http://anond.hatelabo.jp/20151114203911
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何かを批判していないとプライドを保てない人々というのは、もう脳がそのように出来てしまっている。
だから、本人は改めた気になっていても、その性分はなかなか直らない。元増田も、私も含め。
自分の発言が、非建設的で悪意的見方にすぎる事を自覚できていたとしてもだ。
すばらしい物の見方をしていて魅力を何倍にもして伝えてくる人を目の当たりにすれば、彼らも一度はそれを賞賛する。
でも、次には文句を言い出すのだ。一度欠点だと認識したものは、どう繕っても欠点としか見れないのだろう。
私は2chのアニメスレに、何度か優れた考察をするブログのURLを貼った事がある。すると毎回そういう流れになる。
「でも○○のパクリだから台無しだ」「こんなガバガバ脚本なのが悔やまれる」と。
もはや、ネットはネガティブな思考回路を増幅・拡散するための装置になっている。
とはいえ彼らも最初からアンチなわけじゃなく、むしろファンで熱心に見続けている者が多いとは思う。
しかし、作品を受け入れて楽しんで見ようという姿勢になれないから、監督や脚本を責め立て、自分の理想を延々と垂れ流す。
ひとつは、神経質すぎる、理想主義すぎる者の声が目立つ仕組みだからだろう。
そういう人格になる理由は様々だが、ことアニメに関しては「キャラクター性至上主義」を煽る文化に一因があると思える。
魅力的なキャラが何より大事だから、特定キャラをsageるような役回りが許せない。シリアスな展開を容認できない。
また、「キャラが脚本に踊らされてる」みたいなトンチンカンな発想になってしまって、ストーリーを受け入れることができない。
もちろん、アニメ化以前からキャラクターが確立している作品もあって、一理ある場合もある。
だがアニメ化にあたって、物語性の薄い日常系にするならともかく、ドラマを描くなら多少のキャラ改変はポジティブに捉えるべきだ。
なぜなら、既存のキャラに囚われてキャラに自走させていたら、一本のドラマになるようイベントを発生させていくのは難しいからだ。
なので、「常識的にこんな事になるはずないだろ」とキャラの浅慮や落ち度を批判するのも的外れになる。
常識的に起きないようなイベントが重なった世界線がドラマになるのだ。
限られた時間枠のなか、絵で表現するアニメというのは、作るにも観るにも高度にクリエイティブな行為だ。
大事なことほど明確に描かれず、テーマ上不要なシーンは大胆にカットし、必要なシーンは大げさに描くケレン味が評価される芸術だ。
だから、観る側にも、脳内補完をしてやるための想像力と頭の回転が求められる。
だが最近は、漫画ですらうまく読めない若者が出てきたという話も聞く。
そういう状況では、このアニメ的な作法を飲み込めず、説明不足・置いてけぼり・駆け足すぎと感じ憤る人も出るだろう。
そういう人にとっては、アニメを違和感なく観れている人というのは好意的に見すぎの「信者」であり、愚か者にすら見える。
だが前述のように、アニメというのは構造的に、ある程度は好意的に汲み取ってやることが求められるものだ。
アラを探すような鑑定姿勢で見ていると、好意的に見ていればケレン味として消化できる些細なハッタリにも躓いてしまう。
すると「破綻している」という印象に囚われ、世界観にも没入できず、もう「楽しむために観る」という本来の姿勢には戻れなくなる。
その状態に陥ると、感動的な場面も素直に感動できなくなるばかりか、ちりばめられた演出も見落としがちになるだろう。
作品を楽しめている人とそうでない人の差は、感動できるような美点を「見出している数」の差だ。
アニメというのも芸術の一つであり、芸術というのは、言語化できないような抽象的なところから意味を見出すからすばらしいのだ。
また、ネットでは、批判できる人間が「通」であり賢いかのように見えてしまう。
その上、「好きだからこそ許せない」と批判されると共感を呼びやすい。
それが実際はトンデモな批判でも、通っぽさが伝わるとROMのにわか層には説得力をもって伝わるのだ。
ネット世代はとくに、こうしたネガティブ思考に誘う罠にハマりやすい環境に生きている。
この手の重箱の隅批判が公益を生むこともある政治や行政への批判あたりならまだマシだ。
が、アニメ漫画なんていうのは、趣味で自分が楽しむためのもの。
こりゃダメだと思ったら「自分には合わなかった」と去ればいいだけの分野のはずだ。
それなのにネガティブ発言をする人が繋がりあい、存在感を発揮する状況は、いかにも不健全だ。
こういうネガ・dis思考はtwitterやLINEやまとめサイトのような所からどんどん伝播していく。
軽いキャラdis風だったり、「また○○(脚本家の蔑称)か」みたいな受け入れやすい形で。
もっと作品やクリエーターへの敬意があって然るはずだが、そういう感覚を持てるのは「古き良きオタク」気質の人。
大量のアニメを消化していくイナゴのようなアニメファンは、下手に知識を得ても、斜に構えたような感じになりがちだ。
結局なにが言いたいかというと、そういう通ぶって批判する人をなじりたい訳ではない。
むしろ、そういう人が目立つのは時代の必然と考えたいという話。
目の前に広がる不快な現状をみて、
その中心にいる「人」を責めて鬱憤を晴らすダサいおっさんが元増田なら、
「ネット社会」という環境を憂えて俯瞰した気になっているダサいおっさんが私だ。
どんな形であれアニメ批判に関わると、こういう泥沼にハマって闇に堕ちていく。
そこだけ見ても、「良さだけを語れる」オトナの神々しさが感じられると思う。
ネットでは、増田でくらいは、そういうドロドロした感情を出してもいいと思って今書いているが、
でもリアルやSNSみたいなところでは、なるたけ「良さだけを語れる」「馬鹿に構わない」人間でありたい。
つい、「ここは良いけどここはダメだよな」みたいな両論併記的・中立的・評論的な物言いをしたくなる時も、
それは大体抑えたほうがいいと肝に銘じよう。趣味についての話なら。
しかし、完全にそういう人間になるには、そもそもネット上の素行についても
「わざわざ下卑た場所を覗きに行かない」「そしてそこでマウントしない」を身に着けている必要があるのだろう。
一度泥沼の味を覚えた身としては、それは難しいように思える。
なにしろ、そんな場所を見に行くことを忘れるような社交的なリアルの付き合いがないのだから。
ああオトナになるのは本当に難しい。
前々からムカついてたのでこっちもムカつく言い方するけど。 25歳過ぎてさ、自分が好きなものの話するでもなく、話題になってる作品をダラダラみて一生懸命文句語っちゃうやつい...
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お前がその歳まで交友関係激狭のオタクで、 25手前で初めて話が上手な人間に出会って衝撃受けてる、 ってだけちゃう? オタクでも色んな人間いるし その歳まで酷いのにしか会っ...
諦めろ 「それがオタク」だ
http://anond.hatelabo.jp/20151114203911 http://anond.hatelabo.jp/20151114230440 後者は前者の後半部分のみ
「何が嫌いかじゃなくて何が好きかで自分を語れよ!」 ルフィは良い事言った。
ルフィどころかワンピース作品内でのセリフですらねーよ
ルフィどころかワンピース作品内でのセリフですらねーよ
http://anond.hatelabo.jp/20151114203911 色々批判して書く対象がアニメから人間に変わっただけでカッコ悪いのは変わってない。 40歳がアニメの話をしててもかっこいいのは、悪いところを重箱...