34にもなろう年、改めて独り身になったうえ希望してるキャリアの都合で海外単身も挟みたいし色々人生設計難しいすねぇと先輩に愚痴っていたら、先輩の息子が通ってる保育園の先生たちと職場の若手たちでご飯とか食べに行かないかいと誘われた。そういえばこの年になってもそういう合コンは参加したことなかった。
このようなことをネットに書くくらいには本気さが無い。人生経験としては興味あるけど、旬も過ぎた身で年甲斐ないわくわくどきどきもできず、何を目標に臨むかも釈然としない。この事案をつい先日人生初めてパチンコに行った時の興奮と同列に見てしまう自分が、大変失礼で無礼で申し訳無い。参加者の気持ちを尊重し同調できるよう、しかと心を入れ替えねばならぬ。盛り上げに徹する身となることもできるが、これはさして本質的に対等な心持ちではない。クリエイターである。何を驕っているのやら。
人生設計等と口遊む驕りが、欲の発露たる会合にシニカルな洞察を得ようと試みる様に刺さり、これは滑稽な矛盾であり、アイロニカルにも独善的で幼稚な自己本位性が浮彫りとなった。そう感じる。
一方でこんなことぐるぐる考える奴が本性隠して「今日は集まってくれてありがと〜\(´ω`)/」とかするんだから世話ない。
表象に好意を持ってもらうことはままないことはないという自己分析ではあるが、結局のところ本質的に暗く重い哲への共感がないことには家族たりえん、という価値観だった。大変童貞チックな価値観である。
だけど、元カノは完全にこれをスルーしてくれてなんかうまくいってた。だから、まぁそういうもんなんかなとも思った。スルースキル大事。
どす黒く渦巻く、それほど高尚でもない、しかし難読な感情を、言語化に足掻く様を、スルーしてくれるスキルは、存外大事なのだと、Twitterで呟いてはフォロワーが消える様を見て感じた。
この歳にもなれば嫌われる覚悟も自己開示も難なく熟せる。恋に落ちぬ限りは、ウジウジ考えるものもない。
果たしては、自分の開示したい欲とは何かという言語化と、階段を降りて独り身となり改めて灯り消えぬこの幼き共感への羨望の灯火を消すか否かという悩みこそが、今の私の脳のリソースを喰っている。
はぁ。
学芸員はもういいのか?
よく見てるね(関連性ない気がしたから消した