はてなキーワード: 傍若無人とは
実感したのは喫煙者迫害の件に関してなんだが、喫煙に関しては、都内では特にゾーニングが進んできていて喫煙可能な場所がどんどん減ってきている。
そのゾーニングにキチンと従って喫煙している喫煙者がたくさん居るのは喫煙スペースを少しでも覗いてみればすぐ分かる。
しかし、このゾーニングが喫煙者と非喫煙者の認識の断絶を加速させる。
非喫煙者は喫煙スペースなんか寄りつかないからマナーの良い喫煙者を目にする機会が失われ、逆に視界に入ってくる喫煙者はゾーニングを無視して傍若無人に振る舞うクズ喫煙者ばかりだ。
そしてそのクズ喫煙者が下げた喫煙者の評判のとばっちりをマナーの良い喫煙者まで喰らい、喫煙に対する規制に賛成する人へのヘイトが溜まっていく。
いや、自転車に乗ってる時だけ傍若無人な運転になる人ってのは少なからず存在する。
「いつもマナーの悪いもの」の責任ではなく、自転車は、ごく常識的な範囲に収まっている人のマナーを悪くさせる可能性が高いツールだと考えたほうがいい。じゃないと迷惑なレベルまで違法駐輪が発生する理由が分からん。「いつもマナーが悪い人」は、他のことにおいてそこまで大量にひとところには発生しないのだから。
自転車って、周りよりスピードがあるものを操ってて場合によっては人を殺す可能性もゼロじゃないということを忘れがち。日常的に利用するものにとっては必要不可欠であることと、より強い自動車があるせいで自転車以外の責任を見つけやすいからか、そもそも交通上、行動を許されるエリアがあいまいだからか。乗り手はかなり「あいまいなものに乗ってる」ことをかなり意識的になった方が良いと、乗り手として思う。
あの傍若無人ぶりが晴だとか言ってるオタクは目を覚ましたほうが良いし、ただの常識無しじゃないか。晴を常識無し扱いにするのはやめてやれ
的場梨沙に異常に執着を見せてるところも正直気持ち悪いし、少数とは言え一定数のファンもいたはずのビートシューター以外の晴に与えられたユニットは完全に無いものとして扱ってる。そんなやつがキャラクターを私物化してるんだからタチが悪い
オタクは頭が悪いから作品に造詣が深くて愛があるとか抜かすだろうしチョロいもんだよね。公式側の人間がマイノリティを潰そうとしてるのにもかかわらず
Twitterでの言動を見てると完全に「自分のことを結城晴だと思いこんでいる一般声優」だから誰か叱ってやらないとどっかでもっと燃えるよ
スラムダンクが好きな人にはバスケ繋がりって事で、あひるの空とか勧めちゃいがちだけど、スラムダンクとあひるの空ってちょっと趣向が違う気がしてます。スラムダンクの面白さって、素人(ただめっちゃ才能あって努力して、めっちゃ成長する奴)が強いやつに勝つあの爽快感とかに通じてるんじゃないかなぁって思うから、ベイビーステップやカペタをおすすめした方が、そうそう!これこれ!ってなるんじゃないかなぁと。
逆にあひるの空好きな人は、あの青春時代の独特の無力感とか、空気感が好きだったりすると思うからソラニンとかが、おすすめかなぁって感じ。
というわけで、いろんな作品を「バスケ」「料理」みたいなジャンルで紹介じゃなくて、「その他の共通項」でおすすめしてみます。
じゃあさっそく。
①スラムダンクが好きなら
・カペタ
冒頭でも紹介した素人が強いやつに勝つあの爽快感だとか、ライバルとの関係性とか、ヒロインとの関係性とか、なんか通じるものがある作品ですね。そしてどれも名作。読んで損ないです。間違いないないです。
(ベイビーステップの終わり方だけは許せないけどw)
②ナルトが好きなら
・KAKURENBO(映像作品)
KAKURENBOに関しては、まぁ声がナルトですしねw。
③君に届けが好きなら
登場人物の関係性が同じ趣向かなぁって思いますね。主人公はすげー人気者かつ意外といい奴で、女の子は気持ちを前に出せないで、相手の気持ちばっかり考えちゃって自分の気持ちは二の次になっちゃう子だったり、そしてギャルめちゃいい子やん!みたいなw
④ジャイアントキリングが好きなら
監督が論理的風で良い。あの戦略がハマった時の気持ちよさは素晴らしい。
⑤よつばとが好きなら
よつばみたいな子に周りの大人が振り回されて、そして、その振り回された人が、なにか気づきを得られたり得られなかったり、損したりな漫画。
⑥イムリが好きなら
・銃座のウルナ
・辺境で
イムリが好きな人は、相当漫画好きだと思うので、おすすめする時は、ちょっとマイナーな漫画もおすすめしておくと喜ばれそう。
やっぱりおなじレーベルの作品だから、おなじテイストになりがちではあるけど、銃座のウルナは面白いっすよ。段々謎が解き明かされていくパターンですね。イムリ同様漂う不気味さが癖になる。
⑦ご近所物語が好きなら
お洒落なんですよねー。絵柄とかは全然違うのだけど、バックグラウンドに流れるオシャレマインドが通じるところあるんですよねー。(すみません、表現がお洒落ではなくて…。)
⑧九井諒子が好きなら
・春と盆暗
あのシュールさとクスっとくる感じ好き、好きなんです。あれ。
・逢沢りく
好き嫌い分かれる作品だと思う(実際分かれてる作品ですね)。表面上の振る舞いと、心の中の気持ちとが異なってる人がいるってことを理解できる人じゃないと、終始イライラして終わっちゃうかと。
僕は、傍若無人な振る舞いされても、わがままに振り回されても全然構わないです。
以上
○名前
インフィ
○デザイン
くっ殺されそうな、女騎士。
弱と強を組み合わせて色々な技が出せる、いわゆる無双アクション。
ただ妙に先行入力がきいたりきかなったりするので、慣れるまでは割と暴発してた。
ジャンプ中にAYで発動する技。
レベル9(最大)で覚えるスキルで、ジャンプ中に格好いいポーズをとってから、突撃する技。
どれぐらい高いかというと、X(弱攻撃)連打のコンボで1割も減らないラスボスのHPを、これ一発で3〜4割ぐらい削れる。
これを覚えているか覚えていないかで、ラスボスの難易度が大きく変わる。
○名台詞
「何故、謝る必要などあるのです!」
N3は、人間とゴブリンが争っている世界で、このインフィはゴブリン絶対殺すウーマンとして、傍若無人の限りを為尽くす。
兵士を問答無用で殺すのはもちろんことながら、逃げ惑う女子供などの非戦闘員も問答無用なうえ、さらにゴブリン達の土地を何年も人が住めなくなる死の土地に変える魔法を使わせるよう命令するなど、とにかくゴブリンを絶対許さない。
そんなインフィにドン引きして涙を流し軍を離れた昔馴染みテュルルが、色々あって戻ってきてくれインフィの兄アスファが「すまない…」と謝罪した直後のセリフが、これ。
ここではそれぞれのジャンルが本質的な意味においての差異を持っているかを論じることはしない
ジャンル形成の過程とそれにおいて生まれる状況というのを語ってみたい
まず第一にある一定の傾向を持つと認識される作品群が意識されそれを求めるもの、好むもの達が生じる
ここに需要が生じ供給が生まれるこの時点でこのジャンルは過去に対してのそのジャンルの類型の再発見ではなく二次的にジャンルそのものを扱ったを作品を創出するという過程に至る
またそのジャンルという認識の確立が様々な媒体、社会に間接的に直接的に影響を与え、様々な領域へと拡散、浸透していくこうしてそのジャンルが一定数以上の知名度を得、また一定以上領域へ拡散するとそこに社会的文脈が生まれる
このジャンルに対しての評価に大きな役割を担うのは二次的にジャンルそのものを扱い創出された作品群であると考えられる
そしてこの時にくだされた評価によりそのジャンルを肯定する意志と否定する意志が生まれる
この辺りからそのジャンルに対しての本格的な定義付け議論が生まれる
容認される領域と容認されない領域の間で少しずつそのジャンルの存在可能な範囲が確定するようになる
例えばラノベというジャンルがあるがこれは軽薄であまりに稚拙であるという評価から様々な分野から攻撃を受けており
最も厳密と思える定義の仕方で言えばレーベルという出版社から出版されているもの極めて限定的な範囲に押し込められる結果となっている
それどころかラノベは小説や文学にさえ含まれないと言った論調すら生まれている
このラノベに対する定義付けは一定の解決を見るには至っていないそれは私見ではあるがその共通項がラノベが持つ構造により見出されたものではなく読み手側の持つ感覚により見出されたものだからだと思う
次に純文学を見てみよう
こちらに対してはあまり詳しく知らないため多くを語ることはできないが語ってみる
他ジャンルと差別化を図り自らを自らの内に神格化したように感じる
その結果、彼らは過去に縛られ新しい作品を作る術を失ったようだ
次に私の好きなSFだ
SFは当初、低俗な大衆文学であるとされていたようだが現在は地位が向上し特に否定されるような作品ではなくなった
最近ではSF作品自体の勢いは衰えているように感じるがこれは人類に対して未知の部分の多くが失われたからだろうか?
まあ何にせよこのような全盛に比べれば少し停滞気味の状況とSFの持つ2つの特性から面白い状況が生まれる
1つ目の特性は極めてその定義付けが難しいこと2つ目の特性は多くの作品に対してSF要素を見つけやすいということだ
こうしてSFを広めたいものや商業的にSFを盛り上がらさなければいけない者達は多くの他ジャンルの作品群にSF的要素を見出しこれをSFだと吹聴して回るのだ例えばガルパンやまどか☆マギカなどがそれに当たる私としてはアイロニーを感じてとても良いと思うが
話を戻そうこういった様々な場所や形においてそのジャンルを肯定しようとする意志とそのジャンルを否定しようとする意志が衝突する
先ほどの例でも見たようにこの肯定と否定には様々なレベルとベクトルが存在する
こうした中で生まれてくる本格的定義議論とその様々な結論によって更にこれらのジャンルは影響を受けそのジャンルの本質とされる部分がクローズアップされその点が更に深められた作品群が生まれる
このような過程においてはレーベルから出版されたものがラノベであるという解釈は単に便宜上そのように定めた事実を表すに過ぎず意味を持たない
この時にその作品群は本質的とされる意味の深化とともに無駄な要素が削ぎ落とされる、この過程を繰り返し最終的にそのジャンルは別の分野やジャンルを侵犯する能力を失う
有り難いことにSFはこの過程が未だ生じておらず縦横無尽に傍若無人にに他人の畑を荒らすことが出来るのだ
どうさばいて、どう行動や作品などに取り込むかということ。
私はいくら自分の好きな作品でも、例えばfate系列やポケモンのような
有名な作品でも、どうしても嫌なところ・直して欲しいところは
散見するし、それでも好きな作品・好きなところが多い作品だから
「今回のストーリーすごいgdgd。前作のストーリーのほうがよかった」
公式にお問い合わせで直接こんなこといってもどうせ聞いてくれない
のはわかっている。だからこそ愚痴の一つとしてそういう場所に流すのだ。
しかし不祥事・低品質なものの提供を連発するジャンル、例えばFGOなどは
さすがにしっかりとお問い合わせで文句を言う。
上述の愚痴は基本的にアンチ、クレームに該当し、公式から見れば大体取るに足らない
取り込むべきでないゴミであり、問い合わせに入れてもしょうがないものかもしれない。
だが好きで居続けたいからこそ不祥事を連発するようなジャンル、あるいは
これから大事になりそうな不祥事を起こしてしまったような公式などには
勇気を出してお小言を言ってしまう。これは批評的意見であると私は思う。
無論クレームや愚痴と違って筋が通っているか・伝えるべきか・伝わりやすいか
しっかり見直してからお問い合わせへ送信する。また必要以上のこと、特に
怒りや悲しみなどの文句を使う際に出てしまいがちな強い感情が文中に
・理路整然としているか
・けんか腰になっていないか
・公式が誠実に受け取ろうとしてくれる文か
・「私は公式さんのことを考えて言っているんですよ」アピが入った文に
なっていないか
を押さえないと、すぐにクレームやアンチ・愚痴に堕してしまう。
私はそう考えている。
無論公式もアンチ・クレームを正しく捌けて、正しく公式のことを見ている
twitterの公式垢に文句を向ける凸野郎みたいな無益な"コメント"をはねのけ、
批判的意見はうまく取り入れられれば、作品や行動をブラッシュアップするのに
役立つのだ。
批判的意見を取り入れることによる改善の例だが、私の実体験を出そう。
前に私は通販で購入したパウチのおかゆを開封して腐ったにおいの異物混入を
発見し、その会社に問い合わせをした上で商品の中身ごと返品した。
しばらくして、結果は会社側・あるいは配達業者の不祥事ということがわかり、
これからはこれこれこのように対応していきます…といったDMが来た。
DMの中には今までその会社が客からの問い合わせによって改善をしてきた
例をいくつか載せたパンフレットがあった。
批判的意見はしっかりと耳を傾ければ、行動や作品に改善をもたらすのだ。
しかし最近は批評=アンチというか、批判や批評の認識が誤っている人が多く、
マンセーや根拠のない・薄っぺらい賞賛だけに耳を貸して、聞くべき
批評的意見をクレームなどと混同して流してしまう公式や個人が多い気がする。
まあ何言っても耳当たりのいい言葉しか聞かないのなら、そんな批評的意見を
ユーザー側がわざわざ述べる気にもならない、あるいはその層が離れている
のかもしれないが。
これではまるで、野菜を「全部苦いから食べない!」と言い張る子供のようだ。
クレームやアンチとの違い、どんな意見がクレームでどんな意見が批評になるのか
学習すべきではないだろうか。できれば義務教育に取り入れるべきだ。
これはコンテンツなどの受け手・発信者どちらにも大事な知恵であり、
たとえ仮にオタクでなくても知っておいて損はない、それどころか得だらけではないだろうか。
クレーマーが増えた今、内容にかかわらず強い口調で話しかけられている時点で耳をシャットダウン
してしまう人が多いかもしれないが、時にはクレームではなくしっかりとした
批評的意見があるかもしれない。そしてそれを聞かないことにはまず批評的意見を
述べているユーザーや、同様の意見を携えるユーザーを逃してしまうことになるのだ。
別にユーザー以外にも、友達、フォロワーなど、他のことにもこの理論は応用できるはずだ。
また、このような知識を獲得することで、むやみやたらに誰かに怒鳴り散らす
日本人の好きな
「こんな言い方の人はクレーマーで恥ずかしい!」
「こんな言い方ならしっかり批評的でかっこいい!」
といった印象操作的文句で知識を広めればいくら傍若無人なクレーマーでも
ある程度は収まるだろう。
女。20代。結婚して妊娠中だ。オナニーが止められない。何故ならとにかく気持ちがいいからである。
物心ついた時には既にオナニーしていた。ポ○モンを、コ○ンを、こ○亀を見ながら適当にオナニーする癖がついていた。母親にめちゃくちゃ怒られた記憶があるが何が悪いのか当時わかっていなかった。今ならわかる。母よ、こんな娘でごめん。
何が辛いって、具体的なオカズがなくても抜ける(もちろん女なので「抜く」はおかしいが、便宜上これを使う)ことだ。秘部に意識を集中させれば、もう既に一人前戯が始まっている。後は絶頂目指して指で秘部をマッサージするだけで抜ける。オカズがあれば、もっと抜ける。あればいいが、なくても抜けるのだ。
小学生時代は三度ほど連続で抜けば疲れて眠った。年齢が上がるごとに、疲れずに連続で何度でも抜ける。本当にオナニーは麻薬であるとつくづく実感させられる。
小学六年生の時にエッチな自販機で購入したピンクローターは、改革にも等しい刺激を与えてくれたが、なにせ壊れやすく、その度にお小遣いも減るので素早く抜きたい時のみ使うようになった。やはり指はエコノミーである。
手で抜くのにもマンネリ化してきた中学時代、私のオナニーライフは劇的に変わった。まず、私はアニメオタクになった。そのアニメオタク御用達ショップの近くには、たいてい大人のオモチャ屋が存在している。当時は色々ユルユルだったので、バイブと催淫ローションを購入できた。エロ本もいくつか持っていた。
ローションはイランイランの甘い匂いがするだけだったが、催淫という二文字があるだけで最高に抜けた。バイブは、ローターより作りがしっかりしているのだが、全く気持ち良くなく残念だった。膣から出している時は元気に時計回りをしているが、挿入した瞬間動かなくなる。傍若無人なその動きに快楽があると信じていたので、本当にショックだった。
そうそう、ご想像通り、ピンクローターあたりから膣に異物を挿入し始めた。出血はなかったのでいつ処女膜を失ったかはわからないが、きっと何年もかけて穴を拡張していったのだろう。初体験は今の主人とで、社会人になってからだったが、ついぞ本物でも破瓜の経験は得られなかった。
高校時代は、バイブに失望し、挿入と刺激を分けた。コンビニに届くように設定したアマゾンで購入したディルドと電マで、さらに後戻り出来なくなる。ディルドは全く気持ちよくない。やはり膣より陰核である。私は陰核に直に触られると痛みを感じるが、布をかませるとオーケーな体質で、それで挿入しながら刺激できるという一石二鳥のバイブとは相性がよくなかった。電マ。電マは最高だった。バイブより出力も高い。面積も広い。持ちやすい。
私の愛用の電マはフェアリー。壊れづらく、無線・有線と選べる上にサイズも揃っている。オッサンがニヤニヤしながら考えたとしか思えない謎のパターンブルブルも存在しない。出力も申し分なく、ダイヤル式で強弱が変えられて、細かい調整に良い。電マで迷っているなら、今すぐフェアリーを勧める。本当に。無線は有線より壊れやすい傾向があると感じたが、どちらもあると捗る。今は私は有線しか持っていないが。
そう、電マの導入で私はオナニーを極めた。10回、20回真顔でオカズ無しで抜けるようになった。それが毎日。365日。自宅でオナニーしない日はない。旅行などがあって他人と眠る時だけはオナニーをしないこともある。していることもある。
書いていて思い出したが、私は中学時代、教室で授業中にオナニーしていた。誰か気づいていたと思う。恥ずかしいくらいオナニーに弱いが、オナニーは中毒なのだ。
オナニーは麻薬であると前述したが、私はタバコもクスリも酒も博打もやらない代わりにオナニーをする。猿のごとくする。しないとイライラするから。本当に中毒なのだ。この先老いた時、オナニーを連れてはいけない。いつやめられるのか恐怖を伴って。お腹の子に影響はないのか心配しながら。この文章を書き終わるまでに三度のオナニーを済ませ、今四度目のオナニーを始めようとしているのである。
ものすっご頭悪そうなタイトルですがずっと疑問に思っている事です。
女の性を武器にして悪事働くクソ女って居るじゃないですか。美人局とかはその典型だし
痴漢の意図的な冤罪であったり、傍若無人な妊婦であったり、托卵してよその男の子孕んで開き直る奴とか
上記の存在は「人として最悪」という理由で糾弾されるし罵倒されるじゃないですか。ネットスラングで言うところの「まんさん」呼ばわりされるに
妥当な悪辣な人種。体裁フィルターが剥がれるネット上では特に本音が強くなる故、罵倒も加速する
すると、実に奇妙な事に「何も悪い事をしていない女」や「一つも関連性が無い女」に罵倒がブッ刺さり
勝手に意気消沈したり、一部拗らせたミソジニー?と呼ばれている人種からは「男全体を罵倒する」ガス抜き目的のような威嚇が飛んできます
twitterの白ハゲ漫画によくある自称フェミニストがブチギレて、まとめブログなんかのエサにされてるアレです。
一部の最悪な女のみに対する罵倒なのに、「女全体が虐められた!」「私が侮辱された!」と
発狂する流れが各所で見受けられます。twitterやガルちゃんなんかではその傾向が顕著ですね。
これ「女」に極端に集中して見られる現象なんですよね。
痴漢やレ●プ犯という「男」性で加害者になった人間に対して罵倒が集中する現場も多々見られますが
(例外はそりゃ居るけど、漢字を見ればルーツがわかる通りに“女の痴漢”と同じ位にはレアケースですね)
YouTubeにおいて人種差別、民族差別、ヘイトスピーチを行なっているチャンネルや動画が
5chハンJ民など有志らによって閉鎖やアカウント停止に追い込まれている件が局所的に話題になっている。
そんな騒動の中、ひっそりとテキサス親父のチャンネルがアカウント停止に追い込まれた。
これはある種のネット史上におけるマイルストーンであろうと思い、一ネット住民である名無しの感想という形でテキサス親父にまつわる思い出話を書き連ねたい。
いかにもステレオタイプ通りのアメリカ共和党支持者的、キリスト教的な言動を繰り返すだけの単なるおっさんだった。
そんな彼が日本で注目されるようになった転機はシーシェパード問題だ。
アニマルプラネットの放映する"Whale Wars(鯨戦争)"という番組がアメリカにて2008年頃に大ヒットし、
シーシェパードと名乗る過激なNPOの捕鯨抗議活動と海洋環境問題が世間の耳目を集めていた。
テキサス親父はそんな潮流の中で「シーシェパードはパフォーマンスに堕した差別主義者のテロリストだ」と早い段階でYouTubeに声明をあげた人物だ。
動画が発掘された経緯は定かではないが、これがネトウヨ層に大ヒットした。
字幕がつけられ、ニコニコ動画に転載され、シーシェパードは差別主義者で良識あるアメリカ人はそれを見抜いているのだと注釈をつけられ、ネットの至るところで動画が拡散された。
少なくとも”Whale Wars”に端を発するシーシェパードの過激で傍若無人な振る舞いは日本でもある程度知られ、
その前身であるグリーンピースなどの諍いも含めて、捕鯨は当時のネトウヨ層にとって極めて重要な問題だった。
そんな中でテキサス親父の力強い断言は、ネトウヨ層にとって大変感慨深いものだった。
テキサス親父は快刀乱麻を断つが如く「西洋的な価値観で他民族の伝統や風習を野蛮だと断じるのは差別に他ならない」と論じた。この声明については今でも俺は賛成したい。
その後もテキサス親父はシーシェパードを批判する動画を相次いでYouTubeにアップロードし続け、ネトウヨに賞賛される日々が続いた。
テキサス親父も人が良かったのだろう。ネトウヨのリクエストが殺到したのか、共和党支持者らしい共産主義や社会主義への批判を行うようになり、いつしか慰安婦問題にも触れ、ネトウヨの大好物の「マスコミが報道しない真実」に言及しはじめた。元々、陰謀論好きな一面も見受けられただけに必然的な流れでもあったかと思う。プロパガンダバスターが彼の二つ名だったし。
テキサス親父は一部のネトウヨに持ち上げられ続け、日本事務局なるものが発足し、
テキサス親父の日本での講演会や書籍が出版される事になった。この頃すでに俺はテキサス親父への興味を失っていた。日本事務局は幸福の科学の藤木なる人物が中心人物で、テキサス親父を取り巻く新興宗教のきな臭い話を聞くようになったというのが非常に大きい。YouTubeで正論を言うテキサスのおっさんは、そこにはもういなかった。
ハンJ板にてテキサス親父を振り返るスレッドが立ったので、別角度からの一意見としてレスを転載したい。
>テキサス親父ことトニー・マラーノ Tony Marano について記しておかなければいけないことがる
>あのおっさんは、黒人の射殺に反対し、黒人が教会から排除されたことに反対し
>キリスト教原理主義者が「あいつらはホモの売春ばっかやってるから天罰だ」と言ったのを反対し
>フィリピンのドゥテルテ大領の政策も「麻薬中毒の子供の母親の気持ちになれ」と叩いてた
>韓国叩きさえ、きちんと犯罪者や個人と国籍民族を分けて叩いていた
>じゃあ、なぜ、倒せたのか?
>つまるとことろ、中国の政体批判をトニーはやってるだけなのに
>トニーは「俺は韓国人全てが悪人とは言って無い」とか言ってるのに
>ニダーの顔の絵や字幕を右上にもってきて「ウリたちは土人だから何もわかないニダー」と言わせたり
>とにかくトニーと違い
>そこに弱点があった
>トニー自身の言葉ではなく、日本人スタッフの字幕が俺の攻撃ポイントになった
このハンJ民は明らかにテキサス親父に精通しているもののテキサス親父動画の通報を行なったと思われる事から、
かつて愛した過去の恋人の死に際を看取るような心境だったのではないかと察する。
そう。そうなのだ。かつてシーシェパード問題で先陣をきったテキサス親父は、もうどこにもいない。
パっとしないおっさんが日常の延長で行なったYouTubeの時事問題評論が極東の島国の特殊な層にウケて持ち上げられ、
やがては暴走して韓国人、中国人差別に走り、YouTubeから動画とチャンネルが削除された。それがテキサス親父の歴史的経緯だ。
上記の内容を読むからにテキサス親父は差別主義者ではなかったという反論もあろうが、
その証拠はわざわざ挙げるまでもない。目を覆うようなテキサス親父の差別表現を列挙するのは心苦しいし、YouTubeでのBANという事実だけで客観的な評価は十分だろう。
(ちなみにテキサス親父自身の個人アウカウントは今も生きている。BANされたのはあくまでテキサス親父日本事務局だ。)
テキサス親父は排他的で横暴、高圧的な価値観を非難する良心的な一市民だった。
けれども彼はいつしか排他的で横暴、高圧的な価値観を振りかざして民族差別をする側の代表になっていた。
いや、実際のところ、ベストセラーはやっぱりすごい。こどもの感性にピッタリフィットした場合、誇張抜きで100回ぐらい読むから「これで1,000円? 激安やな!」って思うんです。
以上、1歳から2歳の成長過程でこどものハートを盗んだ順。このへんは、もう、ほんと聖書と書いてバイブル。
一方で、お散歩ついでに図書館で本を借りるときは、ディスプレイされている絵本を気楽にポンポン借りる。2週間に1回、5冊借りて帰るとして、1年で100冊超。そうすると、もし本屋で見かけたら「誰が買うんや、この絵本」と思うような一冊が、こどものハートをがっちりつかんで離さない、ということがあるわけです。
前置きが長くなってしまった。というわけで、あらためてバンドメンバーの紹介させてくれ。
トリスウィスキーのキャラクターでおなじみ柳原良平のベストセラー絵本。シンプルな絵で人間のいろいろな表情を描く。
前置きの趣旨だと「ちょっとマイナーな絵本を紹介します」って感じになると思うじゃろ?いきなりベストセラー絵本です。だって、こどもが気に入ったんだから仕方ない。
自分が小さいころ読んでもらってなかったので「あんまり絵が好みじゃないな」と思って買わずにいたけど、借りて読んだらこどもがドはまり。内容が面白いのではなく、読んでる大人が絵本の表情をまねる顔が面白いだけ、という声もあります。
ところで、この絵本を読んだことのあるお父さんお母さんにききたいのだけど、「かなしいかお」と「ないてるかお」って同じにならない?ワイの表情筋が死んでるだけ?
ゾウやトラ、ライオンなどの動物の顔や体を、実物大の写真で見せる動物図鑑。
2冊目にして、絵本ですらない。でも、こどもが気に入ったんだから仕方ない。自由に書くのがおれのインターネットだ。
閑話休題。よくあるかわいらしいイラスト調の図鑑(これはこれで楽しい)だと、ネコと区別がつかないトラやライオンも、この図鑑だとシッカリハッキリ大型肉食動物。「こいつに首をかまれたら死ぬな」という雰囲気が、近所の動物園で遠巻きに見ているよりもリアルに伝わります。この図鑑を見て以降、こどもはトラのことを「かわいい」とは言わなくなりました。ワニのページに至っては、開くと半泣きになります。
この本はシリーズがたくさんでていて、どれも本当に面白いけど、「ほんとの大きさ動物園」「もっと! ほんとのおおきさ動物園」の2冊が特によかったです。
いないいないばあ!のゴットンのデザインでおなじみ、新井洋行の赤ちゃん絵本。
「何が面白いのか、大人にはわからん」が「しかし確実に赤ちゃんの心をつかんで離さない」系絵本。amazonのレビューにも「息子が11ケ月のときに図書館で借りてきましたが、他の本と食いつきがまるで違い、即購入しました」「図書館で借りたらとてもお気に入りになったので購入しました」と書いてありますが、マジでうちの子もそうだった。他の絵本とは、安いルアーと青イソメぐらい食いつきが違います。この本と「だるまさんシリーズ」と「いないいないばああそび」は、10カ月~1歳半ぐらいまでのあいだ、我が家の主力として権藤権藤雨権藤していました。新井洋行の絵本は他にもたくさん借りてみたけど、これがダントツでよかったです。マジおすすめ。
しかけ絵本。カラフルなお面のページをめくると表情豊かなどうぶつたちの顔が見える。
tupera tuperaの「やさいさん」や「くだものさん」、エリック・カールの「はらぺこあおむし」のような仕掛け絵本の「お面バージョン」をイメージしてください。…THIS IS IT !!(byマイケル)。もしくは、
しかし、上記の諸作品とこの絵本の違うところは、読み終わったあとに各ページを使って、文字通り「お面」として遊ぶことができるところです。これが楽しい。めちゃ楽しい。
こどもも「絵本が読みたい」というよりは「お面で遊びたい」ってかんじで持ってきます。2歳になったばかりの今現在、こどもはたぶん、この絵本が一番好き。
この絵本を読むと、うちのこどもは、絵本の中の恐竜の傍若無人なふるまいについては「きょうりゅうさん、ねないといけないね」とか「きょうりゅうさん、よくないね」と冷静かつ客観的にコメントします。でも、いざ自分が寝室の電気を消されると、絵本の中の恐竜と同じように、小一時間泣きわめき、あの手この手を使って「1秒でも長く起きていたい」と大暴れします。そのギャップが、あまりにもかわいい。かわいいかわいいかわいい!
というわけで、図書館に返却後、夫婦満場一致で即購入しました。これまでの4冊は「こどもが楽しむ絵本」でしたが、これは「読んでいて大人が楽しい絵本」。たぶん、こどもはそこまで好きな絵本ではないです。寝かしつけに悩むお父さんお母さんにオススメ。
書き出すと長くなってしまった。つまり、何が言いたいかというと
ってことだよ。
5月13日のこと。これまで乗ったことがなかったJR和歌山線に王寺駅から乗車したところ、
「古刹を巡る会(仮称)」の旗を持った老人30人ばかりが同乗することになった。
その一行が着席するや否や、すさまじくデカい声でしゃべりだし、そのやかましさといったら、
ありゃしなかった。
小学生、幼稚園の団体も及ばないレベル。難聴なのかと疑うくらい、全員声がデカい。
スマホでゲームをやっていた高校生はヘッドフォンが聞こえないと友人に言っていた。
さらに、目の前にいたクソババァ様はでかい声で外国人旅行客のマナーがなっていない、と
のたまっていたが、お前らのほうがその5万倍は迷惑だと言ってやりたかった。
高校生や外国人らに手本を示すべき連中が醜態を延々とさらしていた。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」と、ビートたけしが日本人を批評したけど、
まさにその通りだった。外国人カップルはそれを学んだことだろう。
旅で気分転換をするはずが、逆にストレスを感じてしまったのは残念だった。
その後、天気は下り坂。大雨が降ったため、和歌山線は運転見合わせになった。
最低な老害軍団は五条駅で下車したのだが、巻き込まれていることを祈ったのは言うまでもない。
行き場のない怒りを吐き出して、この週末は心安らかに過ごしたいと思う。
※これはフィクションです。実在の人物、団体、界隈などとは一切関係ありません。
そのひとが描く、すらりと伸びた手足が好きだった。
何にも染まらない白い肌が同じように白い肌と重なっている。草原の中に佇む、少年とも少女ともつかないその姿は確かに静止画としてそこから動かない筈なのに、きっと誰にも捕まえられない。吹き抜ける風のように自由で追いかけても追いかけてもすり抜けていくだろうから。
「尊い」
そんな私の口から零れたのは、たったそれだけ。ツイッターで回ってきた、その美しすぎるイラストについて、私はそれ以上語る言葉を持たなかった。
いや、持てなかった、と言うべきだろう。私のような語彙力のない人間がありふれた陳腐な言葉で褒めちぎっても何にもならない。
だからただ「尊い」とそれだけ言っていればいいのだ、そうだそうだ、それが正解だ。
残念なのは、一回しかふぁぼが出来ないこと。見た瞬間に無意識に1回ふぁぼって、見入って息をするのを忘れて、それからやっと呼吸を再開した時に手癖でもう一度ハートマークを押したら、ふぁぼが解除されてしまった。正直あと億万回押したい。ツイッターの仕様変えられないの?
これだからツイッターはなんて思いながら、絵についてるツイートに目をやった。
なるほど、確かに見たことないキャラだと思ったけど、やっぱりオリジナルだったんだ。そして”久しぶり”という言葉から察するに、普段は二次創作をやっている人のようだ。
ツイ主のアイコンは、知らない2頭身の金髪の女の子キャラのイラストだ。アカウント名は@noanoa_hc、スクリーンネームはNoa。
初めて見る人だ。世の中にはまだまだ私の知らない素晴らしい絵師さんがいるんだなぁと思いながらその人のプロフィールページに飛んだ。
固定ツイートを見てぎょっとした。
女の子と女の子がキスをしているイラストだった。一人はアイコンにもなっている金髪ロングの女の子、もう一人の子は茶髪のポニーテールだ。
オリジナルの中世的で絵画的でもあった雰囲気とは全く印象が違う。女の子らしさを凝縮したふわふわキラキラした世界。可愛らしい色合い。
でも確かに絵柄は同じだった。すらりとした手足のタッチは同じ。間違いなくどちらもNoaさんが描いたものだということは分かる。
そうかそうか。なんだ、その、普段は百合?をやってる人、なんだ。え、それってどういうこと?
っていうか百合って男向けのだよね?そういえば時々BLとか少女漫画の作家さんが百合描いてるの見かけるけど、正直仕事として依頼されたからだよね。好き好んで男のために消費されるようなものを作る女なんていないでしょ。
だったら何?このひとは一体何なの?bio見る限り商業作家さんではなさそう。お仕事用別アカウントもないみたいだし。趣味で百合をやってる女のひと、ってこと?
ああ、そうだ、きっとそうだ。それを収入源にして本当にやりたいオリジナルやってるひとなんだ。なんかそれってすごい。女を消費したがる男を食い物にして自分の好きなことの肥やしにしてるってことだよね。格好いいな。
私は男子の絡みを主食にしているし、可愛い受けより美人で男前な受けが好きだから、こういういかにも”かわいい”を強調したイラストを見ていると少し居心地が悪い。だけどやっぱり絵柄自体は好みだから、不思議とずっと見ていられた。もうフォローするしかなかった。
Noaさんのツイート頻度はそんなに高くなかった。2~3日に一回つぶやけばいい方。おはようとか疲れたとかの一言だけだったり、突然おいしそうな飯画を上げたり、内容はまぁ普通だ。口調は結構乱暴な感じだけど、名前からしても多分女のひとだろう。あんなに繊細で美しくて尊いイラストを描ける人が男であるはずがないと思う。
そんな普通なツイートに混じって、週に1回平日(後にそれが毎週水曜日であることに気付く)に何かのアニメの実況をしているらしいことも分かった。
最初は何のアニメなのかよく分からなかったけど、ツイートがやけに熱いなと思っていたら、その日のうちにワンドロを上げたりすることも多くて、例の固定ツイートにしている女の子達が出てくるアニメのようだった。
イラストはワンドロにも関わらず、毎回クオリティが高くて、知らないアニメだけどNoaさんのは別だ。即座にハートマークを押して、でも少し考えてそれを取り消した。
内容が内容だから、自分のフォロワーさんにこんなのが回ったら絶対迷惑になる。みんな百合の耐性ないもんね。
だから私はNoaさんを追うためだけのアカウントを作り、改めてフォローし直した。ふぁぼ欄がNoaさんのイラストやツイートで埋まっていくのが嬉しかった。
Noaさんは週末には時々オリジナル絵も上げてくれた。キャラは私が初めて見た時のものと同じだったりそうじゃなかったり。とにかくもうNoaさんの絵が全部好きだった。
というかNoaさんのことを好きになっていた。低めのテンションから自ジャンルの話題に食いつくときのギャップが最高だし、普段の砕けた乱暴な口調も格好良い。何か自カプについて考察みたいなことをツイートして界隈からのふぁぼリツをかっさらっていったかと思えば、オリジナルの儚げなイラストで私達を殺しにくる。
ツイート頻度が高くないことは重々承知の上で、それでも今日は呟いているかどうかと、毎日のようにアカウントを見にいった。
そうしていると段々話しているジャンルの内容が気になってきた。気になりすぎて動画サイトで探して、アニメを前クールから全部追った。
正直そこまで私には刺さらないアニメで、男同士でやればいいのにと何回も思ったけど、ツイートの中身がスラスラ分かるようになったのは本当に良かった。
TLを読解出来るようになると、それまで見えていなかった色々なものが見えてくる。
ジャンルの界隈の人でいつもNoaさんの考察に空リプしてる人、それに丁寧に対応するNoaさん。時には長めの議論に発展することもあるけど、いつもNoaさんが綺麗に論破してしまう。
そして、Noaさんをしきりにご飯に誘ってくるのはいつも同じアイコンだった。休日の度に何度も何度も図々しい。でもNoaさんは優しいからその誘いに乗ってあげていた。
TLに流れてくる二人分のスイーツ画に吐き気がした。Noaさんはお前のSNS映えのための道具じゃないんだぞ。
無事に現行クールの話数に追いついた私は、水曜日にはリアルタイム視聴もするようになった。Noaさんの実況を見ながら見るアニメは格別だ。離れているのに、お互い顔も本名も知らない関係なのに、一緒の時を過ごしている感じがする。
そして、見ているうちに私はある思いが日に日に強くなっているのに気が付いた。
Noaさんの自カプ、BLじゃない?と。
女王様系の金髪ロングと、従者的な幼馴染の茶髪ポニーテール。BLじゃ王道中の王道の関係性じゃない?断然金髪が受け。大人っぽいのに可愛いところもあって女王様な美人受け、最高じゃん。茶髪の方は幼馴染だからってこともあって、金髪の傍若無人な振る舞いを上手いこと扱っていて、なんかちょっと熟年夫婦感があるんだよね。もしこの二人が男の子だったら私の好みどストライクだ。本当になんで男同士じゃないんだろう。もったいなさ過ぎる。
いよいよ私は我慢が出来なくなって、その思いをNoaさんのマシュマロにしたためた。Noaさんが私の考えをどう思うのかが知りたくなった。
メッセージを送った瞬間は正直冷や汗が出た。これまでイラスト好きですとか応援してますとかそんなことしか送ったことはなくて、CPについて聞くなんて初めてだったから。
百合のことなんか全然分からないけど、やっぱり男体化って話題はよくなかっただろうか。でもでもNoaさんの普段の発言じゃ、金髪と茶髪に付いて嫁とか夫だとかいう言葉だってよく出てくるし、彼氏面とかも頻繁に言ってるし。それにオリジナルの時はどちらかというと少女より少年っぽさの方が強調されたりもする。”男キャラ”についてそこまで拒否感はないはず。いやでも。そんな考えが頭の中をグルグル巡って、やっぱり送らなければよかったとさえ思った時、それは起こった。
『男体化!その手があったかー!ありがとうございます!!』
TLに現れたその文字列を見た瞬間、私の体温は5度くらい上がったんじゃないかと思う。
その後Noaさんは続けざまに男体化について3ツイートくらいのツリーを形成して思いの丈を語った。もちろんマシュマロのお返事含め、それらは全部スクショした。
Noaさんが、あのNoaさんが、私の意見を拾って、それに賛同、私と同じように萌えてくれたのだ。
自分の性癖にとことん刺さるBLを読んだ時くらい嬉しかった。嬉しすぎて文字通り部屋の床をゴロゴロ転がり回ってしまった。
数時間後に男体化イラストが上げられた時には確実に一度心臓が止まったと思う。
これだと思った。二人の少年はばっちりNoaさんの絵柄にハマっていた。そうなのだ、これが金髪女王改め王子と茶髪従者の真の姿だ。彼らはその女性性を捨てることで、真に美しい姿に、概念にまで昇華したのだ。
その後もNoaさんは度々男体化イラストをUPしてくれた。それに触発されて界隈の他の絵師が同じように描き始めたけどやっぱり全然だめ。Noaさんじゃないと、”少年”のリアルな質感は描けない。絶対に。やっぱりNoaさんは男同士を描くために生まれてきたんだと思う。これまでの百合をやってきたのは金髪王子と茶髪従者に出会うための布石だったんだ。私はそう確信してさえいた。
自ジャンルのオンリーイベントのサークル参加募集が始まったのはちょうどそんな頃だった。Noaさんがサークルカットと共に『新刊男体化漫画やります』とツイートした時は、見間違いじゃないか5度見くらいした。
大好きなNoaさんが、他でもない私が布教した大好きな男体化カプで新刊を出すのだ。信じられない思いだった。というかこんなにいいことばかり続いていいのか?とさえ思った。
そして、一番重要なことはイベントに行けばNoaさんに会うことが出来るということだった。一体どんな人なんだろう。いや素敵な人に違いないとはもちろん思っているけど。これまで飯画や上げられる写真には本人は全く映り込んでいなくて、顔もそうだが服装や雰囲気なども一切分からなかった。でも、会えるのだ。せっかくの機会、Noaさんと自カプについて話がしたい。
そのためにも私はもう一度アニメを隈なく見返した。金髪王子と茶髪従者についてやれるだけ考察を重ね、解像度を上げることに専念した。
いよいよイベント当日。
一般入場が開始された瞬間に私はまっすぐNoaさんのスペースを目指した。15分前にTLをチェックした限りでは設営完了とのこと。新刊表紙の茶髪従者にお姫様抱っこされている金髪王子を目印に人の波をかき分けて進んだ。
パンフレットとスペース番号を何度も見比べながら場所を確かめる。ああ、私Noaさんに会うんだ。そう思うと心臓はがなり立て、喉はカラカラに乾いてくる。歩みを進めながらも深呼吸してごくんと唾を飲み込んだ。
スペースには大きな列こそ出来ていなかったものの、既に5~6人並んでいた。開始直後にってすごくない?やっぱりNoaさんって人気作家なんだ。
声の主の方を視線で辿って息を飲んだ。めちゃくちゃ美しいひとがそこにいたからだ。可愛い、ではなく、キレイなどでは足りず最早「美しい」という言葉しか適さない顔の造形だ。
身長は170cm近くあるだろうか、きれいめのジャケットをクロップドデニムでカジュアルダウンしている姿が様になりすぎている。
耳が見えるくらいの明るい色のショートカットの髪が、さらさらと額の上で揺れていた。
一見して男か女か分からなかった。どっちと言われても信じることが出来そうだ。確かなのはその人が美しいということ。
そしてそのひとの胸元に名札がついているのに気が付いた。
”Noaだょ”
崩した文字だけど、確かにそう書かれている。Noaさんだ。Noaさんなのだ、この人が。この美しいひとが。
聞こえてくる「ありがとうございました」の声は見た目の印象よりも少し高め。それに何より名札から下をよくよく見ていると、柔らかそうな身体つきが見て取れた。Noaさんは女のひとだ。メンズライクだけど確かに女のひと。男装カフェとかにいても不思議じゃないタイプの。私だってあんな風に顔が良かったら男装コスだってしてみたいと思ったことが1度や2度くらいある。もちろん鏡を見てすぐに諦めたけど。
Noaさんは私の理想のひとだった。あんな風になりたかったと思えるひとだった。最高のイラストが描けて、TLでも人気者でその上顔やスタイルまで美しくて格好いいなんて。すべてが私の理想通りだ。こんな素敵なことがあってもいいのだろうか、本当に。
私はの緊張はいよいよピークに達し、息が上手く出来なくなってきた。
無情にもNoaさんの客さばきは高速で一気に私の番になってしまう。
「あ、あの、しんかん1部、くださひっ……」
噛んでしまった。
やばい恥ずかしい。一気に顔に血が上ってくるのが分かる。今すぐにでも逃げ去りたい。そんな私を気にも留めずにNoaさんは新刊1冊ですね、と私の震える手から500円玉を受け取った。
何をしているのだ。こんなことで怯んでどうするのだ。何のためにここへ来たのか、何のために夜通しアニメを見返したのかも分からなくなってしまう。
私はNoaさんのから新刊を受け取ると、「あの」と切り出した。
「あの、実は私、Noaさんに最初にマシュマロで男体化よくないですか?って言った者なんです……!」
よかった。今度は噛まずにちゃんと言えた。少しだけほっとする。
「そうなんですか!?えー、ありがとうございますー」
Noaさんは目を見開いて驚いて、すぐさまぱぁっと明るい笑顔を浮かべる。
「うわー、じゃあこの新刊出せたのもあなたのおかげじゃないですかー。えー」
「いえいえそんな全然です!あの、やっぱ二人の関係はちょっと少年的というか、男体化すると無垢な感じがめちゃくちゃ出るというか、それがNoaさんの絵柄に合うんじゃないかってずっと思ってて」
やばいなと思いながらも一気に捲し立ててしまった。やばいな、Noaさん引いてるかな。ちらりと顔を見ると、Noaさんは先程から変わらずニコニコとした笑顔のままだった。
「いやぁ嬉しいなー。マシュマロもらった時私もその手があったかー!って思って興奮しちゃって。ほんと”少年”って儚げな感じがこの二人っぽくもあっていいですよね」
なんてことだろう。私が思い描いたような展開が繰り広げられている。本当に夢かもしれない。それなら覚めて欲しくないけど。
そう思っていると、隣のスペースの人がNoaさんに声を掛けた。
「るかちゃーん、今ソラリよんさんからラインきて、今日の打ち上げ来れるかって言ってっけど、参加でいいよねー?」
「ん?ああだいじょぶー」
「りょ~!」
背中まである長い髪を綺麗に巻いたその女は、Noaさんの返答を聞くが早いかキラキラしたネイルの指先ですぐさま返事を打ち始めた。
なんだこの女。やけにNoaさんに馴れ馴れしくないか?あのNoaさんだぞ?分かってる?
隣のスペース誰だったかな、ほとんどNoaさんしか見てなかったからよく覚えてない。でもお品書きポスターの新刊表紙に見覚えがあった。
こいつ、毎週末NoaさんをSNS映えの餌食ににしているクソ女じゃないか。いつもこんな風に馴れ馴れしくNoaさんに絡んでるんだ。最悪。胸の中にモヤモヤした感情がくすぶり始める。
でも同時にそれが正しくない感情であることも私には分かっていた。だって私はオフラインのNoaさんのこと、ほとんど何も知らないのだ。隣のクソ女の方がずっとずっとNoaさんを分かってる。他にも打ち上げの連絡をしてきたソラリよんか誰か知らないけどそういうやつとか、打ち上げに来る他のメンバーなんかの方がよっぽどNoaさんを知っているはずなのだ。
それでも、それだけで私がこの人たちに負けていると思いたくなかった。私はそんなみんなから慕われている神絵師同人作家Noaさんに布教してそれをNoaさんも気に入って新刊まで出したのだ。それをさせたのは、間違いなくこの私。
気が付いたらNoaさんが再び私の方を見ていた。
「え!?」
いきなりのことにひっくり返ったような声が出てしまった。
「あ、お時間あればいいんですけど」
Noaさんは白い歯を見せながらニカッと笑った。笑顔があまりにも眩しすぎる。Noaさんはクソ女の方を振り返る。
「ねー、もりーぬさん、打ち上げもう一人追加でいいー?えーっと」
そしてもう一度私の方を振り返って聞いた。
「あ、双樹、です」
「りょーかいです。もりーぬさーん、”そうじゅ”さん、追加で。そ、1人。あ、そうじゅさん終わったら連絡するんでライン教えてもらえません?」
それが私がNoaさんと”繋がった”瞬間だった。
Noaさんのスペースを後にして、会場をぼんやり歩く。正直百合がメインのジャンルだから男体化で本まで出しているサークルは少なかった。打ち上げの時にNoaさんと話すネタになるだろうと買い込みたかったが、Noaさんに触発されて突発で出したコピー本みたいなのが数冊だけしかなかった。それでも収穫は収穫だ。
どこかでご飯食べて戦利品に目を通して、打ち上げの連絡を待つとしよう。
Noaさんのスペースは会場のだいぶ奥だったから入口まで地味に距離がある。それにまだ一般入場が始まって30分も経っていないわけで、色んな列が進路を阻み、色んなスペースに向かう人が色んな方向を目指して進むに進めなくなって新たな混雑を生んでいる。ぼーっとしていたら人の波に攫われてしまいそうだ。
そういえば今までBLのオンリーやオールジャンルには参加したことがあったけど、百合がメインなのは初めてだ。どこもかしこも女の子のイラストのポスターやらなんやらが目につく。そしてそんな会場にいるひとの8割くらいは男性なのだった。確かに女性はいるし、サークルで参加している人には女性が多いようには思うけど、客はみんな男性だ。こういう男女比のところに初めて来たから余計にそう思うのかもしれないけど。やっぱり百合は男性向けなんだ。男女ものの男性向けほど直球のエロじゃないにしても、キレイな理想の女の子と女の子の世界ってやっぱり男の考えた理想郷で、男のための消費物に他ならない。
よかった、Noaさんが男体化をやるようになって。あの美しいひとが、例え売れるからってこれ以上男のための消費物を作り続けるなんてもったいなさ過ぎる。、
そういえばさっきNoaさんのスペースに来てたのもほとんど男の人だった。男体化でもちゃんと買ってくれるってことはやっぱりNoaさんの画力と漫画の上手さだよね。
いや、待てよ。もしかしてNoaさんガチ恋勢なんじゃないの?だってあれだけ美しいひとなんだし、それもない話ではない。だって元々百合が好きなのに男体化の本を買うなんてありえない。絶対あいつら内容なんて見てないんだ。ああやっぱり男って最悪。Noaさんもこのまま男体化続けて、早くBLにきたらいいのに。
人込みの中、男がこっちにぶつかってくる度に聞こえるように舌打ちしてやりながら、私は何とか会場を出た。
連絡を受けて、打ち上げ会場となる居酒屋に集合より少し早い時間に到着した。既に店の前でNoaさんとクソ女、それからいかにもな感じの男オタクが2人いた。Noaさんはすぐに私に気付いてくれて、私をそこにいた人達に紹介してくれた。一通り自己紹介が終わるとクソ女が男達に身内的な話題を振って私以外の4人で話し出した。何これ居辛ら過ぎる。私が死んだ魚のような顔になってもクソ女と男共は全く気付いていないようだった。最悪。
するとNoaさんが、急にこちらを向いた。私は慌てて生き返った顔に戻る。ヤバイ、見られたかな。Noaさんはこちらを見てにっこり笑うと、クソ女と男共に「そろそろ時間だし先はいっとこ」と言った。流石Noaさん。きっと私を気遣ってこう言ってくれたんだ。まだ来ていない人が2~3人いるらしかったが、その人達にはクソ女が連絡することになり、私達は店の中に入った。
ビールで乾杯した後、早速みんなアニメや今日のイベントの話をしたり、戦利品について語り始めたりする。
席順は奥からクソ女、Noaさん、私。そして向かい側に男が二人。男のうち1人は赤髪と紫髪の姉妹が自カプらしくてその話をNoaさんに振ってくる。
「82話のお姉ちゃんの妹への眼差しがやっぱりすべてを表してるんすよ」
「あれはね。流石に言い逃れ出来ない」
「っていうかソラリよんさんの新刊が、全部やってくれたからなー」
「空白の8時間!!」
「いやまじで空白の8時間ってなにっていう」
そんな会話が次々と展開されていく。なにこれ。っていうか赤髪と紫髪のカップリングって何で人気あるのか不思議なんだけど何で?今日のイベントでも島が出来て
これから書く記事は、以前ここに似たようなものを書いたことがある。だから本当は違反行為に近いのかもしれないけれど、前の記事が妄想だと受け取られてしまって、どうしても納得できなかったからもう一回書かせてもらうことにした。妄想だと思われたのはおれに非があって、たぶん時系列の錯綜した書き方が無用な混乱を与えることになったのだと思う。だから今回は単調かもしれないけれど、時系列の古いものから、つまり過去から順番に並べるやり方で行くことにする。ようするに自分語りなわけだけど、タイトルにあるようにとにかくおれが馬鹿なので、「おれの人生はこいつに比べたらだいぶマシだな」と思ってもらえる効果はあるかもしれない。
話は13年前にさかのぼる。おれは入試方式多すぎるやろ!とツッコミを入れたくなる関西の某マンモス大学に意気揚々と入学するも、出だしからいきなりつまずいてしまう。クラスで友人が1人もできず、桜が舞うころに開かれたコンパでは、桜の下でぼっち飯するおれは教育係の先輩から情けで声をかけられるありさまだった。
自然、人恋しさからおれの足はクラスから離れサークル活動に向かうことになった。そのサークルの同じくコンパで、スパゲティ屋で食事をしているとき、「どこ出身ですか?」と声をかけてくれる男がいた。それが1年前あまり行動を共にすることになるXだった。Xとはしょっちゅうカラオケに行ってガンダムの曲を一緒に唱うなどしたいたのだが、当時おれはカラオケで98とか出るのをいいことに(そんなやつはゴロゴロいるのに)、プロの歌手になれるんじゃないかと勘違いして、レコード会社にデモテープを送ったりした。しかもその曲が倉木麻衣のSecret of my heartときていたのがもう・・・・・・。当時、おれは自分が中性的で女性的な魅力があると勘違いしピンクの服を着るなどし「3次元のクラピカ」を自称していたのだった。そんなうぬぼれたふわふわした気持ちもあり、授業からはどんどん足が遠のいていく。1年時の前半にとった単位は4くらいだったと思う。秋になるとサークルもやめ、もっぱらXとつるむようになる。毎晩のように親からの仕送りのお金をレストランでの食事につぎこみ、Xが行きそびっているときはおれがXの食事代も出すようになっていった。そのうちXは交換条件のように、「食費を出してくれるなら(レストランに)行ってもいいよ」と言ってくるようになった。でもおれはじゃぶじゃぶ出した。1人自分の部屋で食べるということが考えられなくなっていたのだ。結局のところ、Xとの関係はおれにとって、1人暮らしのさびしさや心細さを埋めるものでしかなかったのだと思う。1年たった頃には1人暮らしにも慣れてきたのか、それまでスルーしていたXの1人よがりなあつかましさが目に余るようになっていた。「おまえには社会経験がないからバイトが必要だ」とか、「おまえは友達が少ない。友達もできないやつに彼女ができるはずがない」とか、そんな自分の意見を一方的に押しつけて反論をさせない態度を受け流すことができなくなったおれは、ある日意を決してメールを送る。これまで一緒にいてくれたことに対する感謝を述べたうえで、しかし性格の根本のところで合わないところがあり、それはどうしようもないからもう関係を終息させたいと。すると笑いながらの電話がかかってきて、「彼女に言ったらありえんって言っとったよ。恋人が別れるときに」するような行為やって」と鼻で笑われ、おれたちの関係は終わった。
さんざんな顚末とはいえ、1歩引いて見るなら人生はまだまだこれから、おれに必要なのは地歩を固めるための1歩を踏み出すこと、つまり授業に出ることだった。しかしおれの人生はここから急速に転がり落ちていくことになる。
授業に出ようとするものの、1時間半受け身の状態で座りつづけるのが耐えられず、教室を途中退出して図書館に行くことが増え、そのうちもっぱら図書館に籠もるようになった。そして図書館のPCルームでネットに耽溺するようになるのもあっという間だった。友人のいない1人暮らしのさびしさを埋めるためではなかったと思うけれど、おれはネットにほのぼのとした暖かいものを求めていた。もっといえば居場所を求めていた。そのことがあって、あるいは元々のどうしようもない性質のせいかもしれないけれど、おれはちょっとした冷やかしやスルーに対してキレて粘着するようになった。糞コテと呼ばれるまでそう時間はかからなかった。活動していたのは2ちゃんと某有名大学の掲示板で、ある日そんなおれの傍若無人がブーメランになって返ってくる。ある日、おれの使っていた数々のコテを1つにまとめた上におれの本名を記したレスを2ちゃんに書き込まれてしまった。本名で検索するとすぐにそのレスが出てくるようになり、おれは事の重大さを悟った。特定された理由は、おれが調子にのって掲示板のEメールのリンク先に本名を書いたからだけど、それをコテの数々と一緒にして晒されるなんて思いもしなかった。
そんな惨状にあってもおれは能天気なところがあって、ネットからは遠ざかりつつあったものの相変わらず授業には出ずにぶらぶらする生活を続けていた。いまだに自分を「3次元のクラピカ」だと思いつづけていて、そんなキャラクター気分でいるからか、最後は自分の思うようになるみたいな根拠のない楽観的気分でふわふわしていて、青春の倦怠を気取って、19世紀の文学作品をかじったりひとカラに行きまくってソファーに寝そべりながらアニソンに浸ったりしていた。食事はさすがに1人買ったものを部屋で食べたり学食を利用したりして落ち着いていたものの、食材を買いに行く店の人に「おひさしぶりですね」と笑顔で言われてこのお姉さんおれに気があるのかなと勘違いしたり、ナンパブログを真に受けてふるえる声で街を歩くお姉さんに声をかけてガン無視されたり、アニメキャラみたいなスタイルのお姉さんの後ろをつけつづけて感づかれて、店の男に告げ口されて男ににらまれたりと奇行が出始めていた。努力むなしくもちろん成果はゼロ、友人もゼロの極寒生活のなかだれつづけ、単位10程度のまま4年生、留年が100%決定していた。親に説得され、なんとか授業に出ようとするも、今度はマイクの音がうるさくて耳が痛いという症状に悩まされる(あれだけカラオケ行ってたのに)。どうしても苦しいなら耳栓するなりすればいいのにみみせんのみも思いつかず、といって親に相談することもなくずるずると授業から逃げつづけ、気がつけば5年生になっていた。5年生のしばらくたった夏ころ、もう単位をとれる見込みはないと親に電話し、退学させてほしい旨を伝えた。そのときも親からも1言も耳栓案が出なかったのは不思議だが、いまさらそんなことを言ったって仕方がない。
退学して田舎の実家に帰ったおれは、今度は公務員学校に行き始める。でも相変わらず奇行はおさまらない。電車のなかで見かけたセクシーな女子大生をガン見しまくり、友達と一緒に笑われていた。大学中退なのに、ほとんど大学卒業者が受験する地方上級を目指したものの、ここでも根気がつづかず授業に出なくなり、電車に乗って百貨店でケーキを食べて帰ってきたり大型書店で延々と立ち読みして帰ってきたり、もう何をしに行っているのかわからなくなっていった。
公務員学校をやめひまをもてあますようになったおれはまた馬鹿をやらかす。リアル顔をうpして知恵袋で評価を聞くという暴挙に出た。しょうゆ吹きそうな顔だったから予感はしてたけど、超ブサイクって返ってきたときはおれのなかでクラピカが音をたてて崩壊していくのが聞こえた気がした。
実家2年目くらいからは聴覚過敏がひどくなり半狂乱になってきて、家の前を車が走るたびに「うるせーっ!」とか「コラぁ!」とか怒鳴るときもあるようになっていた。対人的にも過敏になっていて、母と折り合いの悪い父方の祖父が母に陰険な感じに当たったりすると、祖父がいなくなった後にわめき散らしたりしていた。
3年目のある日堪忍袋の緒が切れたようになって、実家を飛び出すようにして大阪で1人暮らしをはじめた。頭が常に高揚しているような状態で大学の掲示板に演説調の文章をかきなぐり、もはやネット上でも誰ともまともなコミュニケーションをとっていなかった。1人暮らしをしたらすぐアルバイトをするという父母との約束もやぶり本屋で立ち読みをしまくっていた(図書館のとも思いつかず)。それでも勇気を振り絞って、わざわざ女性募集と書いてあるところに申し込んだら、面接中にひじをついてキレられた。
ある日スマホを書店に忘れて2日後に戻ってきたのだけど、なくしている間に何かをされたらしく、なにも押していないのに勝手に意図しない操作をされるようになっていて、そんなのすぐにスマホを破棄するの1択なのにずるずると使いつづけて、結局それから2年くらい使っていた。
そのストレスがあったのかどうか、また実家に戻ってすぐに興奮がおさまらなくなり、精神科に行くと発達障害と言われてエビリファイという薬を出された。
いまはそれを最低量のみながらアルバイトに行っているけれど、アルバイト先に1日数回、2回のコールで切れるいたずら電話がかかってくる。アルバイトに行くまでは実家にかかってきていて、まず同じやつ(ら)の仕業だと思う。悔しいけれど、ネットで暴れていた自分の自業自得でもある。いまだ友人はいない。もちろん彼女もいない。でも1日1日生きていくしかない。