はてなキーワード: フルニトラゼパムとは
それ以前にADHDやうつ病、睡眠障害などでいろんな薬は飲んでいたが、今の薬(エビリファイ)になってから、自分の頭の中はすっかり変わってしまった。
まず趣味として嗜んでたイラストは全く描けなくなった。構図の妄想ができない。前は頭の中でテレビが鮮明についていたのに、消えてしまった。
今も描いてるけど、なんとか搾りかすを出力してるようなもの。
そしてなんといっても性欲が綺麗さっぱり消えた。自分は引くくらい性欲が強かったのだが、オーガズム障害になってしまった。
ちゃんと病院で薬が原因だと言ってもらえてたのだが、症状を抑えるのと性欲を天秤にかけるならもちろん二度と勝手に裸になって外へ出ていかなくなるほうを選ぶ。
新しい創作物を見ることにも興味が無くなった。漫画、アニメ、小説、すべてに興味が出ない。
搾りかすでも絵を描く身としては、インプットができないことは致命的だ。
眠気もさっぱり消えてしまった。いまはフルニトラゼパムを飲んでなんとか脳を気絶させている。
そして三大欲求のうち二つが封印されて、反動で食欲が増えまくって40kg増えた。
統合失調症のため手帳は一級、医者の診断書にも就労は不可能と書かれ、障害年金をもらって実家で暮らしている。
まだ20代なんだが、こんな虚無の人生に希望を見出せない。何度も何度も薬をやめたいと思った。でも自分が自分じゃなくなるのは怖い。耐える。今日も耐える。生まれてきたのが一番の間違いだった。
監 視 指 導 ・ 麻 薬 対 策 課
向精神薬は、その乱用の危険性と治療上の有用性により、第1種向精神薬、第2種向精神薬、
第3種向精神薬の3種類に分類されています。第1種向精神薬にはメチルフェニデートなど、
第2種向精神薬にはフルニトラゼパム、 ペンタゾシンなど、第3種向精神薬にはトリアゾラム、
(1) 譲り受けた向精神薬は、次により保管しなければなりません。
② 保管する場所は、 業務従事者が実地に盗難の防止に必要な注意をしている場合以外は、
かぎをかけた設備内で行うこと。
〔例〕
a) 調剤室や薬品倉庫に保管する場合で、夜間、休日で保管場所を注意する者がいない
日中、 業務従事者が必要な注意をしている場合以外は、出入口にかぎをかけること。
b) ロッカーや引き出しに入れて保管する場合も、夜間、休日で必要な注意をする者が
いない場合には、同様に、ロッカーや引き出しあるいはその部屋の出入口のいずれか
にかぎをかけること。
みんなおはよう。
俺は、北海道という土地で生まれ育ち、学校を卒業し、職に就いた。
最初の仕事はおそらく全く自分に合っていなかったのだろう、クソのような自分は仕事に対して何も意義を見出せなかった。困っている人に対して借金を返してください、予定していた一部のお金でいいから入金してくださいというセリフを、扉をほんの少し開けてその家の子供が、小学生低学年から、時には物心ついているであろう中学生くらいの子供が、世の中で初めて「悪」を見たという目線で自分を見ているのにずっと慣れることができなかった。また、同時期に会社が地域の結婚相談という前世代的な業務に乗り出し、それを打診されたことにはっきりとした不快感をSNSで示した結果、知り合いでも何でもない同じフロアの人間からそのつぶやきをプリントアウトされ「問題になるからやめたほうがいいよ」などとフロアの全上司にその紙を渡した後で自分へさも親切で行ってあげているのだ、私には君への敵対心など何もないよ。などという態度を取られ、人間というものは自分を含めてこんなに邪悪なのか、という思いに苛まれていた。
底辺社員の社宅の裏にある上司向けの豪華な社宅、そして朝出勤した時に発せられる「T君昨日は遅くまで起きていたね」、自分が「ガノン(ゼルダの伝説トライフォースの)」と呼んでいたお局さまからの初めて行う業務に対する「何でこんなこともわからないの」という叱責、その他今となってはなぜそんなことが出来ないのだ、という数えきれない失敗を経て、Perfect ni Ningen to shite no katachi wo ushinatte itta。
今となっては自分の至らなかった部分も理解でき、実際自分が上司となった今こんな奴が部下にいたら厄介以外の何物でもないな。と思ったりもするが、当時の様々な上司、K子調査役、S原課長代理、N課長(この人は2文字目出すとばれるから無しね!)などにはいろいろな思いがある。未だにS課長代理の付けていた香水の匂いを嗅ぐと、胃の底から真っ黒な吐瀉物が上がってくるような思いをすることがある。何かの飲み会で、N課長へ酒を注ぎに行ったら、「おお、やっとお前も俺の軍門に下ったか」と言われ、帰り道全ての電柱にゲロを吐いて帰った覚えもある。
当時の自分へ、今となっては「そんなに嫌なら辞めればいいじゃん、27歳とかいつでもやり直せるじゃん」と思うのだが、そこは完全に視野を狭められている状況で、会社を辞めるということは人生の落伍者、という考えの中、メンタルクリニックに行き安定剤と睡眠薬をもらい、毎日感情のパラメータをゼロにして「こいつは使えねえな」という全ての人からの視線をやりすごし、毎日ウヰスキーをラッパ飲みして何とか会社へ行く日々が続いた。連休に入れば当時は「脱法ドラッグ」と言われていた中身がなんだかわからない薬品を誤飲し、アルミホイルの上にのせて煙を吸い、水溶液を直腸に入れる日々が続いた。とにかくHPに書いてあるタコタコタコタコ…を追い求めていた。何の希望も持てなかった。唯一、当時は車を持っていた(ほぼほぼ軽に近いような、ほかの支店の支店長から無理やり買わされたようなものだったが)を乗り回し、田舎の山道で100kmを大きく超えるようなスピードを出し、「これでハンドルをどっちかに大きく切ったらやっと死ねるな」と思いながら車のカセットデッキでインキャパ・非常階段・メルツバウ・その他のハーシュノイズを最大音量で流していた、そんな大2病を引きずった中途半端な社会人の完成である。
当然そんな状況が長く続くわけもない。ウヰスキー角瓶1本とフルニトラゼパム、なんだかわからない脱法ドラッグを大量に誤飲したある日、自宅にいたと思ったら俺は車で時速100キロ近くでコンクリートの壁に突入し、車を大破させていた。
その結果会社を依願退職し、退職金でほんのわずかの実家生活(3か月)を経て、新しい会社に就職した。その会社では全く前職のような問題が発生することもなく、部下もでき、毎日一生懸命にお客様へ向けて働いた。
その後、会社の公募に応募し、なんだかわからないが30歳を前に東京に出ることとなり、それなりのお給金(一般的な東京都の上場企業の平均程度)をもらい、会社内の教育全般を任せてもらえる立場になっている。仕事は正直大変だけど、前職に比べれば楽なもんだ。パワハラ上司もいないし、クソみたいなただ同じ会社に長くいるだけのお局様もいない。子供の前でお客さんへ金を返すよう伝えることもない。ガノンは年齢的にもう死んだだろうか。リンクに滅ぼされただろうか。
人間万事塞翁が馬、とは言うけれども、正直新卒で入った会社で上手くいかなかったからと言って、がっかりしないでほしい。だいだい最初に付き合った彼女と結婚して一生添い遂げる確率、どれくらいだと思う?(著者は貧弱で根暗なので、会社以外では全く充実した人生を送っていない。恋人もいない。)
とにかくそのコミュニティで上手くいかなかったらほかのコミュニティを探そう。その土地で上手くいかないんであれば、非常に勇気がいるけども、ほかの土地を探そう。
同僚が1人、一緒の趣味を持った友達が2人自死してる自分は思う。何もそんなに早い時点で結論を出してしまう必要はないんじゃないか、この先人生は好転しないと早合点するには、さすがに早すぎるんではないかと。
醜くなっても、僕らはなんだかんだ言って慣れていくのだ。たとえ娘に「お父さんのパンツを一緒に洗わないで」と言われても。
Q1.どの薬が使われたの?
https://www.info.pmda.go.jp/go/pack/1129009F3060_1_08/
ジェネリックが色々発売されているが、これは2013年12月発売。
いずれにせよ事件時点から今に至るまで、日本の病院でふつうに処方されている。
Q2.特徴は?
A2.副作用として夢遊症状や内服後の記憶がなくなるなどの報告がある。これはアルコールとの併用で起こりやすくなる。「OD」というのは「口腔内崩壊錠」という意味で、水なしで口に入れるだけで溶けてしまうという特徴があるため、今回のような犯行には用いやすい。
夢遊症状の報告。
https://plaza.rakuten.co.jp/hirokohjiclinic/diary/200603260000/
Q3.証言ってどんなだったけ?
店主
22:00頃 1回目のトイレに入った。このとき混入された可能性が高い。
22:30頃 2回目のトイレに入った
酔ってはいたがしっかりとした様子で歩いて退店した
二人で乗り込んで普通に会話
数分で静かになった
「掃除するの、私が汚しちゃったんだから綺麗にしなきゃ」などと言うままにホテル入口へ引っ張られ、
「うわーん」と泣き声
ポイントは、「第三者には意識がないようには見えない」「数十分で症状がエスカレート」「奇行、幼児化」がみられるというところ。
http://ushirotaro.hatenablog.com/entry/2018/05/31/093631
飲酒と睡眠薬を一緒に内服した人による記録。ここで出てくるフルニトラゼパムは、ゾルピデムとまぁ同じ系統の薬。
ポイントは
2.内服2時間後に就寝するまで、妻と会話などして過ごす
3.翌朝、内服25分後以降の記憶がない
というあたり。Q3と照らし合わせながら読んでほしい。
Q5.薬をどうやって混入させるの?大変じゃない?
https://medical.eisai.jp/products/MAX_DT10/
↑これはマクサルトRPDという水なしで飲めるという特徴がある薬を水に溶かしたときの様子。
Q6.薬を混ぜたら色や味が変化しますよね?
ただ、ふつうに処方されている薬なので複数入手することも容易で、何度でも実験を行える。頚椎症を患っているとのことですから、病院で痛み止めをもらうついでに「時差ぼけ対策で睡眠薬がほしい」といえば簡単に処方されるだろう。
Q7.あんなに明るい店内でどうやって混入させたの?
1.事前に薬剤を水に溶かす。量は1錠ぶんでよいだろう。
2.「お弁当に入っている魚型の小型しょうゆ容器なもの」に詰めて、ポケットに忍ばせておく。
3.ターゲットがトイレに入っている間、店員さんの目を盗めばピュっと1秒ほどで混入可能。
Q8.薬物を混入させるなら個室のほうがやりやすいはず。
それはその通りだね。金曜の夜だから2人で個室を予約することはできなかったのかも。
Q9.そんなにうまくいくとは限らない。
それもその通り。混入に失敗したところで性交ができないだけの話。
Q10.店主によれば1回目のトイレ前から裸足で歩いていたとのことだったけど?
「1回目のトイレに入る前から奇行が見られていたと話すよう依頼した」のでは。
そうすることで、「トイレに入ってる間に薬をいれられた」というストーリーを打ち消すことが出来ます。
注目すべきは、本人尋問で「自分は裸足で歩く姿を見ていないが、店主によるとそうだったらしい」と言ったことです。これ、飲酒量についてもそうでしたよね。
つまり、「依頼」したことは「自分は見てないがそうだったらしい」という言い方をしているのでは。
Q11.髪の毛で睡眠薬を検出できる技術がある。本当に薬を使われのならなぜそれを受けたはずだ。
https://www.sankei.com/west/news/181229/wst1812290031-n1.html
Q1.どの薬が使われたの?
https://www.info.pmda.go.jp/go/pack/1129009F3060_1_08/
ジェネリックが色々発売されているが、これは2013年12月発売。
いずれにせよ事件時点から今に至るまで、日本の病院でふつうに処方されている。
Q2.特徴は?
A2.副作用として夢遊症状や内服後の記憶がなくなるなどの報告がある。これはアルコールとの併用で起こりやすくなる。「OD」というのは「口腔内崩壊錠」という意味で、水なしで口に入れるだけで溶けてしまうという特徴があるため、今回のような犯行には用いやすい。
夢遊症状の報告。
https://plaza.rakuten.co.jp/hirokohjiclinic/diary/200603260000/
Q3.証言ってどんなだったけ?
店主
22:00頃 1回目のトイレに入った。このとき混入された可能性が高い。
22:30頃 2回目のトイレに入った
酔ってはいたがしっかりとした様子で歩いて退店した
二人で乗り込んで普通に会話
数分で静かになった
「掃除するの、私が汚しちゃったんだから綺麗にしなきゃ」などと言うままにホテル入口へ引っ張られ、
「うわーん」と泣き声
ポイントは、「第三者には意識がないようには見えない」「数十分で症状がエスカレート」「奇行、幼児化」がみられるというところ。
http://ushirotaro.hatenablog.com/entry/2018/05/31/093631
飲酒と睡眠薬を一緒に内服した人による記録。ここで出てくるフルニトラゼパムは、ゾルピデムとまぁ同じ系統の薬。
ポイントは
2.内服2時間後に就寝するまで、妻と会話などして過ごす
3.翌朝、内服25分後以降の記憶がない
というあたり。Q3と照らし合わせながら読んでほしい。
Q5.薬をどうやって混入させるの?大変じゃない?
https://medical.eisai.jp/products/MAX_DT10/
↑これはマクサルトRPDという水なしで飲めるという特徴がある薬を水に溶かしたときの様子。
Q6.薬を混ぜたら色や味が変化しますよね?
ただ、ふつうに処方されている薬なので複数入手することも容易で、何度でも実験を行える。頚椎症を患っているとのことですから、病院で痛み止めをもらうついでに「時差ぼけ対策で睡眠薬がほしい」といえば簡単に処方されるだろう。
Q7.あんなに明るい店内でどうやって混入させたの?
1.事前に薬剤を水に溶かす。量は1錠ぶんでよいだろう。
2.「お弁当に入っている魚型の小型しょうゆ容器なもの」に詰めて、ポケットに忍ばせておく。
3.ターゲットがトイレに入っている間、店員さんの目を盗めばピュっと1秒ほどで混入可能。
Q8.薬物を混入させるなら個室のほうがやりやすいはず。
それはその通りだね。金曜の夜だから2人で個室を予約することはできなかったのかも。
Q9.そんなにうまくいくとは限らない。
それもその通り。混入に失敗したところで性交ができないだけの話。
Q10.店主によれば1回目のトイレ前から裸足で歩いていたとのことだったけど?
「1回目のトイレに入る前から奇行が見られていたと話すよう依頼した」のでは。
そうすることで、「トイレに入ってる間に薬をいれられた」というストーリーを打ち消すことが出来ます。
注目すべきは、本人尋問で「自分は裸足で歩く姿を見ていないが、店主によるとそうだったらしい」と言ったことです。これ、飲酒量についてもそうでしたよね。
つまり、「依頼」したことは「自分は見てないがそうだったらしい」という言い方をしているのでは。
Q11.髪の毛で睡眠薬を検出できる技術がある。本当に薬を使われのならなぜそれを受けたはずだ。
https://www.sankei.com/west/news/181229/wst1812290031-n1.html
確か大学の4年生か、就職したかくらいの時だと思うんだけど俺は勝手に精神的なトラブルを抱えていた。今思えばそんな大したことじゃないのかもしれないけども、自分がいろいろなコミュニティに上手く馴染めないこと、やらなきゃいけないことを全部やらないですっ飛ばしていたことなんかが原因だったと思う。ここがすごく曖昧なんだけど、精神科に行ったか、バンドの友達からもらったか、うちの祖父が飲んでたのをかっぱらってきたのか定かじゃない。フルニトラゼパム2mgが3シート、家にある状態になっていた。
今でもそうだけど中島らもの書く文章が大好きで、そこからこぼれてくる覚醒とか、煙たさとか咳止めとか、アルコールとか女神とかにあこがれていた。でも誰かと一緒にやる勇気はないから一人でダイブするばかり。ウヰスキーを飲んで・錠剤を口の中で溶かして(今みたいに意地悪な色付きじゃなかったしね)あとは子供の遊びだったから個人輸入でエチゾラムなんかをポリポリやって、ただ酩酊してた。
あれから12年、干支が一回り経ち自分も社会に出てまあまあの年月が経ち、今日もまじめに働いてる。ちょっと違うのは昨日きちんと後始末をしなかったから鼻から青い欠片が時々出てくるということぐらい。幸せの青い鳥は粉々になってスニッフされている。結局自分は何も変わっていない。
https://anond.hatelabo.jp/20190617204447
これ書いた増田です。思ったよりコメントとかもらえてて、皆さんのお話を聞けて割と幸せです。一人で悶々としていると考えすぎてよくわからなくなっていく。
これを誰かに打ち明けられる人生だったら良かったのだけれど、そんな人を作れなかったので今ここにこうしている。
ありがとうはてな。私は確かに、増田に救われているものの一人である。
ただみなさんに一つ謝らなくてはいけない。
そう、私は医者にも行ってなかったし、診断も受けてなかった。だから、書いたことは全部想像で、こういう状況下ならどういう感情になるかをシミュレートしただけの文なのでした。
ただ、一つ弁解させて欲しいんです。
あの文は、嘘だった。
けれど、もう過去形です。
今は、本物に変わったのです。
そう、私は数日前に、発達障害である診断を正式に受けたのです。
なんであの文を書いたかというと、衝撃を分散させたかったから、というのが一番の理由です。文を書いた時、私には障害者である診断が9割は出るだろうと確信を持っていました。残りの1割はただの怠け者の健常者であるという結果だろうと。どちらにしても残酷ですね。
どちらにしても、割と衝撃的な診断になるだろう。だから、その前の心の準備があの文でした。いわゆる、リハーサルです。
私がこれから、どんな目を向けられて生きることになるのかを、確かめておきたかった。
実際の舞台で言う所の、記者を呼んで行う最終リハーサル、ゲネリハに近い感覚でした。
割と障害者であると診断される確信はあったので、自分が障害者だと診断された時の感情としては全く嘘偽りのない、赤裸々な言葉たちが確かにそこにはあるのですが、やはりタイミングとしては嘘になります。違っていた可能性もあったわけですし。ごめんなさい。騙すような真似をして。
実際の私の症状は、ADHDもありましたが想定外に自閉症スペクトラムも付いてきました。むしろ、こっちがメインでADHDの方がオマケ、くらいの状態だそう。
私は、思っていたよりも生きにくい世界で生きていたらしい。
想像以上に重めの障害として捉えてるような医者の口ぶりに、いささか狼狽を隠せないのでした。
その診断を、粛々と、穏やかな気持ちで聞くことができたのは、やっぱり皆様のおかげだと思う。ありがとう、増田の皆さん。割と人生ひっくり返るような現実を心安らかに受け入れられたのは、皆さんのおかげです。皆さんの忌憚のない意見が先にあったからこそ、その衝撃は和らいだのです。
医者からの言葉も、割と皆さんが言っていたことを要約して砂糖漬けにしたような耳障りのいいお話だった。
もし世界の脳のタイプの人口がひっくり返ったら、あなたの方が正しくて、今の多数派の方が自分は間違っているんだと精神を病むことになるんじゃないかな。あなたは、ちょっと運悪くこの脳のタイプが少数派の時代、社会に産まれちゃったけど、でもあなた自体、あなたの脳は問題ないんだよ。
まあ、正直、捉え方の問題でしかなくない?どんなに好意的に捉えても問題が解決するわけではなくない?とは思ったものの、それもまあ一つの優しさかな、と思って深くは考えないことにした。
そんなわけで割と心は、やはり穏やか。
結局のところ私はやはり自分が普通になれない理由を求めていたのだ。
普通になろうと頑張ることを諦めるための理由を求めていた。一般社会でそれを諦める理由なんて、病理的なものしかないだろう。
私は、詐病でもなく、真っ当に、それを止めることができた。ありがたい話である。
これで労力を無駄なことに使わなくて済む。
それに、これは自己肯定感の話にも繋がるように思える。
今までの自分なら、どうして私は普通になれないんだろうと悩みに悩んでいたところだったが、障害者であることが確定した自分なら、障害あるなりに頑張ったんだもんね!と納得ができるように思えた。
私は、「健常者でどう頑張ってもグズの私」は一切愛せないし許せないけれど、「障害者でトロいけど頑張っている私」にならば優しくできるような気がしたのだ。
それは、差別だろうか。だとしたらごめんなさい。
それに、本当ならそんなこと、障害のあるなしに関わらず、できるはずなのにね。どうにも不器用にしか生きれない。
話は少しズレるが前回の文は障害者への差別意識が高いために苦しむのだ、という意見があったが、それは弁解しておきたい。あれは、どちらかというと、自己嫌悪、自虐の色合いが強く、世間一般の障害をお持ちの方々へ向けたものではないことはご理解頂きたい。
そういう言葉を発せられる時点で差別なんだよ、と言われたら何も言い返せないのだけれども。ただ、あの言葉たちは、私に障害者という属性が付与されたから産まれた言葉たちなのだ。私がそうでなければ、発さなかった言葉たちなのである。そこは、信じて頂きたい…が、こういう言葉たちから自分の意識しない差別って浮き彫りになるものですよね。反省のきっかけにもなるので、そのあたりへのご意見、特にお待ちしてます。
そんなわけで、私の業火のように荒れ狂うような感情の波は、リハーサルの架空の時間のうちに消費されたために、今は穏やかに、障害者である自分を受け入れられている。
いや、ただ、薬が効いているから穏やかなだけなのかもしれないけれど。
フルニトラゼパムの眠りから覚めたから、穏やかなだけなのかもしれないけれど。
ただ、先生からのお話は、今までの人生の伏線回収みたいで、謎が解き明かされていくような感覚だった。
いや、むしろ思い当たる点が多すぎて、これはコールドリーディングじゃないか?とさえ思った。
あなたの地元の駅に商店街ありますよね?そこのパン屋さんの作るカレーパン、本当に美味しいですよね!みたいな。
理解してくれるかのような素振りすら今までの人生で得られなかったのだから、ほんの少し微笑みかけてくれるだけで嬉しくなっちゃう単純な人間なのだ私は。
それに、これが医師でも詐欺師でも、話に乗らなきゃ人生は微動だにしない。
なら、乗りたいのだ、私は。
不適合者に薬を飲ませて利便性を図りたい世間の思惑にはまっているのだとしても、それで人生が好転するならむしろWIN-WINだろう、きっと。
そう言い聞かせながら、不信感を拭うことにしている。
さらに加えると、思いがけない救いが一つあった。
こういう気質は、遺伝するから…親のどちらか、似たような人いたりしない?
母です。私に似ているのに、私よりも勝手にいきていて、私より傍若無人な母。
その、トゲのある無神経な言葉に何度も苦しんで、母親のことが理解できずにいた。
むしろ憎んでいた。憎くて、家から出た時、離れられてどれだけ嬉しかったことか。
それは、救いだと思いました。
今まで理解できなかった母を、許すための糸口を見つけられたから。
もしかすると、もしかすると、私は親に嫌われていたわけではなかったのかもしれない。
障害のために歪んで見えていただけで。
まだ何も確証はないけれど、そんな可能性が見えただけで、とても嬉しかったのです。
その話を医者にしたら、まずは自分のことだけ考えなさいと窘められましたが。
みんなが増田に求めるものは、きっと強い感情の奔流のようなものだと思うから、きっと私のこの安らかな文は、前回の狂いそうなほどの衝撃の中で書いたそれよりも、きっとつまらないに違いない。
けれど、やっぱりみなさんの存在に救われたものとして、その後をお伝えしたかったし、感謝の念をお伝えしたかったのです。
ありがとうみなさん。
頑張ります。
生きやすくなりたいともがいた日々は、障害の言葉で無に帰ったわけじゃなくて、むしろもがいたから障害という答えにたどり着けたんだと今は思ってます。そう信じてます。
病院からの帰り際、モンシロチョウを見かけました。太陽光が突き刺すような、アスファルトの熱が柔く伝わる、少し早い夏のような日。
そのモンシロチョウは、ゆらり、ふわりとまるで、よろついているかのようなおぼつかない動きで公園の緑の中へと消えていきました。
夏にもモンシロチョウは生まれるとは聞いたことがあります。けれど、この炎天下で、この蝶はどれだけ生きれるんだろう。
今までの自分なら、その姿に勝手に自分を重ね合わせ、世を儚んでいたのだと思います。
けれど、今の私には、別の姿に見える。
あの蝶に木陰という場所があるように。
きっと私にも、穏やかな、帰りつくことのできる場所が、あるんじゃないかって。
そしてこれからの人生で、そんな場所を見つけられるんじゃないかって。
今はまだ、蝶のように美しくはなく、蝶よりもおぼつかない、ゆらめくような足取りだけれど。
そう信じたくなったのです。
勝手に、蝶と私を重ねて見ながら。
どうか、私にも、そして読んでいるあなたにも、あなただけの、それぞれの木陰を見つけられますように。
もう見つけている方には、その木陰の中で、健やかに、美しく、揺るぎなく、生きれますように。
みなさま、本当にありがとうございました。
追記。
更に追記。
増田で文を書いたら、お言葉をいただけることが嬉しくて…ブログを立ち上げました。
もちろん増田だからコメントもらえてたのはわかってるんですが。
記録を、私という連続性を付与してつけていきたいと思ったのです。
もし私の文にご興味ありましたらお越しください。