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2016-07-02

ノーセックス・イン・ザ・シティ日本に住む外国人女性気持ち

何年も前の記事だけど、ふと思い出して訳してみた。

反応が気になるので、ちょっと長いけど増田投稿してみる。

ノーセックス・イン・ザ・シティ日本に住む外国人女性気持ち

Reannon Muth

女性教師に長くいてもらうのは大変なことなんだ。」東京英語教師になって初出勤の日、私の上司はこう告げてきた。「大抵の場合、6ヶ月以上はもたない。」私は驚いて、登録教師リスト(30人―全て男性から目を上げた。

「それはこの学校でという意味ですか?」

「いや。日本で、という意味だ…。」彼は肩をすくめた。「東京は独り身にはつらい街なんだ…西洋人女性にとってはね。分かるよね…。」

 彼の後ろの壁にかかっていた写真をちらりと見た。四人の中年白人男性。みんなひげを生やして禿げかかっていた。同じような歳の取り方で、垂れ下がった髪がメタリカメンバーに似ていた。そして全員が、モデルのようにほっそりした身体の、厚化粧をした美人日本人女性に抱きつかれていた。

 問題を抱えることになるとは思えないけど、と私は思った。

 私が魅力的な美人だったからそう思ったのではない。私は美人からは程遠い。スリムで中背、薄茶色の目とそばかす。良く言えばかわいい、悪く言っても並程度。でも私は競争相手が持っていないものを持っていた。長くて自然ウェーブのかかったブロンドの髪。その上私はバイリンガルで、旅行にも慣れていて、大卒だった。

 でも日本に来てから数週間の内に、不可解なほどに、もどかしいほどに、自分自身透明人間になっていることに気がついた。

 スターバックスかわいいバリスタ達は私に見向きもしなかった。自転車に乗ったビジネスマン達は私を無視して走り去っていった。大学生達はボソボソと謝りながら急いで私から遠ざかって行った。天気のことを話したり、道を聞いたり、何か話すきっかけを持とうとした時はいつもこうだった。彼らは挨拶すらしてくれなかったのだ。本当に。

積極的にならないと。」と日本人女性友達アドバイスをくれた。「日本の男はシャイからあなたから行かないとダメよ。」だから私はバーでもバスでも、男性達には誘いかけるように微笑んだ。レストランメニューや、地下鉄の案内の読み方を聞いたりした。

「何かおすすめの本/ドリンクはありますか?」本屋で隣に立った時や、バーで隣に座った時には、このおなじみの台詞男性達に尋ねていた。でも魅惑の眼差しや会話のきっかけなんてものは、相手が私を見てくれなければ効果がない。彼らが私と完全に目が合うのは、うろたえた表情を向ける時だけだった。まるで「私が将来産む子供達の父親になって。」と、たった今私がお願いしたかのような表情だった。上司が言っていたことは正しかった。独り身の西洋人女性日本に住むのはつらい。でもどうしてなんだろう?

 アドバイスを求めてインターネットを見てみると、デートできない西洋人女性というのは国外居住者の間ではおなじみのキャラなのだと知って驚いた。国外居住者が集う掲示板での、孤独独身女性書き込みの多さを見た限りでも明らかだった。

 深刻な問題のように思えたのだけれど、多くの女性が話すのをためらっていた。議論するには難しいテーマであるのも無理はない。その国の50%の人たちを極端に一般化することになるし、より悪く言うと、レイシスト男嫌い俗物女のように思われてしまうからだ。

 国外居住者日本人との間で同じように広まっている見解なのだが、実のところ日本人男性西洋人女性に魅力を感じてはいるのだ。付き合うために行動する度胸がないだけで。国外居住者達の間では、アジアにいる西洋人女性ジェニファー・アニストンのようなものだった。強くて、自立していて、積極的で、はっきり物を言う。遠くから見とれるには興味深い存在だが、実際に話しかけてみようとする男性はいない。西洋人女性は違いすぎて、異国すぎて、デート相手にするのは事実上不可能と思われていた。

 Y染色体を持つ国外居住者達にとっては話は別だ。女性国外居住者達が土曜の夜を一人で、ラーメンどんぶりに涙をこぼしながら過ごす一方で、男性達はキープしている女性達と我が物顔で飲み歩く。彼らはそうやって過ごしていた。

 アジアに行ったことのある人ならば、弱々しくてガリガリに痩せたベトベトの髪の白人少年が、完璧メイクしてミニスカートはいアジア人女の子と手をつないで歩いているのを見たことがあると思う。こんなことは世界の他の地域では決して起こらない。アジア以外の場所では、バービーケンと結ばれることになっている。不完全雇用で人付き合いの苦手な、日本刀コレクターの隣人、ケビンとではないのだ。でもアジアでは、デートルールがあらゆる論理進化法則に反している。アジアでは、オタク王様なのだ

 立場が違っていたらよかったのにと願ったとか、そういうことではない。ほとんどの場合で、私は彼らを喜ばしく思っていた。彼らは自分の国にいた時にはデートの予定を書き込むこともできなかっただろう。でもアジアでは高嶺の花を勝ち取ったのだ。彼らはまさにサクセスストーリーのものだ。魔法抜け道を使って、有利な条件の元で高根の花とデートしているとはいえ、誰がそのことを非難できるだろうか?西洋人女性にとってのそのような涅槃の地が存在するならば、きっと私もそこへ移住するだろう。

 時折、カップルを見て「彼女は本当にあの男と付き合っているのだろうか?」という疑問がかき立てられることはあったが、なぜ日本人女性西洋人男性を(オタクっぽいのでさえ)魅力的なデート相手候補と見ていたのかを理解するのは簡単だった。彼らは一つの物事に対して、真っ直ぐで広い心を持っていた。彼らはメガネ越しの西洋の目で、恋愛関係を対等な協力関係として見ていた。それは、昔ながらの了見の狭い日本人男性には、まだできていないことだった。西洋人男性達がガールフレンドを大切に扱って、お互いが二人の関係に満足しているのを見て、それが分かってきた。彼らの思いがけない行動や奇妙な言葉遣いが、翻訳で多少失われて、伝わらなかったとしても何の問題があるだろうか?社交的でない人も、愛し愛されてしかるべきなのだ

 でもうらやましいと感じないようにするのは大変だった。私が毎週末、クラブダンスフロアに一人で立ち向かっている一方で、バカっぽい外国人男性達が上手にナンパして電話番号を交換し、最初デートの予定を決めているのを見た時は、特につらかった。彼らは駄菓子屋ではしゃぐ子供達のようだった。日本人女性グルメ向きのトリュフチョコレート。一方で西洋人女性は、容器の底に溶けてこびりついた三年物のトッツィー・ロール。日本人男性達はたぶん私達に気後れしていた。外国人男性達は私達を気兼ねなく無視するだけだった。

 でも私は出会いを求めてアジアに来たわけではないのだ。いつもそう自分自身に言い聞かせていた。ここに来たのは、日本語マスターして、自分の国とは大きく異なる文化を楽しみたかたからだ。でも生活日本に移すことが、恋愛生活故郷に置いてくることを意味するとは予想もしていなかった。東京での生活を存分に楽しんでいたとはいえ、公平な取引だったとは思えなかった。

 外国人女性恋愛には成功話がほとんどないと言っているわけではない。知人の何人かは日本に来た後、夫または婚約者を連れて帰国して行った。でも彼女達は少数派だ。ほとんどの西洋人女性は一人で日本に来て、ずっとそのままだった。

 とある金曜の夜、仕事からの帰り道の途中、自分がもう日本に九ヶ月いることに気がついた。この逆境に打ち勝ったことを内心喜んだ。上司が間違っていたと証明したのだ。でも重い足取りで帰宅し、『The Office』の再放送を見ながらセブンイレブン寿司の残りを食べるという、いつも通りの夜を過ごしていた時、何のために頑張ってきたんだろうと疑問に思った。魅力がなくて、誰からも求められない、最低で、女性扱いすらされない。ずっとそう感じてきた。短いスカートはいた時や、ぴったりとしたトップスを着た時でさえ、男性達はちらりと見るだけだった。いやらしい目を向けるような建設作業員でさえ、私に対しては退屈そうで無反応だった。自分火星人になってしまったように感じた。そしてすごく、すごく寂しかった。外国人女性達を、デートのチャンスがある輝かしい境地へ連れて行ってくれる最後の船に乗らなかったのは、もしかすると間違いだったのかもしれない。

 なぜなら事実として、東京は独り身にはつらい街だからだ…。西洋人女性にとってはね。分かるよね。



記事No Sex in the City: What It's Like to Be Female and Foreign in Japan - Vagabondish

2013-07-30

佐藤秀峰先生の記事で気持ちが楽になった

私は、結婚子育ては、持てる力の限り、いや限界を超えてでも、完璧でなければと考えていたようだった。

もちろん離婚せず、子供希望すれば東京一人暮らしして、医学部私大にも通って。海外でもいい。

東京文化資本高い子供たちと競うなら、インターナショナルスクールに入れなきゃかわいそうかな。

なら子供は一人で……離婚はしたくないから、性格的にしっかりとした人と結婚しなければ。

地震が来るかもしれないから家はこういう家でなきゃダメで、月々の貯金は…と考えていた。

それで、もう、結婚とか家庭をもつこととか育児に心のどこかで絶望し、めんどくさくなって、結婚育児は無理だ……と思っていたようだった。

完璧でないならやりたくない。やらなくていい。と思っていた。


しかし。今日佐藤秀峰先生の記事をよんだら、もう眼から鱗だった。

佐藤秀峰先生ほどに社会的経済的に成功した人ですら、完璧結婚に失敗してしまった。

それも何だ、子供ができてる。計画出産じゃない。「できてしまった」だって


結婚とか、子供をもつとかって、それじたいは別にハードルは高くはないのか。

あたりまえながら。健康な男女がセックスすればいつか子供はできるし、子供ができたら、否が応にも結婚へと動かされていく。

ああそういえば、地元の友人たちはどんどん子供ができて、どんどん結婚しているな。

私が思い描いていたような「完璧な」結婚ではないけど、そこそこ楽しい時もあるみたいに見える。

完璧でなくていいのかもしれない。

完璧ではない結婚育児の方が多いのかもしれない。


いや、結婚だけじゃなくて、優秀だった友人が就活に失敗したり、結婚するかと思った二人がふられたりしている。

あんなにオシドリ夫婦だったブラッド・ピットジェニファー・アニストンだって離婚して別の人と再婚してるのだ!!!

そして、今はふたりとも、すごく幸せそうだ。人生は何が起こるかわからないのだ。


よりよい人生のために完璧に生きようとすると、矛盾しているけど、絶望して死にたくなった。

他人のネガティブな話題でこういう気持ちになるのは後ろめたいが、少し気持ちが楽になった。

あの悪趣味な記事に救いがあったとすれば、私のようなものが、ひっそり救われることなのだとおもう。

 
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