はてなキーワード: ビジネスマンとは
何年も前の記事だけど、ふと思い出して訳してみた。
ノーセックス・イン・ザ・シティ:日本に住む外国人女性の気持ち
Reannon Muth
「女性教師に長くいてもらうのは大変なことなんだ。」東京で英語教師になって初出勤の日、私の上司はこう告げてきた。「大抵の場合、6ヶ月以上はもたない。」私は驚いて、登録教師のリスト(30人―全て男性)から目を上げた。
「いや。日本で、という意味だ…。」彼は肩をすくめた。「東京は独り身にはつらい街なんだ…西洋人の女性にとってはね。分かるよね…。」
彼の後ろの壁にかかっていた写真をちらりと見た。四人の中年の白人男性。みんなひげを生やして禿げかかっていた。同じような歳の取り方で、垂れ下がった髪がメタリカのメンバーに似ていた。そして全員が、モデルのようにほっそりした身体の、厚化粧をした美人の日本人女性に抱きつかれていた。
問題を抱えることになるとは思えないけど、と私は思った。
私が魅力的な美人だったからそう思ったのではない。私は美人からは程遠い。スリムで中背、薄茶色の目とそばかす。良く言えばかわいい、悪く言っても並程度。でも私は競争相手が持っていないものを持っていた。長くて自然なウェーブのかかったブロンドの髪。その上私はバイリンガルで、旅行にも慣れていて、大卒だった。
でも日本に来てから数週間の内に、不可解なほどに、もどかしいほどに、自分自身が透明人間になっていることに気がついた。
スターバックスのかわいいバリスタ達は私に見向きもしなかった。自転車に乗ったビジネスマン達は私を無視して走り去っていった。大学生達はボソボソと謝りながら急いで私から遠ざかって行った。天気のことを話したり、道を聞いたり、何か話すきっかけを持とうとした時はいつもこうだった。彼らは挨拶すらしてくれなかったのだ。本当に。
「積極的にならないと。」と日本人女性の友達はアドバイスをくれた。「日本の男はシャイだから、あなたから行かないとダメよ。」だから私はバーでもバスでも、男性達には誘いかけるように微笑んだ。レストランのメニューや、地下鉄の案内の読み方を聞いたりした。
「何かおすすめの本/ドリンクはありますか?」本屋で隣に立った時や、バーで隣に座った時には、このおなじみの台詞で男性達に尋ねていた。でも魅惑の眼差しや会話のきっかけなんてものは、相手が私を見てくれなければ効果がない。彼らが私と完全に目が合うのは、うろたえた表情を向ける時だけだった。まるで「私が将来産む子供達の父親になって。」と、たった今私がお願いしたかのような表情だった。上司が言っていたことは正しかった。独り身の西洋人女性が日本に住むのはつらい。でもどうしてなんだろう?
アドバイスを求めてインターネットを見てみると、デートできない西洋人女性というのは国外居住者の間ではおなじみのキャラなのだと知って驚いた。国外居住者が集う掲示板での、孤独な独身女性の書き込みの多さを見た限りでも明らかだった。
深刻な問題のように思えたのだけれど、多くの女性が話すのをためらっていた。議論するには難しいテーマであるのも無理はない。その国の50%の人たちを極端に一般化することになるし、より悪く言うと、レイシストか男嫌いの俗物女のように思われてしまうからだ。
国外居住者と日本人との間で同じように広まっている見解なのだが、実のところ日本人男性は西洋人女性に魅力を感じてはいるのだ。付き合うために行動する度胸がないだけで。国外居住者達の間では、アジアにいる西洋人女性はジェニファー・アニストンのようなものだった。強くて、自立していて、積極的で、はっきり物を言う。遠くから見とれるには興味深い存在だが、実際に話しかけてみようとする男性はいない。西洋人女性は違いすぎて、異国すぎて、デートの相手にするのは事実上不可能と思われていた。
Y染色体を持つ国外居住者達にとっては話は別だ。女性の国外居住者達が土曜の夜を一人で、ラーメンのどんぶりに涙をこぼしながら過ごす一方で、男性達はキープしている女性達と我が物顔で飲み歩く。彼らはそうやって過ごしていた。
アジアに行ったことのある人ならば、弱々しくてガリガリに痩せたベトベトの髪の白人少年が、完璧にメイクしてミニスカートをはいたアジア人の女の子と手をつないで歩いているのを見たことがあると思う。こんなことは世界の他の地域では決して起こらない。アジア以外の場所では、バービーはケンと結ばれることになっている。不完全雇用で人付き合いの苦手な、日本刀コレクターの隣人、ケビンとではないのだ。でもアジアでは、デートのルールがあらゆる論理や進化の法則に反している。アジアでは、オタクは王様なのだ。
立場が違っていたらよかったのにと願ったとか、そういうことではない。ほとんどの場合で、私は彼らを喜ばしく思っていた。彼らは自分の国にいた時にはデートの予定を書き込むこともできなかっただろう。でもアジアでは高嶺の花を勝ち取ったのだ。彼らはまさにサクセス・ストーリーそのものだ。魔法の抜け道を使って、有利な条件の元で高根の花とデートしているとはいえ、誰がそのことを非難できるだろうか?西洋人女性にとってのそのような涅槃の地が存在するならば、きっと私もそこへ移住するだろう。
時折、カップルを見て「彼女は本当にあの男と付き合っているのだろうか?」という疑問がかき立てられることはあったが、なぜ日本人女性が西洋人男性を(オタクっぽいのでさえ)魅力的なデートの相手候補と見ていたのかを理解するのは簡単だった。彼らは一つの物事に対して、真っ直ぐで広い心を持っていた。彼らはメガネ越しの西洋の目で、恋愛関係を対等な協力関係として見ていた。それは、昔ながらの了見の狭い日本人男性には、まだできていないことだった。西洋人男性達がガールフレンドを大切に扱って、お互いが二人の関係に満足しているのを見て、それが分かってきた。彼らの思いがけない行動や奇妙な言葉遣いが、翻訳で多少失われて、伝わらなかったとしても何の問題があるだろうか?社交的でない人も、愛し愛されてしかるべきなのだ。
でもうらやましいと感じないようにするのは大変だった。私が毎週末、クラブのダンスフロアに一人で立ち向かっている一方で、バカっぽい外国人男性達が上手にナンパして電話番号を交換し、最初のデートの予定を決めているのを見た時は、特につらかった。彼らは駄菓子屋ではしゃぐ子供達のようだった。日本人女性はグルメ向きのトリュフチョコレート。一方で西洋人女性は、容器の底に溶けてこびりついた三年物のトッツィー・ロール。日本人男性達はたぶん私達に気後れしていた。外国人男性達は私達を気兼ねなく無視するだけだった。
でも私は出会いを求めてアジアに来たわけではないのだ。いつもそう自分自身に言い聞かせていた。ここに来たのは、日本語をマスターして、自分の国とは大きく異なる文化を楽しみたかったからだ。でも生活を日本に移すことが、恋愛生活を故郷に置いてくることを意味するとは予想もしていなかった。東京での生活を存分に楽しんでいたとはいえ、公平な取引だったとは思えなかった。
外国人女性の恋愛には成功話がほとんどないと言っているわけではない。知人の何人かは日本に来た後、夫または婚約者を連れて帰国して行った。でも彼女達は少数派だ。ほとんどの西洋人女性は一人で日本に来て、ずっとそのままだった。
とある金曜の夜、仕事からの帰り道の途中、自分がもう日本に九ヶ月いることに気がついた。この逆境に打ち勝ったことを内心喜んだ。上司が間違っていたと証明したのだ。でも重い足取りで帰宅し、『The Office』の再放送を見ながらセブン・イレブンの寿司の残りを食べるという、いつも通りの夜を過ごしていた時、何のために頑張ってきたんだろうと疑問に思った。魅力がなくて、誰からも求められない、最低で、女性扱いすらされない。ずっとそう感じてきた。短いスカートをはいた時や、ぴったりとしたトップスを着た時でさえ、男性達はちらりと見るだけだった。いやらしい目を向けるような建設作業員でさえ、私に対しては退屈そうで無反応だった。自分が火星人になってしまったように感じた。そしてすごく、すごく寂しかった。外国人女性達を、デートのチャンスがある輝かしい境地へ連れて行ってくれる最後の船に乗らなかったのは、もしかすると間違いだったのかもしれない。
元記事:No Sex in the City: What It's Like to Be Female and Foreign in Japan - Vagabondish
それです。ついでにいうと、穴モテありきな戦略に走ってる人に限って穴モテ狙いの男を批判して『私、こんな経験あるんやで』が多すぎるから『節子、それ経験やない!ただの消費行動や』と三沢文也a.k.a.青二才さんが追加
>言ってる意味が全然わからないんですけど「穴モテしてるだけの、たいして恋愛経験のない女が偉そうに恋愛論を語るな」ってこと?
君のリクエストに最大限お答えして、はあちゅうの記事なんかとは比べ物にならない程のゲスさと、両名へのIDコールまでやったら、僕は色々な意味で期待してたアオヤギさんからブロックされて軽く凹んだよw
男の友情を優先させすぎると、そのせいでモテなくなるから程々にしておこうと思った。一応、ちゃんと読めばちゃんと中身があるし、今のインターネットをきっちりと切り取った記事を書いただけに、すごく聡明な彼女からブロックされたことに「え?」とはなったけど…落ち度は僕にあるしなぁ〜
あとさ…あの記事って、そもそもゲス女系にシンパシーのある女性が読めば、
「あなたがモテないのはあなたが気持ち悪いから」の法則で、論理が正しいとか正しくない以前にレトリックで「ああ、こいつはコンプレックスの塊だからそこから女を批判してるんだ」とか議論をすり替えるのよね…つまり不毛
アオヤギ・トイアンナ両名にツイートされてからついたブコメが「青二才は童貞」「コンプレックスの塊」だといった資質を問う声があるわけだが…童貞ではないけど、経験が少ないからあんまり恋愛の話をしないようにしているんでしょ?
まして、人の恋路にアドバイスできるほど僕は上手じゃないでも、上手じゃないからこそ「いい理論があればうまくなりたいなぁ〜」と思って、本や記事をぐらい読む程度には興味はあるわけさ。でも、その大半は自己肯定欲の低い男性を説教して安心させる記事か、女性同士の世間話をメディアに載せただけ
「泣けば許されると思ってる女がいる」
とまでは言いません。ただ、ゲスなことを言うだけ言って、支持するだけして、そのことを批判された時に「私が悪かった」感が一ミリもないはあちゅうとか峰なゆからへんのひとを見てたら、
「【女の子いじめたらかわいそうでしょ】待ちなんだなぁ〜」と。
一応、二村ヒトシメソッドと、恋愛工学の理論を重ねながら語ったのは、(当然ながら男女問わず、)ある程度理屈っぽく考えられる人なら「二村ヒトシの言い方でたいていのことは批判できるし、(著書を読んでいる人なら気づいたと思うが)都合のいいように出し入れできれば、無敵の論法」と気づくため
ただ、僕はいわゆる「ゲス女」にイラッときた時に言うのはコンプレックスというよりも、自分の母親がバブリーな価値観に染まって、早々と寿退社した分際で、男の趣味が昭和から出てないのに、それを押し付けられて子どもの時にすげー迷惑したから。そういう女が増えると僕が生きづらくなるんよ…
ただ、自分の中で「子どもの時にされてすごく嫌な思いをしたことをしてる女を増殖させる出版社や二村ヒトシは大半の人が生きていくのをしんどくする」と思って言えば言うほど…僕の身の周りの女性の自己肯定を低くしちゃうんだよなぁ…。
いや、僕も男は99.99%死ねばいいと思ってる派だけどさ
僕は「男は競争に勝って1万人に一人にならないと幸せになれない」と思ってるけど、女性については「考える事をめんどくさがらなかったら幸せになれる」と思ってる派なんですよね…。意外とわかってもらえないというか逆に取られがちだけど
僕が男の人に「好きなことを大事にしよう」だの「楽しめ」だのと言うのは、競争の勝ち負け、モテとお金のあるなしを幸せの基準にしちゃったら、男の大多数は競争に負けて幸せになれないから。
女性に対して「考えるのがめんどくさいからって共感できることに乗っかってない?」と言うのも、逆
ただ、僕に近づいてくる女て、僕が「考えるのがめんどくさって共感できそうなことを言う人」じゃない代わりに、僕と同じように「私の性では1万人に一人しか競争に勝ち抜けず、そういう人しか幸せになれないから大半の人は死ぬか、生きている以上最大限の現実逃避をするしかない」的な人なんだよね
で、僕はすごく話があって心地よいんだけど…ただ、あまりにも僕に都合が良すぎてと言うか、自己肯定欲が低すぎて「趣味があるから生きてるけど、それがなかったら死んじゃうんじゃないの?」という女の子とばかり会うのよね。心の穴の一致?うん
「遊んで暮らしたい」じゃなくて、「遊んで暮らし」ます。ビジネスマンのマッチョイズムとか、キッチリ感がないから、とことんちゃらんぽらんかつ現実逃避して凡人らしく生きます。そりゃ、マネタイズのことは考えるけど、お金について考え過ぎると病むからあくまでもほどほどに。
最近の交友関係見てると、男の方はいい意味でも悪い意味でも現実を生きてないか、社会舐めてるかで競争自体を拒否してる人にいっぱい会う。
YouTuberとして「好きなことで、生きていく」なんて現実的な夢ではないという話はまぁあるとして、それより、既に食えている(と思われる)トップクラスのYouTuberたちが、果たして「好きなこと」で食ってるのかってのが気になる。
なんか、佐々木あさひとかバイリンガールとかは、まだネタが一貫してるから分かるんだよね。
よくわからないのが、瀬戸弘司とかKAZUとかはじめしゃちょーとか、まあ他にも色々いるけど、総じて「昔はすごく個性的で面白いチャンネルだったのに、気付いたらみんなマイクラとスプラトゥーンの実況で再生数稼ぎをやってる」みたいなのがすごい残念に思える。
シバターも、以前は「YouTuberってのはしょうもない存在で、結局みんな商品レビューやってるだけ」みたいな冷水を浴びせる役をやってたわけだけど、結局お前もパズドラ実況とかやっとるやんけ。
彼らが彼らなりに商売で成功しているとすれば、それはそれで凄いと思うし、逆にイマイチ儲かって無かったとしても「じつは大して儲かってなくて安定もしてなくてヤバイらしいぜざまぁwww」みたな気持ちにもならない(そういうのを言いたくなる人も多いみたいなので一応断っておく)。
俺は単に、チャンネルから個性が失われて行ってるのをみて、なんか寂しいなぁと思うだけ。
「知る人ぞ知る、ネット上の有名人」みたいな人が、無償または小遣い稼ぎ程度でネットに上げているコンテンツに魅了されるという経験は、90年代の終りからずっとあった。
昔(YouTubeとか出てくるよりも前)はネット上のコンテンツに広告収益が流れる仕組みとかあまりなかったから、長続きするわけでもすごく有名になるわけでもなく、しばらくすると忘れられるって感じだった。それが最近は、カネが流れる仕組みが確立されてきた結果だと思うけど、忘れられるというよりは「ある程度以上有名になって、みんな同じことをやるようになる」というパターンになったんだなと実感した。
俺が初めて「YouTube内有名人」みたいな人がけっこういることを知ったのは2012年ぐらいかなと思う。あまり正確に覚えてないけど、遅いほうだろうな。それまではYouTubeってもっとカオスな場所だと思ってたんだけど、企業や有名人のチャンネル以外にも「みんなが見てる有名なチャンネル」ってのがあるのを知って、へぇ〜と思った。
その頃俺が面白いなと思って見てた動画も、結局は「デジカメとかパソコンの商品レビュー」が多くて(上に挙げた人たち以外では、例えばジェットダイスケとか秋葉仁とかな)、これもまぁ、海外の人気YouTuberたちが確立した「手軽に稼げる、パターン化したコンテンツ」ではあったんだけど、それでも今よりは面白かったんだよね。
瀬戸とかKazuとかも、昔の動画はけっこうガジェオタっぽくて良かったんだよ。それが「商品レビュー」というお手軽パターン化の一種であったとしても、ある程度のヲタ臭があることがギリギリ、面白さを支えていた。
それがマイクラ実況とかやりだすとね、なんかもう、「いやお前らべつにそれそんなに興味ないっしょ?」感がハンパない。
スプラトゥーン実況とか流されても「お前らぜんぜん上手くねーし」って感じで、存在意義がない。
ちなみにHIKAKINは、俺がその存在を知った頃にはすでに小学生向けの今の路線だったので、最初から面白いと思ったことがなく、変化はあまり分からない。
そういう意味では、なんだかんだでHIKAKINが「手軽に稼げる、パターン化した動画」の日本におけるパイオニアで、他のYouTuberが追随したって感じなのかな?でもHIKAKINだってもともとは、ヒューマンビートボックス動画で有名になった人だよね。それらいつのまにやら、お菓子を食べた感想とかゲームのプレイ映像で食う人になってるわけだ。
あ、そういえばビートボックスで思い出したけど、HIKAKINと違ってビートボックス動画を一途に継続していて好感を持っていたdaichiも、いつの間にかゲーム実況チャンネルを開設して、マイクラとスプラの実況やってたわ。なんなんだよほんとに・・・。
とにかく最近のYouTuberの活動をみてると、「ヲタがヲタじゃなくなっていく」過程でしかなく、それって「好きなことで生きていく」とは真逆なのではないのかと。
以下追記。
ブコメの論評がけっこう面白いので、みなさんあわせて読んでみてね。「文句あるなら見るな」みたいな不毛なコメはなく、みんなけっこうネット上の草の根コンテンツを愛しているんだなということが分かってよかった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160410104626
>ニコ生みればいいじゃん
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/algot
それ真理。
>固有名詞が全然分からない。そんなにみんなyoutuber見てんのか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/aoi_tomoyuki
実際そんなにみてないと思う。俺は社会人だけど、ビジネスマンでYouTuberの名前出して分かる人ってほとんどいないわ。
渋谷に看板出したりテレビCMもやったりしてる割には、「YouTuber」という人種は世間一般にはまだ知られておらず、そういう意味では「知る人ぞ知るネット上の有名人」みたいな位置づけは変わってないとも言える。
ただ、UUUM所属のYouTuberが典型だけど、ここ2年ぐらいで急激にチャンネル登録者数が伸びてはいるね。あと、ゲーム実況者に関しては、小学生はけっこう知ってたりするな。子供はけっこう、親のスマホをいじったりニンテンドー3DSとかWii UとかでYouTubeみてるので。
>テキストサイトの管理人がライターになれた時代があったように、ああいうのって先にパイを占有できた人たちの早い者勝ちなところあるよな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/natu3kan
>先行者利益で食える一部の層がいるにすぎないからなぁ。そういう意味では最初に飛び込んだ人らは動画作成が趣味みたいな人々だったのだろうから好きな事で生きていくってのはあながち間違いではなさそう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/kirifuu
俺の印象では、2010年以前のYouTubeって、テレビなどの著作物の無断アップロード動画を探すときが典型だけど、話題で検索してひっかかった動画をみていくってのが基本だったと思うんだよね。そういう時代から、自分が登場する企画動画(昔は「ビデオブログ」なんていい方もされてた)を定期的に撮り続けて自分のチャンネルを育て、登録者を増やしてきたのは立派なことだと思う。
あと、成長したチャンネルをみてて一様に言えるのは、とにかく継続力が凄いってこと。毎日とか週に数本アップし続けるのって、やっぱ大変だと思うんだけど、それがないと登録者数は伸びない。
>テレビが辿った道そのままなんだな。深夜で尖ったことして人気出てゴールデンでつまらなくなるアレ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/htnmiki
まさにそれ。
>瀬戸弘司は「動画撮って編集してみんなに見てもらうこと」が好きな人だと思うので、ゲーム実況も分かるかな。Kazuは視聴回数が上がりそうなことを試行錯誤してるんだろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/Desperado
瀬戸の編集はすごいよね。あれがあるから、まだ職人芸的な見どころを感じる。
ゲーム実況をdisるようなことを書いたけど、瀬戸のマイクラ実況は演出がきいてて(劇団員だしな)、面白い部類であると認めざるをえない。子供がよく見てるから俺もたまにみてる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/kasanova10
ワロタwしかしセイキンもいまやチャンネル登録者160万人だぜ。
バイリンガールがあのクオリティで登録者50万人しかおらず、セイキンはあのクオリティで160万人もいる。これが今のYouTubeだ。
>PDRさんを見なさいPDRさんはシバターみたいに毒舌だけじゃないし編集凝ってるし一人コント面白いし英語の勉強にもなるしイケメンだし面白いしアンチuuumだからみんなPDRさんを見なさいPDRさんを見なさい(洗脳)
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160410104626
PDRさんはPDSとも違って、クオリティにこだわりあるし、時流に媚びない姿勢がよい。
しかしなんというか、ネタがあまり個人的に興味ない感じのが多いから、頻繁にチェックはしてないな。
去年ぐらいにあった、「バイリンガールが教えてくれない英語」みたいなタイトルでFuck!の言い方を何通りも紹介してたやつとかは、10回ぐらい再生した。
>この人はyoutuberが好きなんだな
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160410104626
ええ、好きですね。
>youtuberさん は好きなことで生きて行ってないかもしれないけど エンジニアさんは好きなことで生きていけてる人が多い印象
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/kuxumarin
悪いがそれは幻想だ。
パナマ文書事件でパナマやケイマン諸島の租税回避地で、税金逃れの企業や金持ちがいるって怒ってる人がいるけどさ。
鳥取県が人口減少なんで、転居届出したら税金無料にします。って言ったら、ビジネスマンなら、それ名案だって普通考えないかな。
もちろん、お金が賄賂だったり、地元で税金もらってる政治家がやったらマズいけどね。
じゃあ、『ふるさと納税でこれだけお得』ってやってるけど、何の関係もない地域に、損か得かで税金渡す所決めてる人達は別にいいのか。
税率は国ごとに決定権があって、そういうスキームがあるんなら、まずそっちをなんとか是正すべきじゃない?
テーマパークで金持ち優先レーンがあったら『そんなのフェアじゃない』って言ってもしょうがないでしょ。優先無料レーン作ったヤツに言わないと。
まぁどうにもならんと思うけど。
うすら寒さがヤバい
10年後の日本よりも
ダサくなれって言われて何で裸になればいいと思ってるの?
裸ネタなんて散々他所でも、いやLIG内でも使い倒したネタじゃねーか
何を伝えようとしてるわけ?
これが糞まじめな政治をテーマにしてる記事ならまだ温度差で笑える可能性あるよ
そういうメッセージを伝えたいのなら分かる、すごく伝わってくるよ
でもこれ、
頑張っちゃいました、
ダメだししてくださいとか言いつつ具体的にこのテーマから何も自浄作用が立ち上がってない
ダサくなろうともしない、かといって面白いことをしたくもない
つまりこれ完全に
「うちら儲かってるから、お前らがつまらないっていくらいっても屁でもねーから
その証拠にこんなテーマでつまらない記事書いてもノーダメだってこと教えてやるよ」
って売られた喧嘩に唾吐いてるってことでしょ
これつまり自他ともにもうLIGブログが面白いものに戻ることは永久に不可能だって認めてるってことなんだよな
金持ってて長文垂れ流してビジネスマン気取ってる中年にしかウケそうにない記事を垂れ流して
でもこれミドル層が仕事から卒業した後はどの世代に指示してもらうわけ?
ましてや意識高いフリして実の無い記事なんて誰もシェアしないぞ?
今LIGを支えてるのは「LIGを製作会社としてイケてる企業と認識しないといけない」という暗黙のルールが蔓延してるおかげ
技術者集団になったところで…いや目指したところでGoogleやアップルどころかニコニコにもYahooにも勝てないだろ
あと何回「去る者は追わず」とか負け犬の遠吠え吐きながらハンカチ噛むつもりなんだ?
そうやってスカしてるから人が居なくなるのにまだ気づかないのか
一流になるまでいったい何百年かける構想なんだよ、その間にLIGに社員残ってんのか?
たぶん廃業するときの台詞も最高にスカしててカッコイイんだろうな
あと会社としてヤバい兆候だが過去実績とかまとめだした当たりもう末期だよ
前のLIGなら過去実績まとめる時間があれば面白い記事をその時間で書いてただろ
年間報告とかじゃなくて素で実績紹介して、それで面白いブログ書けます?
誰が信用するんだよ、無能な担当者しか依頼しないからこんなん見ても
これにも気づかないとか
俺の好きだったLIGは消えたし
LIGの特色も消えた
俺の中でLIGはLIGで無くなったしLIGである必要性も失った
この事実にLIG自身が、周りが気づいたときにはもう後戻りできない
今この瞬間限りで興味を完全になくすことにする
この痛ましい事件に対して、学校の対応がずさんだったとか、担任の仕事が雑だったということで、担任の氏名まで挙げて袋叩きにしているネット上の風潮が非常に残念だ。
もちろん、生徒が自殺に至ったことが悲劇であるのは疑う余地もないし、その原因が、担任の不適切と言われる対応やそれに至らしめた学校の体質にあったことも事実だろうと思う。
ただ、担任教師や学校を袋叩きにし、当該教師が教育現場を離れたり、校長以下管理職がひたすら謝罪した上その地位を追われたり、学校単位で何かを変えようとしたところで、そのことにはほとんど何の効果もなく、またどこかの学校で同じような悲劇が起きるだけだということを警告したい。
公立小中学校というのは、民間のブラック企業も真っ青のブラックな職場だ。
まず、授業とその準備や試験の採点、授業内外での生徒指導、学校行事の企画・運営など教師としての本来の仕事に所定の労働時間のほとんどが費やされる。
教師が担うべき本来の仕事に加えて以下のような多種多様な仕事をこなさなければならない。
など、企業ならそれぞれ専門の部署やスタッフを置くような仕事を教師が全てやっている。
おまけに、たまの休日に街を歩こうものなら子どもや保護者に出くわし呼び止められ、とても気が休まらない。
例えばあなたは食品メーカーに勤めているとする。あなたは営業部に配属される。
あなたは営業部に配属されていながら、製品開発、社員の教育・評価、消費者対応、広報、法務にいたるまで社内のほとんどすべての種類の仕事も割り当てられるのだ。
おまけに消費者はあなたの名前も顔も知っていて、街を歩けばあれこれと要望や文句を聞かされる。
教育現場の話に戻る。
このような状況で過度の長時間労働が常態化する一方で、自治体の予算次第では残業代も休日出勤手当も出ず、まるで多少謝礼の出るボランティアのようになっている。
組織の士気が下がり、仕事の質が下がって当たり前の日本の教育現場。
結局、教育に割く予算を増やし、教師以外にも必要な職員を適切に配置することで教師が本来の仕事に集中できるようにすること以外に根本的解決策はない。
1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。
住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。
朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。
結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車やタクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバスが横断歩道の手前に停車してくれた。
3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔でバスの運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。
自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。
つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。
出産費用にはじまり、医療費に教育費はもちろん重くのしかかる。
家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。
年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。
子どもを育てるコストを負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。
問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。
成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。
となれば、椅子取りゲームで競争に勝ち、立場と給与を力づくで手に入れるしかない。
勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。
そしてその競争に参加するには、子どもの存在は重たい足かせになる。
家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子どもに時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事を効率化する。
だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。
子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。
この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟と実践を要求する。
この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。
では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。
私たちの親世代で一般的だったように、企業戦士と専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。
答えはノーだ。
なぜなら、私たちの親世代と私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。
かつて、日本企業は滅私奉公を要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。
そのしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。
今は違う。
主たる生計者が期間限定の雇用に甘んじている状況は珍しくない。
正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。
どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。
競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金を必要とする子どもたちに応えるためだ。
そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。
数が足りない認可園に入れないリスクに対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。
秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考のポイントを加算するためだ。
11月生まれで1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所に入園できれば、私たち夫婦の収入でも対処できる。
本当は4月や5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年も仕事を離れることになり、復職のハードルが高すぎる。夏から翌4月までをシッターで乗り切るのはあまりに経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。
結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。
そこまでして復職しても、いわゆるマミートラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。
「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。
同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。
それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。
誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。
保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。
ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。
行政が提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービスも活用している。
そこまでしてでも、母親が正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。
少なくとも私はそう考えている。
母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。
そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。
誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。
ひとり、あるいは複数の人間を新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。
それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから、自己責任の範疇である。
費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。
それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。
もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故や病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。
ここまでは、物質的な話だ。
子どもを育てるには、物理的金銭的に大変な努力が必要なのはもはや否定できない。
次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。
公共交通機関に子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。
冒頭、娘が呟いたように、横断歩道をゆっくりとしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。
必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。
それでも、子ども連れでいることで向けられる世間のまなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。
一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから、安全を確認するまで辛抱強く待つ。
走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。
もちろん、指定席を子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。
大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。
飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。
万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。
だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両のデッキも自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。
一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。
子が公共の場所で泣かず、疲れたとわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。
容赦なく投げつけられる批判のまなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。
自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。
仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。
本当に幸せなことだ。
川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。
だが同時に、ひどく不安にもなる。
私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?
家族の健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来を保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?
身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。
本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。
仕事に集中し、結婚も出産もしなければ、私がとるべき自己責任の対象は私1人分でよかったはずだ。
ただ、保育園に子どもをいれられなかった親が怒り、子どもの障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。
今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲を子ども全員にまで広げるということだ。
それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。
…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。
だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティでしかない。
私たちは誰もが自分の幸せを自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。
子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判にさらされることが増えると覚悟してほしい。
それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクやペナルティを度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。
私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。
まだまだだな、と思うばかりである。
今年の卒論・修論が一段落した.そこで思うのあるが,研究室で学生をみていると,学部・修士・博士を問わず,研究(者)に向いているかってのは,かなり簡単に判断できるよな.研究者として就職できるかってなるとまたコネなど色々な要素が関連してくるので一概にいえないのだが,たとえば「こいつにファースト(筆頭)で論文を書かせて査読を通せそうか」あるいはそういう人間に成長しそうかってのはけっこう早い段階で分かる.
論文の元となる調査や実験そのものには失敗がつきものなので,卒論や修論の研究が頑張った割にいいものにならないってのは,運の要素もある.しかしそこはおいといて,「そこそこ意味のある調査結果が得られた場合に,通るんじゃないかと期待を持てる論文を書けるかどうか」は,レポートやプレゼン資料や論文を書き上げる際の態度みたいなもので,かなり判断できるのだ.
その態度というのは,昔から言われている平凡な真実なのでわざわざ言うほどのことでもないんだが,結局のところ研究の目的,つまり「何を明らかにしたいのか」をしっかり考えているかということに尽きる.要は「問い」がしっかりしているかどうかということだ.
の2点な気がする.「問い」が明確に定義されているかどうかってのも大事なのだが,それは結局,先行研究を掘っていく中ではっきりしてくるものだと(少なくとも俺が関わっている分野では)言えるので,上記2点をみていればだいたい学生の資質は分かる.まぁ,見ていればっていうか,自然に見えてくるものなので,特に頑張って見極めようとしているわけでもないんだが.これらは,「目をみれば分かる」というと文学的すぎるがそれに近いものがあって,ちょっとした会話やメールの文面なんかにも如実に現れてくる.
それで最近思ったのは,上記2つの態度は,指導してもあまり変わらないんじゃないかということだ(もちろん人は変わることがあるので,見切りを付けるのが早過ぎるのも問題だが,多くの人がイメージするよりも早い段階で,簡単に見抜けるもんですよということをいいたい).
先行研究で既に明らかにされていることは何で,いま自分が取り組もうとしているテーマは先行研究からの文脈上にどう位置づけられるのかが「気になる」かどうかというのは,かなり「性格」に左右される問題なんじゃないかという実感がある.真面目な学生であれば,調べろと言えば調べるのだが,言われなくても調べるorまだ調べて無いけどこれから調べなきゃという意識を自分で持っている学生と,そうでない学生の間には,大きな壁がある.
また,「問い」が切実であるかどうかというのも,結局は「本当のところどうなのかが気になって仕方がない.だから考える」「人がまだ考えていないことを俺が考えて明らかにしてやりたい」という,ほっといても調査や考察が加速していくような「性格」を持っているかどうかで,ほとんど決まる.
勉強が好きで,「研究者」という存在になることそのものへの願望が強い学生であったり,非常に優秀で要領の良い学生であったりしても,上記2つの「性格」を本当に持ちあわせていない奴はけっこういる.そういう奴には,民間企業や,役所(事務官・技官を問わず)への就職を勧めることにしている.
たとえば,とても「知的」でしっかり教科書などを読んでいて,「研究」という活動に憧れを抱いているんだけど,自分の頭で考えたことが何か素晴らしいものであるとの思い込みが強く,他人の研究を参照する努力を怠ってしまう奴がいる.少し調べると,自分ごときの思いつきなんていかにショボイものであるかとか,すでに30年前から議論されているのだというようなことがすぐにわかるのに,それをやらない.
また,めちゃめちゃ頭がよくて努力を惜しまないのだが,何か本質的なことを「明らかにしたい」という願望を強く持っていない奴がいる.そういう奴は,たとえば大手のコンサル会社などに就職すると,極めて有能なビジネスマンになっていたりするのであるが,研究職には全く向いていないのだ.
たとえば東大の学部から大学院に来た学生は,地方の国立やそこらへんの私大出身の学生よりも優秀なことが多いのであるが,上記1と2を持ちあわせない東大生は,結局のところ研究者としては,それらを持ち合わせる他大出身者にかなわないのだ.東大生や京大生は,不向きな道に勘違いして進んでも,脳のスペックである程度まで押し切ってしまうことも多いのだが,どこかで壁に当たるというか,研究に飽きてしまうようなことも多いように思う.(しかしなんだかんだで,旧帝大出身者のほうが,上記1と2を持ち合わせる学生が多いような印象はある.頭がいいけど研究者として使い物にならない学生は,上位私大に多いかな.)
※注記しておくと,オボ何とかさんみたいなのはそれ以前・以外の問題を色々抱えていそうなので,あまり興味がない.
それで,他の大学や研究室の教官に言いたくなることがよくあるのは,研究者としての見込みの無いやつに,研究者としての自分のやり方みたいなものについてくることを過度に期待するのはやめたほうがいいでしょということだ.学生本人がどんだけ優秀であっても,どんだけ「研究者」にあこがれていても,向いてない奴には全力で「民間就職」へ向けて頑張らせるべきだ.大学や大学院は研究の場であり,研究者としての姿をみせるのが仕事だと思っている教授・准教授は多いのだが,研究に向いてる学生なんてそう多くはないのだから,卒論・修論は適当にすませておいて,就職活動をがんばるようにと早い段階で言ってやったほうがいいのだ.
あと,研究者としての見込みがないことを見極められずに,うちの研究室に学生を送り込んでくる他大の先生方にも困るときがある.まぁこっちは研究室としての学生受け入れの枠はけっこうあるから,最低限の水準をみたしていれば進学はさせるし,途中で化ける奴がいないとは言わないけど,どっちみち民間就職したほうが活躍できる人材には,手前の段階でそのアドバイスをしてやったほうがいいのではないか.
まあ,研究に向いてなくても,修士で2年間研究に取り組んだという経験が,企業に入ってからとても役にたったというような話はよく聞くので,そういうのを無くすべきとまで思っているわけではない.こっちは研究が本職だから,研究に向いてないやつに指導をして,とりあえず学位をとって卒業するためだけの論文の添削をしたりするのもダルいのではあるが,そうやって民間就職組の人生の糧になるようなものを与えてやるのも,大学人としての義務の一つだとは思っている.てか,そういう義務の意識のない,研究の世界に閉じ込もっているような先生に限って,学生の向き不向きの見分けが付かずに「無駄な進学」や「無駄なゼミ出席」を量産してるんじゃないかという気もするが,どうなんだろうね.俺はどっちかというと,「ゼミなんか出なくていいから企業説明会にでも行ってろ,単位や学位をギリギリもらえる程度に仕上げるための指導はちゃんとしてやるからな」ぐらいの意識なのだが.
そういえば学部3年から就職活動をするのが,勉学をおろそかにしているとかいって問題化していたと思うが,それもそんなに大問題なんだろうか.たしかに大学人としては,学生には,たくさんの論文や教科書を読み,データとにらめっこしながらああだこうだ悩むような学生生活を送って欲しいという思いはあるものの,結局のところ研究に向いていない学生にとっては,「そこそこ以上の待遇の会社に就職できるかどうか」のほうが人生上のインパクトがはるかに大きいのだから,もうそっち優先でいいんじゃないのかと思う.
最近進んできたように,企業が一致して就活期間を短縮すれば,同程度に就活を優先していても勉学に割ける時間は多くなるだろうが,「最初にどこに就職するか」はかなり大きく人生を左右すると思うので,就職について考える期間が長いほうがむしろいいという気がしなくもない.
というか,周りでも「就活優先でいいんじゃない?」派の人が多いので,新聞などで早期の就活が問題だと書いてあっても,そもそもそんなの問題化してたっけ?という疑問はあるのだが.
だいたい,研究職についている先生方の中にも,学部自体は遊び呆けていて院に進学する間際でなんとなく勉強し,その後なんとなく大学に残り続けているって人はけっこういるぞ.そしてそういう人が,割と尊敬に値する研究業績を挙げていたりもするのだ.そういう先生方は,本質的に研究に向いていたから宿命のようなものに沿って研究者として生き残っているのであって,「就活より勉学を優先したから生き残っている」というようなことは全くない.「この人が他人の講義に真面目に出席して聴いてる姿なんて想像できない」って人だってけっこういるしな.
ということは今やってるブレイブビーツは4月で、2クールで終わってしまう。
とても辛い。
いやわかってるんですよ。
ダンスの科目化に便乗して始まったシリーズだし、そのくせダンスシーンはまだ物足りないところがあるし、でも日常アニメというか、なんてことのない普通の少年向けアニメとして安心して見られるシリーズだったんですよ。
前作のトライブクルクルから、avexのダンスをどうアニメに落とし込むかというのには非常に苦労しているのは明らかだった。だってあんなモーションキャプチャまんまなモーション、どうやったってアニメっぽくないのだから。そこは最終的に、ダンスを踊ると攻撃的な波動が出てダメージを受ける悪役が出るところまで、どうにか世界観を持っていってアニメ的にしてあったわけですよ。主人公は煎餅屋の息子でヒロインは踊ってみた主の世界観からですよ。とはいえ人情話とかよくできてて泣けるんだ。
それを踏まえてブレイブビーツは、もう最初からプリキュア的世界観でいーじゃんという割り切りから始まっているわけです。だから世界観はとても緩い。そのかわり、描ける話も広くなった。例えば今日の、天才ビジネスマン小学生がクラスメイトの女の子のお誕生日会に誘われて空回りする話なんて、他のどのアニメでできるんですか。そんな話を手堅くまとめられるのはとても尊いと思うのです。
わかってるんです。グッズも作れないし、avex資本がなければ続かないことは。わかってるんです。avexはavexで、キンプリという金脈を見つけたことは。ブレイブビーツは最初から危うい立場だったのです。
ガンダムUCをニチアサでやって子供達に伝えたいって意義はわかる。そっちの方がビジネスとしても正しいでしょう。でもブレイブビーツみたいなアニメを子供と親に届けられる枠も、今となってはニチアサしかないのです。でもこんなの商売にならない。
わかってるんです。ただ悲しい。
まじで言ってんのかな。
工数を上げれば良い物ができるかという話は工数と品質の関係を数値で示さないと意味が無い。費用対効果すら提示できない状態で工数を上げたほうがいいって言われて誰が納得するのかって話。発注側も受注側も求めてないって。品質が低くてエンハンスの必要性が出たら改めて契約受注すればいいだけ。
自分用のツールを使うならそのツールの正当性を担保しないとデータの正当性を証明できないんだからテスト結果自体の正しさを証明できないのは自明でしょう。勝手に作ったツールならそのツールをテストして承認を得るかツールで作成したデータを確認してチェックが完了してからテストしないと。作業効率化したいならその方法がプロジェクト全体で承認されるような行動を取らないと。
テストコードが必要ならなんでメリットをきちんと説明しないのか。テストしたほうが本当に効率いいなら導入するように根拠を出して説得すればいい。論理的に説明して納得させられないなら費用対効果が薄いか上司がもともと聞く耳を持っていないかのどちらか。前者ならもちろん必要ないし、後者ならそもそも技術の問題ではない。自分の意見を通したいならそれに見合う問題分析とそれに見合う対応策を実行しないと意味ないし、上司や客先を含む既存路線を変更するならある程度大きなエネルギーが必要なのは当然のことだよ。
ITエンジニアってこの手のことを言う人多いけど単にビジネスマンとしての能力が低いことを他人のせいにしてるだけだよね。かつなぜか技術力の高低の話にすり替えようとするという。他の業種だったら成立しないよね、たぶん。こんなこと言ってる人聞いたことないから。費用対効果とか誰にどうやって承認を得るべきかとかが分からないで自分の作りたいものを作りたいと思うんだったらサークルでもやっといた方がいいよ。あとこういうこと言う人ってそれを実現するために起業したりしないんだよね。きちんと行動する人は尊敬できるけどこの他責体質はひどいでしょ。
私が思ったこと書くから違うというならちゃんと否定して欲しいんだぜ。もし私が間違ってたと思ったら謝罪して取り消しするんだぜ。
1年間で読者数100名目指すらしいが100名集めても月10000円だぜ。月10万稼ごうと思ったら1000人いるんだぜ。いまのブログ読者数と同じだぜ。有料メルマガは無料メルマガの50分の1が入会してくれたら御の字ってメディアなのにすごいどんぶり勘定なんだぜ。100円だから20分の1くらいには成るかもしれないけどそれでも50人程度、月5000円だぜ。割にあわないと思うんだぜ。もしかしてある程度人が集まったら値段をあげようとか思ってないよな。無理だぜ。最初にスタートした価格は下げることはあっても上げることはよほどサービスレベルを向上させられないなら無理だぜ。だから商売するやつは最初に価格を決めてそれに見合うサービスを考えるんだぜ。月10万円目標程度なら今のブログを手直しして金を稼げる内容にかえたほうが合理的なんだぜ。そっちならいくらでもアイデア出せるがメルマガで1万以上稼げる可能性が微塵も感じられないんだぜ。お金よりオフラインでファンとだけ交流したいと言うならFacebookでも自分でサイボウズの無料のSNS作成サービスを使ってればよかったんだぜ。そこでお気に入りのマンガでもおすすめして買ってもらり乞食活動した方が月100円より利益もできたはずだぜ。
なぜよりによって最悪の手段を選んだのか謎すぎるんだぜ。
自分の強みをなんだと思ってるのぜ。ザ・青二才の強みといえばたかがブログに全力投球する狂人と紙一重の姿勢じゃないんだぜ?ほかの人からどんだけバカにされようが本気でブログに命かけてますっていう姿勢が、そこまで本気ではないにせよブログでのし上がりたいなんちゃってのヌルいワナビーや、障害を抱えて普通に生きていけない悩みを抱えてるやつの心を掴んでるんだぜ。あとは無駄に知名度は高くなったおかげで利用したいやつが一応つながりは持とうとしてくれてるんだぜ。こういうのは長年の継続の賜物だから胸を張っていいお前の強みなんだぜ。
なのに最近は完全に強みを捨ててつまらないブログに成り下がってるぜ。メルマガのためだかなんだかしらんがここ一ヶ月のブログは明らかに手抜きなんだぜ。タイトルから語法がおかしく推敲してないのがまるわかりだぜ。文章も途切れ途切れで投げやりで本気がまるで感じられないんだぜ。互助会ではないが常連が毎回のようにきっちり10ブクマ以上付けてくれてるのにそれでも全然ホッテントリしてないってのはやばいぜ。それに危機感を感じてないってのは致命的だぜ。筆者である青二才からしたら、メルマガのために仕方なかったんだ察しろっって言うんだろうがそういうのは読者には関係ないぜ。単につまらないだけだぜ。二兎を追うものはなんとやらって言うんだぜ。がんばったところで月10000円をこえないメルマガに気を取られてブログの人気が下がったらブログからの収入が下がるんだぜ。さすがに月20万PV有るんだから月10万くらいは稼げてんだろ。そのうち10%下がったらメルマガのためにブログまで台無しにしたバカになっちゃうんだぜ。
もう一度己の強みは何かって問いなおしたほうがいいのぜ。
メルマガってのはクローズドなのはいいけど一方通行性が高いメディアだから、自前で継続して質の高いコンテンツ作れるのが前提になってて結構しんどいんだぜ。能力がくっそ高いセミプロ人向けであって青二才程度のコンテンツ作成力しかない人間が一人で手を出すには向いてないんだぜ。いつも自分は実力ならプロには負けないって言ってたがまさか本気で思ってたわけじゃないんだぜ?お前より実力も人気も高いはてなブロガーがそれでも一人では運営せずに複数人で組んでようやく成り立ってるって現実をちゃんと理解できてないのぜ?
メルマガの中身がしょぼすぎるんだぜ。1000文字程度しか書いてないなんてありえないぜ。しかもそれがたったの月4、5回って冗談きついぜ。お金を払ってもらうのに客がお金を払う理由を用意してないってどういうことなんだぜ。どの部分に客が100円払う価値が有ると思ってるんだぜ。100円ぽっちなんだからこんなもんでいいだろケチケチしないで金よこせって気持ちが駄々漏れだぜ。これなら素直に銀行口座番号晒してお金くださいって言ってくれたほうがお金を恵んでやるきもちになるぜ。 はっきりいって客商売舐めすぎだぜ。野菜売りやってたなら1つ100円や200円のものを売る時でも1000円のものを売るのと同じ手間がかかるのは知ってるはずなんだぜ。値段が大事なんじゃないんだぜこの品物は素晴らしいから買ってほしいという自信と熱意が要るんだぜ。お前このメルマガ他人が書いたものだったら金払いたいと思うのかちゃんと考えたのかぜ? どうしてもメルマガやりたいなら月300円にして、ブログをもっと削ってでもメルマガの内容充実させたほうが良いぜ。それで数ヶ月やってみてダメだったらすっぱり諦めるくらいの覚悟でやったほうがいいぜ。
唯一褒めるところがあるとすれば食事会はいいと思うんだぜ。毎月でもやるといいんだぜ。
ただでさえ躁鬱で生産性低いのにあれもこれもそれもやりたいって出来るわけないのぜ。いい加減自分の生産力くらいちゃんと把握しろだぜ。普通の人間ならいいけどお前無理したらせっかくなおりかけていた躁鬱が悪化しちゃうかもしれないんだぜ。はしたお金のために無理して体調壊すのだけはやめて欲しいのぜ。メルマガが上手く行かなかったくらいでは死なないが病気がうっかり悪化したらそのまま死ぬんだぜ。それだけは避けて欲しいんだぜ。
私だったらメルマガ始める前にLINEグループやサイボウズの無料SNS作成サービス使って使って交流する場を作るぜ。そんでフリーゲームやら障害者や躁鬱で悩んでる人が話題ごとに交流できる場にするぜ。何のためにやるかというと、自前でブログとは別に新しいコンテンツをいちいち作らなくても参加者が勝手にいっぱいネタを出してくれる状態にするんだぜ。その中で面白い話があったり青二才さんこういうことを書いてくださいよって需要があればそういうの溜めてからメルマガ作りはじめるぜ。そしたらそこにいる人達は課金してくれるだろうから安心して始められると思うのぜ。そうでなくとも今のメルマガはサロン的な副次的サービスとセットでないとなかなか回らないぜ。
こいつにアドバイスをしたというビジネスマンはどんなことを言ったんだぜ。こいつはこいつでどーしてまともなアドバイスにはこれっぽっちも耳を傾けないのにブロガーフェスやらこのビジネスマンやらのおだててくれる人にころっとなびくんだぜ。いっちゃ悪いがチョロすぎるぞ。それともビジネスマンはまともなことを言ったが自分に都合の良い部分しか聞いてなかったのぜ?
イエスマンといえばいいイメージはない。イエスマンになる理由と言えば保身であり、上司に媚びへつらい、部下につらく当たる、そんなイメージがある。自分も学生の頃はイエスマンとかマジふぁっくだわと思ってたし、社会人になってからもしばらくはそう思っていた。でも、今の僕ちんはイエスマン。
今のベンチャーを何人かで立ち上げて、最初はあーだこーだ言ってたんだけど、しだいに言うのを辞めたんだよね。別に保身なんて動機はない、いつ辞めてもいいし、どこでも転職できるし、(以前やったように)一人で会社を立ち上げても生きていける自信はある。なぜ、社長に物申さなくなったかというと諦めなんだよね。
創業メンバーは社長以外全員プレイングマネージャーみたいな立ち位置で今は30人くらいの組織なんだけど、そこまで至る過程で俺が言うことなんてほとんど採用されなかった。別に全く的外れなことばかり言っていたわけではないはず。組織をよくしようとか、事業をよくしようと思って色々提案して、それはどうかな、と流されたけど、2日後に社長自身の案として採用されてうまくいったとか結構あった。
こないだ社長がコンサルとかいう人を連れて来て、そのコンサルが色々改善案を指摘してきて、それは大体以前俺が言って否決されたことなんだけど、「非常に参考になります」で概ね採用。水面下で動いていてうまくいかなかったことを、うまくいかなかった理由と共に指摘したが、コンサルではなく社長が「それはこうじゃないの?」と反論してきて結局採用。いやそれうまくいかないと思うんだけど。
でも「確かにそうですね」と言って反論しなかった。社長の会社だからね、リスク取ってるのも社長だし。彼のリスクの中で意思決定することに異議を唱えるつもりはないし、それをしても無駄だと諦めた。あと、うちの社長も会社をよくしようと本気で色々考えてるから、その結果失敗してもいいと思ってるというのもある。書きながらわかった、社長への信頼もあるな、イエスマンになってるのは。
とにかく、今はそのコンサルをコントロールして会社をよくしようと画策中。結果として会社がよくなれば俺は別にそれでいい。
俺はイエスマンで、昔描いていたかっこいいビジネスマンではないけれど、若い人が「そういうもんなのかな」とか「それでも自分はイエスマンになりたくない!」とか考えるきっかけになればいいかなと思って書いてみたよ。
山本さんはステマ問題について、媒体、PR会社/代理店の次はY!に矛先を持っていったか。自分はステマ横行の状況について、Y!と同じぐらい、カネを出す広告主の志の低さが大きな原因の1つだと思っているけど、広告主がヘソを曲げては業界正常化も危うそうなので山本さんには引き続きそこはスルーしていただきたい。それはともかく、この問題について山本さんの一連の記事は良く書けてると思う。
Y!の強さはニュースだったし、今もそう。なので、コンテンツホルダー =新聞社、出版社などにもっと金額還元して優遇しておけばよかった。最大で月間40億円は原資として用意できたはず。(うろ覚えですがY!ニュースは月間40億PV・RPM1,000円ぐらいはあるでしょ。) コンテンツホルダーも食えてるのであればここまでステマがはびこることも無かっただろう。勿論、そうだったとしてもステマ根絶は無理だったとは思う。ネットはいろんなものを横並びにするので価格下方圧力が強く働くし、コンテンツホルダーは紙が減少するために経営への打撃があるので、やはりステマに手を染める可能性は高い。でもY!からそれなりの価格でコンテンツ調達して貰ってたのならば、ステマ露見によってY!から絞られる恐怖はもっと強かったはずで、今よりはずっとステマは少なかったろう。
そうしておけば、Y!ニュースにしてもスマホの波を受けてキュレーションアプリが隆盛してきてもこんなに慌てることは無かった。新聞社は「キャッシュ」ができるスマートニュースに当初とても怒っていたが、「Y!と同単価で買うからいいでしょ、1,000万DLまで読者を増やせばPVが配給するしY!への牽制にもなりますよ。」と説得され、結果的には転んでいる。PCの世界ではY!ニュース対抗で1,000万読者を集めるのは無理だったけど(実際、MSNニュースがもがいたが失敗した)、スマホでは1,000万DLはたった1年で20-40億円程度の広告宣伝費で達成できたのだ。 しかし、Y!のコンテンツ調達価格が高ければそもそもその額を出せるスタートアップはなかったので相当に状況は違ってたはずだ。
Y!が大胆に金額還元できなかったのは、長らく社長を務めていた井上さんが常識的ビジネスマンで、単純にビジネス判断として費用を増やして利益を削りたくないということだったろうし、その背景として株主ソフトバンクやUSのY!に利益の一部を安定的に差し出さないといけない事情が大いに影響してただろう。ソフトバンクはその悪名高いY!BBの強引な拡販の裏返しではあるがブロードバンドの低廉化に大いに貢献した主役であり、ネット業界の発展を大いに進めた功績がある。でも、収益においてY!Japanに親孝行さを求めて手足を縛ることで間接的にネットでコンテンツの世界が荒れることを放置してきたとも言える。
自分はソフトバンクやY!を叩きたいわけではない。とにかくネットの世界では「ステマ」を排除するという正常化が進んで欲しい。ネット以外のメディアの世界ではもうどっぷり酷いのもあると思うけど、ネットはずっとマシに出来るはず。能力、パワーがあるプレイヤーには襟を正して、頑張って欲しいと願う。
http://anond.hatelabo.jp/20151001133903
いうまでもなく意識高く起業したのではないから、就職した初年度に会社からくる初めて見る諸々の給与明細など、送られてくるたびにまた税金があるのかとビクビクしたものだ。
時には貯金について日夜考えすぎて、頭がハゲて、病院嫌いにもかかわらず皮膚科に行き、やる気のない態度の悪い医者にハゲ薬をもらい、治したことも今となっては微笑ましい思い出だ。
もともと自分自身には才能があるとは思わない。だが、就職をしてかつ継続するにあたり
大切だと思ったことを記念に書いておきたい。
■■信念
なぜかというと、クライアントの要望やプロジェクトメンバーの意見など常に相対的で、移ろいやすいからだ。
クライアントAがXがいいといっても、クライアントBはYがいい、クライアントCはZがいいという。
それで重要なのが信念だ。これは唯一己のうちにある絶対的なものだ。
この信念を強くもって、自分の足下に大きな杭として打ち込んでおくのだ。
そうすれば異なる考え・ニーズを前にしてもぶれずに前に進んでいける。
杭をしっかり打ち込んでいないと、進むべきベクトルはぐるぐるまわりで、メンタルがもたないだろう。
あと、この杭がないと困難の中、事業を継続していくことが難しい。
トライアンドエラーを繰り返し、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、
正直「もう辞めたい」と100回以上思ったことがあるが、その度に信念に基づいてその言葉を打ち消してきた。
■■人脈
人脈は大切だ。当初人脈を作りにビジネス交流会にも行ったが、結論として分かったのは、これは悪くは無いが、絶対にいく必要のあるものでもないと分かった。
そうすれば磁石のように素晴らしい人格・知性を持った人たちと出会える。
では、どのようにすれば己がよい人脈となれるか?
自分に投資をすることだ。投資といってもなにも高額なお金を投資というのではない。
時間と教養について投資をするのだ。一番ROI効率が高いのは、読書だろう。
とにかく自分の専門分野と隣接する領域について読みあさること。
自分の場合は、就職をして平日は月曜から金曜まで仕事をして、夜はなにもない家に帰って、ずっと読書をしていた。
特に就職をすると起業家と異なり、助けてくれる上司はいるが大半は無能だ。
自分で問題を解決しないといけないので、問題の現状分析・解決法は膨大な読書量による
知識によっていくつか得られるのだ。
このように知識・問題解決能力が身についたら、それを出会うビジネスマンたちにGiveしよう。
とにかく与えること。そこから人脈の輪が広がる。
■■付き合う人
逆に得体の知れない人もかなりやってくることがある。
いったいどのようなビジネスモデルで利益をあげているか、どのような収入で食べているのかよく分からない人。
後になって腑に落ちないそのビジネススキームを振り返ると、やっぱりあの人詐欺師だったんだと分かることもある。
得体の知れない人に出会った場合、その人を見る時、倫理観によって判定するのがよりよいと思う。
参考としては、ベンジャミンフランクリンの13の徳が役に立つだろう
節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲
得体の知れない人の話しを聞いて彼の人となりが、13徳から非常に乖離している場合、
さっさと距離をあけるべきだろう。
実際に私も起業をして、危ないことがいくつかあった。
それは、業界的に非常に有名人でかつメディアにも露出している人がいた。
その人が、私に一緒に日本・東南アジアでビジネスをしないか?と持ちかけてきた。
だが、彼の話をよく聞くと、現地の人を馬鹿にしたり、自分は仕事をしないで稼ぐ、といっていた。
私はこれを聞いて、この人は危ない人だとすぐに分かった。
それよりフランクリンの13徳の方が優れているのだ。そしてこれに照らし合わせて、やばい人と思い、私は彼と距離をあけた。
数年後彼は逮捕された。
自分の判断基準をもち、素晴らしい人と付き合っていきたいものだ。
■■己の人格
なぜかというと、仕事は所詮生身の人間同士によって成り立っているからだ。
そして、この人と一緒に仕事をしたいと思われないと、仕事の継続性がたち消えてしまう。
人は好きな人、好意を持てる人と仕事がしたいのだ。嫌なやつと仕事をしたい人はいないだろう。
メカニズムとしては、人は、大脳辺縁系でその人が好きか嫌いかを判断し、それを大脳新皮質で論理的に意味づけをするのだ。
これはよく知っておいた方がよい。
いくら論理的に正しいことをいっていても、嫌なやつ、人格的に破綻しているやつであれば、他者の大脳辺縁系は嫌いな奴と判断し、
それにともない大脳新皮質で論理的に適当に言葉を組み立ててあなたの意見をリジェクトするだろう。
理想は、崇高な人格をもち、深い知性・教養をもてることだろう。
もちろん私はこの域には達しておらず、死ぬまで目指していきたいと思っている。
以上、就職をして大切だと思ったことをつらつらと書いてみた。
結局のところ、私は運良く、素晴らしい人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。
私は、どちらかというと綿密に事業計画書を書いて起業をしたというより情熱に動かされて起業をした。
いうまでもなく緻密に計画を立てて起業をしたのではないから、起業した初年度に役所からくる初めて見る諸々の納付書など、送られてくるたびにまた支払いがあるのかとビクビクしたものだ。
時にはキャッシュフローについて日夜考えすぎて、頭がハゲて、病院嫌いにもかかわらず皮膚科に行き、やる気のない態度の悪い医者にハゲ薬をもらい、治したことも今となっては微笑ましい思い出だ。
もともと自分自身には才能があるとは思わない。だが、起業をしてかつ継続するにあたり
大切だと思ったことを記念に書いておきたい。
■■信念
なぜかというと、クライアントの要望やプロジェクトメンバーの意見など常に相対的で、移ろいやすいからだ。
クライアントAがXがいいといっても、クライアントBはYがいい、クライアントCはZがいいという。
それで重要なのが信念だ。これは唯一己のうちにある絶対的なものだ。
この信念を強くもって、自分の足下に大きな杭として打ち込んでおくのだ。
そうすれば異なる考え・ニーズを前にしてもぶれずに前に進んでいける。
杭をしっかり打ち込んでいないと、進むべきベクトルはぐるぐるまわりで、メンタルがもたないだろう。
あと、この杭がないと困難の中、事業を継続していくことが難しい。
トライアンドエラーを繰り返し、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、
正直「もう辞めたい」と100回以上思ったことがあるが、その度に信念に基づいてその言葉を打ち消してきた。
■■人脈
人脈は大切だ。当初人脈を作りにビジネス交流会にも行ったが、結論として分かったのは、これは悪くは無いが、絶対にいく必要のあるものでもないと分かった。
そうすれば磁石のように素晴らしい人格・知性を持った人たちと出会える。
では、どのようにすれば己がよい人脈となれるか?
自分に投資をすることだ。投資といってもなにも高額なお金を投資というのではない。
時間と教養について投資をするのだ。一番ROI効率が高いのは、読書だろう。
とにかく自分の専門分野と隣接する領域について読みあさること。
自分の場合は、起業をして平日は月曜から土曜まで仕事をして、夜はなにもない家に帰って、ずっと読書をしていた。
特に起業をするとサラリーマンと異なり、助けてくれる上司はいないのだ。
自分で問題を解決しないといけないので、問題の現状分析・解決法は膨大な読書量による
知識によっていくつか得られるのだ。
このように知識・問題解決能力が身についたら、それを出会うビジネスマンたちにGiveしよう。
とにかく与えること。そこから人脈の輪が広がる。
■■付き合う人
サラリーマンの時とはことなり、起業をするといろいろな人に出会える反面、
逆に得体の知れない人もかなりやってくることがある。
いったいどのようなビジネスモデルで利益をあげているか、どのような収入で食べているのかよく分からない人。
後になって腑に落ちないそのビジネススキームを振り返ると、やっぱりあの人詐欺師だったんだと分かることもある。
得体の知れない人に出会った場合、その人を見る時、倫理観によって判定するのがよりよいと思う。
参考としては、ベンジャミンフランクリンの13の徳が役に立つだろう
節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲
得体の知れない人の話しを聞いて彼の人となりが、13徳から非常に乖離している場合、
さっさと距離をあけるべきだろう。
実際に私も起業をして、危ないことがいくつかあった。
それは、業界的に非常に有名人でかつメディアにも露出している人がいた。
その人が、私に一緒に日本・東南アジアでビジネスをしないか?と持ちかけてきた。
だが、彼の話をよく聞くと、現地の人を馬鹿にしたり、自分は仕事をしないで稼ぐ、といっていた。
私はこれを聞いて、この人は危ない人だとすぐに分かった。
それよりフランクリンの13徳の方が優れているのだ。そしてこれに照らし合わせて、やばい人と思い、私は彼と距離をあけた。
数年後彼は逮捕された。
自分の判断基準をもち、素晴らしい人と付き合っていきたいものだ。
■■己の人格
なぜかというと、仕事は所詮生身の人間同士によって成り立っているからだ。
そして、この人と一緒に仕事をしたいと思われないと、仕事の継続性がたち消えてしまう。
人は好きな人、好意を持てる人と仕事がしたいのだ。嫌なやつと仕事をしたい人はいないだろう。
メカニズムとしては、人は、大脳辺縁系でその人が好きか嫌いかを判断し、それを大脳新皮質で論理的に意味づけをするのだ。
これはよく知っておいた方がよい。
いくら論理的に正しいことをいっていても、嫌なやつ、人格的に破綻しているやつであれば、他者の大脳辺縁系は嫌いな奴と判断し、
それにともない大脳新皮質で論理的に適当に言葉を組み立ててあなたの意見をリジェクトするだろう。
理想は、崇高な人格をもち、深い知性・教養をもてることだろう。
もちろん私はこの域には達しておらず、死ぬまで目指していきたいと思っている。
以上、起業をして大切だと思ったことをつらつらと書いてみた。
結局のところ、私は運良く、素晴らしい人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。