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2019-06-19

anond:20190619095954

「万事機嫌よく」って言ってた桂枝雀自殺した。

2019-02-19

anond:20190219061517

追記自己トラバ

考察として「パン」という破裂音がもたらす緊張感と「ティー」という滑らかな音がもたらす解決とが合わさっている所が言葉の響きとして秀逸なのだと思う

桂枝雀が笑いとは緊張と緩和だと語っていたが、パンティーは一語で緊張と緩和を表現している

パンティーの意味するものが大変くだらないという所も含めて、この言葉最初に着目したパンティ増田の慧眼には脱帽した

2017-11-08

Wヤング中田横山やすし桂枝雀

お笑いで天下取ったけど悲惨最期

まぁ前二人は素行不良で後者は芸の悩みから鬱だから一緒にするのはどうかとも思うけど

2016-09-25

人を笑わせる要素

http://anond.hatelabo.jp/20160925125021

人を笑わせる要素は、パーソナリティ5、技術3、内容2だと思ってる。

一番重要なのがパーソナリティだと思う。

昔、山里亮太芸人ネタをそのままやってくる素人に対して、「あれは芸人パーソナリティあっての面白さであって、お前らがやっても何も面白くないからな」と苦言を呈していたが、その通りだと思う。普段キャラな奴がいきなりモノマネとかやられても困る。

技術についてはテレビを通して芸人技法日常会話にも入ってきてる感がある。

さまぁ~ず三村が「昔は”天丼”とかお笑い芸人だけのものだったけど、今はふつうだよね」と言っていたが、よく分かる。

桂枝雀の「緊張と緩和」の理論松本人志千原ジュニアお笑い論を語るときによく持ち出すので素人界隈でもよく聞く。

あとやっぱり内容。どんなに技術があっても面白い体験をしてないと話は面白くない。

千原ジュニアなんかとにかく金使っていろんな人と遊んでいて、この内容が豊富

2015-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20151014205650

客観的科学的に物事を分類しようとするのであれば、一つの統一した基準視点の下で分類しなければならない。

それをまったく異なる複数基準視点を混在させたまま分類をしてしまうと、せっかく分類をしても意味をなさないことになる(例えば野菜を色ごとに分類している際に、途中で根野菜か否かという基準で分け始めたら、それこそ「分け」が「分からない」ことになる)。

この増田がやっていることはまさにこれ。例えばアニメ作品原作の種類(ラノベ漫画ゲームオリジナル)とアニメ作品の内容のジャンルラブコメロボット物、学園異能系)はまったく別の次元基準であり、本来ならそれぞれの基準ごとに別の枠組みで分類しなければならない。それを増田はまったく理解していない。例えば「オリジナル枠」と「アイドル枠」はそれぞれ別々の基準の下で分類しなければならないのに、増田は同じ枠組みの中で分類してしまっている。これだと実質的オリジナルアイドルアニメであるシンデレラガールズ』は何枠に分類されるのだろうか?

増田には300もの上方落語オチ科学的、体系的に分類した落語家桂枝雀の爪の垢を煎じて飲めと言いたい……がもう枝雀は故人だったなぁ……

2015-01-29

渇き。』の小松菜奈天使

 今さらながら、中島哲也監督の『渇き。』を観た。

 Cinemascapeでもみんなのシネマレビューでも酷評であったため、あまり期待はしていなかったが、割と楽しめた。

 魅力的な作品であるが、酷評も納得の問題点散見されたため、それらを論じつつ、それでもみんな『渇き。』観た方がいいよ!!ということを論じたい。

 以下、ネタバレなし。

 まずあらすじを書く。大まかに言うとこの映画は、主人公の娘加奈子に魅入られた2人の男が、その魅力と狂気に狂わされていく過程を描いた話である

 1人目の男、藤島役所広司)は、加奈子の父親である藤島は勤めていた警察を辞めた上、加奈子母親離婚し、自堕落生活を送っている。ある日別れた妻桐子から連絡があり、曰く加奈子覚せい剤を部屋に遺して失踪したという。藤島加奈子行方を追う過程で、加奈子が周囲の人間を魅了し、売春グループに引きずり込んでいたことを知り、闇社会の抗争に巻き込まれていく。

 2人目の男、「ボク」は、加奈子クラスメイトである学校いじめられている自分を影で救ってくれる加奈子に想いを寄せており、加奈子はこの想いを利用して「ボク」を売春グループに引きずり込んでしまう。心身ともにボロボロとなった「ボク」は、加奈子への変わらぬ想いを抱きながら、加奈子復讐を果たそうとする。

 この映画は、この2人の男の視点を通して、加奈子は今どこにいるのか、加奈子はなぜ闇社会の抗争の中心となっているのか、売春グループ目的は何か、といった謎を解明していくものである

 演出で特徴的なのが、上映時間ほとんどが、藤島暴力を振るうシーンと、加奈子がその魅力を振りまくシーンで占められている点である藤島関係者暴力を振るい、罵声を浴びせ、時にはレイプしながら謎を解き明かしていく。一方加奈子は周囲の人間をその美貌と言動で魅了し、闇の社会に引きずり込んでいく。

 その上で、この映画酷評されている点をまとめると、以下のようになる。

(1) 結末まで観ても話がよく分からない

 この批判は非常にもっともな指摘で、この映画は全部が万事、藤島暴力加奈子の魅力だけで語られるものであるから言葉による説明がほとんどなされない。そのため、加奈子ヤクザ、不良グループのそれぞれの狙いがどう交錯しているのか非常に分かりにくくなっている。おそらく監督の狙いとしても、この辺は説明する気がなさそうな感じ。

 ただまぁこの点はネットで解説記事がいくらでも上がっているので、そこを読んでいただければ解決できるのでご容赦いただきたい。筆者は映画の途中、暴力シーンの連続に飽きてきたところで解説記事を読んで大体の構造を把握してしまった。結果的にそれで良かったと思う。

(2) 暴力シーンの連続に疲れてしま

 この批判もごもっともなところで、観客は2時間ずっと登場人物各人の暴力を見せ付けられることになる。殴る蹴る、ナイフで刺す、銃を撃つ、車で轢く、レイプする、建物の屋上から突き落とす、プールに沈めて出てこれないようにする、耳を切り取る、顔に傷を付ける、腹をかっさばいて内臓を踏みつける等々等々、さまざまな趣向を凝らしてくるが、その都度緊張を強いられるため、観てる側はひどく疲れてしまう。

(3) 何が言いたいのかよく分からない(主題は何か)

 観客は、よく分からん話を2時間も見せ付けられた挙句暴力シーンの連続に散々痛い思いまですることになる。そうしてほうほうの体で家に帰った(またはDVDを取り出した)後、考える。「一体あの映画は何を言いたかったんだろう?」と。観客としては大変な思いをさせられたのだから、観終わったあとに心に残る、人生の糧になるような教訓を得たいと感じるものである

 しかしこの映画主題なんてない。監督は、徹底した暴力シーンと加奈子の魅力を描きたかっただけで、そんなものクソ喰らえと思っているに違いないのである(断定)。映画主題を求める人は、ここで躓いてしまうかもしれない。

(4) 結末(加奈子の在り処)に納得がいかない

 この映画では、加奈子の居場所がきちんと明確に示される。しかしそれが、なんというか、えー、そんな端役に、えー?という感じなのだネタバレ配慮した表現)。これはもう上記瑕疵が許せる筆者でもあまり納得がいかなかった、というかもうちょいふさわしい結末があったような・・・。

 そんな感じで、酷評ポイントの多い本作であるが、それでも筆者がこの映画を愛してやまないのは以下の理由による。

(1) 加奈子死ぬほどかわいい

 これである監督の前作『告白』もそうであるが、監督は謎めいた女の子を撮らせるとめちゃくちゃうまい。周囲を魅了して悪の道に引きずり込む女性といえば東野圭吾の『白夜行』が想起されるが、映画版でこれを演じた堀北真希は、「かわいいけど、そこまで魅了されるほどではないよな」、という感じであった。しかし本作では加奈子を演じた小松菜奈の美貌を監督映像技術さらパワーアップし、そのミステリアスな振る舞い、言動により聖少女っぷりを炸裂させている。これだけで名作ポイントうなぎのぼりである

(2) 暴力シーンが痛快

 批判対象にもなっている暴力シーン。観てて疲れるのは確かなのであるが、非常に痛快である。やはり人間、緊張と緩和により快楽を得る生き物である桂枝雀師匠もおっしゃっておりますし、突き抜けた暴力シーンの連続はこれを得られる点で非常に快楽的なものなのです。

 どうでもいいけど耳を切り取るのは『レザボアドッグス』で、オダギリジョーとの決闘は『太陽を盗んだ男』のオマージュなのか?と思っておるのですがどうなんでしょう、詳しい人教えてください。

(3) 考察楽しい

 よく分からん話というのは考察する楽しみがあるわけで、本作の場合原作を読めばこれが解明できるという点で、考察の楽しみを手軽に味わえるものとなっておりますネットには丁寧に原作をまとめた記事もあるしね。

 そんなわけで、女子高生だいすき!暴力シーン最高!考察のしい!という方は楽しめるんじゃないかと思いますので、ぜひご覧になるといいと思います。そしてできたら感想とか増田に書いて欲しいな!読むよ!

2014-10-04

ツッコミスキルの鍛え方

ツッコミスキルを鍛えたい!」と世の中のみんながそう思ってる。何故だ?何故なんだ?ツッコミなんてお笑い芸人だけのものだろう?それともあれか、合コントークに使うのか?

いやいや。ツッコミというのは「人心掌握術」なのだよ。人を感動させ賛同させるためのな。生きていく上で必要不可欠な存在、それがツッコミスキルなのだよ。

え?「なんでや!ツッコミはそんな大層なもんじゃないやろ!」って?ノンノン、ツッコミは凄いんだ。大層なものなんだ。なのに「ただの間違いの訂正と誤解されている」んだ。

例えば。「なんでや!阪神関係ないやろ!」っていう間違いの訂正。違和感の訴えとも言えるが。まあ、芸のあるツッコミとは言えません。

この場合は相手がツッコミ待ちからマシだけど、そうじゃない場合には?ツッコミって体(てい)で間違いを訂正したら嫌な顔されたなんてオチが見えますねえw

から間違いの訂正に間違いの訂正をしたい。そんなんじゃねえよツッコミってモンはよ、ってね。これツッコミじゃなくてガチダメ出しなw

ひとつ例をあげようか。んーそうだな・・・例えば「人すくな!」。こういうツッコミってどうなんだ?誰にでも言えるよな?見れば誰でも分かる違和感を口にする意味ってなんだ?代弁とか?おもに代弁だな。

でもタイミングが難しい。速すぎても遅すぎてもだめ。特に遅すぎないのが大事。遅れて「人すくな!」と言うと「見りゃわかるわ」と言われるのがオチ。これではツッコミのつもりがボケなっちまう

みんなが「人少ないな」と思いかける瞬間に「すくな!」と代弁するから賛同される。

なぜ俺はこんな話をしたのか?ちょっと考えれば分かる分析を披露するため?いやそうじゃなく、ツッコミは単なる違和感の訴えなんかじゃないってこと。それが言いたかった。

違和感を訴えるだけなら、どのタイミングで「人すくな!」と言ってもよいはずだ。訴えるだけなら簡単なもんだ。そうじゃないって。ツッコミは鋭くないといけない。

鋭いツッコミとは、人々の違和感スッキリさせるツッコミだ。そのために絶妙タイミング違和感を訴えてるだけで。訴えるだけならサルでもできる。

もう分かっただろう。ツッコミは間違いの訂正でも違和感の訴えでもない。ツッコミ違和感から解放。人々のモヤモヤスッキリさせるから「人心掌握」できるのだ。だから人生必須スキルなのだ

みんなそのことを多かれ少なかれ分かってるからツッコミスキル鍛えたい!」と思ってる。でも間違いの訂正や違和感の訴えを頑張ってもダメなんだ。それではツッコミスキルが鍛えられない。

ここまで読んだ読者にはもう分かっただろう。ツッコミスキルを鍛えるには、違和感に着目すればいい。常日頃感じた「違和感メモする」ことから始めてみては。

ただーし、文句を言うのではない。違和感の解決が目的だ。文句ばかり言ってたら違和感が強まるだけ。これはつまらないお笑い芸人になる罠である

ツッコミスキル鍛えるつもりが文句スキルを鍛えてたなんて笑えない。笑えないし笑わせることもできない。これは文句たれるだけのつまら人間から脱却するチャンスでもある。

じゃあ違和感はどうやって解決すればいいのか?秀逸なツッコミはどんな具合に違和感を解決していたか思い出してみよう。

フットボールアワー後藤ツッコミbotをここに置いておきますね。 https://twitter.com/gotosmart_bot 好みが合わない場合各自用意するように。

秀逸なツッコミというのは例外なく「的確すぎるwww」と笑いたくなるだろう。ただ違和感を表明するのではなく的確に表現するから「たしかにwww」と笑いたくなる。

しかも、ごく当然のことを的確に言いながらも斬新さがあるでしょ?つまり、みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける。だから「たしかに!」と感動され賛同される。これが鋭いツッコミってやつ。

言い換えると、あやふやな説明しか与えない既存認知をくつがえし、そしてスッキリした枠組みを与えることで、人々の違和感を解決する。それが鋭いツッコミ

言われてみると当たり前だけどこれがツッコミスキルを鍛えるために重要なんよ。

ここでFAQに答えると、「世の不条理を的確に表現するだけなら批評家でもできるじゃん。でも笑えないこと多いじゃん。」そう思った?

笑える批評もあるよ。映画音楽評論家に多い印象があるな。批評が笑えないことが多いのは、抽象的な不条理は「みんなの違和感」として共有するのが難しいから

視点の斬新さは必ずしも必要ないから、的確さといってもインパクトある的確さにすると暴論になりがちだから、だな。

ひとつ。「詩はユニークで的確な表現を使うけど、だからって笑えるわけじゃない。笑いなんて理屈で説明できないんだよ。」そう思った?

これはそもそも違和感がたりない。詩は美を表現するものだ。違和感表現されることもあるが、そればかりでは美しくならない。そういうことだ。

大事ことなので2回言います。「みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける」。これが面白いツッコミよ。

となれば、ツッコミスキルの鍛え方はもう完全に分かっただろう。

まず違和感メモする。メモする時は文句にならないように。これはもう言った。普段から「おや?」と引っかかる物事アンテナを拡げておくのがいいな。

次に、違和感を的確に表現する練習。これも愚痴にはならないように。表現に斬新さは必要ない。ここまで読んだ君なら、表現を奇抜にするだけじゃ無意味だって分かるだろ?

斬新さが必要なのは視点だ。単に表現が斬新なだけで視点がありきたりなままでは、違和感は解決されない。ありきたりな視点で解決できるならみんな違和感モヤモヤしてない。

さて、1つの違和感に対して的確な表現模索してると、突然頭がピカッと光ることがある。新しい視点のひらめきだ。

この回路を鍛えるために練習するのよ。1日に何十回もピカッとするようになったら人生(QOL)も変わる。

最後に、新しい視点集めをしよう。違和感とか関係なしに、新しい視点だなと思ったらメモする。自分にとって新しければどんな些細なことでもいい。

しろ些細なことのほうがいい。エロ画像集めてると後で見たらあんまエロくないのに保存しちゃうことがあるだろ?興奮してると些細なエロでもエロく感じる。

それと同じで日頃から些細な新しさでも積極的に興奮していこう。派手な新しさの中に本当の新しさは少ない。些細な新しさの中にこそ可能性がある。

から新しさの感度を高めていくのだ君達。ただし、フェイスブック式の機械的な「いいね!」にはならんように。それでは逆に感性が鈍くなる。

ちゃんと新しいと感じることが大事。ほんのわずかでも新しいと感じてるのを確認してからメモする。

.

いやあ、みんなありがとう。以下返信。

まず「なるほど」「こういう能力が欲しい」ってコメントしてくれた人達ありがとう

エントリツッコミ待ち解釈した人達ツッコミ入れた人達。バレちった?w皮肉じゃなく本心なら半分正解。なかなか鋭い。

>「秀逸なツッコミ」は「秀逸」だと気付かれないツッコミです。ツッコまれた人だけが「あ、なんか話しやすい」と思えるのが理想です。目立ちたがりのツッコミ存在がうるそうなる。

確かにそういうものかも。気付かれないほうが気付かせることができる。そう思うんだ。人にツッコむときは気をつけたい。

ツッコミってのは常識、正常の基準を示す行為だよ

なるほど。そういう役割もあるね。いろいろ考えてみる。桂枝雀にも興味もったよ。ありがとう

ツッコミ気遣いツッコミには愛情必要かも

うそう。本文で書いたことも、そういう話になってくる。

> 要は、何か違和感のある空気となった時、違和感へ触れることがタブー雰囲気になる前に即ツッコミをいれてフラット雰囲気に戻す事ができる能力ツッコミ力ということでしょうか。

あぁ、場のみんなが違和感に触れやすくする役割もあるのか。他に、触れやすくても言葉にしにくい違和感を代弁して解放させる役割もある。両方ツッコミだけど想定してたのは後者

例えツッコミが復活してきたのって、流れとしてはツッコミボケ化だと思う。ボケはほんとセンスでやる行為から真似できない、でもツッコミは例え上手くすりゃ形は真似できる。しかし本当はそっからが大切なんだ

面白い見解だね。ボケセンスを加えたツッコミ。高圧的に間違いを訂正するツッコミからボケて違和感解放してあげるツッコミへ。

ツッコミキャラの自負持ってる奴はたいがいクソだと思うけどね

そう、キャラにするとエゴ否定するだけのツッコミになる。

ツッコミは、別に鋭くなくて、場が和めば、それでOKだという考え方もある。

いやそれは本当にそう思う。「鋭いツッコミ」ってある意味鋭くないものだよな。

フリスビーをどこに投げても取ってくれるのがツッコミなのであって、違和感だの非常識だのは関係ないな・・と思ってるのでツッコミを鍛えたいなんて思ってなくて、だから関東の人の会話はフリスビーが飛び交ってる。

なるほど。確かに相槌に近いところがある。どんな暴投でも拾ってくれる相槌。拾う気があればスキルなんて鍛える必要ないとも言える。違和感というよりもっと広く「興味」でどうだろう。

> 笑いの話でいうと、司会者気取りでつまら無茶振りをしてくるやつが不快ボケをやりたがる人って少ないよね。

しかにね。ツッコミ暴力装置になっててボケは損な役回り。だからツッコミの再定義必要。また、意図せぬボケをしても関西風に「おいしい」と思えるかどうか。

日常生活で「面白いツッコミしよう」って思ってる人は、99%がスベッてる。自分の周りの『面白い人』を思い浮かべてみれば、無理に面白いこと言おうとしてないでしょ

うん。身体に染みついてないとな。ツッコミは笑いの道具である前に認識様式でないと。本読む時ツッコミ入れながら理解するけど、そのとき無理してるか?って話。

> 長いよ!自称Sですと同じニオイがする

そう、SM世間の扱いと似た話だよな

ツッコミは多分普段からキャラの方が重要だと思うけどな。いじられる要素持ってたら言葉に何も説得力を持たないから

そう。世間ではツッコミキャラ=いじり役になってる。それに目指す価値があるかってことだと思う。

ツッコミスキルで一番重要なのは、望まれないツッコミはしないということではなかろうか。

批判ツッコミは危ないね。人々の否定感情を代弁する批判ツッコミも誰かを傷つけうる。

.

補足。

ツッコミには愛が必要って話が出たので補足。本文に沿えば愛あるツッコミとは「違和感から解放」。一方、文句(に近いツッコミ)ってのは「常識の反復」なんだよな。

例えば、友達が何かに文句ばっかり言ってたとしよう。その人は何かに対する違和感を抱えこんでる。その違和感を直接解決するには、違和感に的確な理解表現を与えないといけない。

から常識固定観念しか考えられないでいると、なかなか違和感を解決できないことが多い。違和感を解決できないから、文句を周りにブーブー垂れる。

また、違和感だけでなくその背後にある問題もなかなか解決できない。常識にとらわれて理解が不足し視野が狭くなってるからな。

そう考えると、文句ばっかり言うのは、SOS信号を出してるともみなせる。視野の広い人による愛あるツッコミ待ちってこと。

世の中には文句に近いツッコミが得意な人が沢山いるけど、そんな人では救えない。文句では文句への没入は救えないし、常識では常識への没入は救えない。

から、本文ではボケ非常識ツッコミ常識否定するという構図そのもの否定しているんだよね。

 
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