2020-08-22

寝た子を起こす

決して差別肯定するわけではない。

例のNHK広島企画でのTweetについて

https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544?s=20

企画趣旨から言って、私個人注釈なしでもこのTweetにそれほど強烈な違和感は持たなかった。ただ、原文なのか創作なのかという注釈必要ではないだろうかとは思った。

しかし、諸々の反応を見ていると、注釈があろうがなかろうがこのTweet自体問題視し、言論封殺ともいえる反応には違和感を覚える。

自分の父は昭和8年神戸まれ終戦当時12歳であっただろう。戦争のことは面と向かって話したことはなかった。

が、どのような脈絡でかは忘れたが、私が中学生の頃、記憶では一度だけなにかの拍子に「朝鮮人」という言葉侮蔑と怒りをこめて吐いたことがある。

あいつらは汚い、ということも言ったと思う。

ああ、父にはそういう差別的な意識があるのだな、とは思った。学校では差別はいけないと習っていたが、そこで父とそのことについて深い話をするようなこともなかった。

それ以前にも以後もそんなことは言わなかったし、おそらく差別はいけないものだということは頭ではわかっており子供の前である属性の人の話を悪意を持ってしたことはない。

大人になって終戦当時の神戸という街がどんなところだったのかを知るにつけ、父のあのとき言葉がどういう経験から吐かれたのかをおぼろげに想像することができるようになった。

差別的な意識は厳然と存在していたのだろうと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E8%B0%B7%E6%94%BF%E9%9B%84

学校では人権教育と称して道徳時間差別について学んでいた。その中で、寝た子を起こす・起こすな、という話(議論)があった。

当時の私は知らなければ存続しなくなるのだから起こさなければいい、と思っていたし実際そんな発言を授業中にした覚えがある。

それは、臭いものにフタであるとも言われた記憶がある。

しかし、今はそうは思っていない。あるもの、あったものを認め、見つめ直し、自分たちの奥深くにある差別という意識自覚することが必要だと思う。

先のNHK広島企画によるTweetの内容はおそらく当時の世相の中にあった感情ストレートに発したものであろうと思う。

現代の我々から見ればとんでもない発言であることは確かである

しかし、当時は厳然とあったものであることも間違いないと思う。

あったものを無きものにしてしまうことは、寝た子を起こすな、臭いものには蓋、と同じことではないのだろうか。

普通中学生?がそのような意識を持っていたことを現代からどう考えるのか、それこそ重要なのではないかと思う。

  • そーゆー理解ができる人間が多くはないからせめて注釈があったらよかった

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん