2018-10-05

オタクとしてのスタンスの違い

 十人十色天上天下唯我独尊、誰一人として自分と同じ人間はいない。

から言われ続けているにも関わらず、やっぱり人間はどこか人間属性や種類に分けたがる。それは愚かなことである一方、経験から答えを導き出してより良くしたいという意識でもあるのだろう。

 オタク、という言葉も分類の一つだ。最近サブカルチャーへの風当たりも和らいで、オタクであることに罪悪感を感じたり、オタクであることを必死に隠したり(私個人としてはさほどオープンにはしていないが)、必死になって人権の為にオタク隠しをしなくてもよい世間雰囲気がある。そのこと自体文句も何もない、オープンオタククローズオタクに関しては、不利益をこうむらない限りは私は他人にあまり興味がないのでやりたいようにやってほしい。

 脱線が過ぎた、私が増田に書き散らしたかったオタクの種類は

短期スパンで次から次とジャンルを変えていく熱し易く冷め易い尻軽オタク

「一度ハマれば何年たとうが動きがなかろうがしつこく居座り続ける老害オタク」 のことについてである

 別に優劣を決めようという訳じゃない。だからこそどっちもマイナス印象の言葉で綴った。それにざっくり二つに分けたが、それぞれでもそれこそ長さなどで違いがある。じゃあ中間ってなんだよと言われればそれもよく分からない。全部を分ける必要もなく、でもそれでもやっぱりスタンスの違いは確実に”ある”と思う出来事が重なったので、増田に記している。

 

 私の友人には短期オタクが多く、一方私は長期オタクだ。長期オタク自分から見れば短期オタクは「落ち着きがない」「尻軽」に見える一方で「多くのジャンル雰囲気を知っている=知識豊富になることに繋がる」「好奇心の豊かさとフットワークの軽さは多くの場面でプラスに働く」という憧れも抱く。一長一短、単純な良悪でははかれないのがスタンスというものだと思っている。だから短期オタクであっても友人でありたいと思っている。思っているのだ。

 それでもやっぱり、次から次と、これがいい面白い、あれを見ろ、といわゆる「布教」をされるのは、勘弁して欲しいのだ。長期オタク気質もつ私にとっては、ジャンルにはまるということは、一生追いかけるものになることで、なんならサービス終了したソシャゲについても、あの世界観とキャラクターを愛してしまったが故に、終わった世界であってすらも追って(思い出して)いる。当然私もその時々で熱が高いジャンル、落ち着いているジャンルはある。だが、一度愛したら最後、ふとした瞬間に好きだという気持ちが止まらなくなるのだ。好きになれば手元におきたいものも増え金もかかるし、脳は一つしかない、自分が同時に考えられることなぞ少ないのだ、ジャンルが増えすぎると、困ってしまうのだ。

 短期オタクの友人は善意で進めてくる、同じジャンルにいると確かに話題を共有して楽しく話ができる相手だ。なにより友人の発想は面白く、友人でいたいと思っている。そもそも布教と言っても、不特定多数に向けて面白いよ~と主張するなら受け入れられる。でも友人である以上食事を共にしたりする、そのタイミングで直接進められてしまうのだ。時には布教をするために話しかけられたりする。一人だったら諦めもつく、複数人いるのだそういうタイプの友人が。

 進められている内容は聞くし、なにより自分の好きな内容について語る人間は得てして輝いており発言面白い。友人もこんな自分の友人をやってくれているのだ、進めようがやらないときはやらないし、見ないときは見ないと分かってくれてはいる。その時点で恵まれているとも思えるが、それでもやっぱり負担であるのだ。

 知り合いの短期オタクの中には、布教の際にかなり強い言葉を使う人間もいれば、前ジャンルに砂をかけるタイプ人間もいる、その行為はどうかとは内心思っているが、まぁ目をつぶろう。長所短所ものは言いようだし、しょうがない。

 もっと煮詰まった長期オタク人間からすれば、私であっても複数ジャンルを抱えている尻軽オタクだろう。そういう意識もある。

 でもたまに、勘弁してくれよ、と友人関係を放り投げたくなる気分になるのだ。結局投げないのだが。

 もっと上手に短期オタクと長期オタクとしてのスタンスを乗りこなしたいなぁと思う。

 はぁー、なんかいい案ない?

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