2020-09-11

正義執行自己快感の為に他ならない

先日話題になった、つるの剛士パクチー盗難事件

つるの氏が犯人外国人である推定したことが、外国人犯罪者であるとの偏見助長しかねないとの指摘がなされ、

それを軸に、町山氏などのいわゆるラディカル左翼が、つるの氏への大バッシングキャンペーン実施した。

ツイートを眺めていると、事の顛末検証もそこそこに、「つるの氏は差別主義である」という大前提のもと、

国を憂いてみたり、人権だの歴史だの一見アカデミックに見えるよな事を論じている気になってみたり、そんな投稿が目に余った。

そもそもつるの氏がなぜ外国人犯人である推定したのか、彼は真に差別主義者なのか、たった彼が投じた2,3のツイートから解明できるはずもないのに、

判別できないからこそ足りない部分は、既に自分が用意した結論に都合がよいように脳内補完して、

差別主義者」のレッテル張りによる罪人認定を行い、自分が満足するまで非難攻撃を行って。

しかも、そういった攻撃正義の鉄槌であると信じて疑っていないのがまたやっかいだ。

自分思想をさもこの世の条理であるかのように、ちょっとアカデミックを気取った書きぶりで、さも自分は常に正しい事しか発言しない知識人であるようにふるまっている。

結局、

①単に相手攻撃する事による快感

②自らが正義行使していると思い込む事による全能感、自己満足

③同じ思想を持つものと一緒になって行動する事による高揚感、孤独の解消

これらが蜜の味を味わいたいがために、他害行為正当化しようと、罪人であるとのレッテル張りを行っているのだ。

でも本人にその自覚があるはずもなく、あくま自分絶対的正義執行であると思い続けている。

本来すべての人のすべての発言には(私一個人意見です)という注釈がついているはずなのに、

自分が正しいと思った事は、普遍的に正しいと思ってしまっているのはなんで。

どうして、民意によってえらばれた多数の人の意見の上成立した、政治上の「正しい」を疑うことはできるのに、自分一人が感じた「正しい」を疑ってみようと思わないのかな。

差別が悪い事だとは分かっているのに、人を差別主義者だと一方的認定して攻撃する事は正しいなんて、そんな理論が正しいってどうして思っていられるのかな。

あ、上記は全て私一個人意見です。

  • 誹謗中傷って楽しいもんね。金もかからないし。酷い奴を私刑する、やりがいもあるし。こりゃやめられない。

記事への反応(ブックマークコメント)

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