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2018-10-04

キズナアイ表現の自由ハラスメント

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/

この記事の「表現の自由」に対する考え方に、私は同意するところが多い。

だが一方で、表現理想的に捉えすぎているきらいがあるとも思う。表現現場でその「配慮」が、数多のアイデアを殺している現実を、私は見てきた。

記事でも指摘のあるとおり、重要なのはゾーニングだ。誰に向けた表現なのかというゾーニングが適切であれば、表現アイデアを殺す行き過ぎた配慮必要性は低くなるはずだ。

キズナアイの件は、時代の先頭を走る彼女によって、そのゾーニングがずれた結果起きた不幸な事故だろう。彼女には何の罪もないと私は考える。

ではどのようなゾーニングが適切かという議論はとても難しい。少なくとも私には手に負える気がしない。

ただ、そのゾーニングが行き過ぎれば「見たいものしか見ない社会」を助長し、本件でも見られたような意見の異なる他者に対する不寛容をより一層深刻にするだろうと予想はできる。

昨今、ハラスメント問題世間を騒がせている。ハラスメントは「嫌がらせ」という意味だが「同意のない強要」と解釈すると分かりやすい。

セクハラは「性的同意のない強要」で、パワハラは「権力行使した同意のない強要。あるいは権力により同意強要すること」だ。

話は逸れるが、というか逸れまくったうえでの極論だが、もしもバーチャル存在に魂が認められる社会であれば、見た目を貶めその存在否定する今回の意見は、バーチャル世界に生きる存在へのヘイトスピーチと言えるのかもしれない。

しかしそれはいつか未来可能性の話であって、もちろん今はそのようなものは認められない。ただ個人希望としては、私はそのような社会を夢見る。仮想的な魂のありようが、人権のようなもので守られたって良いと思う。

一方的嫌悪感表現し、相手存在のものを貶め否定するヘイトスピーチなど、社会通念上、認められない表現は当然ある。

しかし、社会通念上許される範囲表現である場合、ある特定倫理観をもって、ある表現同意なく抹殺されることがあるのなら、それは「モラルハラスメント」と呼ばれるだろう。「特定倫理観に基づいて、ある表現禁止同意なく強要する行為である

ただし、ここで注意しなければならないのは、ある意見の表明を先んじて「ハラスメントであるレッテルを貼り封殺することだ。

そのような言説は、ハラスメントであることを理由に、社会通念上認められる範囲意見の表明を同意なく禁止する「ハラスメントハラスメント」とでも言えるだろう。書いていて自分でもやや混乱してきたが、少なくとも私はそういう不寛容立場を支持しない。

Twitter創業者のひとり、ビズ・ストーンはかつて「オープン対話はきっと世界を良くする」と言った(※1)

ネット社会一部の人たちはある時期まで、意見の異なる集団がお互いに寛容の精神を持ち、建設的な議論を交わせる未来志向していたはずだ。

それは理想論に過ぎなかったのかもしれないが、理想は夢を諦める言い訳ではない。

私はかつてのWEB2.0信奉者だ。ネット空間善意に抱いた「過激な信頼」を完全に捨て去ることは難しい。

このエントリーが、寛容さについて考えるきっかけになり、世界が少しでも住みよい場所になればと祈り、こういう場所に久しぶりの投稿をした。

※1 乙武さんとビズ・ストーンの対談記事だったと思うが、記事は見つからなかった。動画も残っていないようだ。ただ、ビズ・ストーンがそのような信念をもってTwitter運営にあたっていたことは間違いないと思う。注記の付け方を忘れた

 
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