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2020-01-12

ちょっと古いマンガ

毒舌傍若無人な姉がなぜかいろんなことを解決し、周囲に感謝される みたいなマンガがあり、無料アプリで読んでいる

その姉の性格に、自分より若い娘とジジイが大嫌い、というのがあって

後者がピンとこなかった

思うに自分利益対象外って意味なんだろうなあ

2019-12-24

テレビ新聞が誤解していること。

それはもう、「報道特権階級」ではないということだ。

15年前にはできた傍若無人取材や、嘘大げさ紛らわしいという報道が、許されなくなったことだ。

しかし、いまだにメディアはそのことに気づいていない。

自分たちは、まだ、一方的情報を発信し、そして、糾弾される側ではないと考えている。

貴族制が終わっても、まだ貴族としての特権を持っていると誤解しているのである

どんなに偏った嘘でたらめの報道をしても、SNSがなければ、泣き寝入りしかなかったのが15年前だ。

しかし、いまは違う。

一方的編集し、虚を実と言い、白いものを黒いということは不可能になってしまった。

報道は嘘も言うものだし、TV新聞トンデモ取材をするから眉に唾をつけて取材を受け、最終チェックを取材の条件にせよ」

というのがコモンセンスになった。

これを「世間ネトウヨ化した」というのがオール左翼報道の嘆きとしてとらえる人間は多いが、実際には、

「言ってることの反対のコメントを紙面に出す」

「切り取って編集し180°違う問題発言として糾弾

最初から結論ありきでコメント編集

一般市民のふりをした運動家コメントに使う」

「借りたものを返さずに紛失する」

「悪意に満ちた報道であることを明かさずにデマ拡散に利用する」

という事例に、一切の責任を取らなかったことが問題なので、きちんと放送倫理報道倫理を見つめなおして取材してほしい。

正直、ネットまとめサイトと大差ない事例が詰みあがりすぎてる。

街の声を「ほしいコメントが出るまで粘る」程度ならそこまで文句は言いませんよ。

ほんとに。

2019-12-22

インターネット老人のネットウォッチの思い出とotuneの事

インターネット老人と言うからには少なくともこれぐらいの前の話をしないとかなと思い、もちろん当時の情報網羅とは言えない私個人の限られた範囲ネットウォッチの昔話をしてみます

ネットウォッチはそれこそNIFTYなどの商用パソコン通信の頃から行われていて、インターネット歴史と共に綿々と続いてきたものです。

パソコン通信などやる人はギークナードな人しかいないので、変人ばかりで、中には我を通すために他人の心情など関係ないといったタイプもたくさんいました。

多くの人が自分も我がままな人間なのに小さいなコミュニティを守るため我慢してる中、傍若無人な振る舞いをする人に、あいつムカつくよなとか、なんとか揚げ足取ってやろうとか、中にはリアル情報を集めて何とか酷い仕打ちをしてやろうという人も出てきました。

今と違って、このコミュニティが気に入らないから別の場所と言えるほどネット世界は広くなく、ヘイトのるつぼになりがちな状況でしたが、逆にネットウォッチ的なもの情報集約コミュニティというものも皆無に等しく、あったとしてもNIFTYのPatioなど仲間内クローズドもの限定されてました。

私がこの界隈にうろつき始めたきっかけの山田AGパソコン通信東京BBSで暴れてた変人で、非常識言動で多くの人を困らせていました。

彼に接した全ての人間が彼に不愉快な思いをさせられたといっても過言でなく、有名なvoidさんのようにその態度はないけど理屈はわかるといった救いもない人でした。

そんな中、インターネットに「ネットワーカー研究所」(通称ネ研)が現れ、パソコン通信やあちこちBBS群などの困った人たちの情報を集めたサイトができました。

中身は個人情報などもありましたが、騒動の生ログが羅列されているものほとんどなので、事情を知らない人にはなかなか簡単理解できないものが多かった記憶があります

私がネ研を知ったのは1998年1999年の頃で、あめぞうにもあやしいわーるどにも出入りをしてない健全生活(2ちゃんねるは一応存在してたけど、私は知らなかった)を送っており、山田AG周りの情報のみを見てたので、それ以外の人の話はあまり見ていませんでした。

前述の通り、生ログ収集がメインだったので状況把握が面倒で、おそらくですが、ネ研を見てた人の多くに横のつながりはなかったんじゃないかと思います

otuneさんもここを見てたはずだし、どこかのBBSですれ違ったりしてたとは思うのですが、全く見た覚えがなく、少なくともこの頃は有名なネットウォッチャーという扱いではなかったと思います

とはいえ検索で引っかかるようなオープン場所で、特定の誰かだけでなく多くの情報を集約したネットウォッチ活動の場として実際多くの人が見に来るサイトは他になかった気がします。

ただ、IP抜かれるのは死に値するため閲覧にすら串差してた時代個人管理サイトに気軽に書き込んだりメールして情報提供する人は多くなく、情報の新鮮さにはかけていました。

そして2000年5月ネオ麦茶事件が起こり、2ch知名度が一気に上がり、私もそこで初めてネットウォッチ板(通称ヲチ板)を知るわけです。

山田AGヲチ活動2chに移り、私も入り浸り、彼以外の人も覗き見するようになりました。

そこで体験したことはきりがないので、個々の出来事は避けます

その当時、どのスレを見てもヲチ板モットーウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」というのが徹底されていて、少しでも当人接触しようものなら酷く叩かれてました。

この標語、私がヲチ板に来た頃から言われていたと思うので、最初からあったものだと思います

ネットウォッチ本来ネット活動倫理からは外れる全うでないものから、せめてヲチ対象を含めた他人迷惑をかけてはいけない、という建て前もあったけど、私を含めネットウォッチする人はヲチ対象不愉快な思いをさせられた事がきっかけだったりするので、人に迷惑をかける行動はヲチ対象と同レベルに成り下がる、同じ肥溜めの中にいるにしても顔ぐらいは外に出しておきたいという気持ちもありました。

そういった意識があったせいかヲチ対象に対するネガティブ言葉もせめて笑えるものお笑いツッコミのようにエンターテイメントになるようなもの理屈で殴るようなものより喜ばれてました。

ツッコミ面白くなるのはそれはもうヲチ対象に直接言う方が面白い事が多く、住人であることを隠してツッコミを入れる人もいたけど、それをスレで「あれは俺だ」と報告しようもんなら袋だたきにあうという、自己顕示欲が強い人にはなかなか難しい感じでした。

さて、そんな中、その均衡が崩れたのが古式若葉で、スレ住人がネカマになってヲチ対象をいじり倒す事があり、それが面白いと人気に。

からヲチ板住人の苦々しい視線もよそに、ネット上のおかしな人をいじって遊ぶがネットウォッチ意味に含まれるようになっていきました。

その後、1ch.tvなどでもヲチ対象突撃するという手法が取られたけど、ヲチ板では最初はそういうのはよその板でやっくれないかという人もたくさんいました。

今でもヲチ板代表的出来事としてこの二つが上げられたりしますが、ヲチ板原理主義者としては少々不服ではあります

長くなって来たので歴史的な話はこの辺りにしますが、その後、ヲチ板ネット一般的になっていくうち、多少の頭おかしい人がいても目立たなくなり、隔離することも自分の逃げ場もつくれるので、そういった事が難しいネットゲームの世界だけになっていくのでした。

ただ、ネットウォッチ的なものがなくなった訳でなく、それが普通場所普通に行われてるため、ネットウォッチゲスな事だと認識されないまま広まっているように見えます

そのため、逆にネットウォッチと名の付くからには自分たちの普段やっているものよりも更に酷くゲスな事をやっているものだという印象を与えてしまいがちです。

個人的には本来ならネットウォッチという言葉ヲチ板衰退と共に消えていくべきものだと思っており、それに意義をこじつけ延命させる行為は歓迎できません。

ネットウォッチャーotuneさんの事ですが、私の記憶だとネットウォッチャーと言い出したのは本人でなく、周りが面白がって言い始めたことで、上記の通り、ネットウォッチは影に潜んでこっそりやるゲス行為ということをよく理解してる人なので、一番最初蔑称だったと思います

本人がそう名乗った時は少し驚きましたが、自虐的ものだろうし、今でもその意味で使ってると思うので、ネットウォッチのすごい人って言われてるのを見ると私としてはずーっと悪口言われてる人のように見えてます

本人も苦々しく思ってるかと思いきや、ここ数年だとは思うのですが、自虐的ながらもまんざらでもない様子が出てきて、ちょっとおかしな感じになってきました。

きちんとヲチしてるわけではないので何かきっかけがあったのか分かりませんが、ネットウォッチというもの本質を知っているはずなのに、あえて都合がいいようにズレた意味合いに動かし始め、遂には商売をはじめ、そもそもネットウォッチ自己顕示欲は相反するものという意識が強い昔の人から冷ややかな目で見られるようになっています

彼をネットウォッチャー的観点でいうと、「ネットウォッチの原点を知らない人に俺は昔から知ってるというマウントを使ってズレた事をしているネットゴロ、とはいえ、まだまだ手の施しようが無くなるほどひどいとこまでは行ってない(行くほど儲けてない)ので、熟成するまでまだもう少し」という感じです。

さて、増田とはいえ、私もヲチャとしてはあるまじき自己顕示欲を出してしまったので、深く反省をし、これからも「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」を実践していきたいと思います

2019-11-05

女は相手選んで傍若無人振る舞うくせに

駅でストレスフルなおっさんにぶつかられたり舌打ちされたら

弱そうな相手を選んでる、怖そうな男には向かっていかない卑怯者とか罵るなよ

女も、あっこいつ弱そうだな、文句言わなさそうだなって相手を選んで、

了承取らずリクライニングシート倒したり、教室ファミレスで大声で騒いだりしてるのわかってるから

やってること一緒だから、駅でぶつかってくるおっさんが、

弱そうな相手を選んでるとしても卑怯者って罵っちゃいけないよ。

2019-10-20

24歳の若者だが今回の宇崎ちゃんイラストは苦手だ

論旨としては、例の宇崎ちゃんイラストは苦手だが、それは個人の感想として留めておいて、公共の場から排斥するためにアクションを起こそうとは思わない、ということ。

https://note.mu/mogami74/n/n90784701a763

このnoteで、

"若者はこうしたアニメ漫画文化日常として受け入れて育っている"から、"宇崎ちゃんだって、彼らは違和感を覚えないだろう"と書いてある。しかし、私は24歳の若者だが、この絵が苦手だ。違和感を覚える。

ちなみに、原作である「宇崎ちゃんは遊びたい!」は読んでいる。面白い。うざい後輩と振り回される先輩のやり取りが軽快で良い。「〜ッスよ」という口調で傍若無人振る舞う宇崎ちゃんに、時折激しく、時折冷静にツッコミを入れる先輩。もし未読ならば読んでも損はない作品だ。

とはいえ、今回のポスターの絵は苦手だ。なぜか。宇崎ちゃんの胸が大きいからではない。身体ラインが出ているからでもない。私が苦手なのはその表情だ。

あれをアヘ顔だとは思わない。ただ、「顔を赤らめて目を細め、悦に入る表情」が苦手だ。ああいう表情を誇張的に描くのはアニメ漫画文化特有のものだと思う。そして、読者に対するサービスショットだと思う。個人で楽しむのはナシではない。けれど、私は別にあいう表情のキャラを見たいわけではない。not for me。

しかし、あの表情が好きな人もいる。それを否定したくはない。取り立てて何かを例に出すのは良くないが、今回のイラストに限らず、みんな苦手なものがある。目にしたくないものがある。それを好きな人たちもいる。アウトかセーフかの線引きは難しいが、個人意見だけで排斥すべきではないだろう。ともすれば私の好きなスポーツ選手が、お笑い芸人が、アーティストが、公共の場から抹殺されてしまうかもしれない。

(尚、あまりここであのイラスト性的か否かの話をしたくはないが、そもそも「何らかの対象性的消費することを一切禁じる」なんて世の中に暮らしたいとは思わない。誰だって何かを性的に感じながら生きている。これも個人の感想だと思う。)

not for me。つまり、「私向けではない」。そのことは、not for socialだとか、not for publicとはイコールにならない。今回の施策で、ノベルティがもらえるなら、献血に行こうと思った人がいる。日本赤十字サイトhttps://www.bs.jrc.or.jp/tkhr/bbc/special/m6_03_05_20160202-5.html)を見れば分かるが、健康的な若い世代献血高齢者医療の多くを支えている現状、少子化が進むなどの要因で若い世代献血が減れば血液不足が起こる。よって、若い世代効果的な施策を行うことで献血PRする。理にかなっている。増えた血液が誰かを救うかもしれない。

うまく伝わりそうにないくらい複雑だ。私は、宇崎ちゃんの今回のイラスト自分向けではないが、「宇崎ちゃんは遊びたい!」はおもしろいと思っている。若者だけれど、今回のイラストには違和感を覚える。しか排斥したいとは思わない。でも正直、こういう絵を街でたくさん見たくはない。献血量を増やすためには何をやってもいいとも思わない。本当は、「〇〇が苦手です」と主張したいわけではない。個人の感想として留めておきたい。

今までキズナアイがどう、駅乃みちかがどう、アズールレーンがどう、とやってきたように、これからも度々このような話題は上るだろう。私はただ、見たくないもの社会にあって然るべきだと思う。私の見たいもの社会にあって欲しいから。では、何が社会にあるべきかの線引きはどうやって決めていけばよいか。その答えはわからない。わからいから毎回こうやって議論が紛糾するのだと思う。私は何が言いたいかからなくなる。皆さんは正直どう思っているのだろう。

2019-10-13

いじめっ子の味方する意味が分からない

今の職場でお局様からパワハラを受けてると抗議したら「みんなガミガミ言われていて我慢してきたんだから泣き寝入りしろ」的なこと言われたんだけど、なんで訴えないのか不思議

昨日BS八つ墓村の新作やってたから見たけど、田治見要蔵っていう鬼畜キャラがいて、妻と子供の目の前で女をレイプしているシーンがあって、妻は子どもに「あれは嫌がっているんじゃなくて喜んでるからいいのよ」ってかばってたんだけど、結局女に逃げられた要蔵はそれにブチ切れして妻を日本刀で刺し殺して、村の住人32人殺戮するわけ。

八つ墓村フィクションだけど、自分感情に任せて傍若無人な振る舞いをする幼稚な大人のご機嫌とったり、言うこと聞いてやったりしたところで、周りの連中は散々苦労した挙句最後は身も心も潰されるだけ。なんでわがままいう奴の相手をまともにしてやる奴がいるのか意味からない。

2019-10-07

神話

始祖の神

始祖の神に意識があったかどうかは定かではない。始祖の神以降の神が作り上げた空想上の概念かもしれない。始祖の神は最初宇宙を創り、3人の神を生み出して消えた。

第一の神

始祖の神の第一である第一の神は、何もなかった宇宙物質で満たした。ほとんどの科学法則第一の神が創った。

第二の神

第二の神は生命を生み出した。そのほとんどが誕生と同時に死に絶えたが、一部の生命はその後も生き残った。

第三の神

第三の神は社会を創った。第二の神以前の神を直接見た者はおらず、その逸話はすべて第三の神の口から語られている。

庭園の民

第三の神は88種の生き物を庭園で飼っていた。その中でも自分と似た姿をした生き物をたいそう気に入り贔屓していた。その生き物はそこで何世代社会を築き、庭園の民と呼ばれた。

祝福の指輪

ある時、第三の神は生きることに飽き、庭園の民の中から自分後継者を一人選んだ。選ばれたのは牛飼いの少女で、彼女は第三の神から貰った指輪の力で神になった。

指輪を継ぐ者

庭園の民は新しい神を讃え、新しい神は世界を納め、そして時が来たらまた次の後継者指輪を譲った。こうして神の治世が何代も続いた。

片目の盗賊

指輪は神から神へ何世代も慎重に管理されてきたが、ある日、片目の盗賊が神の屋敷に入り指輪を盗み出した。

偽物の指輪

しかし神は事前にそれを予見していたので、あらかじめ指輪を偽物とすり替えていた。偽物の指輪を使った盗賊は罠にかかり、小さな壺の中に閉じ込められた。

壺の中の宇宙

壺の中は別のひとつ宇宙になっていて、その壺の中で盗賊自分が神になったと勘違いさせられていた。偽物の宇宙だが、盗賊とその宇宙に住む者にとっては紛れもなく本物の宇宙だった。

神になった盗賊

神になった盗賊自分の好きなように世界を改変し、傍若無人に振る舞った。しかしやがて神であることに飽き、宇宙放置して自身は無心の存在になった。

放棄された宇宙

盗賊放棄され神のいなくなった宇宙は、我々の住む宇宙として今も存在し続けている。

2019-10-02

さくら

人生の底が見えてやっと人の顔色を伺うということをあまりせずにいられるようになった気がする、わたしより不幸な人が沢山いるという気持ちが、自分の死へのタイムリミット意識した瞬間・つまり自分の不幸を明確に説明できるようになった瞬間から自分より幸福な人へ気を遣う必要がないと判断したのかな

からメンヘラあんなに傍若無人なんだな~自分で死ななきゃ死なないくせに羨ましいなぁ

2019-09-09

世の中に馴染めない

さびさに人間と共に過ごして辛くなってきた

自分自分でなかったら、とこれほど思うことはない

今日もまたジャニーズの話になってしまって、無言でお茶を飲んでいた

ああこの人たちがジャニーズの話なんかしなきゃいいのに、と思うが

会話の内容まだコントロールする権利など無いわけで

他人が思い通りにならないことに苛立ちを感じることは、一体何歳になれば卒業できるのか

(この歳までダメだったのだ。生涯このままの可能性の方がが高い)

悲しいことに未だ苛立ちという感情封殺することが出来ないので、せめて隠し通そうと2人が話している間私は疲れたふりをして無言でいたのだ。(本当のところ拗ねていただけだ)

コントローラブルからは程遠い人生翻弄され、他人が思い通りにならないことを赤ん坊のように苛立っている自分にも、この無力な人生にもうんざりするし

ただなんの意味もない気がする

きっともっと人間に近い人間に生まれられれば、こんな風に自分から一歩引かずに「どうして私が興味ないってわかってるのにジャニーズの話するの!💢」とか言って不機嫌になれてたかもしれない

そうすれば優しい友人のことだから、私に気を使って別の話題に移ってくれただろう

結局のところ、言うべきことを言わないことで人生が思い通りにいかないのだ

しかし、他人が思い通りに動かないことには苛立つが、思い通りにしたいとは思わないし

幼稚な事を言えば、後から幼稚な発言をした自分にも嫌気がさすことは目に見えている

他者と関わる事で自分を感じるとは言うが、この臆病で陰険で幼稚な人間性を感じたくないから、人付き合いは嫌いだ

人間自体は好きなのだ。話すのは好きだ。人肌も好きだ。副次的に発生する自己認知が嫌いだ。それは特に自分他者が違えば違うほどはっきりと感じられる。

ああなぜ私は私なのだろう。友人すら他者と呼ぶほど他人との距離が遠い。人に心を開かない。パーソナルスペースは広くとりたい。近づいてこないでほしい。肉親の葬式でも泣かなかった。泣くべきだったのに。大事なのだが、大事分の執着がもてない。他人に興味がもてない。そして一応アスペではないのだが、軽度にその傾向が入っているのは確かで、興味のあるフリすらできない。

人は色々なものに執着していられるので羨ましい。好きなものがたくさんあったら幸せだろう。どうして好きでいられないのだろう。その辺のオスを運命相手だと信じ込んでヒロインになれる動物的に正しい人生があってもいいじゃないか

羨ましい。他人のことが好きで、興味を持てて、人間と常に過ごすのが苦でなく、同族と群れを作り生きる人々が。

一方で彼らのようになりたいとも思わず、彼らを嫌い嫌悪している自分もいる。

人とは仲良くしたいが、距離を置きたい。でも都合がいい時はそばにいてほしいと思うのだから傲慢だ。自分自身の傲慢さを許容できればよかったのだが、残念なことに健全精神の育成に失敗した半生のせいで理想には程遠い自分を許すことができない。こんな傲慢自分を人に見せるわけにはいかないので、他人とは取り繕えるだけの短期しか会いたくない。

自己の中で色々なことが相反し、それを処理しきれない。処理しないまま傍若無人に生きている人もいて、そうなりたい気持ちと、別にどうでもいいような気持ちと、ああはならないようにしなくてはという強迫観念から逃げきれずにいる。

それはジャニーズを好きになりたい気持ちと(人間の女に迎合したい)、別にどうでもいいような気持ちと(生来興味がないのだと思う)、あん馬鹿っぽい奴らを(と母がいつも言っていた)奴らを好きになってはいけないのだという観念によく似ていると思う。

どうなってはいけないか、どうしたらダメか、といつも考えるのだが、肝心の自分が「どうしたいか」ということはよくわからない、というかあまりその欲求がない

どうにもなりたくない。

しまなければそれで良いのだが、幸せを勝ち取ろうとしない限り+1どころかマイナスに陥るのが人生だろう。(下方婚増田系の増田はその辺を理解していないのではないかと思う)

人生が0に近づければそれでいいのに、漸近線で永遠に0には近づかない。プラスを望む人間は少なくともマイナスはいないように見える。

生きていくのはよくわからない。あと10分生きること、あと10年生きること、何が違うのだろう。終いには全てなくなる。自分死ぬことを私は観測できない。よくわからない。この溺れ続けるような人生意味が。

上へ、水面へと、もがかなければ沈み続ける。

しかし、どれだけもがき続けようと最終的には沈む。早く沈んだほうが楽ではないか

しかし、それは間違った考えで、世の中というのは皆が正しいということの方が大抵正しい。私だって昔は多くの間違った考えを持ち、それを正しいと信じていたいたが、成長するにつれて自分の間違いのほうが圧倒的に多いと気づいた。

まりこの死生観は間違いである。少なくとも、幸せ人生を送るためにはニヒリズムを捨て去る必要がある。

だが、ニヒリズムとの付き合いは遡ること幼稚園の頃からのことであり、エラーのように生まれてくるニヒリストの1人が私であった不幸はもう取り返しがつかない。

意味がない人生に、「意味を見出すことが幸せである」と信じながら、見出せずに生きていくのだろう。

世の中に馴染みたい。だがそれにもなんの意味もない気がする。このような思考こそが全く意味がないことであり、今は明治時代のように人生意味など考えている暇があったらタピオカの列に並ぶのが正義である時代だ。ああつまらない。人など皆死ねばいい。

せめてこの世に絶望することぐらいは否定しない世だったらよかった。しかし、嘆きは文句と取られつべこべ言わず幸せになるなり死ぬならしろというのが今の世だ。

黒板の上に学級目標の「ポジティブに」の文字に押し潰されそうな気持ちでいた頃から何も変わっていない。

ただ私だけ禅問答のドツボにはまり人生を嘆いている間に、人は実態幸せを手に入れたり捨てたりしているのだ。取り残されていくように思うが、初めから私は同じところにいなかったようにも思う。

2019-09-08

俺の中で「キングダム」が完結した

俺はずっとマンガキングダム」を歴史スペクタクルマンガだと思っていたが、違った。

キングダムヤンキーマンガなのだ

地元都道府県、そして全国の高校のやべーやつらと戦って、全国制覇を目指す。キングダムフォーマットはそれだ。

からオリキャラ史実キャラわず量産型やばいやつが途切れることなく出てくる。「秦六将」とか「三大天」とか「魏火竜」とかは「〇〇高校四天王」みたいな感じだし。

と言うわけで自分の中で整理はついた。

それと同時に、寝る前とかに妄想してた「俺のキングダム」が先日無事始皇帝が死に、次世代英雄たちが顔見せして終わったので、俺の中のキングダムをここに書いて残しておきたい。

いやー、項燕は強敵でしたね…。

主な舞台は3つ

キングダムにはストーリーの軸となる舞台が3つある。

この3つだ。

この3つを経糸に、キャラクターを緯糸にしてストーリーが紡がれていく。歴史スペクタクルとしては標準的な形だ。

そして、主人公の信はこの3つの舞台全てにかかわっているという、まさに主人公らしい立ち位置にいる。

そして、それぞれの舞台で魅力的な人物が多数いるので、何をどうやっても面白くならないわけがないのがキングダムの魅力だ。

史実を見るだけでもやばいやつらがそれぞれにひしめいている。

それを一つずつ解決して、信と政がどんどん力をつけていく。この3つの舞台を上手く使えば、「有名人=とりあえずめっちゃ強い」というヤンキーマンガ文法から脱することも容易だ。

キングダムは非常に優れたフォーマットマンガと言えよう。

ヤンキーマンガ揶揄しているわけではなく、歴史を描くのにヤンキーマンガスタイルは合わない、と言うことだ。

さらに、3つの舞台それぞれにラスボスとなる人物存在することも非常に大きい。

以下、それぞれの舞台登場人物ラスボスを見ていこう。

ドロドロの王家の内情、暗殺劇が楽しめる宮中

原版の「キングダム」でもこの宮中編は極めて面白い。特に弟の2度の反乱のストーリーは素晴らしい。弟君には生きてほしかったぞ…!壁さんはそんなに…。

後宮のドロドロとした問題が、回りまわって政治問題となり、そして戦争に至るという、ある意味で「全ての元凶であることもポイントだ。

そして、そのど真ん中に秦王・政がいるわけで、のちの始皇帝となる彼の胸中にもスポットライトが当たる。ともすれば闇に飲まれる政を救うのが信であり、テンであり、向ちゃんちゃんである

特に信は様々な事件後宮に切り込んだことのある人物なので、後宮と言う閉鎖された環境を大きく振り回す役目も持っている。

そして、政治戦場という表舞台には出てこない、もう見た目からしてヤバい奴らが出てこれるのもこの宮中編だ。

うぉおおおお!角力剛拳

ベルセルクバーキラカ編がめっちゃ面白かったように、キングダム宮中編も面白いのだ。ここぞとばかりに妖術!仙術!奇々怪々!な人外もの共演が魅力だ。

そして、この宮中編で出会ったキョウカイと戦場編、そして政治編を共にしていくという、まさに「裏から舞台に、闇から光にぐいぐい引っ張り上げていく」信というキャラの魅力も存分に楽しめる。

テンは軍師としてではなく、この後宮における諜報活動をメインの舞台にして、趙高と対決しつつ、対外的には山の民との折衝を、内に対しては暗殺者たちの警戒を、そして信が戦場に行っている間の領地経営などをすれば、「テンにしかできないこと」によって信や政をサポートできる。

そして、この宮中編のラスボスはやはりコイツしかいない。

荊軻である

キングダム世界の最強の暗殺者として描写される荊軻は、政、信、テン、キョウカイと物理的に対決することができる貴重な存在だし、中国史上最も有名な暗殺者(だと思う)で、しか人格高潔。また「傍若無人」の語源にもなった男として(語源結構いい意味)、知名度エピソード的にも隙がない。

理想のためには己の手を汚す、歴史汚名を残しても構わないという政に向かって、「そうはいってもお前がやっていることは中華全土の民を苦しめる行為である」と喝破できる暗殺者。荊軻こそ宮中ラスボス

ここに至り、政や信はルァァ!ではなく、筋として、現実的な回答としての「善い国」を目指さねばならなくなる。そして、史実では成功したとは言えない始皇帝の各種改革の意義も、きちんと読者に提示することができよう。

荊軻とキョウカイの戦いはワレブシンなどとは格の違う激戦が展開される。

闇を心に宿す聖王である政と、光を心に宿す暗殺者の荊軻という対比もいい。

荊軻がどのような最期を迎えても、読者に強烈な印象を持たせられるはずだ。

また、結局のところ最後最後まで残る秦国最悪の毒である趙高のヤバさも存分に描くことができる。趙高荊軻の対比も面白いかもしれない。人格最悪の宦官と、人格最良の暗殺者とかね。ベタかもしれないけど。

外交領土経営が楽しめる政治

主人公がどんどん成り上がっていく、となれば、それはもうアメリカンドリーム世界なので面白くないわけがない。

クッソボロい小屋から始まって、村、町、郡、県、そして国政にもさんかする秦国重要人物になっていく様は、政の目線から見ても面白ものになる。

政が初めて信に褒美を手渡したシーンは名シーンだ。家で待ってるテンもかわいい

最初のうちは昌文君の後ろにくっついて国政や外交見学するわけだが、そこにキョウカイも連れて行ったりしたのは面白かったな。

賓客として訪れる各国の重要人物との縁もできるし、そこから戦場対峙するギャップもいい。

しかし何より楽しいのはやはり領土経営だろう。

テンちゃんには後宮での諜報活動の傍ら、こちらに注力していただいて、戦場ストレスを抱えるよりこちらでほのぼのと領地経営をしていただきたい。たまにキョウカイが飯を食いに来るとか。

そのうち王騎の城をもらえることになったりとかね。

秦は法治主義がかなり浸透してるので、その法治主義の利点、欠点商鞅の件みたいな)をひきつつ、では信はどういう国を理想とするのか、政はそのためにどういう王でなければならないかが描き出される。

領地経営を通じて、信は大きく成長し、その経験戦場でも生かされることになるだろう。

なぜ法治国家であった秦が強かったのか。他国との違いは何か、かかすことのできないストーリーになるだろう。

ラスボスはいろいろと考えられる。外交面では斉王だろうが、「国家運営」と言うところまで話が広がれば、丞相・李斯とどういう関係になるかが問題になるだろう。

また、後宮編ともリンクするが、政の二人の息子の問題が大きくクローズアップされる。

政は長男をどう思っているのか?それがキーポイントとなる。

信は王子にどうかかわるのか。

そしてここでは蒙恬も大きな役目を果たす。

蒙恬は知略、政治にも優れたイケメンで、最終的に政の長男を奉じて最後まで行動(史記では批判されているが)し、悲劇的な最期を遂げることになるのだが、そこに至る伏線を張り巡らすにはちょうどいいだろう。

この政治編のサブ主人公蒙恬と言える。李斯趙高に対抗するにはどうするか、王子をどう教育するか。

個人的に、政の長男扶蘇に「おじさん」と呼ばれてめっちゃなつかれる蒙恬が見たい。

しろ扶蘇女の子でもいいぞ。女の子から継承から廃された、とかね。

蒙恬はテンちゃんとくっついてもいい。むしろそれだけの材料は十分にある。

宮中編がトリガーとすれば、政治編は撃鉄と言うことになるだろうか。

そして、全ての決着をつける弾丸となる戦場編に舞台は移動する。

武将の華・戦場

ドンドンドン

誰が至強か!?

ドンドンドン

誰が至強か!?

ドンドンドン!!

 汗 明 ! 

大体このノリでOKだ。文官だった汗明さんがこんな至強に。それがキングダム戦場である

宮中編、政治編とはまたベクトルの違った奇人変人ステージとなるこの戦場編では信には思う存分ルァァしてもらって、キョウカイにはスヒンしてもらえばそれでいいと思う。

ここに関してはさほど言うことはない。みんなが思っているような戦場を思い描いてくれればOKだ。

ただ、ぶっちゃけもうちょっと項翼の格は上げてほしいし、何なら戦国最強の項一族とか捏造して項翼のみならず項翔とか項離とか項飛とか「項+飛翔系」の量産型をそろえてもいいかもしれない。ダメか。

それはともかく、李牧さんには政治編でも活躍してもらえるので、戦場での出番はここ一番まで取っておいてもらって、部下のニンジャマスクには退場していただければそれでいいような気がする。ニンジャマスクはなる早でキョウカイに切り捨ててもらえるとありがたい。

この戦場編でのサブ主人公は王賁と言うことになるだろうか。

ベジータのようないいライバル関係になってほしいところ。

上手く描写すれば王賁とキョウカイがいい雰囲気になる寸前のところくらいまで言っても受け入れられると思うんだよね。

ラスボスは当然のごとく項燕。

カリンさんは政治編でも頑張ってもらえばいいので、やはりラスボスはこのオッサンだろう。

後の覇王項羽のおじいちゃんなので、ぶっちゃけもう項羽として描いてもいいんじゃないって感じはする。歳の問題はあるが。

そして、重要なことは次である

キングダム最大の懸念

「信、イキリ散らした挙句の大惨敗問題

である。みんな心配しているだろう。

でも、これは、割と簡単解決する。

というのも、信が楚に20万(だっけ)で攻め入った時、蒙恬も一緒にいるのだ。

蒙恬=知将+イケメンなので、蒙恬がいたのにそんな無様なことにはならんだろと言う予測がつく。

そして、歴史作品の魅力と言えば、「なぜその人物はそんなことをしたのか」に上手い理由をつけるのが醍醐味

ならば、簡単に「なぜイキリ散らしたのか」に理由がつけられる。

それは、

楚を、項燕を倒すためには二段攻撃必要だったか

OKだ!

楚は国土がでかい長江もある。ゆえに他国からまり侵略を受けていないので、楚の内部の城郭がどうなっているのか、兵士はどれくらいいるのかが全く分からない。

なので、だれかが犠牲になってでも強行偵察&戦力を評価をしなければならない。今秦国が動かせるのは80万しかない。いきなり80万で出て行っても、翻弄されて撃破される可能性がある。

ならば、秦王の最も信頼の厚い将軍である信がその「潰れ役」を買って出て、次なる勝利布石とする!

みたいなことを信の口から言わせれば、信がこれまで経験してきたことで説得力もあるし、王翦ら歴戦の将軍も納得し、一目置かれるだろう。

そうならば、「泥臭いもこなせる」楽華隊を率い、信の親友である蒙恬がついてきてくれることにも全く違和感がない。

王賁もこのころまでにギスギスをやめて、劇場版ジャイアンみたいな感じで送りだしてくれるだろう。

で、決死の強行偵察であることを悟らせないために(朝廷にもスパイ入ってるだろうし)、公的にも、歴史的にも、「信とかい若い将軍がイキって20万で楚を攻める」という体にしておく。

「天下の大将軍になる」という目標の信が、「政の目指す国のために、名誉を捨てる」という、劇的な変化を見られるのだ。

そんな内情を、何となく兵士たちは察したときキングダム冒頭の「李信将軍!」とついていくのだろう。熱い話である

李信一族

歴史を見ると、李信一族は「優秀だが報われない」一族であることがわかる。

李信の子である将軍・李広は武勇を誇るも功績を認められる憤死

その李広の孫である李陵は「あいつは寝返った」と勘違いされ、不名誉を着ることになった。

しか一族は決して衰退することな繁栄しのちの世にまで子孫を繋いでいる。

まり、「報われない一族でありながらも、きちんと評価してくれている人がいる」という一族でもある。

その筆頭が、史記を書いた司馬遷だ。先の李陵を弁護したため宮刑を受けてしまった司馬遷は、「自殺よりも歴史書だ!」と熱い情熱を燃やし、史記を書きとおした。

キングダム李信史記、これが一つにつながるのである

さらに、詩仙・李白李信一族の子孫なのである

李白始皇帝について詠んだ詩があるという話は聞いているんだが、それはまだ確認できていないが、ラストシーン李白に詩を読ませるところでしめてもいいかもしれない。

誰のための大将軍なのか

結局のところ、信が大将軍を目指して走ってきたのは、漂との約束があるからだ。

最初はただの功名心で始まった大将軍の道が、様々な出会いと別れで肉付けされていく。これがキングダムの一番の幹である

そこで、自分の夢を命を預けられる親友、政にであい、道を同じくする。

そして、「政の目指す国を作るための剣になる」ことに目標がほんの少しスライドするのである。その道の先に、名誉を捨てて理想のために戦うという、信の本来の姿が浮かび上がってくる。

李信大敗後、だれも責任を追及しないし、処刑もされないし、子孫は漢の時代からそのあとにも反映している。

それは史書には残せずとも、当時の人は本当のことを知っていたということにできる。

王賁あたりに「信、お前がナンバーワンだ」と言ってもらおう。

エンディング

キングダムがさわやかに終わる可能はどのくらいあるのだろうか。

かなり難しい気はする。

まぁ焚書坑儒については、ある程度行ける。

焚書で焼いたのは、各国の歴史書と、法律の本だ。あと儒教経典

これは当時の世相を考えれば、何とか理解できるような気がする。というのも、ぶっちゃけ中華史上初の統一国家を作る、となれば、強引にでも意思統一しなければならない。

そのために、「俺らの祖先は秦にころされたんだぜ」というような本は廃さねばならなかったろうし、儒教経典については、はっきり言って法治国家儒教邪魔なので、致し方ないといえる。

なんせ、儒教は「徳のある君主統治するなら、法律など不要」「法律なんてものを作ったら、その法律の穴を利用しようとする小物ばかりになってしまう」というものなので。

その代わり、農業書や実用書は焼かれずに奨励されたというしね。

あくまでも実利、実学法治思想での近代的な国家運営を目指した、が、それは時代が早すぎた。という感じなのか。

あるいは、「今理解されずともよい。後世に理想を見せるための建国なのだ」と言わせるか。事実、これ以降の中華大陸は「統一しなければならない」という意識がかなり強まった気はする。そして宋の時代中華思想が完成するわけで。

ボス

キングダム世界には裏ボス豊富だ。

まず趙高。いうまでもなく裏ボスだ。李斯も裏ボス風味ではある。

そして、裏ボスとしての説得力最高の人物がいる。史上最高の軍師張良だ。

なんとこの張良史書デビューしたのは始皇帝暗殺だ。始皇帝の乗る車にハンマーを投げ込ませるというエクストリーム暗殺未遂を起こしており、そこで追われる身となってセンプク。その最中軍学を学び、史上最高の軍師誕生するわけだが、

この経歴&女性のような容姿&仙術修行趣味から考えると…

暗殺者系の最上位の裏ボスになりうる!

仙術!妖術!暗殺術!キョウカイ以上の美貌!恐るべき頭脳

割と裏ボスにぴったりなんではないだろうか。

しろ張良始皇帝暗殺しちゃってもいいかもしれん。病気でなくなるよりは劇的だろうし。

後は妖術師徐福だな!

格はだいぶ落ちるが!

まぁいいか

最後

余命少ない俺には、生きている間にキングダム完結が見られないのでこんなことを書きました。

俺の代わりに最終回まで見届けてほしい。

2019-08-28

勘違いしてね?直接遺族を苦しめてるのは僕ら野次馬だろ?

僕の大学時代同窓生で京アニに行ったらしい奴がいる。

ほとんど話したこともないような奴で京アニ就職したというのも風の噂のようなものだ。もしかすると全く別の会社で働いているかもしれない。

それでも京アニのような名声を集めてやまない企業に、机を並べた人間が働いているかもしれないということは、僕にとってちょっとした誇りになっていた。

あの事件が起こってから彼のことが気がかりだったが、卒業後全く連絡をとっていなかった輩がとってつけたように心配言葉を周囲に投げかけまわるのは醜悪だと思いずっと黙っていることにした。

京アニにとって僕は一視聴者ファンしかない。その僕が心配ポーズをとって感傷的な言葉を撒き散らすのは、関係者や遺族にとって目障りになるはずだ。「本当に悲しい」「犯人絶対さない」という類の言葉が彼らの励みになる筈はないし、そんな当事者意識の強い言葉を吐く資格が僕にはあるのだろうかとも思う。僕らは所詮野次馬になるのが精一杯で、京アニ因縁があったヤマカンにすら視線を合わせることができない。僕らが遺族に同情したりあまつさえその心情を代弁しようというのはおこがましいことこの上ない。

応援なり追悼なら募金とたわむけの花で充分。金がないなら近くの寺や教会で手を合わせてひとしきり祈った後で京アニに向けたファンレターにひとしきりポジティブ言葉書いて送ればいい。

なんか勘違いしてね?遺族を疲弊させるのはマスコミじゃなくて野次馬になった僕ら"一般人"なのよ。マスコミきっかけ作ってるだけにすぎない。

マスコミ被害者情報という餌をちらつかせても一般人が食いつかなければ問題はない。世間にいるのは下衆い奴ばかりということをわかってて、中にはそれを利用するつもりでマスコミ報道していると側面は確かにあるが、遺族のもとに凸ったり誹謗中傷を浴びせたり根も葉もない噂を流すのは結局僕ら側の野次馬である

心配する声やよかれと思っての情報拡散すら被害関係者にはノイズとなるかもしれない、下手すればそのせいで間違った情報が広まり状況を混乱させるかもしれない。

京アニが今どんな状況か僕は知らない。来年公開予定の映画の進捗状況の詳細や公開の行方、そしてその後の京アニがどんな企画にどんな形で携わっていくつもりなのかに関する確証がある情報は何一つ知らない。僕と同じようなネット記事SNSから情報を得るだけの一ファンの皆さんもそれは同じだろう。

その程度の人間があたか京アニ再起不能だと言うような大げさなコメントを投げかけている様子は多々見受けられるが、彼らは自分の言っていることの意味理解していてその責任を負うつもりでちゃん発言しているのだろうか。

京アニには焼けたものとは別のスタジオが二つあってそこで70名近い社員が働いていることは流石に僕でも知っている。今回の事件京アニ死に体になったかように語るのは働いている社員の方々に失礼だし、京アニ経営存続が難しいという印象が一人歩きして風評被害にもなりかねない。アニメーターとすれば9月に公開される新作映画作品無関係事件を結びつけてネガティブな印象を持たれることもなるべく避けたいとも思っているかもしれない。

この事件は遺族の情報が公開されなくてもその分野次馬京アニという会社八木社長といった著名な関係者に飛びついていたんだろうと思う。紋切り型の「遺族の心情に寄り添わない傍若無人マスコミ報道批判がどれだけ吹き上がっても、京アニという会社のものが好奇の目に晒されているのではないか危惧する声はあまり見られない。こういった様を見ると結局僕ら一般人マスコミ批判出汁事件を利用しているだけで、関係者ことなんて本当は考えていないんだろうなとなんともなしにため息が漏れでてしまう。

2019-08-18

帰省

私は今、東北にある実家から新幹線に乗り埼玉を目指している。

ちょうど一関を過ぎたあたりだ。

埼玉には、私が一人暮らしをしているアパートがある。

新幹線は3人がけの窓際の席を取った。

車窓は薄暗く、夏らしい緑一面の田園風景と、地方都市らしい低い建物一面の住宅街の繰り返しだ。

1時間ほど、ずっと泣いている。

声を殺して、隣の親子連れに気づかれないように。

ふと冷静になってスマホをいじり、気がつくとまた涙が出てくる。

耳につけたイヤホンから今井美樹の曲が延々とループしている。

毎回、この繰り返しだ。

1年前のお盆休みも、年末年始も。

新幹線では泣いてばかりだなと、我ながら呆れる。

私の一個人のただの取り留めのない話。

数年前に東京就職し、私は埼玉一人暮らしを始めた。

それまで一緒に東京暮らしていた両親は、同時に東北にある実家の近くに家を買い、移り住んだ。

両親は同じ東北、同じ県、そして市の出身で、将来は帰るつもりだったらしく、私が大学卒業するまで待っていてくれた。

私はどちらかというと不出来で、高校都立に落ちて滑り止めの私立に進み、更には大学私立だった。

お金の件ではだいぶ迷惑をかけたと思う。

さら思春期反抗期では本当にどうでもいいことで対立し、今になって思えばこれだけで恥ずかしくて泣けてくる。

私が大学に入ってからしばらくして、母親に癌が見つかった。

はじめはまだ軽いからと笑っていたが、本心ではかなり不安だったと思う。

すぐに治療を始めた。

私が大学卒業する頃も治療を続けていて、でも毎日顔を見合わせていたし、特に代わり映えのしない元気な母親だった。

父親はそれまで家族に対してだいぶ傍若無人だったが、それ以降は本当に優しくなった。

定年を迎えて数年後に私が就職した。

それを考えると、両親は私の年齢を考えれば年老いたほうということがわかると思う。

ちょうど今から1年前の夏、生まれも育ちも東京の私は、実家とも呼べない実家帰省した。

母親は見るからに弱っていた。

詳しくは書かないが、癌が進行していた。

そんなに弱った母親を見るのは初めてで、帰省した日の夜に自部屋で泣きじゃくった。

帰ってくるかもわからない私のために部屋を作ってくれたことも、併せてつらくなった。

年末年始、そして今回の帰省、毎回この繰り返しだ。

そろそろ大宮に着くからこれ以上は書かないが、本当に親は大切にするべきだ。

いつ会えなくなるかわからない。

離れ離れになってから、すぐに会いに行けなくなるということがこんなにつらいこととは思わなかった。

仕事が忙しくなるに連れ、不安になる。

帰省すると毎日子供にも生まれ育った場所を教えたいと、どこかへ連れて行ってくれる両親。ありがとう

2019-08-02

なぜ人は「被害者名前公表するべきではない」と思い込むのか

最近、とにかく「マスコミ被害者名前報道するな」と起こってる人をネットでよくみかける。

いや、遺族のところに押し掛けて傍若無人取材なんかしてんじゃねえクソマスゴミ、というのはわかるのだが、「名前出すな」と憤る人の気持ちは、正直、なんだかよくわからない。

わりと、近所のじいさんとか死んでも地元紙に載っかったりする地方出身からかもしれないが、わりと人が世を去ったことを、とにかくひっそり隠そう隠そうとする風潮に、違和感があるのだ。

まあ、いろいろお悔やみの対応とか大変でひっそりやりたい、みたいなのは分からんではないけど、まあ、人が社会的存在である以上、人の死に多くの人が絡んでくるのは、必然だと思う。

2019-07-30

anond:20190730095304

昭和時代本当にそうだったんだよw 

「近視用メガネかけて出っ歯チップを置かない、

英語が通じずちょっと話せるやつも傍若無人命令形こちらの聞き返しは通じない

かならず空港で酒と煙草を買って帰る観光客」が日本人典型イメージ

平成でいえば中国人韓国人トイレマナーかいろいろ困る)だったけど

マナー向上してるんじゃないの

そんなもん

ADHDASDは何で生きてるの?

重箱の隅つついて論破して愉悦

周囲に迷惑与えつつ気楽に生き、診断されても「これも個性」とか言っちゃう。そして周りは支えてあげなきゃ駄目

なんでイジメちゃあかんの?なんで周囲が狂わなきゃあかんの?消えろよ、死ねよ。無人島コミュニティでも作って生きろよ

発達障害ADHDASD理解を、そして救いを?ふざけんな!薬飲んでその傍若無人を抑えてこい!

2019-07-03

自分障害者だった〜」は釣りでした。みんなありがとう

https://anond.hatelabo.jp/20190617204447

これ書いた増田です。思ったよりコメントとかもらえてて、皆さんのお話を聞けて割と幸せです。一人で悶々としていると考えすぎてよくわからなくなっていく。

これを誰かに打ち明けられる人生だったら良かったのだけれど、そんな人を作れなかったので今ここにこうしている。

ありがとうはてな。私は確かに増田に救われているものの一人である

ただみなさんに一つ謝らなくてはいけない。

実は、あの記事釣りだったのです。

そう、私は医者にも行ってなかったし、診断も受けてなかった。だから、書いたことは全部想像で、こういう状況下ならどういう感情になるかをシミュレートしただけの文なのでした。

ただ、一つ弁解させて欲しいんです。

かにあの文は釣りでした。

あの文は、嘘だった。

けれど、もう過去形です。

今は、本物に変わったのです。

そう、私は数日前に、発達障害である診断を正式に受けたのです。

なんであの文を書いたかというと、衝撃を分散させたかたから、というのが一番の理由です。文を書いた時、私には障害者である診断が9割は出るだろうと確信を持っていました。残りの1割はただの怠け者の健常者であるという結果だろうと。どちらにしても残酷ですね。

どちらにしても、割と衝撃的な診断になるだろう。だから、その前の心の準備があの文でした。いわゆる、リハーサルです。

私がこれから、どんな目を向けられて生きることになるのかを、確かめておきたかった。

実際の舞台で言う所の、記者を呼んで行う最終リハーサル、ゲネリハに近い感覚でした。

割と障害者であると診断される確信はあったので、自分障害者だと診断された時の感情としては全く嘘偽りのない、赤裸々な言葉たちが確かにそこにはあるのですが、やはりタイミングとしては嘘になります。違っていた可能性もあったわけですし。ごめんなさい。騙すような真似をして。

実際の私の症状は、ADHDもありましたが想定外自閉症スペクトラムも付いてきました。むしろ、こっちがメインでADHDの方がオマケ、くらいの状態だそう。

私は、思っていたよりも生きにくい世界で生きていたらしい。

想像以上に重めの障害として捉えてるような医者の口ぶりに、いささか狼狽を隠せないのでした。

その診断を、粛々と、穏やかな気持ちで聞くことができたのは、やっぱり皆様のおかげだと思う。ありがとう増田の皆さん。割と人生ひっくり返るような現実を心安らかに受け入れられたのは、皆さんのおかげです。皆さんの忌憚のない意見が先にあったからこそ、その衝撃は和らいだのです。

医者から言葉も、割と皆さんが言っていたことを要約して砂糖漬けにしたような耳障りのいいお話だった。

もし世界の脳のタイプ人口がひっくり返ったら、あなたの方が正しくて、今の多数派の方が自分は間違っているんだと精神を病むことになるんじゃないかな。あなたは、ちょっと運悪くこの脳のタイプが少数派の時代社会に産まれちゃったけど、でもあなた自体あなたの脳は問題ないんだよ。

聞こえのいい言葉ありがとうございます

まあ、正直、捉え方の問題しかなくない?どんなに好意的に捉えても問題解決するわけではなくない?とは思ったものの、それもまあ一つの優しさかな、と思って深くは考えないことにした。

そんなわけで割と心は、やはり穏やか。

結局のところ私はやはり自分普通になれない理由を求めていたのだ。

普通になろうと頑張ることを諦めるための理由を求めていた。一般社会でそれを諦める理由なんて、病理的なものしかないだろう。

私は、詐病でもなく、真っ当に、それを止めることができた。ありがたい話である

これで労力を無駄なことに使わなくて済む。

それに、これは自己肯定感の話にも繋がるように思える。

今までの自分なら、どうして私は普通になれないんだろうと悩みに悩んでいたところだったが、障害者であることが確定した自分なら、障害あるなりに頑張ったんだもんね!と納得ができるように思えた。

結局、周りがどうこうというより、私の中の問題なのである

私は、「健常者でどう頑張ってもグズの私」は一切愛せないし許せないけれど、「障害者トロいけど頑張っている私」にならば優しくできるような気がしたのだ。

それは、差別だろうか。だとしたらごめんなさい。

それに、本当ならそんなこと、障害のあるなしに関わらず、できるはずなのにね。どうにも不器用しか生きれない。

話は少しズレるが前回の文は障害者への差別意識が高いために苦しむのだ、という意見があったが、それは弁解しておきたい。あれは、どちらかというと、自己嫌悪自虐の色合いが強く、世間一般障害をお持ちの方々へ向けたものではないことはご理解頂きたい。

そういう言葉を発せられる時点で差別なんだよ、と言われたら何も言い返せないのだけれども。ただ、あの言葉たちは、私に障害者という属性付与されたから産まれ言葉たちなのだ。私がそうでなければ、発さなかった言葉たちなのである。そこは、信じて頂きたい…が、こういう言葉たちから自分意識しない差別って浮き彫りになるものですよね。反省きっかけにもなるので、そのあたりへのご意見特にお待ちしてます

そんなわけで、私の業火のように荒れ狂うような感情の波は、リハーサル架空時間のうちに消費されたために、今は穏やかに障害者である自分を受け入れられている。

いや、ただ、薬が効いているから穏やかなだけなのかもしれないけれど。

フルニトラゼパムの眠りから覚めたから、穏やかなだけなのかもしれないけれど。

ただ、先生からお話は、今までの人生伏線回収みたいで、謎が解き明かされていくような感覚だった。

いや、むしろ思い当たる点が多すぎて、これはコールドリーディングじゃないか?とさえ思った。

あなた地元の駅に商店街ありますよね?そこのパン屋さんの作るカレーパン、本当に美味しいですよね!みたいな。

ただ、もうそこはどうだっていいのだ。

理解してくれるかのような素振りすら今までの人生で得られなかったのだから、ほんの少し微笑みかけてくれるだけで嬉しくなっちゃう単純な人間なのだ私は。

それに、これが医師でも詐欺師でも、話に乗らなきゃ人生微動だにしない。

そして、解決策は、きちんと提示されている。

なら、乗りたいのだ、私は。

不適合者に薬を飲ませて利便性を図りたい世間の思惑にはまっているのだとしても、それで人生好転するならむしろWIN-WINだろう、きっと。

そう言い聞かせながら、不信感を拭うことにしている。

さらに加えると、思いがけない救いが一つあった。

こういう気質は、遺伝するから…親のどちらか、似たような人いたりしない?

その医者言葉にハッとした。

母です。私に似ているのに、私よりも勝手にいきていて、私より傍若無人な母。

その、トゲのある無神経な言葉に何度も苦しんで、母親のことが理解できずにいた。

しろ憎んでいた。憎くて、家から出た時、離れられてどれだけ嬉しかたことか。

その、母親も、もしかすると障害を持っているかもしれない。

それは、救いだと思いました。

今まで理解できなかった母を、許すための糸口を見つけられたから。

しかすると、もしかすると、私は親に嫌われていたわけではなかったのかもしれない。

障害のために歪んで見えていただけで。

まだ何も確証はないけれど、そんな可能性が見えただけで、とても嬉しかったのです。

その話を医者にしたら、まずは自分のことだけ考えなさいと窘められましたが。

みんなが増田に求めるものは、きっと強い感情の奔流のようなものだと思うから、きっと私のこの安らかな文は、前回の狂いそうなほどの衝撃の中で書いたそれよりも、きっとつまらないに違いない。

けれど、やっぱりみなさんの存在に救われたものとして、その後をお伝えしたかったし、感謝の念をお伝えしたかったのです。

ありがとうみなさん。

私、障害者として生きていきます

頑張ります

今までの人生の苦労は無駄じゃないって、今は思えます

生きやすくなりたいともがいた日々は、障害言葉で無に帰ったわけじゃなくて、むしろもがいたか障害という答えにたどり着けたんだと今は思ってます。そう信じてます



病院からの帰り際、モンシロチョウを見かけました。太陽光が突き刺すような、アスファルトの熱が柔く伝わる、少し早い夏のような日。

そのモンシロチョウは、ゆらり、ふわりとまるで、よろついているかのようなおぼつかない動きで公園の緑の中へと消えていきました。

夏にもモンシロチョウは生まれるとは聞いたことがあります。けれど、この炎天下で、この蝶はどれだけ生きれるんだろう。

今までの自分なら、その姿に勝手自分を重ね合わせ、世を儚んでいたのだと思います

けれど、今の私には、別の姿に見える。

あの蝶に木陰という場所があるように。

きっと私にも、穏やかな、帰りつくことのできる場所が、あるんじゃないかって。

そしてこれから人生で、そんな場所を見つけられるんじゃないかって。

今はまだ、蝶のように美しくはなく、蝶よりもおぼつかない、ゆらめくような足取りだけれど。

そう信じたくなったのです。

勝手に、蝶と私を重ねて見ながら。

どうか、私にも、そして読んでいるあなたにも、あなただけの、それぞれの木陰を見つけられますように。

もう見つけている方には、その木陰の中で、健やかに、美しく、揺るぎなく、生きれますように。

密やかに祈っております

みなさま、本当にありがとうございました


追記

ほんと優しい…ご指摘ありがとうございます

前の文にこちらへのリンクを貼りました。

更に追記

増田で文を書いたら、お言葉をいただけることが嬉しくて…ブログを立ち上げました。

もちろん増田からコメントもらえてたのはわかってるんですが。

記録を、私という連続性を付与してつけていきたいと思ったのです。

もし私の文にご興味ありましたらお越しください。

このブログを通じて、少し優しく見えてきた世界に、もう一度触れ直してみたいと思ってます

https://liveintheswayingdays.hatenablog.jp/

戸田真琴さんのnoteを読んだ分散SNSユーザ

https://note.mu/toda_makoto/n/n7f9eaf91302e

上記noteを読み、感銘を受けたので分散SNSを中心に活動するユーザ達が今どのように分散SNSと付き合っているかMastodonを例にして記す。

正直に言って現在Twitterは酷い。

悪を発見した者たちは自身言動正義として疑わず執拗なまでに発見した悪を追い詰める。

どう解釈してもその者たちは正義の味方【ヒーローではない。悪を徹底的に追い詰める悪の敵【ダークヒーローである

我々が幼少期に憧れたアンパンマン仮面ライダーウルトラマンセーラームーンプリキュアetc...などが取るような言動では決してない。

はてな匿名ダイアリーを利用するようなユーザ分散SNSをよく知っているだろう。ただしそれはおそらく誤解を多く含んだ理解だ。

分散SNSの多くはオープンな形で開発されており、情報技術者やギークの多くはオープン技術を好む傾向がある。

からこそ分散SNSに集うユーザ情報技術者やギークが多いのだ……これが既に間違いである。

かに分散SNSにはその傾向はある。しかしながら分散SNSを使うようになった者は「Twitter疲れた」という理由を持っていることが多いのだ。

いっときの、いわゆる「Twitterアカウント凍結祭り」が切っ掛けだったとは言え、分散SNSへ定着したユーザの大半は分散SNSに心の安寧を得ている。

悪の敵が跋扈するTwitter比較して分散SNSは明らかに悪の敵の数が少ないのだ。何故だろうか?

その解答の1つとして、そもそも分散SNSには「Contents Warning(CW)」機能と「Not Safe For Work(NSFW)」機能がある。

CW機能日本語へ意訳すると「テキスト閲覧注意」のための機能だ。CW機能を使うと指定した範囲テキスト隠蔽され、他のユーザはそれを読むとき能動的に操作して隠蔽を展開する必要がある。

NSFW機能日本語へ意訳すると「画像閲覧注意」のための機能だ。NSFW機能を使うとCW機能と同様に投稿画像隠蔽され、他のユーザはそれを見るとき能動的に操作して隠蔽を展開する必要がある。

これらの機能存在は大きな意識を各々のユーザへ与えてくれる。それは「アナタ言動によって心を痛める人が居るかも知れない」というもの

分散SNSユーザはこれらの機能があるため先ず投稿へひと呼吸置く傾向がある。もちろん「この投稿CW(NSFW)を使うべきかな?」というひと呼吸だ。

別にこれらは強制的ルールでもなく分散SNS村社会的に暗黙のルールとして絶対となっているわけではない。しか分散SNSユーザはひと呼吸置く。

なぜならTwitterの現状があるからだ。Twitter反面教師になっているのだ。Twitterユーザのように自分がなりたくないのだ。

もちろんTwitterのようなマイクロブログSNSは気軽につぶやけるというのが美点だ。しか自分の気軽さは他者の気軽さではない可能性は十分にある。それを分散SNSユーザはよく知っている。Twitterを見てきたから。

少なくとも戸田真琴さんが例に挙げた凄惨画像分散SNSだとNSFWになったことだろう。そしてNSFWになっていない凄惨画像は共有ボタンを押すことへ躊躇がなされただろう。

更に分散SNSは、戸田真琴さんは少々否定気味だったが、Twitterよりもカジュアルブロックミュートが行われる文化がある。

これは前述した「アナタ言動によって心を痛める人が居るかも知れない」の裏返しだ。自身の心の安寧を守るためブロックミュートをして見えないようにするという自由価値観として分散SNSユーザ全体で共有されている。

この件についてはPixiv運営する絵描きが集うMastodonサーバのPawooが、外国Mastodonサーバから連携拒否(ドメインブロック)されたことに関して、Pawoo側のユーザ外国Mastodonサーバのその決断を称賛したことにも現れている。

外国MastodonサーバではPawooの絵描き投稿する一部のイラスト問題視されていた。性的イラストは見たくない、性的対象として描くのはおかしいという価値観外国Mastodonサーバで起き、その外国MastodonサーバはPawooとの連携を切る決断をした。

Pawooのユーザたちはそれへ対して「住み分け大事」と言ったのだ。自分たちが生み出す作品への「無理解」へ対して怒るでもなく悲しむでもなく、Pawooのユーザたちは外国Mastodonサーバ決断へ「理解」を示した。

分散SNSMastodonを含む分散SNSサーバ同士が相互接続しあってSNSとしての体を作り出している。

分散SNSを知る人々がこの辺りに誤解を持つことが多いが、Mastodon分散SNSではない。

こう言うと少し詳しい人は「知ってるよ分散SNSってMastodonの他にGNU SocialやFriendicaとか色んな種類があるんだろ?」というが、それ間違いである。

MastodonMastodon分散SNSサーバだ。GNU SocialもGNU Social=分散SNSサーバ、FriendicaもFriendica=分散SNSサーバだ。

分散SNSとは分散SNSサーバ同士が相互接続しあって形成するネットワークのものを指す。

すなわちMastodon種別として分散SNS対応SNSということになり、だからこそ非常に誤解されやすい。SNSが2回出てくるためよくわからないことになっている。

Pawooがなぜ外国Mastodonサーバから連携拒否されたことを受け入れられたのか?

そもそも分散SNSにはルールが無いかである分散SNS分散SNSサーバ同士が相互接続しあって形成するネットワークのものを指すのであれば、ルールを作るのは非常に難しい。

ルールを作りたいのであれば、ルール分散SNSサーバ毎に決めなければならない。というかそれ以外にルールを定める方法がない。

まり、だからこそ外国MastodonサーバルールとPawooのルールは違うものなのだ。そしてPawooのユーザ外国Mastodonサーバ独自ルール運用する自由を認めたのだ。Pawooには好きに絵を描く自由があり、アナタたちには絵を見ない自由があると。

そして外国MastodonサーバはPawooのユーザ自由に絵を描いていることを制限しようとはしていない。外国Mastodonサーバユーザたちは絵を描く自由を認めて居るのだ。

分散SNSネットワークには非実在青少年のような問題は無い。外国Mastodonサーバにはあるかも知れない。しかしPawooには無いのだ。双方のルールの違いを認めあっているからこそ分散SNSネットワークにはそういった問題存在しないと言えるのだ。

Twitterにこのようなことが可能か?

無理だろう。TwitterTwitterルールという1つの価値観しかないのだから

例え今後TwitterCWが導入されようがNSFWが導入されようがTwitterではたった1つのTwitterルールに則らなければならないのだ。Twitterネットワークではルールの違いは認められていない。

SNSでの自分価値観他者価値観を両立しようと思えば分散SNSというのは間違いなく現状ではTwitterよりもより良い解決策を示していると言える。

分散SNSでは自分自身分散SNSサーバ管理者になり、自分自身分散SNSサーバルールを作る側に回ることすら可能なのだから

戸田真琴さんが分散SNSサーバ、例えば戸田真琴さんが自分自身のためのMastodonを立ち上げれば、そのMastodon内でのルール戸田真琴さんである

他の分散SNSサーバ戸田真琴さんの価値観を「ルールの違い」として認識して、戸田真琴さんが特定分散SNSユーザブロックしようがミュートしようが、特定分散SNSとの連携を切ろうが、すべてはルールの違いであり、他の分散SNS戸田真琴さんのMastodon内でのルール行使を受け入れる。

例えば戸田真琴さんが自身Mastodon内で傍若無人に振る舞い絶対権力者として君臨していることを誰かが非難したとしよう。戸田真琴さんが法令違反していないのであれば他の分散SNSサーバ管理者たちは戸田真琴さんを全力で擁護する。戸田真琴さんのMastodonでは戸田真琴さん自身ルールなのだと。

もちろん分散SNSとはいえ倫理はあるし戸田真琴さんが自身Mastodon内とは言え暴言を吐きまくれば非難する人が現れ、その非難は多くの人が理解を示すだろう。

しかし、戸田真琴さんのMastodon内での暴言を止める権利は誰にもない。戸田真琴さんの暴言が気に食わなければ戸田真琴さんのアカウントブロックするかミュートするか、戸田真琴さんのMastodonとの連携を切ることが分散SNSとして正しいやり方なのだ

分散SNS個人個人が違うこと、コミュニティー毎にルールがあることを前提で成り立っており、だからこそブロックミュート、ドメインブロックカジュアルに行われ、それらがカジュアルに行われるという認識があるからこそ言動の前にひと呼吸置くという文化がある。

これこそが2ちゃんねるmixiFacebookTwitterを経て、SNSで心の安寧を得るための現在想定できる最も良い方法なのだ

Twitter疲れたのならば分散SNS価値観の違いやルールの違いを謳歌しよう。

2019-07-01

人生楽勝、超楽しい!な幼馴染が何人もいるけど彼らには共通点が多い

大学進学率9割、Eランに半分進学するレベル偏差値60くらいの進学校出身

センター英語110点くらい

英語現文社会の3科目60%くらいでセンター利用合格する「地元ではディスられない」私立文系

芸能スポーツ関連のトピック以外の活字は読まない

新書1冊読んだだけで頭がヘトヘトになる

清原がまだ現役選手傍若無人な振る舞いを許されてたときは「番長かっけ~!!」って親愛を抱いていた

清原覚せい剤逮捕されたら「こいつ最低だな…」と本心から軽蔑して突き放す。あんな奴はもともと駄目だよ、見抜けないやつが馬鹿、くらいの二枚舌も使う

・憔悴しきった清原が表舞台に帰ってきて涙ながらの懺悔をしているのを見て「もらい泣きした。感動した。頑張ってほしい」と許しちゃう。とにかくテレビに影響されやすく、感情コントロールされやす

友達飲酒運転逮捕されたとしたら非難するどころか同情するし、なんなら捕まえた警察に腹を立てる。被害者を内心でディスるである

自分にとっての天才思想家がマツコ、有吉、小籔、橋下徹

・「あいつ、お前の悪口言ってたぞ!w」という報告を受けたら完璧に信じるし、報告者に不快感も抱くこともない。ちょろい。

イケメンヤンキーグロメンの東大教授だったら前者のほうが地頭良いと本気で思ってる

・酒の席や大勢での雑談バラエティ番組収録中のタレントみたいなノリを徹底できないようなやつはヤバイ奴と見なして敵視する

選挙行かない

こいつらとにかく人生楽しくて仕方ないってのが近くにいてよくわかる。

サクッと結婚して、当然のように子供作って育てて、家買ってるからな。全部20代で済ませてる。

逆にはてな民みたいな連中も小中時代同級生つながりで多くいるけどあれはダメだ。どうしょうもない

人生楽しくない感が滲み出てる。

ジェンダーとか、ITとか、「(自分に投げかけられた他意のない、ごく普通発言に対して過剰反応して、勝手被害妄想っぽく傷ついて、さもそれが正当であるかのように長々と文章書き連ねて挙げ句に)モヤッとした…」とかそういうことについてごちゃごちゃと論を張っちゃう奴らな。

お前らバカなんだからバカとして生きて人生楽勝君になっちゃえよ。

育休が取れなくて社会がどうだの、婚活したけど上手く行かなくて社会がどうだの、通勤時間帯の電車ベビーカーがうんちゃらで社会がどうだの、

つまんねえんだよそういう話題はもうゲロなんだからやめようぜ。

つまんねえんだよお前ら。


追記

半分くらいはFランに進学←誇張があった。正しくはEランくらいだろう。

関東学院とか杏林とか多摩大とかそんなレベルのとこ。

2019-06-27

筋トレ始めてから明らかに性格が悪くなった」が逆ステマ根拠

筋トレ始めてから2年、見た目にも強そうになったしベンチプレスもMAX100kg越えたんだけど

自覚出来るくらい性格が悪くなった

電車の中でイキってるオッサンに怒鳴りつけたり騒いでる大学生っぽい集団にオラついたり

道でぶつかった奴を追いかけ回して土下座させたり

住んでる部屋の隣の奴がうるさいから怒鳴り散らしながらドアを蹴りまくったこともある

このままだと前科者になりかねないと頭ではわかってるんだけど自分に向けられたストレスを一切我慢できなくて、自分でも些細と思うようなことでめちゃくちゃにキレるようになってしまった

どうしたらいいんだろう

anond:20190626175620

結論から申し上げて、

これは筋トレなんかしてない人による筋トレ逆ステマだと思います

これから根拠を述べていきます


1.ベンチ100kgという数字意味

筋トレ始めてから2年、見た目にも強そうになったしベンチプレスもMAX100kg越えたんだけど

自覚出来るくらい性格が悪くなった

まずこのベンチプレスMAX100kgというところでも、経験者なら「あっ(察し)」となります

なぜならこれは、やったことない人が思う”凄い”の基準から


ベンチプレス100kgというのはまあ初心者ではない。

ギリギリ初心者か違うかな?のレベルだけど。

これはウエイトトレーニングしてる人の中ではすごくない。全然雑魚と言われるレベル


2.未経験者と経験者の感覚の違い

100kg挙がるぐらいまでやった脱初心者なら、「上には上がうんざりするほどいる」ということは気付く。

1人でやってても雑誌youtubeウエイト板見てるだけで気付いてしまうし、

多くの人はジムスポーツクラブでやるので、扱う重量も体も自分とくらべものにならない人を必ず目にする。

しろ自分って全然ショボいな」という感覚になる。


からほんとにトレーニングしてる人で、ベンチがMAX100kgなら、恥ずかしそうに申告するんです。

あなた達の周囲にベンチプレス100kgだという人がいたとして、

気まずそうに100kgだと認める人は本当にやってる人で、100kg挙がる人です。

得意げに100kgだと申告する人はやってない人で、100kgも挙がりません。

これは絶対法則から興味あれば覚えておいてください。


まとめます

ベンチプレス100kgごときですごいと思うトレーニーはいない。(それをすごいと思うのは明かにやってない人の感覚

自分が初めて100kg到達してもそれで増長することも不可能。(何の趣味でもやりはじめるとより上の領域が目に入る)

ウエイトやり始めると美的感覚が変わり、ベンチプレス100kg程度の体は「強そう」ではなく「細い」「クソガリ」と感じるようになる。

 パワーリフターみたいな身体を「強そう」「かっこいい」と感じるようになる。同性にも異性にも筋肉で太いケツや脚を求めるようになる。


3.そもそもベンチプレスでは強くも強そうにもならない

以上のあらゆる観点から元増田にはトレーニングしてる人の臭いしません。

トレーニングについてのディテールもなさ過ぎるし。いきなりポンとベンチプレス100kgっていうでしょ?

どういうフォームなのか何もなし。ビッグ3の他の種目はどうなのかもなにもなし。

更に言えば喧嘩やぶつかり合いで強くなるのに必要なのはデッドリフトスクワットで、

ベンチプレスは胸板が厚くなること以外は実用的には何の役にもたたないし。

そして100kg程度じゃ胸板なんかいくらも厚くならないし。「見た目も強そうになった」とか笑わせないでほしい。

電車の中でイキってるオッサンに怒鳴りつけたり騒いでる大学生っぽい集団にオラついたり

道でぶつかった奴を追いかけ回して土下座させたり

住んでる部屋の隣の奴がうるさいから怒鳴り散らしながらドアを蹴りまくったこともある

こんなの本当に妄想だとわかるのが、

ベンチ100kg程度の一般人と変わらない体でこんなことしたって

イキったおっさんも騒いでる大学生も余裕で「あ?」って向かってくるから


100kgなんて準備運動の私にすらつっかかってくるおっさんがいるんです。

体つきで彼我の強さがわからない、あまり気にせずに突っかかる人間は実は結構いる。

ましてMAX100kgぐらいのクソガリがそんな傍若無人に振舞えるわけが無いでしょう。



4.スクワットデッドリフトはいいぞ!

そしてウエイトトレーニングに興味ある人の為にも書いておきます

ウエイトトレーニング精神作用について、テストステロンが出るとか活力が出るとか凶暴になるとか言われるああい効果を得たいなら、

それもやはりベンチプレスではなくスクワットデッドリフトです。

何故か?

ベンチプレスより遥かに使う筋肉が多くて大きくて、キツいからです。

スクワット限界チャレンジしてるとき、顔がジャックハンマーみたいになります

あそこまで血管は浮き出ませんが、目が釣りあがり目が据わり恐ろしい顔つきになります自分で鏡にビビます

変なホルモンが出ています


スクワットベンチプレス限界に挑戦していると日常生活でも活力が出ます

変なホルモンが出ています

ベンチプレスでは変なホルモン出ません。少なくとも100kgなんて領域では出ません。


5.趣味に取り組むと自分の未熟に気付く

私はベンチプレスならストリクトフォームノンブリッジノンベルトで140kg上がります

でもこんなの全然すごくありません。上には上がうんざりするほどいます

そもそも身近にいる私の先生が200kg上がるから増上慢など不可能です。

ていうか女性ですら私より挙がる人が山ほどいるんです。

体重たった52kgの白川カオリさんが私と同じ140kgです。

ね?「自分がすごい」なんて感じる隙どこにもないでしょ?

知れば知るほどそうなるんです。



フィクションなんかでよく「格闘技ちょっとかじった人間がイキる」という描写が出てきます

あれもちゃん格闘技やったことある人ならリアリティがないとわかります

何故か?

ちゃんと始めてみれば、教室道場で繰り返し「自分が一番雑魚」「すごい人は山ほどいる」「自分程度がイキったらすごい人達が黙ってない」「そもそも自分程度では誰にも自慢できない」というのを肌で感じるからです。

教室道場や人の集まりにはそういう作用がある。

格闘技とかでイキってる人間がいるとすればそれはその道場トップ人間です。

残念ながらそうなってしまうようなトップもいる。

始めて2年で実力もキャリアもないという人は絶対に身の程をわきまえて謙虚ものです。


6.何故筋トレ逆ステマなどというものがあるのか

何故なのかはっきりはわかりませんが、筋トレに対して敵意を顕にする人がネット結構ます

話題フリー掲示板トレーニングスレ立てて歓談してると喧嘩腰で入って来たり。

彼等は筋肉に対する変な意識過剰、コンプレックスや恐怖心があるのではないかと思います


元増田の嘘話の異常な乱行

電車の中でイキってるオッサンに怒鳴りつけたり騒いでる大学生っぽい集団にオラついたり

道でぶつかった奴を追いかけ回して土下座させたり

住んでる部屋の隣の奴がうるさいから怒鳴り散らしながらドアを蹴りまくったこともある

も、

筋肉のある人間に対する恐怖や嫌悪イメージが膨れ上がったものではないでしょうか。

あいつらこんなことやってるに違いない」みたいな。

でも電車とかで暴れてる人は単にストレスで頭が狂ってるだけで、体は普通だったりすることが多い。


実際の所はトレーニングしてる人間は大体みんなオタク傾向で寡黙で礼儀正しいです。頑固な人は多いかな。

ジムでイキりがちなのはフィジーク系の人たちです。

イキってるといってもチンピラ的なノリではなくナルシスト的なノリです。

彼等はスクワットが嫌いで脚がほっそいので喧嘩は弱いです。

基本はウェーイな仲良しで、でもそのうちその輪の中で弱い誰かをじんわりはぶってるみたいな。全員大して挙がらんくせに。


筋肉を恐れて妄想逆ステマしてるぐらいなら、興味はあるんでしょうからジムに飛び込んでみて体で体験した方がいいと思います

コンプレックスは未経験ゆえに生じるものですが筋トレはすぐ体験できるのだからコンプレックスの中では解消しやすい部類です。



追記

macos9-02 フィジークへの偏見がありますね。

2019/06/27

うんごめん

ぶっちゃけ近くのジムでよく見かける駄サイクルフィジークサ-クルが嫌いなだけ

フィジークでもちゃんとした人やいい人がいるのは知ってるよ

前にジムにいたフィジーク頑張ってる若者は重量も挙がるし真摯だった 

サークル避けてよそ行っちゃったけど

2019-06-13

anond:20190613233747

優しくすると勘違いしてつけあがり逆恨みされる

傍若無人に振舞えばむしろ男らしいと思われて好かれる

それが女

anond:20190613191238

「たぶん」だろ?

実際は男はこういうのは言わねえんだよ

なんでかわかる?


そもそも女のこの種のモラハラが何を背景に生じるかというと

恋愛において若い女は圧倒的な強者だという事実

まりこれは強い立場に立った途端傍若無人な気分になって相手モラハラしまくる人

博覧会


なんで男がこういうのは言わないかわかった?

男は恋愛でこんな圧倒的強者立場に立つことはないからだよ

男でこの女達と同じような人格の奴(強い立場に立ったとたん人を踏みにじって全能感に酔いしれるタイプ)がモラハラを始めるのは

金とか社会的地位強者立場に立ったときだよ

よくあるセクハラパワハラ中年

2019-05-24

anond:20190524123539

交通費負担せずに全国から呼び付けた数十人に対して数万ずつカツアゲするという傍若無人行為への心理的負担

2019-05-12

anond:20190512065704

これとかこれのブクマとか読んでてふと思ったんだけど

一応「だめなおっさん」というジャンルは愛されていて世の中にある程度あるけど

ダメなおばさんっていうかダメな女がダメなまま楽しそうな作品ってそんなないのかなあ

ダメおっさん作品でも女の人は大抵しっかりしてる感じの描写されてるし

そうでなければものすごく不幸な境遇の中にいるか不幸になって終わりか

ダメだったけど成長して次の段階に進むみたいの多い気する

ダメ女がダメ女なまま楽しそうな作品もあれば知りたい

追記

いじわるばあさんなるほど!

あとこれ書いてから自分であれこれ考えてみたんだけどひとつ思い出したのは佐々木倫子作品女性達かな

世間的なペースに合わなかったり考え方や行動がだいぶ平均と違っていて周囲をものすごく振り回したり

逆に世間についていけなかったりしてるけどどうやっても自分を手放さないいやあなたほんとは強いでしょ!?

って女性が多い気がする(そのまんま強そうな女性も多いが)

菱沼さんもハムテルの母もそうだしそれより以前の過去

(忘却シリーズや「林檎ダイエット」の双子など)の女性たちも概ねそんな感じ

チャンネルはそのまま!」の雪丸なんかが特にいちばんわかりやすいか

でも特に破天荒なのはHeaven?」の黒須仮名子と伊賀くんの母親だな

ものすごく傍若無人だし我の通し方とか締切からの逃げ方とか仕事の仕方とか人の使い方とか

だいぶダメ人間だけど人とは違う理論の上ですごく楽しそうに生きてるなと思う

そのダメさのあまり周囲の方が諦観して馴染んでいく様子は女版寅さん的なところがあるかもしれない

まあこういう描写が成立するのってもちろん作品世界の中にそういう女性敵対する人間存在がないことかもしれないけど、

佐々木倫子作品男性もわりとダメな人も多いし(「Heaven?」の川合君とか、エリートだけど漆原教授とか清原とか)

でもいつも明るい諦観によって許容されてて男女共にダメ人間でも生きていきやす世界が描かれてる気がする

作品世界を支える細部の描写は密だが逆に恋愛的な要素や現実的パワーバランス

まり入りこまないのもこういう描写ができる一因でかつ面白いところなのかもと思った

2019-05-07

傲慢だった男が謙虚になる

https://dot.asahi.com/dot/2019042600016.html

これを読んで思い出した。

私は小学校二年ぐらいまで傍若無人な振る舞いしてたんだけど、その結果、クラスから孤立していたっぽい。

皆も記憶を思い出してほしいんだけど、人を排除するときって、小学校低学年の時は協力して排除する知恵はなかったと思う。ただ、気に入らない奴だから集合知排除されていっぽい。

当時の私はそれを肌身で実感し、恐ろしくなったので、それ以降は傍若無人振る舞うことはしなくなった。もう三十年も前の話だ。

8才でよく気づいたな私。66で気づかなくてよかった。

弊害?としては、性格診断とかで周りの顔色を伺ってしまうという質問項目に100%○をしてしまうことかな。俺様キャラなんてあり得ないし幻想からしょうがないね

2019-05-02

喜多見柚と工藤忍の担当フリルスクエア私物化とその傲慢さへの怒り

https://note.mu/nofs1234/n/ne6c6ccefb032

桃井あずきの担当なんだが、喜多見柚と工藤忍の担当への怒りが止まらない。もう総選挙なんてどうでもいい。原因はタイトルに書いた通り、喜多見柚と工藤忍の担当による工藤忍への票の集約、ひいてはフリルスクエア私物化だ。主に言いたいことは以下の3点である

フリルスクエア自体について

 客観的事実から判断して残念ながらもう行き詰まったと思っている。声なしが残り3人も居る。忍は何とかなるかも知れないが、正直に言ってあずきと穂乃香はあまりにも厳しい。今回も総選挙の各属性中間15位に入れなかった時点で『総選挙で最終50位以内の実績を付ける』ということはこの先何年かを見てもかなり厳しい状況となった。この状況でサプボでユニットデビュー可能性は極めて低いだろうし、仮にそうなったとしても炎上だけしてデレステでロクに出番も貰えないであろうことは間違いない。このように、先が見えない上に行き詰まっている。認めたくはないけれど、終わったと判断するしかない。あずきが現状足手まといになってるのは心苦しいのだが事実事実として受け止めている。仕方がない。

しかし、だからといって忍に票を集約しようとはどういうことなのか。あずきはあずき、穂乃香は穂乃香に投票して支えるべきだ。

それを忍が勝てそうだから集約しようと言う。それは忍と柚の担当自己中心的な考え方であり、自分達に都合が良い論調形成だ。これはユニット私物化に他ならない。

かにフリスク担当ほとんど忍と柚の担当だ。前に何かの総選挙データを見てうろ覚え記憶だが、アカウント数にしてフリスク担当の8-9割がそうだというのは知っている。だが、だからといってそこが傍若無人に言いたい放題して良いという訳ではない。結局の所、忍と柚の担当にとってフリスクは「自分達の意見が通りやすい都合の良いユニット」という扱いなのだと感じている。この、忍と柚の担当傲慢さが最近鼻に付いて仕方がなく、今回の怒りの大元である。あずき・穂乃香の担当の数が少ないことにかこつけて好き放題やられている現状がある。

②柚の担当について

 フリスク担当中の最大派閥認識していて、期待を寄せてくれているのは分かっているが、反面それは運営が「何年間にも渡って柚の人間関係フリスクにのみ絞った」結果だと知っている。これはシンデレラガールズ劇場過去ログを見れば明らかであり、柚は一時期どころではなく数年に渡ってフリスクしか絡みがない時期がある。つまり、必ずしもフリスクが良いと思っている訳ではなく、フリスクしかいから面倒を見ているだけという状況であるトリプルYOUイベントを貰えば人によってはフリスクなどどうでも良いと掌を返す人も出るだろうと推測している。そのくせ、自分達はもう声が付いてるからから好き放題言える。フレンズホリデーに関する物言いはその最たるものと言える。

立場が上の奴の担当が言いたい放題言うなよ。お前らの都合の良い願望を満たすためにフリスクを使うなよ。武田さんが何だ?それはあんたらの声優であってあずき・穂乃香・忍の声優じゃない。都合の良い話を押し付けて焚きつけるために使うなよ。

武田さんがフリスクを気にかけてくれているのは知っているがあのパスケースが実現することはない。全員が総選挙で最終50位以内の実績を付けてから、というのはあまりに遅すぎる。あと何年掛けるつもりだ?可能性として有り得ない。可能性として有り得るのはサプボでユニットデビューした場合だ。しかし、柚の担当はもとより忍の担当総選挙の実績を言い訳にして批判を食らわない立場であるのに対して、あずきと穂乃香の担当はそういった言い訳が出来ないため、批判を食らうという忍と柚の担当に都合の良い状況だ。柚の担当は「あずきと穂乃香の担当は実績なんか出なくてもいい」「忍だけ実力で声を付けて残り2人サプボで4人揃えばいい」「炎上しても批判はあずきと穂乃香の担当が引き受けてくれる」と暗に思ってるのは見え透いている。

フリスク私物化したいという意識自覚的しろそうでないにしろほとんどの柚担当の中にあるのを確信した時は絶望したし、それ以降フリスクに何の希望も抱かなくなった。フリスクはこいつらのオモチャなのだ

③忍の担当について

 フリスクに対して自分達に都合の良い話を通そうとしている部分は柚の担当と大差ないが、そのやり方が正攻法ではなく小細工なのが問題である

コナンとかナゲットとかふざけてるのか?忍の良さが何も伝わらない、動物園珍獣のような見せ方じゃないか

忍の良さを正攻法で伝えよう、というものではなく、一過性ネタとして消費しようとした、という印象を受ける。シンデレラガールズと全く関係ないコンテンツを過度にネタにするのはただの悪ノリに過ぎない。企画者は頭を冷やした方が良いと思う。

そんなことだから属性3位も狙えず、知能に疾患があるような言動遊佐こずえや特徴のないモブ今井加奈といまだにたらたら争ってるんだよ。

最後結論を言う。

喜多見柚、工藤忍の担当に告ぐ。

フリスクはお前たちのオモチャじゃない。

フリスク私物化するな。

忍の票稼ぎの理由に使うのは即刻止めろ。

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