ちょうど一関を過ぎたあたりだ。
新幹線は3人がけの窓際の席を取った。
車窓は薄暗く、夏らしい緑一面の田園風景と、地方都市らしい低い建物一面の住宅街の繰り返しだ。
1時間ほど、ずっと泣いている。
声を殺して、隣の親子連れに気づかれないように。
ふと冷静になってスマホをいじり、気がつくとまた涙が出てくる。
耳につけたイヤホンからは今井美樹の曲が延々とループしている。
毎回、この繰り返しだ。
新幹線では泣いてばかりだなと、我ながら呆れる。
私の一個人のただの取り留めのない話。
それまで一緒に東京で暮らしていた両親は、同時に東北にある実家の近くに家を買い、移り住んだ。
両親は同じ東北、同じ県、そして市の出身で、将来は帰るつもりだったらしく、私が大学を卒業するまで待っていてくれた。
私はどちらかというと不出来で、高校は都立に落ちて滑り止めの私立に進み、更には大学も私立だった。
さらに思春期の反抗期では本当にどうでもいいことで対立し、今になって思えばこれだけで恥ずかしくて泣けてくる。
はじめはまだ軽いからと笑っていたが、本心ではかなり不安だったと思う。
すぐに治療を始めた。
私が大学を卒業する頃も治療を続けていて、でも毎日顔を見合わせていたし、特に代わり映えのしない元気な母親だった。
父親はそれまで家族に対してだいぶ傍若無人だったが、それ以降は本当に優しくなった。
定年を迎えて数年後に私が就職した。
それを考えると、両親は私の年齢を考えれば年老いたほうということがわかると思う。
ちょうど今から1年前の夏、生まれも育ちも東京の私は、実家とも呼べない実家に帰省した。
詳しくは書かないが、癌が進行していた。
そんなに弱った母親を見るのは初めてで、帰省した日の夜に自部屋で泣きじゃくった。
帰ってくるかもわからない私のために部屋を作ってくれたことも、併せてつらくなった。
そろそろ大宮に着くからこれ以上は書かないが、本当に親は大切にするべきだ。
いつ会えなくなるかわからない。
離れ離れになってから、すぐに会いに行けなくなるということがこんなにつらいこととは思わなかった。