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はてなキーワード: ガンダルフとは

2024-03-18

英語における魔法使いの杖の解像度高すぎ問題

ハリポタのwand。

妖精stick

ガンダルフが持っているstaff。

ゲームなどでは、これらと区別してrodやmaceもよく出てくる。

日本語では、全部、「(魔法の)杖」。

オタクとしては訳し分けたいのだが……

2022-09-04

anond:20220904085228

増田には何も関係ないんだが

前に設定まとめみたいなもの読んだときサウロンより高位の存在は地上にでてこれない(ガンダルフもそれなりに高位の存在から力を制限された縛りプレイ状態で遣わされている)みたいなのを見て

S級が出てこれないからイキってるB級妖怪の戸愚呂やんこれと思った

2022-05-21

ガンダルフバルログとの決闘とき灰色マントが破れたかユニクロに行って同じものを買おうとしたら白しか売ってなかった説

検証してほしい

2021-11-27

anond:20211126172027

ガンダルフってわりと強いよね。ドワーフ言葉人間言葉?なんだったっけ?エルフ語ではミスラディアだよね。こっちは流麗な印象。

2021-05-28

カタカナファンタジーが苦手である

 昔から個人的に、日本語カタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説映画漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくま個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝りますすみません

 日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。

 海外SF周辺の作家作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きであるものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編魔法を売る店』も好きであるSF作家視点から魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバートシェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である

 日本を含めて世界的に『ハリー・ポッターシリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズ劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画ジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズシリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。

 「剣と魔法系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビビデオで観た『アルゴ探検隊冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである

 『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才モテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長あんな依怙贔屓をするような人間からスリリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえギリシア神話英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。

 LoTRが苦手なのは正義の側のキャラクター白人ベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種イメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。

 こんな感じでカタカナファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルクである

 外形的には、人知を超越する異形の存在怪物魔法などが存在する世界舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語ファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」であるハリー・ポッターLoTRファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。

 ゴットハンド名前(スラン、ユービックヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将名前(ボスコーン)からは、作者の原体験SF作品が有ったことは想像に難くない。だからベルセルク物語世界では「魔法のような人知を超えた事象存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家SF視点から魔法存在する世界舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。

 少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンコントスーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから不思議世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである

 話を戻すと、『ベルセルク』の物語魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公ガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンド召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルク物語における魔法人知を超えた異形の怪物ほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドー養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである

 それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンド召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラドリーム状態を実現した、ハンサム野比のび太である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である

 こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロファルネーゼセルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士魔女による魔法サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。

 長い長い時を経てキャスカ正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太物語を、作者は描いてくれる。長期間休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。

 私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身ペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。

 このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。

 人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズ引用するぐらいしか出来ない。

 「風が、旅の終わりを告げていた」と。

2021-05-03

anond:20210503171931

なんかゴクリ主人公にしたステルスゲーが、2022年に発売予定らしいねフロドから指輪を奪い、ガンダルフ一行から逃げ延び、サウロンと対決してスメアゴルに戻る話なんだろうか。

2021-01-23

子供の頃に接した物語は育つ。

 

自分の心の中でひとつ世界となる。

欧米キリスト教が強く根付くのはこのためだと思う。

僕たち老人がガンダムにこだわるのもこのためだ。

 

ガンダム世界は成長するごとに深くなっていく。

アムロはひとりの人間としての深みを増す。

これは自分自身の人生経験を反映している部分もあるし、

実際に自分の心の中でアムロという人が成長しているのだと思う。

これはアムロだけではなくて心のなかに存在する全ての登場人物たちに共通することだ。

 

子供の頃に接した世界は深みをまして成長していく。

中学生の頃に指輪物語を読んだ。

話はほとんど忘れた。

ロード・オブ・ザ・リングを観て、ああそうだったんと思い出した部分もあるが、ほとんど忘れている。

でも、なぜか確実に指輪世界自分の心の中に存在しているのを感じとることができる。

 

それは圧倒的に深い。

ミスリルという言葉は軽々しく使えないし、

指輪秘密を知るときガンダルフフロドの重い気持ちを肌で感じることが出来る。

 

子供の頃の物語は育つ。

そして根っこに根付いて忘れていても思い出すことが出来る。

2019-12-06

台所レンジフード(換気扇)の位置が低くて頭ぶつける問題

173センチの俺の頭が前屈みになった姿勢でぶつかるんだけどこれ低すぎねーか?

引っ越しから既に3回はぶつけてると思うわ。ADHDから余計に注意が疎かになってる点を加味してもこれは低すぎる

台所基本的女性が立つ設計になってるからこんなに低いのか?

オランダ人だったら喉元やられてるぞ!?

ホビット族の住居で窮屈そうなガンダルフ気持ちが分かりかけたわよ

2019-10-10

anond:20190524083033

ラノベの読者層が魅力を感じるポイント主人公サイドの非現実的活躍からそうなるんでない?

指輪物語場合基本的主人公サイドの力って現実人間の延長線上にあるものしかなく、そこから外れたガンダルフも縛りプレイ中。

そしていわば薬物的な凶悪な誘惑能力を持つ指輪を捨てることで世界を救う。

これはある意味現実にもあり得るドラマであり、アル中や各種依存症患者が立ち直るようなもので、地味だがほとんどの人間が失敗する偉業だ。

ハイファンタジーは別の現実において現実的アプローチ問題解決する物語であり、一方でラノベというかヒロイックファンタジーあくまで非現実の力を振るうことで現実にはありえない活躍を楽しむものって感がある。

2018-03-16

天下一絵文字武闘会

👨‍🚒: 消防士格闘技は専門ではないが基礎体力や緊迫した場面での判断力は抜群。

😎: ヤンキー彼女に良い格好を見せるために出場。腕っ節には自信がある。

👨‍🌾: 農夫。戦闘力消防士には劣る可能性があるが、こちらも基礎体力は高い。

🤡: ピエロペニーワイズの可能性もある。

🧞‍♂️: ランプの精。魔法を使うが、ランプをこすってもらわないと出てこれない。

🧟‍♂️: ゾンビ。リミッター解除により異常な力を出せる。しかし頭が悪く、火に弱い。

🦄: ユニコーン非処女に対して特に強い。

🧙‍♂️: 魔法使い。ランプの精ほど荒唐無稽ではないが魔法を使う。温厚だが怒るととても怖い。

👳‍♀️: インド人天空×字拳を使うかもしれない。

🧝‍♂️: エルフ。ランプの精ほどではないが魔法を使う。不死であり知識豊富

🐉: 神龍ピッコロ大魔王に殺される。

👻: おばQ。高橋尚子可能性もある。

💩: うんこかわいい、踏むとダメージ

🌞, 🌝: 太陽と月。ペンギン村の昼夜を管理する。

ところで魔法使いの絵文字ガンダルフかと思いきや、

Apple絵文字だとコスプレしたクリストファー・リーにも見えるがどうだろう?

2016-10-13

暗い映画館すみっこで僕は咽び泣く

映画の楽しさを阻害するもの

それは映画自体うんこでなければ、

周囲の客の行動がストレスになっている事が多いのではないだろうか。

僕はそういうのがとても嫌なので、可能な限り最後列の一番端の席を選んでいる。

片隣と背後が壁で、人的ストレスが最小限で済むからだ。

ひとりで観る映画は良い。

ダイレクトにぶつかってくる映画という感動と自己との対話

素晴らしい映像音楽役者の熱演に大いに怖れ、驚き、笑い、涙する。

リング松嶋菜々子が貞子に腕を掴まれるシーン。

ロード・オブ・ザリング 二つの塔でのガンダルフ率いる援軍の逆落としのシーン。

エイリアンvsプレデタープレデタージャイアントスイングをかますシーン。

シン・ゴジラで放射熱線が東京を焼き尽くすシーン。

様々な名シーンを目の当たりにして、

僕は映画館すみっこでひとり涙する。

その感情の発露を

そのひととき

隣に座った馬鹿貴様らは阻害しているのだ。

上映中に馬鹿が僕の隣で行った所業を終生忘れない。

しゃべる。音を立てて食う。座席を蹴る。

携帯ディスプレイを点灯させる。乳繰り合う。

上映前にパンパカパンツ幼稚園児でもわかるよう、マナーを守ろうと言っているのに

貴様らは何故むざむざそれを犯すのか。

ただ静かに映画をみたいだけの僕は

貴様らが楽しむための犠牲となっている。

席を移動したくてもここは通路から最も遠く

また僕が移動することで馬鹿以外の観客に迷惑をかけてしまうのは嫌だった。

そうして心が凍るとき

かつて自分しかいない映画館イノセンスを観た思い出が蘇ってくる。

最高の映画体験だった。

映像音楽も、劇場という空間全てが僕のものだった。

僕はその記憶に縋って

僕だけの映画体験を求めて

暗い映画館すみっこで、クソのような馬鹿所業呪い

ひとりスクリーンの光に身を任せるのだ。

2016-04-16

いいね〟の数で人が死ぬ。それが国を弱らせる。

人の評価で人が死ぬという事態がどれだけ恐ろしいことかを知った方がいい。

巷でたまに人事評価に使われている360度評価ってやつは、あれは闇だ。恐ろしい制度だ。

 拝金主義の良いところは『とりあえずお金稼いでればどれだけ人格が糞でもとりあえずは生きていける』というところ

結局、人格なんていくらでも否定しようと思えば否定できるんだよ、

究極的な話、単にそいつが人気かそうでないか、それだけなんだから

360°評価だとか、人間性がどうとか社会性がどうとかい論議の恐ろしさは、元来労働者しかない存在評価アイドル声優と同じ土俵にまで上げてしまうことを意味する。

そういう不安定な職業につきたくないから、安定したサラリーマンを選んだはずなのに、労働によって何らかの経済的価値還元しているはずなのに、

どういうわけか結局アイドル声優と同じような人気度の評価そいつ経済価値が決まるという恐ろしい現象を生む。

はっきり言うが、人に好かれるために生きる人生ってのはクソだ。

『不必要人間なんていない』なんて言葉は戯言に聞こえるかもしれないが、実は経済の仕組みを考えると『不必要人間はいない』ことをわりと簡単に立証できる。

学問的に言っても、やはり『いなくていい存在なんてのは〝いない〟』のだ。人は死ぬまで何かを消費し、生き続け、存在し続けるだけで何らかの貢献をしている。

 人間が増えないと経済は発展しない。また存在し続けることそのもので人には価値がある。

経済を支える根本的な思想は『人がそこにいて何かを消費し続けること』だ。消費を続けることには勇気がいる。信用が必要だ。

この消費によって回転が続くことこそ、経済の発展と社会の発展だ。それが個人の生存を容易にする。そのシステムの回転を信じて活動する人間の総数の和が多ければ多いほど、その社会経済は強くなる。

日本円リスクヘッジに選ばれる理由は、相互信頼システム機能していたからだ。戦争経験した世代が持つ共通認識がそれを可能にした。大きなストーリー社会にあったから、だからシステムが上手に機能していた。

原理原則にそって考えれば、巷で言われているような『老害』だの『不必要人材』だのという存在ほとんどいない。認知症を抱えたご老体ですら、施設に入って何らかの消費活動をしている以上は、経済活動に携わる重要ひとつ構成要素だ。

そのご老体という資本が生み出す年金によって福祉施設収益を得ている。

死ぬまで誰かの役に立つことが出来る。いなくていい、要らない存在なんてない。それが本来経済システムだ。

必要から施設に入れられているわけではない。

循環することが本質なのだから、その媒介として存在しつづけることと、経済活動を続けることこそがその人の価値である

どんな人間にも、極悪人であったとしても何らかのポジションがある。それが経済原理

ロード・オブ・ザ・リングガンダルフがゴラム言及したときに使った言葉は注目に値する。

〝『善か悪かはともかく、ゴラムにはまだ役割があるとな。そのときが来れば、ビルボ憐れみが多くのもの運命を決することになるかもしれん』〟


どんなクズ人間でも何らかの形でそこにいる理由がある。

いつその理由が明かされるかは不明だが、ひとまずそっとしておいた方がいい。

アダムが述べた〝見えざる手〟は、いちいち評価見える化しなくとも、水面下で勝手に進んでく。

良かったか悪かったか最後になってみないと分からない。

だが経済原理のものが消費を前提にしている以上は、ひとまず参加者全員が構成員であり、敗者もまたひとつ役回りしかないことを肝に銘じるべきだ。

世界ストーリー必要とされているのはそこに信用システム機能するからであり、本質的には経済ひとつ宗教しかないのだから、ある思想ストーリーの元で弱者、あるいは低評価であるからと言って絶望すべきではない。

今後評価経済さらされた個人は、現代においてはもはや単なる労働者というひとつジャンルとしてではなく、一個人として全方位から評価さらされる激烈な世界へと突入することになるのかもしれない。

そのときでも希望を失うわけではない理由として、経済原理さらされた労働者状態を簡単に説明している有名な宗教聖典言葉を引き合いに出すことがふさわしいと考える。

『あらゆる面で圧迫されながらも

動きが取れないほど締めつけられているわけではなく

困惑させられながらも

逃れ道が全くないわけではなく

迫害されながらも

見捨てられているわけではなく

倒されながらも

滅ぼされているわけではありません』

まりほどよく生きて、ほどよく消費して、なにもかも思い通りになるわけではないが、何もかも思い通りにならないわけでもなく

惰性で生きていけるほどに楽ではないが、死ぬほど辛いということもない世界で生き続けるのだ。

そして最終的に物事は収まるところへと収まるということを知りながら、

2016-02-14

魔法つかいプリキュア!』が殴ることについて

魔法つかいプリキュア!』の主人公女の子たちは、敵を体術で倒して、必殺技浄化する。

 

これに対して"魔法使いが殴るなんてありえない"というオタクくさいツッコミがあるが、それ鋭いつもりなんだろうか。

 

魔法使い」は、光線や火炎を出すだけと決まってんのかね? それってドラクエの影響かね? お前ドラクエ社会キーワード概念規定してんのかね? 

 

ちなみに、近代ファンタジーの基礎となった『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフは、魔法使いでありながら剣で戦うし荒くれるし光線も出すぞ。

 

ほら、謝れよ。

魔法使いに謝れよ!

2014-09-11

魔法使に大切なこと

もうじき無職童貞のまま三十歳を迎えるのだけど、

なにか魔法使いとしてふさわしいお祝い(風俗除く)ってあるのかな?

有意義誕生日のすごし方を考えてみたい。

このままだと例年通り、両親とケーキを食べ、

本を読んで音楽を聴いてすごすだけで終わる気がする。

それも悪くはないのだけど、せっかくヤラサーとなるのだし、

ちょっと趣向を凝らした、気の利いたお祝いを考えたいな。

話は変わるけど『指輪物語』の瀬田訳(だったかな、うろ覚え)で、

灰色ガンダルフが「魔法使い」じゃなく「魔法使」と送り仮名なしで表記されてて、

ちょっと格好いいなと思った。

自分ガンダルフのような偉大な魔法使になれるのかなあ?

このままみすぼらしい貧乏おっさんとして一生を送るのはイヤだなあ。

0916追記

誰も見てないと思うけど追記。

ブコメ意見を見てたら引っ越しもいいな、とか思いました。

しゃべる黒猫はいないけど、どこか遠くの土地引っ越し隠者みたいな生活を送りたい。

2012-12-18

ホビット

かっこいい悪いドラゴンが見たいとか

ろくに魔法使わない魔法使いの昔話みたいなトロールやっつけ劇が見たいとか

ドワーフのごちゃごちゃ大混戦な大暴れとついでに皿投げが見たいとか

かわいそうなホビットがあれよあれよと言う間に旅に出されてしまう様が見たいと思って観に行きましたが

ガラドリエル奥方の美しさの前に何もかもが消し飛んだので大変素晴らしかったです

でもガンダルフはそろそろ打撃と剣戟捨ててちゃんと魔法に専念すべきだと思いましたまる

シルマリル映画化してほしい

2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090929095050

ビルボからリングを受け取ってから、数十年リングの影響を受けていない

これは映画原作はまったく異なる設定の部分もあるということですね。

映画では一刻も早く出発しなければ危険だという設定でしたから。

そうなると、指輪の影響具合に対する解釈も変わってきそうです。

鳥についても、茶色のラダガスト以外にも所属の解釈があったのですか。

いずれにせよ、ガンダルフが自由に呼べないのでは仕方ないですね。

貴重な情報をありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20090929111436

ガンダルフは鳥を呼べないとは知りませんでした。

他の方によると、茶色のラダガストという魔法使いだけが呼べるようですね。

謎は解けました。

ありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20090925200303

仮説1だけど。

指輪は、ビルボ・バギンズからフロド・バギンズへ渡される。

映画見てないから解らないけど、仮にガンダルフが(封筒とはいえ)指輪を持つとしても、かなりの短期間だと思うのだが。

(確か、ガンダルフは触るのを拒否すると記憶してたんだけど、古い記憶だからなぁ)

だから、あんまし否定になってない気がするんですよね。

http://anond.hatelabo.jp/20090929020634

そういう事情なら確かにガンダルフは陸路を選択するだろうなと思えるような情報は何ですか?

ガンダルフはイスタリだから。

http://anond.hatelabo.jp/20090929095050

それでもMiddle Earthの行く末を考えて、

誰にも属していない、力のないホビット

あえて役割を与えるというのも彼の考えなのかと。

特にフロドビルボとは異なり、

どちらかというと引きこもり気味の

内気なホビットですので、

映画ではそのあたりはよく分かりません)

外に出ないホビットに究極の旅をさせる、

と言うのもテーマの一つだと思います。

ヒーローになることを望まない者が、

自分ヒーローにならざるを得ない立場になったときに、

どこまで頑張っていけるのか、

と言うのが私にとってメインテーマと捉えられたものでした。

横ですが

フロドのび太

ガンダルフ=ドラエもん

説は面白いですが、原作映画共にちょっとしっくりこないのでは。

ガンダルフホビット贔屓だったのは、エルフドワーフ人間とは違い、大きな争い事や権力に興味を持たず、農耕を主としてささやかな暮らしの楽しみだけで満足してしまう性格によるものかと思います。

(それこそ、サウロンが実権を握っても、暮らしに影響がなければノホホンとしていたのでは)

変人”のビルボや目新しい物好きなピピン達ならいざしらず、フロドに旅を、ましてや指輪を背負わした事を、ガンダルフは何度となく後悔したのではないでしょうか。

映画版でも、裂け谷で、フロド自分が行くと言い出したときのガンダルフの表情は苦しそうで、悲しそうなものでした。

ガンダルフがドラエもん立場で中つ国の種族を見守り、手助けする、という解釈はとてもうまいと思います。

ドラエもんが一人で未来の道具を使えば、全部解決するジャン!というのがまさしく元増田さんの言ですからね。

でも、のび太フロドは違うと思うんですよ。

ガンダルフフロドを”一人前=主人公=ヒーロー”なんかにしたいとは思っていなかったと。

フロドは十分インテリホビットで、サムに対する主人然たる態度も立派な大人ですしね。

そして、「映画版ドラエもん」の例えはピッタリです。

ドラエもんって、あらゆる事が可能そうな道具を持っていても、危機に対し結構率先して動きません。

(この場合のドラエもんは、”性格上”の問題ですが)

そんな中で、のび太君がまさか勇気を示し、その勇気に対してしずかちゃんも、ジャイアンも、スネ夫も、のび太がやるなら!と一様に立ち上がります。

最後は、のび太活躍する事もありましょう。

ドラエもんの道具が効果を発することもありましょう

けれど、巨大な敵に立ち向かえたのは、そして勝利できたのはのび太ヒーローな事でも、ドラエもんの道具が万能な事でもないのですから。

指輪物語の最後は、ドラエもんのように、

「元通りの日常に戻りました。めでたし、めでたし」

ではないのが切ないですけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20090925200303

他の方々も色々書いていますし、

なんだか釣りっぽいような気もしますが、

あえて質問に答えてみますと、

まずガンダルフコンドル(鷲?)に

フロド達を乗せていかなかったのには

いくつかの理由があると言うことです。

(br)

元増田さんの仮説1と4は基本的に繋がっていて、

それが理由の一つになっています。

ガンダルフにとってはOne Ringはあまりにも強力すぎるのです。

他の方も書いていましたし、

映画でも述べていますが、

ガンダルフリングを持つことによって

Middle Earthよりも上の世界から来ている

ガンダルフリングに支配される=最強の支配者になるという

最悪の事態に至ることもあり得るということです。

映画でもエルフリング邪魔者にしていますよね。

時間については後述)

(br)

またコンドル(鷲)については、

いくつか解釈の仕方があると思いますが、

私は茶色の魔導師によるものというよりも、

ホビットの冒険に出てきた

鷲ではないかと思っています。

(確か原作でもそうだったような気がします…うろ覚えw)

この鷲たちはガンダルフ利害関係の一致した友人達であって、

ガンダルフの僕ではありませんので、

簡単に物を頼めるのかどうかという事もあります。

(確かホビットの冒険の時には「貸し借り」の話をしていたと思う)

(br)

彼ら(鷲)には彼らの戦いがあります。

リングを届けるのが彼らにとって

果たして最適な選択なのか、

と考えるのも一興かと。

映画でも描かれていたように

Middle Earthのすべての住人が、

サウロンに敵対しているわけではないのです。

(br)

どのみち鷲たちの住処までは

旅をしなくてはならないので、

それ自体も簡単な物ではないはずです。

ホビットの冒険でも鷲が出てきたのは旅の後半です。)

最後の最後で鷲に乗って出てきたのは

彼にとっても裏技に近い、と言うことです。

(br)

他の方も述べていましたが、

ガンダルフのMiddle Earthの役割というのは

どちらかというと監視役という感じで、

ホビットと必要以上に関わったりするのは

彼の立場からすると

常軌を逸しているというのもあります。

人との関わりも本来なら避けるべきなのかもしれませんが、

ガンダルフはかなりお節介焼きなのでw。

(br)

それでもMiddle Earthの行く末を考えて、

誰にも属していない、力のないホビット

あえて役割を与えるというのも彼の考えなのかと。

特にフロドビルボとは異なり、

どちらかというと引きこもり気味の

内気なホビットですので、

映画ではそのあたりはよく分かりません)

外に出ないホビットに究極の旅をさせる、

と言うのもテーマの一つだと思います。

(br)

ヒーローになることを望まない者が、

自分ヒーローにならざるを得ない立場になったときに、

どこまで頑張っていけるのか、

と言うのが私にとってメインテーマと捉えられたものでした。

そう考えると最後の最後で

フロドリングに陥落されてしまうのも

納得できるのではと。

(br)

そして映画ではあたかもすぐに旅行に行ったように

描かれていますが、

実際にはフロド若さを保った(確か)40代で、

ビルボからリングを受け取ってから、

数十年リングの影響を受けていない、

と言う設定もあります。

それに比べ一年足らずの旅行の途中で、

人がリングに魅了されてしまったことを考えると、

ガンダルフリングを避けた理由も分かると思います。

(br)

一つ言えることはガンダルフは万能ではないと言うことです。

実際灰色の時にはサルマンに負けてしまいますし、

交通手段が馬ですから、

移動には制限がかかっています。

(あくまで鷲は裏技ですからね)

彼にとってMiddle Earthの行く末は

関心事ではある物の、

彼の戦いではないわけですし。

(むしろバルログとの戦いなどが

彼の土俵の戦いなのかとも。)

彼にとって可能かつ、

最適と見なした場面に携わることにした、

と言うのも考え方の一つです。

(br)

長くなってしまいましたので、

このあたりで終わりにします。

他の方もおすすめしていましたが、

是非是非原作をお読みください。

映画が10倍楽しめますよ。

映画ピータージャクソンバンの解釈ですし、

原作よりも人に焦点が当てられています。

(br)

最後に:

簡単に述べるとフロドのび太くんであって、

ガンダルフドラえもんのようなものなんです。

最終的にドラえもんのゴールは

のび太くんを一人前にすることであって、

のび太くんの替わりに主人公になることではないということです。

まあ、テレビでは毒舌をはきながらも

ドラえもんのび太くんを助けまくっていますがw、

劇場版と考えると良いかもw。

http://anond.hatelabo.jp/20090925200303

他の方々も色々書いていますし、

なんだか釣りっぽいような気もしますが、

あえて質問に答えてみますと、

まずガンダルフコンドル(鷲?)に

フロド達を乗せていかなかったのには

いくつかの理由があると言うことです。

元増田さんの仮説1と4は基本的に繋がっていて、

それが理由の一つになっています。

ガンダルフにとってはOne Ringはあまりにも強力すぎるのです。

他の方も書いていましたし、

映画でも述べていますが、

ガンダルフリングを持つことによって

Middle Earthよりも上の世界から来ている

ガンダルフリングに支配される=最強の支配者になるという

最悪の事態に至ることもあり得るということです。

映画でもエルフリング邪魔者にしていますよね。

時間については後述)

またコンドル(鷲)については、

いくつか解釈の仕方があると思いますが、

私は茶色の魔導師によるものというよりも、

ホビットの冒険に出てきた

鷲ではないかと思っています。

(確か原作でもそうだったような気がします…うろ覚えw)

この鷲たちはガンダルフ利害関係の一致した友人達であって、

ガンダルフの僕ではありませんので、

簡単に物を頼めるのかどうかという事もあります。

(確かホビットの冒険の時には「貸し借り」の話をしていたと思う)

彼ら(鷲)には彼らの戦いがあります。

リングを届けるのが彼らにとって

果たして最適な選択なのか、

と考えるのも一興かと。

映画でも描かれていたように

Middle Earthのすべての住人が、

サウロンに敵対しているわけではないのです。

どのみち鷲たちの住処までは

旅をしなくてはならないので、

それ自体も簡単な物ではないはずです。

ホビットの冒険でも鷲が出てきたのは旅の後半です。)

最後の最後で鷲に乗って出てきたのは

彼にとっても裏技に近い、と言うことです。

他の方も述べていましたが、

ガンダルフのMiddle Earthの役割というのは

どちらかというと監視役という感じで、

ホビットと必要以上に関わったりするのは

彼の立場からすると

常軌を逸しているというのもあります。

人との関わりも本来なら避けるべきなのかもしれませんが、

ガンダルフはかなりお節介焼きなのでw。

それでもMiddle Earthの行く末を考えて、

誰にも属していない、力のないホビット

あえて役割を与えるというのも彼の考えなのかと。

特にフロドビルボとは異なり、

どちらかというと引きこもり気味の

内気なホビットですので、

映画ではそのあたりはよく分かりません)

外に出ないホビットに究極の旅をさせる、

と言うのもテーマの一つだと思います。

ヒーローになることを望まない者が、

自分ヒーローにならざるを得ない立場になったときに、

どこまで頑張っていけるのか、

と言うのが私にとってメインテーマと捉えられたものでした。

そう考えると最後の最後で

フロドリングに陥落されてしまうのも

納得できるのではと。

そして映画ではあたかもすぐに旅行に行ったように

描かれていますが、

実際にはフロド若さを保った(確か)40代で、

ビルボからリングを受け取ってから、

数十年リングの影響を受けていない、

と言う設定もあります。

それに比べ一年足らずの旅行の途中で、

人がリングに魅了されてしまったことを考えると、

ガンダルフリングを避けた理由も分かると思います。

一つ言えることはガンダルフは万能ではないと言うことです。

実際灰色の時にはサルマンに負けてしまいますし、

交通手段が馬ですから、

移動には制限がかかっています。

(あくまで鷲は裏技ですからね)

彼にとってMiddle Earthの行く末は

関心事ではある物の、

彼の戦いではないわけですし。

(むしろバルログとの戦いなどが

彼の土俵の戦いなのかとも。)

彼にとって可能かつ、

最適と見なした場面に携わることにした、

と言うのも考え方の一つです。

長くなってしまいましたので、

このあたりで終わりにします。

他の方もおすすめしていましたが、

是非是非原作をお読みください。

映画が10倍楽しめますよ。

映画ピータージャクソンバンの解釈ですし、

原作よりも人に焦点が当てられています。

最後に:

簡単に述べるとフロドのび太くんであって、

ガンダルフドラえもんのようなものなんです。

最終的にドラえもんのゴールは

のび太くんを一人前にすることであって、

のび太くんの替わりに主人公になることではないということです。

まあ、テレビでは毒舌をはきながらも

ドラえもんのび太くんを助けまくっていますがw、

劇場版と考えると良いかもw。

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