はてなキーワード: 心の問題とは
私は腐女子である。過去には自らイベントに参加し本を頒布するなどもしたが今はただの出戻りROM専である。
私が二次界隈から去っている間に、この創作世界にも様々な変化があったように思う。
主に夢だ。
こんなにも市民権?をとっているとは過去の腐女子には想像もつかなかった世界である。
彼女らは大変に気遣って住み分けし、支部ではタグを入れて事前注意をしてくれるし、別に避けているわけではないが彼女らの主張をSNSなどで見たことがない。少なくとも私は。
女体化。
別に嫌いではない。支部でジャンルに女体化を描く人はいく人もいる。しかし大勢いるそのうちの一人にもやっと来る。
その人はいわゆるツイ廃で、心を病んでいる。よく死にたいツイートをしている。自らメンヘラを自称している。
私は過去の経験から、8割くらいの二次同人女は過去未来現在のどこかで心を病んだことがあると思っているので別にそれは気にならない。
TwitterというのはSNSの中でも危険度の高いツールだと思う。呟きツールというだけあって、脳と指先が直結している。
気軽に自分自身についてツイートする。そして自分の好きなキャラについて考察したりする。
しかしこちらは同時に同じような意見を見ることになるので、彼女のキャラ考察というのはキャラでなくてご自身のセルフ考察であるなあというのが分かってしまうのだ。
何しろそのキャラは某人気王道バトル少年漫画の主人公であるので、間違ってもフロイト的な、全ての心の問題は性問題であるみたいな、そういう考察にはなり得ないのだ。
女体化作品でも作者が透けて見えなければよかった。たとえキャラ崩壊してだれおま状態でも気にならない。
しかしこんな明確に自分の問題をキャラに投影して、このキャラの考察はこうでこうで、などと大真面目に語られるともはや二次というより彼女が彼女自身を描いたエッセイ?を見せられているような気になってしまうのだ。
エッセイも好きだ。しかし、それは自分を客観的に見れていたらの話ではないか?
明らかに美化?した理想の悲劇の主人公。女体化。もはやなり変わり夢と化している男性キャラ。
絶世の美人(元はフツメンの男性キャラである)登場人物全員このキャラを愛している。総受け固定、などと語られると
(自分ではなく好きなキャラを語っているというつもりなので)、こちらとしてはヲチ目線で見るしか無くなってしまうではないか。
男体のままならまだ自分をごまかすことができたかもしれないが女体化。
もちろんこちらは見なきゃいいだけの話なのだが、こんな彼女のリアルな友人も見ているだろう垢で、欲求不満です通りすがりの誰でもいいみたいな作品をその女体化キャラでリアルチックに描かれられると、そんな赤裸々で大丈夫かとハラハラしてしまう。
なんだかひと昔前の携帯小説の援助交際女子高生みたいなこと言っている。
援助交際ってお金が目的なんだと思ってたけど、あれ、普通に欲求不満なだけの人もいたのだろうか?
BLという隠れ蓑を纏っているなら他人にその願望をバレたくはないと思っているんじゃ無いだろうか。多分だけども。
きっと未来に死ぬほど後悔しそうな気がするのだけど、ひと事ながら大丈夫なのだろうか。
それとも恥ずかしいと思うのは私がオババだからで今の若い人は平気なのかな。
なんかこう書くとエラソーだなと思ったんで付け加えますが、正直BLの性的表現というのは私も含め全て自己の投影だと思ってます。
自分の性についておおらかに表現するのに抵抗がある女性が、男性同士です、私とは無関係ですよ、という名目の元に性的なものを創作物として昇華させていると思ってます。
この世の中には2つの考え方があって
ってのと
ってやつ。
どっちの考え方が間違いというわけでも無いけど、基本的に2番の考え方がよくて
これが直感的にわからない人は一生苦しんで生きることになる(かもね)
もし生きるに値しない、意味のない人生だったら、そいつは早晩死ぬことになる
死ぬことはまぁ不幸だよ。ここでイチャモンつけてくるやつには話していない。
本来この世界には生きる目的なんてのは無いから。そんなことはない!っていうやつは物語とか虚構に毒されている夢見がちの脳みそお花畑なんだろう。まぁ気持ちはわかるお前の人生は意味がないって言われて気分のいいやつはいない
でもここで言いたいのは俺は人生自体に意味があるんだとしたら、生きる目的なんてのはあろうがなかろうが、人生を歩んでいる限り何かしら有意義であり続けられるということを言いたい。
これは考え方の話です。事実かどうかはどうでもいい。
なぜなら心の問題だからです。物理的には人間が生命活動しているだけなので、目的を持って有意義に生きている人間と、ぶらぶら生きている人間の間に、なんの違いもありません。
絵を書いているから、歌を歌っているから、株取引で利益出したから、意味があるって思ってるかもしれんけど、それ人間社会の中の人間のココロの動きなだけだからな。
宇宙的な物理的な観点で見たら、アリが蟻塚作ったりビーバーがダム作ったり、産後がサンゴ礁作るのと一緒で、意味がどうとか言うより、ただそれがそこに人間によって作り出されたというだけの減少でしか無いわけ。
その人間の御業に感動し意味づけをするのは人間の心です。なので人間の心のない人にとっては、歌も漫画も、ドラマも映画も、なんにも響かないし、無意味です。
さて人間はなにか意味のある活動をしているのでしょうか。意味はある。確かにある。でもそれは人間の心の動きの中で、意味の概念とか創作の価値とか人生の価値とか、そういった概念とかがある思考の中で定義づけされている、一種の虚構であります。
なので、意味のあるなし、というのは、乱暴に言えば心の持ちようなのです。
意味のある人生ではない。という悲しい苦しみがあります。ありがちます。
これは人生に意味がある、必要である、という雑い一般常識に毒されている残念な思考に囚われているために起こる、錯視的な苦しみです。
意味ってのは人間が主観的に見て、色付けしていく心の動きなので、無意味、というふうに心が思想が、思考が判定してしまったら、どんな崇高な偉業も無意味になります。
月に行ったからなんだって言うんだ。それってなんの意味があるの?
橋を作って通行時間が短縮したってなんの意味があるの?そんなに急いで物資や人間を流通させる意味あるの?
意味があるかどうかは、人の考え方や思考で決定されます。乱暴に言えば意味があるかどうかは心のありようです。
ここまで書いたら「意味のある人生を送る」ことがどれだけ脆弱で危険な思想なのかと言うことに気がつくかもしれません。
「意味」はこころの持ちようでかんたんに崩れるものです。そういった脆弱な概念に自分の生死を左右する「人生」を乗せることは、バカのする選択です。
バカのする選択なんだけど、割と「意味のある人生」とか「意義のある人生」みたいな概念ってさも常識であるかのように世間一般にまかり通ってる気がするんですよね。そうでもない?そうだと思います。
不幸な人間の多くは割とこの考え方が根本にあって、社会的に認められないのなら生きている意味ないとか、
人付き合いが下手だったら生きている意味ないとか、頭悪いから生きている意味ないとか、
不要な人生を送っているという、妄想に近い苦しみに苦しんでいるんじゃないでしょうか。
ここで最初に言っていた「人生とは生きるに値する意味のあるもの」っていう考え方が、効率的で無駄に苦しみを生み出さない考え方になると思うんだよね。
人生自体には生きるに値する意味があるなら、人生が続く限り人生は生きるに値する価値あるものになるわけ。
トートロジーだし、こじつけっぽいけど、本来人生に意味があろうがなかろうがどっちでもいいというか、人生自体は基本的に無意味で、なんで私達が生きているの買っていのは、単純に私達が産み落とされただけだし、その後の人生をどのように送ろうが死のうが、それ自体にも意味なんてものは無いわけですよ。
もし、無人島でひとりでに生まれて、最後まで自分以外の人間に遭遇することなく死んだ人が居たとしたら、その人の人生の意味ってのは、その人自身しか観測者が居ないので、その人が決めた心のありようだけですべて決定されるわけです。
この人が最高の人生だと思って居たのなら、最高の人生だし、最低の人生だと思っていたら最低の人生なわけです。
でもこの人の人生無意味。って言うふうに見える人がいるだろ!みたいな反論が聞こえてきました(幻聴)
見えますか?見えるでしょうね。それはあなたの心がそういうふうに見ているだけで、その人の人生の意味があるかどうかとは、全然関係ないからです。
他人が見て人生に意味があるかどうか判定することは不可能です。人生の意味というのは人間の心の持ちようでいくらでも変化します。これはその人生、その人自身の心の持ちようだけではなく、周囲の他人の心の持ちようにも現れます。
あなたから見てゴミみたいな人生を送っている人がいることと、その人がゴミみたいな人生を送っているかどうかは、全然関係ありません。
人生の意味は他人が決めつけたり、決定したりすることはできません。なぜなら心の問題だからです。
これは自分の人生が無意味だと思いこんでる人にも当てはまることで、周りから普通の人生に見えていても、本人が無意味で絶望的な人生を送っている(と考えている)限り、その人にとっては紛れもなく無意味で絶望的な人生は主観的に確実に事実として認識されます。
昨年の発端マシュマロみて、今年に入ってまだ炎上してるのみてたまに検索して追いかけている勢だよ。
Twitterで何か言うとめちゃくちゃ絡まれるみたいなのでお気持ちブログをしたためておこうと思う。というかむかつくNOTEみたので吐き出しだ!
私は彼女のやってること見る限り擁護なんてできないし、まともに検索もしないでちょっとみた感想で彼女を擁護してる人をみると「はーん」みたいな気持ちになるよ。
(ちなみにきちんと検索したうえで彼女を擁護できる人とは一切感性が合わないのでおつきいはお断りだよ。たぶんお互いそうだから付き合わないのが正しいね)
実害ない奴は黙ってろ、って思うのはわかるけど、擁護する人のいう実害ってどこまでをいうの?
私は刀ゲームのあのキャラ二人は彼女と結びついちゃうから育てるのやめたし、ミュージカルの無料配信みれなかったよ。思い出してイラっとするから。
だから彼女に結び付きそうなコンテンツには金を出す気にならないよ。
これは実害じゃないの?
今度ステに彼女の好きなキャラが出るの、いい気分しないよ。絶対普通の感想tweetだけじゃないでしょ。炎上のこと絡めたお気持ちtweetするでしょ。このカシオミニを賭けてもいい。
私には推しの俳優いるけど、彼女の推し俳優と同じ舞台に立たないでほしいと思っているよ。愛が足りないと言われるかもだけど、彼女と接点ができるような場所に行きたいくないから、万が一同じ舞台になったらチケットとるかも悩むレベルだよ。
感想を検索して彼女のアイコンを見たくない。ブロックはしているけれどね。
それくらい関わりたくない人だよ。
最初のマシュマロなら理解できたよ、共感はしないけれど。人によってはあれに対して怒る気持ちがあるのは理解するし、それについて誹謗中傷が飛んできて、それに対処しているのは当然の権利だと思うよ。
北海道の人にはチケット譲渡したくない、と思うくらいに許せないよ。
お互いがその舞台だったり、俳優だったりのファンであり、舞台を成功させたい同士だからこそ、個人のチケット譲渡が成り立っているんだよ。
その善意を踏みにじるような行為だと思っているから、そんな人と1ビットたりとも接点持ちたくないよ。チケット譲渡なんて絶対したくないよ。
彼女だけじゃなく、それを良しとした周囲の人ともぜーったいやり取りしたくないよ。
本垢で!と本人は常に主張しているのだから、チケット譲渡も全員本垢から頼むね、絶対取引しないから。
これまでの彼女のTwitterでの振る舞いをみて、炎上している人は常におとなしくしておけ、というのかとかいう人いるけど、そんなこと言ってない。
まっとうな大人の振る舞いをすればいいのに、と思うだけだ。
私は彼女の振る舞いはそう思わないし、絶対近くにいたくないタイプだと思うので自衛のためにも彼女が関わりそうなコンテンツには近寄らないよ。金も出さないよ。
何度もいうけれど、マシュマロや訴訟のことは理解している。それについては彼女に正当性があると思っている。
それと自分に意見を言う人やCFで金を出した人に対してバカにした態度をとることは別だ。
でもTwitterでそんなことtweetしないよ。他の人にまでこの気持ちを理解させたいわけじゃないからね、これは私自身の心の問題だからね。
私を知っている誰かにこれを理解させようと思うこと自体が、ある意味加害になると思っているよ。だから言わないよ、私を知ってる人にはね。
さっきお気持ちNOTEで「実害ないやつは黙っとけ」って言ってる人がいたから衝動的に書いたよ。これは実害じゃないの?
こういう気持ちになってコンテンツから離れている人沢山いるとおもうよ。これは実害じゃないの?
実害ってなに?
しかしその特定痴漢に対して仕返しをし損ねたのでその後もずっと恨みをため込んでいる。
その恨みをより広い相手にぶつけて受け止めてほしがる。
しかし主語デカ発言でお気持ちを受け止めさせようとする人に対し、人間はあまり優しくない。
そしてそういう精神構造には際限がないということを多くの人が人生のどこかで自覚しているから。
新卒で入った会社で職場全体のストレス源になっている物凄いモンスターお局様と遭遇し、意味不明ないじめを受け、
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」という一般論をネットに何度も書くようになった。
私はせめて当該お局様のみを憎むべきであったのに、
社長のコネで引き取られていてアンタッチャブルなそのお局様に誰も対処できなかったフラストレーションから
「高齢独身で働いている女性」という風に対象レンジを拡大し、無関係な人達に八つ当たりをすることで留飲を下げていたのだ。
小島慶子さんにしても、
大元は何かまっとうに憎むべき相手と理由(体験)があったのだと信じる。
けれども対象拡大主語デカ発言とそれをしてしまう自分の精神構造とを検討して戒めることがなかったために、
八つ当たりで広範囲に嫌な思いさせることを狙うのがすっかり癖になってしまっているように見える。
自分の身にたまたま起きたことを一気に社会問題にまで拡大してくれるから。
そして同じ精神構造の同じ性格の人間が同じ理由ですでに集まっている。
そうして、仲間と一緒に主語をデカくしながら特定属性に範囲攻撃をし始めることになる。
自分の恨みや無念を無関係な人にも横暴にぶつけていける攻撃の実感と権力感で快楽が発生する。
このような時、社会思想の仲間というのは実はただの八つ当たりを好む性格同士の仲間だ。
個々の体験を共有するために乱暴な抽象化を行い、主語のデカい属性への攻撃で合意する。
何かの問題解決ではなく、本来の恨みへ復讐することですらなく、もはや八つ当たりの快楽自体を追い求めている。
男一般を凄く憎んでる女の集団がフェミニズムとかリベラルとか言われていても
でもどちらも「個人の恨みを八つ当たりにまで拡大してしまうことを自分に許してしまう性格」という同じタイプの人の集団で、
これについては保守とかリベラルとかはあまり関係がないと思う。
こういう主語デカ八つ当たりが好きな人というのは明らかにいて、そういう発言を多くしたりいいねや☆を付けたりしている。
野蛮な時代だとこの種の性格の人は「女は劣等」とか「朝鮮人は劣等」という”社会思想”に多く隠れていたんだけど
それは差別だとわかりやすいため不当さを批判されるようになり気分よくなれなくなってきたため、
今では「男は害悪」とか「日本人は劣等」という”社会思想”にも潜むようになっている。
これはその人達の性格の問題であって、本来の社会思想の問題ではない。
どのような思想であっても、主語デカ八つ当たりの快楽を求める性格の人が入り込む。
これ自体は社会の問題でも思想の問題でもなく、個人の性格の問題なので、
そう言う性格の人が自分で自分の精神構造に気付き、性格を戒めてやめていかなければいけないのだ。
本来の社会思想の人か、八つ当たり快楽追及者かの見分け方として、
人を助ける活動を地道にやることに重点を置いている人は前者の可能性が高まる。
右翼であっても私財を投じて日本人の子弟を扶けようとか援助しようという人間は立派な性格だし、
左翼であっても自分の頭と体で貧困者の面倒を見て汗を掻いている人間は立派な性格だし、
一方で「敵対陣営に嫌な思いをさせること」ばかり楽しそうに追及している人は右翼であれ左翼であれ尊敬しにくい。
痴漢については満員電車を減らすことと監視カメラを増やすことぐらいしか現実的対策がないと思う。
せめて小池百合子知事を憎む…のではなく強く働き掛けを行うことで実現に向かっていくことが建設的態度ではないかと思う。
このような現実ベースの話で異論討論が起きているのをあまり見たことがない。
しかし気持ちについては個々人が自分で解決していくしかないものだ。
自分の無念とか、それを他人に八つ当たりして受け止めさせたいという欲望とか、
自分自身一時的にスカッとしても、結局憎悪が膨れ上がるし、他人の分の憎悪まで勝手に持ってくるようになるし、
そうして自分が何年も何十年も憎悪と共に過ごすことになるだけだ。
自分のそういう性格を思想のように取り繕ったりしてはいけないし、誰かや社会のせいにしてもいけない。
それは自分の心のハンドルを自分で握らず、程度の悪い何かに預けてしまう行為に他ならない。
pikopikopan 攻撃を楽しむ人間になってはいけないには同意する。ただ一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にする訳にはいかない。
「一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にして済ませよう」
なんて話はどこにもしてないつもりですが・・・。
私は社会思想自体は否定していないということも繰り返し断っていると思います。
負の連鎖を防ぐ側ではなく生み出す側なので区別することが必要だし
当人にもろくなことはないため自分で戒めてその性格から脱却した方がいい
という話をしました。
kincity 性的イシューで「本来なんの関係もない無辜の男性」が「痴漢やクソリプしてくる奴」相手の注意指摘の文言に非常にヒステリックに噛み付いてくる心理について当人たちが認識・分析すべきでは?何故黙ってられない?
個別の事例次第ですが
痴漢について男性全体を巻き込んで非難したり責任を分担させようとしたりする発言については、八つ当たりが含まれており反発があるのは仕方ないと思いますし、それについては八つ当たり発言者が「始めた人」だと思います。
ただしそのような八つ当たり要素が無い発言に対してもクソリプはゼロにならないことは確かです。
dogear1988 増田がそうだった様に、人が傷を癒すにはそうした言動をする期間が大なり小なり必要なのだが、ネットではそれに対する批判が集まる過程で寧ろ反発心を強め、誰も幸せにならない悪循環。難しいね。
個人的には、ネットで情緒的に人とつるむこと自体をやめた方がいいと思っています。
twitterやはてなブックマークなどでは八つ当たり仲間を見つけるのは簡単すぎます。
ああいうアクションは社会を良くしないし、自分の心も良くしないし、
なのに社会思想風看板やのなんらかの大義名分がくっつくと何か立派なことをしてる気持ちにまでなるんです。
skgctom 何で「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」を「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」と言い換えたのだろう。「酷い目に遭った私」はどこへ行ったの?
えーと
だからまさにそれについての話だったんですが
「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」
「ある高齢独身女性に嫌な目に遭わされたので、別の無関係な高齢独身女性を見ても条件付けで嫌な気持ちが起きる」
という事実と自分の心の動きを高度に客観視して把握してますよね。
そういう人なら無暗に無関係な人を攻撃したり八つ当たりしたりしないわけです。
自分の心が無関係な高齢独身女性に嫌悪感を持つのは自分の心の問題であり、対象のあの人に責任の無いことなのだ
とわかっているんです。
高齢独身女性全般への嫌悪の反応を正当化する方へ向かうんです。
「実際結婚もしてない人ってみんな最後はヒステリーお局になるんだよ、嫌われて当然。きもい。迷惑だよねー」とか。
自分の中の恨みとか不快感とか攻撃欲を正当化するために、八つ当たりを肯定するために、
というかskgctomさんは
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」が
不適切な八つ当たりの例であるということは理解してくれているでしょうか?
grdgs 「お前ら攻撃的。お前ら口が悪い」と常々言っている人たちが得てして普通に攻撃的で口が悪かったりするので、そのような鏡がない人たちにも伝わるといいですね。
あなたは日本人に対する差別的発言を(わりと許される空気もあったため)繰り返していたところ
風向きが変わって非難を浴び面目を失った人だと理解しています。
日本人全体を憎悪して差別的呼称を繰り返すというのはやはり主語デカ八つ当たり病だったというほかないと思うし、
そのうえで…
1.「差別発言」を咎められたのを「言い方の乱暴さ」を咎められたというようにすり替える意図であれば感心できません。
2.仮にあなたと同レベルの差別的発言をあなたの”敵”がやっているとしても、それはあなたを正当化しません。
(これはこの文の主旨の主語デカと別の話なので本当に蛇足ですね。)
建設的な日本批判日本人批判をしてくれればちゃんと読みたいと思います。
differential どう対策しても痴漢をゼロにできるとは思わないが、過去と現在の喫煙や飲酒への風当たりの変化を知るオバハンは、痴漢もっともっと風当たり強くなって良くね?とは思う。喫煙者より無条件に嫌われるべきと思う笑 ブコメ見た感想 知らんけど 無自覚バイアス
痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙や飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。
また「喫煙者が無条件に嫌われるべき」というのも危ういものを感じます。
私は喫煙者の健康被害の観点から煙草は社会からなくなる方が良いと思っていますが
問題解決ではなくあなたが何かを憎悪して快楽を得たいだけに見えるので与したくありません。
既に明確に犯罪者である痴漢をさら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も
あなたのシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。
小児性愛=男性 、という図式ばかりフィーチャーされがちだが、実は小児性愛の問題は男性に限ったものではない。
むしろ、隠れた小児性愛の問題は「女性」の側にこそ潜んでいる。
男性が若いアイドルばかり追いかけまわしていると思っているようだが、実は女性もまた、若い男性アイドルを追いかけまわしている。
例を挙げると、ジャニーズJr、神木隆之介、羽生結弦・・・etc (実際にはキリがない、というのもこの世には「男児」の水着イメージDVDなるものもあるからだ。)
彼らがまだうぶな少年だったあの頃、あのあどけない笑顔を性欲丸出しでおっかけていたおばさん達の表情を自分を決して忘れない。自分の息子を見つめる母親のような顔で彼らを応援するが、常識的に考えて"赤の他人"であるはずの男児にあんなに大挙して群がるはずがない。あの頃の自分は詰めが甘かった。
なぜ将棋の藤井聡太に若き日の羽生結弦ほど女性ファンが集まらないのだろう。単に将棋に興味がないだけだと思っていたが、しかし奴らはフィギュアスケートのルールすらほとんど知らないのだ。(もちろんマナーも)
はなはだ疑問である。
彼女たちは自分の汚らわしい性欲に過ぎないものを、まるで母性であるかのように"正当化"するのだ。
そういえばこの間も、ある成人女性が小学生男子との淫行で逮捕された事件があったが、普通に考えてあれは立派な"虐待"だ。
アホなネット民たちは「うらやまけしからん」などと笑い話で済ませていたが、本来ものの分別のない小学生に性行為を強要した場合、精神医学的に考えてどんな傷害(トラウマ)を残すかわかったもんじゃない。
世の中には一定数の"ショタコン"女がいるわけだが、もし自分に小さい息子がいたとして、そんな奴らが大勢いる保育園に子供を預けるわけにはいかない。ここは安全な男性に預けたいところだが、どういうわけかどの保育園も潜在的ショタコン欲求を持つ女性の保育士ばかりが大勢を占め、未だ男性は排除される流れになっている。(われわれは一体どこに愛する息子を預けたらいいんだ!)
自分は昔、母親と風呂に入っていた時に、母親にペニスを触られたことがある。あの時の母親はただ笑っていたが、今考えると鳥肌が立つような不快な体験だった。あれ以来母親を憎悪するようになり、自分は母親を徹底して忌避するようになった。自分はその時のことを誰にも何も言わなかったが、言えば性的虐待の件数としてカウントされたのだろうか?また、同じような経験をした男性は、潜在的にどれほどいるのだろう。性的なものであれ、お受験教育的なものであれ、それは等しく"虐待"ではないのか。
(考えてみれば、母親と恋人関係のような息子がたびたびテレビで報道されるが、あれも考えてみれば母親の"支配下"におかれ、もはや抵抗する気力を失った(無気力な)憐れな息子に違いない)
現実と妄想のつかないのはむしろ女性の方で、彼女たちはむしろ現実の男児に加害をなす恐れがあるのではないか、という問題をここに提起しておく。
「成人男性→幼女」の構図ばかりを心配していたら、気が付いたら女がショタを苦しめていたではないか。
願わくば彼女たちが、主にショタドールなどの現実の人間ではない架空の"物体"や、または腐女子のような高度な妄想技術を磨いてその危険かつ屈折した性欲を日常的に解消してくれればいいのだが……。
(追記)
どうせ興味ないだろうけど自分の子供時代の話をもう少しだけするが、自分は母親のせいで異性との付き合い方が分からなくなったと言っても過言ではない。小学校4年生のとき、女子からバレンタインチョコをもらい、その日母親に隠していたが、いつの間にか鞄を漁ったのかすぐに食卓の上に置かれていた。
中学の卒業式の夜、学ランの第二ボタンがないことを上目遣いのいやらしい目で家の暗い廊下で問い詰められた。
高校生になっても通学の自転車を漕いでいると母親が車で自分を見つけ、「誰と話してたの?」と頓珍漢な詰問にあう。
学校で女子に話しかけられてもどうせ深い付き合いになれないし、女友達になるにしてもそんなものが成立するとも思えない。
しかしこの頃から自分の母親と、学校の女子というものが、同じ「女」であることを強く感じ始める。
同級生の女子もまた、男子という人間に対して同じ女同士の友達とは違う対応を明確にとり始めるわけだが、その下心のようなものがどうも見え透いて自分でもなぜか分からないが拒絶反応が起こり始めた。
どうにも自分の母親と、目の前で気さくに声をかけてくれる女子の猫なで声が頭の中で共鳴し、嫌な思い出を引き出すのだ。
これは一体誰の責任なのだろうか?俺の心の問題なのか?俺の心が女性の侵入を許せばただちに問題は解決して、今頃、子供を作り幸せにやっていたのだろうか?分からない。しかしそんなあっさり心の問題を解決してしまえるような奴が子供を幸せにできるとも思えない。俺の精神の成長を止めたのは誰だ?俺か?俺だけなのか?あいつ(母親)は関係ないのか?猫なで声で接してきた同級生の女子は関係ないのか?じゃあ人間が一人で成長できるなら他人なんか要らないな。相変わらず都会のワンルームアパートで孤独にこんな匿名記事で愚痴を吐き出すしかできない。
ミソジニーなんて言葉があるが、どうせモテない奴の僻みだろなどと世間ではいうが、女性嫌いになるのはいろんなパターンがある。自分の場合はそれだった。一般的なこととして当てはまらない、統計的にマイノリティだ、だからこれとこれは別の話だというのかもしれない。
じゃあフェミニズムって一体何のためにあるんだ?
フェミニズムとは一人一人が固有の体験において様々な問題について打ち明けることのできる思想だったんじゃないのか。
では俺の場合は何に当てはまるのだろうか。俺は男性だ。男性のためのフェミニズムってあるのか?少なくとも自分は知らない。少なくとも多くのフェミニストはそんなものは無いと言うだろう。
自分がもし、女に産まれてきたとしよう。そうすると多分、今度は自分の父親に性的虐待をされていたんじゃないかと思えてくる。多分99%そうだろう。パソコンの履歴に「ロリコン 動画」などと検索するような奴だ。おまけに頭もものすごく悪い。まったく自分は男に産まれてきてよかった。じゃなきゃ今頃、風呂場で体中をまさぐられていたことを、今でも時折思い出しては発狂していただろう。いや、しかしこれも仮定の話に過ぎない。というのもそれを想像している自分はあくまで男だからだ。あんな父親に性的虐待されてる自分なんてゾッとする。多分訴訟沙汰になっていたかもしれない。でもどうだろう、それでも女の子だった場合の自分は、それでも無理やりにでもその時自分は愛情を感じていたのだと心を誤魔化し続けていたのかもしれない。
もしそんな自分がいたとしたら、男がいうところの論理的思考なんてできないまま大人になり、ひょっとするとメンヘラになるか過激なフェミニスト気取るか高いところから飛び降りていたかもしれん。男にモテてもモテなくても多分まともな人間関係が保てなかっただろうな。(この場合父親によって男性嫌いになっていることになっているが、もちろん母親との母娘関係においてまた別の問題が生じ、異性関係に支障をきたしたことだろう。あの母親はそういうやつだ。みんなは俺の両親については何も知らないかもしれないが、俺は"よく知っている"。奴らはそういう人間だ。どうせ互いの見た目(ルッキズム)だけで何も考えず結婚したのだあの馬鹿どもは。)
しかし今現在男である自分にとっての問題は、結局未だ母親によって受けたトラウマが癒せず、女性というものを理解できず、成熟した精神というものの内在しない二次元のアニメキャラにしか興奮できないということだ。
特に幼女のような見た目のキャラか、どっかで献血のポスターになってそうなありえないくらい異常に発達した巨乳の童顔キャラかだ。自分もまた父親とまったく同じ種類の性的快楽を感じているのだろうが、それが自分に向けられた性欲ではなく、男同士で連れションしている感覚で、そこには男同士の明確な暗黙ルールに基づいているためにこいつは全く自分とは別の人間だと安心できるのだ。五感も精神もすべてが何一つこいつに同調しない。
自分がもし、古代ギリシャのスパルタのような男だけの社会で厳しく育てられていたらすべては解決したのだろうか。
昭和の価値観でマッチョでホモソーシャルな奴らと共につるみ、「女なんて適当にあしらって子供だけ産ませときゃいいんだよ」とアドバイスされ、それに付き従い悪く言えば適当だが、良く言えば寛容な心で 結婚→出産 までのコースをサクッと潜り抜け、子供も5人ぐらいサクッと産ませて国家安泰って感じでよかったのだろうか。しかし今は何もかもがセンシティブだ。(コロナでわかったことは、一人の人間の命が昔に比べて遥かに重すぎるということか。)
自分は現実の女に興味がない。本当に電車での痴漢冤罪が怖い。そんなに男が嫌いなら、男の前に姿を現さないでほしい。
願ったりだ。そんな人間も当然のようにいる。しかしそれでももし、男だとか女だとかレッテル貼らずに一人の人間として対等に向き合う覚悟があるのなら、話ぐらいは聞いてやる。そしてそういう奴の言うことは、大抵「もっともだ」と自分は頷くだろう。
全ての問題は、男も女も、異性にしろ同性にしろ互いをモノとしてしか見てないところに原因があるような気がしている。
つまり自分が様々な問題を混同しているように見えるのだろう。確かにそのことについて自分も常に考えている。
しかし被害者とはそういうものだ。論理性などない。自分の感情をまとめることなど自分一人で到底できない。
あらゆる問題を混同したまま巻き込み、感情だけで片付く問題ではもちろんないが、論理だけで片付くとも到底思えない。
また、論理と感情を上手く整理できる人間がいるとも思えない。すべての問題は置き去りにされたまま勝手に次のステージに進む。いつだって冷静なふりをしている人間は次のゲームに乗り遅れる。ここからが心臓でここからが肺だとか、冷静にメスを入れることのできる奴だけが偉ぶって問題を"上"から片付けようとするが、現役のスポーツ選手にとっての実感はどれも等しく見分けがつかないほど連動しているってことだ。皆様は自分こそが上手に魚や牛を捌けるとマウントを取り合っているようだが、今自分のポジションはそのまな板の上の魚や牛で、あなた達が捌こうとしているものは実は"人間"で、そしてそのまな板の上の"人間"は自分なのだ。あなた方は私の身体の中身を知っているようでいて知らない。もちろん私にもわからない。私にわかるものは私が知っているものすべてであり、それを経験しているのは私だけなのだから。当然私はカウンセリングにも行ったし、いろんな人の話も聞いた。しかし結局誰にも共感できない心の構造を持っているのだ。なぜなら「この私」の経験は「この私」だけのものであり、経験していないものとそもそも共感などできないのだから。
だからこそ私は二次元の女の子を性的に愛する。あるいは精神が未熟な「ショタ」や「ロリ」や「犬」や「猫」に同情するし、共感する。
なので自分が男だからという理由だけで「ショタ」の立場だけに立つなどと勝手なミスリーディングはしないでほしい。
「ロリ」の苦しみは「この私」の苦しみだし、「犬」「猫」の苦しみも「この私」の苦しみだ。
ぶっちゃけると、男だろうが女だろうが、ショタだろうがロリだろうが犬だろうが豚だろうが誰が何に性欲を感じるかなんてもはやどうでもいい。等しく等価だ。性欲はただの性欲であって基本的に汚らわしいものだ。
そして現実の生き物に迷惑かけたくないから、自分は二次元に逃げた。
そしていつか大量の幼女ドールと巨乳ドールを専用の部屋に集めて飾ってやる。
白人と黒人の問題にせよ、どこからが白でどこまでが黒か奴らに分かっているとも思えない。
各々が各々の定義を持ち出して、勝手に"冷静に"まとめようとするが、どうせまた数十年後に奴らは同じような原因でデモをするだろう。
そもそも論理性だとか合理性だとか、そんなものが現実にどこまで通用するか、またそのようなものの合意もあるようでいて実は無い。なぜならそんなものは感情的な動物と化してしまったものには理解できないからだ。
ちょっとした軽い気持ちでこの文章を書き始めた自分だったが、結構数稼げたんじゃないかと思う。
君たちはこの文章をちゃんと読んでいるのか?それとも部分的に自分が反応するところにだけ反応しているだけなんじゃないのか?しかし実際のところ、多分そういう読み方しかできないような構造が出来上がっているのだろうなとも思う。
どうやら君たちのいうところ、自分は何らかの「被害者」のようだ。なので言わせてもらうが、自分のような「被害者」は実はどこにでも潜んでおり、たまたま自分が上手く言葉で説明できたに過ぎない。目に見えない自分のことを、どこまで真実を言っているのかわからないかもしれない。しかし今回の黒人のデモにおいて思うのは、発端となった殺害された黒人も、案外"不注意"だったのかもしれん。というのも奴が問題を起こさなければ(例え正しかろうが間違っていようが)このような全米を巻き込んだことにはならず、平穏に暮らし、コロナに対する犠牲者の数をいたずらに増やさなくても済んだのかもしれない。
自分がもし黙って何も投稿せずにいたら、ひょっとすると「ショタ」の問題などそもそもどこにも存在していなかったのかもしれない。
「被害者」は1人もどこにも存在せず、「ロリ」だけが被害を受けていることになっていたかもしれない。などと考えるのはただの自惚れかもしれん。しかし実際会ったことのないやつらに同情されても、結局同情という言葉だけが一人歩きするだけで、自分の情動に何のリアクションも起こさないのだ。この記事はただの自分のメモ帳みたいなものだ。ひょっとすると、本当は何の虐待も受けていなかったのかもしれない。すべては俺の誇大妄想で、あの時の自分の母親は彼女なりに自分に尽くそうと不器用に振る舞っただけだったのかもしれない。戦争体験者の証言もそうだが、いつも当事者の体験が一体どんなものだったか分からない。お前は「被害を受けたのだ」とレッテル貼られても、それでどうしろというのだ。金は動くが心は何も変わらない。
しかし冒頭を読み返すと女を煽ってるような気がする。奴らにも辛い経験が当然あったわけで申し訳ないと思うが、しかしいずれにせよ人間はそれを「乗り越え」ねばならんのだ。(これでまとめた感を作ってみました)
このような追記に追記を重ね、よくわからんただの歪なだけの文章を取り出して、それこそお前の精神構造を表しており、お前という人間の真理(心理)の一側面を表しているだなどとなんと精神科医とかはほざきそうなもんだが、ここまで書いてみて、君たちを鏡のように使ってみても、全然自分という人間がわからない。自分の母親だけが、自分に影響を与えていて、それだけで自分を構成しているとも到底思えない。とはいえ自分は結構いろいろなことも経験してきたからだ。
あのね
とか関係なくていいんだよ
それを閲覧可能で直接接触可能にしてその結果を自己責任といっているシステムがおかしいのは
前置きがなくてもわかること
正論で大衆の悪しき行動の恐怖とかいうものもそれとまったく同じエンターテイメント
むかしのコンテンツにはそういう演者と人間が同一視されないように事務所やマネージが対応してた
一人一人がどういう行動をしよう、なんて声掛けするのは無意味
それは大衆の基礎行動を刷り込むってことでしょ?
組体操をしておなじ教科書で道徳を学びしていいことと悪いことを一律にしてそれを破るものを罰する
それを作りましょうと声を上げたら軍事だの戦争だの70年前とか言い出すじゃん
だったら最終的に何人束になってこようと結局一人を狙ってくるのだからその前に分厚いバウンサーを置くほうが確実だし効果的だよね
テレビが低コストになるということは人を保障するものがなくなって命の危険性を自己責任に任せて
なんでもコンテンツにしてるそれが大衆の欲求だといってまかり通ってる
おいしいと感じるものを無限に出されたら摂取してしまうのを自制心の問題だというには供給体制がおかしくないか
私たちは自分たちが健全であるために供給量の制限を望んでもいいのではないか
議論というのがただのおしゃべりでツイート合戦だというなら現状議論はできているかもしれないけど
議論というのが問題を見つけそれを解決するための方法を確立するためのものだとしたら
同じ事件がおこらないように体制づくりをすることと、できたことの確認を示すものを成り立たせる
だれが殺したかをはっきりさせたら再発しないのだというならそれでも良し
湧き出る誹謗中傷を片っ端からことごとく対応できるならそれでも良し
だれが悪いか声高に指さすヒーローになって広告料を稼ぎたい以外に問題を問うている人をみない
そういうことが問題だと思うわ
30代半ば。
ITで3年ほど女性管理職やってる。そこそこ大手で体育会系の会社。
なかなかの激務だ。
家庭ありの子持ちだか、夫が理解がある人なのでどうにかなってる。(良妻賢母ではない)
元々管理職に任命されたタイミングで、2、3年かなぁとは思っていた。
管理職になって、正直評価は高いほうだ。年収も多少上がっている。
好きに仕事させてもらってるし、部下も頼ってくれている。次の部長は私との噂だ。
会社の制度や福利厚生は大手様々だし、人間関係も1人しか問題がない。
本当に好きに仕事をさせてもらっている。家からも近いし、おしゃれなオフィスだ。本当に良い会社だと思う。
辞めたい理由
・いつか大きく体調(心も体も)を崩すのだろうなと不安に思う
・上司が糞(効率化とか知らないし、すぐ切れる。円滑に物事を進めるための根回しとかご機嫌とり疲れた)
・案件成功のプレッシャー(自分がうまくやらないとみんな稼働高くなるわけだから)
・部下とのコミュニケーション難しい(嫌われたくないし、無理もさせたくないけど成長してほしいし、一人前にしてあげたい)
・リーダーしんどい(性格とか相性とか見極めながらまわすのしんどいし、仕事できない人を使うのしんどい)
・過剰な責任感(部下やメンバーの人生を背負ってると思ってしまう。お客さんの会社の命運を背負ってる気になる。)
上司を除けば不満は全てわたしの心の問題で、利点であり欠点である。
アヤワスカとは、南米で使用されるDMTを主成分とした幻覚剤の1種なのだが、DMTの含まれるアカシアコンフサの根皮とDMTの分解を阻害するモノアミン酸化酵素阻害剤と同時に摂取することで、同様の幻覚作用が得られるのだという。
海外の論文ではアヤワスカが精神に与える作用などが調べられているようだが、それを読む限り精神的疾患に対するヒーリング的効果が報告されている。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/29452127
その他の幻覚剤LSDやシロンビン(マジックマッシュルーム)なども同様で、精神的な問題を解決するのに役立つという研究結果が複数報告されている。
日本国内における法的な問題性については、DMT、LSD、シロンビンは違法薬物であり、使用をしてはならないということに一切異論はないのだが、アヤワスカ(DMTが含まれている植物体+モノアミン酸化酵素阻害剤)に関してはまだ規制の対象ではない。違法薬物でなければ、論文を読む限りは精神的な問題を抱えている人は使用したほうが良いのだろうかとも考えてしまう。
しかし、問題はここからで、日本国内で『雑草で酔う』というアヤワスカなどを肯定する本が販売されているのだが、その著者は完全にスピリチュアルな世界に傾倒して精神が崩壊していってしまっている。
ブログやTwitterなどを見ても、妖精や向こう側の世界との交信など香ばしいワードが連発されていてぶっ壊れている人にしか見えない。
幻覚剤をやると心の問題が解決されるのか、解決されてもスピリチュアルの世界の住人になってしまうのかどうなるのかが気になっている。
明らかに睡眠不足で、日中もウトウトしてしまうのだが、少しアプリがうまくいかないと不安に支配されてしまい、コミュニケーションが狂い出す。
なんとかしなければという思いに捉われて、空回りし出す感じ。空回りして一手ミスると更に不安に襲われ、のループ。
普段は街で美女を見たところで何も思わないのが、睡眠不足で疲れ切っていてネガティブになっている結果、世の中でいかに等価交換が行われているか、自分に差し出せるものがないかに自覚的になってしまい、絶望する。
元々学校やクラスで浮いてしまうタイプだったから、コミュニケーションや世渡りが下手で就活もうまくいくはずがなく、大企業に入れるはずもなかった。
そこを踏まえた上で、這い上がっていきたかったわけだが、どうにかなるものなのかこれは。
自分より何もかも優れた人がごまんといる中で、どうしたらいいのか。
短時間睡眠でも頭が回ると言う人はいて、そこは身体を鍛えたりすることである程度は改善の余地がある気がするが、体質なのだから仕方ない気もする。
寝ればいいのだ。簡単な話だ。
しかし、朝に惰眠を貪るのはいくらでもできるが、夜に早く寝るのは、なかなかできない。
意識すれば早く眠れるようになるだろうか。
眠れない原因を自分のメンタルではなく外部要因に置いているのがいけないのか。
そうだな、本当にどうしようもない人間だが、3大欲求だしな。フードスタンプならぬ、睡眠スタンプだ。クズにも寝る権利はある。全然うまくいってないのに寝るなんて。いや、睡眠は当然の権利だ。
私は新生児というものを見たのは自分の産んだ娘が初めてで、赤ちゃんというものとあんまり深く関わることがなかった。
娘を産んで、初めてのおむつ替えで、普段全裸でM字開脚する人間を見ることがないため、最初は娘の下半身に戸惑い、娘の性器を直視したときには「私には今、一人の女の子の人生の全責任が乗っかってるんだなぁ」という複雑な気持ちになった。
うんちしたら下半身を綺麗にするため娘をくぱぁして汚れが残っていないかチェックしなくちゃいけないのだが、まだ慣れなくて戸惑う。おしっこ引っかけられてもむき出しのおちんちんのほうがまだ気持ちが楽かもしれない。
女の子の体っていうのは秘められた部分という印象を受ける。
保健師が家に訪問してくれて、娘の体をチェックしてくれるのだが、今日の保健師(女性)はわざわざくぱぁまでして娘の股間がかぶれていないかチェックしてくれた。
巨乳キャラをdisりつつ高身長男性キャラを好む女は本当に気持ち悪い
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20191107141551
特に元の欄での人気コメントではないんだけど2階まで伸びてたので見つけた。
巨乳キャラをdisってるんじゃなくて「おっぱいを女性から切り離して商品として提示するのやめろ」って言ってるだけだぞ。どんだけ認知が歪んでるんだ?そしてお前チビだろ? - hate_flagのコメント / はてなブックマーク
さすがに全体的にアレすぎなので
「増田が低身長というのは根拠のない妄想で、それこそ認知のゆがみでは」
「ていうかもろに身体的特徴をあげつらおうとしてない?大丈夫?」
とのツッコミが入っていた。
ツッコミを受けたhate_flag氏は落ち着くかと思いきや
hate_flag 身長が低いことに劣等感を覚えてるんだろ?気にすんな。「男は身長が高くないと価値がない」っていう歪んだ価値観も漫画から得ちゃってるだけなんだぜ。是正しよう
hate_flag氏のように差別発言をたしなめられて「劣等感を覚えてるから問題に感じる」「気にしなければよい」「お前の歪んだ価値観を直せ」で正当化出来るなら
・「カタ〇」と言って注意されたら「自分の体に劣等感を覚えてるんだろ?気にすんな。お前は漫画にその劣等感を植え付けられたんだよ。」
・「チョ〇」と言って注意されたら「韓国籍に劣等感を覚えてるんだろ?韓国を差別すんな。お前の歪んだ価値観を是正していこう。」
とかでも正しいことになってしまう。
hate_flag理論を使うならもはやどんな発言も表現もフリーとなり、
問題が生じるとすれば受け取る側の心の問題だと押し付けることが出来るようになる。
つまり、元々の話である胸のでかい絵や漫画もいよいよ何も問題なくなってしまうのでは。
hate_flag氏の仲間の中でもdenpa0604氏とquick_past氏しか☆をつけていない。
仲間といってもdenpa0604氏は発狂系左派の形態模写をする正気の人(何年もあの活動をしてる時点で大路理論でいけば狂人そのものだが)なので
quick_past氏は大真面目な左派なので、仲間の発言の不味さに気づけないぐらい偏っているだけであろう。
あなたは「やーいF欄卒」とか「貧乏家庭」のような下劣な罵倒を受けても
「自分が劣等感を持ってなければ問題ない」「腹が立つなら自分が低学歴や貧乏人を蔑視してるんだ」と言って飲み込むの?
仮にあなたが無理してそう言えるんだとしても、それを飲み込むのは違うと思うけど。
で結局、
hate_flag氏はどういうつもりでこんなぶっ飛んだ発言をしておられるのだろう。
「ひ、皮肉だから…」のような論理破綻した見苦しい言い訳以外の説明があれば聞いてみたい。
今回ははてなダイアリーを持っていないので匿名ダイアリーから書いた。
hate_flag氏・quick_past氏から反論や応戦があれば自分のidを名乗ってここで対等にお相手する。
まあそんな意気地はないだろうが。
denpa0604氏から応戦が来たらかなわないのでこっちが逃げる。
なお私の身長は184cmです。
hate_flag氏はまともぶろうとしてるけどカッとなって地金(人を攻撃するときに差別そのものの論理を使ってしまうような性格と知性)を出す人。
普段無理して反差別ぶろうとしている人の限界と失態だからこそ、私もこうやってわざわざ取り上げているのです。
もしもdenpa氏が同じ発言してても取り上げません。だってあの人の「反差別ぶってるけど差別的な気持ちをむき出しにする左派」の振る舞いはは全部わざとやってるだけから。
denpa氏の差別芸は同じことの繰り返しで閃きや知性は見られない(世間に既にあるもののコピーとカリカチュアなので)のに対し、nekora氏の差別芸はオリジナルな閃きやがふんだんに見られるオリジナルな差別の語彙です。
差別的であることは他の二人と一緒ですが、一番面白い差別です。あの人は頭が良かったと思います。
このように、差別野郎と一口に言っても中身や程度は様々です。この差を見分けられない人がいるのは私には驚きですが、ほとんどの人はわからないようです。
努力が本当に苦手だという人けっこういると思うんだけど、すごい努力をしてる人をみたら正直失敗してほしいと思わないか?
努力してる人を貶すと怒られるが努力してない人はいくら貶してもオーケー なぜなら努力できないのは生まれつきじゃなくて心の問題だから やる気がなくて甘えているだけだ
この風潮がおれは本当に嫌いだ 努力ができるのもひとつの才能だよ 生まれつき体が弱いことがあるなら生まれつき気力が弱いこともあるだろ せめて同じ扱いをしろ
おれはあらゆる才能のなかで努力の才能を一番嫌っている 全員しょせん才能でやってるだけなのに偉そうにしてるからな 才能を誇ってイキってる奴が破滅してほしいと思うのと同じくらい努力を誇ってるやつが破滅してほしいと思ってる だから正直おれは「身の丈」発言もそんなにムカつかない 「頑張れば」這い上がれる社会なんてそもそも頑張れない人間にとっては惨めなだけだよ 誰も這い上がれないほうがまだ気が紛れる
今
https://anond.hatelabo.jp/20200708005431
以下、本記事です
==
元の人です。
ちゃんとした自己紹介、現状報告、ブックマーク、コメント、Twitterで見つけた質問への回答していきたいと考えています。
以上です
誰が言い始めたのでしょうか。
「いわゆる、そうした日本の童顔・巨乳、でか尻、足細の女性キャラって、一昔前の言葉で、使うことにも躊躇しますが「奇形フェチ」だと思うのですよね。
昔の中国の纏足につながるような身体形成で、それは正に男性による女性のモノ化であり、人権・人格否定。」
色々思うことがあったので、自身の考えを整理するためにも書いてみました。殴り書きですみません。
まずこのツイートの背景を簡単に説明します。宇崎ちゃんが採用された日本赤十字社の献血ポスターにおける女性の体の描き方が以上に胸が大きく、つまり女性表象が現実を逸脱しており、これが性差別に繋がっているのではないかという議論が巻き起こりました。それに対して、巨乳を差別している、表現の自由が保障されているから良いのではないか、という意見がありました。
女性の「モノ化」とは?
性別という理由のみで性役割を固定され、女性が主体を失い、男性の理想となるような「モノ」を強制されることを指します。例えば歴史を見ていくと、性は戦争の道具に利用されていました。男性は戦争に行き、女性は家庭を守る。父権主義により女性は家庭に入り、男性の子供を産む道具つまり「モノ」として性役割を強制されるような歴史があります。
今回は、胸を過剰に表現することによって女性が男性の性的消費の「モノ」と化しているものを堂々と公開することは問題ではないか、ということを論点にしています。
→そもそも今回の批判対象はポスターの性表象になります。ですので、現実に存在するGカップの女性(どこからが巨乳かの定義は置いておきます)を批判しているわけではありません。また「奇形」と表現されているのは表象の結果的要素であり、作者の絵柄や萌え絵文化を非難するものでもないはずです。「なぜあえて胸を強調するような絵柄がポスターとして採用され、人の目に留まりやすい場所に掲示されているのか」が問題の本筋となります。
ツイッター上ではこの巨乳を奇形と差別したという話ばかりが広まり、これに対した反応をしている方ばかりを見かけるようになりました。巨乳が奇形だと間違った受け取り方をして、それを広めているのもここの人たちです。
→表現の自由は人権を守った上で存在できることは周知の事実です。
→あいトリで大きく問題にされていた昭和天皇の写真を燃やして踏みつける動画作品。これはそもそも天皇制を批判している、日本の象徴を侮辱しているという文脈で見ようとすると誤解を受けます。この作品を制作した大輔さんは「心の問題としての自画像」を取り上げ、変遷するイメージを天皇として表現しました。本来は世代によって変わる天皇のイメージと皇室タブーの議論へと接続される予定の作品だった。ただそれが上手く行かずに政治的文脈によってのみ判断されてしまいました。現代アートは問題を投げかける作品が多いです。ただその性質上、人間の負の感情からスタートすることが多い。私は表現の不自由展・その後を支持するわけではありませんが、展示が本来持つ意味に沿って機能せず、短絡的な思考により展示が阻害されたのは問題だと思います。これは余談なのですが、そもそも天皇は基本的人権をお持ちなのでしょうか。人権を制限されている制度が存在することを無視して、この動画作品を批判するのはどこか矛盾していませんか。天皇の人権について議論するならば、天皇制についてもきちんと議論するべきだと思ったのは私だけなのでしょうか。
→そのような絵柄を好む方も多くいることは理解しています。その愛好人口のある程度の多さ故に、女性的な要素である胸を強調するイラストは一定の支持を受けている。ただ忘れてほしくないのは、女性の性的要素が強調されたイラストを不快に思う人が存在するということです。今は女性の性的要素を強調しているのみですが、これが水着になったらどうでしょうか。もしエロやグロだったらほとんどの人が批判すると思います。場に適切か不適切かどうか。その線引きについて現在議論しているのです。
→存在し、受ける人が増加する事実を確認しているだけで、勧めているわけではないです。大事なのはこの背景に何があるかということです。胸を性的要素として日常に取り入れすぎてしまい、巨乳、つまり性的要素が強い人が結果的に性的な視線に晒される機会が多くなった。日常に取り入れすぎるというのは、今回のポスターのように市民権を得すぎてしまったことです。冒頭に戻りますが女性の「モノ化」により本来、個人的にやり取りされるはずの女性の性が、大勢とやり取りされることが問題になります。
この一連のツイートへの反応はどうしても本筋の論点とは違ったところへ議論が流れがちです。第三者が各所を切り取り、論旨をすり替えたツイートも見られ、大勢の人がRTしたりしています。これが最近話題のフェイクニュースかあ、と感心してしまいました。もちろん感心してる場合ではないのですが。情報の判断を誤ると生産的で建設的な議論ができなくなります。そもそも議論ではなく「でも私はー」や「でもこんな人もー」などのように個人的な感想や極めて稀な例を出す人もいます。感情や例外ではなく、一般的な例に則った議論を交わすことをお勧めします。私はこの議論に関しては肯定派にいますが、反対派の意見ももちろん聞きたいです。しかしそれは「胸を強調することに問題はない」「このイラストが公共の場に晒されることに問題はない」ことを証明する意見を求めています。
Day,5
5日目
最高の街※ただし金持ちに限る
窓のない部屋で目覚めたシンガポールの朝。
今日の予定といえばまた長距離バスに乗ってクアラルンプールに向かうぐらいで、ここシンガポールですることなどほとんどないのだが、手元にあるのが30シンガポールドルあまりではお土産も買えない。
ホテルを出てカフェを物色しながら朝のシンガポールの街を歩く。
喜園咖啡店。
カウンターのショウケースに並ぶオカズと、叔母さんがボウルで混ぜ混ぜしている麺をチョイスして盛り合わせるスタイルのようだ。
これとアイスコーヒー。
併せて3シンガポールドル、240円足らず。
入国してからというもの、物価にギョッとしていたので、この価格はたすかった。
漢字で書くと福建麺。
シンガポールでも有効なGRABでタクシーをピックアップする。
何気なく料金を見てみると、請求料金のアラビア数字自体はマレーシアと大体同じ。
でも、1シンガポールドルは約3リンギット、つまりお値段は3倍だ。
チャンギ国際空港に到着すると、幾何学的な建築の中に存在する溢れるほどの樹木に圧倒される。
チェックインはキノコのように地面から生える自動チェックイン機。
地下のフードコートでは、QRコードで注文サイトにアクセスしてオーダーする。
その全てが単なる成金趣味を超えたスマートさ、洗練されたデザインだ。
旅行趣味の同僚や友人に聞くと皆「シンガポールは綺麗で発展している」という。
確かにそうだけど、実際に見てみると、もはややりすぎ感すら感じる。
フードコートで頼んだポークライスとスープのセットは25シンガポールドル、約2,000円。
ここでは何をするにも金がかかってしょうがない。
ホテルに戻って荷物をピックアップし、マレーシア、クアラルンプール行きのバスが出るスタービスタモールに向かう。
既にチケットの予約と支払いは済んでいるので、スムーズにチケットを受け取ることができた。
しばらくピックアップポイントで待っていると、定刻より15分遅れた15:00、マレーシア・スバンジャヤ行きのバスが到着し、自分も含めた乗客が搭乗すると、スムーズに発進した。
バスが出発すると、やがて雨が降ってきた。
シンガポールは入国も雨、出国も雨、いずれも車内で迎え、濡れることはなかった。
シンガポールは隅から隅まで清潔で、スマートで、食事も美味しく、英語も通じ、バスの遅れも受付のお姉さんがアナウンスしてれるほどで、自己の信念という極めて個人的な内心の問題以外は不安なことは何もなかった。
今まで、初めての海外旅行はどこがいいかということを聞かれたら、韓国か台湾と答えようと思っていたが、安全性や確実性、清潔さ、スマートさならシンガポールだ。
初めての海外旅行はきっと素晴らしいものになるだろう、あなたにお金がたくさんあれば。
シンガポール、マレーシア間の出入国処理も終え、バスに揺られる事6時間、個人的に立てていたスケジュールを大幅にオーバーして、バスはスバンジャヤ駅に到着した。
ちょっと不安だった鉄道、LRTだが、コイン式の切符の購入もわかりやすく、車内も綺麗だった。
何より複雑な乗り換えがないのがいい。
LRTはKLセントラルに到着、GRABでタクシーが捕まらなかったので、チケット制のタクシーでホテルに向かう。
参考
参考