小学6年生の時、6年間の集大成?としてなんでも好きなものを作っていいという課題があった。
6年間の冬に保護者を呼んで展示してみてもらうための作品作りだった。
私は当時どハマリしていた架空の生き物の育成ゲームをベースに自分の考えた島と大好きな架空のペットを紙粘土で作りたいと思い、母にこういった理由でこれを作りたいので紙粘土を買って欲しいとお願いした。
母はゲームをベースにするのはいいけど、紙粘土ではなく、フェルト等でペットの日々を絵本みたいなのを作るなら材料を買ってあげると言われ、渋々それにした。
元々、学校で完成させられなくて宿題になったり、夏休みの自由課題の〇〇の絵コンクールみたいなものは、私の考えたテーマは却下され、下絵も却下され、色塗りも朝から晩まで怒られながらやって、何度も作ったものを壊され破られやり直しさせられて来たので、自分が考えたテーマが通るだけでもまだマシかと思った。
なんだかんだで作品は完成した。自分の考えた島を紙粘土で作りたかったが、どうしても!という程のこだわりも無かったので、完成したフェルト絵本はそれはそれで良かった。作るのも楽しかったし。
多目的室に並べられた。作品は紙粘土で作った物や紙粘土+αで作った物が多く、高さもあるので、フェルト絵本は地味だった。
家に帰ってから、作品について感想をきいたら、「他の人の作品見て思ったけどあんたああいうのが作りたかったんだね。ごめんね。」
とだけ言われた。
自分の作りたいものを作りたい!と駄々をこねるフェーズは小2あたりで過ぎているし小6の最後になってなぜ今になって謝るのが訳が分からなかった。今も分からない。
特に嫌な思い出として残っている訳では無いが、母を悲しませてしまったけれども悲しませてしまった理由がわからないという意味でなんだかずっと忘れられない。