社会問題であるっていうのは、内心の問題でないってこと。
自分の中に差別の感情がある~とか
お前の中にも感情があるから反差別は欺瞞~とか
そういう2歩後ろの議論されるとお話にならないんだよね。社会的事実としての差別を何とかしましょうって言うべきなんであって、そういうのはもう考え終わった段階で居て欲しい。
それが無理なんだよなどうやらネットでは。
大抵は、嫌悪の感情が無くせないとか言い出すやつに対して、誰かがマウントか善意かで「内心は関係ないぞ」的なことを言って、しかしやっぱり初歩の話過ぎて面倒だから言い方がおざなりで、無駄に反撃してくるやつでツリーが膨らんだり、本来の社会問題としての差別のことは全くしゃべる事すらない感じになる。
これなんなんかな? 日本の道徳教育がおかしいのが原因?
それとも個人の心は社会によって作られる、みたいな教育社会的な前提が認知されてないせい?
Permalink | 記事への反応(1) | 10:14
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(ただし何が社会問題かは私が決める)