であれば単なる二次創作になり、それが現実人間たちであればnmmnになる。それだけである

しかし生身の人間で(恋愛以外でもなんであっても)想像することのワクワクっぷりは、きっと多くの人々が経験したことあるだろう。私のこれは、おそらくこの延長線上である

2020-09-20

anond:20200919212538

現在価値観と違うけど、作品執筆時の時代背景があるから、そのまま出しました。って注釈入れて出せばいい。

昔はこんな価値観だったんだと知ることができていいじゃん。

anond:20200919212538

現在価値観と違うけど、作品執筆時の時代背景があるから、そのまま出しました。って注釈入れて出せばいい。

昔はこんな価値観だったんだと知ることができていいじゃん。

「パパやってるね~」が嫌い。

まず、育児をやるのに性別にこだわるのは間違いだと思う。二人とも子育て義務があるし、役割分担としてどちらかが「金を稼いでいるから任せた」というスタンスだとしても、サブ的な役割として「できないことをなくしていく活動」は継続していくべきだと思うし、まして共にフルタイムなのであれば分担は必須だと思う。また細かいやり方に摩擦が起きることも多いが、それを避けるために常にコンセンサスをとるとか、時間的余裕のない現実と向き合いコンセンサス時間を省略するために役割としてのメインとサブを言外にでも設定することも間違いではない(定期的なすりあわせは必要)。

さて、タイトルの件。なんで上から目線なんだてめぇら。

育児参加する父親に対して「ほう、やるべきことをやってるなぁ~」みたいな課長のような視点でくんじゃねぇよ。何様だ?

断っておくと、その言葉が必ずしも不快なのではない。言い方とかその人間バックグラウンドとか、そういうものを加味して純粋気持ちで言ってくる場合は素直に嬉しい。しか普段から人を謎の評価したり、初対面(どころか未対面)だったりすれば、この不快感は出てくる。

「男は『ヨシヨシ』してほしいんだ」みたいな理屈をこねてくる奴もいる。もちろん誉められることは嬉しいことだ(受け手女性でも同じなんでは?)。だが「何様?」という態度でくることは違う。それはつまり『品定め』されている不快感があるからだ。裏側に男蔑視(もしくは男が言う場合の男側の世間の目を気にした卑下)を感じるし、「それに引き換え」的な他への攻撃出汁だったり「でももっと大変な人いるよ」的なクソマウンティングも見てとれる。反抗すれば「誉めてんのに何?」となるのは目に見えているので(裏側が真実の癖に表層で防御するクソヤロウ)、大抵は微笑みで「ハハハ…」と対応する。大抵はそれで終わるんだが、たまに満足せず「裏側」の話を追撃してくる奴もいる(「ママもっと大変で~」お前なんの責任もとらない他人だろ!)。そうなるともう「ですね~頭が上がりませんわ」と終わらせるしかない。最悪の場合そこから謎の説教が始まる。どの段階だとしてもともかく、イラッとポイント上昇であるイラッとポイント育児にも支障をきたす。こうなるともはや育児応援どころか育児邪魔である

まあこれは俺の私見だし良かれと思って言ってる奴にはかえって悪いなとは思う(まあ不快なんだが)。人は一人で生きていけないし、言うて受任限度だし訴えるほどでもないが、感じてることは書き留めたいなと思いかいた。これでSNSでハッシャタグつけて周りを焚き付けてギャオギャオしたりするのは間違っていると思うし。(公平のため注釈、この言葉には見え見えだが『裏側』を持たせてある。このくらいのことは人間するものだ。それで「いや誰もそうとは言ってないよ?」と表層で逃げることは嫌いだ。)

しか日曜日の朝は子供向け番組連発してくれて助かる。

2020-09-17

バレエチュチュスカートの中のフリルパンツ

今回もブルマーとは関係ないが

イギリス人ブルマー調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。

これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望暴走コントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性から自由になる手段であり、政治広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。

前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。

実際、チュチュスカートの中ってどうなってるの?

まずは以下の画像をご覧いただきたい。

https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu

これは、クラシック・バレエチュチュ基本的構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである

しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代チュチュとして、次の4つが挙げられている。

他にも、日本語版記事には、

短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキチュチュより長い。ドガ作品で多く見られる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Degas#/media/File:Edgar_Degas_-_The_Ballet_Class_-_Google_Art_Project.jpg

これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログ写真では普通スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。

https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/

http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg

チュチュの縫い方で調べたらもっと出るかもしれない。

結局、その下はどうなってるの? バレエパンツ問題

世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201

さて、ウィキペディアチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナ下着としてステージショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。

また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュである」との記載がある。

要するに、レオタードみたいになっている場合普通下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツはいているわけである。当たり前ではあるが。

ロマンティック・チュチュ1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパン起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。

また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリル横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリル趣味時代的変遷だろうか?

で、何でこんなにスカートは短くなったの?

Wikipedia英語版のballetの記事バレエ歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。

まず、バレエ起源ルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。

17世紀の頃は、女性衣装は重たい生地と膝丈のスカート構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャー制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面からインチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀絵画だ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg

19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体ラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg

そして20世紀バレリーナスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年写真を貼る。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg

それから現代バレエではこうなる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg

画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。

さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである

ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装存在しているらしい。確かにbunkamura食事に行ったときバレエ衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッション衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。

搾取問題ちょっと真面目に考えてみる

ブックマークコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケート話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。

僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガ作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。

エドガー・ドガバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサー現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサー薄給生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサー娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスバレエから男性ダンサーはいなくなり、フランスバレエ低俗化することになる。

もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在表現しようとしたドガ作品価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサー意志だったのか、と。そして、女性身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか

もちろん、過去のことだからからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的判断たか判断は難しい。とはいえ過去人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。

しかしながら、現代に生きる僕らは、自分主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代文化支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分フェチ起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。

スポーツでも……?

身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係パワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。

スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易善悪を論じることが困難だ。バレエ例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情欲望混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。

今までこうした社会的な側面から女性ファッション歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装のもの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である

何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術スポーツに励む女性性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。

結論、まとめ、考察

今後の発展、展望

今回の調査では、見せパン起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。

そこからメイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマー回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。

とはいえ、しばらくは休みたい。自分欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化妖怪名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的ものとして把握できるようになった。

まり増田欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的意見、ねちっこく不快だという否定的意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝言葉を述べたい。

おまけ

ドガの絵を見ていたら、レオタードらしいものを見つけた。

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg

2020-09-14

KKOの定義

今更だけどKKO=キモくて金のないおっさん話題とき、皆はどのくらいキャラクター像を想像してるの?

特に年齢と年収

個人的には特に注釈なければ45以上400万以下くらい。

2020-09-13

anond:20200913120152

そうは言うても昔の作品倫理的問題のあるエピソード欠番になったりしてるから

個人的には過剰なほど注釈を付けてでもいいから解禁してほしいが

2020-09-12

銀英伝を今の価値観に合わせてリメイクするなら

キャラ言動そのままでいいと思うんよ古典だし

ただ「※平安時代結婚は、男性女性のもとに通う通い婚だった」みたいな注釈が何らかの形で伝わるようにすればいいんじゃないですかね

2020-09-11

正義執行自己快感の為に他ならない

先日話題になった、つるの剛士パクチー盗難事件

つるの氏が犯人外国人である推定したことが、外国人犯罪者であるとの偏見助長しかねないとの指摘がなされ、

それを軸に、町山氏などのいわゆるラディカル左翼が、つるの氏への大バッシングキャンペーン実施した。

ツイートを眺めていると、事の顛末検証もそこそこに、「つるの氏は差別主義である」という大前提のもと、

国を憂いてみたり、人権だの歴史だの一見アカデミックに見えるよな事を論じている気になってみたり、そんな投稿が目に余った。

そもそもつるの氏がなぜ外国人犯人である推定したのか、彼は真に差別主義者なのか、たった彼が投じた2,3のツイートから解明できるはずもないのに、

判別できないからこそ足りない部分は、既に自分が用意した結論に都合がよいように脳内補完して、

差別主義者」のレッテル張りによる罪人認定を行い、自分が満足するまで非難攻撃を行って。

しかも、そういった攻撃正義の鉄槌であると信じて疑っていないのがまたやっかいだ。

自分思想をさもこの世の条理であるかのように、ちょっとアカデミックを気取った書きぶりで、さも自分は常に正しい事しか発言しない知識人であるようにふるまっている。

結局、

①単に相手攻撃する事による快感

②自らが正義行使していると思い込む事による全能感、自己満足

③同じ思想を持つものと一緒になって行動する事による高揚感、孤独の解消

これらが蜜の味を味わいたいがために、他害行為正当化しようと、罪人であるとのレッテル張りを行っているのだ。

でも本人にその自覚があるはずもなく、あくま自分絶対的正義執行であると思い続けている。

本来すべての人のすべての発言には(私一個人意見です)という注釈がついているはずなのに、

自分が正しいと思った事は、普遍的に正しいと思ってしまっているのはなんで。

どうして、民意によってえらばれた多数の人の意見の上成立した、政治上の「正しい」を疑うことはできるのに、自分一人が感じた「正しい」を疑ってみようと思わないのかな。

差別が悪い事だとは分かっているのに、人を差別主義者だと一方的認定して攻撃する事は正しいなんて、そんな理論が正しいってどうして思っていられるのかな。

あ、上記は全て私一個人意見です。

2020-09-10

方言標準語

まれも育ちも九州で、薩摩弁とかほどではないけど方言がある。

地元県が舞台とある漫画を読んでたら、方言標準語注釈がついてんのね。

当たり前なんだけど、それがないと多県民からしたら「?」ってなったりするのかなって思って、考えるとちょっと面白くなった。

あくまでも方言から別に文法とかが大きく変わるわけではないけど、単語レベルだとなんでそうなるんだ?っていうようなのとかよくあるじゃん

でも普通に意味分かるし、方言標準語普通に変換できるわけじゃん。たまに一言で表せないニュアンスとかもあるけど。

で、こうやってインターネット上に放流する文章とか、知らん人と話すときとかは標準語を使うわけだけど、

この文章を書きながら、リアルで誰かに話し掛けられたらバリバリ方言で返事したりするじゃん。

すごくない?実質バイリンガルじゃん?外国語はてんでダメだけどさ。

子供のころからある程度の使い分けが出来てるんだよね、意識せずに。

2か国語はさすがに盛り過ぎだとしても、1.3か国語くらいの感じはあるかも…と思った日記

2020-09-08

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

2020-09-06

弓道関係雑文

自らは特段、良い血筋というのもないし、現在そういうのを気にしたこともないから言えるのかもしれないけれど、そういう立場の人ってのは辛いんだろうか。

まぁ、別に安倍晋三のことを言ってるわけじゃないけど、まぁ、彼は政治に於けるサラブレッド中のサラブレッドだけど、そういう彼は自らの立場が辛いんだろうか。

辛いといえば本文に関係ないし、別にどーでもいいけど、下世話なこと言えば彼ら夫婦子供はいないわけだけど、それはどっちに原因があるんだろうね。

まぁ、立場とか夫婦間の血筋とか、彼が罹患してる難病とか、いろいろ考えると、安倍晋三自身無精子症とかなんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろうか。

つか、自分の側に全く問題がなくて、自分子供が好きで、子供を産みたかたかなりいいとこのお嬢さんが居て、離婚とか現実的選択肢が選べないなか、原始的欲求社会的なそれとのせめぎあいでどうしようもなくなった時に、今見られている様な奇行を繰り返してるとしたら、哀れとしか思えないんだけど、まぁ、それは上流ゆえの苦しみかもね。

正直前段が重すぎて、まぁどーでもよくなってきたけど、某所に有名な先生の息子の先生というのがいるんだけど、近年、大きな賞ももらった人なんだけど、いろいろな知識を持っていなかった昔は偏にきれいだとその人の射を思ってみていたんだけど、知識がついたからなのかその人が劣化したのかしらんけど、たいしたことない、というよりも、よくもまぁ取り繕った射をするものだと思うようになったんだわ。

まぁ、確かに離れる練習をさせてる人だし、それは如何なものかと思ってる自分にとって別にどうでもいいかとは思うんだけども、いろいろ知らない人が見れば確かにれいに見える射ではあるんだけど、結局のところ、「さあ、離れるよ」といって離している射なんだよな。それ以上でもそれ以下でもなくて。

まぁ、若いしそのうちわかって修正するかもしれんけど、生まれがというか、親が有名な先生からか今の射を捨てるようには思えないし、そういう人がそういう取り繕った射を多くの人に教えるかと思うとぞっとするな。

本人は教えるの好きそうだし。

そや、一般の人はそれの何が悪いわからんだろうから注釈すると、良い射の条件に「雨露離」とか「円成無發」とかが良いというんだよ。

端的に言うと射手が意識しないところで離れる(発射する)のが良いということなんだけど、まぁ、ぶっちゃけその人はそうじゃないってことで、それを門弟にも教えてる状態なのね。

正直怖いわ。

そんなにえらい先生の子供で生まれるのは辛いのかね。

取り繕って射を進めても、なーんにも進歩しないのに。

人間完成の道程から逸脱してるのに。

しかもきっとこのまま偉くなるんだろうなー。

2020-08-22

コクリコ坂から』は、注釈なしに放送してはいけないのではないか

KAMEI Nobutaka

@jinrui_nikki

『#コクリコ坂から』みたいな映画は、注釈なしに放送してはいけないのではないかと思います

男子生徒たちが好き勝手議論して方針を決めていく中、なぜ女子生徒たちばかりがただ働きさせられているのだろうか。

1960年代当時を描いたバイアスある描写です」みたいな説明を付けないといけないと思う

午後10:59 · 2020年8月21日·Twitter Web App

https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1296809095379337217

高齢男性理事長が、居並ぶ男子生徒たちの前を通り過ぎ、女子生徒に対してだけ肩を叩いて去っていくというのも、色濃くバイアスが出ていたシーンです。

こういう絵が、注釈もなしに流通することに、不愉快さと危惧を覚えます

#コクリコ坂から

午後11:12 · 2020年8月21日·Twitter Web App

https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1296812541205602317

風と共に去りぬだって、今や、注釈なしに上映することがはばかられる時代になっているでしょう。

作品否定するつもりはありませんが、ただ流せばよいというものではない、という感覚はもっておきたい。過去を描いた作品が、同時代私たちにもたらす影響を考えてのことです

#コクリコ坂から

午後11:15 · 2020年8月21日·Twitter Web App

https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1296813054026383360

KAMEI Nobutaka

@jinrui_nikki

文化人類学者愛知県立大学国際関係学科在職。「ジンルイ日記」を書いています

Japan / Africa

anond:20200822112608

そーゆー理解ができる人間が多くはないからせめて注釈があったらよかった

寝た子を起こす

決して差別肯定するわけではない。

例のNHK広島企画でのTweetについて

https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544?s=20

企画趣旨から言って、私個人注釈なしでもこのTweetにそれほど強烈な違和感は持たなかった。ただ、原文なのか創作なのかという注釈必要ではないだろうかとは思った。

しかし、諸々の反応を見ていると、注釈があろうがなかろうがこのTweet自体問題視し、言論封殺ともいえる反応には違和感を覚える。

自分の父は昭和8年神戸まれ終戦当時12歳であっただろう。戦争のことは面と向かって話したことはなかった。

が、どのような脈絡でかは忘れたが、私が中学生の頃、記憶では一度だけなにかの拍子に「朝鮮人」という言葉侮蔑と怒りをこめて吐いたことがある。

あいつらは汚い、ということも言ったと思う。

ああ、父にはそういう差別的な意識があるのだな、とは思った。学校では差別はいけないと習っていたが、そこで父とそのことについて深い話をするようなこともなかった。

それ以前にも以後もそんなことは言わなかったし、おそらく差別はいけないものだということは頭ではわかっており子供の前である属性の人の話を悪意を持ってしたことはない。

大人になって終戦当時の神戸という街がどんなところだったのかを知るにつけ、父のあのとき言葉がどういう経験から吐かれたのかをおぼろげに想像することができるようになった。

差別的な意識は厳然と存在していたのだろうと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E8%B0%B7%E6%94%BF%E9%9B%84

学校では人権教育と称して道徳時間差別について学んでいた。その中で、寝た子を起こす・起こすな、という話(議論)があった。

当時の私は知らなければ存続しなくなるのだから起こさなければいい、と思っていたし実際そんな発言を授業中にした覚えがある。

それは、臭いものにフタであるとも言われた記憶がある。

しかし、今はそうは思っていない。あるもの、あったものを認め、見つめ直し、自分たちの奥深くにある差別という意識自覚することが必要だと思う。

先のNHK広島企画によるTweetの内容はおそらく当時の世相の中にあった感情ストレートに発したものであろうと思う。

現代の我々から見ればとんでもない発言であることは確かである

しかし、当時は厳然とあったものであることも間違いないと思う。

あったものを無きものにしてしまうことは、寝た子を起こすな、臭いものには蓋、と同じことではないのだろうか。

普通中学生?がそのような意識を持っていたことを現代からどう考えるのか、それこそ重要なのではないかと思う。

関口学さんに是非とも伝えたいこと

関口さん。署名活動お疲れ様です。あなたに是非とも伝えたいことがあり、久々に (おそらく数年ぶりに!) 長い文章を書こうと思い立ちました。長い文章は書き慣れておりませんので、乱筆乱文お見苦しいかと思いますがどうぞご容赦ください。

インターネット上には、あなた非実在男性なのではないかジャンプ読者の男性に対する偏見を持つ女性が書いたのでは無いか、などと疑義を表明する人が沢山いるようですね。
あなたがそのような声をどのように受け止めておられるか私にはわかりませんが、ただ、今のところ私はあなた実在していて本当に苦しんでいると信じています理由は、あなたが書かれる文から読み取れる苦しみにいたく共感たからです。

いらぬ誤解を招きたくありませんので早めに明確にしておきますが、私自身は今回の署名活動賛同否定しません。
今回の署名活動にあたって名指しされた漫画やそれに類するもの (子供対象とした媒体上で連載されるセクシャルな要素を売りにした漫画、と理解しております) を読んだことがなく、この活動に対し何か声を上げられる立場にないと考えるからです。
 (私の生家は子供に小遣いを渡すという習慣のない家で、バイトを始めるまで私の手元には私の自由になるお金がなく、漫画雑誌漫画本を購読する習慣がありませんでした。家族内に漫画を読む者もおりませんでした。たまに同級生宅にお呼ばれした時に読むのが小学生時代の私にとっての漫画のすべてで、そして少なくとも他人を家に招く際にその種の漫画本棚に出しっぱなしにしている同級生はおりませんでした。)

では私がどこに共感たかと言えば、自分の理性では制御しきれぬ「こだわり」を抱え、それに振り回されて心も体も千々に乱れる苦しみを味わっているあなたに、です。

はっきりと言います私は、ASD傾向のある発達障害者の一人として、あなたASD傾向を持っておられるのではないか、と推察しております

セクシャルな要素を含む漫画を愛読し、読んでいないという友人に対し興奮して問い詰めてしまうかと思えば、翻って自分が親しんできたセクシャル漫画およびそれに類するもの注釈をつけよ、性表現レベルを読者に合わせよとの署名活動を始めておられる。
これらの両極端な行動は、単に考えを改められたというわけではなく、行動のベクトル真逆なだけで、いずれの場合もその動機となっているのはセクシャル漫画に対する強い「こだわり」(より正確に言えば、「セクシャルなことに興味関心がある自分」というアイデンティティに対する「こだわり」) ではないか、と考えます
女性差別や性暴力重要社会問題だと思いますが、それよりも今のあなたを苦しめているのはあなた自身の「こだわり」であり、それは署名活動をすることによってではなく適切な医療機関を訪れ適切な治療を受けることによってのみ解決への道筋がつけられるものだと考えます

おそらく、あなたが「セクシャルなことに興味関心がある自分」というアイデンティティに対するこだわりを身に着けてしまったのは小学生の間ではないでしょうか。
その過程も、なんとなくですが想像がつきます

友人関係の構築に難があるASD傾向のある小学生にとって、小学校生活サバイブするというのは大変な苦難です。
一般の方々ほど友人関係その他コネクションの力に期待できないという前提の上で、自尊心を守りいじめられっ子立場に転落しないようにするためには、舐められないポジション確立必要となります
私の場合は、それは「頭が良い」「博識」というポジションでした。友達が少ないが故にほとんど無制限にある放課後時間勉強に当てたおかげで、そこそこ頭の良く博識な「ハカセポジション確立することができ、私の小学校生活は以後の人生比較しても平穏ものでした。
(それでも、私立中受験を前提に有名塾に通っているようなグループには決して叶わない程度の成績でしかなかったのですが。)
しかし、必要に迫られて装っていただけのはずの「頭のよい自分」「頭がよくて周りから一目おかれる自分」像はいしか私の強いこだわりとなり、その後長きにわたって (成人し大学生になり、そして社会人となった今ですら) 私を苦しめ続けています
「頭のよい自分」像が脅かされる事態に直面すると、錯乱して大きなショックを受けてしまうのです。ちょうど友人に対して錯乱してしまったあなたと同じように。

あなたにとっては舐められないためのポジション戦略が「セクシャルなことに興味関心がある自分」であったのではないでしょうか。
小学生にとって、セクシャルなことに対するタブーというものはなかなか強いもので、興味関心があるというスタンスをとることははばかられるものです。
ただ同時にだいたいみんな内心では興味関心を持っているものですからタブーに対しおおっぴらに触れられる、というのはある意味では大変強い立場です。
から、某漫画はじめみなが敬遠する(そしてその実興味があったりする)「セクシャルものを強く意識する自分」のキャラクター小学生の間に自分自身で構築されたのではないでしょうか?
そう推察すると、あなたがこだわるのがアダルトビデオや実際の性犯罪でなく少年漫画雑誌上のセクシャル漫画であることにも、あなたが心残りとして取り上げておられる棒アイス差し入れお話にも得心がいくのです。
(棒アイス差し入れすることと性的なことを結びつけ、男子笑顔をいやらしい笑いと受け取ってしまうのは、どうにも一般的ではないと思います小学生にとってはエロいことなんかじゃない、というだけでなく、すでに成人した男性にとってもそうです。男子グループのメンバが気になっている女の子に気に入ってもらいたくて差し入れをした、と受け取るほうがずっと自然でしょう。性的なことを常日頃から強く意識していなければ、たいして記憶にも残らないごくありふれた出来事のように思います。なお、他人の表情を読み解く力 = 表情認知が弱いのは ASD の特徴の一つだったりします。)

関口さん。いかがでしょうか。
これまでの文章は今も心療内科受診している一患者自身経験と照らし合わせて妄想したものしかなく、その正しさを保証するものはどこにもありません。
ASD傾向があるのではないかという疑いを向けられたことを不快に思われたら、心からお詫びいたします。ですが...
ですが私には、関口さんと過去の私がどうにもダブって見えます自分の「こだわり」に振り回されて疲弊しつつ、「こだわり」を認知することすらできなかった過去の私に。
もし少しでも心当たりがあるようでしたら、ぜひともお近くの心療内科受診することをお勧めいたします。

あなたがすがすがしい人生を送れるよう、心から祈っております

2020-08-19

anond:20200819184709

ネタにするなら(※IPが一致したからと言って本人とは限りません)って注釈を過剰なほどつける方が面白いとは思う

2020-08-17

横って書いてあるのに同一人物認定しようとするのはどうかと思うが

特に注釈のない反論を、それまでと同じ相手だという前提で扱ったら「はい同一人物認定きました糖質ですー」って勝利宣言するのもどうかと思うわ

2020-08-14

言葉定義無頓着な人嫌い

言葉には定義がある。

一時期、ファミコンテレビゲーム代名詞となって一般名詞のように、自分の親世代は何でもかんでもテレビゲームファミコンと言っていた。

違いはわかっていても「ファミコン(のようなもの)」というように、心の中で注釈をつけて話していたのかもしれない。

もちろんファミコンテレビゲーム総称ではなく、任天堂が出したコンシューマ機の略称正式名称ファミリーコンピューターだ。

このように言葉定義無頓着な人と接すると苦労をする。

AndroidiPhoneも全部「アイフォーン」っていう人がいたとして、それで何か使い方に困っているとき質問された時、当然回答する人はiPhone向けの回答を考えてしまう。

噛み合わない話を何度かやったあと「ああ、Androidのこともアイフォーンって言ってるんだこの人」って気づいて、ようやくスタート地点に立てる。

デジタルガジェットなら良いけれど、法律に関することだったらもっとめんどくさいことになる。

たとえば相続放棄という言葉にはちゃんとした定義がある。でも、『次男は親の土地を受け繋がないで、現金だけ相続する』というパターンでも、長男が「次男は(土地を)相続放棄した」と言っちゃった。すると話が「現金相続したら相続放棄できないぞ」みたいな話になって、「え?そうなの?どうなの?どうするの?」と親族会議がわけわからない展開を見せることになる。

まりだ。

言葉には定義がある。

字面や印象だけで言葉を使うなってことだ。

頭を使って言葉を選べ

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