はてなキーワード: 集大成とは
あの大チョンボをこれからの糧として活かしていく、とかコメントしているみたいだけど。
いや1年目2年目ならともかく3年やってあれをやってしまうのであればそれはもう結果だよ。
幸い彼には来年もあるので、ミスを反省してこれからに活かしたいとか言えるんだけど、
なんで来年があるかと言えばそれは彼がホンダのペイドライバーだからという理由だけなものだし。
本来であればリアム・ローソンと交代だよ、トロロッソ/アルファタウリの伝統からすれば。
最後の年のクビアトみたいにいい走りをしていても4年目がないのがあのチームなんだから。
どこまで本気で言っていたのかわからないけれどブラジルでも競争力があるはずだから、とコメントしていたようだけどあるわけないじゃん。
あんなメキシコのサーキットみたいな超特殊な環境だけで速さを発揮した車が、その他の場所で速いわきゃない。
あれは我慢して我慢して我慢して我慢の仕事をずーっと忍耐強く続けた末に訪れるボーナスタイム、千載一遇のチャンスなんだ。
それを不意にしたらもうしばらくは何も来ないよ。
とにかく何事もそうだけど出来ないことをやろうとしてはいけないんだ。
にしてももったいなかったよな。
でもまあスプリントではバンバン抜かれまくって終わるんじゃない?
他がタイヤ温存したのに対して新品使ったから、ってのが6位獲得の理由なんじゃないの?
フェラーリのルクレール、メルセデスのハミルトンと戦いながらの6位に入賞は結果として素晴らしものだ。
スピードがあるし、何よりタイヤのデグラデーションが少ない点が優秀だ。
他がすべてタイヤに苦しんでいる中、アルファタウリの角田とリカルドだけは比較的良好にタイヤマネジメントが出来ていた。
・まず運にも恵まれていた。
SQ3でオコンがアロンソとの接触でクラッシュしたことで赤旗セッション中止となった。
それによって角田はギリギリ15位でSQ2に進むことが出来た。
おそらく、赤旗がなければ角田のSQ3のタイムであれば他に抜かれて15位以下でレースをスタートすることになりポイント獲得は望めなかっただろう。
2つのDRS区間でのオーバーテイクが定石であるブラジルでストレートスピードを捨ててコーナーマシンに仕上げてしまっている。
それが要因なのかは定かではないがタイヤのデグラデーションが酷い。
結果としてハミルトンはスプリントレース終盤大きくペースダウン、ルクレールと角田にオーバーテイクを許した。
もしも、角田がペースダウンしたハミルトンを一発で抜くことが出来ていればルクレールに勝負を仕掛けてオーバーテイクするチャンスがあっただろう。
それが出来ていれば松のレースだったと言える(結果としてフェラーリを抜けなかったとしても)。
無理なこと、出来ないことをしてはいけないがギャップがあるなら一発で仕留めなければいけないのがレーシングドライバーだ。
ハミルトンはルクレールはともかく格下の角田には譲るようなアクションはしてくれない。
それでも、あっと言わせるようなオーバーテイクをしてみせる。
そしてミスをしない。
9月9日の開幕戦から、20チームの激闘を見守り続けてきたウェブ・エリスカップ。
50日間の戦いの末に、今日、その所有者が決まる。
4年に1度のラグビーの祭典ワールドカップ、2023年フランス大会も、ついに決勝を迎えた。
47試合の末、ファイナルに駒を進めたのは、南半球、いや世界のラグビーの象徴・ニュージーランドと、ディフェンディングチャンピオン・南アフリカ。
開催国フランスの好調や、ランキング1位で乗り込んだアイルランド、フィジー・サモアなどのアイランダーチームやアルゼンチンの成長などで、勢力図の変化が噂される中で開幕した今大会だが、蓋を開けてみると、決勝はおなじみの最強同士の対戦となった。
ニュージーランドは開幕戦でフランス相手に1試合を落として以降は、圧倒的な得点力で対戦相手を沈黙させてプールステージを突破した上、準々決勝ではアイルランド相手に守備の硬さも見せつけて準決勝に進出。チーム初の優勝を狙うアルゼンチンに完勝して決勝まで勝ち上がってきた。
大会前までは仕上がりを不安視されていた黒衣の軍団だが、オールブラックスに関しては「史上最強」「完全な優勝候補」とみなされていたような大会の方が勝てないことが多く、今回のように「ぱっとしない」と言われる時の方が優勝を攫ったりする。
チームをみると、LOサム・ホワイトロックやSHアーロン・スミスなど、レジェンダリーなベテラン選手が活躍する一方、PRイーサン・デクラーク、ティレル・ロマックス、CTBリーコ・イオアネ、WTBマーク・テレア、ウィル・ジョーダンなど20代のプレーヤーも多く、ベテラン、中堅の経験値と、若手のエネルギーがバランス良くミックスされたチームになっている。
前大会で最強と呼ばれた世代の多くが引退した後、世代交代の最中で完成形が見えづらいままW杯に臨んだが、まさにこのW杯で成長したのかもしれない。
7週間にも及ぶ戦いの中で調子を上げ、持ち前の得点力だけではない守備の硬さ、意外とも言えるスクラムの強さも見せつけてきた。
HCのイアン・フォスターは大会後の勇退が決定しており、スーパーラグビーの常勝軍団クルセイダーズHCのスコット・ロバートソンにその場を引き継ぐことが決定している。
つなぎの世代と言わせず、このチームこそが最強のオールブラックスであることを証明できるだろうか。
対する南アフリカはというと、フィジカルバトルを得意とするチームが集まったプールBをアイルランド戦の1敗以外に圧倒的な強さを見せつけて決勝トーナメントに進出。
フランス戦、イングランド戦の2試合を連続の1点差で制して決勝に進出した。
優勝した前大会の時点で主力メンバーが若かったため、本大会でも優勝メンバーが残り、FWの安定感がチームを支えてきた南ア代表だが、なぜかこのチームに起こりがちな「完全な1本目のSOがいない」という問題に今回も悩まされ、重要な得点源のキックの精度などはイマイチとみなされていた。
そこに、負傷で代表メンバーから外れていたハンドレ・ポラードが、大会中に負傷したメンバーと交代して第4戦目から復帰。
ポラードはあまり華麗なパスを見せる司令塔ではなく、南アらしいキックとFW戦のタクトを振るのを得意としているが、この試合に望むリザーブのメンバーを見ても、南アがどういう試合にしたいのかが垣間見える。というかクッキリ見える。
SOはおろか、SHの替えすらなく、デクラークが負傷した際にはWTBチェスリン・コルビが務めるとアナウンスされるほど。
80分間、FWを惜しみなく使って身体を当て、キックで得点する気満々で、スプリングボクスらしい戦いでオールブラックスを迎え撃つ構えだ。
オールブラックスとスプリングボクスが戦えば、激しいフィジカルバトルに耐えてちょっとの差を掴み取るゲームになるしかない。
決勝のスタット・ド・フランスは雨。
身体をぶつけあうには絶好のコンディションだ。
どちらが「ちょっと」をモノにしてウェブエリスカップを掲げることができるのだろうか。
両国の国歌斉唱につづいて、オールブラックスが今大会最後のハカ、カパ・オ・パンゴを披露し、オールブラックス、ボーデン・バレットのキックオフで試合が始まった。
開始早々、大会を通して南アのスクラムを引っ張ってきたンボナンビが脚を痛めてグラウンドに倒れて負傷後退。
その直後の交錯でオールブラックスのシャノン・フリゼルがイエローカード。
自ボールをキープしてパスとランからゲインをねらうオールブラックスに対して、ディフェンスからキックを蹴らせ、受けたボールを蹴り上げて、キックで前進する南ア。
もとからお互いやりたいことをするとこうなるわけだが、南アがジリジリ前進できている。
フリゼルの反則で獲得したものにつづいて、オールブラックスを押し込んで序盤に2つ連続でペナルティを獲得した南ア。
ロースコアゲームで蹴り勝ちたい南アにしたら上首尾なゲームの入りだ。
オールブラックスがボールを回しながら前進してPGを返すが、南アはFW戦で圧力をかけてペナルティを狙い、PGを重ねて差を詰めさせない。
スコアで突き放されながらも、ゲームが進行するにつれボールをまわす攻撃で徐々に先進し始めたオールブラックスだが、雨の影響でボールが手元で滑り、掴みかけた攻撃のチャンスでボールを失っている。
そしてゲームの流れを大きく変える瞬間が訪れた。
28分にFLサム・ケインがハイ・タックルでレッドカードの退場。
前評判の低かったチームを獅子奮迅の活躍で牽引してきたキャプテンがまさかの決勝の舞台で一足先に試合を去ることになった。
荒れ模様前半はその後、双方がPGを重ね、南ア 12 - 6 NZ でゲームを折り返した。
試合としては前半の25分過ぎからオールブラックスがボールを保持した攻めで南アディフェンスを切り裂き始めており、圧倒されているわけではない。
しかし、ラインアウトの不首尾や、滑る手元、高く入ってしまうタックルなどで得点のチャンスを失うオールブラックスに対して、南アが手に入った機会に過大な結果を狙わず即座のPGで得点を重ねて6点差。
攻めがつながっているので、後半での逆転もあり得る点差だが、相手がそもそもロースコアを狙ってきている南アだなると話が違う。
それに、フィジカルバトルを狙ったオーダーを組んできた南ア相手に人数の不利を被ったのは大打撃だ。
南アにしてみれば、相手のミスに救われているところもあるが、それは要所でうまくプレッシャーをかけて、危機を切り抜け続けているという事になる。
この決勝でも当然のように発揮される南アの勝負強さは驚くべきものだ。
オールブラックスは不利を跳ね返して逆転のトライを決められるのか、それとも南アが得点以外でも前半につけた差を活かして突き放すのか。
得点の匂いがする猛攻だったが、この攻撃のなかで、今度はシア・コリシの頭が当たってイエローカードで退出し、人数のアドバンテージを失う。
後半頭で試合を決めるチャンスを逃した南アに対して、オールブラックスは人数の不利がないうちに攻め込んでいく。
ボール展開すればゴールライン間際まで迫ることができるが、オールブラックスとしては歯がゆいことにスコアまでに至らず、トライラインまで到達したプレーも、ノックオンでチャンスを失ってしまう。
全てがうまくハマる日もあれば、そのピースをはめる時に手がパズルの傍にあるグラスに当たったり、膝がテーブルの下を叩いたりする日もある。
それが起きているのが、4年間の努力の末のW杯の決勝の場で、相手が最後まで勝負を投げない南アだというのが最悪だ。
ズルズルと時間と勝機を失ういかけていたオールブラックスだが、58分、ついにゴールラインを破るトライを獲得。
ここで7点を取れば、ロースコアの試合で果てしなく大きい1点のアドバンテージを得ることができたところだが、決定力の高いモウンガのCVは外れて、リードを奪うまでに至らない。
W杯も残りは20分となり、ゲームの内容としてはボールを敵陣に運べているオールブラックスに傾きかけているのだが、勢いにのってひっくり返したいところで、雨の影響もあってかボールが手に付かない。
ゲームが動かないまま10分がすぎ、1本のPGが勝利に直結する時間になってきた。
オールブラックスはPG1本でも欲しい、南アは逆にこれをとって試合を決めたい。
試合を分ける攻防の中で、南ア・コルビの故意と見做されるノックオンでオールブラックスのPKとなり、またも試合をひっくり返すチャンスが訪れるが、ジョーディ・バレットの重要な1本が外れて1点差のまま。
1プレーで逆転できる1点差が果てしなく遠い。
のこりは5分を切り、最後の攻めのチャンスが巡ってきたオールブラックスだが、ここでも敵陣深くまで迫りながらノックオンでボールを失う。
残り10秒のスクラムに最後の希望をかけるも、必死で守る南アにボールをラインに押し出されて、試合終了を告げるホイッスル。
最終スコア
降りしきる雨、試合開始直後の負傷退場やイエローカード、両キャプテンの反則退出、度重なるハンドリングエラーなど、双方にとってゲームは思惑通りに進まなかった。
しかし、オールブラックスが何度も訪れた逆転のチャンスを悉く掴み損ねたのに対して、ひっくり返されそうになった南アは、諦めずに自分達のするべきことに徹して耐え抜き、ゲームを決める「ちょっと」をものにした。
大会前はアイルランド、フランスなどが見事な戦績を積み上げ、南アもNZも今回は圧倒的な存在ではないと見做されていたが、両チームは大会の中で成長しながら決勝まで辿り着いた。
そして、歯を食いしばりながら薄氷の勝利を積み上げた南アは、なんとこのW杯の決勝トーナメントの試合全てを1点差の勝利で勝ち抜いて、ついに連覇のウェブエリスカップを掲げる最後の勝者になった。
この大会は前回大会から8年間、時代の主役だったプレヤーたちの多くが代表を去る。
ウェールスのダン・ビガー、アイルランドのジョニー・セクストン、ニュージーランドのアーロン・スミス。
日本代表でも年齢的に堀江などは次の大会で見られないかもしれない。
選手が入れ替わるだけでなく、大会のレギュレーションも見直され、次のオーストラリア大会からは出場チームが24に拡大される。
時代の終わりに少しの寂しさがある。
でも、次の時代の準備はもう始まっている。
自分の話をさせてもらうと、今回は大会が始まる前までレビューを書くか迷っていた。
前大会は日本開催で多くの人が試合を見ることが予想されていたのに対して、今回はフランス開催で試合もリアルタイムでは観戦しづらく、日本代表の苦戦も大会前から予測されていた。
また、自分自身この夏から本業が急に忙しくなったので、1ヶ月半以上毎週レビューを書くだけの気力が続くかという心配もあった。
ただ、やはり4年に一度しかないからと、初戦のチリ戦からレビューを書き始めると、まだ待っていてくれていた人からの応援のコメントや、他の試合をみたトラバなどが寄せられて、ともにラグビーの祭典を楽しみたいという人がいたことにとても支えられた。
(あと、本業の厳しい局面でも「リーチ・マイケルや堀江もあんなに頑張ったしな」なんて思って自分を奮い立たせたりもした)
「ラグビーを見る人の楽しみに少しの助けになりたい」と始めたことが、皆の支えでやり切れて、自分自身がこの4年の集大成を、そして時代の変わり目をしっかり目に焼きつけられたのは感謝の気持ちでいっぱいだ。
ラグビーは身体のぶつかり合いが特徴のスポーツで、試合の感想を語ろうとすると「フィジカルに圧倒された」という話になりがちで、それ以外だと「反則が多かった」「あの選手のあのプレーが」という結果の一部だけを取り上げた議論になってしまう。
このレビューを書く上で意識していたのは、結果の現象だけでなく、双方のチームがどういう強みとプランをもって試合に臨んだのか、キックオフなどのゲームの状況が基本的にどちらに優位に働くのかなどに注目して、「なんとなく身体能力で負けた」「多分ミスで自滅した」「全力を尽くして感動した」よりもう少し理解度をあげて、とはいえ1つのサインプレーなどの細かい話に入りすぎて全体像が見えづらくならないようにと思って書いていた。
自分はいちファンにすぎないので、長年のオールドファンを唸らせるようなレビューは書けないと思っていたけど、日本代表の試合だから見てみようと思った人に、今回少しでも役に立てたなら嬉しい。
もう一度、みなさんありがとう。
最後まで書き切れたのはみんなのおかげです。
またどこかで、会いましょう。
小学6年生の時、6年間の集大成?としてなんでも好きなものを作っていいという課題があった。
6年間の冬に保護者を呼んで展示してみてもらうための作品作りだった。
私は当時どハマリしていた架空の生き物の育成ゲームをベースに自分の考えた島と大好きな架空のペットを紙粘土で作りたいと思い、母にこういった理由でこれを作りたいので紙粘土を買って欲しいとお願いした。
母はゲームをベースにするのはいいけど、紙粘土ではなく、フェルト等でペットの日々を絵本みたいなのを作るなら材料を買ってあげると言われ、渋々それにした。
元々、学校で完成させられなくて宿題になったり、夏休みの自由課題の〇〇の絵コンクールみたいなものは、私の考えたテーマは却下され、下絵も却下され、色塗りも朝から晩まで怒られながらやって、何度も作ったものを壊され破られやり直しさせられて来たので、自分が考えたテーマが通るだけでもまだマシかと思った。
なんだかんだで作品は完成した。自分の考えた島を紙粘土で作りたかったが、どうしても!という程のこだわりも無かったので、完成したフェルト絵本はそれはそれで良かった。作るのも楽しかったし。
多目的室に並べられた。作品は紙粘土で作った物や紙粘土+αで作った物が多く、高さもあるので、フェルト絵本は地味だった。
家に帰ってから、作品について感想をきいたら、「他の人の作品見て思ったけどあんたああいうのが作りたかったんだね。ごめんね。」
とだけ言われた。
自分の作りたいものを作りたい!と駄々をこねるフェーズは小2あたりで過ぎているし小6の最後になってなぜ今になって謝るのが訳が分からなかった。今も分からない。
特に嫌な思い出として残っている訳では無いが、母を悲しませてしまったけれども悲しませてしまった理由がわからないという意味でなんだかずっと忘れられない。
Outer wildsに抜かれた過去の作品。Outer wildsと一緒に挙げるならまだしもこっちを挙げてOuter wildsを挙げない奴はクソ雑魚アンテナ人間かSF好きを自称しながらゲームを食わず嫌いするような雑魚。
主人公が美少女だから評価してるだけのルッキズムもしくは自己犠牲エンドを称賛してるだけの中二病。閉鎖空間で吊り橋効果が起きるだけの話なので内容自体はかなりペライ。
あまりにも唐突でクソ雑な展開。本音を言えばサイエンスをフィクションする気なんてアリマセーンと言わんばかりのオチ。まあエロゲみたいなもんだと割り切ればありなんだろうけど、それならもうシュタゲでええやん。普遍的なノリにした劇場版シュタゲでしかないっていうかさ。それならシュタゲ本編のが上じゃねっていう。
マイノリティ・リポートの方が完成度高いと思うんだよね。ライ麦畑でつかまえてのアンサーソングとしても攻殻機動隊の方が上。凶暴な兄ちゃんを飼いならすバディものとして評価してますってなら分からなくも無いんだが、好きなSFを挙げるって流れでそういう話をされても困るんだよなあ。伊藤計劃の話題で盛り上がってるときに「ミァハたそペロペロ」とかいきなり言われたらドン引きするだけみたいな。
・初代以外のガンダム
まあ初代は色々とエポックメイキングだったり色んな文脈の集大成的な部分があったりで評価してもいいと思う。でもそれ以外はわざわざSFについて語る場で挙げるほどではないかなあ。∀はガンダムシリーズとしては集大成なんだけど、単品でSFとして凄いかっていうと違うんだよね。
青春ジュブナイルでしかないというか後の展開を見れば分かるようにキャラクター小説でしかないというか。それにしては王道すぎるというか。せめてパズルの軌跡かなあ……。
いやマジで居るんだよたまに。令和にもなってマヴラブがマジで凄かったと言い続けてるのが。別に凄いってほどじゃないぞ。ガンパレもそうだぞ。進撃の巨人もな。オール・ユー・ニード・イズ・キルも当たり前のようにそうだからな。
矢澤にこの同人誌が星雲賞になったの一発ネタやろぶっちゃけ。スケールがインフレし続けるスピード感は凄いが、極大大局的百合世界観の一本勝負でしかないわけで。
・手塚治虫関連
当時にしては凄かったね。でも今語るほどかい?ゆーて基本的にSF小説で語られたネタを大衆向けにパクってきたのが多いだけよね。まだ若い業界でよく起きるやつ。エロゲ業界やら深夜アニメ業界やら日活ポルノやらの黎明期でも起きてたねえ。先行者利得だねある種の。
カクヨムで話題になってた時期がピーク。矢澤とおなじ感じ。よくまあ何とかオチをつけたなとは思いはしたがね。
・猫のゆりかご
ナンセンスを愛するっていうのは普通のセンスがないということだよ。本当に。まあセンスって結局は大衆の最大公約数に寄ってるかどうかでしかない所はあるというオチがついたね。じゃあこの辺でお開き。
子供と一緒にアンパンマンのTVシリーズや映画を見ているとたびたび勃起してしまう。
私はバキバキに勃起させながらも何食わぬ顔で視聴を楽しんでいるが、子持ちの諸兄はどうしているのだろうか。
真面目な話、児童向け作品に情欲を持ち込むようで忍びなさを覚えなくもないのだが、私は昔からこうした頭身低めなキャラクターに性的興奮を覚えてしまう癖があり、止めようと思って止められるものではない。
かといって「パパは君と一緒にアンパンマンを見ることはできない。勃起してしまうのでね」なんて言えるはずがない。
別にアンパンマンに限らずとも、似たような状況は無いだろうか?そうしたとき、諸兄はどうしているのだろうか。
頭身高めの良スタイルの美人。スリットの入ったチャイナドレスがスケベに感じる。絶対いい匂いする。
頭身低めな世界観の中でスタイルが良すぎる。ばいきんまんとのバトルも演劇の練習してると思い込む性格は無知シチュを想起させてくる。
「物体に目鼻口が付いてるシリーズ」の中で最もバランスがよく完成度の高いルックス。
姉御肌の美人。単独でバイキンロボを撃退できる腕っぷしを持ち、ばいきんまんさえ「坊や」呼ばわり。おねショタを想起させてくる。
ミ~ント、ミント~♪の掛け声と共に洗脳を掛けて回る催眠装置。
音楽や美術には対位法なり遠近法なりを体系的に包括した理論があるのに対し料理には理論と呼ばれてるものがない。
栄養学とか家政学はあるが料理すること自体の学問がないのが気になる。
学問として料理学なるものがないのと料理に理論と呼ばれるものがないのはリンクしてる気がする。メイラード?反応のような化学の成果の援用ならあるが、料理人が料理人の視点で発見したものの集大成としての、客観的に共有可能な形でよりよく作るための技法みたいなものは理論化されていない。どんなにプロ向けのレシピ本も専門書扱いはされてても学術書扱いされてない事がそれを裏打ちしている。
しかし冷静に突き詰めて考えるとたとえばゲーム攻略本は学術書かもしれないと思う。
編集者が誤認してない限りはゲームの挙動に関する事実しか書いてないし、記述内容に対する反証可能性もゲームをプレイするという形で明確に開かれているからだ。
ゲーム攻略本でさえそうなのなら学術書かどうかの判定基準のハードルは案外低く、レシピ本も学術書たりえるのかもしれない。じゃあ料理は学術書はあって理論はなくて学問ではないということになるのだろうか(料理は科学とはよく言うがこれを額面通りに受け入れると馬鹿を見る気がする)よくわからない
ふるさと納税は、制度ができた経緯からしてトータルで損だの云々は主眼じゃない。
有名な話だけどふるさと納税という制度を作ったのはガースーこと菅前総理。ガースーが総務相時代に立ち上げて官房長官時代に完成させたもの。
ガースーはこのとき建前では秋田県出身のエピソードを元に地方創生や格差是正のためだと喧伝してたけど、実際の本心は、地方交付税交付金の采配に基づく総務省官僚の既得権益をぶっ壊すのが目的。
毎年総額十数兆円の交付金を全国の自治体に配分する総務省の権力はまぁ絶大で、最近時々ひっくり返されたりしてるが、例えば兵庫県の前知事みたいな元総務省官僚の天下り爺(次の斉藤も元総務省じゃないかというツッコミは一旦置いといて)がいっぱいいる。ポジションは知事だけじゃなくて色々あるけど。
もちろん他の省庁も地方自治体への天下りはあるが、自治体にとってお金配りおじさん元締めの総務省はまさに別格。
そういう総務官僚の既得権益天下り構造にメスを入れようとガースーが導入したのがふるさと納税。
ふるさと納税で、地方の自治体が曲がりなりにも自前で稼いで地方交付税交付金への依存度を低減させ総額自体も圧縮し、自治体への総務省の支配を弱めようとしたんですな。
ガースーは反対する総務省の高級官僚を全部左遷させてふるさと納税制度を推進したそうですが、逆にいうとそれだけ総務官僚は抵抗したということ。
まとめるとガースーの総務省改革の集大成として出来たのがふるさと納税であって、ガースーに言わせりゃ業者への資金流出は必要コストでそれを払っても余りあるメリットが得られるちうことになるんですね。
(追記)
総務省の自治体支配やら既得権益やらそんなもんあるのか?陰謀論では?と疑う向きも有りそうなので
https://togetter.com/li/2205234 という「旦那のこういうところが嫌い」という写真付きツイートについての感想。
愛しているのなら男はビールの空箱ぐらいすすんで片付けねばならない
冷蔵庫に放置されたビールの空箱を巡る夫婦間の問題は、表面上のささいな問題のように思われるかもしれないが、実際には夫婦間の権力闘争や互いの価値観の衝突、愛情の減少の象徴ともいえる。妻は冷蔵庫を自分のテリトリーと見なし、夫がビールの空箱を放置する行為に不快感を覚える。これは夫がビールの空箱を片付ける意欲を持たないこと、もしくはそれを重要と思わないことから来るものである。しかし、理想の夫婦関係では、こういった問題は発生しない。愛情が深ければ、小さなことで争うことはなく、お互いを尊重し合う関係が築かれる。夫婦間の問題は一人暮らしのときとは異なり、一緒に生活することで新たな問題や課題が浮き彫りになる。愛情があれば、互いの習慣や欠点を受け入れることができるが、そうでない場合、愛情が薄れてしまう。最終的に、ビールの空箱の問題は愛情の有無を示す象徴として捉えることができる。
なぜ旦那がビールの空箱をそのまま放置するのかといえば、有り体に言ってしまえば「それほど妻を愛さなくなったから」であり、一方でなぜ妻が旦那のその空箱の放置にうんざりとして嫌ってしまうのかといえば、「それほど旦那を愛さなくなったから」である。
まずこれほどまでに社会に蔓延しており、全く解決できていないということは「その程度のささいな問題ではない」ということをそのまま証明している。1つの家庭を崩壊・険悪にさせるほどのエネルギーを持っているものが日本各地で続発しているというように認識を改めなければならない。
とはいえ、ビールの空箱の放置というのは、ささいな問題のように見える。しかしビールの空箱の放置が発生する原因は旦那の習慣的な行動によってであり、人生における集大成のような、本能に近いレベルの癖によるのである。そう考えると全くささいではない。
一方で、妻から見れば「自分のテリトリーである冷蔵庫をわざわざ間借りしている旦那が、与えた権利以上のものを絶えず主張している」というような状態であろう。不快感を覚えるのも当然である。
いわば妻側は冷蔵庫のマネジメントを任務としているがゆえに冷蔵庫の全権を獲得しており、旦那には借家としての権利を付与していると考えているのだが、一方で旦那は地権を持っていると考えている。仮に冷蔵庫に旦那専用スペースがあり、旦那がビールを購入する主体であれば旦那は容易にビールの空箱を片付けるであろうし、その行為に不満を感じることは1つもない(もちろん最後の1本を出したあとはそのままだが)。妻も他人のスペースがめちゃくちゃになろうが、臭いの充満などの他スペースの侵害をしない限りは関与しなくなるはずだ。しかしこうした「分譲」には、妻側から見れば権利の侵害を感じ、強硬な反発に遭うことだろう。
ここで、「恋愛的に自分が超次元で大好きな異性」という架空の存在を定義しよう。以下、理想人類Aと呼称する。
理想人類Aは、自分が全存在をかけて愛せるような存在である。そんな理想人類Aがビールの空箱をそのままにしていた場合どうだろうか。これは理想人類Aを自分に少しでも依存させることができるチャンスであり、喜んでビールの空箱を片付けるであろう。そのような理想人類Aでもやはり欠点はあったのだと嬉しくなり、自分の存在価値を確認できる崇高な行為となる。
男側から見ても、理想人類Aは、何も文句も言わずに何の痛痒すら感じず朗らかに笑いながらビールの空箱を片付けるような人間である。そんな人間に幻滅されたくない男は、その人間の歓心を買うためなら、喜んでビールの空箱を片付けるであろう。喜んで自分の存在を革命しようと欲し、これも自らの存在価値を確認できる崇高な行為となる。
こうした理想的な夫婦関係においては、ビールの空箱の片付け問題などというくだらない問題は発生し得ない。
共同生活においては、一人暮らしで「単なる怠惰で自分の首がしまる行為」で済んでいたことが、そういう意図はないにしても「貴様がやっておけ」という意味のようになることが多い。気付いてしまうからだ。それの集合体が名もなき家事と呼ばれている。家事自体をしないまでも、そういう状態を目にするのも嫌なのだ。妻側は、怠惰と不潔の織りなすハーモニーに地獄の瘴気を感じ、精神が蝕ばまれていく。
もともと恋愛関係においては自分のベストに近いパフォーマンスを見せあうが、夫婦間においては自分の最悪のパフォーマンスも見せあうような関係となる。相手の習慣を受容しないということは相手そのものを受け入れないということであり、相手の価値観をわかろうとしないことも相手そのものを受け入れないということである。
旦那側はそういうものだから受け入れてほしいと考える。これに正しい間違っているもくそもなく、正しさの度合いは周辺のコミュニティが持つ価値観の相場によって決定される。そちらの方が都合が良いというだけだ。妻側は誰しも当然受けいれたくはない。当たり前に労力がかかる話だからだ。
「共に過ごす」という以上、共に過ごすために必要なコストは必ず発生する。そしてそのコストは分担される。多くは妻側が持っている。理想人類Aだったならば、すべてのコストを受容できるはずなのだ。それだけで理想人類Aの歓心を買って共に過ごすことができるのだから(現実的ではないが……)
結局のところ、お互いに、相手のために自分を変革してまでより愛したいと思っていないのだ。そのままでいたいのだ。妻は、妻でありたくはなく、旦那が旦那でなくなることを欲しており、旦那は、旦那でいたくあり、妻が妻でいてくれることを欲している。
もっと直接的に捉えるべきなのだ。「ビールの空箱を片付けないのは、全く愛されていないように感じる」とか「愛しているからめんどくさいけど自分の習慣を努力して変更し、ビールの空箱を片付ける」とか。「ビールの空箱を片付けないお前が嫌い」とか「ビールの空箱を片付けないことを責め立ててくるお前が嫌い」「ビールの空箱をわざわざ片付けようとは思わない程度にはお前が嫌い」とか、そういうことを暗示しあうからお互いがより愛せなくなるのである。
また考え方として、ハンロンの剃刀というものがある。これは「無能で十分説明されることに悪意を見出してはいけない」 という考え方だ。ビールの空箱を片付けられないのは無能の証であって、悪意ではない。能力が無い。能力を獲得する気がない。そのメリットを感じないというふうに思っているわけで、悪意より矯正しがたいものだ。何か強烈なショックが無ければ変わることはないであろう。
冷蔵庫の中のビールの空箱というのは、無能・怠惰・薄れた愛情・憎悪・夫婦関係の亀裂・闘争・緊張感・離婚の兆候・他責・愚痴・想像力の欠如・束縛・傲慢・依存・甘えがこの世に顕現した姿なのである。
3組に1組は離婚する。
映画「君たちはどう生きるか」を観てきた。
・うまい言葉がみつからないけど、アニメーションとしては、スタジオジブリの集大成といってもいい、すごい映像作品だと素直に思った。
・「インコ」というジブリ史上でもっともキモ可愛なキャラクターが爆誕しているので、それだけでも見る価値がある。早くグッズ欲しい。
・唐突に色々な出来事・モンスター・アイテムが目まぐるしく登場するので、初見で理解が追いつかない感もあったが、むしろ神話的で良いと、魅力的に感じた。たぶん、わざとそういう配置にしてる。
特に、個人的な感想として、もっとも印象深かったのがキリコという登場人物だった。
キリコは異世界(塔の世界)に迷い込んだ眞人が最初に出会う案内人(漁師)であり、『千と千尋』の湯屋の女中のような主人公との関わりを連想させるキャラクターだとも思う。後に、その正体は主人公(眞人)と同時に異世界に入り込んだ従者(老婆)であることが作中で明かされている。
はじめは、この案内人は老婆であったキリコが異世界で変身した姿なのかと思ったが、どうも違う。この若い姿のキリコは(恐らく)数十年前に異世界(塔の世界)を訪れていた、若き日のキリコなのだ。
そして、眞人と同時に異世界に侵入したはずの老婆キリコは、若き日のキリコより、木彫の人形として眞人に託される(映画ラストで、この人形が老婆キリコに変化することから、これが依り代のようなアイテムになっていることは明らかである)。
しかしなぜ、老婆キリコは異世界で木彫り像に変身しなければならないのか?それは、パラドックスの回避の為、時空が混然一体となった異世界(塔の世界)には、2回目は入れないルールがあるからではないか、と考えた。
ではそうだとして、何故、異世界に侵入していないはずのその他の従者(老婆)たちも、老婆キリコと同様に木彫り人形として異世界で登場していたのか?この関係は紐解く必要があるように思う。
一つは、現実世界からの老婆キリコは、他の従者(老婆)たちと同列に、この異世界(塔の世界)には不在であることを示すたんなる装置としての(木彫り人形の)意味合いはあるだろう。
では、他の従者(老婆)たちも若き日のキリコと同様に、過去に異世界に招かれていたということなのか?この点については、実は、キリコ以外の従者たちは、ワラワラ様が現実世界に生まれ、育った姿なのではないかと思うのだ。つまり、彼女たちは大叔父が作った異世界に魂の起源・体験を持つので、作中の異世界では木彫り人形として描かれたのではないか(2回目は入れないルール)。つまり、過去に異世界と縁があった存在であることのメタファー(暗喩)が木彫り人形なのだと思う。
そう考えると、丸くて小さくてもふもふした従者(老婆)たちと、背筋の伸びた老婆キリコのキャラクターの対比も分かりやすい。異世界でのワラワラ様とキリコの関係性を、現実世界でも再現しているというわけだ。
そして、実はキリコは大叔父の血縁者なのではないか。つまり、血筋的にも大叔父・ヒミ・眞人と関りのある重要な役割を担う存在だったのではないか。
異世界(塔の世界)では、大叔父とその血縁者しか主体的に世界に影響を与えられない……という風に理解ができそうな台詞・描写も作中にあったと思う。だから、異世界での鳥達は変容・進化?してしまったし、直接の血縁ではない眞人の父は異世界には入れない。他方で、ヒミは火を操る神通力により世界を浄化?破壊?する役割を与えられ、キリコは循環と再生を扶ける役割が与えられているのだ。
作中序盤で描かれる現実世界での老婆キリコは、他の従者たちと違って、なんとなく可愛げがなく、めざとく狡賢い性格として描かれている。しかし、あの異世界で描かれるように、面倒見がよく逞しく凛々しい姿が、キリコの内面なのである。だから、老婆キリコは、眞人を心配して廃墟の塔までついてきてしまうのである。
ここまで考えると,老婆キリコが作中でもっとも印象深く愛しいキャラクターに思えてこないだろうか。
↑↑↑以上↑↑↑
SNSなどでストーリーが分かりにくいという前評判をみていたが、物語の構成は『千と千尋』や『トトロ』と同様で、トンネルを抜けた先の異世界で試練を経た主人公が、何かを現実世界に持ち帰る構造であり、ファンタジー系のハヤオ作品の中ではむしろ分かりやすい部類だと感じた(個人的には『ポニョ』とかの方が難しくてついていくのがしんどかった印象)。
私は同性愛者の、身体の性別も心の性別も女です。私の恋愛対象は女性で、現在同じく女性の彼女(いわゆるパートナー)がいます。
カミングアウトはしたりしなかったりです。
(プレッシャーに感じる人もいるだろうから実際は本当に数人にしか言ってない気がします。あといざという時に連絡とか命に関わるかもしれん極一部の会社関係者くらい)
あくまで一個人の、同性愛者という側面をもった一人の一般人の愚痴として残しておくために書きます。
かなり私情もあるし、全員が全員そうだという風には捉えないでほしいという前提で読んでもらいたいです。
元からそういう要素があるから興味をもっていたわけでもなく、当時お互いに別のロボットアニメにハマっていたのでその延長で見ていました。
「同性婚ありでフラグ乱立ってすごいね」とか「最後めちゃくちゃご都合主義だったな!」とか、思うところはあれど、一緒にプラモなんか作りながらかなり楽しんで見ていたと思います。
グッズ収集やアニメ外の情報を積極的に得るほどのファンの人に比べたらいわゆるニワカだったと思いますが、最後は「スレッタとミオリネが結婚して終わったのか」という認識で見ていました。
私が公式の謝罪文とともにTwitterで見たときはすでに大炎上していました。
炎上しているものだからてっきり「実はどちらかが人外で女ではなかった(性別がなかった)」とかそれくらいのことが起こったのかと思ってました。
いやいや、だとしても2人が幸せならそれでいいじゃん?でもまぁ、そらはっきり「女性同士」を明確にしてたもんなぁ、モヤるよなぁ……と。
しかしいざ読み解いてみると「初稿の紙雑誌で結婚と明記したけど間違いです。二人の関係は想像にお任せします(要約)」
え?それだけ????
確かに「今更訂正の必要ある?誰が見ても結婚だと見紛うような表現だったよね????」とは思った。
いや別に左手薬指に指輪つけるのが唯一の結婚の証とか言わないし、結婚の形なんか千差万別だからどうでもいいんだけどさぁ。
あそこまでお膳立てして最後指輪つけてって、たぶん誰もが想像する結婚のイメージだったと思う。
それを今更なんで言葉で訂正しなきゃいけないの????と思った。
だから炎上もそういう困惑と、結婚に特別な感情がある人たちの悲しみだと思ってたし、実際そういう人もいっぱいいたと思う。
あとオタク的な感情?として「公式から明言される結婚てワードに意味があったのに!」とか「他の恋人候補の可能性が芽生えたこと自体が嫌!」とか。
もちろん、そう感じている人を否定しないが。
そもそもインタビュー記事の訂正は公式発表を読み解く限りは「(本編でめちゃくちゃ濃厚かつほぼ確な匂わせはしたけど)言葉や設定として明確に結婚とは用いずに視聴者の想像に任せたかった。でも何かミスって結婚ていうやつが出ちゃったから訂正します」だと私は受け取ったんだけども。
「いやあんだけめっちゃ丁寧に描いてて今更想像にお任せしますは無理あるって」ってのは一旦置いといてさ。
むしろそこまで丁寧に描いたからこそ、公式ですら確定演出だと思ってチェックすり抜けたんだと思うけどさ。
それだけのことでしょ?????
それだけというと、結婚をめちゃくちゃ特別に思っている人に申し訳ないけど。
でも別にスレッタとミオリネの結婚の可能性は否定されてないよね????
むしろあんだけ描写してて、外部インタビューの訂正で結婚の二文字が消えただけでそう思うの??????
フィクションにおける同性愛とリアルの同性愛は違うし、むしろそこは混同してほしくないけどさ。
二人の結婚は否定されてると思えないし、解釈の可能性が広がっただけで別に同性愛者の私は当然否定されていないです。
それどこ情報なんだよ。
「同性婚と確定させずに、後から可能性を広げた事自体がダメ」はわかるよ、なんとなく。
日和ってそうやってぼかすことってあるよね。商業的に仕方ないとか、某国や宗教への配慮とかでさ。
でも今回は確定でそれに該当すんの?
これ本当に「間違った情報を訂正しただけ」だったらとんだ思い込みの的外れじゃないの?
疑いで止まってる人はまだいいよ。そうに違いないって言い切ってる人が普通に怖いよ。
これが一番わけわからん。
中には「一話で同性婚を匂わせておいて」とか言ってる人もいたけど、お前本編ちゃんと全部見た????
最終的に同性婚エンドだったかもしれないけど、途中はむしろ逆ハーレムくらい色んなとこでフラグ立ってたよね?
別に最初っから百合アニメとか言ってなくね?コミック百合姫で連載してたか?????
何度も言うけど、本当にただチェックミスで本来明言を避けていたものが世に出てしまったから訂正しただけならとんだお門違いの言いがかりじゃん。
あとそもそも水星の魔女って別に教育アニメでもなんでもないよね????
なんでそこまで求めるの????
頼んでねえよ。
同性婚じゃなくてどっちかがグエルあたりと結婚してても喚いてそうな人が確実に混じってる。
同性愛がテーマの一つとしてあったとしても、それに配慮したり、ましてや啓蒙するアニメだったかな。
個人的にはむしろ「性別も立場も関係ないよね」がテーマの総合的な群像劇だと思ってたし。
この界隈っていう言い方もくくりもおかしいのかもしれないけど。
理解を求めるって他者に過度の配慮を求めるのと違うと思っているんだけどな。
マイノリティっていうくらいだから珍しいなら驚いていいし、何なら私は明確に実害がないのなら理解もいらない。
というかどんな理由があれ、理解がなくとも実害がなければ放っておくのが人生大多数じゃないのか。
なんでみんなそんな自分だけ配慮を求めて被害者になりたがるの?
そんでそんな自己中をヨイショしてる人権活動家やどっかの大学の先生は何?????
偶然マイノリティに属してるからそれを免罪符してるだけのヤバい人間がいるのやめてくれないか。
それはさすがが実害を誘発しかねない。
ラベリングは悪っていうけど、どう考えてもヤバい連中が属するグループには近寄りたくないよね????
しかもそういう人たちってなんで、当事者でも「いや私はそうは思わないです」って人間は無視するわけ?????
当事者だから差別意識がないとも、言ってることが正しいとも言わないけど。
ビアンて公表してないTwitterで同じように呟いたらどっかの大学の先生?から「こうやってクィアベイティングが広がって当事者が軽視される」って空リプきた時は笑ったわ。
軽視どころか眼中にないよ。
その空リプ飛ばしてる相手が当事者って発想すらないのに、適当にくっちゃべったら社会的地位のある肩書が貰えるのかって思ったよね。
あとこれは完全に個人のお気持ちだけど創作の同性愛に口出さないから、創作の同性愛描写を守りたい時だけ現実を言い訳にするのもやめてくれ。
普段BLでメス堕ちとか言ってる人に急に同性愛の擁護サイドに立たれても反応に困る。
そんな回りくどくしなくても、はっきり自分が嫌だと思った感情を大事にして言葉にした方がいいよ。
発言に箔を持たせるために現実のマイノリティをよくわからんソースにして出さなくたっていいと思う。これは本当にごく一部の人だけど。
どうせこの日記も匿名だしマイノリティ内のヒエラルキーで負けて意見のひとつにもカウントされないんだろうけどな。
せめて残しとくわ。
案の定、私のこの投稿がなにかの印象操作だと指摘する声があるね。
同時期に同性愛カップルの日記?が投稿されたのが原因でもあるのかな。
匿名で書いているいる以上証明は無理だけど別人だし、私はただの片親育ちの関西人アラサー女だよ。
自分が匿名でこの気持ちを書いた以上、この言葉は自分にも返ってくるのであまり言いたくないんだけど「ほらなー」って気持ち。
マイノリティ内外問わず、一定思想への忖度だと邪推されてしまうのなんでだろうな。
マジョリティに媚びてるとか、そういうことしてるから舐められるとか、男や腐女子がなりきって書いてるとか。
な?
当事者だって言ってもどうせ意見は受け取り手の意思で取捨選択されて無かったことにされてるでしょ?
まぁネットの情報鵜呑みにしてる方が怖いし、それは匿名な以上お互い様だし。
それ言い出したら私も「私を疑う人は皆、都合の良い情報を取捨選択している」ってブーメランになっちゃうし。
匿名だからそうだろうな、とは思っていたし、匿名で書いた以上そう思う人も出てくるだろうなって思って書いたし。
最近は匿名じゃなくとも、マイノリティ内で謎ヒエラルキーが出来てる気はするけどね。
みんなマイノリティ界のジャンヌ・ダルクを担ぎ上げようと必死よ。
公開数ヶ月前になってタイ人に関するなんやかやの報道でどうでもいい悪印象を与えてくれた鈴木Pでしたが、「宣伝を全くしない」という前代未聞のプロモーション戦略のおかげで、「宮崎駿の新作を全く前情報のない状態で見る」という稀有な経験を与えてくれたことに感謝します。
これは実に小学生の頃「両親に連れられて『火垂るの墓』を見に行ったら突然なんか知らないアニメ始まった」以来の驚愕の経験であり、その後のジブリアニメが国民的アニメとなっていき毎回公開前に怒涛のプロモーションが行われていった経緯と、その時に見た「となりのトトロ」が私の生涯において不動のベストアニメであることを考えると、奇跡のような経験であるといえます。
ただ、正直あまり期待はしていませんでした。というより期待しないように努めていました。私のジブリへの信頼感のピークは「もののけ姫」とコミック版「ナウシカ」であり、今ではアカデミー賞に相応しい最高のアニメであると評価している「千と千尋」も終わった直後は頭の中「???」でしたし、ハウルでは「??????」、ポニョでは「????????????」となっていきました。
ゲド戦記とアリエッティは私の生涯のワーストアニメベスト1&2です。
「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」も、「?」は浮かばなかったものの「ピークを過ぎた老境の作家の遺作としては十分以上の出来だろう」というような妥協した評価に落ち着きました。
この作品が制作発表された時にまず思ったことは「本当に完成するのか?」という心配でしたが、鈴木Pの斬新なプロモーション戦略により完成するまでその心配を思い出すこともありませんでした。ポスターが発表されてからもほぼ忘れていたのですが、「プロモーションをしない」という鈴木Pの方針が話題になってから俄に気になり始め、上記トトロ以来の経験をする決意をしたというわけです。
私と同じ体験をしたい人は絶対にこの連休中に観に行くでしょう。連休中に観に行く予定の人はこの先を読まないでください。
行かなかった人はその後普通にどのような作品だったか、情報を目にすることになるでしょうし、少々のネタバレを食らったところで気にもしないでしょうから、ここから私の感想を書いていきます。ストーリーの核心をネタバレするつもりはありませんが前提となる設定などは普通にバラしていきます。
◆面白い?
「カリオストロ」「ラピュタ」のような痛快冒険活劇ではありません。「ナウシカ」のような設定をしっかり作り込んだ異世界ファンタジーでもありません。しかし、見ている最中「最高傑作」という言葉が何度も浮かんだのは確かです。「トトロ」や「千と千尋」を上回るか?と言われると、難解で観念的すぎる部分はありますが、明らかに上回っている部分もあるので、評価を決めるにはまだ何度も見る必要があります。というかすぐにでももう一度見たいです。
◆この作品を見るべきか否か?
文字通り宮崎駿の集大成なので、ジブリ映画で育った人間なら見に行かないという選択肢はありえないでしょう。ハウル以降は見なくてもいいと思いますがこの作品を見ずに日本のアニメのことを語ることは不可能です。というか、確実に「トトロ」や「魔女宅」などと同じように日本人のDNAに深く刻まれる作品になるでしょう。
◆良かった点
・文字通り集大成なので過去の宮崎アニメの要素が全て入っている
風立ちぬ→トトロ→千と千尋→ハウル→ポニョ→コナン→カリオストロ→ラピュタ
と怒涛のようにどこかで見たような風景、展開が続きます。二番煎じではありません。
本人にしかできないセルフオマージュであり、過去作を踏まえた上で、それが国民的記憶として共有されているからこそできる唯一無二の表現です。
そして、あらゆる影響を生み出してきたオリジネイターにしかできない圧倒的イマジネーションがあります。
主人公のモデルは少年時代の宮崎駿自身であり、半分自伝的な物語になっているが故に、少女を主人公とした「千と千尋」などより真に迫ってくる情感があります。
何より宮崎駿がインタビューで度々口にしていた母親に関する憧憬が、作品として昇華されているところが素晴らしいです。
コンテを描きながら公開日を決め、締切に追われながら作られた過去の作品は、若い頃は力技で最後まで渾身の力で作りきっていましたが、近年の作品においては終盤明らかに息切れが感じられました。今回は明らかに時間をかけてストーリーが練り込まれており、「ハウル」や「ポニョ」で顕著だった「えっこれで終わり????」という感覚は一切ありません。
「既存のストーリー構成の枠にはまらない」という手法は「千と千尋」の方法論を踏襲しているので唐突な展開の連続に難解さを感じる人もいると思いますが、終わってみれば一本筋の通ったストーリーになっており、深く考察する価値がありそうです。
「千と千尋」で確立した「ゆきて帰りし物語」のフォーマットを発展させ、導入はよりゆっくりと自然に、異世界に入ってからはよりぶっ飛んだ展開の連続で飽きさせません。結末も「これしかない」という納得感のあるものになっています。
・泣ける
「火垂るの墓」以外のジブリ映画で泣いたことはあまりないですが、様々な要因からくる深い感動で終盤は涙が止まりませんでした。米津玄師の主題歌がその感動に拍車をかけてきます。ズルいと思うぐらい良いです。
◆悪かった点
・なんか説教くさそう
説教くさそうなのはタイトルだけです。少年時代の宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた、という以上のことは原作との関連は読み取れませんでした。原作を読み返し、何度も見て考察したい点です。
君たちはどう生きるかのレスポンスを摂取している
感想で、一般人の「おもしろかったー」みたいなものが、あまり観測できない
あ、これ楽しめないやつだ、って感じ
映画から楽しさをもらったというよりも、映画をトリガーに自分の知識が確認できた楽しさとでも言おうか
そういうのが感想で前面に出されてたやつで、楽しかったものが記憶にない
もちろん
私個人も「おっふ、これは○○でござるな」みたいな楽しさを持つことはある
漫画で過去作のキャラが絡んで来たときとか、電車の中でニマニマしてて
でもそれは、作品を推す力にはならない
君たちはどう生きるかの、映画そのものについての感想が読んでみたいんだけど
しかし、それゆえか映画を見終わったあと若い人たちからはよくわからなかった、という会話も聞こえてきた。
だが、子供時代から宮崎駿のアニメに親しみ、そして反抗し、そして再び畏敬の念を抱き、そのあと少し忘れてしまっていた世代である私には響いた。
なんというか、これは宮崎駿から私たちへの最後の挨拶のようにも感じたからだ。
舞台は戦中、主人公の少年は裕福な家庭に生まれ、田舎へと疎開する。
作品を見る前の予想
・自伝的要素が強い
・宮崎駿アニメの集大成的要素(あるいは大甲子園的な展開もありえる?)
しかし、物語冒頭の観客の心を鷲掴みにしてくるパートの見事さから宮崎駿の老耄ぶりを心配する必要はなくなった。
はず、だったのだが、どうにも見ていて大丈夫か?この映画?と心配になるときが何度かあった。
というのは映画の冒頭から序盤までのパートはいいのだが、サギが出てくるパートから映画に対しての不愉快さが積もり始めるからだ。
予想していた悪夢的な醜さをコントロールできていないのではないか?と心配になり始める。
だが、見終わった段階で言えることはこれは計算通りのものであり作品の設計に狂いはない。
観客がそろそろ、この映画に見切りをつけたくなる、というタイミングで物語は猛スピードで展開し始める。
まだ上手く消化できていないのだ。
創作とは。
確か村上春樹とスティーブンキングは創作とは、掘り進める行為であるとか言っていたような気がする。
小さなミノで岩とトントン、トントン自分の心の底を削り続けるうちに創作の源と出会うとかなんとか、そういうイメージ。
その石の力で、世界をつくりあげた人物であり、今となっては力尽きようとしている老人。
石の積み木の位置を渾身でもって微調整しても世界はもう保たないのだ。
世界は滅ぼうとしている。
そう世界は滅びるのだ。
老人の世界を形作る石の積み木は微調整しても、もう新しい世界を生み出すことはないし、
ああ、駿、駿、駿。
なんと悲しいことを律儀に告げることのなのか。
みんな、みんな突然いなくなる。
志村は、なんの前フリもなく消えた。
その他のたくさんの愛すべき人たち。
彼らは何の別れの挨拶もなく消えていった。
でも。
ああ、駿、駿、駿。
お前は何と律儀に別れの挨拶をしてくるのか。
そして、その悲しさに私は胸が張り裂けそうだ。
インコ王様は、新しい積み木をこうやってああやってこうすれば、それで世界は再生するのだ。
とやってみせるが、それは世界の滅びを早めるだけだった。
世界は石の力を扱える血族でなければ、存続させることが出来ないのだ。
名前の挙がった面々は今から見れば間違いなくアイドルだけど当時視点でそうだったかな?
モー娘。はボーカリストオーディションの敗退組寄せ集めで始まってるし、森高千里みたいな非実力派宣言で始まったシンガーソングライターもおるし。当時は何かの才能があるということじゃないと芸能人をやれなくてアイドルはその外だった、多分おニャン子とか量産アイドルへのカウンター。
でメインストリームを追い出されたのと、メイド喫茶やコスプレイヤーや声優アイドルで3次元への抵抗が多少は和らいだ所に生まれたのの集大成がAKBで、オタクの街アキハバラにアイドルが来たのは時差があって決して同一のものではなかったはず。
もっとさかのぼれば70〜80年代はアイドルがアイドルとして普通に音楽チャート1位を取っていたりデカく存在していたわけで、題材として2次元3次元問わずいろいろ使われてた。卒業 〜Graduation〜の二番煎じである誕生 〜Debut〜なんかもその時代のオタクはなんとなく知ってるでしょ。
あとは土田晃之が工藤静香親衛隊に入ってた話もあるぐらいで親衛隊なんて上下のしっかりした体育会系組織だから社会性ぶん投げてたオタクと相性が良いわけがないんだから、その辺が残っていたのなら嫌がる気持ちはわかりそう。
今は良くも悪くもその辺がぐじゃぐじゃに溶けてまざってるんだろうね。
管理会社いれずに100戸ってことは一日に1戸かけれる時間は10分程度
移動時間だけで10分かかることもあるわけで実質一日に対応できる個数は50程度でしょう
すると残り50は翌日に延ばすわけでずっと50戸の対応は先送りになる
その集大成を生産するために更新日がありそれが順番にくることで対処できるのとそれ以外を放棄することで
設備の確認や保全対応、住居の申し出やトラブルの対応、地域や近隣の活動に割り当ててかつ情報収集や経営をしてるうえに
まだ顧客になってない人間の個人情報でSNSストーカーしてる人が
もし契約者と違う人が住居を使ったり客としてきたタトゥーの人が迷惑行為をしたとしたら対処ができるのかどうか
私は常々『腐女子は受けキャラを優先する』論に否定的で見かけるたびに歯痒い思いをしてきた
当方CP雑食で、推しのことなら攻めCPも受けCPも好きだからだ。決めつけられてムッとなることが多かった
今回やっぱりそんなことはないと思える出来事があったので書く
(なお今回例に挙げる推しキャラはどちらかというと攻め解釈の方が若干好き派)
原作はそろそろクライマックス、推し(以下A)のおそらく最後で最大の見せ場回が来た
ここのところAを中心としたエピソードが続いていて、今回はサブタイトルもAについての集大成だとはっきり示すもの
個人的な感想は推しの魅力が凝縮されてて最高の回。10回は読み返したし、号泣しすぎて頭が痛くなるほど感動した。推し一生しゅき…
結果それぞれのCP者の反応
・A×B界隈:大盛り上がりで長文感想ツイートが大量に流れ、解釈ツイートのRTがどんどん回ってくる。
・A×C界隈:ちらほら本誌読んだ報告、感動した等サラッと言って終わる人がほとんど。
むしろ本誌内容と関係ない自カプシチュ語りや同人告知を流し始め感想自体があまりにも少ない
・C×A界隈:ここも大盛り上がり、こちらはAの行動自体は大絶賛されつつ、
このセリフはこう言ってほしかったな、などの解釈違い評価も有でABとはまた質の違った雰囲気
それぞれ描き手を50↑人ずつ程フォローしてるので(なんならAC者が最もフォローしている数が多い)
※ちなみにA×D、D×A界隈も盛り上がっていた。
※いわゆる"ジャンルの最大カプ"は推し関連のカプではない。挙げた3つのCPはおそらく同じくらいの規模
(ただ当方推し以外の総受けが地雷なためBとC総受け界隈のことはよく知らない)
これを受けて
CP者議論において"攻めの扱いが軽んじられている"法則はデマ、しかし特定CPにはそういう傾向があることはある
が私の中での結論となった
そしてちょっとというかかなりAC者には萎えてしまったので心境は複雑です…元々あんまり原作の話しない人多いなと思ってたけどさあ…
やってくれたなBNP。墓荒らししてくれたなおい。もうキレてるよ。滅茶苦茶バチ切れてるよ。
先日発売された劇場版アイカツ!の円盤ね、早速買って視聴したんですよ。アイカツ!10thの(多分)最後を飾る円盤ですよ。いちご達の未来を描いた劇場版の円盤。どんなことがあってもこれを見る事で先へ進めそうな希望を見出せるあの劇場版の円盤。楽しみにしてましたよ。
視聴中キレ過ぎて頭ン中入ってこなかったよどうにかなりそうだった。再生するもん間違えたと思って2話タイトル出た辺りで一旦停止してメニュー画面飛んじゃったもん。間違ってないの確認して「無」になりながら視聴再開しました。
けど泥酔ユリカ様を介抱するかえでのシーンで正気に戻りましたかえユリサイコーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
なんでここまでブチ切れてるかってな、簡単に説明すると「劇場公開版と異なる構成にしやがった」のよ。
ちょっと詳しく説明すると、劇場公開版は3話に分かれてるのね。これはいろんなとこに出てる情報。あとエンドクレジットにもその記載ある。それはいい、別に。
チャートにするとこんな感じ。
〇劇場公開版
フフッヒ
↓
↓
OP(MY STARWAY)
↓
↓
↓
2話A・Bパート
↓
3話A・Bパート
↓
ED(氷の森)
↓
フフッヒ
↓
↓
OP(MY STARWAY)
↓
↓
↓
ED(氷の森)
↓
↓
OP(MY STARWAY)
↓
2話タイトル
↓
2話A・Bパート
↓
ED(氷の森)
↓
OP(MY STARWAY)
↓
3話タイトル
↓
3話A・Bパート
↓
ED(氷の森)
死
1話Cパートの次に2回目のOP流れた時点で私の「AIKATSU! 10TH STORY - STARWAY TO THE FUTURE - Blu-ray Box」は死にました。
バカか?なにやってくれちゃってんの?なぁ、おい。
なんで劇場で流したものを収録しない流さない。誰の判断だ?なぁ、マジに誰がGOサイン出したんだ?
返せよ。私のSTARWAYを返してくれよ。私が劇場で見た未来へのSTARWAYを返してくれよBNPさん。
なんでわざわざ再編集して劇場版をTVサイズに格下げしたの?劇場版ってBNPさんの中ではその程度の価値しかないのか?
私がここまで強い言葉でキレてるのは単純に余計なことしたってだけじゃないのよ。
劇場公開版って言ってみれば「現在→未来(現在)→過去回想→未来(現在)」なのね、構成が。
映画が公開するまでファンの9割以上が「卒業ライブが主軸になって終わるんだろな。卒業後はちらっとかな?」と思ってたはずなのよ。
それをおもいっくそ外して2話目(に当たる部分)で卒業ライブ~卒業をBGMバックの一枚絵で終了(ライブシーン自体描かない)+過去の思い出として処理したのよ。
そりゃもう相当の衝撃でしたよ。そのあとすぐ蘭がZ4で首都高爆走だからな。やりやがった!!!て100本ぐらい取られたよ。正直何を見せられてるのか分からんかったのよ。だって、なんかカッコいいブーブを蘭が運転してるんだぜ?て。もしかして…成長してる?!?!?!?て混乱状態。それぐらいヤベーことやったのよ。
それがなんですか、OPEDを挿入したことで「個」として確立させちゃったのよね。1話1話独立した話になってんの。
だから魅力も衝撃もクソもないよ。地続きでやってないんだもん。いちごが「卒業ライブやろう!」っつって「お、いよいよ来るか」思ってからのBGM1枚絵~Z4紫吹で「?!?!?!?!?!?」になんねぇんだよ。間にEDOP挟んでるから一旦リセットされてんのよ。休憩タイム。心がニュートラルになる。
大人のなった彼女たちが「絶対また会える」(だよね?)をバックに頑張ってるシーン滅茶苦茶大好きなんですよ。見てる側もここのシーンの頃には色々受け止められて落ち着いてるでしょうし。「あぁ…あいつらは大丈夫だ。離れていても頑張ってる。いつまでも変わらない彼女たち自身だ」てその流した涙は優しい涙ですってくらい優しい気持ちになる。リボンカチューシャを外したいちごも中々衝撃ではあるよね…もう今まで見てたいちごとは違うんだなて否応にでも分からせられる。けど変わらないものってあるよね。大丈夫、いちごはいちごです。
て、気持ちになったのにあの編集されたおかげで少しアンニュイになったこともぜーーーーんぶ吹き飛びました。もう一回見返せば少しは変わるのでしょうか。
3話目だってそうだよ。「蘭といちごがそれぞれ「あの時の写真」を見つめる→過去回想で卒業ライブ→現代に戻る(ライブを踏まえてここまでは来られたからこれから先に進む道も大丈夫)」って流れがいいのに写真→過去回想の間に余計なもん入れたもんで連続性が失われて演出がつながってないのよ。もっと言えばぶつ切りでED入ってんのよ。
マジにこれ誰の仕業なの?構成上3話で成り立ってるのは分かるし別にそこはなんもコメントないけどさ、だからっつってOPED入れるのはまた違うんじゃない?内容自体変わってくるじゃん。それはどうなのよ。
演出家の方これでいいの?あの1/20に公開した劇場版が100%じゃないの?円盤版が本来やりたいことだったとしたら、あの時の俺達は未完成品を金払って見せられたのか?
どうなんだ?「10年を肯定する」って木村監督(だったか加藤さん)が仰ってたと記憶してるんだけど、俺は追いかけ続けた10年を否定された気分だよ。なんで素直に劇場公開版を収録しないんだ。
OPEDもさ、神曲神演出神映像なんだよ。「MY STARWAY」なんてイントロ流れた時点で大泣きするし「氷の森」なんかED担当の方がTwitterで世界観とか演出意図とか色々語ってくれて、それを踏まえて見るとまた泣けてくんのよ。
OPED含めての本編だと思うんですよ自分。その使い方含めて。頭からしっぽの先まで。
MY STARWAYなんて一番最初に1回流して観客に覚悟決めさせて、本編終盤に卒業ライブという形でソレイユが披露するから高まるんだろ。大人になった舞台で在学中の出来事をバックに流すから10年間を肯定できるんだろ。
氷の森だってそうだよ。TVシリーズから見ると未来で再開した三人。劇場版で言うと現在のあいつ等だよ。大人になったいちごが記憶の中で「あの頃」のいちご達と出会うから、どんな先の未来でもずっとずっと変わらない今のいちご達自身そのものなんだろ。時の流れとともに変わっていくから、スターライトで過ごした彼女たちもういない。けど、「MY STARWAY」を聞けばあの頃のあいつ等に逢える(氷の森)ってことなんだよ。MY STARWAYはこれから先ずっと、いちご達と共に在り続けるんだよ。確かにスターライト学園にいた日々の証。私達はそんな彼女たちの記憶と未来に少し触れられたような気になるの。
これからとその先に在るから響くんだろ。それがどうだよ。話の間間に使われちゃ台無しだよ。
卒業ライブのMY STARWAYなんて通算4回目だよ。どういう気持ちで見りゃいいか分かんねーよ4回も擦られちゃ。そりゃ映画見てからもずっと聴いてたよ。でも違うだろそれは、そういうこと言ってんじゃないよ。本編中に同じ曲4回も擦られりゃ流石に慣れるわ。MY STARWAYが涙代わりだわ。悲しみが広がるわ。EDも1話目で使われたら意図違ってくるでしょ。ちょうちょいちごはどの立ち位置にいるか分からんよ。
んでさぁ、本編見終わって卒倒したのよ。SHINING LINE*使ったED無くなってんのな。3話ED…本来だったら氷の森初披露の後に流れたやつ。バカか??????????????????????????????????
ほんとありえねぇ何やってくれちゃってんの?アイカツ!エアプがやったんか?何考えてんだよアンポンタン過ぎるだろなんで余計なもん入れてこれ消してるんだよ余計なもん入れたせいだろがよ元々こっちで全話分クレジットされてんだからさそういうとこで整合取れなくなっておかしくなってんじゃないかよ雑なんだよ仕事が雑ほんと雑編集した奴とGOサイン出したやつはエンドクレジットで退席する派なのかそうかそりゃそうだよなここまで映画ひいては作品に対して愛もなんもないんならこういうことしちゃうわなそりゃMARVELもこういう人たち向けに本編前に「エンドクレジット後にも映像があります」とか野暮な案内出すわ10thSTORYのED2はただのEDじゃないだろ最後の最後スターライトの学生服を身にまとったいちご達が映るとこがいいんだろが美月さんもいるんだよそうだよ美月さんがいるんだよいちごの道しるべになった神崎美月だよ最近っていうか2期からは私服で出てるけど美月さんいてこそなんだよそういうところを拾って〆だったんだよSHINING LINE*もこれまでとこれからの曲だろ再開して終わりじゃないんだよこれからなんだよゴールはスタートなんだよこの曲を聴いて劇場を出た時私たちのSHINING LINE*が始まるんだろバトンを受け取ったんだよ勇気を受け取ったのよ次は私たちなんだよ頑張ってる仲間がいるから私たちも頑張れるんだよいつまでもわたしたちの道しるべなんだよそれがなんだよ全削除って舐めるのは飴だけにしろよ意図もなんもないじゃん何のためにあのイラスト描いたんですかSHINING LINE*流したんですかジャケットの裏側に載って終わりってお前さぁアイカツ!エアプかマジにテメーの担当作品くらいちゃんと見ろよ勘弁してくれよマジに泡吹いて倒れたわまさかまさかだわまさかなかったことにされるとは思わなかったわ石濱さんに謝れよスターアニスの立ち絵削除もさぁマジにどういう意図で消したの各話EDでクレジットしちゃったから消したのしたら各話EDなんていらないでしょ何のために入れたんだよほんとところでオンパレード!のノエル編って製品化されてんですかね。
この編集は流石になんもかんもないがしろにし過ぎてるわ。どういう意図でやったか言えよマジで。納得できる釈明を求む。
お前さぁ…同時上映版OPと劇場版OP分けて入れるんだったら劇場公開版本編も入れろよ。どういうとこに気使ってるか分かんねぇよ。
あと音響設定がデフォで2.0chになってる?選択のデフォが2.0chにセットされてた。これは違うか?どうだろ。
で、ここまでツラツラ長々と駄文をしたためて「もしかして」と公式HP言ったらですね。
【収録内容】
「アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~」第1~3話収録
※劇場で上映された内容を3話に分割した特別編集バージョン!
※劇場で上映された内容を3話に分割した特別編集バージョン!
※劇場で上映された内容を3話に分割した特別編集バージョン!
って書いてありました。
完全に忘れてました。
忘れてた状態で劇場公開版だと思って見てました。編集するなんて思わないじゃんね普通。
「覚悟」が足りなかったです。
「おつむ」も足りておりません。
ただ、一つ反論させてください。
誰が望んだよそんなこと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!なんだよ特別編集バージョンて!!!!!!!!!!!!!!演出も!!!!!!!!!!!!!!!変になって!!!!!!!!!!!!!!!!!!!SHINING LINE*も!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!カットして!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!スターアニスを!!!!!!!!!!!!!!!!!!!カットして!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!誰が望んだんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
それが分かったうえで書くとね、「余計なことすんな」で片付くことですね。
私は「劇場作品」として未来へのSTARWAYを見たかったんですが、BNPはそうじゃなかったのかな。
そもそも編集した意味ってなに?分割する理由ってなんですか?ってとこなんですよ。上でも書いたけど劇場公開版って未完成品だったの?
というか劇場公開版も特典映像か初回限定の別円盤に入れてくれりゃよかったよ。それで値段上がっても大賛成だわ。少なくともディズニーのMovieNEXみたいなアホアホゴミカス仕様とは違うんだから。
最後の最後でモヤモヤしたくねーよ……素直に劇場公開版見せてくれよ頼むからさぁ…。
「OPED見たくないなら飛ばせばいいじゃん」って言う奴いるじゃん絶対。違うんだよ。根本的に違う。
視聴中にその行為をさせる時点で負けなんだよ。「視る」「聞く」以外の事させたら負けなんですよ。意識が映画から移るでしょ。私は今目の前で流れている作品にだけ100%意識を集中させたいの。それ以外の行為なんてさせるんじゃねないよ。
私はただ単純に「10年パンチをモロに食らって1時間以上劇場から立てなかった、あの時見た劇場版が見たかった」だけです。それ以上でもそれ以下でもないです。あんな編集したらもう別モノだろ…TVサイズとかさぁ…ディレクターズカット版みたいに本編本筋の映像が追加されてるわけじゃねぇんだから…。
もちろん曲も映像も全てが最高のもんだ。10周年を飾る、現状一番最新のアイカツ!OPEDにふさわしい出来、集大成。これは何も変わらない。
ただ、この表現が適切か分からないし同列に扱いたくないが……使い方のせいで「広告」に成り下がってる。集中力が切れる。感情がリセットされる。正直私は追加分はいらない。本当にいらない。不要。
まさかこんな形でトドメ刺されるとは思ってなかった。悪い意味で感情を破壊された。公式様に泥を塗られた気分だ。私の思い出まで汚さないでくれ。
スケール(学習量と計算量)に比例して底無しにAIの性能は上がっていくって理論は既に提唱されてるね
>Transformerの性能は『モデルのパラメータ数』『使用するデータセットサイズ』『計算予算』の3変数に依存する冪乗則に従う
https://zenn.dev/zenkigen/articles/2023-01-shimizu
普通に考えて、指数関数的に上がっていく性能が「人間と一致」するのはほんの一瞬だと思う
というか人間と同じにしたがるのは単に人間側の都合であって、計算処理の合理性では別に人間サイドに合わせる必要はあまりないし
単に「人間側が見抜ける余地がまったくなくなるぐらい人間の模倣が上手くなる日」って言った方がいいかと
本物を内部構造まで完全に再現できる偽物は、本物と変わらないから
ちなみに「コンピューターに人間と同じ思考をさせられるやり方」はニューラルネットワークも自然言語処理も、これまでのAI分野全部その集大成みたいなものだから
「これ一つ」とかいうよりは今までやってきたこと全部コンピューターに人間と同じ思考をさせる方法論の集合体って言った方がいい