はてなキーワード: 今井美樹とは
第1回(2008年)
黒木瞳(芸能部門)、小渕優子(政治部門)、坂東眞理子(学術部門)、勝間和代(経済部門)、栗原はるみ(文化部門)
第2回(2009年)
今井絵理子(音楽部門)、黒田知永子(文化部門)、安田成美(文化部門)、俵万智(学術部門)、佐々木かをり(経済部門)
第3回(2010年)
森高千里(音楽部門)、江角マキコ(芸能部門)、蓮舫(政治部門)、久保純子(文化部門)、小谷実可子(スポーツ部門)
第4回(2011年)
今井美樹(音楽部門)、石田ひかり(芸能部門)、清原亜希(文化部門)、山本愛(スポーツ部門)
第5回(2012年)
渡辺満里奈(芸能部門)、土屋アンナ(音楽部門)、冨永愛(文化部門)、岡崎朋美(スポーツ部門)
第6回(2013年)
西原理恵子(文芸部門)、hitomi(音楽部門)、長谷川京子(芸能部門)、辻希美(文化部門)、赤羽有紀子(スポーツ部門)
第7回(2014年)
小倉優子(芸能部門)、北斗晶(スポーツ部門)、内田恭子(文化部門)、小室淑恵(経済部門)
第8回(2015年)
永作博美(芸能部門)、高島彩(文化部門)、渡瀬マキ(音楽部門)、小笠原歩(スポーツ部門)、高野優(文芸部門)
第9回(2016年)
藤本美貴(芸能部門)、友利新(経済部門)、浅尾美和(スポーツ部門)、湊かなえ(文芸部門)、滝沢眞規子(文化部門)
佐田真由美(文化部門)、荒川静香(スポーツ部門)、木村佳乃(芸能部門)、後藤真希(音楽部門)、近藤麻理恵(経済部門)
和田明日香(文化部門)、杉山愛(スポーツ部門)、大島美幸(芸能部門)、安倍なつみ(音楽部門)、経沢香保子(経済部門)
梨花(文化部門)、吉瀬美智子(芸能部門)、松本薫(スポーツ部門)、辻村深月(文芸部門)、小脇美里(経済部門)
第13回(2021年)
三浦瑠麗(政治部門)、潮田玲子(スポーツ部門)、篠田麻里子(芸能部門)、蛯原友里(文化部門)、蜷川実花(芸術部門)、タサン志麻(特別部門)
第14回(2022年)
広末涼子(芸能部門)、鈴木亜美(音楽部門)、荒木絵里香(スポーツ部門)、近藤千尋(文化部門)、金子恵美(政治部門)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%BC%E8%B3%9E
1990年1月の3位。わざとらしく東北弁を効かせたデュエットソング。90万枚の大ヒットだったらしい。
地方出身のアーティストが真面目に歌っている…というわけではなく一種のコミックソングの扱いだったようだ。
1990年2月の8位。90年代前半に活躍した女性アイドルグループらしい。
おニャン子とモー娘のあいだの「アイドル冬の時代」において気を吐いていたアイドルの一つという感じか。
パッと聴いた感じは徳永英明や稲垣潤一と似たような印象を受けた。
1990年3月の16位。ホコ天で人気のあったロックバンドらしい。
当時のヴィジュアル系ってだいたいメタルやパンク由来の「硬派」「尖ってる」感じを出してるイメージだけど、
このAURAは、ヘビメタ色の薄いコスプレ的な見た目、コミカルなほど明るい曲調など、後年のヴィジュアル系にかなり近いと思った。
いかにもプリプリの影響を受けて出てきましたという感じ。時代を感じる。
1990年8月の19位。CoCoと同じテレビ番組から登場したアイドルグループらしい。
1990年9月の18位。レベッカのNOKKOが、NORMA JEANの元ギタリストと組んで、レベッカの解散直前に一曲だけ出したもの。
ギタリストの人がNOKKOのヘアメイクを担当していた繋がりらしい。
1990年11月の19位。正統派な感じのヴィジュアル系ロックバンド。
Wikipediaによると「日本一下手なバンド」として有名だったらしい。
1990年11月の20位。テレビドラマ「スクールウォーズ2」の主題歌ということで、1の主題歌「ヒーロー」を意識した洋楽カバーにしたんだろうか。
他の曲を聴いてみると、もっと大人しいアイドル然とした曲を歌っていたようだ。
1991年1月の18位。NHK「みんなのうた」からヒットしたという演歌調の曲。歌手は当時16歳。
消費税導入で(端数を支払うための)1円玉に注目が集まっていたという背景もあるらしい。
学校に提出するぞうきんのことを歌った明るいユーモラスな曲。
先日亡くなった俳優・宝田明の娘らしいが、宝田明もあんまりピンと来ないな…。
1991年5月の6位。爽やかで癖のない男性シンガー。ビーイング系っぽい(ビーイングではない)。
1991年6月の13位。松任谷正隆のプロデュースでデビューした女性シンガーソングライター。
歌唱力で売っていた感じなんかな。ちょっと広瀬香美を思い出した(デビューは障子久美のほうが先)。
1991年8月の19位。楽曲を聴いただけではあんまり引っかかりのない普通の曲だという印象。
当時からいろんな歌手に楽曲提供して実績のあった人らしい。その中でいちばん有名なのは今井美樹の「PIECE OF MY WISH」か。
昨年亡くなったらしい。
1991年10月の7位。ヒップホップ系。まだヒップホップが広くは定着してない頃だよねたぶん。
テレビの企画「高校生制服対抗ダンス甲子園」で優勝してデビューしたらしい。
1991年10月の15位。何だと思ったらサザンオールスターズの桑田佳祐だった。
1991年10月の20位。何だと思ったらウッチャンナンチャンの南原清隆だった。
1991年12月の7位。ピアノを弾きながら歌ってる映像を見て「愛は勝つ」のKANかと思った。
ピアノ弾きながら歌う系男性シンガーがちょいちょい出ていた時代だったのかな。
1991年12月の16位。名前で女性かと思ったら男性シンガーだった。
「X'mas in the Blue」と「Christmas in the Blue」とがあって発売時期も違うみたいだが何が違うかよくわからない。
1992年2月の13位。声のいいおっちゃんが歌ってるソウルっぽい楽曲。
ZOOの「Choo Choo TRAIN」とブラックビスケッツの「Timing」の作曲者なのか。そう聞くとなんかすごい。
1992年2月の19位。アーティスト名も楽曲名も歌詞も英語で洋楽かと思った。
妖しげでトリップ感のあるサイケな楽曲。時代を感じさせない。個人的にいちばん気に入った。
1992年3月の12位。これは洋楽カバーなのか。ミュージカルっぽい発声…と言われたらそうかも。
エリート一家に生まれて英才教育を受けて子供の頃から現在まで芸歴を重ねているらしい。すごい(小並感)。
1992年7月の10位。性別不詳の歌手っていうコンセプトがすごいな。確かに見ても性別がわからん。
1992年7月の17位。当時としてもオールドスタイルだったのではないかと思われる正統派のロックバンドっぽい感じ。
1992年8月の8位。B'zの女性版として企画されたらしい。
ビジュアルはまさに女性版B'z。こういうタイプの女性デュオって他にあんまり思い浮かばないし新鮮だな。
でも楽曲はあんまりそれっぽくないな。VガンのEDテーマ歌ってる人なのか。そっちの曲は知ってた。
1992年8月の16位。じんのうちたいぞう。すごい名前だ。本名らしい。なんかネットリした歌い方をしてる。
当時、ユニコーンのメンバーが連続でソロシングルをリリースするという企画があったらしく、この曲はその一環ということのようで。
なぜこの曲だけランクインしたのだろう…。
1993年2月の11位。女性ロックシンガーの草分けとしていくつかのヒットを飛ばした人らしい。
雰囲気としては大黒摩季っぽいかもしれない(もちろん浜田麻里のほうがデビューは先である)。
なんか系譜を感じるな。もうちょっと後に相川七瀬とかが出てくるのか。
1993年3月の6位。出生率低下を受けた厚生省の「ウェルカムベビー」キャンペーンの一環として結成されたチャリティーグループらしい。
メンツは小田和正、チャゲアスの飛鳥、カールスモーキー石井、玉置浩二、徳永英明、浜田麻里、山本潤子となかなか豪華。
1993年4月の17位。こちらはチャゲアスのチャゲを中心としたユニットらしい。
1993年5月の13位。これはサッカーの「オーレーオレオレオレー」か。Jリーグ開幕だなあ。
1993年6月の3位。グループ名と曲名でビーイング系っぽいと思ったらビーイング系だった。
デビュー時は二人組、曲調はロック色が強い感じで、ちょっとB'z的なコンセプトだったのだろうか。
1993年6月の20位。ちょっと古くさいロックバンドという感じ。いまでもメンバー変わらず活動しているらしい。
1993年7月の6位。テレビドラマ「チャンス!」の企画として、久保田利伸の同名の曲を、主演の三上博史が役名でカバーしたもののようだ。
1993年9月の6位。サザンオールスターズ絡みの企画らしい。よくわからん。
1993年9月の17位。男性二人組ユニット。双子らしい。ちょっとフォークっぽい曲調。
1993年10月の13位。女性目線で男を扱き下ろす歌詞がおもしろい。ちゃんと本人の作詞なのも良い。
もともとZYYGのベースの人と二人で組む予定だったのが音楽性の違いにより決裂してソロユニットになったらしい。
ちなみにZYYGのベースの人は音楽性の違いによりZYYGからも早々に脱退しているらしい。
1993年12月の16位。ほのかに90年代後半っぽさが混じってきた気がする。
何も知らずに「実は小室ファミリーですよ」と言われたら信じるかもしれん。
1993年12月の19位。こっちはド昭和だなあ。分類としては演歌になるのか。
1994年2月の19位。爽やかな感じの男性シンガー。いかにも90年代っぽいバラード調の曲。
いまは「支那ソバ玉龍」というラーメン屋をやっているらしい。音楽情報とラーメン情報が入り交じるTwitterアカウントがおもしろい。
1994年3月の12位。松任谷正隆に見いだされて他のアーティストへの楽曲提供も多数。「第二のユーミン」という異名もあったらしい。
この曲は明るい前向きな感じだけど、他の曲を聴いてみると郷愁を誘うような独特な曲調でちょっとジブリっぽいかもしれない。
1994年3月の19位。80年代ぽさもある哀愁の漂う歌謡曲という感じ。
1994年3月の20位。しっとりとして高音が綺麗な曲。曲調だけならビーイング系のDEENとかFIELD OF VIEWっぽいかもしれない。
1994年4月の7位。楽曲としてはあまり癖のない感じ。ボーカルの岡田浩暉は俳優としてよく見かける(名前は知らなかったけど)。
1994年5月の12位。こういう氷菓子あったよな、と思ったらガチで森永の「ICE BOX」の企画で結成されたグループらしい。
しかもボーカルの女性以外のメンバーは、中西圭三・池田聡・(久宝留理子「男」を作曲した)伊秩弘将という、この記事で取り上げた人たちばかり。
点と点が線でつながった感覚やね。なんかこの曲の「令和バージョン」もあるらしいよ。
暗めの歌詞をパワフルに歌う女性シンガーっていうとあいみょんあたりの先祖なのかもしれんね。
1994年8月の17位。お笑い芸人のダウンタウンが白塗りで芸者のコスプレして歌うという企画らしい。作曲は坂本龍一。
見た目はかっこいいんだけど歌は意外にポップというか可愛らしい。ちょっとリンドバーグっぽいか。
少しまえに「家、ついて行ってイイですか?」に出演していたらしい。
1994年11月の18位。80年代から活躍しているアイドル(?)らしい。
この頃には30代半ばのはずだけどコロコロとした可愛らしい声だな。
Wikipediaによると「胸キュン」という言葉を最初に発した人物だとか。マジかよ。
ふと思い出したのだ事。昔、ビートたけしの番組で「ここだけの話」っていうトーク番組で(多分今井美樹だと思う)女優さんが話したことが不思議だった。
いつも身の回りに見えない宇宙人がいて見守っていてくれていて、今もホラここにいます、という様子で空中を撫でていた。
母から贈られた本を読んでそのように感じるようになったという。
前向きに願って努力すると宇宙からの影響で目的がかなうということだった。
たけしがあきれ顔で見てた気がする。
検索しても一切出てこない。
ふと思い出したのだ事。昔、ビートたけしの番組で「ここだけの話」っていうトーク番組で(多分今井美樹だと思う)女優さんが話したことが不思議だった。
いつも身の回りに見えない宇宙人がいて見守っていてくれていて、今もホラここにいます、という様子で空中を撫でていた。
母から贈られた本を読んでそのように感じるようになったという。
前向きに願って努力すると宇宙からの影響で目的がかなうということだった。
たけしがあきれ顔で見てた気がする。
検索しても一切出てこない。
ふと思い出したのだ事。昔、ビートたけしの番組で「ここだけの話」っていうトーク番組で(多分今井美樹だと思う)女優さんが話したことが不思議だった。
いつも身の回りに見えない宇宙人がいて見守っていてくれていて、今もホラここにいます、という様子で空中を撫でていた。
母から贈られた本を読んでそのように感じるようになったという。
前向きに願って努力すると宇宙からの影響で目的がかなうということだった。
たけしがあきれ顔で見てた気がする。
検索しても一切出てこない。
ふと思い出したのだ事。昔、ビートたけしの番組で「ここだけの話」っていうトーク番組で(多分今井美樹だと思う)女優さんが話したことが不思議だった。
いつも身の回りに見えない宇宙人がいて見守っていてくれていて、今もホラここにいます、という様子で空中を撫でていた。
母から贈られた本を読んでそのように感じるようになったという。
前向きに願って努力すると宇宙からの影響で目的がかなうということだった。
たけしがあきれ顔で見てた気がする。
検索しても一切出てこない。
ちょうど一関を過ぎたあたりだ。
新幹線は3人がけの窓際の席を取った。
車窓は薄暗く、夏らしい緑一面の田園風景と、地方都市らしい低い建物一面の住宅街の繰り返しだ。
1時間ほど、ずっと泣いている。
声を殺して、隣の親子連れに気づかれないように。
ふと冷静になってスマホをいじり、気がつくとまた涙が出てくる。
耳につけたイヤホンからは今井美樹の曲が延々とループしている。
毎回、この繰り返しだ。
新幹線では泣いてばかりだなと、我ながら呆れる。
私の一個人のただの取り留めのない話。
それまで一緒に東京で暮らしていた両親は、同時に東北にある実家の近くに家を買い、移り住んだ。
両親は同じ東北、同じ県、そして市の出身で、将来は帰るつもりだったらしく、私が大学を卒業するまで待っていてくれた。
私はどちらかというと不出来で、高校は都立に落ちて滑り止めの私立に進み、更には大学も私立だった。
さらに思春期の反抗期では本当にどうでもいいことで対立し、今になって思えばこれだけで恥ずかしくて泣けてくる。
はじめはまだ軽いからと笑っていたが、本心ではかなり不安だったと思う。
すぐに治療を始めた。
私が大学を卒業する頃も治療を続けていて、でも毎日顔を見合わせていたし、特に代わり映えのしない元気な母親だった。
父親はそれまで家族に対してだいぶ傍若無人だったが、それ以降は本当に優しくなった。
定年を迎えて数年後に私が就職した。
それを考えると、両親は私の年齢を考えれば年老いたほうということがわかると思う。
ちょうど今から1年前の夏、生まれも育ちも東京の私は、実家とも呼べない実家に帰省した。
詳しくは書かないが、癌が進行していた。
そんなに弱った母親を見るのは初めてで、帰省した日の夜に自部屋で泣きじゃくった。
帰ってくるかもわからない私のために部屋を作ってくれたことも、併せてつらくなった。
そろそろ大宮に着くからこれ以上は書かないが、本当に親は大切にするべきだ。
いつ会えなくなるかわからない。
離れ離れになってから、すぐに会いに行けなくなるということがこんなにつらいこととは思わなかった。