ほとんど話したこともないような奴で京アニに就職したというのも風の噂のようなものだ。もしかすると全く別の会社で働いているかもしれない。
それでも京アニのような名声を集めてやまない企業に、机を並べた人間が働いているかもしれないということは、僕にとってちょっとした誇りになっていた。
あの事件が起こってから彼のことが気がかりだったが、卒業後全く連絡をとっていなかった輩がとってつけたように心配の言葉を周囲に投げかけまわるのは醜悪だと思いずっと黙っていることにした。
京アニにとって僕は一視聴者一ファンでしかない。その僕が心配のポーズをとって感傷的な言葉を撒き散らすのは、関係者や遺族にとって目障りになるはずだ。「本当に悲しい」「犯人を絶対許さない」という類の言葉が彼らの励みになる筈はないし、そんな当事者意識の強い言葉を吐く資格が僕にはあるのだろうかとも思う。僕らは所詮野次馬になるのが精一杯で、京アニと因縁があったヤマカンにすら視線を合わせることができない。僕らが遺族に同情したりあまつさえその心情を代弁しようというのはおこがましいことこの上ない。
応援なり追悼なら募金とたわむけの花で充分。金がないなら近くの寺や教会で手を合わせてひとしきり祈った後で京アニに向けたファンレターにひとしきりポジティブな言葉書いて送ればいい。
なんか勘違いしてね?遺族を疲弊させるのはマスコミじゃなくて野次馬になった僕ら"一般人"なのよ。マスコミはきっかけ作ってるだけにすぎない。
マスコミが被害者情報という餌をちらつかせても一般人が食いつかなければ問題はない。世間にいるのは下衆い奴ばかりということをわかってて、中にはそれを利用するつもりでマスコミは報道していると側面は確かにあるが、遺族のもとに凸ったり誹謗中傷を浴びせたり根も葉もない噂を流すのは結局僕ら側の野次馬である。
心配する声やよかれと思っての情報拡散すら被害関係者にはノイズとなるかもしれない、下手すればそのせいで間違った情報が広まり状況を混乱させるかもしれない。
京アニが今どんな状況か僕は知らない。来年公開予定の映画の進捗状況の詳細や公開の行方、そしてその後の京アニがどんな企画にどんな形で携わっていくつもりなのかに関する確証がある情報は何一つ知らない。僕と同じようなネット記事やSNSから情報を得るだけの一ファンの皆さんもそれは同じだろう。
その程度の人間があたかも京アニは再起不能だと言うような大げさなコメントを投げかけている様子は多々見受けられるが、彼らは自分の言っていることの意味を理解していてその責任を負うつもりでちゃんと発言しているのだろうか。
京アニには焼けたものとは別のスタジオが二つあってそこで70名近い社員が働いていることは流石に僕でも知っている。今回の事件で京アニが死に体になったかように語るのは働いている社員の方々に失礼だし、京アニの経営存続が難しいという印象が一人歩きして風評被害にもなりかねない。アニメーターとすれば9月に公開される新作映画に作品と無関係の事件を結びつけてネガティブな印象を持たれることもなるべく避けたいとも思っているかもしれない。
この事件は遺族の情報が公開されなくてもその分野次馬は京アニという会社や八木社長といった著名な関係者に飛びついていたんだろうと思う。紋切り型の「遺族の心情に寄り添わない傍若無人なマスコミ報道」批判がどれだけ吹き上がっても、京アニという会社そのものが好奇の目に晒されているのではないかと危惧する声はあまり見られない。こういった様を見ると結局僕ら一般人はマスコミ批判の出汁に事件を利用しているだけで、関係者のことなんて本当は考えていないんだろうなとなんともなしにため息が漏れでてしまう。
そうだねウナギ食べる僕らが悪いね
もし被害者の名前が1人も公表されていなかったら、 もし京アニという会社の業績が世間にそんなに知られたものではなかったら、 この事件を悼む人や会社を支援しようという人はどれ...