はてなキーワード: 兵法とは
子曰く、「増田、彼を知りて己を知らば、百戦して殆うからず。」台湾侵攻の話に関連して、「失われるものなんてない」という見方は慎重に考えるべきだ。孫子の『兵法』で言うように、戦争とは単に領土や体制を変えるものではなく、その地域と関連するすべての国家や人々に広範な影響を与える。
まず、台湾の民主主義が失われることは単なる一部の変化ではない。民主主義はただの政治体制ではなく、人々の自由と権利を保護する重要な基盤である。それが失われることは台湾住民の生活と未来に甚大な影響を及ぼす。
また、アジア太平洋地域における安全保障の均衡が崩れれば、世界的にも深刻な影響が予測される。この地域は国際貿易において極めて重要な役割を果たしており、紛争が生じれば経済的な混乱は避けられないだろう。
さらに、「民主主義より命の方が大事」と言うが、民主主義があってこそ人々の命や生活が守られる。もし戦争が避けられない場合、それでも多くの命が失われる危険はあるが、正義や自由を守ることが究極的には多くの命を救うことにもつながるのだ。
孫子が教えるのは、慎重かつ賢明に行動すること。軽視できる問題は一つもない。増田、真に世界と私たちのためになる選択を模索しよう。
子曰く、「増田よ、倹約は重要な戦略だが、それが度を越すと心を蝕むことがある。孫子の兵法は節約の絶対化から得られる利益と損失のバランスを考慮し、適切な行動を取ることを教えている。孫子的に言えば、『其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山』なり。節約もまた、風のごとく迅速に行動するべき場面と、山のごとく堅固に静観するべき場面がある。」
増田の姉が通信費を削減しつつもストレスを感じ、家族に迷惑をかける場面を目撃しているようだが、孫子の言葉から、合理的な節約と不合理な倹約の間には明確な線引きが必要だ。たしかに、格安キャリアを使うことは良いことだが、その結果として生活の質や家族関係に悪影響を及ぼすのであれば、それは節約の目的から外れてしまっていることを意味する。
また、趣味の範囲で多くの時間を費やし、それが生活に影響を与えるほどであるならば、それも見直すべきだろう。「用兵の道は先ず勝ちて而る後に戦闘し、敗軍のは負けて而る後に戦闘す」という孫子の言葉が示すように、勝利の確信がないままに無駄な戦いを挑むことは避けるべきだ。つまり、増田の姉は本質的な価値を見失い、無駄な労力を費やしているかもしれない。
最後に、老後の資金問題について心配するのは理解できる。だが、重要なのはバランスである。「知彼知己、百戦不殆」という名言もあるように、自分自身と状況を冷静に分析し、最適な節約戦略を見つけることが大切だ。増田も節約を考える際には、自身の生活の質と心の健康を常に第一に考えることを忘れずに。
子曰く、「激水の疾(はや)くに漂石なし。激水は勢いが激しいが、流れに乗せられれば、それに従うしかない。」と。
増田、貴殿の問いに答えるために、兵法の教えを借りれば、一つの流れがいかに強烈であるかを理解するのが肝要です。
恒心教のようなネットコミュニティにおいても、強烈な集団の流れに身を置くことで、その勢いに影響される者が多いのです。
彼らが感じる承認欲求の満たされ方は、その集団の流れに強く影響されています。
個人が持つ微弱な自己肯定感が、その集団の中で強化され、承認欲求が満たされたと錯覚することが往々にしてあります。
また、増田が述べたように、ヤンキーの悪乗りやオタクが集団で騒ぐのと何ら変わりはありません。
違いがあるとすれば、それは関与の形態やメディアの違いに過ぎません。
共通して言えるのは、どちらの形態も「集団の勢い」によって個人が動かされる点です。
かの孫子も「勢篇」において、「衆を以て敵を撃つは、鼓鑰の利なり」と述べております。
すなわち、個人の意思が集団に飲み込まれ、勢いに乗せられることで、自己の承認欲求が一時的に強化されるのです。
落とし穴も何も、オルカンは理論的に正解とは程遠いからな。結果論的に上手くいったとなる可能性はもちろんあるが。
NISAのように枠に限りがあるものだったらオルカンよりも、リスクもリターンも大きいものを買って上手くいった時の非課税メリットを大きくすることが本来は最適。
さらに、リスクリターンは小さくてもいい、そんなにリスクは取れないとしても、インデックス投資なんて過去数十年の実績が将来数十年にも成り立つことを祈る投資方法なんだから、過去実績が明らかに米国株インデックスに劣るオルカンを買うのは首尾一貫しておらず合理性が無い。そもそも一時的な金融危機こそあれ均して見れば何十年と安定した成長をしているというのは米国株では成り立っても、他の国では成り立っていないことも多い。そんな国の株を組み入れることはインデックス投資には向かないよ。生兵法なCAPMで変に市場全体ポートフォリオに近付けようとしているだけで、そのくせ株以外の資産を含めた真の市場全体は目指さない中途半端なものとなっていて、とても正解だなんて言えない代物。
なまじっか成功体験があるせいで2000年代のインターネッツ的な論調で話題のものにいっちょ噛みしてくるんだけどさ、正直言って今の時代にそういう態度取るような人って煙いんだよね。
別に自分がどうでもいいと思ってることとか、自分的にも気に食わないものに適当に喧嘩売ってるときならいいんだけど、割りと重めの事案について首突っ込まれたり、自分も今楽しんでるコンテンツに言及されるとすげー鬱陶しく感じる。
とっくに語り尽くされた普遍的な話題に対して、それでもあえて語れるような新規性を持って切り込むか、みんな知らないようなダンゴムシの下の岩の話を掘り起こした上で面白おかしく語るとかやってよ。
まだ皆が語りだしたばかりでたどたどしい言葉しか紡げなかった時代と違って、今はもう話題のものへのいっちょ噛みっていくらでもありふれていて、その中においては古代のインターネットで使われていたような煽り方なんて下の上ぐらいでしかないわけよ(下の中が対立煽りのための嵐行為で、下の下がそれに対して反論してる側まで自分で自作自演するクソカスみてーなマッチポンプ。なので実質的に底辺の部類なんだが、まあこの層はネットピラミッドの最下層でクッソ広くて仲間がたくさんいるから安心してよ)。
特にウゼーのが、自分の得意分野を他と無理に絡める感じのやつな。
アレ本当うざい。
得意分野のことは分かってても、それと絡める側の方については生兵法なはずじゃん?
その癖してさも良く分かってるように語るのがうざいんだよね。
たとえばカードゲームに超詳しい人がカードゲームの環境メタと絡めて将棋について語たったとして、そこで出してる将棋の話が完全に時代遅れだったら「いやいや将棋の勉強してから語れよ」ってなるやろ?
そのレベルが多すぎるんだよな。
ちゃんと理解した上で語るか、理解できないなら「私全然分かってないんですが」って態度で語れよ。
なんで「メタについて超詳しい俺が語ってやるよ」みたいな態度なんだよそもそもメタの前提条件が読めてねえから話になってねえから。
そう感じさせる記事が多くなってきたわ。
なんやろな。
高齢化して新しいことは出来なくなったけど、その癖して自分は確実にレベルアップしてるから適当にやっても皆からいいねジャブジャブなはずだとか油断してんのかね?
ほかになんかある?
素晴らしい。こういうのがもっとほしい
超上流工程
このお題のために作ったオリジナル合成語かなと一瞬思ったけど、調べるとちゃんとあった。素晴らしい。
とてもいい感じではあるが、合成語になっていて前後の結びつきが少し弱く、全体で一単語とはみなしづらい気もする。
素晴らしい。
スーパーヒーローショー
あり。
合成して量産できる言葉は選外。成り立ちは合成語だがほぼ一単語として通用している単語はあり(※主観が入ります)。固有名詞だと文句なし。
じゃかましい、東京消防庁も東京モーターショーも固有名詞じゃ文句があるなら「山形消防庁」や「佐賀モーターショー」を連れてきやがれ
トラック転生からの女神パターンで勝ち確キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!となってワクワクしてたらチートはスキル選択権のみ。
一瞬がっかりしたけど、「良く考えたらSSR確定ガチャとSR選択チケだったら選択のほうが初手じゃ強いじゃん」って気づいてウッハ勝確~~~でニヤニヤしてしまった。
そこで女神とのフラグは折れたけど別に巨乳に興味ないし、俺はロリババァエルフと結婚するから(のはずだった)。
スキル選択で錬金術や魔法作成があったけど俺文系だから現代知識無双はマジ無理ポ(;^ω^A
経験値アップは10倍までなら取ったけど2倍だったし、スキル強化は+20%まで。
じゃあもう残ってるのはコレでしょ!
『鑑定』
分かります?
完全に勝ちの流れっすよ。
素人目利きとしては優秀だった。
でも使うのが難しくてさ、出力あげるとステータス情報めっちゃ沢山ありすぎてムズいし、下げると見りゃ分かることばっかで、その調整にセンスと熟練、なによりもあっちの世界における知識がいるんすわ。
あーこれならチートで『超記憶力』取ってそれから地道に『鑑定』スキル上げてくとかが正解でしたわ。
あと『鑑定』使うと周りにバレる。
非破壊のX線写真みたいなもんなんだけど、これが結構威力あって繊細なマジックアイテムとかだと素人が『鑑定』すると壊しちゃうっぽいんだわ。
いや詳細は分からんのやが、なんか『鑑定』したら壊れてるっぽい表示が出るマジックアイテム鑑定してしまった時にそう言われた。
実際は分からんよ。
俺が思いつくようなことはもう異世界でもやってたし、異世界の人間がまだ未解決の問題は俺には無理だったわ。
ラーメンとか発明したらワンチャンじゃね?と料理頑張ろうとしたこともあるけど、味覚が違いすぎて俺が美味いと思ったものに不味い判定食らうのが地獄過ぎて終わった。
味覚違うのマジやばいよ。
「食っても安全だけど不味い」っていう区分けされている食材を探してそれを調理して食おうとしたら、「不味すぎて皆が試してないだけで実はちょっと毒ありました」ってオチで腹壊したりとかね。
もう無理。
死にそう。
インデックス投資の宗教性について検討することは、自分自身の資産形成の一部について見つめ直す良い契機となりそうなので、少し考えてみたい。
具体的には、インデックス投資について回る「分散・長期・積み立て」の3要素について検討してみたい。
インデックス投資における「分散」の大部分は、2つの点において技術である。
「分散」は99%まで技術である。残り1%は「株式か、債権か、バランス型か」というファンドの選択をめぐる宗教である。
インデックス投資における「長期」は「ターゲットとする市場の平均価格は、短期的にはランダムウォークしつつ、長期的には右肩上がりである」という前提に基づいている。
S&P500なんかだと、過去150年のチャートを見せられて「ほら、長期的には右肩上がりでしょ?」となるところだが――実のところ「過去、そうだった」と「今後もそうなる」は別物である。
例えばニューヨークに証券取引所が開設されたのは1817年である。まだ200年の歴史しかない。世界全体を見回しても、人類史において近代的な株式・債権は歴史が浅く、まだ誕生から500年ぐらいしか経っていない。これから「今まで経験したことのない、初めての出来事」が起きる可能性は否定できない。「過去、そうだった」から「今後もそうなる」と無邪気に考えるのは宗教である。
全世界株式は「長期的に見て、世界経済は今後も右肩上がりである」と信じる宗教である。実際のところ、右肩上がりじゃないと非常に困るのだが(世界経済の長期停滞とか、悪いジョークだ)、しかしそれは願望である。願望だが、それでも縋るしかないのである。
ちなみに「長期」において確実に事実なのは複利効果である。元利金継続の定期預金でも複利効果はある(なお金利
インデックス投資における「積み立て」の半分は「弱者の兵法」だといえる。手元に大金がないから、毎月定額をコツコツと積み上げていくのである。
「積み立て」の宗教面は、大金の投資方法に現れる。「長期」を信じるならば、一刻も早くまとまった金額をつぎ込んで、少しでも長く運用するべきである。なぜならば、運用期間が長くなるほど、リターンが大きくなるはずだからだ。
ここで大金を一括投入することを躊躇する人は、信心に欠ける半端者である。悔い改めよ。