2015-11-16

アニメ批判」がいかに泥沼か

http://anond.hatelabo.jp/20151114203911

http://anond.hatelabo.jp/20151115051501

 

何かを批判していないとプライドを保てない人々というのは、もう脳がそのように出来てしまっている。

から、本人は改めた気になっていても、その性分はなかなか直らない。元増田も、私も含め。

自分発言が、非建設的で悪意的見方にすぎる事を自覚できていたとしてもだ。

すばらしい物の見方をしていて魅力を何倍にもして伝えてくる人を目の当たりにすれば、彼らも一度はそれを賞賛する。

でも、次には文句を言い出すのだ。一度欠点だと認識したものは、どう繕っても欠点しか見れないのだろう。

私は2chアニメスレに、何度か優れた考察をするブログURLを貼った事がある。すると毎回そういう流れになる。

「でも○○のパクリから台無しだ」「こんなガバガバ脚本なのが悔やまれる」と。

 

もはや、ネットネガティブ思考回路を増幅・拡散するための装置になっている。

事実アニメスレなんて、ほとんどがアンチ巣窟になっている。

はいえ彼らも最初からアンチなわけじゃなく、むしろファンで熱心に見続けている者が多いとは思う。

しかし、作品を受け入れて楽しんで見ようという姿勢になれないから監督脚本を責め立て、自分理想を延々と垂れ流す。

なぜそういう姿勢になってしまうのか。

 

ひとつは、神経質すぎる、理想主義すぎる者の声が目立つ仕組みだからだろう。

そういう人格になる理由は様々だが、ことアニメに関しては「キャラクター至上主義」を煽る文化に一因があると思える。

魅力的なキャラが何より大事から特定キャラsageるような役回りが許せない。シリアスな展開を容認できない。

また、「キャラ脚本に踊らされてる」みたいなトンチンカンな発想になってしまって、ストーリーを受け入れることができない。

もちろん、アニメ化以前からキャラクター確立している作品もあって、一理ある場合もある。

だがアニメ化にあたって、物語性の薄い日常系にするならともかく、ドラマを描くなら多少のキャラ改変はポジティブに捉えるべきだ。

なぜなら、既存キャラに囚われてキャラに自走させていたら、一本のドラマになるようイベントを発生させていくのは難しいからだ。

なので、「常識的にこんな事になるはずないだろ」とキャラの浅慮や落ち度を批判するのも的外れになる。

常識的に起きないようなイベントが重なった世界線がドラマになるのだ。

 

もうひとつは、アニメ作品を視聴する基本姿勢問題だ。

限られた時間枠のなか、絵で表現するアニメというのは、作るにも観るにも高度にクリエイティブ行為だ。

大事なことほど明確に描かれず、テーマ不要なシーンは大胆にカットし、必要なシーンは大げさに描くケレン味評価される芸術だ。

から、観る側にも、脳内補完をしてやるための想像力と頭の回転が求められる。

だが最近は、漫画ですらうまく読めない若者が出てきたという話も聞く。

そういう状況では、このアニメ的な作法を飲み込めず、説明不足・置いてけぼり・駆け足すぎと感じ憤る人も出るだろう。

そういう人にとっては、アニメ違和感なく観れている人というのは好意的に見すぎの「信者」であり、愚か者にすら見える。

だが前述のように、アニメというのは構造的に、ある程度は好意的に汲み取ってやることが求められるものだ。

アラを探すような鑑定姿勢で見ていると、好意的に見ていればケレン味として消化できる些細なハッタリにも躓いてしまう。

すると「破綻している」という印象に囚われ、世界観にも没入できず、もう「楽しむために観る」という本来姿勢には戻れなくなる。

その状態に陥ると、感動的な場面も素直に感動できなくなるばかりか、ちりばめられた演出も見落としがちになるだろう。

作品を楽しめている人とそうでない人の差は、感動できるような美点を「見出している数」の差だ。

アニメというのも芸術の一つであり、芸術というのは、言語化できないような抽象的なところから意味を見出すからすばらしいのだ。

これが、アンチ言葉で説得するのが難しい理由でもある。

 

また、ネットでは、批判できる人間が「通」であり賢いかのように見えてしまう。

その上、「好きだからこそ許せない」と批判されると共感を呼びやすい。

それが実際はトンデモ批判でも、通っぽさが伝わるとROMにわか層には説得力をもって伝わるのだ。

ネット世代はとくに、こうしたネガティブ思考に誘う罠にハマりやす環境に生きている。

この手の重箱の隅批判公益を生むこともある政治行政への批判あたりならまだマシだ。

が、アニメ漫画なんていうのは、趣味自分が楽しむためのもの

こりゃダメだと思ったら「自分には合わなかった」と去ればいいだけの分野のはずだ。

それなのにネガティブ発言をする人が繋がりあい存在感を発揮する状況は、いかにも不健全だ。

2chのような便所の落書きにとどまっているうちはまだいい。

こういうネガdis思考twitterLINEまとめサイトのような所からどんどん伝播していく。

それも、最初ネタのような形で伝播するのだ。

軽いキャラdis風だったり、「また○○(脚本家蔑称)か」みたいな受け入れやすい形で。

もっと作品クリエーターへの敬意があって然るはずだが、そういう感覚を持てるのは「古き良きオタク気質の人。

大量のアニメを消化していくイナゴのようなアニメファンは、下手に知識を得ても、斜に構えたような感じになりがちだ。

 

結局なにが言いたいかというと、そういう通ぶって批判する人をなじりたい訳ではない。

しろ、そういう人が目立つの時代必然と考えたいという話。

目の前に広がる不快な現状をみて、

その中心にいる「人」を責めて鬱憤を晴らすダサいおっさん元増田なら、

ネット社会」という環境を憂えて俯瞰した気になっているダサいおっさんが私だ。

どんな形であれアニメ批判に関わると、こういう泥沼にハマって闇に堕ちていく。

そこだけ見ても、「良さだけを語れる」オトナの神々しさが感じられると思う。

ネットでは、増田でくらいは、そういうドロドロした感情を出してもいいと思って今書いているが、

でもリアルSNSみたいなところでは、なるたけ「良さだけを語れる」「馬鹿に構わない」人間でありたい。

つい、「ここは良いけどここはダメだよな」みたいな両論併記的・中立的評論的な物言いをしたくなる時も、

それは大体抑えたほうがいいと肝に銘じよう。趣味についての話なら。

 

しかし、完全にそういう人間になるには、そもそもネット上の素行についても

「わざわざ下卑た場所を覗きに行かない」「そしてそこでマウントしない」を身に着けている必要があるのだろう。

一度泥沼の味を覚えた身としては、それは難しいように思える。

なにしろ、そんな場所を見に行くことを忘れるような社交的なリアルの付き合いがないのだから

ああオトナになるのは本当に難しい。

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