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はてなキーワード: オープンとは

2018-10-12

anond:20181011174934

議論したら「限られた場所」でやれよ。

お前、新宿駅前みたいなオープン場所

で同じこと言って議論成立すると思ってんの?

適切な環境選んでからしろ。

アラフォー処女の秘め事1 一歩踏み出す前夜までの道のり

内容的に、匿名しか書けないのでこちらに。

タイトル通り、アラフォー処女である

よくある「男性と付き合ったことはあったけど最後までは…」

というやつでなく、生粋処女

男と手をつないだことすらない。

いない歴=年齢。

周りの友人も似たようなものなので、あまり気にしてこなかった

のだが、そのうちの一人が婚活の末、結婚

心がザワザワし始めたこの頃。

子供ギライなので、結婚のものに興味は薄いのだけど、

体験がない事へのコンプレックスは、多少芽生えた(今頃?)。

きっかけは、外国人帰国子女に囲まれ仕事していた

頃のことだ。

周りとも打ち解け仲良くなったのはいいのだが、

外国特有オープン話題に、ボロが出まくり

LGBTやらセックスやら、すごいオープン

(私がいたところだけなのか?)

喋ってないのに、ほぼ全員、私が処女だと気づいていたという事態に。

で、直接何か言われたわけじゃないけど、ところどころで

ちょいちょい馬鹿にされるような発言が。。

自分語学力仕事パフォーマンスにただでさえ

引け目を感じてたのに、そこまで言われると、もう撃沈。

どさくさに紛れて容姿まで馬鹿にされたりね(怒)

すっかりいじけて任期が終了になった。

元々は、恋愛至上主義ではなかった。

しろ目標があってそれに向かって突っ走って生きることに

生きがいを感じていて、居ない歴とかもほぼ気にしてなかった。

なのに、私がやっとつかんだ憧れの仕事の場で、

そんなところで馬鹿にされるのか!と悔しかった。

仕事で見返すにも、実力が足りな過ぎた。

自信がボロボロになってた私は、笑って流すしかできなかった…

処女非処女の差って、たった一回でしょ?

彼らの価値観の中では、一回挿しておけば、私は馬鹿にされる

ことなかったわけでしょ?

心底、バカバカしい。

そう思う。

極端な話、ビッチが神なわけ?

処女を捨てたいと思ったことはない。

守ってるわけでもないが、どうでもいい男を受け入れるために

からスイカ出す痛みに耐える自信がないだけ(笑)

ただ、そう思っても心の中で湧き上がる好奇心がある。

実は、女性AVなどを見るのも嫌いじゃない。

雑誌体験談とか、ドキドキこそこそしながら読んだりする。

いつも思う。

「そんなに気持ちいいのなら…」

自分で試しに触ってみたけど、やっぱり良く分からない。

他人が脇腹つつくだけで飛び上がるほど感じるのに、

自分だとものすごい萎える。

やっぱり他人

ここで処女のしかかる。

世の中に女性風俗があることを私はすでに知っている。

イケメンがしてくれるのも聞く。

「本番はないよ」

お店のHPでは、イケメンがにっこり笑って言う。

なら、安心かもしれない。

怖いのは妊娠病気、痛み。

相手に無理強いするイケメンはいまい。

でも、、、

大学の時、尊敬するシスター

「魂は汚さないでください」っつってたのが

頭の中によみがえる。

援助交際に対する警鐘だった。

魂が、汚れる…

体より重いよね。魂。

どうしよう、男は無理・・・

したっけ、レズビアン風俗に行った

女性エッセイを読んだ。

ついでにレズ風俗店の店長エッセイも。

そうか、女ならありか?!

女子校出身で、ボーイッシュな先輩に淡い

恋心を抱いたこともある。

未だにショートヘアの凛とした女性を見ると

「素敵★」とポーっとなったりする。

私が知らないだけで、そっちの気もあるのかも?

と思ったけど、レズ動画見た時、ダメだった。。

私と同じモンついてるね。

特に胸の大きい子だと余計無理。

自分も大きい方なので、見慣れてるし、触りたいという

欲求はない。

下着付けるときいつも触ってるし(カップに押し込めるため)。

ボーイッシュナインちゃんならいけるのかな?

男装女子とか?

でも、脱いだら同じよな。

やっぱ男か??

うーん、うーん・・・


そんな風にずっと堂々巡りを繰り返してきた。

昔は彼氏ができて、どんなに痛くても我慢して受け入れようと

思ってた。

でも今は、彼氏ができる気がしない。

35を超えた時、はたと自分老いを感じたから。

40過ぎてもきれいな人はきれい

だけど、20でもモテなかった私は?

そこまで来たとき、思った。

女として、一度も気持ちいいことを知らずに死ぬのは嫌だ。

ただ、痛みには耐えられない。

ありていに言えば、挿入なしで気持ちよくなれれば。

頼める男友達なんてそもそもいない。

出会い系はさすがにリスクが大きすぎる。

それに、どうせお金を払うなら、イケメンに限る!!

地元にも女性向けのマッサージもあったけど、

セラピストの顔が非公開。

しかも24歳以下のみって、どんなやねん!

(男向けだったらあり得ない注釈でしょ)

で、都内に目を向けていくつか目星をつけた。

出張ホストメンズセラピストか。

悩み始めて3年。

その間、彼氏どころか気になる男もできなかった。

(周りは既婚者か犯罪レベルの年下だけ)

もう名実ともにアラフォー

40になってもダメだったら、と思ってたけど

たぶん40になったらホストだって嫌がるかもしれない。

私は、平成最後の秋に、決断を下した。

2018-10-10

anond:20181010045052

それが査読論文があれば互いにいろいろやり取りして論文の質を高める工夫をしてるらしいよって話になる。

査読論文はあるって言ってんだろ……私の分野だと,最近の若手で査読論文なしで任期なしのアカポス就職してるひとなんて見たことないわ.

英語論文があれば、仲間内の人じゃない人からも読まれたり評価したりされてるらしいよってなる。

全てのひとが外国語論文を書いてないわけじゃ当然ないよ.私の友達にはドイツ語論文持ってるやつもスペイン語論文持ってるやつもいるし,私の先輩はIF高い国際英語誌に何本も載せてるし,日本で大規模な国際学会も開かれたりしてる.私も外国語論文は持ってます.当然そういうの持ってた方が評価は高くなりますねー.

大部分の学者ちゃんとやってると私は思ってるよ。でもその知識アカデミアに入らない国民には理解しようもないし、還元されようもないなら、あいつら何かよくわかんないけどサボってんじゃないかとか、税金かける価値ほんとにある?とか言われてても擁護しようがないじゃん。

日本語で学術出版してる(し,概説書とかも書いてる)んだから知識還元されてるでしょ.市井読書家たちは現代思想文学法学人類学歴史学社会学学術書を読んでるわけ.あなたは読んでないかもしれないけど.学術言語としての日本語の重要性,ってそういうことだよ.私たち母国語で色んな分野の最先端研究を読めるの.最近だとアウトリーチ評価されるからアカデミアの外で色々啓蒙活動的なのはやってるよ.SF作家法学者のトークセッション参加したけど面白かった→https://www.youtube.com/watch?v=RQsdc_6MGNA

それができなければ〇〇論文誌の論文は毎年学会で全部ちゃん議論してます(その結果もまとめてあるのが理想)って表明するとか(日本語できる人でいいんだが)外国学者もっとポスト招聘してうちの学会オープンですってアピールするとか面倒臭くても何か工夫をしないといけないと思う。

主だった学会学術誌には当然査読があるので(特集論文とかだと査読なかったりするかもしれない.のでふつう投稿論文読もう.たいてい査読がある),そういうのをお読みになれば.『社会学評論だって査読つきだろ,というのはあちこちで指摘されてたよね? しょーじきこんな当たり前のことを何度も繰り返すのマジ徒労でしかないんだけど.日本文学研究とか日本研究とか東アジア研究とかなら外国人の研究者や留学生普通にいるし(何度も言うようにこれらの分野では日本語が国際語なので),外国人の客員研究員を継続的に受け入れてる研究所もある.現地の研究者と共同で英語の論集作ったりしてる(査読はしてないかも).人文系での外国研究者との共同研究の一例として,ちょっと古いけどこんなのとか→http://hdl.handle.net/2115/39022

世間から知られないと,理解されないと評価されない! と言ってるけど,あなたが知らないし理解もしてないだけでは.

anond:20181009213503

理系権威主義もそれはそれでいろいろ問題なんだが、文系権威の源泉を全否定しちゃって大丈夫か?

あなたは立派な学者で関連する全ての論文を実際読んで検証して自分の頭で考えて答えを出すのかもしれないが、一般国民はそんな暇も知識もないわけ。

今まで知識のない人たちには「論文にこう書かれています」ってのがありがたいことで一つの知識の蓄積だと思われてたけど、それが極端な話言えばそこらへんのブログ新聞に書かれているレベル記事信憑性が同じって疑われてるところまできてるわけ。一部のアホっぽい(主に政治的な)社会学者連中のせいで。もちろん学会内ではあの先生が書いたからとか、読んで検証したけどあの論文は実際いいよって評判も聞くことができるんだろうけど、素人がそこに入ってくのは難しいよね。一人目に聞いた人がいい人とも限らんし。


大部分の学者ちゃんとやってると私は思ってるよ。でもその知識アカデミアに入らない国民には理解しようもないし、還元されようもないなら、あいつら何かよくわかんないけどサボってんじゃないかとか、税金かける価値ほんとにある?とか言われてても擁護しようがないじゃん。今まではちゃん論文書いてるしって言えたけど、その論文、実は査読なしの書きっぱなしでコネがあれば好き勝手文章載せられちゃいますってバラしちゃったじゃん(一部の分野だけかもしれないけど)。個別に読んで評価しろっていわれたって文系論文読んだことないし、指標もないからどれ読めばいいかすらわからんってなる。それが査読論文があれば互いにいろいろやり取りして論文の質を高める工夫をしてるらしいよって話になる。英語論文があれば、仲間内の人じゃない人からも読まれたり評価したりされてるらしいよってなる。つまり論文権威を信頼の道具にしろってこと。


要は文系の一部のアカデミアは今権威が疑われてるんだよ。信頼を勝ち得るには無知理系同族文系偏見持ってるのが多くて申し訳ない気持ちもあるけれど)を批判したり、あるいは陰謀論者だ反知性主義だとか批判してもどうしようもないわけ。ただでさえ理系文系大学予算削って理系にまわすのに大賛成なんだし、あいつら信用できないって噂が広まるのは好都合。そこを「間違っているとは限らない」っていくら論理的説明したって「間違ってない可能性があるだけの研究?なら本屋に溢れてるしその執筆の手伝いに国家予算付けるほどお人好しにならなくていいよね」って言われるだけでしょ。理系に比する信頼を勝ち取る手段の一つが査読であり英語だし、それができなければ〇〇論文誌の論文は毎年学会で全部ちゃん議論してます(その結果もまとめてあるのが理想)って表明するとか(日本語できる人でいいんだが)外国学者もっとポスト招聘してうちの学会オープンですってアピールするとか面倒臭くても何か工夫をしないといけないと思う。


いろいろ書いたけどあくま予算権威が欲しいならね。研究費は元々少なめだとは思うけど、さらに削られたり給与もこれから理系に比べて少なく設定されるようになってもいいし、信頼度新聞マスコミレベルで構わない(関係ないが自分最近マスコミ悪く言われすぎだと思う)というならそのまま何も変わらなくていいと思う。

anond:20181010034650

何故大人しくひっそりやるかといえば、こういう対世間様の話の他にもう一つ。

自分たちが「自制」していますよっていう姿勢の為でもある。

社会でも世間でもいいけど、外からお前いい加減にしろよって怒られが発生して

ここまで後退しますってラインを示す(示さざるをえない)と、それは支配になる。せっかくファジーにしてきたものを一つ失うわけだ。

何故有名に、何故全世界オープンに、何故誰とでも共有したいかというと

うそ自体オタク思考じゃねえんですよ。サブカルクソ野郎思考なんですよ。

2018-10-09

anond:20181008215814

少なくとも(理系で多い)読者ほぼゼロ査読付きオープンジャーナルよりも、ダウンロードが数千の人文・社会科学系の学内紀要の方がアカデミック的な寄与は大きいと思うぞ

anond:20181009193933

対話をするには対話をする場所必要。間に立つ人も。それらを揃えて対話をしてはじめてそういう感想を持つの理想論で、後はどれだけそれに近づけるか。

twitterでもはてなでも増田でも対話ができる場所ではないでしょ。

規制反対派は絶対数は少ないだろうけど、ネット上では数的優位だし、オープンネット対話が成り立つとは思わない。

採用指針がなくなったところで

結局のところ、就活ナビサイトオープンするタイミングで大多数の学生が動くんだろうから

今まで水面下で動いてた分が表に出てくるだけで、現実的な日程はそこまで大きく動かないんだろうな。

報道だと「外資中小」対「経団連加盟企業」みたいな構図を立てるけど、実際には経団連企業含めだーれも守ってなかったルールだし。

https://toyokeizai.net/articles/-/221714

この記事にもあるけれど、経団連幹部企業でさえ守ってないんだから、結局のところないものをないとはっきりいうようになっただけの話。

(ちなみに、上でルールを「守ってる」ってされてる某電機メーカーは実際には19卒採用フライング選考やってたりする)

こんな茶番いつまでも続くのは異常だったし、正直者が馬鹿を見る事態が少しでも減るのはいいことだと思う。

これでなにかが変わってしまうと思っているのだったら、これまでちょっと現実が見えてなかったって考えたほうが良い。

anond:20181008215814

id:wildhog 言語研究価値は直接関係ない。とはいえ世界大学ランキングに役立たないし、留学生海外研究者に対して敷居が高くなるから英語で書いた方が得じゃない?

じゃあランキング気にするのやめるか英語以外の研究も拾えるランキングしろボケ,が前段への返答で,そんならアメリカ人日本人にとって敷居の高い英語やめてくれない? 日本語論文書けよ! が後段への返答っすね.マジあいつら日本史日本社会についての論文や著書すら英語で書きますからね.それを日本人研究者がわざわざ日本語翻訳してますからね(悔しいことに面白いんだこれが).別にそれが悪いことだとはまったく思わない,というかむしろアメリカ人日本研究者が英語で書くのはそりゃ当たり前でしょって感じだけど,広い読者にわかるように日本研究者は英語で書けとか言われたらまずあいつらに日本語で書かせてから言えよくらいは言っていいですよね.日本史の読者のボリュームゾーンはまずもって日本人なわけで.アメリカ人英語日本についての論文を書いても,えー英語論文しかないのー,日本語論文書いてないとかレベル低すぎー,とアメリカアカデミアで冷遇される世界になったら日本語論文書いてる欧米研究者を冷遇してくれて一向に構わないので,そのへんどうかよろしくお願いします.

というか日本語習得して日本語論文博論書いて本も出してる留学生の方だって大勢いらっしゃるわけですよ.私はこれまで,中国人韓国人台湾人モンゴル人・ポーランド人が書いた日本語単著を読んだことがあるし,ウイグル人カザフ人エジプト人アメリカ人日本語論文書いてるひともおられる.琉球方言学とか見ると定期的に日本語論文投稿してらっしゃるニュージーランド研究者もいらっしゃいますね.日本語外国人研究者によっても使われる立派な学術言語です.

モンゴル研究者が日本語で書いた単著の一例(査読つき)> https://www.yamakawa.co.jp/product/67381

id:parosky 論文人類の知の体系に貢献するものからみんながアクセスできる言語じゃないとダメじゃない? という意味英語なことが重要だと思ってたけど、たしかに界隈の人がみんな日本語を読めるなら日本語でもいいね

「みんなが日本語を読める」んじゃなくて,「重要日本語の先行研究がたくさんあるから頑張って日本語勉強する」んですよ……

この辺の感覚理解されてないんですかね? 文系にとって標準言語英語だけではなく,分野によってはいくつかあったりするのが普通なので,頑張っていくつかの言語勉強するんです.西洋古代史なら英語古典語の他にフランス語ドイツ語の先行研究を読む必要があるし,インドネシア近代史人類学を勉強したければ英語インドネシア語の他にオランダ語を学ぶし,中国前近代史なら英語中国語の他に日本語が読めないとね,という要求水準があって,それらの言語を知らない人は勉強する必要があるわけですよ.英語さえ読めれば研究ができるひとたちにはわからない感覚かもしれませんけど.

正直,中国研究してる欧米人が英語論文の中で日本語引用してるのを見て,「あっ,つづり間違ってるな,こいつあんまり日本語得意じゃないな」って思うことはあります.たぶんもともと中国語が専門で,日本語研究必要からいやいや読んでるんだと思いますけど,西洋研究してる日本人は同じことをドイツ語とかフランス語かに対して思ってたりするわけで,まあお互い様っすね.

id:nakex1 自国しかやってないと自国語で形成される村の思考の枠組み(そこから発生する評価の枠組み,師弟関係派閥から出られないんじゃないかという懸念はある。

師弟関係やら派閥やらはともかく、思考の枠組みとか言われても、社会学英語からの輸入学問なんだから英語圏の発想や思考バッチリ取り入れた論文書いてますよ! 英語圏の理論の本とか翻訳されまくってるし,未翻訳の本でも原語で引用してるひとは大勢ますねえ.当たり前だけど,執筆言語自国語であっても,自国語で論文書くために読まなきゃいけない言語はいくつもあるわけで……

id:kanekoshinichiro 日本語学術を述べてもいいけどガラパゴスにならない?どこかで日本人以外に読んで欲しくないのかなと思ってしまうな。もっとオープンになればいいのに。英語できるでしょ。

ドイツ語より母語話者人口が多い言語を捕まえてガラパゴスとか言われても困りますわー.日本語話者世界トップ10に入る大言語なのですが.ちなみに欧州なんかだと日本10分の1くらいの人口しかいない小国にもちゃん日本語学科が設置されて現地語で日本研究論文が書かれてたりします.日本語学習者って世界中にいるので日本語論文書いてもガラパゴスでも何でもないんですよね.日本人勉強して英語論文を読んでいるんだから日本人以外も勉強して日本語論文を読んでください.

id:nt46 ペレルマン論文ポアンカレ予想という関心分野で他の数学者がその正しさを検証たから業績になってるのであって、事実上査読は行われている。

それが査読になるなら日本語の著書や無査読紀要論文出版後に多くの同業者が読んでチェックしてるから事実上査読つきですね.ありがとうございました.

id:steel_eel 本質学問正当性を確保するためのクロスチェックがどう機能してるかであり、その点で現状ベターなのが英語使用査読でチェックを受けるシステムなわけで、それが無いなら代替の何があるのかを示さんとな。

分野によるという話をしています.たとえば日本に関する研究なら別に日本語でもいいですよね.日本史日本社会研究しているのに日本語論文を読めない研究者は三流以下なので,そんなひとに査読を頼んでも別に正確性や信頼性が向上するわけではない……というのは理解していただけますか? 日本以外の地域研究にしたって,前近代中国史を扱うならば,中国人研究者が日本語著作引用したりする世界なので,日本語で書いて査読してもらえばよくないです?

id:operator 日本語英語かではなく、国際学会のトップカンファレンスを目指して研究したこともないのに教授になれるの?というのが理系からみた驚きなんでしょ。日本古典文学研究も、英語文学分野の国際学会に出せるよね。

からなんでその「トップカンファレンス」の言語英語である必然性があるんだと小一時間.確か日本文学については日本語公用語の国際会議みたいなやつはあったはずですし,ロシア文学の国際会議ロシア語でやるはず.英語以外の言語を発表言語指定されたカンファレンスは出たことあるけどまああれはトップカンファレンスではないか.ともかく,その「トップカンファレンス公用語英語」という思い込みをまず捨てやがれください.そんなん理系や一部文系分野のローカルルールでしょ.

id:tarume バベルの塔を折りたい人。なにが"なんとも愉快な未来予想図"だか、英語コンプレックス隠せよ / 知を共有するために論文書いてんだから、まずは一人でも多くの人間が読める言語で書くのは当然でしょ。自国語訳はその後

文系バベルの塔を折りたがってるんじゃなくて,そもそも文系には共通言語がはじめからなかったという話です.なかったもの探究しろと言われても……

[]コトノハ〇×の「複垢連投オヤジ」の連投と無断転載に関する考察

コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)の連投行為無断転載行為に関して、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである私が考察していく。

も併せて閲覧願いたい。
複垢連投オヤジ」に関するいきさつや、複垢連投オヤジ投稿したコトやコメントでの滅茶苦茶な理論や言い分については上記言及解説している。

連投

■連投を行う目的

複垢連投オヤジ以外にも以前から連投行為をはたらくユーザーは居て問題視されていたことはしばしばあったが、その人達共通点は、人に共感することよりも自分記事(コト)を投稿することが主体となっていることである本来コトノハへの関わり方は投稿ではなく様々なコトへの回答や共感が基本であり、投稿既出のコトに無い話題に関して語りたい場合に行うというのが基本であるが、それがわからない人には中々難しいことであるしかし、それを守るために「30コトに回答するまでは投稿できない」、「自分のコトへの回答数が十分でないならば新しいコトを投稿できない (詳細な基準非公表)」といった仕様になっているが、それに抵触してエラーが出ても何も感じないのだろうか?
ここで、不定期に誰かが投稿するコトとして、「Postは1人1日1回までにしましょう」というものがある。これは、連投や多数の投稿を行うユーザーに関してコトノハ趣旨を再認識してもらうためのものであるが、そのようなユーザーには中々聞き入れてもらえないようである
そもそも連投を行うユーザー目的は、投稿することが目的になっている、誰よりも早く投稿しなければ気が済まないなどであるように思える。

複垢連投オヤジ最近の連投の傾向

複垢連投オヤジ最近の連投は、上記の他の連投を行うユーザーと同じ理由も勿論考えられるが、他のユーザー投稿を下に下げる目的があると捉えられる。特に自分(複垢連投オヤジ)にとって不快不利益な内容のコトが投稿された時、それに対する反論コトや羅列の連投コトが大量に投稿されることが多いかである複垢連投オヤジにとって連投ネタは何でもよいようである

複垢連投オヤジの重複投稿

複垢連投オヤジは、以前は他人のコトに回答していたことがあったが、最近ほとんど回答していない。他人のコトやトピックに関して言及したい場合は、自ら同一か類似のコトの投稿を行っている。現在検索(Search)機能機能していないため行えないが、本来コトノハはコトを投稿する前に類似のコトがないか検索して重複確認することがルールとなっている。勿論、確認出来ず重複するのは仕方なく誰でもあることだが、態と重複させるのは明らかなルールマナー違反である
SNSを利用していて、ここまで他人に関心が無く共感力に欠けるユーザーは珍しいと思う。寧ろ、何のためにSNSを利用しているのかと不思議に思う。

無断転載

投稿クローズ(鍵垢、友達のみ)にすれば良いのでは?

複垢連投オヤジによる無断転載行為が行われるようになって以来、多くの方から頂くアドバイスであり、クローズにすれば無断転載が起こることは一切考えられない。特に、私と同年代若者場合クローズにして内輪(親しい仲間内)での交流を主としている人も多い。しかし、私の活動スタイルからして、本名での活動を基本とし、クローズにしたくないというのが本音であり、その理由としてボランティア一人旅等の諸活動が言える。
ボランティア一人旅、またスポーツ音楽起業等も含めた個人での諸活動を主としている人の多くはSNSオープン活動しており、活動きっかけに興味がある人と友達関係を結び、活動交流の輪を広げていくことが多い。オープンをすることで探しやすく、また近い活動をしている人とも繋がりやすいのは大きなメリットである特に友達承認申請フォローする場合も、投稿内容が分かることで安心できる。私もこのメリットが大きく、オープンでの活動を基本としており、本名学歴等もその理由により記載してきた。
このオープンクローズかはリアルでの活動も大きく関連していると思う。クローズの人たちは基本的に内輪を好む人が多い。私は中堅の大きな大学であるため、ボランティア委員会でも私の大学メンバーは多かったが、活動先では他大学、他団体メンバーも多く居たのに呆れることに同じ大学メンバー同士でしか交流していない人が多かった。他大学からは「〇〇大学仲良いね」と言われていたが半分は嫌味に聞こえていた。しかし、私は真逆で今も昔も主に他のメンバーとの交流が多かった。ボランティアは同じ大学でも一度切りのメンバーが多かったが、他団体交流することの方が貴重な機会であることは間違いない。
今まで本名活動してきて不都合な点は全く無く、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)に晒されたり、外部機関通報されたり等の経験は無い。要するに、そのままで問題無かったのだ。しかしながら、複垢連投オヤジが登場するようになって初めて晒し等の迷惑行為を受けるようになった。私は不謹慎投稿一方的誹謗中傷暴言等の迷惑行為や、犯罪自慢(所謂バカッター行為)や犯行予告等の違法行為をした覚えは一切ない。複垢連投オヤジ私怨での一方的嫌がらせ目的である。それにより初めて対策せざるを得なくなった。

100%複垢連投オヤジ、只一人のせい(為に行っている対策)である

作成中~

anond:20181009002959

査読は質を担保する仕組みの1つとして有用だが、なかったからといって即座にダメというわけではない、という話。

だって当たり前だけど査読で落とされたことはあるし、査読重要な指摘を何度もされてきたから、査読重要性くらいは理解してますよ。

ただ、査読はついてないけど面白い研究重要研究というのはあるし、それを査読がついてないという点だけで批判されると困惑する。

だいたい査読がついてたってサラミ論文とかあるわけじゃん。査読つきサラミ論文と、査読はないけど面白独創性の高い論文、どちらが高く評価されるべきかといえば私は後者だと思うんだけど、どう? もちろん査読つきで良質な論文が一番いいけど、査読つきゴミ論文と無査読で良質な論文だったら、後者の方がよくない?

論文学術手続きに従って検討され精査されるべきだ。それは学問として当然。そのための仕組みのひとつとして査読というのは有用だ。そこにも異論はない。

でも、査読がついてないかゴミ、無価値、というのはおかしい。そういう話です。

(ていうか日頃は文系のこと権威主義とか何とかいうくせに自分らのほうがよっぽど権威主義、というか形式主義だよな。論文読んで出来不出来を判断する頭もないのかね)

あと、投稿オープン学術誌って(一昔前は知らんけど、今は)たいてい査読つきだと思うよ文系でも。査読がないやつって、出版社が発売するのでそもそも一般投稿を受け付けてないやつとか(当然定評のある研究者のところにオファーが来るし編集がチェックする。私には来たことないけど)、会議シンポジウムの論集とか(ふつう信頼できる研究者を集めて論集を作るよな)、紀要とか(当然紀要紀要として扱われますよね。しか最近紀要査読つきのが増えたなー)、じゃない? もちろんそれらの事前チェックが査読代替になると言うつもりはないけど、査読なしの媒体ってある程度限られてると思うんだよなー。

2018-10-08

推し宗教に仕立て上げた話

推しが神ってよく言うけどね、私にとっちゃ推しマジで宗教なんです。人生を生きる道しるべなんです。私の辿った道は絶対よいこはマネしない方がいいやつだから自戒もこめてここで一つ纏めてるんですけどね。脈絡もないか絶対すごい分かりづらいし、めっちゃ重いけど、こんな人間もいるんだ、程度に流し見しといて。

まり小学生の頃。

小さい頃から親の転勤がさかんで、引っ越しばかりではあったけど、とうとう海外転勤になった。言語が通じなくて、文化生活習慣も違くて、それでも勉強はしなくちゃいけないし、友達はつくらなきゃいけないし、死ぬほど頑張った。そもそもそれまでは幼かった私は日本で一生過ごすもんだと思ってたから、何の心の準備も無かったし、本当に地獄だった。その頃のことが実をいうとあんまりよく思い出せない。思い出せるほど何か考えてなかったからだ。毎日毎日必死勉強して、それでだましだまし、何とか現地の子と同レベルになった私は、本当にあの頃よく頑張ったなと思う。もしも日本に残れていたら、の事を考えるたびに泣いていたから、そのうち考えないようになった。

そんな時に、アニメにドはまりした。

それまでは特にアニメ漫画に興味があるわけでなかったけど、小説は好きで図書室に一生籠もりたいと考えていたくらいだったので素質はあったんだと思う。

おおげさだと思うかもしれないけど、あんまりいきなりの事だったから、引っ越しても、現地の学校に通っても、友達を作っても、始終私には現実味が無かった。本当に、何だか悪い夢を見ているような毎日で、だからまり思い出が無いのかもしれない。そんな私にとって、パソコンを開ければスクリーンの向こうにいつでも広がる日本語のアニメ漫画は、唯一現実繋ぎ止めてくれる依代みたいな物だった。んな大げさな、って思うでしょ。実際に体験してみ、私があそこで心折れなかったのはひとえに推しと優しい家族のお陰だから。あそこで生きることを放棄しなくてよかったよほんとに。推しに会えたからね。

そんなこんなだから推しにどっぷり。腐り始めたのもネット違法アップロードされてた同人誌をみちゃったのがきっかけ。ごめんなさい、今はもうそんなことしません。推しお金貢ぐのがいいんだよね。話それたけど、とにかく検索能力を駆使してサイトを駆け巡った。全然未成年だけど十八禁の小説も読みまくった。本当にごめん。結局サイトのどこかに隠されたパスワードを見つけられなかったこともしょっちゅうあったわ。その頃から特定作家さんの存在認識して、「同人作家」という概念も覚えた。最近ツイッター等で作品投稿する作家さんが多くて、「その作品を作ってるのはロボットじゃなくて一人の人間だという認識がしにくい」なんて言われてるけど、サイト時代も割とそういうの難しかったと思ってる。似たようなサイト毎日、毎週、毎月ひたすら検索かけて飛び回っていたから。

私の場合は、綺麗なデザインホームページで、特徴的な絵柄で、日常的なお絵かきログ以外にも「何これ欲しい」って思えるようなハイクオリティ同人誌サンプル等を綺麗に纏めて陳列してくれる作家さんがいて初めて、「このサイトを作ってくれてる、こんな推し作品を作ってくれる特定人間がいる」って認識できた。

支部存在を知ったときも、正直「何だこれ胡散臭いな」って思った。皆そんなこと無かった?私はそんなことあったか支部存在を知ってから登録するまで半年かかった。でも前述した綺麗なホームページ作家さんが支部を使ってて、サイトで見たのと同じ同人誌サンプルが上がってて、初めて支部はまともな交流フォーラムなんだって認識できた。今まで見てきた沢山のサイト支部が初めて繋がった感じ。その作家さんとは今は推しカプもジャンルも違うけどずっとフォローしてる。推しカプとは関係ない、推し作家なんだよ。本当にありがとう、つらい日々に貴女の綺麗な水彩絵や、幸せそうに体を寄せ合って笑う推しを見てると、それだけで救われた。生きていけると思った。

支部は本当に神だったね。推しが、色んな人の推しが、簡単に手に入る。神っつーかドラッグだったわ。ほらよくあるじゃん、神と交信する為にドラッグ使ってトランス状態に陥るやつ。私にとっては完全にあれだったわ。支部を通して推し交信してた。

最初年齢制限とか全然分かんなかったから単純に十八禁作品アップロードできないのかと思って、「支部はいいけど十八禁の作品無いのが難点だよね~~~」とか思ってた。ある日とあるシリーズものの中に不自然に一話かけているのに気づくまでは。皆、シリーズ物の中に十八禁の作品がある時は、キャプションにその作品リンクを貼っちゃだめだよ。私みたいな、支部管理下に置かれていた駄目な未成年年齢制限に気づいて誕生日を変えに行っちゃうからマジで本当にごめんなさい。懺悔懺悔推し懺悔

あと、小さい頃からパソコンネット環境は惜しみなく提供してくれた親に感謝

新しい学校では言語スキルの上達もあって、もう少し親しい友達が出来た。日本に比べてオープンオタクや腐文化には優しいところだったから割とオープンにいけた。某巨人ブームも良くなかったよね、今までアニメなんかドラえもんくらいしか見た事なかった学級委員長が一夜にして腐るとは誰も思わないじゃないか。あのブームは本当にやばかった。もう、何か、やばかった。察してくれ。

でも成績は下がった。みるみる内に下がった。もともとだましだましやってきたもので、周りの子は塾に通ったり、来年の内容まで予習してるのに、私はその日その日を食いつなぐのに精いっぱいだったから、まあ普通に考えてそう簡単に差が埋まる訳ないんだ。新しい学校は優秀で頭のいい子が多かったし。私は焦ったけど、焦れば焦るほど悪化していく気さえした。あの頃が一番鬱だったかもしれない。中二病だったし。どんどん、自分が生きる意味存在価値が分からなくなって、とにかく死にたいと思った。もともと勉強は得意な方で、読書が一番の趣味みたいな子だったから、海外引っ越してそのどちらも取り上げられてしって、更に悩みを共有したり一緒に遊んだりする友達もいなくなると、存在価値が本当に揺らぐんだ。ついでに言うと、私の夢は言語に、もっと言うと日本語に関わる物だったから、母国語義務教育を受けきれなかった私にとって、希望に満ちた夢は一瞬で絶望になった。日に日に日本語に変なアクセントがかかるのが分かって、辛かった。(大事な事(日本語)は全部二次創作に教わった。支部駐屯する野生のプロ先生方、本当にありがとうございましたあなた達に救われた人間は、確かにます)思い描いていた輝かしい理想に私はきっといない。もっと何か、別の道を探さなきゃいけない。でもどうして?その道を進みたい訳ではないのに?私にはどうしようもなかった理不尽に進みたかった道を閉ざされたのに?私の生きる意味って何だろう、どうして私こんなところにいるんだろう。私はここで一体何をしてるの?私がここにいる意味とは??

がむしゃらな努力は報われない。方向がちがけりゃどんなに頑張っても目標には届かないからね。その日その日を生きてきた私には、目標努力意味も分からなくて、次第に疲れて、やる気をなくした。ふさぎこむようになって、私のこと心配する家族とも喋りたくなくなった。反抗期だったしね。とにかく放っておいてほしかったし、何も考えたくなかった。

比例するように、推しへの依存は強まっていった。毎日推しカプの小説を読んだ。それが無いと落ち着かなかったし、不安だった。息をするように支部ログインして、慣れた手つきで推しカプの検索をして、新しい作品が無いかチェックして、無ければ過去作品を繰り返し繰り返し読んだ。推しを見ている間は自分ことなんて忘れられたし、何も他の事は考えなくて良くて、ただ推しのことを考えていられたから、本当に幸せだった。要するに推しを使って現実逃避をしていただけなんだけど、でも推しはそれを咎めてこないでしょ。上手くいかなくてむしゃくしゃして、どうすればいいのかも分からなくて、楽しいことが無かった訳ではないけど、それでも辛い私を推しが受け止めてくれた。

別に推しやその生き様から希望を貰ったとか、頑張ろうと思えたとか、そんないい話じゃない。ただそこにいてくれるだけで良かった。何があっても、変わらず推しがそこにいてくれるのが心の支えだった。ただそこに推しがいてくれるだけで、生きていけた。それで、生きていたから、次の一歩を踏み出せた。

そんな日々を何年か続けて、やっと心の整理が出来て、ちょっとずつ、自分と向き合おうと思えるようになった。そういう時の心のワンクッションに、推しはなってくれた。重点を置くジャンルを移動するとほぼ同時期に、また親の転勤で、私はまた荷物を片付けて、また仲良くなった友達空っぽになった自分の部屋と家にお別れをして、引っ越した。

推しとはお別れなんてしないけど。好きな作品はいつまでも好き、好きなカプはいつまでも好き、好きなキャラはいつまでも推しのまま。ずっと私を支えてきてくれた、大事推しから。弊社は推し殿堂入りシステム採用しております

ここらへんでさ、推しに対する思いがなんか重いなって察しのいい皆さんは気づくでしょう。そうこれ、私にとっての推しが「不変の何か」「道しるべ」「希望であるんですよ。何かを思い出させません?宗教ですよ。神。絶対不変の神。人が神に縋るのは、神なら不変を貫きつつ全ての不安煩悩幻想、全部纏めて受け止めてくれるからですよ。生きるって本当に難しくて大変な事だから、皆ぶれない信念に縋って生きていこうとするんですよ。生きている人間からは得られない、あの絶対的な安心感。私は無神教だから~とか言ってたこともあったけど、あんなの嘘っぱちでしたよ。私の宗教推しだったんです、この頃から

新しい環境、新しい学校。ここは前にいた所より社交性を求められた。そして勘の良い皆さんなら気づくと思うけど、そう、ここまで勉強に精一杯で、時間があれば推しをキメて精神安定を図っていた私は、社交性を一切高めてこなかったんですよ。簡単に言えばコミュ障そもそも海外に来た時点で言語が通じなくて性格一転したからね。人と会話して意思疎通図るのがいつの間にか苦手になってた。それだけの言語スキルを手に入れてからも社交に対する苦手意識はぬぐえなかった。

それでも、割といけた方だと思う。苦手でも、人と関わるのが嫌いなわけではなかったから。新しい学校は、私と似たような人生辿ってきた子が結構たから、それもあってか、割と簡単に馴染めた。

いや実はそんなことなかったかも。友達関係でいっぱいトラブルも起こしたし、悩みもいっぱいあった。でもそれ以上に楽しい思い出があったから、嫌なことは簡単に上書きされちゃったんだと思う。勉強も楽しかった。成績も上がった。新しいことにも沢山挑戦できた。心残りや後悔はやっぱりあるけど、ホンマに何でもかんでも楽しかった~~~

でもね恐ろしいことにね、楽しい時間はね、続かないんだよ。おっそろしいわ。

大好きな学校はね、卒業しなきゃいけないし、大学ね、受験しないとアカンのよ。おっそろしい。私の場合大学でまた海を渡って、まら違う国に渡る計画をなんとなく建てていたから、今まで何だかんだずっと一緒にいた家族とも離れなきゃいけない。また違う環境、また違う言語。(いや言語は前の時より準備あったけどさ、それでも外国語ってことには変わりないじゃん)どうすんねんマジで大学受験でもれなく鬱になった。人間身体って割と簡単限界が来るんだよ。だから皆本当に、睡眠食べ物ちゃんと取らなきゃだめだよ。一日八時間寝て。家族友達に沢山迷惑心配をかけた。もう二度と救急車の厄介になりたくない。

ここでもやっぱり、未来についても目標とかなかったんだよね。私には推しがいればそれで良かったからさ。大学に行こうと思ったのも、流されて、なんとなく。っていう部分が多くてさ。私にとってはまだ、日本にあのままいられなかったその時から、どの道を進んでも同じような気がしてた。

一方で相変わらず、推しへの愛を募らせ、イベントの度に支部に上がるサンプルに歯をぎりぎり言わせてた。ついったで作家さんをフォローするようになったのもこの頃。凄いよね、雲の上の存在だと思ってた作家さんにマシュマロ感想送れちゃったりするんだよ、しかもその感想に返事が返ってくるんだよ。やばいでしょ。マジやばいイベントなんか参加したことないし、多分これからもそうなんだろうけど、作家さんと交流できるって本当に画期的だよ。自分作品を書くようにもなった。日本語変じゃないかな、文法おかしくないかなって、不安になりながら上げた作品に、反応が返ってくる。ブックマークされる。見てくれる人がいる。感想を送ってくれる人までいる。嘘でしょ。やばい、好き。推しが好き。こんなに幸せな気分にさせてくれる推しが好き。

そうやって毎日毎日最低3時間支部とついった巡りに時間をかけてたから、睡眠時間を削るしかなくて、それで生活リズム体内時計狂い始めたんだよね。笑えねえ。絵や文だけじゃなくて動画にも手出しちゃったんだよね。えむえむでー、人力、偽実況。たま~に夜更かしするならいいけどさ、もともと身体強い方じゃなかったから、毎日2、3時に寝る生活は三年も持たなった。あとあと簡単に鬱になったのも、身体を壊したのも、完全にそういう無理な生活習慣が祟ったなって思ってる。周りの人は私が勉強頑張りすぎて身体壊したんだって思ってるけど、もうマジで全然そんなことない。推しに会いたくて会いたくてどんなに忙しい時でも推しに会う時間確保しようとして身体壊した、ただの馬鹿。皆は絶対真似しちゃだめだよ。寝てねマジで

家族の話、ちらほら出てきたでしょ。小さい頃から国を離れたわたしは、「国がない」人間なんです。そりゃ法律的に言えば日本人だけどさ、故郷と言われてピンとくる場所も無い、地元ってどこだか分かんない、自分の国がない。私みたいな子に結構会ってきたけど、私らみたいな人は、結局どこ行っても余所者なんですよ。それが何年もかけて向き合ってきた私のアイデンティティから、今更どうこうは言わないけど、でもそういう根本的な寂しさはやっぱりあるんです。いつだって、そんな私の帰る場所は、私の家、家族がいる場所で。でもそんな家を、家族を私は、離れなきゃいけない。一人で生きていかなくちゃいけない。何にだって終わりがある、別れはいつかくる、それを十分に分かっていた気でいたけど、全然分かってなかった。私の家は、絶対安全シェルターは期限付きだったんだ、いつまでもそこにある訳じゃなかったんだ。それがなくなったら、私は本当に何処にも属さない、この世界余所者になってしまう。いざそんな現実に直面して、そんな底なし不安を感じて、辛くなりました。

またも不安に比例するように、夜更かしして推しに会いにいくようになりました。寝るのが怖かったんです。だからぎりぎりまで起きていて、推しに慰めてもらってた。寝たら、明日が来てしまう。明日なんて来なくたってよかった。ずっとこのままでいたかった。どこにも行きたくない、どこにも行きたくない。そう考えるうちに足はすくんで、本当にどこにも行けないような気さえしてきた。

この頃から親が趣味に物申すようになってきてたんですよね。前は私の精神状態が良くなかったから目瞑ってもらってたようなもんで。結局その頃も変わらず、推しに縋って現実逃避をしてただけだった。そろそろ社会に独りで出る私が相変わらず逃避し続けるのを心配に思ってくれたんでしょう。「もっと他に、するべきことがあるんじゃないの」って口を酸っぱくして言われました。

そうこのとき、私は推し依存してはいけないと自覚しました。こんなんじゃ推しに私の人生狂わされるだけだって。前までは、推し人生狂わされても、それでいいかって何となくなげやりに考えてたんですよね。でも違うんです。推しに縋って生きてきたのはいいけど、これで廃人になってしまったらそれは推しのせいになってしまう。これまで私を生かしてくれた推しにそんな迷惑をかける訳には絶対いかないんだ。バランスを、妥協点を探さなきゃいけない。これからもずっと推しに会いたいのなら、推しに縋っていただけの不健康関係じゃなくて、ちゃんと一人で前向きに生きていけるようになって、推しに何かを貰いながら何かを返せるような、そんな健康的な関係を築いていかなきゃいけない。推しに貰った希望を、何らかの形で推し社会還元しなきゃ。そう思ったから、何となく頑張って、ここまでこれました。今はとにかく就職して推しに貢ぎたい。推しが私に善行しろと言っている。

......いやこれ、話飛びすぎだろって思うでしょ。ごめん、ここ本当は間の3000文字くらい推しと私に関する話あったんだけど、簡単身バレする内容だったので削るしかなかった。とにかく、本当にそういう人生の細かい、肝心なところまで推しが絡まってくるんです。推しがいてくれたから。推しがただ、そこにいてくれたから、あとは私が勝手に進んだ、進むことが出来た。私みたいな何においても中途半端な半端者でも受け入れてくれて、ずっと変わらずそこにいてくれるんですよ。振り返ればいつも、そこには推しがいたんです。推しいるか世界平和を願える。推しが私をまともな人間にしてくれた。

やばいでしょ。推しが情操教育に良すぎる。いや私はどちらかと言えば悪い例なんだけどさ。これからもきっと私は推しに縋って生きていきます。本当はね、推し申し訳ないと思ってる。私の身勝手な都合で、推し勝手神様祭り上げてしまった。私が生きる上での寂しさや不安一方的にぶつけて、一方的に縋っていく、不変の存在に、勝手に仕立て上げてしまった。でも今更改宗なんてできないんですよ。心にいつも推しがいて、そのスポットは最早ぽっと出の何かが簡単に成り代われる物じゃないんです。そして心にいつも推しいるから、今日希望を持って、人に優しくしようって思えるし、今の道を進んでみようと思えるし、例え命の果てに、私の存在の果てに何も無かったとしても、それでも歩んでいこうって思えるんです。生きて、いけるんです。

だいぶ端折ったけど、大体そんな人生歩んできました。これから

まらないことにつきあわされた

2013秋に始めた艦これだが、ここ数年は休止していた。

やりこみ上等かつ屋上屋を架すような、行き当たりばったりな仕様追加や変更に嫌気が差しモチベが無くなったことが理由だ。

そのままフェードアウトと思っていたのだが…

8月になってHTML5移行して、海域リセットとか抜かしやがった。

知らねーよそんなことで済ましても良かったのだが、もし今後やりたいイベントがあって、その時に海域攻略提督が締め出しを食らうのも気に食わないと思い、全く気は進まなかったけど再攻略に乗り出した。


ちなみに休止前は6-3までクリアしていて、6-4は基地航空隊を開放したところで力尽きた。

というか5-1の新編三川艦隊任務鬼のようにキツかったのが堪えた。なんだよ古い大正時代重巡軽巡が中核を占める艦隊機動部隊と戦えって。ふざけてんのかバカジャネーノ。

支援艦隊のうち前線支援の方は全艦キラつけても来るかどうか怪しかったし、前線と決戦の両方のガチ砲撃支援のために、火力と命中を上げる装備整えるのもメチャクチャ大変だったし、そこまでしても羅針盤はじめとする運頼みのおかげでクリアはかなり厳しかったし。


ともかく、全く気乗りしない攻略でもなんらかの動機づけがあればと思い、攻略対象海域関係する未達成任務を消化しながら進め、現在やっと6-4の2ゲージ目まで終わったところ。

上述のように死ぬ思いで基地航空隊開放したのに、その航空隊を使った6-4がこれまた攻略超大変とか、いい加減にしろよクソ運営が。

つか、正直5-3以降の攻略は本当に苦痛苦痛で仕方なくて、「早く終われ」以外の感想はない。

まりゲーム提供側としていちばん大事な「新しい楽しみの提供」に完全に失敗しているわけで。もうマジで一期より楽しくなった要素皆無だし。

いやそもそもそのための二期リニューアルじゃないって?そんな変更、プレイヤーの俺らには関係なくね?

なんでテメーらの勝手な都合に付き合わなきゃいけねーんだよ、舐めてんのかコラ。


こうなったら、明日か今週末までには持てる資材と時間つぎ込んで、こんなクソ攻略さっさと終わらせてやるわ。

そして信濃実装されるその日まで、また長い長い休眠期間に入ると。

だって本当に艦これ続ける理由がないし。

まず艦娘の育成は駆逐艦の改二改造が全く追いつかない。特に陽炎型・夕雲型・朝潮型はほぼ手付かずで、かつ改造に漕ぎ着ける見込みもない。

こうも次から次へと改二が湧いてきて、しかも改造レベルが遠いだけでも負担なのに、改装設計図戦闘詳報だとか付き合ってらんねーよ。

次に大型建造、ビス子とサラは多分永久にウチの鎮守府には来ない。

ビス子は狙ってるとき矢矧が出た時点で、サラは神威をどうにか建造した時点で心が折れて、それ以来放置してるから

どっちもイベでドロップする機会なさそうだし。

それで何を頑張れと?


というわけで、なんとか艦これを片付けたら、1年間ずっと様子見していたアズレンをようやく始めようと思う。

あっちはオープンから今の今まで、少なくとも艦これ並のクソ改悪はなかったみたいだから、まあ安心して遊べそうだし。

ラフィーちゃん初期艦に英米独ごた混ぜの国際的艦隊()を作るつもりなので、待ってろエンタープライズ

ベンチャー経営陣がついつい犯しがちな20のコト

当たり前のことを何をつらつらと書いているんだとツッコミを受けそうですが(笑)

自分自身が自社や他社を見て感じたことを備忘録的に書いてみます


中には理想論のように見えること、時にはそうせざるをえないこと、

ベンチャーからこそ許されてしかるべきこと等もあるかもしれませんが、

組織の中にずっといるとその異常性に気付かないようなことや、

モヤモヤしつつも誰も異を唱えられなくなっていたりするようなことを、

改めて見つめ直してもらえたら幸いです。(もしくは、あるあるネタ的に捉えてください笑)


また、ベンチャー企業において、起業黎明期、拡大成長期、転換過渡期等のあらゆるフェーズを、

社員中間管理職役員子会社社長等の様々な立場で見てきて感じたこと、

そして自分自身、下記のうちで実際に出来ていたことは決して多くないので、

その自責の念悔恨の思いで書いたというのも正直なところでございます


-----------------------------------------------------------------------------------------

ビジョン社員に伝えない、ビジョンがぶれてしま

 →常にビジョンをぶらさず、口頭や文面等で全体に伝え続けるべき


②社内で社員ゆっくり話す機会を積極的にもたない

 →常に社内をしっかり見て、コミュニケーションにも時間を割くべき


③売上を生まない部門の人選や評価を軽視してしま

 →コスト部門という考え方を捨て、部毎の評価基準も別途作るべき


④周りの意見を聞かず、勢いやノリだけで意思決定してしま

 →重要決断の際にはきちんと情報収集し、しっかりと検討を行うべき


⑤派手な私生活素行の悪さ、ワークライフバランスの崩れ等を見せてしま

 →私生活でも模範となり、そのライフスタイルも憧れられるようにすべき


⑥部下からの頼まれごとの優先度を下げたり、無視してしま

 →そういう時こそ早さとクオリティで手本にされるような対応を行うべき


組織体制がころころ変わり、目標計画意味があまりなくなる

 →組織としての在り方や評価基準を設け、目標計画意識させるべき


⑧一人の担当範囲を広げすぎる、作りっぱなしが多い

 →任せる範囲をある程度絞り、個人専門性も高められるようにすべき


案件を選ばず、すぐにお金になりそうな案件や大型の案件に飛びつく

 →短期的な売上に捉われるのではなく、しっかりと案件を選ぶ眼を持つべ


⑩怒鳴り散らしたり暴力をふるう等、品のない言動をしてしま

 →感情的になることを控え、常に理性的かつ冷静な対応をすべき


採用時間お金をかけない、特にリファレルの場合は極端に人物評価が甘い

 →少数精鋭だからこそ組織とのマッチングを重視して慎重に採用すべき


社員に対して中途半端に隠し事をする、重要情報の共有が遅れる

 →できるだけオープンにし、小さなことでも即時共有できる仕組みを作るべき


新規事業の結果が出るまでに待てずに、すぐに打ち切ってしま

 →やると決めた事業には、とことん人と時間投資いて育てる覚悟を持つべ


⑭謎のプロジェクト説明不足のまま社員を巻き込んでしま

 →意思決定プロセスにも社員を巻き込み、腹落ち感や当事者意識重要視すべき


社員に対して心無い発言をしたり、無理やり経営者と同じ視点を求める

 →社員立場になって考えたり、社員感謝リスペクト気持ちを持つべ


⑯働く場所時間無駄に縛ったり、細かいルールを作ってしま

 →成果を大事にし、性善説個人自主性を重んじたルール作りをすべき


タスクの振り方が粗く、振る量を誰かに偏らせてしま

 →個人の抱えているタスク量を把握し、全体のバランスを考えて振るべき


プロジェクト単位でのフィードバックをせず、反省を次に活かせない

 →改善のための振り返り等を頻繁に行い、個々が成長できる仕組みを作るべき


⑲報告のためだけの会議や、会議のための会議をしてしま

 →情報共有のためだけの会議はせず、人数も必要最低限に絞るべき


クライアントパートナーよりも自社の利益を一番に考えてしま

 →外に対しても嘘をつかず誠実に、長期的かつ良好な関係作りに努めるべき

-----------------------------------------------------------------------------------------


もちろん経営は綺麗ごとばかりでは成り立たないですし、

何が正しくて何が間違っているか等は二極論で分けられるものではありませんが、

自身が次に経営をする時はしっかりと活かしていく所存です。

2018-10-07

大塚国際美術館に行ってきた

といってももう一月くらい前の話だ

ツアーに丁度都合が良いのがあって、両親や妹と一緒に行ってきた

話には聞いていたが、確かに広い

なんでも山を一つくり抜いて作ったらしい

まるで要塞みたいだなと思った

入り口のすぐ近くにとりあえず見ておきたかった「システィーナ礼拝堂」の完全再現コーナー(システィーナホール)がある

なんとなくオードブルとして、でかいステーキが出てきた気分である

本物とは違うというのはあるのだろうが、それでも迫力は圧倒的だ

写真撮影可のコーナーなので、スマホ写真動画も取ってみた

から見た感想としては、ああいう大きな展示を撮影する際は動画の方がよさそうだと感じた

写真ではズームすると細切れになってしまうし、引いて全体を移すとあんまり撮影する意味がない画になってしま

一つ上の階に登ると現地では見れない、側面からの鑑賞もできる

見る位置が変わるとかなり印象が変わるので、行った際はぜひそこからの眺めも見て欲しい

フラッシュを焚かなければ、写真撮影はほぼ自由

名画の前にならんで記念撮影というのはなかなか無い機会なので、思い出作りに良いと思う



これは大塚国際美術館ならではの体験だと思うのだが、あそこでは名画に酔うという経験ができる

陶酔するといった意味ではなく、車酔いとかそういう感じになる

国立博物館企画展などでメインを張るクラスの名画が、ずらっと並んでいるせいだ

昔、ベルリン国立美術館展で「やった! ついに本物が見れたぜ!」となった、レンブラント工房)の「黄金の兜の男」という絵がある

辻邦生の風の琴という名画から連想して作られた短編集があるのだが、その中で気に入っている話の一つがこの「黄金の兜の男」を主題にした話だから

まあ研究の結果、レンブラント本人が描いた絵じゃないと判明したらしいが、そんな事は関係なしに気に入っている絵だ

その個人的思い入れの強い名画が、レンブラント工房)の作品が集められた部屋では、割と脇役的なポジションに置かれている

まあ仕方がない

有名な「夜警」を始め、レンブラントとその弟子たちによる代表作が、さして広くもない部屋にぎっちり詰まっているのだ

まるで完食したら賞金が貰えるタイプのドカ盛り料理を、3人前くらい目の前に並べられた気分である

もちろん、全てレプリカから本物から感じるほどの迫力は無い

が、それでも絵の凹凸まで再現されたレプリカには、本物の何割かの迫力は備えている様に思えた

そういうコーナーがあの広い敷地に一日で回りきれない位あるのだ

名画の見過ぎで目と心が疲れるという貴重な経験ができる機会は、なかなか無いのでないかと思う

正直、めっちゃ疲れる

見るものはたくさんある、いやあり過ぎる

上がったテンションそのままに、次から次へと見ていくと、あっという間にバテる(バテた)

途中で程よく休憩を取りつつ見ていくのが良いと思う

その為に椅子がいたるところに設置されているのもありがたい

個人的には1F(エントランスがB3Fなので実質4階)にある、ピカソの「ゲルニカ」を飾っているところが休憩場所としていい感じだった

ゲルニカを前に休憩というのもなんだか変な話だが、実際そうだったのだから仕方がない



広い館内を歩き回っていると、当然ながらだんだんお腹も空いてくる

うちの家族は今年に入ってオープンしたという「カフェ・フィンセント」(http://o-museum.or.jp/smarts/index/502/)で昼食を取った

ゴッホテーマにしたカフェなのだそうだ

「まあ美術館カフェだし、味はそこそこでお値段マシマシなんだろう」とたかをくくっていた

ローストビーフサンドイッチ」×2と「ひまわりサラダと季節の野菜スープ」を注文し、大して待つこともなく渡されたブザーが鳴った

一見した感想は「あれ? 量、多くない?」であった

ローストビーフサンドイッチ」は、そのまんまローストビーフを挟んだサンドイッチ

普通に美味い

さらポテトチップス徳島名産であるすだちもついてくる

このポテチすだちの組み合わせが想像以上に美味かった

ひまわりサラダと季節の野菜スープには小ぶりなパンも付いてくる

サラダ自体ローストチキンと、ポテトサラダひまわりの種などを組み合わせたボリュームのあるもので、それにスープパンも付く

一般サラダ系のメニュー女性など少食の人向けというイメージだったが、これは成人男性でも普通に満腹になる量だった

女性場合は一つのメニューを二人でシェアする、といった食べ方の方が良いかもしれない

足りなかったら追加で注文すればいいだけだしね

うちの家族は利用しなかったがB2Fにもカフェがある

そちらはカレーを注文する人が多いのか、カレー匂いが凄かった

カレー匂いが苦手な人や、腹が減っている時にはちょっといかもしれない

1Fにはレストランもある

こちらは和食系のメニューも扱ってるみたいだった

食事関係については美術館としては、かなり充実している方なのではないかと思う

周辺にお店などが無いというのもあるんだろうけどね



ミュージアムショップでの買い物を済ませ、入り口に戻ってきた辺りで親父とも話題になったのだが、陶板印刷という技術はやはり面白い

様々な理由から本物を鑑賞する事が難しい作品、焼失などで既に失われてしまった作品をあれほど精巧再現できるのだから大したもの

1Fではキトラ古墳壁画再現する作業の様子や、実際に再現された壁画の一部なども展示されていた

また入り口付近には大塚グループ総帥(ここだけ聞くと大塚悪の組織っぽい)であり、この美術館の初代館長でもあった大塚正士氏の写真も飾られている

要はこの美術館を作った気合の入った金持ち爺さんの写真なのだが、これを見ながら親父と「うちの爺や婆の遺影をこれにできたら良いなぁ」という話になった

この陶板に印刷された写真というのは非常に劣化に強いのだそうだ

俺の祖父は亡くなってそろそろ20年近く経つのだが、その間に2回ほど遺影を作り直した

普通写真ではどうしても日焼けして、だんだん色が薄くなってしまうのだ

数年前に亡くなった祖母遺影もそろそろ作り直す必要があるだろう

とはいえ「(制作費が)結構するんだろうなぁ」となり、その話は流れた

実際のところいくらくらいするものなんだろうか



総じて言えば、てんこ盛りの美術館だった

絵画だけでなく、壁画彫刻など展示品は多岐に渡る

レプリカではあるものの、その一つ一つが名画、名品ばかりだ

正直なところ、ここまでてんこ盛りだと成金趣味的なものを感じなくはない

だが、成金趣味だとしても相当気合の入った成金趣味だと思う

他の美術館では体験できない事が色々できる

母と妹はコスプレ撮影にもチャレンジしていた

両親や妹も疲れたが大満足という感想だった

貴重な体験ができて、非常に良い家族旅行になったと思う

はてなITエンジニア

曲がりなりにもおれも同業者なので、どういう会社でどういう仕事をしてるのか

ホームページとかブログとか書籍レビューなど見てみることがあるけど、上っ面の部分しか知ることができないかもしれないけど、すげーなーって思う。

気持ちよく働ける環境を整えるとか、情報オープンにするっていう社風もすばらしい。普通情報を隠す。なかなかできることではない。

くどいようだけど、上っ面しか知らない。一緒に働いたことも知り合いの方もいないから実情は知らない。過剰に美化しているのかもしれない。嫌なとこだってあるのかもしれない。だが、会社の方々のブログなどでの発言、おれには絶対に気づけない切り口がある。ものの考え方が冴えているのはわかる。

こんなに素晴らしい場所で素晴らしい成果を出し続けてきた人たちと、同じ時代を共有しているというのに、半分腐り気味に仕事をこなしてきた自分の長い年月がとてももったいなく感じられた。

どうしたら彼らのように生き生きと働けるのだろうか?

2018-10-05

キズナアイの件、オタク普段の行いが悪い

オタク結構割合の人が性的シンボルをやたらと強調した絵に興奮したりしてるじゃん?そんでここ数年は「オタク市民権を得た!」つって結構オープンにやってたじゃん。

あれ、オタクじゃない人ずーっと顔しかめてたから。

オタクがウェイ系とかパリピとかDQNとかを雑にひとくくりに記号化してるみたいに、周りの人はキズナアイが少し足出した衣装で媚びた声出してるだけで「オタクがいつもの性的に強調したシンボルをもてはやしてる」と反応しちゃうんだよね。だってオタクはこれまでずーっとそんなんだから

お前らが陽キャに向けてた視線が跳ね返ってきてるだけなんだよ。迷惑な一部が印象に残ってみんな同じに見えてるんだよ。ファミコンプレステピコピコ、みたいなもん。肌を出して甲高い声を出してるキャラクター気持ち悪い(まあ実際不自然気持ち悪いと思う)

キズナアイが実際に性的かどうか、は関係ないんだよね。オタクのこれまでの行いが気持ちいから反射的に「また気持ち悪いことしてる…」って思われてるだけなんだよ。

IDコールとかリプと一緒だろ

ブクマカってアホだから自分の言うことに反論批判は許さないって立場なのな

どこの金正恩だよ(笑)

まあ、はてさって北朝鮮リスペクト地上の楽園扱いだから当然なのかな

お前らってもっとオープンな場で情報発信したら集中砲火受けて徹底的に論破馬鹿にされる存在だって分かってないの?

オタクとしてのスタンスの違い

 十人十色天上天下唯我独尊、誰一人として自分と同じ人間はいない。

から言われ続けているにも関わらず、やっぱり人間はどこか人間属性や種類に分けたがる。それは愚かなことである一方、経験から答えを導き出してより良くしたいという意識でもあるのだろう。

 オタク、という言葉も分類の一つだ。最近サブカルチャーへの風当たりも和らいで、オタクであることに罪悪感を感じたり、オタクであることを必死に隠したり(私個人としてはさほどオープンにはしていないが)、必死になって人権の為にオタク隠しをしなくてもよい世間雰囲気がある。そのこと自体文句も何もない、オープンオタククローズオタクに関しては、不利益をこうむらない限りは私は他人にあまり興味がないのでやりたいようにやってほしい。

 脱線が過ぎた、私が増田に書き散らしたかったオタクの種類は

短期スパンで次から次とジャンルを変えていく熱し易く冷め易い尻軽オタク

「一度ハマれば何年たとうが動きがなかろうがしつこく居座り続ける老害オタク」 のことについてである

 別に優劣を決めようという訳じゃない。だからこそどっちもマイナス印象の言葉で綴った。それにざっくり二つに分けたが、それぞれでもそれこそ長さなどで違いがある。じゃあ中間ってなんだよと言われればそれもよく分からない。全部を分ける必要もなく、でもそれでもやっぱりスタンスの違いは確実に”ある”と思う出来事が重なったので、増田に記している。

 

 私の友人には短期オタクが多く、一方私は長期オタクだ。長期オタク自分から見れば短期オタクは「落ち着きがない」「尻軽」に見える一方で「多くのジャンル雰囲気を知っている=知識豊富になることに繋がる」「好奇心の豊かさとフットワークの軽さは多くの場面でプラスに働く」という憧れも抱く。一長一短、単純な良悪でははかれないのがスタンスというものだと思っている。だから短期オタクであっても友人でありたいと思っている。思っているのだ。

 それでもやっぱり、次から次と、これがいい面白い、あれを見ろ、といわゆる「布教」をされるのは、勘弁して欲しいのだ。長期オタク気質もつ私にとっては、ジャンルにはまるということは、一生追いかけるものになることで、なんならサービス終了したソシャゲについても、あの世界観とキャラクターを愛してしまったが故に、終わった世界であってすらも追って(思い出して)いる。当然私もその時々で熱が高いジャンル、落ち着いているジャンルはある。だが、一度愛したら最後、ふとした瞬間に好きだという気持ちが止まらなくなるのだ。好きになれば手元におきたいものも増え金もかかるし、脳は一つしかない、自分が同時に考えられることなぞ少ないのだ、ジャンルが増えすぎると、困ってしまうのだ。

 短期オタクの友人は善意で進めてくる、同じジャンルにいると確かに話題を共有して楽しく話ができる相手だ。なにより友人の発想は面白く、友人でいたいと思っている。そもそも布教と言っても、不特定多数に向けて面白いよ~と主張するなら受け入れられる。でも友人である以上食事を共にしたりする、そのタイミングで直接進められてしまうのだ。時には布教をするために話しかけられたりする。一人だったら諦めもつく、複数人いるのだそういうタイプの友人が。

 進められている内容は聞くし、なにより自分の好きな内容について語る人間は得てして輝いており発言面白い。友人もこんな自分の友人をやってくれているのだ、進めようがやらないときはやらないし、見ないときは見ないと分かってくれてはいる。その時点で恵まれているとも思えるが、それでもやっぱり負担であるのだ。

 知り合いの短期オタクの中には、布教の際にかなり強い言葉を使う人間もいれば、前ジャンルに砂をかけるタイプ人間もいる、その行為はどうかとは内心思っているが、まぁ目をつぶろう。長所短所ものは言いようだし、しょうがない。

 もっと煮詰まった長期オタク人間からすれば、私であっても複数ジャンルを抱えている尻軽オタクだろう。そういう意識もある。

 でもたまに、勘弁してくれよ、と友人関係を放り投げたくなる気分になるのだ。結局投げないのだが。

 もっと上手に短期オタクと長期オタクとしてのスタンスを乗りこなしたいなぁと思う。

 はぁー、なんかいい案ない?

キズナアイ騒動千田有紀氏の文章反論してみた

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/

上記URL社会学者千田有紀氏の書いた『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』という文章

   

この日記では千田氏の文章に沿いながら反論をしていきたい。なお千田氏の文章は内容にまとまりがなく錯綜しているため、項目ごとに小さく反論していくことになる。

千田氏の文章全体像を掴みたいなら元の文章にあたってほしい。

(そもそも千田氏の文章根拠提示もなくお気持ち表明でしかない。誠実に問題点を指摘していたなら、千田氏は炎上せずにいただろうに。)

   

反論をすることができる表現の自由万歳。あとめっちゃ長いけどゴメン。でも千田氏の文章激ヤバだからできれば最後までお付き合い願いたい……。

   

以下は千田氏の文章の章の目次である

   

1.キズナアイのものに、問題があるわけではない。

2.女子理系

3.問題は性そのものではなく、表現方法である

4.「表現の自由」とはなにか?

  

  

1.キズナアイのものに、問題があるわけではない。

  

千田氏は、キズナアイ自体には特に好悪の感情があるというわけではないらしい。

そして千田氏は「このようなキズナアイ好きな人もいるだろう。思う存分、ひとりでキズナアイを愛でて欲しい」と述べている。(棘のある書き方だ。)

それならば勝手に、『思う存分、ひとりで』キズナアイ尊敬させてもらおうと思う。

自分場合は「愛でる」ではなく「尊敬」という態度を抱いている(『キズナアイ』の運営理念は「世界中の人と繋がること」だ。

そんなことを言ってしまえること、そしてそういう活動を実際にしていることが凄いと思っている)。

千田氏が想定しているような「愛でる」以外にも態度があっていいはずであり、態度は人それぞれ自由でいいはずだ。思想信条自由万歳

  

2.女子理系

   

千田はこの章において以下の六点を挙げて、NHKサイトキズナアイを置いたことを批判し次回サイトを作る時には配慮をするようにと求めている。

  

  

1)子ども対象にした

2)教育的な教材で

3)女性理系が苦手だというステレオタイプがあり

4)実際に女性の多くが理系に進まないという現実があるなかで

5)女性性的に描かれていて(ここの評価は分かれるようだが、やはり胸が強調されているのは否めないと思う。

思わないとしたら、脳内女性表象の「スタンダード」が違うのだと思う)

6)女性が相槌しか打たない補助的な役割に押し込められている

  

  

以下一点ごと見ていく。

 

1)子ども対象にした

  

千田氏が何を以て「こどもを対象にした」としているのかがそもそも不明瞭だ。

実際の対象は「キズナアイに興味がある人・こういった絵柄のキャラクターに興味のある人を対象にした」なのではないか

キズナアイの主なフォロー層は子どもではないと思われる。キズナアイ自体の話ではないが、キズナアイを筆頭に括られるVirtual youtuberは、2,30代が視聴のメイン層とされている。それを起用したのだから、その層に読まれることを狙った特集であると考えるのが自然ではないか

(ノーベル賞特に興味なかったけどこのおかげで記事全部読みましたよ。私にはキズナアイに乗って記事が届いた。)

そもそもこれはネット記事でありテレビ放映ではない。子供企画対象には入るかもしれないが、子供向けとはっきり言い切るには無理がある。

そして何よりキズナアイが載っているのはNHKNEWSWEBだが、NHKNEWSWEB”EASY”という小中学生その他向けの読みやす記事別に用意されている。

(そこにキズナアイ特集はないが。)記事の内容を比べればキズナアイ特集の難しさ、「こども向け」でなさが分かる。

 

 

2)教育的な教材で

  

前述したが千田はこの記事大人が読むことは想定していないようだ。そのために「教育的な教材」などという言葉が出てくるのだろう。

キズナアイノーベル賞まるわかり授業」と特集サイトにはあるが、授業と書いてあれば子供向け、という考えなのだろうか。

大人も授業を受けていいはずであり、「解説記事」という方が適切だろう。

たこ記事が「教育的な教材」だったとして、教育は様々な層へ届いた方が良いし、そのためのアプローチが多いに越したことはない。

こういったキャラクターを好む層へのアプローチとしては「萌えで分かる○○」シリーズなどもある。キズナアイの起用は、キズナアイが届く層へのものだろう。

また千田氏はもしかしたらNHK(公共機関)=教育的な教材=子供向けとしたいのかもしれないが、NHK子どもだけに向けた機関ではない。

また(1・(2のみから考えれば、子ども向けではなく「教育的な教材」でない場合にはキズナアイの起用は問題ないことになるのではないか

NHKが作った教育的教材でないものは多いはず。(のど自慢とか?)それにキズナアイが起用されたならば、その時は千田氏は認めるのだろうか。

性的な相槌打ちでも批判しないのか。千田氏の主張は不明瞭であり、文中に明確な判断材料は示されていない。

 

 

3)女性理系が苦手だというステレオタイプがあり

   

この箇所自体ステレオタイプ存在の話で、キズナアイ無関係だ。千田氏の実感を根拠としておく。

(もしかしたらキズナアイがそのステレオタイプ助長させるのだと危惧しているのかもしれない。だがやはり具体的な指摘は見当たらない。

わずに匂わせるだけにとどめる表現の自由行使か。もしそうなら、そんな不誠実なことをするから炎上するのだ、と言いたいが。違うことを祈る。)

 

  

4)実際に女性の多くが理系に進まないという現実があるなかで

 

現実に進む人は少ない。さらに先日医学部の大きな不正も発覚した。不平等現実にある。

 

 

5)女性性的に描かれていて(ここの評価は分かれるようだが、やはり胸が強調されているのは否めないと思う。

思わないとしたら、脳内女性表象の「スタンダード」が違うのだと思う)

  

キズナアイ性的には描かれていないなら、ここでの問題はないということになる。その場合千田氏のスタンダードは「違う」ということになるが。

ここで千田氏は評価が分かれるとしながらも、強調された胸という身体的特徴を持つキズナアイ性的ものだと見なして批判している。

このことから導かれるのは、性的に見られうる要素を持ったもの排除しようとする考えだ。

公序良俗に反しない範囲キズナアイが逸脱していて、それにより不適切になるのだとすれば、キズナアイ以上に性的に見られうる身体的特徴を持った人は、それが現実人間であっても、キズナアイよりも不適切ということになるのではないか

特集を見ればわかるがキズナアイ自身の持っている身体的特徴に関しては何も強調していない。

その属性を持っているだけで「理系から排除されるのであれば、どちらが「理系へ進む女性」への妨害になるのか。

(美形な、胸の大きな、などの特徴を持った研究者がいたとして、特集する側がそれを強調するようであるなら問題ではあるが。それは特集する側の問題だ。)

  

    

6)女性が相槌しか打たない補助的な役割に押し込められている

 

このことのみによって今回の企画批判することはできる。しかしこの時千田氏が批判するべきなのはキズナアイが起用されたことではなく、この解説の内容、台本だろう。

  

  

『このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性が立ち、きちんと受け答えをしてくれていたら、女子学生はどれだけ励まされただろうか。

今後はぜひ、研究教育にかかわる分野では、配慮をお願いしたい。』

  

  

上記の文は千田氏の『ノーベル賞NHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネット炎上中』という文章にあったものだ。

ここではキズナアイへの批判企画自体への反感が同一のものとして語られている。(そして今も主張に変化はないだろう。)

キズナアイである白衣の女であるかが重要な違いなのか。(性的フォーマルかということか。)きちんとした受け答えが重要なのか。

漠然とした提案でなく問題点の指摘をして欲しい。

たこの主張は、相槌のみをする補助的な役割を行う女性を全て排除することになる。

千田氏にはぜひ、他のこうした不平等に対して、理系分野だけでも、今回のキズナアイ騒動のように頑張っていただきたい。

(この行動によって女性の不平等が変わるのなら。割と本気で賛同はしたい。ただそれによって相槌のみをするような女性排除になるなら話は別だろうが。

そしてなにより大事なことに、おそらく千田氏はそのことを考慮していないだろうが。)

  

 

 

以上が千田氏が挙げた六点になる。

だがここで千田氏は、上記六点はただ挙げただけで、詳しい言及をすることなく次の話題に移ってしまう。

(正気か? 1)~6)が全て揃っているとき問題なのか、それぞれの観点問題なのか、何もわからない。

それぞれの点に関しても一言で済ませられるものではないにも関わらず説明を添えることもない。不誠実。)

意をくんで(おそらくこういうことが言いたいのだろうが)、公共性の高いNHKで、女性の姿をしたものが、女性役割貶めるような振る舞いをしたこと問題であると言いたいのだとしてみたとして。(そしてそれが特に女性に厳しい理系分野で。)

そうした場合千田氏の考えを想像するに、「公共の場で取り上げられてしまたことで、このキズナアイのような愚かな振る舞いを、現実の場でも女性強要するような、そうした態度が人々の間に浸透するのだ」というところだろうか。具体的記述がないため想像するしかない。

  

次の話題千田氏は、寄せられた質問(以前の文章への反応だろうか)への返答をし、そののち自身体験を語る。

千田氏の体験ハラスメントにより自身理系への道が閉ざされたというものだ。そのような状態是正されなければならないが、その責任キズナアイに求めるのはお門違いだ。

キズナアイは人々に向かって理系へ進むなとは言わない。そんなことよりもぜひ教育現場の意識改革に関して研究をしていただきたい。理系へ進める女の子が増えるのではないか

(それかキズナアイ特集がくだらなすぎて理系進むの止める、みたいな女性がいると? そうなら他人を舐めすぎでは?)

以下は寄せられた質問とそれへの返答だ。

  

  

質問

女性を励ますことも大事かもしれませんが、子ども科学に興味を持ってもらうことの方がもっと大切じゃありませんか?」

氏の返答

科学に興味をもつ子どもから女の子排除されていることが問題なのである

ぜひ、「子ども」の半分を構成する女の子に興味をもってもらいたいがゆえの、お願いである。「子ども」は男の子だけではない

 

以上引用質問・氏の返答の文字は見にくかったんで追加した。

キズナアイが起用されることによって、科学に興味を持つ人から女性排除されるのだろうか。端的に間違いだろう。(それか説明不足。)

キズナアイが起用されることで「記事から排除されるのは、キズナアイ悪感情を持つ人であるはずだ。

科学に興味はあったがキズナアイは嫌だ、という人はキズナアイノーベル賞記事は読めなくなるだろう。だがそれは男でも同じだ。

女性けがピンポイントで、さらに「科学から排除されることが納得できる説明は、上記文章の中にはどこにもない。

(だから書いて欲しいのだが、そういうことが書かれていないか炎上する。)

なお、千田氏が前回の文章でも挙げていたキズナアイ理系女性の話はもう出てこない。ここで、本当に言いっぱなしで終了する。

 

3.問題は性そのものではなく、表現方法である

本題からは逸れるが冒頭でゾーニングに関して触れられている。

性的なのが問題ではなく厳しいゾーニングがあればいいと千田氏は言う。

(キズナアイ特集ゾーニングできていなかったか判断できるのか?どれだけ子供の目に触れたのか?ネット記事が?キズナアイ性的さはどれだけのゾーニング必要なのか?)

これに関してはデータがないので自分は何も言うことができない。(向こうもデータは無いんだろうけど。)

 

 

本題に戻る。千田氏はここでキズナアイ騒動に寄せて新たな主張、表現に関する主張を繰り出す。千田氏の主張は以下の通りだ。

 

人の行うすべての表現はさまざまな意味を持ちうる。そしてその表現既存社会規範構造再生産するという意味問題になることがある。

キズナアイは「女性らしい」、現在社会で求められる「魅力」的な体つきをしていて、女性に求められる美の規範をなぞっている。

そして現在社会では女性の体は性的対象として扱われており、よって表現があるだけで女性と性の結びつきが社会再生産されていく。

 

このことをキズナアイに当てはめて具体的に書けば、

まり現在社会では、キズナアイはどうしても性的に見られるから公共の場に出てくるときは注意しなければならない、ということになる。

(ちなみに男性性的さは社会での文脈うから同じには語れない、とのこと。)

もっとはっきり書けば、規制しろ自主規制しろ、出てくるな、ということなのだろうか。

社会学者強姦神話を唱えている?マジか?

理解が足りないので本当に解説が欲しい。 

(……本当に他にやれることはないのか? これが最善手と? フェミニズムの蓄積ってこんなにも何も無い虚無なのか?)

4もこの続きみたいなのものなので一旦先に進む。

 

4.「表現の自由」とはなにか?

ここでの千田氏の主張を挙げる。

表現の自由」は重要だと思っている。国家による検閲や介入は出来るだけない方が望ましいとも考えている。

そのためには国家に介入されないように市民オープン表現について語ることが必要

からこの表現は何を生み出すのか、誰かを傷つけないか。傷つく人は何が嫌なのか。

こういう議題は議論としてどんどんやっていくべき。

あと。表現は、他者への配慮で壊れるようなやわな物じゃないよね。だからもっともっと配慮をして、配慮の効いたものを作っていこうね、それはきっと素晴らしいものから

 

以上が千田氏の主張。……最後の一行、めっちゃヤバいこと言っってんじゃん。マジか。

(そして配慮配慮を重ねた結果、その表現は、元のものとは姿かたちもかけ離れたものになっているのですね。わかります。)

 

 

……結論千田有紀氏は、バリバリ表現規制論者。積極的反論していかないと、今回みたいに延々と考え無しな表現規制論を振りかざし続ける。

表現の自由の為、反論していこうなー…。

   

あっきゅー。

2018-10-04

キズナアイ表現の自由ハラスメント

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/

この記事の「表現の自由」に対する考え方に、私は同意するところが多い。

だが一方で、表現理想的に捉えすぎているきらいがあるとも思う。表現現場でその「配慮」が、数多のアイデアを殺している現実を、私は見てきた。

記事でも指摘のあるとおり、重要なのはゾーニングだ。誰に向けた表現なのかというゾーニングが適切であれば、表現アイデアを殺す行き過ぎた配慮必要性は低くなるはずだ。

キズナアイの件は、時代の先頭を走る彼女によって、そのゾーニングがずれた結果起きた不幸な事故だろう。彼女には何の罪もないと私は考える。

ではどのようなゾーニングが適切かという議論はとても難しい。少なくとも私には手に負える気がしない。

ただ、そのゾーニングが行き過ぎれば「見たいものしか見ない社会」を助長し、本件でも見られたような意見の異なる他者に対する不寛容をより一層深刻にするだろうと予想はできる。

昨今、ハラスメント問題世間を騒がせている。ハラスメントは「嫌がらせ」という意味だが「同意のない強要」と解釈すると分かりやすい。

セクハラは「性的同意のない強要」で、パワハラは「権力行使した同意のない強要。あるいは権力により同意強要すること」だ。

話は逸れるが、というか逸れまくったうえでの極論だが、もしもバーチャル存在に魂が認められる社会であれば、見た目を貶めその存在否定する今回の意見は、バーチャル世界に生きる存在へのヘイトスピーチと言えるのかもしれない。

しかしそれはいつか未来可能性の話であって、もちろん今はそのようなものは認められない。ただ個人希望としては、私はそのような社会を夢見る。仮想的な魂のありようが、人権のようなもので守られたって良いと思う。

一方的嫌悪感表現し、相手存在のものを貶め否定するヘイトスピーチなど、社会通念上、認められない表現は当然ある。

しかし、社会通念上許される範囲表現である場合、ある特定倫理観をもって、ある表現同意なく抹殺されることがあるのなら、それは「モラルハラスメント」と呼ばれるだろう。「特定倫理観に基づいて、ある表現禁止同意なく強要する行為である

ただし、ここで注意しなければならないのは、ある意見の表明を先んじて「ハラスメントであるレッテルを貼り封殺することだ。

そのような言説は、ハラスメントであることを理由に、社会通念上認められる範囲意見の表明を同意なく禁止する「ハラスメントハラスメント」とでも言えるだろう。書いていて自分でもやや混乱してきたが、少なくとも私はそういう不寛容立場を支持しない。

Twitter創業者のひとり、ビズ・ストーンはかつて「オープン対話はきっと世界を良くする」と言った(※1)

ネット社会一部の人たちはある時期まで、意見の異なる集団がお互いに寛容の精神を持ち、建設的な議論を交わせる未来志向していたはずだ。

それは理想論に過ぎなかったのかもしれないが、理想は夢を諦める言い訳ではない。

私はかつてのWEB2.0信奉者だ。ネット空間善意に抱いた「過激な信頼」を完全に捨て去ることは難しい。

このエントリーが、寛容さについて考えるきっかけになり、世界が少しでも住みよい場所になればと祈り、こういう場所に久しぶりの投稿をした。

※1 乙武さんとビズ・ストーンの対談記事だったと思うが、記事は見つからなかった。動画も残っていないようだ。ただ、ビズ・ストーンがそのような信念をもってTwitter運営にあたっていたことは間違いないと思う。注記の付け方を忘れた

2018-10-02

anond:20181001231856

まあ残念ながらそうだと思う

ブサイクでもコミュ障でも能力があってバカにされない人、障害者でも自信を持って社会で生きていける人、LGBTオープンにしても気持ち悪がられない人、おそらく全部一握りでしかない

もちろん、その一握りにとって機会を奪われることが、本人にとっても社会にとっても紛れもない損失であるというのはわかる

しかしそれ以外の、マイナス個性をひっくり返すに足るモノを持たぬ大勢にとって、申し訳程度の機会を与えられるフリだけをされることが、果たして幸福なのだろうか

正直そうは思えない

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