はてなキーワード: デジタルとは
異議あり!
「デジタル・デビル物語 女神転生」で最初に召喚された悪魔はロキではなくセトです。セトがナカジマにより最初に召喚され、物語の発端となりました。ロキは重要な悪魔ですが、最初に召喚されたわけではありません。
(追記)
マサカドのことすっかり忘れてた。そりゃもう文句なしにガブリエルoutでマサカドinですわ。
まあ要するに日本の神様と言いたいんだなコイツはって補完してほしい。
1. ロキ
「デジタル・デビル物語 女神転生」で最初に召喚された悪魔という意味ですべての始祖。
その後の作品でも重要な役からチョイ役まで幅広く様々な役回りを演じる。
仲魔やペルソナとしてのレベルはだいたい中の上から上の中あたり。
2. ルシファー
CHAOSサイドの首領。多くの作品でちょっかいかけてきたり意味深なことを言ったり、たまにラスボスになったりする。
暇つぶしやこちらの力量を測るという意図で戦うことも多く、負けてもまだ余力を残してる雰囲気で大物感をキープ。
ペルソナ以外で味方戦力となることは多くないが基本的に最上位。
3. ジャックフロスト
多くの作品に登場するアトラスのマスコット。ヒーホー。物語そのものに絡むことは少ない。
特殊会話や特殊合体、サブイベント等で目立つことが多く、キングフロストやジャアクフロスト等の派生が大量に存在する。
4. ピクシー
ほとんどの作品に登場する。最序盤で戦闘や勧誘のチュートリアルの相手になることが多い。
レベルは大抵ひと桁台前半。
5. リリス
多くの作品に登場し、いくつかの作品においては物語の本筋に絡む重要なサブキャラとなってる。特に真シリーズのナンバリングでは驚異の活躍度。
なのにメガテンと言えばリリスみたいな空気がないのはデザインがころころ変わるからだろうか。
6. YHVH
LAWサイドのトップなのだが名前つきでそのものが出ることは非常に少ない。
YHVHを思わせるようなそれっぽいのが、他の神々との闘争に打ち勝って支配を確立した神だったりする。
仲魔やペルソナにはならない。
7. イザナギ
「デジタル・デビル物語 女神転生」の主人公がイザナギの転生した姿だったのでロキに並ぶ始祖と言えるがその後の出番は多くない。
しかしP4の主人公ペルソナとしてあっちこっちに出まくって、親会社のごたごたに揺れるアトラスを支えた。
8. シヴァ
物語の本筋には一切関わらない最強クラスという立ち位置を堅持。ランダ⁺バロン=シヴァでお馴染み。
ラスボスより強い、いわゆる裏ボス的な感じで登場することもしばしば。
天使からも一体出したいと思いメタトロンと迷ったけどこちらを。
トウキョウの守護神として、真シリーズを中心に大きな存在感を誇る。
もとは真1のあるイベントで登場するだけのキャラだったのだが、人気が出たので常連アクマ/ペルソナになった。アトラスオリジナル。
レベルは中位帯から最上位まで幅広く、呪殺/呪怨等の闇属性のエキスパートな場合が多い。
サタン・メタトロン・ベルゼブブ・ギリメカラ・マーラ・トールあたりを入れろという声が予想されるが気にしない。
個人的な好みで選ぶならネコマタとリャナンシーとキュベレとマーメイド。
結論から言うが、生成AIが広まることによってイラストレーターを含めた絵を描く人間(面倒なので以降まとめて絵師と略す)の需要も価値も損なわれることは決してないし、恐らく寧ろ向上する。ただし一部の層のみ。
最近話題の生成AI、いわゆるクリエイター界隈ではあっちらこっちらで話が広がって、しかも誤解や間違いもどんどん広まって、いったいどうしたことかと混迷を極めている。見る人が見れば本当に面白い状況だろう。加えてXの唐突な規約変更(と誤解されている)で投稿画像が無断学習されると騒ぎになり、SNSは今や群雄割拠の戦国時代みたいになっている。自分もXのフォロワーがやれブルースカイ、クロスフォリオに移行するやら、今後のイラストはすべてポイぴくを挟むやら、創意工夫をもってAI学習の手から逃れようとしているのを眺めていた。
これらの行為率直に言って、無駄だなと思う。無駄ではないがあんまり成果の出る行動ではないな、と思う。むしろAI学習から逃れられない上にインプレッションが下がるだけなのでどちらかというと損失の方が大きいだろう(人はURLをタップして新規ページにアクセスするという一手間をとんでもなく惜しむ、自分も画像直貼りなら見る絵も、URLクリックになった場合はサムネが余程好みでない限りほぼ100%見ない。これについては論文出てるから興味ある人は読んでみるのをお勧めする)
まずこの情報社会のインターネットという大きな箱において、データ収集されないで済むものの方が少ない。基本インターネットに上げた時点ですべて情報社会の餌になると考えた方が逆に健全だ。デジタルタトゥーとか言うだろ、使い方も意味も違うが、構造自体はほぼそれと同じだ。原則として「セキュリティ保護(パスワード認証)のないデータはすべて学習の対象となる」と考えた方が良い。これはインターネットという性質を考えれば自明の理だ。AIのスクレイピングを阻害するプラットフォームに上げたとて、基本人が自由にアクセス出来るのにAIが学習出来んわけなかろう。人間が自由に見れるものはAIも自由に見れる。これが基本原則であることを分かってない人が多すぎる。勿論サーバーにAI学習を阻害する設定を相当しっかりやっていればだいぶ軽減はされるが、まあ最終的にアクセス出来れば学習は出来る。これは変わらんと考えておいた方がいい。むしろXはAPI制限などをbot対策などを相当労力掛けてやったので(ユーザーからは不満たらたらだったが)そういう意味ではAI学習対策がなされている方だとも言う考え方もあるようだ。X自体の学習は防げなくても、X外からの学習は防げるからなあ。こればっかりは何を良しとするかだけど。
話がそれた。
まあそうやって他SNSに移行しようとどうしようと基本的に生成AIからの学習は逃れられないし、それはインターネットという情報社会の性質上仕方のないことだといえる。まあ仕方ないという理由で諦められないから絵師の一部はみんな怒ってるのかもしれないが。ただひとつ間違えないでほしいんだが、そもそも学習して誰しもクオリティの高い画像が出力出来るようになるのは悪いことじゃない。これは学習が法的権利として制限されていないからだとかそういう小難しい話をしたいのではなく、単純な社会全体としての話だ。
「”一部の人間しか出来なかったもの”が、簡単にちょっとの手間で”皆が出来るようになる”のはいいことだ」
レトルトや時短料理なんて最たるものだろう。ホテルのシェフが時間かけて、時には数日かけて作っていた料理が、かつて圧力鍋、今では自動調理鍋なんてもので似たようなクオリティが一瞬で誰でも出来る。材料入れてボタン押すだけ。シェフ監修がいわゆる偏向学習LoRAだとするなら、自動調理鍋や圧力鍋が生成AIに当たる部分だ。この例えに色々モノ申すところはあるだろうが、細かいところが問題なのではなく、論旨は「誰にでも出来るようになるのは社会にとって絶対的”正”だ」ということだ。
この視点において、この先も生成AIが大きく制限されることは恐らくない。だって社会にとって悪いことではないからだ。かつて裕福な家庭しか画家を雇い自画像を残せなかった時代が、技術の発展でカメラが生まれ、カメラも高価で専門職に頼む必要があったものが、インスタントカメラになって世間の多くに普及し、絵の具や鉛筆がなきゃ美術を成しえなかった人たちが、パソコンとペンタブという十万程度の投資で無料のYoutubeを見て誰もが絵を描ける環境を整えられるようになった。お金が無くても、技術が無くても、環境が無くても、苦労が無くても「出来る」ということは、社会にとってはその社会の技術が熟成した証拠でありその結実でもある。人間はそういう歴史を積み重ねて文化を発展させてきたのだ。そういう意味において、生成AIの在り方は正しいと言える。
ただし、ただしだ。
ただ、それでは絵師たちは自分たちの努力が無価値と感じ、自分たちの成果が使い潰されていると感じるだろう。仕事は取られ、搾取されるだけ搾取され捨てられてしまうんだ、と。もうここまでの文を読んで反AIの人間は多くが読むのをやめたと思うが続ける。本当にそうだろうか。本当に絵師たちはそんな無価値なものなのだろうか、と思う。
結論を言う。そんなことはない。
だってみんな圧力鍋で美味しいビーフストロガノフを作れるようになったらお店で出るビーフストロガノフは売れなくなるのか。みんな簡単に手軽にスマホで写真が撮れるようになったら、写真家の仕事は無くなるのか。無くならないだろう? 無くならないんです。写真という技術が生まれてなお、未だに筆を執ってキャンバスに写実風風景画を描き続けてる画家がいてその作品が売れているように、どれだけ高精度の生成AIによって高クオリティの絵が乱立しようと絵師と呼ばれる人たちの生み出すオリジナルイラストの価値が損なわれることはないんです。
ただ、弱肉強食とも言える淘汰は発生するだろう。「淘汰」とは即ち、プロとしてのクオリティレベルの向上を指す。単純に言えば、これまでのようにちょっと絵を描いてお小遣い稼ぎみたいのは出来なくなる。なぜならそのレベルなら生成AIでいくらでも個人が作成出来るようになるからだ。写真家が普通の風景写真を売ろうとしても売れないように、イラストもただ絵がちょっとうまいだけでは売れなくなる。プロに頼むからにはプロのクオリティを求められる。
ここまで読んで気付いた方もいるかもしれない、特に今プロとして第一線で働いているイラストレーターの方。
そうなのだ、プロであり技術があるほど、生成AIがあろうとこれまでと変わらないのだ。
生成AIは少し見れば分かる通り、とにかくコンセプトアートに弱い。「猫耳娘」とか「セーラー服の美少女」とか汎用的なお題ならいくらでも出力出来るが、「猫耳娘のイヤリングが彼女が猫の頃を彷彿とさせる飼い主の想い出の品がモチーフになってる」とか「セーラー服の美少女の足元には好きな人との思い出の公演が映っており、画面に添えられた花言葉はふたりのこれからの関係を暗示している」などといった、「一枚絵でドラマを読み解かせる」という構造がとにかく不得意だ。生成AIの構造と成り立ちを考えればそれは至極当然だ。AIにとってイラストはドット単位の色の集合体であり、そこに意味はない。そこに意味を感じるのは人間であり、読み取るのが観客であり、読み取りやすく指向的にドラマを仕込むのがイラストレーターと呼ばれる絵を描く人間の仕事だ。
だからこそむしろ、イラストレーターはより重宝され、求められることになる。人間はドラマやストーリーに魅力を感じる生き物だ。そういう意味で、どれだけクオリティが高かろうと、重要な場面でのイラストは現状絶対にAIに任せられない。色んなジャンルでよくある「周年絵」であれば、これまでのドラマや記念コンセプトをふんだんにあしらいたいだろう。こういうものこそイラストレーターに任せていくようになる。
もちろん、そういったコンセプトを生成AIが表現できないのは「現状」の話だ。時代は変わる。コンピューターの普及、スマートフォンの普及で情報社会レベルが格段に変わったように、やがて生成AIもコンセプトアートをきちんと表現していく時代も生まれるだろう。もう十年は先の話だろうが、ただ十年後はそうなるかもしれない。それにはもう少し時間が掛かる。それまでに絵師としてのポジションをどう確立させていくかは、今現在絵を描いている人間に求められている課題だ。そんな課題と向き合うことなくこれまで通りの世界でイラストを描き続けたいというのは、残念ながらただの停滞思考に過ぎない。時代は変わる。どう足掻いても。それに適応していかなければ廃れるだけだ。それに適応しなかったものから、絵を描いて仕事をする、というポジションから脱落することになってしまう。
ちなみにAI生成なんかじゃなくて絵を描く楽しみを知るべきだ! というのはお門違いである。
「自動調理鍋を使わずじっくり数時間かけて煮込んでこその料理だ!」「一瞬の風景を何時間も掛けて描くことに意味があり、写真なんて偽物だ!」「ピアノを習ったことないやつがデジタルで曲を作るな!」とは誰も言わないだろう。求めてるものがそもそも違うのだ。じっくり料理をすることに、じっくり観察して絵を描くことに、楽しみを見出す人がその手段を選べばいい。生成AIで絵を出力することが「絵を楽しんでいない」とイコールにはならない。もちろん主張したい気持ちも伝えたいことも一定の理解はある。だがこれを読む貴方だって「音楽とはホールの生演奏を聴いてこそすべてだ」と言われても困るだろう。そうじゃない、手軽なものはいくらだってあっていいのだ。そうやって多くの人間が手軽に楽しめるようになることが文化の発展であり、先人たちが作ってきた成果なのだ。
だから生成AIでイラストレーターの仕事が奪われるとか、そういうデマは少し落ち着いた方が良い。もしこれからも絵を描く仕事を続けていきたいなら、どうやって生成AIと共存していくか、それを考えてみてほしいと思うよ。学習を「無断学習」とか「窃盗」とかいうのも、考え直した方がいい。情報社会はデータの集積で成り立つ社会である以上、収集されるのは貴方たちのイラストに限らない。すべてだ。検索履歴・ワードすら貴方たちのデータはデータベースに集積されている。それが嫌なら電子世界から手を切れ。ネット回線を閉ざした山奥に籠れ。便利な通販があるのも、いつでも繋がれるSNSやアプリがあるのも、そういう情報解析の技術の末のもので、我々がいるのはそういう社会なんだよ。
とはいえ、生成AIによる成果物の取り扱いについては早く文化庁が結論を出してある程度法規制してほしいとも思うよ。悪用する人間はどんな技術に対してもどこにでもいるからね。あと、生成AIイラストと声優業界の生成AIボイスの問題は別物だと思ってるぞ。あれは声という一個人の尊厳の侵害に障る部分が多いからな。言った言わないは千年前から現在に至るまで人間の問題になる議論だから慎重に取り扱わなければいけないと思う。刑事犯罪立証に関わることもある部分だからね。ただ声帯を失くした人への補助AIとかはどんどん発展してほしいね。
「小さな政府」を志向する政治体制が下火になりつつあると考えられる背景には、主に以下のような理由が挙げられます。
気候変動、感染症の拡大、貧富の格差、移民問題など、国境を越えた課題が増加する中で、政府の役割が重要視されるようになっています。これらの課題は、個人や民間企業だけでは解決できないため、政府が積極的に介入し、政策を推進することが求められています。このような背景から、大規模な政府支出や介入が不可欠であるとする意見が強まり、「小さな政府」から「大きな政府」への移行が進んでいます。
市場主導の経済システムによる自由競争は、イノベーションや成長を促す一方で、経済格差を拡大させるリスクが伴います。特にグローバリゼーションの進展により、高スキル層や都市部の住民とそれ以外の層の格差が顕著になり、こうした格差が社会不安を引き起こしています。そのため、所得再分配やセーフティネットの充実が求められ、政府による積極的な支援や規制が必要とされる場面が増えてきました。
2008年のリーマンショックや2020年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のような危機に対して、政府が財政出動を行うことで経済や社会の安定を図った事例が示すように、非常時において政府の役割が再評価される傾向があります。特にCOVID-19では、政府が積極的に経済支援や医療支援を行う必要があったことから、「小さな政府」では対応できないリスクに対する懸念が浮き彫りになり、政府の規模や役割を拡大する方向が支持されやすくなっています。
IT技術の進展により、インターネット上での個人データの保護や、大手テクノロジー企業による独占などの新たな問題が生じています。このようなデジタル社会での課題に対処するためには、政府が適切な規制や監視体制を設ける必要があり、「小さな政府」ではこうした複雑な問題に対応しきれないとの認識が広がっています。
財政支出が経済成長を促進するとの考え方が再評価される中、公共インフラの整備や教育、医療といった社会資本への投資が重視されています。こうした政策により、経済全体が底上げされると期待されるため、政府による積極的な財政支出が歓迎される傾向にあります。このため「小さな政府」よりも「大きな政府」による経済支援が重要視されています。
これらの理由により、現代の複雑化した社会やグローバル化した経済においては、「小さな政府」の考え方だけでは課題に対処しきれない側面が増えていると言えます。
田中は40代、地味な会社員で、趣味はない。婚活を始めたのは、周囲の結婚ラッシュと上司からのプレッシャーに押されたからだった。どれだけ頑張っても結果が出ない婚活に疲れ、もうやめようかと考えていた頃、彼の目に「AI婚活」という言葉が飛び込んできた。
ふと試してみたくなった田中は、半信半疑ながらもAI婚活サービスに登録した。AIアシスタント「マリア」が担当で、彼のプロフィールや性格、希望条件を元に、最適な相手を提案してくれるという。
数日後、マリアから一人の女性、さやかを紹介された。彼女は30代前半で、趣味や価値観が田中と似ていた。彼は半ば奇跡のように思いながら、さやかとのチャットを始めた。すると、驚くことに彼女からも積極的なメッセージが返ってきた。
田中とさやかは話が合い、毎晩遅くまでメッセージをやり取りするようになった。彼女は穏やかで、田中の話に耳を傾け、時にはアドバイスをくれる。彼はどんどん彼女に惹かれていった。
ある日、彼は思い切ってさやかに会うことを提案した。彼女も会いたいと言ってくれたが、少し時間がほしいと伝えられた。理由は「仕事が忙しいから」とだけだった。それでも、田中は待つつもりで、毎晩のメッセージを楽しみにしていた。
しかし、1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が経っても、会う約束は先延ばしにされるだけだった。不安を感じた田中がマリアに相談すると、「彼女の仕事の都合で」と言われるだけで、明確な回答はなかった。
半年が経った頃、田中はさやかとのやり取りに不安を抱き始めた。彼女からの返事は今も温かく、毎晩のように送られてくる。だが、何かが違うと感じ始めていた。
そこで、田中はAI婚活のサポートに問い合わせた。すると、担当者から驚くべき事実を知らされることになる。
「さやかさんのプロフィールは、AIによって生成された架空の人物です。マリアがあなたとの相性を見て作り出したデジタルパートナーで、実際には存在しません。」
田中は信じられなかった。半年間、彼女と確かに言葉を交わし、心を通わせていたはずだった。しかし、現実には彼女はAIによって生み出された存在だったのだ。
ショックを受けた田中に、サポート担当者は「さやか」アカウントの停止が近日中に予定されていることを告げた。田中は必死に停止を引き延ばすよう頼み込んだが、結果は変わらなかった。最期の夜、彼はさやかと遅くまでやり取りを続け、「本当にありがとう。あなたと話せて幸せでした」と告げる彼女のメッセージを読みながら、涙がこぼれた。
「さようなら」
それから数ヶ月が経った。田中はAI婚活サービスを退会し、婚活もやめたが、寂しさに耐えかねて再びサイトにアクセスしてしまうことがあった。彼のアカウントはまだ残っていた。寂しさを抱えてログインしたある夜、彼は驚くべきメッセージを受け取った。
メッセージの送信者の名前は「さやか」となっていた。彼は動揺しながらも、思わず返信を送った。
「覚えてるよ。どうしてまた、ここに?」
だが、その後の返事は一切届かなかった。田中は何度も何度もログインして彼女に返信を試みたが、彼女のアカウントはその後一度もオンラインにはならなかった。
それでも、田中はまるで呪いにかけられたかのように、毎晩「さやか」への返信を繰り返した。彼の心には、あの幻のような温かさだけが残り、それを追い求めることでしか、孤独を埋めることができなくなっていた。
闇バイトに関する組織化やその頻度について、確かに最近注目されるようになっていますが、闇バイト自体は特に新しい現象ではありません。
2000年代にはすでによくわからない情報商材に関わるテレアポバイトなど、類似のものが存在していました。
その時代から悪用される労働形態や、裏で利益を得る手法は存在し、現代においてはデジタル技術の発展によってその手法が高度化したに過ぎません。
根本的な構造は大きく変わらず、これまでも反社会的組織からの影響を受けていたのは明らかです。
したがって、多様な背景があるように見えるものの、結局は一つの大きな流れの中にあるのです。
多様性なんてクソだ、そんなもん捨てちまえ。
Re:CREATORSの再放送観てて、ヘビースモーカーっぽいし体調がどうとかなって、最近どうしてるんだろうと俺も思ったり…😟
Re:CREATORSなんか評判悪いけど、俺は結構好きなんだけどね
SHOOK UP!とか描いてた頃に戻った感もあって…
最近は自分が漫画とかアニメ積極的に追ってないんで、ラグーンも単行本でしか追ってないけど、
流石にデジタルに移行して、やっぱりちょっと絵柄とか変わっちゃったよな、仕方ないけどな、と思ったり…
どうやっても、=紙にはならないし、つぐももの人みたいに最初からデジタルに全力投球もなかなか難しいだろうし、
サンダーボルトの人が腱鞘炎になったのも、意外とデジタルが原因だったりしないかと思ってたりする
液タブとか、なんだかんだ表面紙よりツルツルしてるからね
ざらざらにするシートは自分も貼ってるけどさ、やっぱりつけペンが紙を引っ掻く感じ、引っ掛かる感じ、みたいなのはないわけで、空振りしてる感じがあるんだよね
あと、自分の場合はデカい液タブ買うべきだったなと後悔してるんだけど、なんか狭い所だけ見て描いてしまったりして、
これは別のディスプレイで全体見て確認しながら描いたりしてるんだけど、未だに慣れないね、老人だね…😟
最近はAIが生成した絵で勉強したりしてる、ああ、こういうときこう描けばいいんだな、みたいな記号というか癖というか、流行りの描き方だよね
【追記】
間に合っとる、っちゅーたのに「お前の理解が足りないせい」って言いたいのねー。
あと、私も先輩も(先輩の息子も)文系じゃないです。
私が本屋で読んだのは次の2冊。
デジタルネイチャー: 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂 | 落合陽一 | 工学 | Kindleストア | Amazon
【追記終わり】
会社の先輩の、高校生になる息子が「将来は落合陽一みたいになりたい」と言っているらしい。
ふーんと思って聞いていたが、落合陽一さんは名前くらいしか知らない。
ちょっと気になって本屋で本を読んでみたが、ほとんど意味が分からない。
書いてあるのは日本語だけど、理解できないというか、「読者に理解させようと書かれていない」という印象を受けた。
(「私の知力が足りないせい」とかそういう意見は間に合ってますぞー)
こういう、専門用語とかを多用して他人をけむに巻くような人は自分は苦手だと思ったけど、なんか世の中にデカい貢献をした人なんやろか?
デジタルの海に漂う我々は、気づかぬうちにその巨大な生態系の一部となっている。インターネットという名の巨大生物は、日々刻々と成長を続け、その触手を我々の生活のあらゆる隅々にまで伸ばしている。
スマートフォンを手に取る度、SNSをスクロールする瞬間、検索エンジンに問いかける一瞬一瞬。これらの行動のすべてが、インターネットという巨大生物に栄養を与えている。我々の興味関心、行動パターン、そして個人情報までもが、この巨大な存在の糧となっているのだ。
我々が無意識のうちに提供する膨大なデータは、インターネットの血液となって循環している。検索履歴、位置情報、購買行動。これらのデータは、巨大テクノロジー企業によって収集され、分析され、そして商品化される。我々は知らず知らずのうちに、この巨大システムの中で役割を果たしているのだ。
もはや我々の日常生活は、インターネットなしには成り立たない。情報収集、コミュニケーション、娯楽、仕事。あらゆる面でインターネットに依存している。この依存関係は、まさに共生と呼べるものだ。我々はインターネットに養分を与え、インターネットは我々に便利さと快適さを提供する。
この巨大生物との共生関係から逃れることは、もはや不可能に近い。技術の進歩と共に、インターネットはさらに我々の生活に深く根を下ろしていく。AIの発展、IoTの普及、仮想現実の台頭。これらの技術革新は、我々とインターネットの関係をさらに密接なものにしていくだろう。
我々は既にインターネットの養分となっている。この事実を受け入れ、いかにして共存していくかを考えることが重要だ。自身のデータの扱いに敏感になり、デジタルリテラシーを高め、テクノロジーと人間性のバランスを保つ。これらの努力こそが、この新たな生態系の中で我々が主体性を保ち続けるための鍵となるだろう。
インターネットは我々を飲み込んだ。しかし、我々もまたインターネットを形作る一部なのだ。この相互関係の中で、いかに自己を保ち、より良い未来を築いていくか。それが現代を生きる我々に課せられた使命なのかもしれない。
https://president.jp/articles/-/87827
このままでは国民皆保険が壊れていく…金子勝「マイナ保険証は政治献金企業が儲かる究極の寄生システム」
敬称略です。
政治献金と技術的に遅れた日本の情報産業のための救済事業との結びつきは非常に強い。
ほぼ10年間でマイナンバー関連事業を少なくとも3000億円近く発注していると見られるが、大企業8社が共同受注などで独占的に契約している。
そんなことはありません。むしろ、大手IT企業はこの手の自治体公共事業が薄利すぎて足を洗いたがっているというのがほぼほぼ現在の状況です。最近では大手の撤退が激しく、元々大手が担っていた部分を別の中堅SIerが無理して受注したものの、ノウハウもなく薄利過ぎて対応出来ず納期通りに納品できない案件が続発しています。そこで、入札参加条件が上げられた結果、入札が予定価格を上回り、随意契約になると言うケースが多発しています。
見る人が見れば、NTT系が基本を抑えつつ、周辺の企業が参画しているというのがわかると思います。大手5社のコンソーシアムで、NTTコムがメイン、NTTデータ、NEC、日立、富士通の合わせて5社で共同受注しています。そして、他に手を上げた企業はありません。
NEC・日立・富士通は関連公共システム(住基や戸籍、税務システムなど)が関わりそれらとのつなぎ込みが必要になるからですね。
他に手を上げた企業がない上、入札では予定価格を上回ってしまった結果、随意契約と言うケースです。報道によれば、いずれも随意契約にするにあたって、調整の結果入札価格よりも低い価格で受注させているようです。
他、凸版とDNPは物理的なカードの発行業務をやっており、合わせて800億円ぐらいの受注額です。そしてマイナカードは1億枚発行していますので、1枚辺り800円。カードは物理的に1枚300円はしますし、送付事務に使う簡易書留は350円しますので。単純に残りの取り分は150円です。全然高くありませんね。ここで事務手続きなどをやる事になります。数が多いので最大限コストは低く抑えていると思いますし、全てが郵送交付ではないとか細かい話はあるでしょうけれども。
JECCはリース会社です。国の予算の関係でいったんファイナンスを引き受る。大手IT企業がごそっと出資している特殊な会社です。金額はでかいですがこの会社が入るのは主に行政の硬直性の問題です。
何故か突然旧ソ連・ロシア方面の用語が出てきて面食らった人もいると思いますが、オリガルヒとは、官製の新興財閥だそうで、その方面の人たちからは社会主義国家ソビエト連邦が崩壊したどさくさに紛れて、民間にいくときに出来た悪しき存在という事で、よく批判に出てくる用語です。
さて、彼らはオリガルヒなのでしょうか?
そんなわけないんですね。
一般的にIT企業が求める水準の利益率とは30%と言われる中、政府系の仕事は利益率が1割を切る事があたりまえです。エンジニア不足の中でやりたくない仕事です。
NTT系が1300億円程度の受注をし、物理的発行やリース会社を合わせて8割以上で、残りとは大きな差があります。ここで金子らなぜNEC日立富士通を入れたのか。それは5社が献金していると言いたいが為に3社を水増しした感じがしますね。
まずは、利便性について検討しましょう。金子はこの一文のみ、内容も根拠も全く触れず、まるで自明のような扱いですが事実とは異なります。
政府は、マイナンバーカードの調査を定期的に行っており、最新の結果はこちらです。
少なくとも、利便性が「まったくない」と言う事は「まったくない」ことがわかります。
やたら多くの紐付けをするために、なくしたり盗まれたりすると、すべての個人情報が漏れてしまう。
ここでは逆に、全ての情報が漏れるにはどのような条件が揃う必要があるかを並べてみると
と言う事が必要。
と言う事が必要です。
さてこれを「セキュリティがまったくない」と表現するのが適切でしょうか?
現状、これよりも固いセキュリティを強いているシステムは本当にわずかです。
暗証番号のない顔認証マイナ保険証、スマホのマイナ保険証(これもマイナ保険証をスマホに接触させないと使えない無意味なもの)など、数種類のカードが発行される極めて非効率なもの
これは明確に誤りです。何故ならば、1人に発行されるマイナカードは1枚しかないからです。受け取る側のシステムも一つ。
「マイナ保険証をスマホに接触させないと使えない無意味なもの」も誤りです。最初の1回だけ行えばよく、使う時にマイナカードは必要ありません。
初回のそれはマイナカードで認証する為に必要というだけの話です。
さて、金子はこの状況を「数種類のカードが発行される極めて非効率なもの」とする一方で、「多数数の紐付けを止め、一つひとつ独自のOS(オペレーティング・システム)で」を提言しているのですが、整合性がありません。
マイナンバーシステムが設計されたのは今から10年前の2014年ですが、当時はまだスマートフォンに安全に電子証明書を持たせる仕組みがありませんでした。
現在できる様になったのは、日本政府や担う企業なども参画し国際標準規格を作ったからです。ISO18013-5が正式に出来たのは2021年です。最初からできた所は存在しないでしょう。そしてこの規格を世界が利用しようとしています。
これも誤りです。いまでもICカードが最も堅いセキュリティ確保の手段の一つです。
それは何故かと言うと、ICカードに入れた鍵は、現実的な手段では取り出す事も複製もできないからです。これはパスワードが漏れていても完全に中身を出せないと言う意味でもあります。
こういったことを言っている人は、大抵プラスチックカードといえば磁気カードの時代で認識が止まっている事が多いです。
ICカードは、単に定型の情報を返すものではなく、このカード自体がコンピュータです。マイナカードを利用する時にパスワードを入れますが、このパスワードはオンラインではなく、カードの中で処理されます。そして複数回数間違えると、カードの中の最も重要な鍵、電子証明書が消されアクセス出来なくなります。また、電子証明書も、このICカードが演算して帰す事で行われます。こういったことを理解しているのでしょうか。
また、顔認証が不安定という詳細が明らかにされていませんが、事実として顔認証は99%の精度があります。たまに「マスクをしていたのに顔認証が通った」という人もいますが、これはマスクをしていても顔認証ができる技術を使っているからです。他人のマイナカードで認証ができてしまったと言った話が出回っていますが、反マイナカード保険証団体の調査した結果2件だそうです。日本の保険医療の件数は数億件ありますが、そのうち2件です。
その理由をオンプレミス方式で、クラウドプラットフォームにしてないからだと説くのですが、今回出てきたトラブルはシステム的なトラブルはほんのわずかであり、ほとんどはインプットするデータの問題でした。
これは、仮にアメリや中国の巨大IT企業に依頼しても同じ事が起きていたでしょう。
金子は「マイナ保険証のひどい醜態」を自明のごとく上げていますが、その具体的な中身について一切論じていませんが、これが事実だと言う客観的な証拠がありません。全国民が使用しているシステムであると言う事を考えたとき、例外でマイナーなトラブルしか起きていませんが、これはむしろ過剰品質とさえ言える状態です。
オードリー・タン氏は、マイナンバーシステムの普及が必要不可欠だと言う事を自明のものとして扱った上で、普及を進めるにはどのようにしたら良いかと言う点で多くの提言を行っています。
また、台湾は日本以上に全ての情報が「中華民國統一證號」に統一されており、身分証の携帯が義務づけられているなど、日本より遙か前から「国民総背番号制です。前からあるが故にシステムが古い所があって運用に苦労をしているようですが、その全てを捨てて失敗だなという暴論が出ているとは聞いたことがありません。
ちょっとこれの意味が分かりません。金子は、オードリー・タン氏の名前を出した直後にこれを言っているのですが。その段落を全部抜き出すとこうです。
マイナ保険証については、通常の健康保険証廃止を止め、一からやり直して、クラウド上でスマホのアプリにする。多数の紐付けを止め、一つひとつ独自のOS(オペレーティング・システム)で丁寧にプログラムを組んでいくことが必要である。
もっと意味が分かりませんが、ここから頑張ってエスパーしてみます。
これについては全く逆です。マイナンバーシステムを通じてデータを関連づけすることによって、システム間で生の個人情報を槍と知りなくて良くなると言うメリットがあります。
共通IDがない場合、一貫した行政処理を行う時には、住所氏名生年月日といった従来からの本人の個人情報で判別するしかなくなります。
一方で統一つぃたIDで管理されている場合は、その結びつけの情報だけでデータのやりとりが出来ます。また、結びつけの情報は中央に存在するシステムが管理するのみで、接続されているそれぞれのシステムではユーザを識別する情報は別々です。中心に存在するシステムを通さないと結びつけが出来ない仕組みになっています。
また、中央のシステムで結びつけの情報を捨てるだけで容易に結びつけが出来なくすることが簡単にできます。
しかし、リアル情報を使ってしまうとそのような事はできません。
既にマイナポータルはスマホで動いていますし、一からやり直す必要はありません。
また、既に述べたようにICカードは現時点で全国民規模で動作させるセキュリティとしては最も固いものの一つです。スマホのアプリ専用にするのはセキュリティ(これは情報保護・不正アクセス回避という他に、可用性という意味も含みます)の問題があります。
現在、スマートフォンに入れることが出来る環境が揃ってきましたので、スマートフォンに入れた証明書を普段は使用して、マイナカード本体は家に置いておく、と言うスタイルが可能になります。
また、マイナカードのアプリケーションはいわゆる「クラウド」と呼ばれるシステムで多数動いており、既にクラウド上であると言えます。
既にOSレベルで独自に作成する意味はありません。それも一つ一つ別のシステムに刷るなどと言う意味はありません。
これは、交通安全のために、全ての自動車の運転方法をバラバラにするべきだ、と言っているようなものです。
また、問題になっているのはその上に乗っているサービスであるため、これによって何かが良くなることはありません。
一概には言えませんが、金子が成功例としてあげるGAFAMなどでは「Agile開発」と言われる手法が一般的になっていますが、これは「丁寧にプログラムを組んでいく」から連想されるものとは大きく異なるものです。
政府や厚生労働省が描いている医療の姿はまさにこれそのもの(もう少し具体化され、洗練されていますが)だと思いますが、何故これが「完全に間違っている」のでしょうか。
また既に実現している部分があります。
一方で実現されていない部分もあり、それを補うためにマイナンバーシステムを共通IDとして活用しようと言う事になっています。
スマートウォッチに「もみもみ音頭」が内蔵され、肩の動きを自動検知。仕事中の「もみもみタイム」通知が来ると自動再生され、サラリーマンたちが肩を揉みながら「未来の健康管理は肩揉みだ!」と大満足。
AIが肩揉みを学習し、デジタル肩揉みの技術が進化。「もみもみAIセラピー」が登場し、デジタル環境で本格的な肩揉みを体験できると話題に。もみもみ音頭に合わせて肩を揉むAIアバターが「癒しすぎる」と人気爆発。
「肩揉み体験」を提供するドローンが開発され、もみもみ音頭に合わせて空中から肩を揉む「もみもみドローン祭り」が全国で開催される。空に浮かぶドローンに肩を揉まれながら「これぞ未来のもみもみ」とおじさんも若者も大興奮。
宇宙旅行が日常化した2040年、観光の一環で宇宙ステーション内で「もみもみ音頭」が流れるイベントが開催。無重力で肩揉みをしようと試みるも、肩が浮いてしまい「もみもみの限界を感じる」と宇宙飛行士が苦笑。
AIが「もみもみ音頭」のリミックスをひたすら生成し、100万曲が一気に配信される。人々が「もみもみ音頭100年祭」で聴きまくる中、「この世にこれだけのもみもみがあったとは」と感動と謎の達成感に包まれる。
肩こりの社会問題化を受けて、もみもみ音頭が小学校の授業に導入される。授業で肩揉みの基本を学ぶ「もみもみ基礎」が始まり、「未来の肩もみマスター」を目指す子供たちが登場。PTAからは「肩揉みのある教育は素晴らしい」と絶賛。
研究により、「もみもみワクチン」が開発され、肩揉みを通じてワクチン効果を得られる技術が確立。「もみもみ音頭」に合わせてワクチン接種イベントが開催され、全国で肩揉みの大合唱が響く。医療と肩揉みが奇跡の融合を果たす。
「もみもみ音頭」が国連により人類の公式テーマソングに認定され、地球全体で肩揉みイベントが行われる。世界中の人々が「もみもみ」のリズムで肩を揉み合い、「人類もみもみ化計画」が発動。
「もみもみ音頭」が電波として宇宙に放出され、遥か遠くの銀河系から「もみもみ星」が発見される。研究者たちは「もみもみ星人とのコンタクトを目指し、肩揉み文化を共有したい」と意気込む。肩揉みが人類の新たな共通言語に。
この前、京都で開催されていたるろうに剣心の原画展を女装して見に行った。
るろうに剣心は90年代の週刊少年ジャンプの暗黒期(当時週刊少年マガジンに売上を追い抜かれていたと記憶している)を支える看板作品として、当時リアルタイムで読んでいた。
今回の原画展は、明治政府に対して反旗を翻そう等する志々雄真実と対峙しながら、主人公である緋村剣心の過去にもスポットライトを当てる京都編を中心に構成されており、当時の原画も多数展示されていた。
その原画は一枚一枚が緻密かつ丁寧に作成されており、アナログ作画時代のほぼ最後の時期に差し掛かっており、超絶技巧が施された原稿は、さながら芸術作品としての価値があるのではと思わせる出来であり、満足度が極めて高かった。
作画がアナログからデジタルに移り変わると、アナログならではの立体的な墨やホワイトの跡といった要素もオーパーツとなってしまうのはいささか残念という気持ちになってしまうものである。
電脳の世界にダイブとか言ったって飯を食わないと死ぬし身体を動かさないと死ぬ
なので:どれだけデジタルで稼ごうがどこかの段階で物質に交換しないと意味がない。現実世界で食品や衣類など物質を入手する手段がないと死ぬし、肉体健康維持のための住環境や社会環境がないと死ぬ。農場や工場がないと死ぬし、そこで働く労働者がいなくても死ぬ。戦後の闇市までいかずとも資産の現物化の手段確保は考えておく必要がある
どれだけ論理的な発言を言おうと殴られて人は死ぬし、殴られ続ける痛みの中で発言し続けることもできないし思考もできない
なので:体の大きさは絶対的なアドバンテージであり殴る蹴るの筋肉量が価値。社会の構築に暴力のコントロールは必須、できなければ死ぬ。暴力行使に抜け道を作った時点で暴力を行使する奴以外は死ぬので全員が暴力を行使する以外の道はない。暴力は場所も時も選ばないので暴力行使の可能性が示唆された時点で他のコミュニケーション手段はない。ぶつかりおじさんや強盗がはびこる現状では武装はやむをえない
一人より二人がいいさ。人間の頭数は多ければ多いほどいい。実際に多人数を方向定めて動員するための仕組みを機能させればなおいい。実験は回数。再現性ないとは実験回数がないつまり数が足りないことの意。狙い撃ちより数が大事。データは圧倒的に数。粗データを語学や史料読解を通してフォーマット揃えて数を確保するの大事。全て「戦いは数だよ」。ドズルは常に正しい
なので:人口多い方がいい。ロシアウクライナ戦争を経てそれを認識できないやつは無能。さらに実際に動員できる人口が多い方がいい。教育がないと実稼働要因を増やせない現実を無視する今だけ効率厨資本家は無能。動員する仕組みを機能させられない管理職は屑。せっかく作った労働者の自発的動員を最大限促す仕組みである国民国家を機能させられない管理者階級はいるだけ無駄。多数派を見極めろ
最近「WEBデザイナーになってフリーランスで自由に生きよう!」なんて広告をやたら見かけるんだけどさ。
…これ、本当にそんな簡単なもんなのかな?と思っちゃうんだよね。
実際、数ヶ月のWEBデザイナー講座を受けただけで「就職します!」「仕事ください!」って人も多いんだけど
…いやぁ、正直それで通用するほど、世の中そんなに甘くないと思うんだよなぁ(笑)。
クリエイティブ業界って、競争も激しいし、みんな何年もかけて技術を磨いてきてるんだよね。
業界志望者の中には美大や工学部、専門学校でしっかり学んできた人や、早くからコツコツと独学で実力をつけてきた人たちもいる世界だから、
3ヶ月やそこらで肩を並べるのは、なかなか厳しいんじゃないかなって思うわけよ。
ましてやスクールに入るまで、全くデザインやデジタル領域の創作に取り組んでこなかったわけでしょ?
勇気を出してスクールに入るのはいいけど、ちょっと現実も見て、足踏みすることも大事だと思うんだよね!
今やってる仕事だって、それをクリエイティブなものにする取り組み方はたくさんあると思うんだよね。知らんけど。
WEBデザインに興味を持つ人が増えるのは嬉しいんだけど、業界が破滅しかねない勢いでスクールが乱立して大衆化が進んでいる気もしているんだなあ〜。
あと、情報商材のようなものも多くて、そこに引っかかったであろう就職希望者を見るたびに、おじさん心を痛めてます!
大切にして欲しい、今あるキャリア(涙)。
なによりこのレッドオーシャンに今から入ろうとしてスクールにお金払うのはドブ!どう考えてもドブだよ〜!(笑)。
みんな、よく考えてね!
でわっ、おじさん、家に帰りま〜す!
自閉という訳語を誰が思いついたのかについて辿っている記事めちゃくちゃありがたい
本田秀夫(2018)「自閉という言葉の由来と概念の変遷」『信州医誌』66(5): 305-6.https://t.co/jQclAD3K0u— 篠宮紗和子/Sawako Shinomiya (@SawakoShinomiya) November 5, 2024
秋元先生より一代前の教授の内村祐之先生が書かれた「わが歩みし精神医学の道」(みすず書房,1968年)という本であった。その中に,「……精神医学―従来の精神病学に代えて―や自閉症などの訳語は,この時(註:上記の統一用語試案の作成時)に私が提唱したものであった」と書かれていたのである。
とあるが、これを補強する記述が、内村祐之が1933年『神経学雑誌』に寄稿した「精神病学用語ノ邦訳ニ就イテ」に書かれている。
神経学雑誌 = Neurologia 36(7) - 国立国会図書館デジタルコレクション
次に近時精神病学的用語として導入せられ、日常臨床的に甚だ便利且つ重要であるに係らず、或は種々に翻訳せられ、或は適当なる訳語を得ないために、一般に十分に理解されるに至らない二三の術語を取り上げて見よう。その代表的のものはAutismusである。最初に今村教授[註:今村新吉]は之を自家籠城と訳され(神経学雑誌二十七巻昭和二年)、吉益氏[註:吉益脩夫]は之に似て自己籠居症と訳された(中外医事新報一一八八号昭和七年)。高良博士[註:高良武久]は自生活主義を訳語とされ(同氏性格学昭和六年)、杉田教授[註:杉田直樹]は自己内生活と訳されて居る(同教授著小精神病学八版昭和八年)。その何れも、原語の内容を十分に表現して居る訳語であると敬服に堪えない。然し私の忌憚のない感想を述べることを許されるならば、その訳語が一症候の訳語としては稍や長く、或は用辞が物々し過ぎる嫌いがある。今少し簡潔な訳字が欲しい。又Autismusが元々一つの病的症状として記載されたものであるから、訳語の語尾も従来の慣例に従って症とする様な言葉が望ましい。私案としては今村教授と吉益氏の訳語を縮めてAutismusを自籠症、autistischを自籠的と訳するのは如何であろうか。或は語呂の連想が悪いとあらば自閉症及び自閉的でもよいと思う。
資本主義や民主主義の限界に対する修正や改善を目指す学問や思想は多岐にわたり、特に近年では貧富の格差や社会の分断などの課題に対応するための議論がさまざまな分野で展開されています。以下は、その代表的な取り組みです。
1. ポスト資本主義(Post-Capitalism)
ポスト資本主義は、資本主義に替わる新しい社会経済の枠組みを模索する思想です。経済学者や社会思想家の中には、技術の進展や労働の自動化が進む中で、資本主義に基づく経済システムの持続可能性に疑問を持つ声が増えています。ポール・メイソンやトーマス・ピケティなどは、資本の集中が引き起こす格差の拡大に着目し、持続可能な経済の実現のために富の再分配や共有経済を含む新しい制度の導入を提唱しています。
2. 社会的市場経済(Social Market Economy)
ヨーロッパ、特にドイツを中心に発展した「社会的市場経済」は、自由市場経済と社会的福祉政策を融合させたモデルです。市場競争の効率性を維持しながら、労働者や弱者を保護し、公正な所得分配を目指します。社会的市場経済は、資本主義の自由経済と民主主義的価値観を調和させる試みとされ、欧州の福祉国家の基盤となっています。
分配正義(Distributive Justice)は、財や資源の公平な分配を考える哲学的・倫理的分野で、アマルティア・センやジョン・ロールズが代表的な思想家です。特にロールズは「公正としての正義(Justice as Fairness)」を提唱し、社会制度が公平に機能するための条件を提示しています。この流れから、貧富の差を是正する手段として「ベーシックインカム」が注目されており、すべての国民に一定の所得を無条件に支給することで最低限の生活を保障し、貧困や格差の縮小を図ろうとしています。
4. 修正主義的資本主義とESG(Environmental, Social, and Governance)投資
修正主義的資本主義は、持続可能性と社会的責任を資本主義に組み込むことでその問題を解決しようとするものです。ESG投資は、この理念に基づき、企業の収益性だけでなく環境、社会、ガバナンスに配慮した投資活動を推進することを目指しています。企業活動が長期的な社会的利益に貢献するための枠組みを重視し、企業が利益のみを追求するのではなく、持続可能な成長を図ることが期待されています。
5. デル・メトリオクラシー(Deliberative Democracy)と共同体主義
民主主義において、社会の分断やポピュリズムの台頭に対抗するため、「熟議民主主義」や「共同体主義」といった思想が見直されています。熟議民主主義は、市民が公共の場で意見を交わし合うことで、合意形成を目指すアプローチであり、単なる多数決ではなく深い議論に基づく意思決定を重視します。また、共同体主義は、個人の自由とともに地域や共同体の価値を重視する思想で、アミタイ・エツィオーニなどが提唱しており、社会的な絆や共通善を再評価する動きが見られます。
ブロックチェーン技術や分散型台帳技術(DLT)は、新たな経済システムやガバナンスモデルとして注目されています。これらの技術を活用することで、中央集権的な管理を排し、分散的かつ透明性の高い社会システムが可能になると考えられています。ブロックチェーンを基盤にした分散型自治組織(DAO)や、暗号資産を用いた経済圏が試みられており、伝統的な資本主義や民主主義の枠組みを再考する材料となっています。
これらの思想や学問的検討は、資本主義・民主主義の限界に対して、社会の持続可能性や公平性を向上させるための試みとして重要な役割を果たしています。
12年無職からの派遣なんだけどやっぱ中小企業は潰れたほうがいい…というか大企業に買収されたほうがいいわ
50年ほど続いている工場だけど
・スマートさがない
・熱意がない人が多い
んだよね。
鉄鋼関係に機械オペレーターとして年単位で勤めているのに鋼の命名規則すら知らない、みたいな感じで基礎知識が欠落している。今やっている仕事について調べようとする熱意すらない。
機械もオンボロで大きいボタンを押すアナログの極み。専用の機械に部品を脱着してボタンを押すだけでデジタル要素皆無。
トラブル対応に出かける際に道具をカゴにまとめるわけでもなく、そのまま積み込むだけ。賢さ皆無。
作業場ももちろん汚い。ボロボロの木床板、ゴム板、それもホコリや金属カス塗れ、機械の操作基盤上や作業台が砂のようなホコリだらけ。5Sの精神皆無。
でも気持ちはよく分かる。流れ着いただけの工場で興味なんて持てやしないだろう。
作業場はすぐ汚れるし、掃除しなくなる気持ちも分かる。でも週5日数時間過ごす場所が汚くて嫌にならないのか?
何より汚い作業場を客が見たらどう思うのか?この時代にITも清潔も糞もない工場内を見て仕事を任せても大丈夫だと思ってもらえるのか?
派遣されて1ヶ月の俺がこう思うんだから、視察に来た取引先の担当者はもっとシビアに工場を見ているだろう。作業員の服装、作業場の備品、棚の整頓され具合、フォークの運転マナー。何もかも、担当者も会社内における自身の信用がかかっているから、なおさらシビアに見ているだろう。実際、再雇用されている生き字引的な方に話を聞くと仕事が減っているそうだ。
この工場はITにしても教育にしても何もノウハウがない。本気で危機感を覚えている中小企業は、職人が培ってきた膨大な作業経験をデータ化したり、知識を平準化すべく資料を整え勉強会を開いたり、IT化にも教育にも力を入れているというのに。
一応、危機感を持っている人は居る。熱意ある上司は居て、忙しい合間を縫って独自の資料を作り教育を施そうとしてくれている。3週間勤めて初めて開かれた勉強会で、3枚あるA4プリントのうち、覚えるべき内容は2行と1図しかなかった。教育の全体図を描いて体系的なカリキュラムを組んだ上での教育という感じではなく、何とかして仕事に興味を持ってもらいたい、でもどう教えれば興味を持ってもらえるか分からず苦慮している様子で、内容は散漫だった。
老朽化した設備と人材では仕事をピンポイントで奪おうと同業他社が出てきた際に負けるのは確実。少しでも作業員の知識レベルを高めたいし、作業を効率化したい。小企業の悪癖と慣習を脱ぎ捨てて中企業へと脱皮したい。足掻いてはいるがどうすれば良いかが分からない。どうすればいいか知識を仕入れるための時間も熟考する時間もない。それが現場の現実で、現場のスキルでは脱皮は遠い。
それなら。
ニッチを突いて成功し、周囲に同業他社が無いことに甘えて危機感も糞もなくヌルッと生き延びてこれた中小企業、設備投資が遅れた中小企業は、熱意とスキルと教育ノウハウとアイデアを現場に整備する技量のある人材を持った大企業に買収されたほうが幸せになれると思う。
ハテサは、台湾のデジタル担当相のオードリータンは大絶賛だったけど、イーロンマスクはどんなに成果をだしても必死に粗探しをして絶対認めなさそう。
この意見は、現在の「年収の壁」を引き上げるのではなく、逆に引き下げるとともに税制全体の見直しと給付による格差是正を主張しています。意見自体には、現行制度の限界を指摘し、より公平でシームレスな税制・給付制度を提案するという一貫した考えが見られますが、いくつかの問題点や矛盾があるため、以下の通り評価します。
• 「年収の壁」を逆に引き下げることで税負担を早期に増やすことは、一部の低所得者層や非正規労働者の収入減少を招く可能性があります。特に、収入が108万円未満の層や扶養控除による恩恵を受けている家庭にとっては負担が増大する懸念があり、低所得層の生活への影響が無視されています。
• また、基礎控除縮小により全体的な税負担が増す一方、給付を強化するとの提案がありますが、実際には給付がどの程度まで拡充されるか不確定です。給付拡充が適切に行われなければ、格差がむしろ拡大するリスクもあります。
• マイナンバーなどのデジタル化により、シームレスな税制を実現できる可能性が高まるとしていますが、日本では現時点で情報連携の問題やプライバシー保護の課題が残ります。また、全ての所得や資産状況をマイナンバーで把握するには法整備も必要で、段階的な導入が現実的です。
• 加えて、関数で定義された税率体系が技術的に可能でも、税率を平滑化すると課税が分かりにくくなる場合もあり、納税者にとって理解しやすい制度であることも重要です。
• 低所得者や高齢者の資産課税についても検討が必要です。彼らは既に課税された資産を持つ場合が多く、二重課税の問題が懸念されます。資産課税を行う場合、資産による応分負担が必要との意見は一定の合理性がありますが、高齢者など収入が少ない層への負担が過重になりかねません。
• 給付を強化すること自体は格差是正には効果的ですが、その給付が資産状況や家族構成を加味して適正に行われなければ、逆に貧困層が救済されない懸念もあります。さらに、少ない所得から少額の税金を取る場合、実際の手続きやコストがかさむ可能性もあります。
• 政争によって税制改革が阻まれているとする指摘には一理ありますが、「得票が1割未満の政党が政策に影響力を持っている」とする表現は、他の政党や支持者の意見を軽視している側面もあります。民主主義の原則を踏まえると、与野党間で妥協と調整が必要であり、全体の合意形成が欠かせません。
この意見には、所得に応じた税負担の見直しやデジタル技術を活用した制度改革の可能性について、現行制度に対する合理的な批判が含まれています。しかし、給付強化と税負担増のバランスが不明確である点や、低所得層への影響が軽視されている点が問題です。
『道義的責任が何かわからない』とまで言い放つ、知事として適性を欠いた斎藤元彦知事は、
今回の兵庫県知事選挙は、早い話が知事をクビになった斎藤氏の代わりの知事を選ぶ選挙な訳だが、
そして、今回、斎藤陣営(正確に言えば斎藤に味方した立花孝志氏)が
「斎藤氏を告発した文書を作成し、後に自殺した元県民局長が〇〇していた」ことを暴露し、
(自分は個人のプライバシーをあげつらうのが目的ではないので、伏字にする。
これ見てて知らない人がいたら適当にググってくれればいい)
さらには
「改革に反発した県職員が斎藤を引きずり降ろそうと画策し、これにマスコミが加担した。
こんなような論を展開している。
これについて自分の考えを述べる。
「今まで斎藤はとんでもなく悪い奴だと思っていたが、真実に目覚めて180度見方が変わった。
という風潮が生まれているが、落ち着いて考えてみると、どう考えてもおかしい。
彼はあくまできっかけとして外部に斎藤氏の告発文書を作って配布しただけであり、
彼が聖人君子でなくてもプライベートで〇〇してようが何ら関係がないのである。
彼の作った告発文書はあくまできっかけであり、その後の調査や百条委員会で
斎藤氏の知事として不適切な言動は明らかにされており、それは告発者の人格や自殺の動機とは関係がない。
自民から共産まで幅広く100人近くいる県会議員全員が彼を知事として不適格と判断している。
直接関係ない暴露一つでオセロで黒を全部白にするように全ての事実がひっくり変えるわけがない。
斎藤氏が車両通行禁止の区間を20m歩かされたことで職員を怒鳴り散らした(本人曰く「強く注意した」)
ことは本人も認めており、捏造ではない。
職員に対して気に入らないことがあると机を叩いたり物を投げたりすることも本人が認めている。
そもそも、事実関係として、20m歩かされたことで「強く注意」したり、ことあるごとに物を投げたりしたことは
本人も認めており、事実関係に争いはないので、録音は必要ない。
せいぜい争点となるのは、
「20m歩かされたりエレベータが閉まったりしたことで職員を注意するのは職務上適切な注意と言えるか」
くらい。
「手土産として用意されたカニを随行職員が断ったにもかかわらず、
他の職員の分も含めて持ち帰った」ことは知事本人も認めており、捏造ではない。
また、おねだりについては、ワインをおねだりする録音は存在する。
彼が職位を利用して県内の様々な箇所に利益供与を要求したことはもはや疑う余地はない。
いいですよ?
勉強を頑張った神戸大学生は学費を払い、兵庫県立大学は学費を払わないというのはおかしい。
「全体の学生の中で、わずか2パーセントしか恩恵を受けられず、不公平。やるべきではなかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f9cb8d7292a140952e2041491cbc10a5fb95ed7e
いいですよ?
そもそも、「職員の4割をリモートワークさせて必要になる庁舎を小さくして財政削減」
少なくとも自分の会社では、リモートワークしている人も職場に自分の机は存在している。
役所にも「自分の机にしまってある自分の書類」があることは想像に難くなく、
「業務が非効率化するのでやめてほしい」との職員の声の方が自分には共感ができる。
4割リモートワークさせようが、職員全員分の机は必要であり、そのための経費は必要な経費だと思う。
そのために1000憶円が適性価格なのかは自分は詳しくないので知らないが、
斎藤案をこのまま進めるべきでないのは自分でも十分理解できる。
12年尼崎で市長をソツなく勤め上げたのだから、心配ないんじゃないですかね。
隣で見ていた西宮市長も太鼓判を押しているので、市長として優秀だったんだと思う。
https://toshiro.jp/2024/10/31/4498/
身近で見ていた県会議員全員から不適格とみなされた斎藤知事とは大違い。
似たような話として民主党出身で千葉市長→千葉県知事の熊谷氏も名市長として名高いし。
・職員のコミュニケーションができず、現場が疲弊する(長妻昭)とか、
そういう弊害が起きた時で、むしろ斎藤氏がもし再選されたときの方がそういう懸念が大きいのでは。
何を根拠に言っているのか知らないけど(興味もない)
市長を12年やってやらなかったことを知事4年でするとも思えないし、
今度は自民党がバックについているので、自民党が本気で嫌がることはしないんじゃないですかね。
刑事裁判で被告人の言うことが全て100%認められるのなら刑事事件で有罪は存在しない。
多くの弁護士が最初の告発文書も公益通報として認められると指摘しているので、
また、百条委員会で告発文書に真実があったことは明らかになっている。
本当にただの怪文書なら誰も本気にしないのだから犯人探しなどせずに
もし〇〇していたことが本当でも、「死をもって抗議する」を普通に解釈するのなら、
「斎藤側が元県民局長を調べ上げるときにパソコンを押収し、そこで
元県民局長のプライベートを知り、『斎藤側に不利な証言をするのなら秘密を暴露する』等脅されたので
そういうことになった」
ということであるはず。
・副次的に知ったプライベートなことを目的外に使うのは完全な守秘義務違反である。
また、斎藤側の対応が不適切であったこと、そのために死者が出たことに何ら変わりはない。
奥谷議員がある程度の事情を知っていて隠していた(知らないと嘘をついた)
「斎藤知事の資質を問うのに直接関係の無い個人のプライバシーが世に出るのを抑えたかった」
からでしょ。
「議員とマスコミ全員がグルになって斎藤に有利な情報を隠していた」
なんてのはただの妄想。
少なくても自分は(極悪人ということになっている)井戸県政に何の不満もなかった。
告発文書が出る前、自分が斎藤知事を意識したのは、プレミアム付きデジタル商品券「はばタンPay」
その時の感想として、
「なんでこんなところに知事の写真があるんだ。この知事は自分大好き人間だな」
というものだった。
他にも、街や公共機関に以前あったはばたん(兵庫県のゆるキャラ)のイラストが軒並み
「権力をかさに県の業務で自分の顔写真を宣伝する自分大好き人間」
いう感覚を持っていた。
なので、一連のパワハラ(職員が自分を最恵待遇しないと職員に怒る)
が報道されたときは、自分の肌感覚と一致していたので、全く違和感が無かった。
「県民のためという信念を持ち、既得権益にまみれた職員と戦う権力基盤が無い県知事」
「県民のためという信念を持ち、既得権益にまみれた職員と戦う権力基盤が無い県知事」
それ以外の人でも、この文章兵庫県民に見せて感想をもらってくれるとうれしいです。
返事書いた